ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

堆肥宅配便

2016-04-21 09:08:15 | 農業

 堆肥が届いた。それもダンプで2台、たっぷり!家の裏の5aほどの畑には十分すぎる量だ。これで秋野菜まで不安なし、使い方しだいでは来年の春だって撒けるかもしれない。運んでくれたのは、家の稲わらをあげている酪農家Sさん。今年は雪が少なかったこともあって、すでに田んぼの方にもどっちゃりと落としてくれている。さあさあ、早く田んぼの準備を始めろよ、って急き立てられているような気分になるが、まだ、種まきだって終わっちゃいない。おっと、思い出した、浸積しておいた籾の芽出しを始めなくっちゃ、ちょっとスイッチ入れてくる。(と、外に出る)・・・・よし、これで明日には芽が出て、水から上げて水切り乾燥、種まきの準備完了!えー、それで、普段なら連休中の作業なのに、Sさんの仕事もはかがいっているようだ。

 田んぼの堆肥は、稲わらとの交換、でも畑の方は、こちらからは言い出しかねていたもの。Sさんの方で、気を利かせて運んでくれたのだ。それは、山の畑を耕さないと決めたことを知ったからだ。山の畑、そう、里山の裾野にけっこう広い畑を持っている。以前はここで桃を育て、野菜を作り、小麦まで栽培したりした。将来的には、ここに山小屋を作って移り住むことだって考えた。周囲は牧草地、背後は奥羽山脈につらなる里山、高台からの眺望は見事で、開けた南面の奥には吾妻の峰も望める。

 桃もよく育って、プロも驚くほどの美味しいものができた。まさに桃源郷だ。そのためには、朝5時起きして剪定やら草刈り、嫌な農薬散布までこなした。むろん、勤務に支障を来さぬように頑張った。ひそかに「ふふるファーム」と呼んだりして、この農場が軌道に乗ったなら、仕事を辞めて専業農家になるのもいいかもしれない、と本気で考えていた。ちょうど教員としての倦怠期でもあったかな。

 夢はあっけなく終末を迎えた。猿の出現・襲撃だった。収穫の1週間前になると、大挙して押し寄せ、一晩で食い散らかして行った。なんてこっちゃい!だが、こちらだってやられてばかりはいられない。電気柵を張り巡らし、必死に防戦に努めたが、どこをどう掻い潜るのか、猿一族には一向に効き目なく、報われぬ抗いを2年続けた後、白旗を掲げ桃作りから撤退した。

 それでも、隣接する畑は地味も豊かで野菜作りには絶好、傾斜地の桃畑はSさんに牧草地として提供した後も、栽培を続けた。カモシカが食い荒らすので豆類はダメ、それは聞いていたから、カモシカが好かないジャガイモ、加工用トマト、ネギなどを作って、10年ほどは順調に収穫していた。が、今度はなんと、イノシシ野郎が嗅ぎ付けてやってきた。これまた収穫直前のジャガイモを掘り起こし食い尽し、まるで人間による盗作にでもあったようにきれいに奪い去って行った。トマトも同様。残るはネギだけ。これが2年前の出来事。

 まさかネギだけ栽培するのに5aは使い切れない、ネギ農家じゃないんだから。そして、今年は農業従事者が僕一人、これはもう、山の畑すべてを諦めるしかない。仕方なくSさんに管理をお願いすることにした。だから、大量の堆肥宅配は、畑の小作料でもあるわけだ。そう、つまり、夢を放棄して得た代償がダンプ2台の堆肥ってことでもある。

 安くはない価格で手に入れ、その後何年にもわたって悪戦苦闘した挙句、手元を離れていく山の畑、ずいぶん無駄に無駄を重ねたようで、それを思うと気が滅入るが、人生、無駄と寄り道はつきものよ!って言い聞かせながら、もらった堆肥をめでることにしよう。

 

 

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