ステージおきたま

無農薬百姓33年
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コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

認知症コントを書いた

2016-04-06 09:11:24 | コント

 認知症への理解深めよう、そのためにはまず知ることね、って講座、昨年から町内の小中学校で実施している。軽くコントで子供たちの興味を惹きつけたあと、専門のアドバイザーが、詳しく説明するって内容だ。今年からそのコント、菜の花座が受け持つことになった。5月半ばから始まり、年内にすべての学校を訪問する。

 そのコント、書いてみた。

 これが難しい!コントって言ったら、笑いだ。ただの寸劇とは違う。認知症、笑いとなると、どうしたって、認知症の人の行動のトンチンカンさがターゲットになる。すぐに記憶を失ったり、あり得ない間違いをしたり、突拍子もない発言だったりが笑いを誘う。引きずりまわされる周囲の人たちのあたふた振りも笑いの種になる。

 でもねぇ、今回、講座の目的は、そんな人たちを暖かく包み込む社会を作ろうってところだろ。彼ら、笑っちゃっていいのか?コント自体が差別助長の道具になっちまうんじゃないか?そんな悩みだ。

 昨年担当していた団体は、この難問を客いじりで切り抜けてた。進行役が巧みに小学生とやり取りして笑いをとり、認知症に笑いが絡まることを防いでいた。うん、まぁ、これも解決法の一つにゃ違いない。でもねぇ、またもや、でもねぇ、なんだなぁ。そんな風に腫物扱いしてていいんだろうか。可笑しいものは可笑しい。笑えるものは笑える。これを抑え込んだ社会てのはかなり窮屈なんじゃないだろうかね。だいち、これじゃコントやる意味がない。

 問題は、笑いの質、笑う時の心の姿勢なんじゃないか。嘲笑うとほほ笑むの違いだ。残酷な笑いと暖かな笑い。笑う対象に対して愛情があるかどうか、いや、それほど大げさなもんじゃない。弾き出そうとしているか、受け入れているかの相違?といったところだろう。ただ、この境界線はいたって曖昧で、そこが実に悩ましくもある。今回書いたコントで狙った笑いは、子供たちの笑い感性をどんな風に刺激するだろうか?認知症患者を蔑む方向に傾いて行くのか、普通からはみ出した言動に笑いつつも手を差し伸べて行こうとするのか?作者としては、後者に賭けてみたわけだ。

 でも、何がなんでも笑いのめしてばかりじゃただの辛辣コントだ。そこは、爺さんを囲む婆さんと娘が、振り回されながらもやさしく穏やかな対応を心がけ、常に人間としての尊厳をもって接することをちらっと書き添えた。そう、ちらっと、説教臭くならない程度に。コントを上演した後に専門家のレクチャーがあるわけだし、そこで、前座のコントを上手に使いつつ、認知症への認識や正しい対応方法を伝えてくれればそれでいい。

 ただ心配なのは、そのアドバザーが四角四面のお方で、笑いなどもっての外じゃ!って拒絶されるんじゃないかってこと。そんな事前チェック入ったらどうしよう?

 ちなみに、タイトルは『リスペクト!爺さん』=認知症だからって、馬鹿にすんでねぇ!=だ。悪くないだろ?

 

コメント
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