たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

にゃ?にゃーにゃー。

2008-01-27 03:57:59 | Weblog
 試験中、もっとも変わりたいモノは、…ネコだ。間違えなく、ネコに興味をそそられる。って言っても、うちにネコはいないので、野良ネコ君達だ。あのテキトウ加減…、あの可愛らしい仕草、自分を貫いてる感が良い。
 テスト期間中ってのは、縛られている。どんな時よりも、時間にも、問題にも、先生にさえも縛られてる感が漂う。だから、だからこそ、ネコに魅力を感じる。
 イヌとネコの違いは、自分を持っているかどうかだと思う。なんとなく、空気を読めるヤツ=イヌ、自分中心でわがまま=ネコってイメージがある。俺は、性格的にも見た目的にもネコ派かな。別に、ワンワンがキライなわけではないですが。

 ワンワンといえば、英語でイヌの鳴き声はバウワウですが、ネコは何ていうんだろぅ?ニャゴー?ニャィリー。ニャリチャー?誰か教えて。
 クッカドゥードゥルドゥーよりコケコッコーのがニワトリの鳴き声に似てる気がする。

 ごめんなさい、話がそれました。っま、そんなわけで、ネコになりたい2週間です。
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そろそろ、消えてもらおうか?センター試験君?

2008-01-21 05:23:19 | Weblog
 さて、後期試験の期間です。僅かな期間ですが、…色々波乱な予感(自分以外のこととかも)。まぁ、結局どーにかなるんですけど。だって、努力は裏切らないもんっ!(笑)
 そんなわけで、またしばらく更新できなかったりします。今日みたいに勉強に飽きたら、するやもだけど。

 ってか、センター試験とかだったんだね。何回も何回も同じこと言ってますが、いいかげんあんな試験やめれば良いのに。何が良いのかわからん。医学部で使ったり、京大理学部などのかなり低いラインでの足切りに用いるならまだしも(←誰か様のお言葉)、あんまり頭をじっくり使わないで視力検査みたいなことだけで選抜すると、大学で講義になかなか出てこないヤツを沢山増やす結果になるだけなのに。何を考えているんでしょう…。
 こないだも、穴埋めやらマークの良さを語る方がいらっしゃったんだけど、それはとってもイイ問題(良問)に限るんだよね。んで、そんな問題、現実的に不可能なのに(マーク穴埋めでは)、頑なに…。自分がちょっとでも最強って思っちゃうと、何か勘違いしちゃうのかにゃ?
 そもそも、これはとってもイイ問題でしょ?って、自信をもって言う事って、おこがましいこと、なんじゃないかな?そんなんで、センター試験は好きじゃないです。それと同様に、この知識役にたちますよー、知ってないとマズイですよー、ってのも、おこがましい。それを教員側、試験作成側が頭に入れた上で、授業や試験を行なわないと、どーしてもつまらないし、双方にとって、くだらなく、しかもムダな時間が出来上がっちゃうんじゃないかなーっと思います。需要と供給の関係を、無視してはいけません。

 一方で、記述式っというのは、やりにくい。めんどくさい。採点しにくい。
 でも、だからこそ、かなりきちっとした実力をみれるのかなー、っと思うと、必ずしもそうではない。やっぱり、良問と呼ばれる問題でないと実力はみれない。しかも、範囲がどうしても偏りがち(試験時間の関係?)。しかも、やりにくい、めんどくさい、採点しにくい。

 じゃー、どーすればいいのさ?いや、だから、大学入試やら定期試験なんかしなきゃいいんだよ。

 試験は、試験作成会社という専門家に任せて「資格」のみで使い、「学校は授業だけする場所」とすればいい。これが本質じゃないかなー。たぶん、資格だけが社会的地位を決めちゃう社会になった時、かなりの人間が大学にはいかなくなると思うし、すると、くだらない大学(ってドコ大でしょう?(笑))は消滅する。
 これで良いんじゃないかな。こっちのほうが、おもしろいと思うんだよね。したら、先生にこびるアホとかいなくなるし、先生と生徒は、生徒のが偉いっていう本来の生産者と消費者の関係になるし(金払うヤツ偉いヤツ、お客様は神様)。
 「んな、教育機関がビジネスで良いのかよっ」と思う人は、やっぱ、どっかにおごりがある気がする(勉強できることに)。学問は、自分自身がして、むしろ趣味に近いモノなわけで、授業はある学問をするための本を読むための方法を伝授する場でしかない。そりゃ、義務教育は必要だと思うけど、高等教育(っまとりあえず大学からは)からは、自分自身なんじゃないかなー。ぅん。
 「っじゃ、頭悪くても東大で良いんですか?」当たり前です、もう東大に社会的地位は無いんですから。
 「っじゃ、頭悪い方が多くなるかもって事ですよね?授業中騒ぎ出したらどーするんですか?学問の発展にならんではないですか?」良い質問だ。だが、常識にとらわれてはいけない。ライブなどではどーしてる?そうだ、警備員を各教室に何人かつければ良いじゃないか。「(警備員)これ以上騒ぐなら出て行ってください」「(うるさい生徒)ひょえ~、すいませーん。」
 
 ん。こんな大学を理想としてる俺にとって、センター試験など、愚の骨頂の何モノでもない(医学部がどーしてOKと思ってるかについては、去年の今頃の記事に書いてあると思います(たぶん)ので、そちらを参照してみてください)。
 ってなわけで、悪いが、消えてしまえ、センター君。
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最強との再会の前に…

2008-01-15 03:31:43 | Weblog
 成人式だったんですね。もう、1年も経つのか~っと、思いました。まぁ、前のキャンパスにいた頃を想うと、そりゃそうだなって気になるんですけど。
 新成人の皆さん、ちゃんと行きました?特に、女性の方はお疲れ様でした。
 自分の世代の、あんなに色々な人が、一度に沢山集まる事は、なかなか無いんじゃないかなーっと思います。俺なんか、楽しくって楽しくって、仕方なかった。

 そーいえば、この4月頃に、確か、出身高校に行かなきゃなんですよ。教育実習の手続きで。あ、統計学、落とさなければ(笑)。
 んーなんか、楽しみだなー。なんかあの辺りって、全然カワラナイんだよね。あの裏道から行く、あの石の感じとか、土の感じとか、木とか。中々フラっとは行けない距離だから、ずーっと(だっけか?)行ってないけど、たぶん変わってない気がする。そんな風景を観て、1人で懐かしむだけでも楽しいけど…。
 俺と同じような性格の悪さで天才的思考回路を持った、あの超強いヤツ(笑)に、今度こそ、電話じゃなくて、会えるかな、っとかも思うし。

 っが、その前に、テストテスト。頑張るかな。
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ラーメン屋さんへの不満

2008-01-14 05:12:08 | Weblog
 あのっ、また社会風刺なんですけど…っ!
 ラーメン屋さんのお水って、なんであんな冷たいんですか?あんなものすごい冷たさを求めてる人がどこに存在してるんですかっ。

 だってさー、熱いラーメンを食べてるわけっすよ。んで、このヌメヌメって感じをぬぐうために、水飲むじゃないっすか。したら、冷たい。超冷たい。熱いの食べてるから、余計に超冷たい。
 冷たすぎて歯に凍みるみたいな恐怖に襲われ、上側の門歯に触れないように、触れないようにちょっとずつ飲む。だけど、ちょっとずつじゃ、ヌメヌメ感が取れない。がー、気持ち悪ー。
 んじゃ、もうちょっと、多めに…、つめたっ。あれ?歯には来なかったけど、口全体が冷たくって、なんかぬぐえてない。ってか、量も足りなかったか。うーん。あと、何℃かでもぬるければ…。
 
 衛生上、あの冷たさじゃないといけなかったりするんだろぅか。じゃー、まぁ、そのままじゃなきゃだけど…。それにしても、なんで、よりによって、ラーメン屋さんで、あんなに冷たい水だすんだ。しかも、ほとんどすべてのラーメン屋さんで…。あー、なんか、書いてるだけなのに、歯が凍みてきてしまった…。
 お店でた後に、いつも持ち歩いてるおーいお茶を飲めばいいんだけど、ヌメヌメ感を完全にとるためには、半分くらいは使う。MOTTAINAI!

 がー。どーにかなりませんか?ひだ○や、て○いち、てん○ゅうっ!
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アニメ例えをしてみよう

2008-01-08 03:57:08 | Weblog
 うちの母が、自分のipodを手に入れた。
 使いこなせてるのかにゃ?っとか思ってたら、holdがかからない(キー操作無効)とか言い出した。んな、アホな。どれどれ。ホイっと。やっぱかかるじゃん。ちゃんと最後までスライドさせてなかったんじゃねーの?
 が、母が触ると、また、かからなくなってしまった。ありゃ?だけど、俺とか他の人が触ると、かかる。え?なんで?

 うちの母親は電磁気力が強いからか知らないが、昔っから、こーゆー電気機器を触っただけで壊してしまう傾向がある。なんなんだ?いったい…。特殊能力か?まったく使えねーけど。
 実は、うちの母親って、ドラゴンボールで言うところの「気」が、スターウォーズで言うところのフォースが、幽遊白書で言うところの霊気、妖気が、るろうに剣心で言うところの剣気が、ドラゴンクエストで言うところのMPが………、密かに高いのか(さすが、なんとか動画を見つづけた冬休みだけあって、アニメネタ多いな…(笑))?ほれほれ、自分の力に気付けてないみたいなー。
 なーんだ、こんなとこに、師匠がいたのか。師匠、弟子入りさせてください。そして、幽白で言うところのレイガンくらいを、ドラゴンボールで言うところのかめはめ波くらいを、打てるように鍛えてください。

 なーんて、冗談を言って笑い合っているうちに、ついに母専用のipodのholdは、誰がやってもかからなくなってしまった。どーすんのよ。ヲイ。
 どーにかしろよ、御剣流とかで。
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2つの大きな塔

2008-01-05 12:37:30 | Weblog
 今、きっとちゃんとしたのは最後になるであろう数学の練習問題をプリントアウトした。まさか20歳になってまで、「練習問題」をやるとは思わなかった。だけど、いざ別れるとなると、人並みに淋しいもんだ。
 この練習問題だとかドリルだとか演習だとかってのは、日本独特らしい。詳しくは知らないが、とにかくそうらしい。だとしたら、日本はかなり時間のかかるアホなモノを好むんだなーっとか一瞬思うけど、少し時間が経つと、手を動かさないで西洋人達はどーやって基礎科目を理解するんだろう?とか思う。

 学問において、理解ってのは、まだ、完成形からは遠い。頭で理解しただけでは、受験で言うなら「弱い」、大学生で言うなら「BかC」、つまりまだある事柄をマスターする第1段階に過ぎない。
 第2段階は、体が覚えている状態だ。部分的に考えるなら、手が覚えるでも十分言葉として伝わるだろう。この第2形態になると、問題を解いてると「勝手に手が動く」、「考えなくても、なんとなくわかる」って状態になる。ある意味危険な状態。ひっかけ問題とか出されると、見事に引っかかる。だけど、ここまでになるには、ドリルでいっぱい演習をしておかなければいけない。
 第3段階は、ひっかけの傾向を知り、ひっかからなくなる状態。例えば試験などで、通常の問題は手が勝手に動き、ひっかけ問題は頭で考えるようになり、自分が確実に解けない問題には手をつけなくなる。ここまでくれば、もう、マスターであろう。
 だが、厄介なことに、人間には第4段階ってのがある。それは、自分が第3段階まで積み上げたある1つの学問に対して、相手も第1段階の「理解」くらいはあるだろうと期待してしまうことである。はっきり言えば、専門バカってヤツだ。ひどくなると、すべての人間は、このただの1つの学問を、自分には及ばないまでも誰もがある程度知っているはずだ、このくらいも知らない者はバカ以外の何者でもない、っとか思うことまである。
 この第4段階を克服する事はとても大変である。まぁ、実は、なかなか第2段階に行くのも大変だが(俺も普段、第2段階の2歩手前で試験勉強を止めてしまう。第3段階までいったのは、受験物理のみ。そんな学問は実際には存在しないのだから、第3段階にいったことはないと言っても過言ではない。)。第4段階を克服するのは、頭だけではなく心までも必要になる。他人の立場、他人の状況をどれだけ考え、どれだけ思いやれるかということだ。
 克服するのは難しいが、第4段階に入らない事は、そうでもないかもしれない。これだけの優しさをもって、日々努力すれば良いだけだから。ただ、第3段階にいってもないのに、第4段階的な価値観を持っている事が、ホントは多いんだけど。

 他人をわかるってのも、同じような論理が組める。心においても、同じような事がいえる。
 第1段階が、頭で相手の事を理解する。
 第2段階が、カラダで感じ取れるというレベル。つまり、相手の喜びに対して心から笑い、相手の哀しみに対しては涙を流すというレベル。しかし、これも「ひっかけ」に引っかかりやすい。
 そのひっかけをなんとなく見極め、なんとなくホンモノがみえるレベルが第3段階。
 もぅ、感覚的な直観(直感ではない)が確実な頼りになる時点で、かなり学問より面白い。しかも、たった1人でも第3段階まで来れれば、他の人に応用するのは、ゼロスタートではない。やっぱ、学問(思考)より、心(感情)のがおもろいかなぁ。

 2つの塔とも、立派に聳え立ったのなら、もう…。っま、あと1000年はかからーな。
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おっす、2008年君っ!!

2008-01-01 04:31:16 | Weblog
 年賀メールを出した。数々のとても誇りに思っている友達、先生、先輩に。
 今、とっても、幸せな気分。こんな幸せな気持ちで、新年を向えるのは初めて。2008はきっと、超良い年になる。2007もかなりスゴイ良い年だったが、それ以上かもしれない。
 
 自分には偶然にもこんなにも信頼できる人物が周りにいること、その数を増やす起爆剤を自分自身で持っていることが、とっても幸せ。俺は、普段、どちらかと言うと、孤独タイプな気がするが、くだらない仲間や集団に囚われすぎてない分、ホントに信頼し合っている友達が沢山いる。家族同士も仲がいい。
 そっちのがいいや。
 いくら、知らねーヤツに、あいついつも孤独そうっと思われても、集団(グループ)っていう言葉でくくられて不便になるより、ホントに信頼し合っている人たちがいる(存在している)ほうが、全然いいや。

 みんな、本当にありがとう。俺が心の拠り所にしている人達は、俺にとって世界中で絶対に死んでほしくない人達だ。わがままでも勝手と言われても、良い。俺は、彼等と自分のために、戦い、必ず勝つ。そうでない限り(つまり、まずは自分の本当に好きな周りの何人かを守るというところに立たないと)、神でもない人間が、世の中を平和にはできないのかもしれない。
 彼等は、数々の戦いで、いつも的確な指示を出してくれる。それは、絶対的に俺に味方になってくれるよりも、上を行っている。人格の否定と意見の否定は確実に違うと、みんな知っているからだ。彼等も今もどこかで戦っている。

 戦うと言っても、もちろん暴力以外でだ。俺の場合は、主に言葉。
 言葉は最強にして最大の武器であり、最強にして最大の防具である。
 2007年は、今まで使い慣れていた言葉ではなく別の種の言葉(英語)を使用する頻度が高かったが、案外、この重装備をしなくても、思いだけで相手に伝える事は可能なのだっと気がついた。確かに、日本語のほうが、時間的に早いし、ほとんど負けないが、俺は、英語で喋るくらいが、討論するにはちょうど良いかもしれない。重装備していない分、早く動けるし、直接俺の拳でぶつけているから、伝わりやすかったりした。今年も続けようと思う。英語力アップのためでもあるけど。
 っが、あんな、individualismとcollectivismを討論したりだとかいう授業は、他にあるのだろうかぁ…(?)。やっぱ、2007も偶然が重なりまくった、すげー年だったと気がつかされる。

 そんでもって、昨年は、最大の武器である言葉は、俺が使うととても鋭いモノであるとも気がつかされた。だけど、大人ぶってもいれねー、相手を見下すよりは、やっぱ本気でぶつかろうと思ったりもするけど、まぁ、ほどほどにね。この辺は、まだ考え中。ん、どんな相手にも全力を使うってのもどうかと思うし、でも手加減するのは同じ人権を認めてない気もするしねぇ。状況かな~。

 
 今年の目標は…そろそろ恋でもしてみますか(笑)。普段から、あんまりにも他のいろいろな事を考えまくっているから、そんな暇がないのが現状だったりしますが、うん、でも、なんとなく、恋いしたい(←マジキモイ(笑))。
 うーん、マジメに考えますと「継続は力なり」っをきちんと最後まで試す、かな。かなり難しいけど、今、また、ある新しい目標に向かっている歩いています。この目標は半端なく遠い道のりだけど、頑張りたい。少しずつでも。俺の総決算な気がするし。あ、音楽界的にも、超頑張りたいなぁ。今年は、また、何か新しいことを始めてもおもしろいんじゃないかっと思ってます。

 そんな感じで、2008年もよろしくっ!
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