たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

一体系におけるホンモノ

2011-06-08 01:16:44 | Weblog
 論理的な展開をしていって、とりあえず解が出たけど、その答えが不安になってきちゃったら、やることは決まっている。まったく別の方法で答案を考えてみることが大事。
 例えば図形問題なら思考の流れは簡単で、とりあえず幾何学的に解けたから、じゃぁベクトルでもやってみるか、って確認してみれば良い。

 汎用性があったり、とっても一般的であるんだったなら、条件を極端にして、定性的に正しいかを考えてみるって手もある。
 けど、普通みんなが知りたい系ってのは、特異的な条件下の物理学のみだと思う。

 実際には、測定方法や実験装置を変えてしまえば良いのだ。それでも前と同じような物理系が観察されるのだとしたら、それは、きっとホンモノ。
 実験には、どうしたって、個性が付きもので、その個性は主に方法や装置に依存している。観測する上で絶対に拭うことのできない系統誤差から逃れるためには、いくつかの装置で試すことが必須だ。絶対に正確だって思っていても、結構幻想で、多くのストップウォッチには3%、ほとんどの電流計には5%ほど、系統誤差が含まれているとされている(たしか(笑))。

 測定を繰り返すだけで低くなるランダム誤差なんてカワイイもんだ。同一の方法や装置を用いている限り、系統誤差は繰り返しでは拭えない。
 つまり、回数さえ重ねればイイと思っているヤツは多いけど、どんなに回数を重ねたって、ホンモノは見つからないってこと。ちゃんと理系で習うことを日常に当てはめられるなら、こんなこと簡単に理解できる。

 自分自身を装置と見なしたとき、使えるモードは、大きく3つ。思考と感情と直観。
 今まで、このページで、この3つのモードで結果が異なってしまうことばかり議論してきたけど、3つが同じ結果になっていれば、間違いなくホンモノ、こんなに嬉しいことは無いと思う。

 今現在、この基本モード3つの解がすべて同一じゃなかったとしても、未来に同じになる見込みがあるんだったら、ぶつかっていけばイイ。
 っま、そうなるのは、たいてい、感情や直観でGOサイン、思考でストップの場合かな。
 逆に、直観が習慣によるモノだって見抜いてくれるのは、思考だ。

 この3つは対等だけど、重要度が増せば増すほど、最初は思考以外で動いたほうが良いんじゃないかなぁ、って思う。どうでもイイ事は思考にしといたほうが得策なんだけど、本業のことなのに、扱っているうちに、だんだん好きになっていきました、ってのは、なんとなく信用できない。
 それでも、、ってんなら、いちいちちゃんと、思考によって得られた言葉を自分の心に飲み込むことが大事になってくる。自分自身を自己矛盾なく解かないとっ。

 3つのモードでのそれぞれの測定結果が共通になるまで、そりゃ多少は努力しないといけない。
 だけど、自分自身ってのは、生まれてきてからずっと使ってる、一番扱い慣れている実験装置なんだから、そこまで大変じゃないよっ。

 一体問題である、そこまではね。
コメント
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