ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

高齢者の自殺

2012年05月28日 | 精神障害

 わが国は年間の自殺者数が3万人を超える自殺大国です。
 交通事故での死者数が年間1万5千人前後で推移していることを想えば、その多さがわかろうというものです。
 特に65歳以上の高齢者が自殺者の40%以上を占め、老人には住みにくい国になっているようです。

 私は30歳の時に職場の三つ下の後輩を、37歳の時に精神障害の自助グループの一つ上の先輩を、いずれも自殺で失いました。
 身近な人が自殺で亡くなることほどやりきれないことはありません。

 本来、人が自殺を決意しても、本能は全力でそれを止めようとするはずです。
 私自身、うつがひどい状態だった時には、自殺はいともたやすく魅力的なものに思いましたが、おそらく本能が自殺の実行を思いとどまらせたものと考えています。

 本能を超えるほどの強い自殺への意思というものは、どうして形成されるんでしょうね。

 自殺者の4割を超えるという高齢者、その動機を調査した結果、最も多いのが健康問題、続いて経済的問題、さらに人間関係と続きます。
 また、自殺する高齢者は、1人暮らしや配偶者との二人世帯よりも、子や孫と同居する大家族で暮らす場合が圧倒的に多いということです。

 これはどういうことでしょうね。

 ステレオタイプかもしれませんが、幸せな老後であるはずの子や孫に囲まれたにぎやかな暮らしをおくっているほうが自殺率が高いとは。

 そこでふと、思い出しました。
 15年ほど前に79歳で亡くなった祖母が、晩年、「こんな寂しい老後になるとは思わなかった」と言ってしょっちゅう涙を流していたのです。

 明らかに老人性のうつだったと思います。
 うつ病は別名泣き病とも言いますから。

 その時私はもう家を出ていましたが、実家には祖母から見た長男とその嫁、孫3人が同居し、そのほかに家庭内のことを手伝う家政婦、外の掃除などをするおじさんがいて、来客も多い、たいへんにぎやかな家だったのです。

 群衆の中の孤独、という言い方がありますね。
 考えてみると、これほど怖ろしい孤独はありません。

 家族もなく、友もなく、という孤独は、これから家族を得、友を得て孤独から解放される可能性を秘めています。

 しかし、一応は親しいはずの人々に囲まれてなお孤独であるといことは、現実上の孤独というより観念上の孤独というべきで、観念上の孤独に取りつかれてしまったら、もはや脱出不可能と感じ、深い絶望を覚えるでしょう。

 まして人生の戦いを終え、静かに趣味を楽しんだり世の中を眺めたりできる立場になった後に、観念上の孤独に囚われてしまったなら、おそらく本能が必死で止めても、いともたやすく自殺を遂行してしまうのではないでしょうか。

 おそらくそういう時、精神は病的なうつ状態にあるでしょう。
 しかし、老人というものは精神科や心療内科に通院することを極端に嫌がる人が多いのが実態です。
 自分が病的になりながら、精神障害者を差別しているのでしょうかねぇ。

 ここ10年ばかり、職場ではメンタル・ヘルスの重要性が叫ばれていますが、家庭内での高齢者や主婦のメンタル・ヘルスの重要性をも再認識すべきでしょうねぇ。
 精神障害は特別なものではなく、誰でも罹患する可能性があるのだから、精神に不調を感じたらならば直ちに精神科や心療内科を受診するよう促す必要がありましょう。

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