ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

太陽と月に背いて

2011年09月01日 | 文学

 私はかねてより、西洋の詩が苦手です。
 翻訳すると、日本語として、こ慣れていない感じがして、どうにも恥ずかしいのです。
 そういう意味では、上田敏訳の「海潮音」などは、七五調に整えられ、例外的に好む数少ない詩集です。
 不思議なのは、日本人によって日本語で書かれた自由詩も、もう一つ気に入らないことです。
 まして俵万智が始めた現代語での和歌など、虫酸が走ります。
 やっぱり日本の詩歌は、定型の文語文がしっくりくるようです。
 日本語は世界で最も詩歌に適した言語だとされますが、それも伝統に則った型にはめてこそ。
 自由に作れるということは、それだけ無駄な文句が増えるというものです。

 以前、といってももう16年も前ですが、フランスのデカダンス詩人、ランボーヴェルレーヌとの葛藤を描いた映画を観たことがあります。
 「太陽と月に背いて」です。
 天才少年詩人、ランボーを、レオナルド・ディカプリオが演じて、その美少年ぶりはなかなかのものでしたが、映画そのものは、ゲイのポルノのように下品なものでした。
ランボーです。

 
映画のなかで、ランボーヴェルレーヌが自作の詩をうっとりと詠みあげるシーンが何度かありました。
 私はその字幕を見ただけで、なんだか腹が立ってくるのを禁じ得ませんでした。
 その点、「海潮音」に所収されているヴェルレーヌ落ち葉は、私にも良いものに感じられます。
 
 
秋の日の ヰ゛オロンの ためいきの ひたぶるに 身にしみて うら悲し。
 鐘のおとに 胸ふたぎ 色かへて 涙ぐむ 過ぎし日の おもひでや。
 げにわれは うらぶれて ここかしこ さだめなく とび散らふ 落葉かな。

ヴェルレーヌです。

 
美少年のランボーと禿げで大酒のみで金にだらしないヴェルレーヌ、2年間に渡って同性愛に耽るんですよねぇ。
 映画では、予想に反してランボーヴェルレーヌのおかまを掘っていました。

 ヴェルレーヌランボーの若さと才能に嫉妬し、その嫉妬が肉慾に昇華し、一方天真爛漫な美少年、ランボーは、すでに大家であったヴェルレーヌの恋情を素直に喜んでいる風です。

 それにしても、二人の詩人の間に何が起き、熱い恋は急速に醒め、別れなければならなかったのか、謎なんですよねぇ。

 謎だからこそ、頭でっかちのデカダンス好みの文学オタクたちは、この二人の顛末に、夢中になるんでしょうねぇ。

太陽と月に背いて [DVD]
レオナルド・ディカプリオ,デビッド・シューリス,ロマーヌ・ボーランジェ
パイオニアLDC
海潮音―上田敏訳詩集 (新潮文庫)
上田 敏
新潮社

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