ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

解釈

2009年04月24日 | 思想・学問

 日本国憲法の解釈を変更し、集団的自衛権を行使できるようにしよう、というニュースを見ました。これはまずいな、と思います。必要なら、憲法を改めるべきで、解釈をころころ変えるものではありません。そうでなければ、日本は法が支配する国ではなく、解釈が支配する国ということになります。極論すれば、どんな法律を作っても、時の権力者の解釈しだいで、なんでもあり、ということになってしまいます。
 日本国憲法はいわゆる硬性憲法で、変更の手続きが極めて困難である、という欠陥を持っています。時代を半歩遅れてついて行く、というのが法律のあるべき姿ですから、改憲の際には、この欠陥も改めるべきでしょう。法を変えずに国が滅んだのでは、とんだ喜劇です。

 日本国憲法については、戦後60年以上を経ても、神学論争のような不毛な議論が続いています。ここらですっきりさせたいものです。

 日本は先の大戦で、幸いにも、本土決戦を回避しました。まだ理性が残っていたのですね。
 しかし、村上龍は、「五分後の世界」で、本土決戦を決行し、その後地下に潜って戦い続けた場合の日本を描いています。ある雑誌で、この作家は多大な犠牲を出しても、本土決戦を行ったほうが、平和ぼけにならずにすんで良かったのではないか、という発言をしていました。
 また、「愛と幻想のファシズム」において、日本が独裁国家になった姿を描いています。タブーを恐れない問題提起です。

 そのような事態を防ぐためにも、真に必要なら、解釈変更ではなく、改憲が必要でありましょう。
 また、日本国憲法を、人類の叡智として永遠に守っていく覚悟が日本人にあるなら、世界の世論を恐れず、けなされても、頑なに軍事的な世界貢献を拒否すべきでありましょう。

ただ、私は、戦争反対を唱えるのは、空しいことだと思います。人間とても、しょせんは獣。それよりは、その時々に、地道な外交努力によって、目の前にある戦争を回避していくことこそが、真面目な態度だと思います。

 
 

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