昨日、佐藤亜紀の「ミノタウロス」という小説を読み終わりました。
ロシア革命期の混乱を背景に、ウクライナ地方で殺人や盗みなど、悪の限りを尽くす少年と二人の仲間の物語です。
ミノタウロスとはギリシア神話に登場する、頭が牛、体が人間の怪物ですが、これは残虐と暴力の象徴と捉えるべきで、作品にそういう化け物が登場するわけではありません。
ミノタウロスの絵画です。
主人公はウクライナ地方の田舎地主の次男坊として生まれ、何不自由なく育ちます。
ドイツ語やフランス語も学び、お坊ちゃんらしく、どこかシニカルではありますが、特別乱暴な少年ではありません。
しかし、父親が亡くなり、続いて兄も自殺するにおよび、父親代わりとなった男を殺害し、無頼の旅に出ます。
時あたかもロシア革命の真っただ中。
私はロシア革命というのは、基本的に赤軍と白軍が真っ当に戦ったのだと思っていましたが、この小説に描かれているのは、赤白どちらに属していようと、おのれの利益のためには簡単に寝返る兵士、下手をすると正規軍以上の兵器を持ったヤクザ、ごろつき、一匹狼などが暗躍する混沌とした世界。
簡単に人を殺し、女を犯し、食糧や武器弾薬を強奪するならず者であふれた世界です。
ちょっと、黒澤明監督の往年の名画、「七人の侍」を連想しました。
あれは、野盗と、農民に雇われた浪人が戦う物語でした。
そんなことが起きるのも、世が乱れていればこそ。
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乱世が悲惨なのは、殺し合いがあちこちで行われるが故ではなく、秩序の崩壊に伴う倫理感の喪失ゆえかと、思い至りました。
ぼくは美しいものを目にしていたのだ。(中略)殺戮が?それも少しはある。それ以上に美しいのは、単純な力が単純に行使されることであり、それが何の制約もなしに行われることだ。
主人公の少年は、盗みや殺しを続けていくうちにたどり着いた狂気の果てに、上のような思いを抱くにいたります。
誠に怖ろしい考えです。
しかしおそらく、人は、環境に順応しなければ生きていくことはできず、順応した環境に美を感じずにはいられないのでしょう。
まして少年は何度も命の危険にさらされながら、その都度、うまく立ち回ってきたのですから、乱世が面白くて仕方なかったのではないでしょうか。
以前、同じ佐藤亜紀の「戦争の法」という、近未来の日本を舞台にした作品を読んで、非常な感銘を受けたことがあります。
冷静な筆致で、狂気の世界が描かれているからで、読んでいるうちに、平穏な世界に生きる私たちのほうが、むしろ狂気をはらんでいるのではないかという疑問を感じざるを得ませんでした。
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ただ、それ以外の作品を読もうとしなかったのは、ヨーロッパなどの外国が舞台の小説ばかりで、人名や地名がカタカナなのはかったるいと思ったからです。
このたび、「ミノタウロス」を読むに際して、やはりカタカナは面倒くさかったですが、それ以上に、冷静と言うより冷酷に、この上なく怖ろしい乱れた世界を描くその力技に、圧倒される思いでした。
伊達に吉川英治新人文学賞を取ったわけではなさそうです。
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ミステリーやホラーを読むよりもはるかに疲労しました。
それはひとえに、人間の一面の真実である獣性が、あまりにも明瞭に描かれていたからでありましょう。
次はまた、軽いミステリーでも読みましょうか。
最近お気に入りの貫井徳郎の小説を、もう買ってあるのですよ。