たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

猫になれ

2011-06-30 22:50:24 | Weblog
 最終的には絶対に強く言えないから、負けっぱなしになっていく。しかも、それがバレてるから、調子にのられる。
 そんなことに我慢できなくなってくると、裏技を使ってしまえ!、ってなる。

 その売り言葉、マジで買ってやるぜ、って、行動で示して。ほら、こんな風な状況を望んでいるんでしょ?って。勝ち気になった気分になれて、ちょっとだけ楽になって。
 でも、一瞬だけ見せる切ない表情に、さすがに後悔しだす。このままでもいいかもとちょっと思うんだけど、、どうしよう?

 少しだけ歩み寄ろうとするんだけど、今は、そっち側の堅いスタイルには入られちゃってるから、こっちもその堅いスタイルに倒れ込むしかない。これで、即物的なことが寄与して、状況は改善する??

 しばらくすると、改善しようが、しまいが、関係ないことに気が付く。
 もちろん、思考を捨てて感情のみになると、楽なんだけど、やっぱりお互いに、人らしくいたいから、『ごめん。』って言いたい。でも、すでに、言える状況なんかでは無くて。

 本当にごめんね、って言いたいときに、それが簡単に言える状況にあることは、非常に稀だ。
 まぁ、たいていは、そんなことを言わなくても、言われなくても、どうにかなっていって、いつの間にか帰ってきて、元に戻っていることのが多いんだけどね。

 (スキマスイッチの7thシングル「ボクノート」のカップリング曲「猫になれ」。
 最初に聞いた頃は、深い意味がありそうだけど、意味が分からない、って思っていた。まぁ、メロディが結構イイから、それだけでもいっか、って感じ。
 これがどうして「猫」なのかは、ドラえもんに由来してるらしく(ボクノートのカップリングだから)、ちょっとショックを受けた。笑)
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E♭な減圧下

2011-06-30 02:15:07 | Weblog
 いつ何がどこで役に立つかは予測できない。

 例えば、俺は今、絶対音感を頼りに、エバポレーターの減圧度を調節している。音楽をやってく中で培った、自分の音感によって、有機溶媒を留去し、常に一定の膜形成をすることが可能になっているのは、狙って出来ることじゃない。
 確かにそれは、まだまだ、くだらない。だけど、そういうことって楽しいし、自分一人でモチベーションを上げるのは、こういう幼い心が必要だと思っている。

 こういうことをいくつか繰り返すなかで、本当に秀逸になっていけたら、と思っている。きっと、まっすぐ道を通っていくだけじゃ、新しいことはできないから、常に、自分の出来ることでアタックできるように、口を開いておくことが大切だ。

 だから、どんなことでも、一生懸命になることは、とってもイイことだと思う。
 数学は役に立たないから、歴史は過去のことだから、意味ねぇし、って、決めつけていくと、損をしているのかもしれない、ってどっかで思った方が良い。だったら、サッカーだって、音楽だって、あらゆるエンターテインメントは、別になーんにも意味なんて無いからね。

 あと、自分には経験が無いから出来ない、って決めつけるのも、控えた方がイイかも。どんなことだって、やってみなきゃわからないし、、

 『だから、行動しなきゃ良かったのかな、って思って。』
 《いやいや、K君があたってみて、はじめて、観えてくるんだから、それはやっぱり良かったんだよ。結果がどんなに悪くてもね。》

 あたってみて、それから、今の自分が出来ることをやっていく、できるだけ、自分しか出来ないことをやっていく、って大事。もちろん、行き当たりばったり過ぎると、無謀になっちゃうから、ちゃんと考えて規制することも大事なんだけどさ。
 まぁ、ほら吹きくらいが、ちょうどイイかもね、色んな事やって、武器や道具をとっておくためには。

 ただ、文系の人でもすごく理系のセンスがある人もいるし、理系の人でも文才が豊かな人もいる。

 だから、ある程度、自分には合わないな、って思って切り捨てたら、別に、っま、いっかー、って楽観的な感情も大事だと思う。
 1つ切り捨てるくらいでメソメソしないっ!その分、沢山あるから、1つくらい完全に切り捨てても大丈夫!、って明るくなっていければ、そっちのが良い。

 ね?楽しいことってすべてでしょ??
 行動し続けるためには、楽しくしなくちゃ!

 そういうことは、どんな教科書や論文を読んでも書いてない。
 自分であたってみること、とりあえず行動してみちゃうこと、その行動をやめないために楽しむこと、の大切さは、まさに、それ自体からしか学べないのだ。

 《恋愛は実体験からしか学べないぜ?》

 ってね。笑
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一体系に帰着された物理系

2011-06-29 02:21:50 | Weblog
 自分の今の気持ちをちゃんと受け止めることと、その気持ちを覚えておくことは重要だ。
 何をするために?って、他人の嘘を見破るためには。笑

 どんなに自分以外の一般の人のことがわかったとしても推測の域を出ない。だけど、自分のことは、自分で確実にわかってる。自分の気持ちだってわかりにくいときはあるけど、他人のほどじゃない。だから、自分の感情をちゃんと解析することは大切なのだ、他人を理解するためにね。
 っで、その副産物として、嘘を見抜きやすくなる(笑)。自分と同じ感情を持っていて、どう誤魔化すかまで一致していれば、なおさらだ。さらに効果的な攻撃まで知っているから、自分の気持ちと向き合うのって大事。

 『それって、人として、間違ってるよなー、って思っちゃって。』
 《自分自身に対して、ここの、こういうところはダメだけど、性格上仕方ないよな、って思うところってあるじゃん?》
 『まぁ。俺だったら、ハッキリ言いすぎるとことか。』
 《それが、相手のダメなところに対しても、そういう風に思えるか、って大事だよね。》

 これが、二体系を一体系に帰着して解くってことなのかもしれないね。
 原因がどっちにあるのか?って、いつも難しい問題だけど、二体系を一体系と見なしてしまえば、別にどっちが?とか、どうでもよくなっていく。
 そして、最終的に許せてしまったり、違う作用が働いて一緒に笑っていられる、ってことは、大丈夫ってことなのだと思う。

 どんなに俺自身の感情を思い出しても、解析しても、自分よりも遥かに弱い存在をも、自分へ気持ちを向けるための糧にしようとするなんて感情、心で汲めないどころか、理解すら出来ない。
 ただ、それが原因、ってわけじゃなくて、やっぱり、二体系を一体系と見なした時に、その1つの系が崩壊していった、って理解するのが自然だと思う。

 離れそうになった時に、寂しくなって引き付け合う力が作用するなら、どんなにダメだなって思っても、乗り越えられる。
 でも、離れそうになった時に、反発し合ったほうが明らかに自分のためだって理解する力が、寂しさに勝ててしまう場合、自発的に崩壊しだす。

 人生はいつだってオーディション。常に実験し続けているから、演技して取り繕うなんて不可能。
 一歩前へ、、グレーゾーンを超えて、本当のことを徐々にでも語りだしてしまえば、結果的に一番早いし正確だと思ってる。最終的に崩壊する運命にあるんだとしても、時間依存性の無いホンモノなんだとしても。
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厳しい審査

2011-06-28 01:28:12 | Weblog
 お金と言葉(資格や学位など)が得られないことへの頑張りが一番大切だと思う。

 それら実質的なモノがただ手元に残った時の虚しさよりも、ただの嬉しさや喜んでいる表情を感じとるだけのほうが、人を後々まで豊かにさせる。心はもちろん、懐も。
 いつだって、実質的な事は後からついてくるのだ。得ようと思わなくても、楽しさや喜びを追究していけば、いつのまにかお金や言葉は得られているものだ。

 きっと、そんなの甘い、って言う人が多いんだろうけど、本当に心からそうとしか思えないんだったら、ちょっと可哀相。
 そういう風にして得たことが何も無い、そういう風な頑張りに対して無意味だと思いながら、ここまで来ちゃったんだとしても、俺は、いつからでも、確実じゃないモノへの努力は出来ると思うし、その大切さが納得できると思っている。

 そうそ、その意味でもスタイルなんか、どうでもイイ。
 何よりも大切なのは、気持ち、であって、他のことへの許容はかなりあるっちゃあるくせに、気持ちのベクトル(方向性と大きさ)に限っては、非常に厳しい審査をし続けている。

 誰よりも、自分自身に対して。
 どんな系だって、観測者問題が発生するんだから、まずは自分の気持ちを整えることが大切だなって思いました。

 《なんで、わざわざ本当のことを使うの?言葉だけじゃ満足できないの?》
 『時間をかければ、頭が良ければ、言葉では、何とでも言えちゃうからだよ。』

 それが今や習慣化してしまっているから厄介で、その俺自身の勝手な気持ちが許せないんだと思う。
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Don't Use the Experiment!

2011-06-26 05:39:38 | Weblog
 なんでもかんでも喋るようにしてると、本当に隠したい問題点を隠しやすくなる。
 最近はあんま認知されてない気がするけど、俺は、とっても秘密主義。いくつかのステップを踏んでもらわない限り、絶対に明かさない種々のことは自分の中で明確だ。

 《うーん、K君はさー、なんていうか、自分基準の非常にキワいセンサーを通過した者のみと、人づきあいをする、みたいなのがあるよな。》

 それは、個人主義の中に集団主義を取り入れてからもカワラナイ。
 っま、自分にそこまでの価値があるともあんまり思ってないんですが(笑)、どこかでヒトそのものを怖がってるとこがあるのかもしれないなぁ。どうでもイイ人や大きい集団になっちゃうと、たいていは何でも大丈夫なんだけどな。

 相手に対して、試す、ってことをすればするほど、イコール、信用が低いことを意味してしまう。
 確かにそうなんだけど、気持ちで汲んでほしいな、って思ったりもする。試すってことは、その部分は今はまだわかんないけど、期待したい、って気持ちの現れだったりもするわけで、そうなら結構楽しいもんだと思う。

 よーわ、本当のことならイイわけでしょ??

 『だったらさ、マジで悩んでるけど、一番悩んでる、ってほどじゃないモノで、相手を観てみればイイんじゃない?マジで悩んでるんだから嘘じゃないし、解決してくれるかもしれないし、でも、一番悩んでるってほどじゃない、みたいなので実験してみたら?』
 【K君は、ホント、捻くれてるよねー。わかるけど。笑】

 へいへい、どーせ、ずっと前から、めんどくさいですよ。
 でも、まだ、さして。氷山の一角であって、ホントはもっと、重傷だったり?

 っま、とりあえず、それにしても多い、この、試し癖は治さなきゃなぁ、って、最近思ったりします。
 理由を確率論的に揺らがせて誤魔化そうとするのもダメなんだよね?

 それくらいは認めてほしい、許してほしい、ってのも、本当の気持ちとして、存在してしまっています。。
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運命のヒト

2011-06-24 01:56:25 | Weblog
 ホンモノだって分かった瞬間に過去形になる。
 大人びた今なら、器が大きくなっている今なら、もう少し上手くできたのかもしれない、って今想っても仕方ないのに、叶わないモノに対しての感情は空しい。

 伝えていいのかもわからない伝えきれないほどの感情が、行き場を無くして溢れだす。
 心配したいし、今はどういやされているのか知りたいけど、そんなことを言う権利は無くって、別々の道を着実に歩いていることをただ信じていたい。

 「だから結局、運命のヒトじゃなかったんだなー、って。」
 『違う、運命のヒトなんだよ、結ばれる運命じゃなかっただけで。』

 ちょっとした誤魔化しの笑顔1つとってみても、即物的なこと1つとってみても、影響を与えられていることは間違いない。
 だから、道を示してくれた、レ点をとって、命を運んでくれた、大切な人の1人として認めていたってイイと思う。

 全てをうちあけること。

 本当のことを言えば言うほど、手段や手法をばらせばばらすほど、信頼の証になっていくし、ホンモノに漸近していく。
 ただし、今、それをする勢いがどんなにあったとしても、あの頃に、on-timeで出来なかったんだから、時間依存性の無いホンモノではなかったのだ。所詮、過去形にならないと分からない程度のホンモノだったのだと思う。

 ホンモノは、必ず、今、目の前に存在する。
 想い出に惑わされず、本当に大切な人を現在進行形で大切にしたいからこそ、その本当に大切な人には、怖さや後悔も含めた過去の全てをうちあける。

 それが理想だと思っている。

 (EXILEの現ボーカルTAKAHIROがEXILEになるにあたって歌っていた曲「運命のヒト」。
 なんか、最近、他人の相談にのっていたら、やたら聴きたくなって、3つのバージョン全てを聞いてしまっています。もうちょっと明るい曲が聞きたいんだけどなぁ。笑
 通常ver.、ピアノバージョン、オーケストラバージョン、それぞれ好きだけど、歌詞はそこまで好きじゃない。夏の感じが出てて、そういう部分は最高なんですけど。)
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決めつけないで 4

2011-06-23 02:39:38 | Weblog
 どんなことだって仮説に過ぎない。
 理論的に示されていることのすべては近似から抜け出すことはできないし、きちんと確立されているように思っている理論だって、そのすべては仮説の域を出ていないのだ。

 自然科学ほど堅いと思われているモノだって仮説なんだから、ヒトの振る舞いの解析なんて、仮説もイイとこ。ほとんどは勝手なイメージに過ぎないし、
 「だからそーやって決めつけないで。」

 でも、これは前にも書いたことだけど、自然科学というのは、これくらいのスケールの自然現象については、この理論で非常に精度よく理解することが出来ます、ということまでちゃんと定量化するので、非常に厳密なんです。これは、もちろんヒトの振る舞いに対してだって応用できるはずで、こういうことをしたら明らかにこうである、とか、こうならばこう、って理論は存在していて、ある程度は精密に予測、理解することができる。
 それを言葉にした時に、喜ばれたり、怒りをかったり、その後の展開は色々だけど、正しいことを把握することだけは出来る。っで、こういうことに対するディスカッションを、自然科学の研究以上に、鍛練にやるべきだと思っている。じゃなきゃ、高いレベルでの優しさだとか喜びだとかを掴めるはずが無い。

 他の人との事を話すことはもちろん、自分たち同士についても自分たちで解析しディスカッションをする。教科書はどこにも存在していないから、自分で執筆していくしかないけど、理系科目なんかよりも遥かに簡単なレベルをきちんと書けていない人は多い気がする。
 確かに、自分であたって、自分で行動して、実験して、比較検証、理論化しなきゃだから、受け身な感じでは絶対に学べないけど、じゃぁ、何のために生きてんの?って話になってくるしさ。誰かがいて、ホンモノがあってこその、人生なんだから、ちゃんと、1人ひとりが人間関係学の研究者になっていかないといけないよね。

 そして、このように苦労して得られた理論も、所詮は、仮説であることに注意しよう。どんなに感情を加味しても(他人の感情を加味しない理論は論外)、どんなに特異的な物理系を語ったとしても、あくまで仮説なわけで、
 『やっぱり決めつけないで?』

 気持ちを気持ちのまま受け取ったり感じとったりすることを忘れないでいよう。解析をしたとしても、感情をそのまま感情で受け取り、それを感情依存で行動することも大切だ、っていう理論を持っとくことによって、ちゃんと心でも動けるようになっていければいい。そうすれば、決めつけ過ぎずに済むかも。

 感情で動き過ぎてもいけないし、思考で動き過ぎてもいけない。俺はどちらかというと思考で動きがちだから、思考で、感情で動くんだ!、と規制する。
 その表現方法が開拓されつくしていないから、なんでもかんでも、仮定して、既知にしちゃう。

 そう、別に、誰も、本当に決めつけているわけじゃないのだ。
 違う感情が起因になっていたり、理想の裏返しだったりする。

 っけ、幼いなぁ、って、『やっぱり決めつけないで!』
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それも含めて…

2011-06-21 01:45:38 | Weblog
 自分の、ずーっと変わってない関係性を観てみると、やっぱり即物的なことはどうでもイイな、って思う。
 それは重要度が変わっても、系が変わっても、人が変わっても、時刻が変わっても、きっと同じで、もっと奥の信頼を大事にしたい。

 ゆっくり、ゆっくり、、笑ってて、泣きそうで、ちょっと怒ってる、優しい表情を共有していけたなら。。
 そういうことを、すべての系で実現することは無理でも、何かしらはフィードバックしてくることが出来るはずだと思う。

 『例えば、上手くいったとしても、俺が凄まじい大きな能力を持ってたとして、それで、っていうのは、どうなのかなぁ、って思うんだよね。』
 <あー、それはね、K君、、それも含めて…>

 その明確な答えを、時間発展させることで証明していけばイイ。
 いつか、ここで堂々と、教科書に書いてある、その答えが書けるまで。
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意外な実験結果

2011-06-18 02:40:37 | Weblog
 目の前に観えていることの有意性を忘れちゃいけない。

 どんなに知りつくしたと思っている関数であっても、たくさん間に挟まってくれば、真実が見えなくなってくるし、不安になってくる。目の前の事実にもう少しガツガツしてみても良いのかなって、今までずっと思ってきている。
 事実は消えないから、もし変わらないなら。。形だけになるのも、それはそれで不安で、結局、全部無いと安心できないのかも。

 極端な話、系が簡単なほうが厳密さを求めてしまって厄介。難しいほうが厳密さを考えていたら半端無いから、既知なモノは既知ってして、学んで行く気がする。
 全ての意味で、前よりも今のほーが、系がシンプルだ。俺にとっては、変数が少ないし、関数だってすでに知ってるモノだったり、あの頃に似たようなモノを観たことあるようなモノばかり。あんなに混沌としていた、いや混沌だと想っていたことがあったからこそ、知りつくしてるみたいになるけど、それは勘違いだ、って自分に言い聞かせていく。

 『んなんよりも退屈なのかよ、って。』
 《いや、違うって。絶対そんなに考えてない。》
 『考えてない、って、関数2個くらいだろっ。笑』
 《だから、そんな、ツーステップも踏めねーんだろ。笑》

 シンプルだからこそ厳密を求めてしまう。
 でも、そういう堅いことを矮小化したときに見えてくる意外性にビックリさせられることは前にはまったく無かったことだ。最後に優しいとビックリするんだよね、その逆はよくあるんだけどさ。
 目の前にあることがそうだとすると、とっても安心できる。まぁ、まだまだずっと遠いけど、その可能性はあるのかなぁ。

 目の前に観えてくる優位性を大切にしたいから、、明日も実験頑張ろっ、っと。
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二体系におけるホンモノ

2011-06-17 01:26:04 | Weblog
 誰だって対等な関係を望んでる。
 マクロスコピックには自分と対等な人が沢山いるような環境を選べばいいけど、もっと小さく見積もってみると、この世に完全な対等なんて存在しない。だから、即物的な対等性を大切にする。

 『ほら、対等じゃねーだろ?』とか『大義名分はあるし。』とか言葉にしながらも、ちゃっかり行動だけは対等にしていく。本当の意味で対等じゃないのを確認しながら、『本当は対等になりたいのに。。せめて即物的には対等にしておくからね。』って気がつき合っていけたら、近づいていくような気がして。
 ダメになりあうのはつまんないから、無い方がこっちのレベルまで上がってきて、ってのは自然な発想だ。だけど、それも、いきなり理想を求め過ぎなのかもしれない。

 『したらさ、案外、こういうこともちゃんと出来るみたいで。だったら、それもっとアピールして来いよ、って思うわ。そんなにやりたくねーのかよって。』
 《あぁあ、たぶんね、そうじゃないです。》
 『やりたくないから、そういうの隠してるんじゃないの??』
 《いや、その可能性もあり得るけどぉ、うーん、例えばですよ、変な話、その部分までK君から奪っちゃったら悪いんじゃないかな、って思ってくれてたのかもしれないじゃん。》

 ただの部分集合って事実を隠して、まるで和集合のように思わせる演技に耐えきれなくなったとき、、能力が無い方の、心の大きさが試される。
 たとえ、実質的に部分集合でしかなかったとしても、それを、そうじゃない、って思わせてくれていた演技の大義名分は存在しないわけだから。。そこに堅い真実は無くって、ただの気持ち依存、ただの感情依存なのだ。

 <いくらなんでも、能力無さ過ぎっしょ。>
 『うん。だからこそ、やっぱ、俺が悪かったと思う。わりーけど、俺の方が間違いなく遥かに高い能力を持っているから(笑)、だから、能力の無さも考慮しての空気読みをきちんとできなかった俺が悪いと思う。』
 <っま、能力があるほうからしか、能力がないほうへ合わせることはできないからね。>

 なんでも、どんなことでも、歩み寄っていける自信はありますか?

 相手に合わせる、という行為が、二体系におけるホンモノの系を支配している秩序変数(OrderParameter)であることは間違いない。
 だけど、演技は騙すためにも用いられるから、きちんと解析しないと、気持ちを気持ちで感じとらないと、具体的に出力されたことだけをノートしとけばイイってもんじゃないのだ。

 っさ、これは、合わせるための演技でしょうか?それとも、あなたを騙すための演技でしょうか?

 二体系では、一体系に比べ、難しさが数段高くなりますが、それでも、まだ、一体系に帰着され、解析的に解ける系で、易しいんだと思います。
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What matters more than your talents

2011-06-16 04:54:35 | Weblog
 ぐっとこらえることは必要だ。

 正しいことを言いたいときに、現状を考慮しないかぎり、たぶん理想には近付かない。特に、自分が、どうにでもできてしまうような系ほど、正しさよりも優しさを取るべきだと思う。
 賢さは運みたいなもんが強いけど、気持ちはちゃんと選択することができる。だからこそ間違えないようにしたい。難しいことにチャレンジしたい。

 その選択を他に求めるように流れていく。今は気分じゃないから、ちゃんと出来ないけど、もう少し時間が経てば、ゆっくり。
 この選択が、あの選択が正しいかどうかはわからない。

 「っていうか、そう思うしかないじゃん。これで正しいって。」

 時間は絶対に戻ってこないから、今出来ることを考えて、一歩一歩。
 しっかりした足取りで、感情を汲みながら、進み出そう。周りには、俺が間違っていても、優しく接して正してくれる人たちばかりなんだし。

Reference;
Amazon founder and CEO Jeff Bezos delivers graduation speech at Princeton University
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信頼

2011-06-14 01:10:10 | Weblog
 何をするにしても、信頼している人がいることが大切になってくる。

 信頼し合っているから、考えたことをそのまま言っても言われても大丈夫な率が上がるし、、こんなに信頼し合っていても、それだって、考えたことに少しだけ、相手の感情に合わせたり、自分の感情に合わせたりしてくれる。
 っで、それが大切。正しさを超える信頼関係があるからこそ、次の議論で、より正確度が増すのだ。

 この部分が無いと、正確な議論は、決して出来ない。いいか、おめーら、よーく聞けよっ、おめーらだけは、ここを間違うなよ、信頼関係が無いなら、正確な議論は、絶対に出来ないんだ。だから、例えば、自然科学で一番大切なことは、まず、誰かとちゃんと信頼関係を築くこと。信頼している友達がいることは、自然科学における学力とイコールなのだ。
 いや、そんなもの無くても、スイッチで頭だけになってしまえばイイって思ってる?そうだとして、楽しくねーじゃん。自分一人と解答集だけで、いつまで、どこまで、やっていくつもりなの?そんなんだから、理系がオタクと同じ扱いになるんだよ。ちなみに、解答集ってのは、何かの実験結果や薄っぺらいディスカッションも、もちろん含む。

 っで、どうせ、楽しいとかは関係ない、そんなに甘い世界じゃない、とか言い出すんでしょ?
 ヒトの命に関わらない限り、どんな世界に行っても、どんなに広い世界に飛び出しても、楽しくないなら意味が無い。楽しくないなら意味が無い、こそ、本質なのだ。

 言葉だけ得ても何も意味が無い、とか、いきなり理想を求め過ぎるな、とか、そういう大切なことほど、大人は教えてくれない。っというより、多くの大人は知らないのだ。

 大切なことは、信頼している人だけが教えてくれる。
 教えてくれた人達に何かを還すなんて能力的に出来ないから(それも頑張るけど)、俺は、出来る限り、同じことを、他の別の誰かに還元するように心がけたい。

 信頼している人がいて、信頼してくれる人がいて、ホンモノが存在しているからこそ、俺が広い世界で堂々と発言出来ることを、今、改めて、感謝したいと思います。

 古い人も、新しい人も、みんな、本当に、いつも、ありがとう。おかげで、いつも間違えずに済んでいます。
 これからも、よかったら、よろしくね。
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正しさは置いとこっ

2011-06-13 02:43:21 | Weblog
 もしかしたら、どんなに走って逃げたとしても、逃げた先で同じ問題とぶつかるのかもしれない。

 『そんな考え方するなんて、どうやったって、好きになれないでしょ。』
 「あぁ、でも、その言葉は、たぶん、売り言葉に買い言葉で出ちゃっただけで、本心ではないんじゃない?」
 『そうだとしても、そういうスタイルをとってるのは、まぁ、見ててもそうなわけだし、うーん、なんつーか、無理。』
 「無理なら無理で、まぁ、あきらめたらいいわけだし。」
 『普通、無理じゃない??』
 「普通かどうかはわからないけど、たぶん、そういうことを欲してるわけじゃないんだと思う。」

 真実を述べてしまうことは簡単だ。
 正しいこと、ルール、法則、目的のために必要なこと、頭で考えたこと、そういうことは、簡単に喋ることができるし、感情をまったく考慮しなくていいなら、こんなにラクなことはない。

 『正しいことを言っちゃいけないってこと?』
 「いや、そうじゃない。だけど、ものごとにはステップがあるでしょ?K君はいきなり理想や真実を求めすぎるけど、そういうことを欲してるんじゃなくて、まずは受け入れることだと思う。」
 『だって、それじゃあ、変わらないじゃん。』
 「だから、ほら、まさにそれがいきなりなんだって。もっと長い目で見ないと。少なくとも2年くらい。まず受け入れて、そっから徐々に自分が思ってる理想の状態にしていくことを考えないと。っで、そういう、とてつもなく器のデカい人間を欲してるんだと思う。」

 非平衡で非線形なさらさらした柔らかい系であるヒトを扱う時の基本。これは、自然科学の教科書のどこにも書いてないことだ。
 それから本当に2年以上経ってしまっていて、周囲は一変しても、どうしても、まだまだ、そんな理想的な自分にはなれないでいる。もっともっと、スタイルを変えて向上しないといけないのは、俺の方であって、他の誰かではない。

 『どう思ったかな。。』
 「わかんね。っていうか、そのとき思ったことと、後から思ったことと、異なると思うし。」

 あの頃と違って、理屈だけは理解しているから、後からじっくり考えればわかるようにはなった。だけど、じっくり考えなくても、on-timeで、そういう行為がきちんと出来たらイイのに。

 じゃないと、表面的には、自分が嫌いな人たちと同じ。
 でも、俺は、切り捨てたいからじゃなくて、ただ気持ちを読み取られないように、ルールや物理的なことに、身を委ねていることが、彼らとは違う。だからこそ、変わらないといけないし、そうじゃなきゃ、損じゃん。

 せめて、せめて、即物的に、って、自分勝手な感情、つまり理想を、ちゃんと修正していって最適化しないと、楽しくないのは明らかだ。
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Love gone

2011-06-11 23:16:34 | Weblog
 俺は、めっちゃくちゃ嫌いになっても、自分からは絶対に、終わらせる口火は切らない。相手に切らせる。
 それは、どこか期待してる気持ちがあるから。あと、でも、やっぱり、ムカつくほーが多いから、もし終わらせんなら、最後の口火くらいてめーで切りなっ、って思っているのかもしれない。

 さよならと告げれば楽になれるから、ほら、早く察して、って思ってた割に、いざ止めを刺されると、そのあとクヨクヨ。
 最後の言葉を発せさせることが出来た瞬間、心の中は、一瞬、ガッツポーズでいっぱいになる。これで自由、ってね。言葉から、相手からの自由なんかではなくって、もしかしたら、ってほんのちょっとだけ期待していた自分自身の気持ちからの自由だ。
 なのに、時間が少し経つと、期待してた気持ちが大きくなってくる。変わりたくない、って。なんという、損な部分だけを取っていったスタイルなんでしょう。

 もう、薄っぺらい言葉をかけあう必要も無いし、軋ませる必要も無い。なのに、なんで虚無感が襲ってくるんだぁ?

 いつの間にか、こんなにも嫌われようと努力していたんだ、って無意識に感じると、人に好かれる技術よりも、嫌われる技術の方が便利なのかもしれない、って思ったりもする。変に好かれる技術ばかり持ってても、どーでもイイのまで寄ってくるだけだからね。

 最初に仕掛けてるのは確かに俺だから、責任をとって、前を向いて、最後に、取り繕った、いつもの作った笑顔を。これは、カケヒキじゃない。
 取り留めのない、ただの出来事。

 (コナンのイメージが強い小松未歩の12枚目のシングル。これは、タイアップ、コナンじゃ無かった気がする。
 最初聴いた時は、なんつー暗い曲、って思ったけど、結構、聞いちゃう。本当に僕は自分から口火を切らないので、相手がこの歌詞みたいに思ってくれるんなら、ある意味では、相性抜群なんですけどね(笑)。)
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優しさを信じて

2011-06-11 03:13:32 | Weblog
 いつまでも、今のこの気持ちを忘れないでいたい。
 じゃないと、きっと歴史は繰り返すだけで、何も結果を残せない。実質的な結果が何も出てこないことなんて、ほとんどどうでもよくて、危惧しているのは、精神的に何も変わらないことだ。次の時代へ、10年、20年、30年後に、結局、平行移動しただけで、同じような描像だったら、気持ち悪いじゃん?

 カワラナイデって思っても、現実はどんどん変わっていく。それが自然なことだし、それでも変わらないモノを見つけていけばいい。何を大事にするかのstyleはどこでも変わっていないから、ある意味では、真っ直ぐ。

 一番学び取っているのは、言葉では何とでも言えてしまう、ってこと。何を言っても、ちゃんと心がこもってなきゃ意味が無いって、本当の意味で、よくわかった。
 その指摘を、また薄っぺらい言葉で否定しても、覆い隠せない。理屈じゃない部分で評価してるのに理屈で返すなんて。。感情や直観による解析の方が、心の解析に関しては正確なのだ。

 言葉なんて、虚しいね。重ねれば重ねるほど、どんどん剥がれ落ちていく。

 思考と感情。この2つ、ちゃんと使うべき系を定めないと、悲しい人生を送ってしまうんだと思う。
 堅いことに関して感情を使いすぎてはいけないし、柔らかいことに関して思考を使いすぎてはいけない。どちらかというと後者のほうが最悪で、、っま、そういう系を小さい頃から教えられてきたからかもしれないけど。

 自分が守らないといけない系の、自分よりも新しい世代に、一番願うことは、何かの実力でも能力でも無い。
 正しさよりも優しさを選び続けろ!それだけだ。

 そうすれば、正しさだって、あせって後ろから追っかけてきてくれるから。
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