暇人詩日記

日記のかわりに詩を書いていきます。

二律背反

2020-05-14 | 錯乱
吹かれてそよぐネコヤナギ
今日もとても良い景色
そよいで揺られてさわさわと
右へ左へ流される

和毛がわたしの肌を撫で
時に離れてまた撫でて
ああ今ならば誰かの肉を
引き裂いたってかまわない

振れて触れ合うネコヤナギ
掻き毟りたくなる焦燥
離れてそよいだネコヤナギ
ただ善良でいたいと願う

忘れたつもりの蓋は外れて
いたずらにいたずらに風は吹く
擦過傷はとてもおだやか
いっそ開いてしまいたい

刺して潰して叩き壊して
今日もとても良い天気
せせらぐ川は泥を運んで
それでもネコヤナギはそよいでいる

泣くのを止めろ

2020-05-12 | 心から
約束は常に違えてきた
そうして許され生きている
あっちへ行ってはこっちへ戻り
みずから作った檻の中で
ぐるぐるぐるぐる巡っている
だからこの約束だけは
どうにか果たさなければならないのだ
祈りなど何の救いになるだろう
心の慰めになったところで
先は静かによこたわる
だからこの約束だけは
どうにか果たさなければならないのだ
何も知らない何も見ない
それがどれほど苦しいのかを
味わうことはかつてなかった
不確定に揺らぐ先が
いっそ自分の檻の中なら
どれほど安らかにいれただろう
揺らいではならない
憂いてもならない
だからどうか、

贔屓目

2020-05-01 | 暗い
たったの一日食事を与えなかっただけで
虫たちは気付けば息絶えていく
あるのは無惨なはらわたを晒した
共食いの痕跡があるばかり

わたしという分母の中で
かれらの一生はあまりにささやかだ
それは他の生き物にも言えること
手の中の鳥もまた
おそらく幾つかの明日を過ごし
籠の上へ落ちていく

幸せなどという不確かなものを
推し量ることなどできはしない
相対的な価値観を
どうして他者へ圧し計れようか
ああ、死んでしまったかと
寂寞だけが胸にある

分母と分母は折り重なり
小さければ幾億の
大きければ幾つもの
サイクルが始まり終わっていく
重なる線が多ければ多いほど
愛しくなるというわけでもない
然るに分母の近似値こそが
親愛の寂寞をかき立てるのだろう

何も始まってはいなくとも
何も終わってはいなくとも
塵芥ははらわたを晒し続ける
何も始まってはいない
何も終わってもいない
重なる線と分母の近似
それらに傷をつけられようと
計り知れない数の先に
わたしは手を合わせている