ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

働いたら負け、ですか?

2015年06月05日 | 社会・政治

 ちょっと前までは引きこもりとかニートとかいうのは若者の問題だとされてきました。
 ところが最近では、30代・40代が多数を占めるそうです。
 引きこもりやニートだった者がそのままの状態で年を取ったということで、考えてみれば当たり前の話ですね。
 中には50代、60代もいるとか。 

 昔はそういう人のことを「穀つぶし」と呼んだものです。
 穀つぶしにしても、いい年をした未婚女性を指す行かず後家にしても、昔の表現は差別的なのかもしれませんが、どこかユーモラスな、洒落た感じがします。

 で、これから問題になるであろうことは、引きこもりやニートがさらに高齢化すれば、養ってくれていた親が亡くなり、生きる術が無くなってしまうこと。

 職歴のない中高年が就職するのは極めて困難ですし、仮に職を得ても、何十年もぶらぶらしていた者が仕事に耐えられるとは思えません。
 
 早晩退職してしまうでしょう。

 知恵が働く者は生活保護を受給するために行動を起こすかもしれませんが、そもそもそんな世間知すら無い場合、座して死を待つような状態になりかねず、それは避けたいところです。 

 かつてニートの定義を、15歳から34歳で、就労も就学もしておらず、また就労や就学のための活動も行っていない者、として、それに当てはまる者のための支援を行政等は行ってきました。
 すると最初から、35歳以上の者は支援の対象から外れてしまい、ますます抜け出せなくなるという悪循環にはまること必定です。

 そしてついに、時代は35歳以上の引きこもりやニートなど珍しくないどころか、むしろ多数を占めるまでになってしまいました。

 第一義的には本人の問題です。

 単に面倒なのか、肉体的、精神的に病んでいるのかで異なりますが、就労を目指すにしても、健康を取り戻すために治療を受けるにしても、とにかく本人が行動を起こさなければ何も始まりません。
 ただ、大量の引きこもりやニートが存在することは、社会にとって損失です。
 本人の問題として放置しておくことは出来ない状態になってしまいました。

  では公的機関等はどんな対策を打てば良いのか、正直、私には妙案が浮かびません。
 職業訓練にしても仕事の斡旋にしても、嫌だと言う者の首に縄を付けて引きずり出すことは不可能だし、そんなことをしたら重大な人権侵害です。
  働いたら負け、なんてセリフをネットで垂れ流しているような者を無理やり働かせるのは至難の業でしょうし。

  明治期の東京の下層民に取材した「最暗黒の東京」では、当時大勢いたという乞食の生活が描かれています。

最暗黒の東京 (講談社学術文庫)
松原 岩五郎
講談社

  今のホームレスは乞食(こつじき)を行っている者はほとんどおらず、アルミ缶を集めたり炊き出しに並んだり、シビアな暮らしをしているようですが、明治期にはお金を恵んでくれる奇特な方が結構いたようで、両国橋で半日乞食をすれば3日くらいは木賃宿に泊まり、飯や酒にありつけたそうです。 

  良い時代だったのですね。
 
  今、見知らぬ者に、しかも大の大人に金をくれてやるやつなんかいないでしょう。

  世知辛い世の中ですからねぇ。 

  そしておそらく、今ほど生活保護などの社会福祉制度が整っておらず、乞食に施しを行うのは社会福祉の代替という意味があったのではないでしょうか。
  働かざる者食うべからずとは言いますが、そうは言っても飢えている人を放っておくことは人情として難しかったのでしょうね。 

  生活保護世帯があんまり増えると財源が足りなくなってしまいますから、働ける人にはなんとか働いてほしいものです。

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