今日は昭和の日ですね。
法律に拠れば、激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす、とされています。
元号を冠した祝日というのはこの日だけ。
いかに昭和という時代が今のわが国にとって大きな意味を持っていたかがわかります。
文化の日は明治天皇の誕生日ですが、建前上、明治天皇の誕生日とは関係ないことになっています。
昭和20年の大日本帝国の崩壊までは戦争に明け暮れ、その後わが国始まって以来始めての外国による占領という屈辱を味わい、続いて高度成長からバブルと、わずか63年の間にわが国の様相は大きく変貌を遂げました。
しかし当然のことですが、わが国の国民性は大日本帝国時代のそれとなんら変わるところはありません。
今回の震災によって示された一般庶民の高いモラルがそれを証しています。
昭和天皇崩御の時、私は大学1年生でした。
歴史の節目にその場に居合わせたい、という欲望に駆られた私は、崩御当日皇居に向かったのでした。
東京駅で電車を降りたとき、すでに皇居に向かう人であふれていましたっけ。
大喪の礼の日はすべてのテレビ局が中継し、人々は歌舞音曲どころか飲酒さえ自粛し、国中が異様なムードに包まれ、一個の老人が亡くなっただけでこんなことになってしまうとは、と恐怖感すら感じました。
そして新帝の即位に関わる儀式では、古式ゆかしい大嘗祭が深夜にろうそくの灯りだけで執り行われ、それは公開を禁じられ、皇室の神秘性をいやがうえにも見せつけられました。
即位の礼は寒空の中華々しく行われ、当時の海部総理が天皇陛下万歳を唱える姿に、またもや恐怖を感じました。
今上陛下は即位後、父帝の罪を払拭せんと考えたのか、贖罪と祈りに明け暮れています。
父子そろって不幸な時代を生きたことを感じさせます。
そういう意味では、皇太子殿下はもう少し気楽に公務ができるのかと思いきや、妃殿下が精神的な病に冒されるという不幸に見舞われ、あまつさえ内親王が小学校にまともに通えなくなるなど、身内のことで苦労されているご様子。
人が生きるということは生易しいものではないことを、皇室はよく教えてくれます。
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