私は、半身を失った。
これは身勝手で一方的な認識だ。
たとえ半身と呼ぶに足りない扱いだったとしても、
たとえ彼女がそれを否定したとしても、
私は私の心の半分を彼女に委ねていた。
私はこの手で彼女をすくい取った。
私の人生の半分を超え、彼女とともにあった。
別れる時があろうとも、私は、
一日たりとも彼女を忘れたことはなかった。
彼女は特別だった。
私の夢にたびたび彼女は現れた。
彼女が不調をきたした時に。
そうして私が名を呼ぶと、いつも彼女は応えてくれた。
何度も、何度でも。
私は夢を見た。
私は、あるいは、彼女を裏切ったのかもしれない。
彼女は求めてくれたろうか。
最期に、私を求めてくれたろうか。
温もりに包まれたことが幸せだと、
誰であろうと、幸せだったと感じていてはくれないだろうか。
それとも身勝手のために、遠く離れた
私を恨んでいただろうか。
取るに足らない者の一人として、
想うこともなかったろうか。
もしも求めていたならば、私は、
私の裏切りを背負う。
しかし、どれだけ後悔したとしても
喪失を埋める後悔が尽きることはない。
彼女に答えを聞く機会は訪れない。
たとえ彼女が生きていたとしても。
これらは全て、私のエゴのためだけにある。
彼女は生き抜いた。
事実はたったそれだけだ。
弔いは人間の為にある。
だから私は、喪失を認めなければならない。
事実私は認めている。
私は、半身を失った。
自己弁護と自己満足にまみれている私の、
半身である前に、彼女は一個の生命だ。
彼女は私以上に生き抜いた。
それら全てを、認めている。
その上で私は、私の中の真実を思う、
確かに、私にとっての半身だったのだと。
どんな者より特別だったのだと、
外れた箍を留め直すには、
どれくらいの時が必要なのだろうと。
喪失を理解したとしても、
納得をしたとしても、
悲しみは心から湧いて出る。
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