地下の陰間
2008-12-31 | 夢
母屋を離れささやかな竹林を通り抜けると小ぢんまりとした蔵が私を待っていた。
だいぶ昔に建てられたのであろう、白塗りの壁は塗料が剥げ落ち白色も黄色く煤けていた。
土まみれの蔵の戸は輪をかけて古く、木戸の黒さは少なくとも塗料や木そのものの色だけではなかっただろう。
かさかさと落葉した竹の葉を踏みしだきながら、私は蔵に手を触れた。
昔ながらの建造物はあるいは手のひらに積年のあたたかみを伝えるかとも思ったのだが、ひやりとした冷たさに背筋が薄ら寒くなる。
私は蔵の周囲を一周してみることにした。
一周するのに一分もかからないだろう、蔵は今時の貸し倉庫ほどの広さしかない。
いったいここは何のために建てられたものなのだろう。
もう一周してみることにした私はそこで奇妙なものを見つけた。
地面に触れるか触れないかの場所に、一箇所だけ通気孔があった。
他の場所にはないかと確認してみるが、上にも下にも他辺の壁にも通気孔はない。
鉄製の柵は赤茶色に錆びていたが、不思議なことにその柵の周囲だけきれいに竹の落ち葉が払われていた。
通気孔の向うは暗闇をたたえている。
気になった私は腰を屈め通気孔に顔を近づけてみた。
すると、唐突に何かが飛び出してきた。
人の手だ。
私は慌てて飛びのいた。
痩せて筋ばった両手が鉄柵を握り締めているのだ。
手首は下方から伸びている。
ということは、この蔵には地下があるらしい。
まさか人がいるなどとは夢にも思わず、呆けている私の耳にか細い声が届いた。
「もし、誰かいるのですか。おかあさまでしょうか」
掠れて音もないような声だったが、おそらくは成年した男性のものだ。
おかあさまとは誰のことだ、とは思ったが、私はひとまず違うと答えた。
それからここで何をしているのか、幽閉でもされているのかと尋ねた。
男の手が柵ごしに伸ばされた。
真っ白な指先が震えていたが、私はその肌と触れ合おうとは思わなかった。
「僕は頭が悪いのです。あなたの言葉がわからないのです」
白痴なのかと一瞬疑ったが、その割には喋りかたが明瞭だった。
一体何があるのかは知らないが、痩せて弱った彼が自分の意思で地下にいるなどとは考えにくい。
一大事ではと私は蔵の中に入ってみることにした。
そこで待っていろ、というと「何を待つのですか」などと言ってきたが、その問いを無視し腐った木戸に手をかける。
窓の一切無い蔵の中は、壁を作らんばかりに木箱が積み上げられていた。
そのどれもに分厚い埃が被っていた。
私は足元を見る。案の定、真新しい靴跡が蔵の奥に伸びていた。
足跡をたどると四角い床板の境界線で途切れている。
その板についている小さな取っ手を思い切り引っ張ると、地下へと続く階段があらわれた。
いささか無用心すぎるのではないか、と呆れながら階段を降りる。
地下からは獣じみた、汗と汚物を感じさせる有機的な臭いがのぼってきていた。
階段はぎしぎしと不安定な音をたてた。
降りきってすぐに、錆びた鉄製の牢が私の目前をふさいできた。
窓も空気穴も一つしかない地下牢の主は一人。
暗くてよくはわからないが、男の肌はおそろしく白かった。
「僕に何の用でしょう。あなたは誰なのですか」
男がかすれきった声で私に尋ねる。
私の目を信じるのであれば、男は裸であるように見えた。
思わず寒くないのか、と私は尋ね、牢へ近づく。
と、つま先で何かを蹴り上げてしまい、私は大げさなほどに跳び上がった。
おそるおそる蹴ったものを確認すると、どこか見覚えのある形をしていることに気付いた。
私は真新しい懐中電灯を拾い上げ、スイッチを押してみる。
気の抜けた音がした瞬間、地下室がほんのりと明るくなった。
即席のスポットライトを男のほうへ向けてみる。
男は眩しそうに目を細めたが、手で目を覆い隠すようなしぐさをしなかった。
その男は私の予想に反し、髪はきれいに切り整えられて体も清潔なものだった。
一糸まとわぬ姿に少しだけ躊躇したものの、男の四肢は彫像のようにきめ細かで美しい。
四肢と言わず、男の容貌は妖魔的なほどの美しさをたたえていた。
絹肌には皺一つ見受けられないため、壮年までは達していないだろう。
しかしながら男の憂いを帯びた目の色は彼を青年たらしめ、きめ細かな面立ちは彼を少年のようにも思わせた。
見とれる私に男が首をかしげた。
「こちらへ入ってはこないのですか」
は? 私は思わずそう聞いてしまった。
そちらへ入る手段があるのかとも思ったが、男の言いぶりはまるで、人が彼の住居へ入ってくることは自然であるかのようだったのだ。
男は戸惑う私に鍵の場所を指で示し、また首をかしげる。
「僕が気に入らないのですか」
私には、男が何を言いたいのやらさっきからさっぱりつかめなかった。
ただ長めの黒髪が、首をかしげた拍子に厚い唇へかかるようすにどきりとし、気まずさをおぼえていた。
男は無邪気な子供のように、飴細工の顔をくしゃりとゆがめて笑った。
どこか背筋が寒くなるほどの妖艶さをなぜか、その笑みから感じた。
「僕で我慢してくれませんか。おかあさまは今外に出ているし、僕もおかあさまとお相手したことがあるので、勝手はわかります」
そう言って牢から手を伸ばし、私の黒いスカートをゆるりと掴んできた。
だいぶ昔に建てられたのであろう、白塗りの壁は塗料が剥げ落ち白色も黄色く煤けていた。
土まみれの蔵の戸は輪をかけて古く、木戸の黒さは少なくとも塗料や木そのものの色だけではなかっただろう。
かさかさと落葉した竹の葉を踏みしだきながら、私は蔵に手を触れた。
昔ながらの建造物はあるいは手のひらに積年のあたたかみを伝えるかとも思ったのだが、ひやりとした冷たさに背筋が薄ら寒くなる。
私は蔵の周囲を一周してみることにした。
一周するのに一分もかからないだろう、蔵は今時の貸し倉庫ほどの広さしかない。
いったいここは何のために建てられたものなのだろう。
もう一周してみることにした私はそこで奇妙なものを見つけた。
地面に触れるか触れないかの場所に、一箇所だけ通気孔があった。
他の場所にはないかと確認してみるが、上にも下にも他辺の壁にも通気孔はない。
鉄製の柵は赤茶色に錆びていたが、不思議なことにその柵の周囲だけきれいに竹の落ち葉が払われていた。
通気孔の向うは暗闇をたたえている。
気になった私は腰を屈め通気孔に顔を近づけてみた。
すると、唐突に何かが飛び出してきた。
人の手だ。
私は慌てて飛びのいた。
痩せて筋ばった両手が鉄柵を握り締めているのだ。
手首は下方から伸びている。
ということは、この蔵には地下があるらしい。
まさか人がいるなどとは夢にも思わず、呆けている私の耳にか細い声が届いた。
「もし、誰かいるのですか。おかあさまでしょうか」
掠れて音もないような声だったが、おそらくは成年した男性のものだ。
おかあさまとは誰のことだ、とは思ったが、私はひとまず違うと答えた。
それからここで何をしているのか、幽閉でもされているのかと尋ねた。
男の手が柵ごしに伸ばされた。
真っ白な指先が震えていたが、私はその肌と触れ合おうとは思わなかった。
「僕は頭が悪いのです。あなたの言葉がわからないのです」
白痴なのかと一瞬疑ったが、その割には喋りかたが明瞭だった。
一体何があるのかは知らないが、痩せて弱った彼が自分の意思で地下にいるなどとは考えにくい。
一大事ではと私は蔵の中に入ってみることにした。
そこで待っていろ、というと「何を待つのですか」などと言ってきたが、その問いを無視し腐った木戸に手をかける。
窓の一切無い蔵の中は、壁を作らんばかりに木箱が積み上げられていた。
そのどれもに分厚い埃が被っていた。
私は足元を見る。案の定、真新しい靴跡が蔵の奥に伸びていた。
足跡をたどると四角い床板の境界線で途切れている。
その板についている小さな取っ手を思い切り引っ張ると、地下へと続く階段があらわれた。
いささか無用心すぎるのではないか、と呆れながら階段を降りる。
地下からは獣じみた、汗と汚物を感じさせる有機的な臭いがのぼってきていた。
階段はぎしぎしと不安定な音をたてた。
降りきってすぐに、錆びた鉄製の牢が私の目前をふさいできた。
窓も空気穴も一つしかない地下牢の主は一人。
暗くてよくはわからないが、男の肌はおそろしく白かった。
「僕に何の用でしょう。あなたは誰なのですか」
男がかすれきった声で私に尋ねる。
私の目を信じるのであれば、男は裸であるように見えた。
思わず寒くないのか、と私は尋ね、牢へ近づく。
と、つま先で何かを蹴り上げてしまい、私は大げさなほどに跳び上がった。
おそるおそる蹴ったものを確認すると、どこか見覚えのある形をしていることに気付いた。
私は真新しい懐中電灯を拾い上げ、スイッチを押してみる。
気の抜けた音がした瞬間、地下室がほんのりと明るくなった。
即席のスポットライトを男のほうへ向けてみる。
男は眩しそうに目を細めたが、手で目を覆い隠すようなしぐさをしなかった。
その男は私の予想に反し、髪はきれいに切り整えられて体も清潔なものだった。
一糸まとわぬ姿に少しだけ躊躇したものの、男の四肢は彫像のようにきめ細かで美しい。
四肢と言わず、男の容貌は妖魔的なほどの美しさをたたえていた。
絹肌には皺一つ見受けられないため、壮年までは達していないだろう。
しかしながら男の憂いを帯びた目の色は彼を青年たらしめ、きめ細かな面立ちは彼を少年のようにも思わせた。
見とれる私に男が首をかしげた。
「こちらへ入ってはこないのですか」
は? 私は思わずそう聞いてしまった。
そちらへ入る手段があるのかとも思ったが、男の言いぶりはまるで、人が彼の住居へ入ってくることは自然であるかのようだったのだ。
男は戸惑う私に鍵の場所を指で示し、また首をかしげる。
「僕が気に入らないのですか」
私には、男が何を言いたいのやらさっきからさっぱりつかめなかった。
ただ長めの黒髪が、首をかしげた拍子に厚い唇へかかるようすにどきりとし、気まずさをおぼえていた。
男は無邪気な子供のように、飴細工の顔をくしゃりとゆがめて笑った。
どこか背筋が寒くなるほどの妖艶さをなぜか、その笑みから感じた。
「僕で我慢してくれませんか。おかあさまは今外に出ているし、僕もおかあさまとお相手したことがあるので、勝手はわかります」
そう言って牢から手を伸ばし、私の黒いスカートをゆるりと掴んできた。