たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

価値観を受け入れるまで

2012-01-31 01:22:41 | Weblog
 「点々」の動きを記述する学問を、必要だとわかっていながら触れてなかったのは、怠惰もあるかもしれないけど、基本的には、思い出したくないから、だったと思う。
 即物的な能力や必要な知識だけ手元に残って、あとは何も残っていないから、その現実に目を向けたくないって思っていて、それが習慣化してしまっていたけど、必要に駆られて実際にやってみたら、またさらに新しい想いを記述することによって、習得していくことができた。

 あの頃、確実に、助け助けられていて、重要な観点を知らなかったと思う。そのせいで、即物的な能力だけが、今も手に残っている。
 重要な観点。まずは、助けることは助けられることであり、助けられることは助けることである、ということ。そして、もうひとつは、相手の価値観に合わせて、その相手の素晴らしさを伝えることだ。

 相手が即物的になりがちなら実質的なコトで助かったと、相手が気持ちを重要視するなら精神的なコトで助かったと、きちんと伝え合う、ってのは、大事な発想だと思う。もちろん、、どっちもできればスゴイけど、大抵はキセキだと思うし、なかなか無いことだ。

 好き、キライ、どうでもイイ、のなかで、もう少し、理詰めではない、重要な観点で、差別化していった方がいいかもな。色んな意味で、勘違いされないためにも。

 『っで、習慣に依るのか、それともそれを超えても、なのか、ってちゃんと考えたいじゃないですか。』
 「うーん、かなり理屈で考えるのね。そうやって聴くと、割と、冷めるんだけど?」

 そりゃその思考回路は理解できるけど、、手のうちを教えちゃってるんだから、さ。。
 もっと考えてくれや。
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少しずつ戻していこう

2012-01-30 02:54:16 | Weblog
 何か高い目標を目の当たりにして、感銘を受けてから、何かをいきなり変えることを考えることは、無謀だ。
 だから、今すぐに変えられることを少しずつ変えていく方法をとっていかないといけないと思う。

 どんなダメなことも、ちょっとずつダメになっていった結果だ。最初がバリバリ良かったってことも無いんだと思うけど、分岐点を見落としてダメな選択をしてしまうことを何十年もかけてしまった結果が現状、観えていることだ。それを、いきなり誰かが、ぐわって変えることは難しいから、ダメになった時間と少なくとも同じくらいのオーダーをかけて戻さないといけないと思う。
 そういうことを繰り返していけば、案外、思っていたよりはすぐに劇的な改善にこぎつけていていたりする。

 まぁ、あの人ならもっともっと劇的に良い方向に変えていけるのかもしれない、って思うことは沢山あるから、邁進しないとね。時間を超えるために。
 少なくとも、各個人に、残すことができればイイんだとも思う。

 そのために、どんな状況もチャンスに変えるようなスタイルをとっていきたいと思う。
 そして、再び、本当のターニングポイントも、目の前に存在してきている。
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この宇宙の希望のかけら

2012-01-29 02:11:24 | Weblog
 本当の意味で最後まで諦めないことは難しい。
 ボールを最後まで追いかけるとか、どうにかして助けるとか、なんとかして結果を引きずり出してくるとか、しかもそれを誰の迷惑にもならないようにし続けることは至難の業だけど、ちゃんとチャレンジしないといけないと思う。

 諦めない、に近づくことができる一番の近道は、『なんで?』って常に考えること。気持ちがなきゃ考え続けることはできないから、やっぱり、なんでもかんでも大抵のことは難しいんです。
 どんなことでも『なんでだ?』って考えられるほどタフじゃないよな、まだまだ。

 ただ、そういうことを、確実に自分よりも出来る方々はいるし、最大限の能力で、諦めない力を発揮し、それを誰かの未来に活かしながら邁進している、いわばこの星の希望のカケラみたいな存在の人だっている。

 そんな人達に俺は感化されているわけで、実際話してみて、ちょっと最近、たるんでたな、って思った。今や即物的な言葉も持ってるし、俺はちゃんとやってるし、ある程度、外に目を向けて実際に行動できてるし、明らかに助けられる人を助けることはできてる、って、そんなことだけで満足してちゃダメだよな。
 もっともっと頑張らなきゃいけないことはあるし、今まだ、インファイトが足りないと思う。周囲の怠惰さで誤魔化されて調子こいてたけど、そこで甘んじていてはいけない。慣れ合っていちゃダメだ。本来の頑張りの目的を想い出さないと。
 なんで頑張ってるのか、なんでここにいるのか、もっと自分に訊いていかないと!

 それぞれの場所で、集団のなかで一番の能力を得ながら、しかもその能力を使って誰かを助け続けている優秀な人達が集うコミュニティで、きちんと認められるように、希望のカケラになれるように、もっともっとやることが沢山あるな、っとモチベーションが上がりました。
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『どーせ暇だし、イイよ。』

2012-01-26 01:37:39 | Weblog
 選択肢は単純に多ければ多いほど良いような気がする。
 勉強も出来るし、運動も出来るし、芸術的センスもあるし、Aグループだし、ノリが良いし、なら、選択肢は無限大だ。

 例えば教育を行う時に、こういう種々の分野のなかで、自分はひとつ以下だなっと感じさせてはいけないと思う。
 だから、ノリがイイ子には、ノリの良さを認めることはもちろん、勉強でも認めてあげたいし、そのためには、そのすでに持っている価値観の中で、その子にとっての新しい分野の価値観を受け入れられるような教授をしないといけないと思う。そして逆に、賢い子には、お勉強で立派なことは伝えつつ、ノリの良さだとか、友達の多さだとか、そういうことの価値観を持って欲しいと思う。頭が柔らかいうちにね。
 広い意味での選択肢をプレゼントできることが、教育では必要なのだと思う。

 この選択肢、何が目的かというと、寂しさを埋めるためだ。何か1つで認められれば、確かにそれでイイのかもしれないけど、どんなことでも調子の悪い日はあるし、上には上がいるし、崩れゆきやすいモノだと思う。
 だからこそ、複数の価値観を持っていると良いんだよね。広い意味で、諦めないから。お勉強や仕事で認められる一方、自分には友達が多いから、そういうノリの良さもあるんだ、とか、楽器を沢山の種類扱うことができるんだ、っとか、助ける、話を聴いてあげる能力にかけて天才的だ、とか、とにかく沢山の選択肢や価値観を持っているとイイ。

 誰だって、罵倒されたり、ダメだしされ続けたら、イヤになっちゃう。一晩寝れば忘れる、なんて、ウソだ。
 寂しさを埋めるための、価値観の選択肢が沢山ある、ってのは、認められうることが沢山あるってことだから、やっぱり、なるべく沢山の選択肢を持つことが必要なのかもしれない。

 だけど、、どう?、本当に、そういう能力依存で、誰かに認められるだけで満足??選択肢を増やして、本当の意味で寂しさが無くなるのかな、って考えてみると、また話は別だ。

 俺は、非常に有り難いことに、人よりも、寂しさを紛らわすことに関しては、選択肢は多いと思う。そういう状態の時は、わかっててやってる。本当はここで、この人に、こんな風に、完全に全部認められたいのに、って思いながらでも、どこかで即物的に認められると、気持ちの表面上ではウハウハすることができる。
 でも、ふとしたときに、悲しさが襲ってきて、なにやってるんだろー、ってなったりする。すげー楽しいんだけど、何かが足りない。まぁ、こうなっても、表面上の認められ方が無いよりはマシなんだけど、俺が求めてるのは、その向こう側なんだよね。

 沢山ある選択肢のなかで、人によっては取り返しのつかないことをしてしまうこともあるし、昔の関係性の糸をゆっくりゆっくり辿ったりしてみたり、滑稽な姿をさらしたりしてしまう。
 あと、俺がよくなるのは、気持ちを悟られないように、極端に機械的になってみたりね。

 One of themではなくて、本当は、とか、ホンモノ、であるかどうかの見破り方は、具体的に表に出ないだけで、実は非常に簡単に判別できる。
 間のとり方、表情、声色、視線、振る舞い、色々なことから、算出できる。ホンモノは、どんな熟練者でも、絶対に一瞬だけは、演技できない。だからホントに簡単。

 実質的には沢山の選択肢があったけど、それがすべて無価値に想えるようなモノこそがホンモノで、そうなってしまえば、何かの能力のあるなしで、悩む必要なんてないんだと思う。
 まぁ、それは完全な理想状態で、現実では、時間発展を考慮に入れて、考えてないんだけどさ(だから、能力を向上しようとすることは必要だってこと)。

 答えは決まっているんだけど、今の状況が答えというわけではない、ってときに、何が出来るか、をちゃんと考えないといけないよね。どっちも。
 日常のなかのターニングポイントを忘れないように。
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入れ物の大切さ

2012-01-25 03:15:13 | Weblog
 卒研以前つまり研究室の生活に入る前は、自然現象を理解するためにはその重要な要素のみを抽出してきて解析すれば良い、とだけ思っていたんだけど、それだけではないことに徐々に気が付いていった。
 研究を進めるにつれ、むしろ、もっと大事な視点があるというふうに、徐々に考え方が変わってきた。それは、「入れ物」の重要性だ。

 卒研では、ハバードモデルを扱っていて、沢山ある入れ物の中に沢山の粒子を詰め込んでいく、みたいなプログラミング計算をしていた。このテーマは多体系が沢山の調和振動子型ポテンシャルの中にトラップされることを考えているんだけど、こういう考え方をより一般化すると、コンパートメント(=入れ物)も考慮した統計的な処理をすることによって、秩序だとか平均的な振る舞いだとかを考えて、解析するってことなのさ。っでこれは巨視的な本質を非常に掴みやすい。んで、俺の知りたいのは、巨視的な本質なんだなって思うわけ。
 例えば、粒子、素粒子、ヒモ、とか小さく小さく考えていって、構成要素を明らかにすることが原理を理解する本質だな、って思っている人は多いと思うんだけど、むしろ、そういうのって、特異的なことは分かっても本質は掴めないんだよね、たぶん。みんなが心に思ってるような「本質」は、たぶんわからない。あとね、素粒子って難しすぎて俺の中ではコスパーが悪いの(笑)。

 んで、今は、細胞膜みたいなんやってますが、これも結局のところ、入れ物です。
 単純なin vitroつまり大きいバルクの中で反応が行ったり行かなかったりってのは、それはあくまで分子的な反応しか見れないわけだから、なーんにも本質じゃないわけよ。どーしても、教科書とかの図をみちゃうと一個の分子だけで書いてあるし、それだけで語るからあんまりイメージできないんだけど、マイクロモルっつったって、そーとーの個数あるわけ。そんなんただ単純な数学の統計的な振る舞いでしか無いじゃん。あとね、こんなに個数あるくせに、結局、実際には何にも観えない、複雑な測定装置から間接的に判断する、って研究の仕方も、ダメダメだと思う。顕微鏡くらいでは観れろや、って思うわけ。
 だけど、一個一個のコンパートメントを考慮したり定義したり創作したりしてみると、それだけで、各入れ物の中でその系固有のバラつきを生み、秩序とか平均的な描像とかが露呈してくるんだよね。っで、本質ってのは、そこに潜んでそうだなって思うわけ。あと、単純に、観えるし。

 物理やってても、生物やってても、これから化学やるんでも、入れ物、コンパートメント、ってのは、大事だなーって思うんだよね。うん。
 よくよく考えてみれば、系や反応場が実際に起こっているユークリッド幾何学的な境界ラインって、自然科学やる上で、当たり前だけど、大事に決まってるよね。うむうむ。

 あ、今日は、ガチ、それだけです。笑
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全体的なこと

2012-01-23 02:56:55 | Weblog
 このページをまたどうしようかなぁって思ってるんですが、、また今年の3月で一区切りきますから、少なくともタイトルくらいは変えようと思ってます。
 なんやったら、今までのぜーんぶ消して、一からやり直す感じでも。まぁ、なんとなく、性格的にそういうのしないんだよな。

 本格的にこのブログも長くなってきて、スコア値2なんて、ホント有難い限りです。ありがとうございます。それをキープ出来てる理由の一つは、たぶん、理系参考書紹介の記事とか、センターとかが効いてたり、まぁ、あと単純に長い期間ってのとですかねぇ。
 一定の固定客様がいらっしゃってくださってるのはなんとなくわかるんだよね、一回もコメントくれなくても、案外、固定客様の存在は、何十名かいらっしゃるのはわかります。うーん、まぁ、こっちとしては、正直、よく、全然知らねーヤツのよくわかんない文章を読んでられるなって気持ちなんですが、こっちもそこら辺に向けて書いてるときはありますんで、まっいっかってね。

 なんかね、最近、普通に日記書いた方が早いんじゃないか、ってなってるんだよね。俺、少なくともここ3、4年くらいのヤツは、どの記事読んでも、その日やその辺りに何があったのか、だいたいはわかるようになってるんだけど、わざわざ公開しなくてもイイ気がしてきて。
 まぁ、習慣ってのは恐ろしくて、そう思ってても、実行されるのは、5年くらい先だったりして。。そんな性格、俺のこと大好きな皆さんなら、知ってるっしょ?笑

 今日くらい、ここでも、ちょっと具体的に書こうかなって思います。

 最近の俺の生活は、、修論関連の作業をいくつかして、よその研究室の実験反応待ちだったり、博士課程行く準備だったり、で、大学関連はそんなもんです。
 趣味的なのは、、アカペラは、また今度スタジオ練があるので個人練を少ししたり、化学(有機化学)のお勉強、読書、しながら曲聞いたり、あと最近またゲーセンとかカラオケとかに行くことが増えました、なんとなく寂しいことですな。
 そういや、ここ最近、唯一のスポーツ関連のテニスができてねー。これはどうにかせんとな、そろそろ。

 やっぱね、具体的に書くと、すぐ終わるね。んで、だから何、って感じだな、感情的に(笑)。
 あと、誰か知ってる人が観てて、なんで、あれが書いてないんじゃ!、ってなってもイヤだし、こんな風だから最近こーなんだぁ、っとか余計な間違った解釈されたくねーし、いやー、だって、最近ネット特に怖いですもん、もっともっと、具体的なこととか、もっと批判とか批評とか、社会風刺とか、昔みたいに具体的に攻撃したいけど、できないできない。怖くて。

 言いたいことも言えないこんな世の中じゃー♪

 っま、今回は、ちょっと特殊な記事ってことでー。
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本末転倒でも

2012-01-22 04:48:48 | Weblog
 基本的に優しくされないと優しくできない。っで、物理的に考えてみると、その総量って、一定なんじゃないかって思えてくる。

 優しくしすぎると一人で何もできなくなっちゃうとか、甘えすぎてしまうとか、なぁなぁになっちゃうとか、そんなことを思ってる人は、誰からも本当の意味で優しくされてきてないんだろうし、されてたとしても感じとれてないんだと思う。
 人は優しくされて初めて強くなれるし、守られているから自分を全部露呈できる。

 ただ、この総量が、結局増えないような気がしてしまうと、そんなキレイゴトも言ってられなくなってしまうかも。
 例えば、誰かから3もらって、また別の誰かに10くらいあげることはできるんかな。

 毎日の生活の中で、どうしても、自分中心で考えちゃう。自分の利益を一番の優先順位にしてしまいがちだ。
 誰かどーでもイイヤツが学校やめるかもって危機に瀕してたとしても、たった自由科目2単位のための提出期限が近づいてる自分のレポートについてのほうが遥かに心配してしまうだろう。どーでも良くは無い、好きな人であっても、その人がボールペンをどっかやっちゃったってことよりも、上司から自分に来てるメールにどう返信しようかということのほうが大事になってしまったりする。

 だから自己犠牲が必要、なんて、結論にはしない。俺の答えは、だから、なるべく器用にならないといけない、だ。
 自分が忙しい時でも、大変な時でも、器用に振る舞って、どれだけ、相手のために、誰かのために、みんなのために、2人のために、グループのために、今出来ることが考えられ、実行出来るか、それが大切であると思う。

 お金や能力で解決できるような部分は、そういう即物的なコトで解決したら良い。能力で優しくできるんなら、こんなに手っとり早いことはないから。
 そして、仕事や大きい集団じゃないときに、ちゃんと優しくしたい時は、本気を出せばいいんだと思う。実質的に片手間になったとしても、それは片手間にはならないはずだ。

 なんのために、頑張っているのかを、今一度、確認してみた方がイイ。
 自然科学は、自然科学そのものを理解するために研究するものではなく、それを通して得られた技能を使って、人に優しくするノウハウを確立するためにある。そうじゃなきゃ、優秀とは言えねーんだよ。

 他で得られた技能を本質に活かすことで、優しさの総量を増やすことができる。3もらって、10返せる。
 意義ある頑張り方をして、なるべく実質的に頑張らないようにすることが、本末転倒にならないようにする一番の方法であり、そういうことにさえ気が付いてしまえば、楽しく過ごせるんだと思っている。早い話が、不真面目に生きて、マジメに生きれば良いのだ。

 まぁ、だーれも、そんなに上手くはいかないけどね。少なくとも俺には無理かな。
 だから、そのために一歩近づこうと努力すること、つまり、そもそもの真面目さ、かつ、どうにか相手へ出来ることを探そうとする気持ち、が同時に存在していれば、全然ダメじゃない、めっちゃくちゃおっけーだって思う。
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主体性のある無難の熟練者

2012-01-21 01:25:59 | Weblog
 相手が弱っている時に上手く攻撃してくるヤツは熟練者だ。
 完璧なディフェンスをしてるつもりだったり、何も見せていないつもりなのに、直観を使ってタイミングを伺ってこれるのは、プロの犯行だと思う。

 まぁ、別に俺も、相手が嫌いなヤツだったり、自分の利益だけを考えなきゃいけないときは、この手法を使って、2発以上のオフェンスを適確に出すことができるけど、どーでもイイことやどうでもイイ相手にまで、片手間にこういうよーなことを使えるほど、俺は熟練していない。
 それも、マークしてもない相手から、不意をつかれて自分に矛先が向かってる時、どういう表情を作って笑えば良いか、本当にわからない。まだまだ、その後についての教科書は読みこめていないので。

 どんな系でも、どんな状態であっても、戦ってるのは自分自身で、そこでやっていかないといけない。揺るがない気持ちが無いなら中途半端なことはできないし、しっかりとした目標や指針が無いなら、何もしないほうが状況としてはイイと思っている。
 だからこそ、自分の気持ちとの戦いなんだと思う。

 だから、誰かから攻撃されても軽くかわせるはずなのにね。

 ほらっ、もっと強い手法でやって来ないなら、いくら俺だって、ヤバいかもよ?それこそ、自律性を持っている主体性のある無難な振る舞いを、俺の何百倍も知ってるような怖いヤツが相手なのかもしれないんだから。
 もっともっとしっかりしなきゃなぁ。
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相対論的量子力学とポジトロン

2012-01-20 02:07:51 | Weblog
 物理学はスケールと速度によって学問体系が異なってしまっている。つまり、まだ絶対的な理論は存在しません。

 スケール大で速度が小さいのが「ニュートン力学」、スケール大で速度も大きいのがアインシュタインの「一般相対論」(重力が小さく空間が歪まない場合「特殊相対論(よく知られてるやつ)」)、スケール小で速度も小さいのが「量子力学」、そしてスケール小で速度が大きいのが「相対論的量子力学」です。図にするとわかりやすいんだけど。
 スケールも速度も、10の8乗から10乗くらい変わると、教科書が変わります。

 よく、量子力学と一般相対論は対立していて、それを統一する統一理論が必要なんだ、みたいなことを言われるけど、厳密に言うとそうじゃないよね。成り立つスケールが異なっているだけなんで。まぁ、ブラックホールみたいな、非常に小さな点に莫大な質量が局在しているような場合は、量子力学も一般相対論も両方使わなきゃいけないので、まだ、そういうことを記述する方程式は存在していないとは言えるけど。

 物理学のスケールを結ぶ学問は今んとこ「統計力学(物性理論)」が唯一な気がします(詳しい人、他にもあったら教えて)。もちろん、一般相対論やニュートン力学、また量子力学とニュートン力学も、きちんと関連付けはされているけど、学問にするほどじゃなく、その関連付けは各分野でされている。
 統計力学ってのは、マクロで成り立つ「熱力学(熱力はニュートン力学のスケールと速度に位置してる)」とミクロで成り立つ「量子力学」を橋渡しする学問。平衡状態はすでに確立されているけど、非平衡系ではまだまだ開発途上の段階で、けっこう面白い。
 ちなみに、生物学をムリヤリ物理学に当てはめると、統計力学になると思います。なので、俺的には一番重要な物理学の分野です。

 だいたい、物理学で習う分野は以上の通りだと思う。間違ってたら教えてね。

 こーしてみてみると、やっぱり「相対論的量子力学」て、一番カッコイイ、名前が。もう、信じられないくらい難しそうだもんね。実際、そうだけど。
 量子力学ってのは、無限次元複素ヒルベルト空間で定義される波動関数をシュレディンガー方程式から求める学問です、だいたい。しかし、このシュレディンガー方程式というわけわかんない方程式は、特殊相対論の要求に応えていません。
 これを解決した、つまり特殊相対論の要求にも応えている量子力学が相対論的量子力学というもので、その方程式はDirac方程式と呼びます。

 量子力学で自由粒子を考えると、エネルギーは離散的になります(エネルギー固有値)。これは量子力学の重要な性質なんですが、自由Dirac粒子(Dirac方程式に従う粒子)だとどうなるかというと、エネルギースペクトルが連続的になって、完全系が正負で2つ出てきます。
 2つ出てくることがポイントで、これがポジトロン(陽電子)の存在を示唆している(んだったと思う、今度、ちゃんと計算してみよぅ)。

 つまり、反粒子の存在は、2つの教科書を組み合わせ、量子力学と相対論の2つの要求に応えることができるようにSelf-Consistentにしたことから示すことができたというわけか!

 うーん、結構、そういうことって色々なことで言えて、対立してそうなモノやスケールが違って成り立つ理論を、どうにか組み合わせると、新しいスゴイことが発見できたり創作出来たりするのよね。

 色々なことで混乱させられてる日々が続いていますが、相対論的量子力学みたいに、確実に実験データから成り立ついくつかの理論を基に、新しい理論を創作できるように頑張りたいと思います、残されている期間で。言わずもがな、自然科学のことじゃねーけど。

 (今回は全日記の中で自然科学的に最高級の難しさを追求してみました。笑)
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Exonuclease活性を抑制するような力こそ?

2012-01-19 02:00:38 | Weblog
 何かの仕事が仕上がったら、誰かにチェックしてもらうと間違いが少なくて済む。チェック機能をもたせることは重要なシーンでは必要不可欠だ。

 チェックしてもらうとき、多くの場合は、専門家に頼むことが多いと思う。英語だったらネイティブの人、科学だったら博士号を持ってる人、受験だったら先生、それぞれの分野のプロに頼むと間違えることは少なくなるけど、専門性が上がれば上がるほど、ある一定ライン以上の信頼を持てる人にチェックをお願いした方がイイ。それが、実質的にその人じゃないとダメなんでも、信頼関係を持っていないなら、お願いしないほうが賢明だ。
 なぜなら、信頼関係を取っ払ってチェックしてもらっても、どーせ、自分の気持ちに対してなのに、どこか即物的で他人事になってしまうからだ。

 信頼している人であれば、その指摘が間違っていると思った時に、どんどん発言していくことが可能だし、より良い知の獲得となりやすい。そうそ、多くのことは今や1人では出来なくなってるんだから、科学みたいな批判や客観によって成り立ってるモノをやる上では特に、一番大切なのは信頼関係で、周りにどれだけ優しくできるか、なんだよね、すべては客観性を上げるために。
 これは科学に限らず、結構いろんなとこに言える。

 だけど、こういう堅いことばっかりじゃなくて、ディフェンスじゃなくて、むしろ、これらの校正機能を悉く撥ね退けるような力が働く時こそが、本当に欲しいモノが得られたりするのかもしれない。
 客観視は確かに大事なんだけど、主観的になれなければ、真実とかホンモノとかは、得られないのかもよ?

 相対座標系よりも絶対座標系のが正しいって、誰が決めてんだよ。今、そこで観えてることが、感じているありのままが、そのまま本当である可能性のが全然大きいことのが多いのに、その当たり前さを信じられないのは臆病すぎじゃね?

 …って、当初、生物系に進もうと思った1つの要因を、ここ最近、忘れがちだったかなぁ。
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Specious Erudition

2012-01-18 02:05:02 | Weblog
 形式的なことばかりにとらわれて、本質が疎かになってる状態は良くない。どんなに体裁良くして取り繕っても、見せかけばかりだと、ちょっとでも慧眼な人にはすぐにニセモノだって見抜かれてしまう。

 ただ、見掛け倒しになりがちな人を否定するわけじゃない。俺もそういう部分あるしね。
 何より、そういう人達に外側をデザインしてもらって、技法を習い、中身の面白いところを一緒にやらせてもらって、キッカケを作るってのは常套手段だ。その後、歩み寄っていければ良いんだし。つまり、その先を見据えた時に、ホンモノだってことね。

 まぁ何事も付け焼刃じゃダメで、本当の想いや本当の気持ち由来の実力が宿っていなければ、面白くないんだよね。
 面白くないんだったら、意味が無いし。

 そういうホンモノの気持ち同士が繋がる時、偶然が重なりまくる。それがイイ意味でもあるし悪い意味でもあるんだけど、やっぱり、怖いくらい即物的なことや外見が繋がったりすると、何かちゃんとしたモノが宿ってるんだなって感じることが出来る。

 過去頑張ったという証やその場限りの実力だけで、博学的な見地に立つよりも、単純にノリが良くて、何かの想いがちゃんとあって、その想い由来の実力が伴っている方が、数段に輝いてみえる。
 見掛け倒しの博学に騙されないで。
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センター英語2012追加  第3問C

2012-01-17 01:43:57 | Weblog
 リクエストに勝手にお応えします。さっき解きました。

 ここの問いは毎年、論理構成がしっかりしてる文章をだすのが特徴。導入と問題意識(緒論)→具体例1(データ1)→具体例2(データ2)→まとめ(結論)、みたいなね。今回もその典型で、この論理構成がしっかり追えてるかどうかが大事。
 今回の文章は、よーするに「ピーナッツとアーモンドって似てるけど違くね?」って文章。「ピーナッツとアーモンドってお前らどー違うかわかってないっしょ?→植物的に違うって→原産地も違し→ほら結構違うでしょ?」って論理構成を追えたかどうか、が一番大事。こういう力は私大や二次でも必要。

 32番目の解答欄は、Indeedだから、その前の文の言い換えを答えれば良い。似てるとこを見つけるのが難しい、って書いてある①を選びそうになるけど、似てるとこはみんなも普通に知ってて明らかなんだから、これは違う。同じような特徴を持ってるよねーって共感を求めてる④が正解。
 33番目の解答欄は、普通に何も迷わず③じゃね。この段落のその後の文章で、場所について述べられてるから、なんかわかんなくても、場所が違うよ、って書いてある③を選べばよい。
 34番目の解答欄は、まとめを述べてそうなヤツを選ぶ。④は論外。②は、だから、ピーナッツとアーモンドの同じとこをこの文章で述べたいわけじゃないのさ、似てることはみんなも知ってることだから、この文章であえてそれを言いたいわけじゃない。③は健康を害することについては述べてないから違う。distinct「別の性質をもった」を知ってれば一発で①を選べる。「tinct」ってつくのって、生物種みたいな意味があるっぽいから(extinct,instinctなど)、知らなくても、そのことだけ知ってれば、なんとなくこれかなっと。

 まぁ、32番目の解答欄では、似てる特徴があるんだ!ってのが答えになって、34番目の解答欄では、異なる特徴を持つんだ!、ってのが答えになるから、紛らわしくって、英語に慣れてない高校生からすると難しそうだけど、よーく考えてみると、その答え方でまったく矛盾してないんだよね。

 うむ、確かにな、時間無い割には、難しいかな。
 という逃げ道を創っといてあげよう。笑

 ってか、これは完全に立派な通信教育だな。誰か、授業料の徴収の仕方、教えて。笑
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センター試験2012

2012-01-16 02:42:58 | Weblog
 今年も大学入試センター試験が終わりました。余裕なくて、まだ、全然ちゃんと解いてないですが、今年も少しだけ講評しようと思います。もちろん、自分が好きな科目だけだけど。

 えーっと、その前に、、毎年思ってることなんですが、やっぱり、この試験、要らなくね?笑
 この発言をここで言うのも5回目くらいですが、やっぱ、今の少子化の時代、共通一次試験なんてイラねーよ。そんなに管理するの大変かなー。確かに、早稲田大学や慶應義塾大学といった大学の受験会場ってのは、人がうじゃうじゃしてて、センターしろよ、って思うこともありますが、まぁ、別に、東大や京大がそうなったところで、さしてどうでもイイ話な気がします。
 それよりも、こんなくだらない、おおざっぱな配点の試験で、受験生の気質なんて何もわからないのに重要視されてているほうが問題で、SPIと同じくらいダメな試験だと思う。二次試験だって実力みれてない、ダメな試験だって思ってるくらいなのに、センターなんて対策次第すぎるわ。
 あ、この注意も5回目くらいですが、国立医学部は別ね。医療系では、センター試験で高得点をとれるかどうか?ってのは最適な試験だと思います。理由は、どっかに書いてあるから、探して。

 まぁ、こんなにセンターをディスるのは、俺が苦手だからだけどね。笑
 センターのために頑張らないと得点できないからイライラしてるだけです。だから、無勉で9割とれるリスニングは、最高だと思ってるし。

 まず、英語。
 第1~3問は特に大幅な変更は無し。第1問のアクセント問題の形式が少し変わりましたが、前に戻った感じですね。
 第4問Aが各予備校、難しいと評価されてるようですが、まぁ、そこまで難しくは無いんだけどなー、って感じ。季節によって含まれる水分量が変わる影響による木材の形状変化についての文章。35番目の解答は足し算するだけだし、36番目の解答で、paintedとunpaintedを見分けられてるかさえ気が付いてれば大丈夫だと思うんだけど。。
 第5問がいつもよりなげー。時間マネジメントができてるかどうかで、その後の勝敗が分かれる気がする。
 第6問は、受験生が取り扱いやすい文章だと思う。抽象的だけど、理系にとってはさらに読みやすい。やる気でないことは先延ばしにしちゃうよねー、って文章。procrastinationの意味は前半の(1)に書いてあるし、難しい単語も少ないし、段落も支持されててラク。第6問に時間かけなくてイイ分、第5問が長いのでしょうか。。

 数学。
 1Aも2Bも、図形問題が難しい、ってのが、各予備校の評価です。平面図形は大学受験では一番大事だからねー、って思ってたんですが、2Bのベクトルは空間かよ。じゃぁ、簡単じゃん、できるだろっ。
 確かに1Aの図形と計量の範囲は、後半、幾何の性質を使いそうなので(あとでちゃんと解いておきまーす)、厄介っぽいですが、空間ベクトルは、絶対に得点出来なきゃダメ。高校範囲に限れば、空間座標は簡単なのしか出ないし、かなりやることは決まってるので、出来なかったなら反省しないとね。ちなみに1Aも、内心や外心とその関係性について、まとめておけば、さして、だと思うんだけど。っぱっと見た感じなので、計算してみたら、違うかもだけどさ。

 理科。
 物理と化学が簡単になってると思います。化学は、昔もっと難しかったぞ、マジで。今回は俺でも答えられる問題がかなり多い。物理は、、まぁ物理学科出身なので、毎年、何が難しいのか正直わからないんですけど、簡単じゃね?第1問の数値計算がめんどくさそうなのと、最後の問題の熱力学は確かにややっこしいけど、ゆっくり熱や温度の定義を思いだせばわかるし(その時間は十分あるはず)、受験生なら対策してるはずだから、うーん。

 そして、今年は、なんといっても、社会科。内容は全然知らないんですが(倫理だけほんのちょっとわかるけど)、なんでも、今回は、受けられなかった人もいたとか。配布ミスはお話になりませんが。
 今年から、公民1科目の人も、地歴1科目の人と同様に、2時間目からだったんですが、それが影響して、試験が受けられなかった人がいたらしい。どういうことかというと、例えば、世界史と倫理政経がどっちもできて、どっちか点数が良かったほーを出そう、って思ってた子が、勝手に当日、やっぱ倫理政経だけにしよー、ってな感じで、2時間目から教室に入ろうとすると、入れない。2科目受験と登録した人は、1時間目からいなきゃいけないのよね。ってか、よーく考えればそりゃそうで、そんなこと許してたら、問題流出しまくるじゃん。

 だーから、お前ら、レールに乗っかり過ぎなんだよ、勝手なこと、特異的なコトをするためには、自己責任と実力がかなり必要なんだよ、って思いますが、受験生は真面目だからそういうことは非常に自分が悪かったと反省してるんだと思います。
 これを本当に教訓にしなきゃいけないのは、むしろ、大人のほうで、来年度から専修教員免許取得者になる俺からみると(えっへん)、教育側に問題があると思います。こんな程度の状況の変化で、こんなにも混乱になっちゃうなんて教育がダメダメ。これくらいの自己勝手さをもった行動について、1人ひとりがきちんと行動できるような教育方針にしていなく、ただ、レールに乗っかってればあなたたちは幸せなの、みたいな、教育してるからいけないんだよ、バーカ。

 『結局これ図形の問題じゃないですかー、だから、あえて、複素平面で解いてみたんですけど、ここから先が上手く計算合わなくてー。』
 《あのなぁ、高橋、とりあえずベクトルの範囲なんだから、まず安牌で無難な、ベクトルでちゃんと解いてみないと。それで、それから、複素平面で解いてみたら、とっても良いことだけど。》

 正統法で行くと、いつも勝てない誰かがいたからって、常に別解で解きたがっていた俺に、ちゃんと教えてくれた。無難なことをきちんとやってからじゃないと、特異的なことは認められない、ってね。
 っま、当時から、そう教えてくれる先生はいたけど、レアケースだよね。

 えーっと、話がそれましたが、まぁ、今年はこんなもんかな。また解いてみて何かわかったら、センターの記事を書こうと思います。
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言葉の崩壊までに

2012-01-15 03:16:55 | Weblog
 その集団から出ていく時に、自分はこの集団に完全に必要ないな、って思ったら、とてもラク。その集団が好きであろうが嫌いであろうが、そういう風に思えれば、もう次!、って思えるから。

 一方で、どっかで少しだけ悲しんでる自分もいるんだけど、まぁ、ここまでのこういう雰囲気にいくらかは寄与してるわけだし、集団の性質として、誰か1人いなくなったとしても、必ず代わりがいるもんだ、って教科書に書いてあることに従えば、いつの間にか、神様目線でその集団を捉えているようになる。
 最高の収穫として、その集団から、たった1人でも、俺とある程度以上長い期間付き合う、信頼できる誰かを見つけられればかなりのOKで、そうなればスゴく成功なんだけど、たとえ1人も見つけられなかったとしても、即物的にはいつも邁進しちゃってるから、心の中でバカにしていく大義名分としては、我ながら完璧で。

 そうそ、俺は即物的になっちゃうことが多いから、そうならないようにと、よく口に出しているってことを、忘れがちなんだよな、自分自身に対してなのに。

 この3月で3つの言葉が崩壊する。
 その時に、どれほどの人が残ってくれるか、今から楽しみだ。

 自分で選ばないスタイル、まだまだ変える気は無い。だって、悪いけど、自分で選ばなくても、まだまだ若いし。
 だから、もう、ラストは、本音しか言わない。本当の自分を出していって、去っていってくれるんなら、そんなに分かりやすいことは無いから。

 即物的になっちゃうことだって、俺が選んでるんじゃない。周りが、世間が、強要するだけのことだ。
 俺はそうはなりたくはないけどねん。

 もう待てない。いっそ、いっそ、早く、即物的なことが正しい、っていう結果や現実を、俺の目の前に偶然にでも突き付けられちゃう方が、、
 なんて、思ってちゃうから、ホントにそうなっても、悲しさと同じくらい、『良かった、これで、自由になれる!なにより、自分の気持ちから。実質的に言葉もそろそろ崩壊するし!』って思えてきて、自分の冷静さに落胆する。

 タチが悪い、ってのが、ホンモノの性質なんだとしたら、本当に難しいよなぁ。
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特異的なヘルプ求引性

2012-01-13 01:17:50 | Weblog
 誰かの感情を本当に正確に理解しようと思ったら、その状況と同じ環境下に自分を置くしかない。そうしてみて初めて気がつくことがある。もちろん、今まで感じていたことをより強く思うようになるだけなのかもしれないけど。

 結局、この3年間くらいを通して、一番勉強になってるのは、自然科学そのものなんかよりも、感情についての理解と対策であって、まぁ、それが当初の一番の目標だからとりあえずはいっか。やっぱり大事なのは、自分が大変な時に、他人のことをどれだけ想えるか?だった。そうすることで、観えてくることが沢山あるし、何よりも、普通の状態の時に出来ることが増える。

 そして、その集大成として、状況下をほんの少しだけ同一にした時、これまで築いてきた理論が、完全に正しかったことをつきつけられてしまった。

 俺が一番守りたいその感情は、きっと遥か昔に抉られてしまったモノだ。涙を呑むことにも、言葉を呑み込むことにも、今や慣れ過ぎてしまっていて、呑むための涙すら出ないから、出来ることがかなり限られてしまう。
 初めて涙を呑もうとしているその瞬間に、もし、今の自分なら当然、当時の自分であっても、その場にいることができたなら、出来る限りの無難の中で、正式に立ち向かう指針と振り払って撥ねつける手立てを教授することができるのに、、っと、タイムマシンでもなきゃできないことを想像する意味なんて無いよね。

 だから、やっぱり、今できることを考えないと。

 この処方箋を受け入れるとすると、現在扱っている系を全力で頑張る中で、さらにしなきゃいけないことがあって、それは、次に創る世代に対しては、精神的な苦痛はおろか、実質的な暴力をも正統化する上下関係を推進するかのような空気の世の中になることが無いように、それに抵抗するような振る舞いをし続けないといけないと思う。

 感情を捨てるな、自分の気持ちを無かったことにするな。涙を呑むな、自分の言葉を呑み込むな。
 自分や誰かの言葉を呑み込むんじゃなくて(丸呑みするんじゃなくて)、言葉を「精神的かつ実質的な意味を持って」飲み込みながら喋れ(ゆっくり飲む、カラムに通しながら喋る)、という答えは、ずっと持ち続けている。

 そして、その具体的な手立ては、すべて責任を持って、俺がアドバイスするから。

 だけどね、そういうことも含めて、俺がインタラクションするのは、期待してる人、好きな人、センサーにひっかかった人だけで、重要なことは何ひとつ公言しない、ってのが、俺のズルイとこなのかもしれないかな。
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