ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

少年三人の死刑

2011年04月04日 | 社会・政治

 1994年に次々と四人の男性を殺害した当時少年三人の死刑が確定しましたね。
 私は死刑制度はいずれ廃止すべきものと考えていますが、現時点で最高刑が死刑である以上、司法に携わる者は、死刑を選択しなければならない事件であった場合、死刑を選択することを躊躇してはいけないでしょう。
 また行政は、判決が確定されたなら、速やかに刑を執行すべきでしょう。
 それが法治国家というものです。

 生きている者は強いな、と思うのは、三人は深く反省し、ある者は写経にはげみ、またある者はキリスト教徒となり、日々祈りを捧げている、という事実です。
 犯行当時少年で、場当たり的に殺人を犯したこと、逮捕後は深く反省していることをもって、減刑を願う人も多いと聞いています。
 生きていれば、犯罪者憎しの世論も変化し、生かしておいて終生反省させるべきだ、という意見が出てきます。
 しかし理不尽に殺された人々は、死人に口なしとばかり、忘却の彼方に忘れ去られようとしています。

 人間社会を秩序あるものとして維持し続けるには、国家権力が犯罪者を隔離したり殺害したりしなければなりません。

 誠に悲しいことですが、いつの時代も、犯罪がなくなったことはなく、警察や刑務所が暇で仕方ない、という状況になったこともありません。

 三人の刑が死刑と決まった以上、執行するほかありません。
 しかし私は、奪われた4人の命とともに、これから奪われゆく三人の命にも、深い悲しみを覚えます。

 近代法が到達した精華である少年には更生を、という考えや、あらゆる囚人に対して処罰ではなく教育を施すという考えが、実際の司法や刑務所行政のなかで忘れられているような気がして、私は悲しいのです。

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