ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

吉里吉里忌だから井上さんとの思い出を書こう。

2016-04-10 08:24:59 | アート・文化

  井上ひさしゆかりの川西町フレンドリープラザにこうまて出入りしてるっていうのに、生前の井上さんとのお付き合いは、ほぼゼロに近い。プラザが企画した最初の演劇学校、井上さんが校長で、こっちは1期生、言葉の一つ二つ交わらせたことがありそうなもんだけど、講演の際の質問者として以外にはまったくない。この時も話は行き違い、良い思い出にはならなかった。この経緯は、去年の今頃ブログに書いた。

 今回はもう一つの思い出だ。

 演劇学校の頃、校長先生から信じられないお達しが届いた。台本書いたら読んでくれるって言うんだ。なんと恐れ多いことじゃないか。天下の井上ひさし、いや、世界の井上ひさしが、ど素人の台本を読むと断言したって言うんだから。

 館長からこの話を聞いて、意欲は舞い上がったね。たとえ酷評されようと、たとえ1ページ2秒で読み飛ばされようと、たとえ題名見ただけで次に回されようと、ともかく、井上さんが僕の台本に触れるわけだから。精一杯気張って書き上げて、館長を通してこまつ座の事務所に送ってもらった。

 しかし、待てど暮らせど来ぬ台本、やるせない日々が続いた。忙しいんだよ、当然だ、つい気軽に約束してしまったものの、原稿締め切りに追われまくってる井上さんのこと、とても初心者の原稿に目を通す時間なんてないのだろう。いや、忘れてしまったのかもな。まさか、館長突き上げて、催促するわけにも行かず、仕方ない。春の夜の夢と諦めよう。

 と、意気消沈する僕、そこに思いかげない情報が届いた。青年劇場が創作脚本を募集してるっていう話し。しかも、その選者の一人が井上さん!そうか、この戯曲賞に応募すれば井上さんに読んでもらえるわけじゃないか。これはチャンスだよ。これに賭けるしかない。井上さん、反故にされた約束を果たしてもらおうじゃないか。

 そりゃわかってる、選者が読むのは最終選考に残った数本だけだってこと。だから、意地でも最後まで残らなくちゃならない。二度も三度も読み直し、練り直ししてから、決断の原稿を送った。

 1次選考、無事通過。次の選考まではきっと劇団関係者の仕事だろう。ここを通れば、台本は井上さんの目に留まることになる。うーん、お願い、通ってちょうだい!

 この気合い、この阿修羅の如き執念が扉をこじ開けたのだろう、2次選考も通過!よしっ、これで井上さんに読んでもらえる。どんな評価をしてくれるのか。心ここにない状態で待つこと2か月?だったかな。結果は奨励賞3本のうちの1本に入った。

 届いた選評、「農村の現実に通じる作者だ。ただし、ラストは視覚的な効果でなく言葉で終わらせなくてはならない。」うーん、落第だったかな。まっ、いいか、それはそれ。井上さんが僕の作品に与えてくれた言葉だもの、大切にしなくっちゃ。「言葉で勝負」、この厳しい指摘、それから常に頭の中央にどでんと居座っている。

 作品は『七月は田をわたる風』、その翌年、プラザで2回公演した後、鳥取の国民文化祭でも上演させていただいた。いつか再演できたならなぁ。

コメント
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