ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

まつろわぬ者

2015年06月01日 | 仕事

 私が3月まで所属していた部署の長は、滑稽なほど独裁者気取りでした。
それに対し、絶対服従する者が少し、面倒だから服従しているような顔をして腹の中では笑っている者が大半、そしてごくわずか、私のように面と向かって反論する者がいます。 

 私はちょっと反論を試みただけで、わずか1年で他部署に異動になりました。

 誠におめでたいことです。
 その部署は、いつもいやぁな雰囲気が漂っています。
 小さな組織の、さらに小さな部署で、わずかばかりの部下を相手に独裁者を気取るというその心理が全く理解不能です。 

 そこで見たことから、人間が小さな権力に服従していく心理とはいかなるものか、考えてみましたが、私自身が服従しなかったため、よく分かりません。
 
   よく、どんな田舎に行っても総理大臣を批判する声は必ずあるが、村のボスの悪口を聞くことは稀だ、と言われます。
 総理大臣という地位は庶民から見ると高すぎて、批判しようが賞賛しようが、自分に跳ね返ってくることは無いからでしょうね。
 そしてまた、マスコミはさかんに権力者の悪口を書きますから、それに感化されたという側面もあるでしょう。

 それに対し、村長だか、村を支配するヤクザの親分だかは知りませんが、身近な権力者の不興を買うと、自分が不利益を被るので、口をつぐむというわけ。

 件のわが職場の小さな独裁者も、他部署からは総スカンを喰らっています。
 そいつに反抗してわずか1年で異動という憂き目にあった私は、逆に他部署のみなさんからまっとうな人間だと評価される始末。

 何が幸いするかわかりませんねぇ。

 人間は3大欲求が満たされると、今度は評価されたい、という欲求が芽生えると言われます。

 今の日本で食うに困るということはないですし、寝る場所が無いという人もごくわずか。
 性欲は面倒ですが、風俗に行くなり自慰に耽るなり、やりようはあります。

 すると現代日本人のほとんどは誰かに評価されたいとか、人の役に立って感謝されたいとか、褒められたいとかいう欲求を持っていると言えるでしょう。
 思うに独裁者は、その心に付け込むのだろうと思います。 

 独裁者に絶対服従する人も、表面的に服従する人も、何度かは独裁者に褒められた経験があり、それを再び得たいと、服従合戦を繰り広げるのではないでしょうか。
  切ないばかりに悲しい人の性ですねぇ。

 かく言う私もその男から褒められたことが何度もあります。
 最初のうちはまつろわぬ私を懐柔しようとしていたのでしょう。
 しかし私は、そいつのあまりにも見え透いたお世辞とも言うべき言葉に喜ぶどころか、浅薄な精神の持ち主だと直感し、ますます反感を募らせていきました。

 考えてみると、どんなに優れた独裁者でも、あるいはどんな恐怖政治を敷いていても、必ず、わずかかもしれませんが、これに反抗する者が現れます。
 未遂に終わったヒトラー暗殺計画を主導したドイツ軍人、ソビエト時代のプラハの春、さらには天安門事件。

   ところが北朝鮮では、こういった動きが表立っては出てきません。
   多くの餓死者を出しているというのに。 

 一般に、自由が無くても、食えれば多くの人は独裁に耐えるものです。
  しかし食えなくなれば、人々は必ず立ち上がるものだと思います。
  フランス革命では「パンを寄越せ」と叫びました。
  わが国の米騒動や打ちこわし、逃散なども食えないことが原因です。

  しかるになぜ、北朝鮮の人々は満足に食えない状態で、座して死を待とうとするのでしょうか。
 死を覚悟で立ち上がるのが、飢えた民衆というものだと思っていた私の考えは、今のところ北朝鮮では通用しないようです。

 話が大きくなってしまいました。

 私はただ、浅薄な精神を持った小さな独裁者に、浅い付き合いでしかない部下が、なぜ服従するのかが知りたいのです。
 しかしその答えは私の中で湧き出ることはありません。

 ただ不思議なだけです。 

 就職24年目にして、あり得ないほど奇っ怪な管理職が職場をかき回しています。

  まこと、人間というもの、分かりません。
 私はただ、己の洞察力の欠如を嘆くばかりです。

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