なかなか示唆に富んだソリッド・シチュエーション・スリラー「6」を観ました。
6とはサイコロ=ダイスのことです。
目が覚めると、監禁されています。
共通点は自殺を図った者6名。
幼いころ、目の前でサイコロをふり、目の数だけ弾丸を込めたリヴォルバーで自殺した父を持つ殺人鬼。
彼は物事は神の意思でもなく、人の意思でもなく、ダイスの意思で決まる、と思い込み、精神病院への入退院をくりかえします。
父親が富豪だったため、彼はその金を使って究極のギャンブルを始めます。
自殺未遂者を拉致監禁しては、その者が図った自殺方法に見合った方法で生きるか死ぬかを賭けるのです。
例えば拳銃自殺を図った者なら、拉致した別の者にダイスを振らせ、目の数だけ弾を込めて撃たせる、ロシアンルーレットを、入水自殺を図った者なら水槽でおぼれさせ、ダイスの目が1なら1分後、6なら6分後に助ける、手首を切った者なら1で1リットル、6で6リットルの血液を抜く、などです。
そしてこのゲームに生き残った者は、新たな人生を手に入れ、彼の信奉者として彼を崇める団体の一員になるのです。
サイコロほど単純ではないにせよ、神でも運命でもよいですが、何者かに操られているギャンブルのようなものが私の生活だと思えるからです。
努力ではどうしようもないこと、理不尽なことが世の中にはあまりに多くあります。
幼児のうちに親に虐待を受けて殺されてしまう者、裕福な家庭に生まれ愛情深く育てられる者、誰かが適当に決めているようなもの。
仏教では縁起や因果応報を説きますが、それは後になってわかる屁理屈とも考えられます。
よく、自然科学では、どのように、は解決できるが、なにゆえに、は解決できないといいます。
人間はどのような物質でできており、どのうようにすると妊娠出産にいたるかは調べられますが、なにゆえに妊娠出産するかはわかりません。
自然科学の魅力は、最初からなにゆえに、を追求しないため、論理的に説明できるところにあると感じます。
また逆に、人文科学はストレートになにゆえに、を追求し、解けないパズルを解こうと無駄な努力を続ける愚かさにこそ、人間的な魅力があるでしょう。
単なるエンターテイメント作品として観れば稚拙な作品ですが、複雑怪奇な人生を象徴しているようにも思え、感銘を受けました。
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