「点々」の動きを記述する学問を、必要だとわかっていながら触れてなかったのは、怠惰もあるかもしれないけど、基本的には、思い出したくないから、だったと思う。
即物的な能力や必要な知識だけ手元に残って、あとは何も残っていないから、その現実に目を向けたくないって思っていて、それが習慣化してしまっていたけど、必要に駆られて実際にやってみたら、またさらに新しい想いを記述することによって、習得していくことができた。
あの頃、確実に、助け助けられていて、重要な観点を知らなかったと思う。そのせいで、即物的な能力だけが、今も手に残っている。
重要な観点。まずは、助けることは助けられることであり、助けられることは助けることである、ということ。そして、もうひとつは、相手の価値観に合わせて、その相手の素晴らしさを伝えることだ。
相手が即物的になりがちなら実質的なコトで助かったと、相手が気持ちを重要視するなら精神的なコトで助かったと、きちんと伝え合う、ってのは、大事な発想だと思う。もちろん、、どっちもできればスゴイけど、大抵はキセキだと思うし、なかなか無いことだ。
好き、キライ、どうでもイイ、のなかで、もう少し、理詰めではない、重要な観点で、差別化していった方がいいかもな。色んな意味で、勘違いされないためにも。
『っで、習慣に依るのか、それともそれを超えても、なのか、ってちゃんと考えたいじゃないですか。』
「うーん、かなり理屈で考えるのね。そうやって聴くと、割と、冷めるんだけど?」
そりゃその思考回路は理解できるけど、、手のうちを教えちゃってるんだから、さ。。
もっと考えてくれや。
即物的な能力や必要な知識だけ手元に残って、あとは何も残っていないから、その現実に目を向けたくないって思っていて、それが習慣化してしまっていたけど、必要に駆られて実際にやってみたら、またさらに新しい想いを記述することによって、習得していくことができた。
あの頃、確実に、助け助けられていて、重要な観点を知らなかったと思う。そのせいで、即物的な能力だけが、今も手に残っている。
重要な観点。まずは、助けることは助けられることであり、助けられることは助けることである、ということ。そして、もうひとつは、相手の価値観に合わせて、その相手の素晴らしさを伝えることだ。
相手が即物的になりがちなら実質的なコトで助かったと、相手が気持ちを重要視するなら精神的なコトで助かったと、きちんと伝え合う、ってのは、大事な発想だと思う。もちろん、、どっちもできればスゴイけど、大抵はキセキだと思うし、なかなか無いことだ。
好き、キライ、どうでもイイ、のなかで、もう少し、理詰めではない、重要な観点で、差別化していった方がいいかもな。色んな意味で、勘違いされないためにも。
『っで、習慣に依るのか、それともそれを超えても、なのか、ってちゃんと考えたいじゃないですか。』
「うーん、かなり理屈で考えるのね。そうやって聴くと、割と、冷めるんだけど?」
そりゃその思考回路は理解できるけど、、手のうちを教えちゃってるんだから、さ。。
もっと考えてくれや。