たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

決定を先延ばすデメリット

2010-10-31 02:24:37 | Weblog
 ≪ここまでの授業内容でだいたいの簡単な微分方程式の解き方を紹介してきました。さて、演習問題をやってもらうわけですけど、いろんな解き方がありますが、、あの、何でもそうですけど、例えば、野球でも、音楽でも、最後の最後まで決断を引き延ばせるのが一流なんです。打つ直前、奏でる直前まで、決定をしない。そんな解き方をしましょうね。≫

 その時は意味が分からなかったけど、今はとてもよくわかる。非常にその通りだ。可能性を残しておく技術はとても大事で、決定を急がないスタイルは大切だ。
 チャンスを後に持ってくるんだ。

 『あー、だから、偏差値が高いほうが、どうしても、決定は先延ばしされることになるんだよねー。それは良く覚えておいた方が良いよ。
 例えばね、18歳の時に、理容専門学校に入ったら理容師になるしかなさそうだけど、東大の理科2類に入ったら、医者になるか、研究者になるか、、文系就職もできるし、何になるかわからないからねー。』

 偏差値くらいアテにならない数字でも10も違えば、統計的にかなりの効果が表れてくる。
 もちろん、場所に依らず、いつも自分次第なんだけど、知らない場所で風当たりが強いと、ただ生きてるだけで強くなれるし、そして、決定を後に引き延ばせる。これは、大事なことだ。

 まったくの新しい環境で生き抜くには、反射神経がモノを言う。違う環境ほど、決定はいきなり求められるから。
 そして、慣れてないことをするときも、割といきなりの対応に迫られるし、逆に突発的な攻撃が仕掛けられないといけない。続けて何度かボールを打ったり、打たれたり、忙しいけど、楽しいかも。

 ≪それから、もうひとつ。すごく考えて解けるのと、何も考えずに手が動いてスラスラ解けちゃうのだったら、後者のが偉いですから。
 自然にできる、やっちゃってる、ってのは、高級なんです。≫

 言葉は脈があるから意味がある。切り取ってみたら正しそうだったけど、やっぱり、それ、、どうかな?ちょっと違うんじゃない??
 いや、まぁ、あってるかなぁー。

 「だから、なんで、そんなにあせるわけ?ちょっと考えれば、時間はたーっぷり残ってる、ってわかるじゃん。」
 『うーん、、だって、取られちゃうかもだから。』
 「あー、それなら、わかるわ。」

 別に、高級かどうかは、どうでもイイや。だから、それを高級と定義しても異論無し。
 時間変化する系がほとんどなんだし。

 初期状態を含めて時間依存性無しを求めるほどでもないと思うので、結果として、定常状態になれば良いんだと思います。
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自分で空気を作るメリット

2010-10-30 00:52:30 | Weblog
 空気を読む、って言葉があるけど、自分自身も空気を形成する一人であることを決して忘れちゃいけない。
 例えば10人の集団だったら、全体の1/10は自分が支配すべき空気。しかも、その1/10で、とてつもなく濃い空気が形成されていたとしたら、かなりの空気を自分の思い通りの空気にできるはずだ。
 だから、場所が悪い、ってのは、言葉に騙されない限りは、イイワケでしかない。どんな場所でも、少しずつでも変えることができるはずだし、みんなで楽しめるはずだ。

 その、改善の兆しが、変化の兆しが、ちょっとずつ感じられるとき、ホントに泣きそうになる。やってみて良かった、これで少しはみんなで楽しめるようになってきた、って感じられるのは、とても嬉しい。
 ただ、それくらいで現状に満足してちゃいけない。まだまだ、今できることは、目の前に沢山あるし、そういうことをひとつひとつ、きちんと扱っていくことで、言葉に騙されている問題の元凶をも、くだらない世界から楽しい世界へと助け出すことができる。こっちのが面白いだろ、ってね。

 俺が、より良い状態にさせてあげたいのは、どうでもいい人じゃない。もちろん、結果的にどうでもいい人が報われれば、それに越したことはないけど、一番、努力が報われて欲しいのは、一番、気にかけているのは、好きな人、そして嫌いな人だ。
 そのあたりが、かなりのIndividualistだけど、やっぱりこっちが基盤になっていないと、楽しくない。collectivistにはわからないだろうけど、俺は、どうでもイイ人は、どこまでいっても、どうでもイイし、どうでもイイ人にどう思われても、想われなくても、どうでもイイから。

 離れることを望む前に、どうでもイイ人以外の人が、より楽しい環境になるように、努力するべきだと思う。
 今はもう、、わかっている。そして、必ず、そうなるはずだ。
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明日世界が終わるなら

2010-10-29 00:54:16 | Weblog
 今いる場所がどんなに大変でも、未来が楽しそう、って思えれば、それなりに頑張ることができる。
 本来そういうモノにこそ、とても楽しいことが存在するはずだし、
 『俺さぁ、一番楽しい時って、少なくとも、お酒が入ってない時だと思うんだよね。』
 手っ取り早い楽しさには、それなりの裏の顔が存在する。どんな実質的な副作用よりも、もっと楽しいことを我慢して待っていられないという部分が、一番大きな副作用かもしれない。

 そうかといって、何かの言葉を得るためだけに、我慢して我慢して、ってやってると、いつまでも楽しくなれない。だんだん、言葉を得ることが目的になっていってしまって、言葉を得た後に勘違いに気がつく。1日1日が楽しくないのに、何かの言葉を得た瞬間に、いきなり相転移して楽しくなるなんてこと、ありえないって、やっと気がつく。

 だから、より楽しむために窮屈なことをやることすら、どうにか楽しむ方法を見出すってことを、若いうちに学ばないといけないと思う。60過ぎて、そう思うんじゃ遅すぎるから。
 頑張ることも楽しくないなら意味が無い。今も未来も楽しくて、やっと成立するのだ。

 っと、なんだか難しいそうですが、、すごく、手っ取り早い、しかもこの手っ取り早さには副作用が無い、唯一の改善手法としては、みんながみんな、素直になれさえすればイイのだと思います。
 すごく純粋な気持ちを大切にしてみれば、何が大事で、何がくだらないのかわかるはずだし、手法によって、すれ違ってしまうことは一切なくなる。
 そして、毎日楽しくて、しかも邁進できる。

 それも理想論で、現実的には難しいけどね。
 嫌われたくないし、変だって思われたくないし、何より、自分だけがその気持ちがあったら、って思うと怖いから、だから、ぼかし路線で、Majorityなフリをしてしまう。
 いきなり変わらないんだったら、だんだん、少しずつでも。。

 みんなで、せーのっ!、で、素直になれたらなー、っといつも思っている。
 もし、明日世界が終るんだとしても、最後の最後まで素直にならないような、ズルい人にならないようにしなきゃね。楽しむために。
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Best Friend's Girl

2010-10-28 01:32:14 | Weblog
 信頼関係は、きっと、優しさから生まれる。
 でも、その優しさを提供するためには、必ず、自分が損しないといけない。自分が損しない程度の優しい行為は、全部、仕事だったり、当たり前のことだったりするだけだ。

 ただ、自分が損するってのは、そんなに深刻なことじゃなくて、本当にちょっとしたことで出来る。ちょっと歩み寄ったり、自分が他の集団に対してちょっとだけ恥ずかしいとか、自分に対しての本当の意気込みから嘘をついたり、そんなもんだ。

 そんな、ほんのちょっとの譲歩が、結構、できない。
 上の人に何か言われたり、同期でも何か言われたりするのは、許されるのならば、避けたいし、何より、自分の信念みたいなのを曲げるのはイヤ。だけど、きっと、時が経てば懐かしい思い出に変わるような、ありふれたことで、どうでもイイ事を、大切なこと以上に大事にするのは、無駄な気がして。

 行く先の無い情熱を持ちながらでも、その副産物だけで、かなりのホンモノを手にすることができる。
 ふっと、そこで自分が一歩引いて譲歩することで、そっと、演技したり本音をばらすことによって、もっと、大きな一歩を踏み出せる。しかも、自らの力で動いたことにもなるし、余計な感謝の気持ちをもらわなくて済む。
 んね?優しさは、感謝もされない、損する行為、であってるでしょ?

 こういう行為をしてくれた人が周りに多かったから、俺もここまで楽しんで来れた。方向性を持たない情熱だったのに、いつしか、心から、はしゃいで話せるようになっていった。
 今度は、俺自身が、それを還元すべきだと思うし、演技力は、こういう事に使うから意味がある。口にしたらその途端に消えちゃいそうな演技は、全部、要らないのかもしれない。

 見た目よりずっと臆病だから気づかれたくない、ってのは、あるだろうけど。

 (三代目J Soul Brothersのデビュー曲となった「Best Friend's Girl」。オーディションの課題曲が松尾潔の作詞・プロデュースって、10年前とやってること変わんねーじゃん、っと思ってたけど、それこそ「最後の夜」よりも良いかも。最近、この曲ばっか、聞いたり、ピアノで弾いたりしまってます(原キーのG♭調は黒鍵ばっかなのでF調で(笑))。
 なんか時間が経つと、色々と変化する曲だなっという印象です。最初聴いた時は、またこういう微妙な恋愛の曲を書いたのかっ、っと思ったんですけど、フルで聞いてみると、また違う印象を受けました。
 実は、すごく純粋な気持ちを歌った曲だと思います。「Best Friend」がヒトに限らないならばーぁ♪)
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罪作りな視線

2010-10-27 00:41:34 | Weblog
 ココ最近は、赤ちゃんが視界に入ってくると、ドキドキする。

 なんか、赤ちゃんが視界に入ると、ほぼイコールでガン見されるんです、僕。そんなに俺が変か?
 なので、笑ってあげようと思うのですが、周りの目が気になって、ちゃんと、できない…。なので、超微妙に笑顔を一瞬だけ作ると、どの赤ちゃんも、その一瞬を見逃さず、微笑み返す。
 して、また、いきなり無表情になると、下手すると泣かれてしまったりもするので、とっても微妙で緊張感がある空間になっちゃうのです。

 はぁ、そして、また昨日も。。っとか思って歩いていると、ものすごい視線を感じることになる。

 なんと、ネコに三度見された!
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ヒントだらけ

2010-10-26 01:43:13 | Weblog
 ≪…それくらいの気の使い方しといたら??≫
 『そうだね。確かに。。』

 心に飲み込んだはずの友達の言葉は、実行されなかった。途中まで発現された生成物は、もっと別の、大切だと思うことに使われてしまった。
 優先順位の異議申し立てに、却下、っと、理想を伝えることもしないまま、曖昧な、ぼやかし路線に逆戻り。
 気持ちがわかることと、それについて何かができることは、かなりの別モノだって、まだ知らなかった。インプットは出来てても、アウトプットが出来てない。

 まぁ、まだ良いほうだけどさ。
 だって、インプットはできているんだし。ヒドイと、インプットもできない。その環境にいただけで、それは大丈夫って、自分のできることだって、勘違いしていることだって多いんだし。
 経験しただけじゃダメなのに、、そこからいかにインプットしまくるか?、なのに。。

 経験に縋りすぎると、言葉で何でも誤魔化せるような錯覚になってくる。確かに、言葉では、なんとでも言えてしまう。でも、だからこそ、切ないのだ。
 言葉ってのは、因果関係や関連性が存在し、心に飲み込んで話すからこそ、意味が出てくることを、誰も、決して、忘れないで欲しい。言葉に騙されないようにしないと。

 かといって、じゃぁ行動で判断すれば良いか!、というと、それはそれで、遠かったりして。。
 だって、例えば、最後の反応「行動」をしなかっただけなのに、そのせいで判断できなくなっちゃうのは、やっぱダメじゃない??

 じゃぁ、この辺は行動と言葉と半々かな。
 言葉の表面上だけをすくってインプットするなら、いつまでも分かりゃしないけど、どんな人の、どんな言葉でも、逆関数を1つか2つ、かませてやれば、結構、全員、わかりやすい気がするし。俺自身も、そうされていて欲しい。
 (関数2個くらい、いっつも、かませて発言してるくせに、自分は他人に対して本質を考えない、なんてワガママ。)

 言葉の裏側と、行動そのものの2つで、総体的に、判断すれば、良さげ??

 うーん、やっぱ、それも、なんか違う気がします。笑
 ただ、何でも考えてみることはイイ事だと思いますけど。こんなにもヒントだらけなんだし。
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ホコリは無視しよう

2010-10-25 03:06:58 | Weblog
 言葉に惑わされている限り、どんなに言葉を得ても、きっと満足はできない。

 色々な手っ取り早く手にできる楽しそうなモノを我慢して、献身的に努力して、他の人から羨ましがられる言葉をついに手にした、その瞬間、世界は変わる。自分は、どんなことでも、この先、やっていけるような、そんな錯覚に陥るのだ。
 自分が手にした言葉でも、誰かとの言葉でも、アドバンテージの証明書代わりの言葉でも、どんな言葉も得られた瞬間は、すさまじい満足感が得られ、世界がまるで自分のモノみたいな感覚にとらわれる。

 でも、ふっと、現実に戻る時、そこからとてつもない不安感に襲われる。実際は、ここからが、本当の勝負の始まりなのだ。
 ここで、いつも、目の前に2つの道が用意されている。今得たその言葉に縋りながら、今まで努力したことで自信を持ち、自分には特別な才能があるんだ、って勘違いをしながら、そのステージの中を生きるか、何か新しい価値観やもっとスゴイ目標を見出して、その感情の思うままに、再び努力したりチャレンジしたりしてみるか。
 別に前者が悪いわけでもない。いつも何かを追い求めることが、必ずしも良い事では無いからだ。だけど、前者を選ぶなら、少なくともその世界では「過去の人」になっていってしまうことは間違いないと思う。

 言葉を持っていることはホンモノを見失うことにはならないけど、言葉に縋ってしまった瞬間に、あなたからホンモノは逃げていく。
 だから、がつがつした目標を捨て去って、身近な部分の大切さを取った人のほうが、少なくとも、言葉を得た後は何にもしません、っという人よりは、偉大であるのだ。

 何をし続けたいか??
 それが大切で、言葉を得るだけなら冷酷になればイイ。だけど、それと大切なこととの、カケヒキ計算はしないで。
 圧倒的な、無限大と有限値の計算みたいな計算手法しか、ありえないはず。

 ∞に比べて、有限値はホコリのようなモノ。では、ホコリは無視しよう。
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生涯現役

2010-10-24 05:48:16 | Weblog
 『だってさぁ、こっちは、こんなに、フルタイムで考えてて、それで、なんで、そういうこと言うかなー、って思うんだけど。。』
 「誠意が無いってこと?」
 『うーん。そういう訳でもないんだけど、、なんてーのかな、適確すぎる。』
 「あー、それは仕方ないよ。だって、どんなにK君が考えても、向こうは片手間で同じ以上に出来ちゃうわけだし。」

 その、ナメてる感じが気に入らない。俺は、どんなことでも、本気でいたいし、本気で答えを提出し続けたい。
 確かに、向こうが真剣にやっているであろうことを、俺が片手間にできちゃうと、すごく気分は良い。でも、ただそれだけで、なんにもならないから、意味が無い。
 本気で、ちゃんとやってる人間が、どんなことでも一番偉いと思うし、そういう相手に対しては、ちゃんと敬意を払わなきゃだよね。敬意を払う、イコール、こっちも全力ってことだ。

 ≪あのねぇ、高橋君、一番忘れちゃいけないことなんだけど、研究は、やってる人、ってのが、一番エラいわけ。それ以外の、先生だとか、フォローする人間は、確かに必要ではあるけど、基本的には、毎日手を動かしてる人が一番エラい、って僕は思うんだよねー。ちゃんとやってる限りはね。≫
 『おー、マジっすか。でも、なんか、納得できないですねー。先生は、確かに、本当にそう思われていそうですけど、今、それだけの権威がある中で、過去に、毎日、そんなにロボットみたいに手動かしてる生活があって、どこでどう、最初の、そういう気持ちを忘れないようにできるんですか??』
 ≪それは…≫
 (略)
 ≪だから、まぁ、できるよ。≫
 『あー、それなら納得できます。わかるような気がしました。』

 生涯現役ですかっ。かっけーな。別に研究とかに限らず、俺もそうなっていきたい。

 ゲームを始めることも終わらせることも、言葉を持ってる持ってないに関係なく、真剣な人間にだけ選択権がある。だから、ちゃんとそっちから口火を切って終わらせてっ、っと、意味の無い抵抗をしてみたり。

 そうなられたくはないし、何よりもホンモノじゃなくなるのが怖いから、今、この日常の中にある色々なことに対して、きちんと、いちいち、全部、真剣で本気でありたいと、こんなんでも、心掛けている。
 思考も、感情も、行動も。
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把握したがりにならないで

2010-10-23 14:00:11 | Weblog
 『…じゃね?やっぱ、こうなるよ。』
 ≪うん。俺もそうなった。≫
 「OK。じゃぁ、これで間違いないな。」
 『そんなん、まだ、わからんだろー。ちゃんと計算してるわけじゃないんだし。』
 「いやいや、うちの大学生3人が出した答えはあってるんだ、って。まぁ、自然科学については。」
 ≪何それ?笑≫
 「先輩が言ってたんだよ。1年生のときの実験で。」

 なんとなく、わかる気がした。ただ、任意のことについて、どこの3人でも良い気がするけど。3人寄れば文殊の知恵、って言葉もあるし。

 俺は、この言葉を、意識するときがある。そこに集まっているのが誰であっても、3人以上が一致した意見については、本当である可能性が高いのだ。逆に、1人でも一致しないと、やっぱどっかに穴があるのかな、って思っちゃう。
 だから、自分がまとめているときは、特に、自分と誰かの2人だけで議論がなされないように気をつけるし、わからないことにぶちあたったら、なるべく自分以外の2人以上に訊いてみることにしている。

 まぁ、だからって。。
 真実を知りたい、とか、本当の部分がわかりたい、ってことは、実は、予想を遥かに超えて、非常にくだらないことなのかもしれない。そのために、一番イヤな役にあえてなることも、そのせいで、誰かと悲しくなるのも、なんで、自分たちの思考力にそこまでの自信が持てるの?、ってなってくるし。
 だったら、確かに、、むしろ、共感したい。

 そういうことに気がついたのも、他人の立場に実際に立ってみて、初めてわかることだった。他人の立場を想像すれば、正しい真実を想像できて、必ず理解できるものだと勘違いしてたのだ。
 想像することは大事だけど、その想像力や思考力、解析力に、疑いの心を持って系を扱うことも、また、とても大切なことだと、今は思う。たとえ、何人かで、提出した答えでも。
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ダークサイド

2010-10-22 03:40:32 | Weblog
 切り札は、最後まで、誰にも見せない。それが必勝パターンの基本。

 切り札のカードが人だったとして、やっぱり最後まで見せない。どんなことについてでも、本当の自分の重要人物、キーパーソンは、あんまり見せないし、教えないもんだ。
 そして、3枚以上、手に入れた段階で、1枚だけ見せる。こうすることによって、何枚もあるかのように、錯覚をさせられるからだ。

 こうやって「予備の予備」を準備することは、慎重に行動するときには大切。1枚の切り札が偶然手に入って、それで満足をしちゃダメだ。重要なカードは、自分の足で手に入れるもんだから、とにかく動いて、カードを取りに行く。
 まるで、7並べで、カードを止めるように、少しづつ、崩してくのだ。

 っとすると、自分の動く条件がどんどん狭くなっていく。4枚で動こう、今、5枚で2枚見せちゃってるから、あっ、でもこっちの人には別の3枚を見せてるから、こいつらが繋がっていると、1枚も切り札が無いなぁ。
 しかも、相手も同じように動いているから、向こうの出してきてるカードを、この部分の本音のカードで除去して、っで、あと2枚残ってるから。。

 ここまでくると、考えすぎ、っとは、ちょっと違う。慎重、、ともちょっと違くって、ただの計算ヤローだ。そして、ここの腹黒さ(っという言葉に少し違和感があるけど、大抵の人は、こう定義すると思う)は、理系としては、確かに、即物的には楽しい。
 ただ、いつまでも、こんなダークサイドでいると、どんどん、それが自分自身になっていく。自然にそっち側の思考をするようになってくるのだ。

 『じゃぁ、こっち側から、こういう条件で、、だったら、どう??』
 「うーん、、っていうかさぁ、ごめん、これは明らかに僕のせいだけど、どんどん無難なK君になっていくよね。」
 『あー、まぁ、そりゃ、そうじゃん?』
 「この辺は、応用範囲だけどさ、気持ち依存だけで動く瞬間も、かなり大切よ??」

 っと言われてから、今度は、気持ち依存で動く作法を学ばなきゃいけないと思っていた頃よりは、マシになった??

 だから、なーんにも考えてない瞬間ってのは、案外大事で、リラックスしている状態の時に、重要なことを追求する方がイイのかもしれない。
 ほら、無心のときが一番実力を出せる、って言うし。

 っま、でもでも、実質的に負けない、ってのも、それはそれで結構大事で、言葉というのは、たかがとされど、半分半分くらいで、重要度を持っているのが良いと思う。
 精神的に負けるのもつらいけど、実質的に負けると、イコール、精神的に負けることになる(∵具象化されていることは自分に内在することに影響を及ぼすから(ex.カラ元気も元気のうち。))。

 だから、真実が明らかな場合は、嘘ついて、わざと勝たせてあげる、こともあったり。
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待ってあげる気持ち

2010-10-21 03:29:19 | Weblog
 自分は大勢の中のたった1人の存在であることを自覚することは難しい。
 そんな事実を、定量的にも定性的にもきちんと自覚でき、それに伴った行動ができれば、集団のコントロールを自然と任されるようになる。この特殊能力は、非常に酷なことに、すべての教員や博士号取得者達に要求されていると思う。

 ≪個人練(個人練習)する意味って、どれくらいあるかなー、って思っちゃうんだよね。。≫
 『簡単だよ。うちはメンツ4人でしょ、だったら、単純計算で、全体の1/4。自分が、全体に対して、1/4も寄与できるんだから、かなり練習する意味があるんじゃない??』
 ≪まぁ、確かに。≫
 『もっと言えば、ライブにでるのは、総勢40人くらい??だったら、1/40の寄与になる。実際にはもっと高い割合の寄与になるはずだから、向上する意味は、かなりある。』

 そんな風にして、自分の頑張りの価値を知り、実際に、今、自分は何ができるか?、を考えて行動できれば、案外それだけで、リーダーシップの基本はできているのだ。
 これを他人についても、他人の立場に立ち、他人の感情や思考を想像して、行動できれば、かなりのリーダーシップになる。慣れてなくても。

 環境依存性はかなり強くって、本当の意味で、こういうことができているかどうかは、どんな系のどんな人でもあやしい。本当にこういう能力がある人は、場所に関係なく、リーダーシップがとれるはずだ(何人かしか見たこと無いけど)。
 日本でも外国でも関係ないし、進学校の中でもコンビニの前に屯している高校生達とでも、先輩も後輩も、ほとんど関係ない。言葉による絶対的な役割は存在するけど、事実上では、関係ない。

 目指すべき方向は、言葉にとらわれない、そっちで、この環境ならできる!、は一番ダメなイイワケ。
 っま、俺も、そのイイワケ、使っちゃうけどね。でも、ダメなコトってわかってるだけ、マシでしょ?
 ここがダメだってわからないと、どんどん狭い価値観になってしまう。

 「…って言われてさー、最初、冗談だと思ったんだけど、マジだったみたいで。。」
 『あー、マジか。。思うだけなら良いけど、言っちゃうんだー。』
 「俺も、思った。言っちゃうんだー(笑)、って。」
 …
 『まぁ、やっぱり、かわいそうだ、って思ってあげたら?大人ぶって。』
 「大人ぶってね(笑)。」
 『んで、今度同じようなこと言われたら、感情に訴えかけるように、「俺のこと、そういう目で見てるんですかー。いやー、非常に残念です。」って言えば、良いんじゃない?』

 相手の発言力に負けていてはいけない。解析力をフル回転して、相手の発言→思考(読み取る)→感情→こっちの発言、っとSelf-Consistentに解き続けなきゃいけない。
 即座に解析しないと、相手の狭い価値観を、押しつけられちまうぞ。

 相手の能力を考慮して行動できるのも、リーダーシップのうちだ。
 自分自身をSelf-Consistentに解くのが自分よりも遅いんだって思ったら、待ってあげなきゃいけない。だけど、この部分は誰にでもするわけじゃない。どうでもいい人には絶対にしない。特に、本気で倒したい相手なら、たたみかけて終了。

 俺も同じように言われたことがあったけど、言葉をかけられればかけられるほど、自分の気持ちが離れていくのに気がつき、まるでいつもと立場が逆、って思っている俺の思考が、改善の可能性にかけてみたい、という気持ちに変わり、待つことを選んだ。
 それが、正しかったかどうかは、今もまだ、わからないけど。
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GOODIE MEMORIES

2010-10-20 00:07:13 | Weblog
 思い出はいつだってやさしくて、平均的な描像のイイ部分だけを映し出す。
 だから、過去を思い出したりするときに、虚像を観察している可能性は非常に高い。過去の方が良かった、って思うことのほとんどは、勝手にそう思ってるだけかも?
 特に感情ばかりぶつけ続けると、その効果は非常によく表れているはずで、あんなに冷たかった風も、なんだか暖かく感じていたような気がしてならない。

 一方で、過去の物理現象を冷静に観察すると、なんだか情けない。
 成長した今だから分かることが多すぎて、切ない苦笑いをしたりして。あの頃なりに本気だったけど、まだまだ、色々身についてなかったもんね。

 その時にしか分からないことは主として感情由来のIntrinsic Variables。未来から時間変化を観察してやっとわかることは、環境由来のExtrinsic Variables(including "Time"―We are typically Desynchronized, unexpectedly.)。

 あれ、、まるで、全部、自分が悪かったんじゃないかな??、って思うけど、知らなさすぎたんだし、仕方ないよね。そういう部分で謙虚さを持って、学び取ることは必要だけどさ。
 素直になることの意味は、まだまだわからないけど、少なくとも、これじゃダメだって、あの時も、今も、これからもずっと、わかっているし。

 ただ、それも包括して、タイミングや縁や定めが悪かったんじゃない??

 だから、終わりをちゃんと受け止め、前に進まなきゃダメな時も、ある。

 (日之内エミの「GOODIE MEMORIES」。色々なタイプの声が出せてしまう彼女の特性がよく活かされている一曲です。特に、女性ボーカルなのに、裏声に重みが感じられるところがスゴイと思います。
 この曲、確か、ライブでずーっと披露してて、シングルになったのが遅かった気がする。すごくイイ曲なのだけど、少し後ろ向きな部分が強くて、聞きたいときに、あんまりずーっと聞いてると、良くないかも。
 でも、「子どもなりに、本気だったけど、知らなさすぎたのよ~」の部分の歌詞に、色々な場面で、とっても助けられていたり。。)
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お手軽な高評価を選ばないで

2010-10-19 01:05:50 | Weblog
 環境が変われば、その人の評価が変わるのは当然だ。
 Jリーグでは凄まじく評価が高いけど海外だとダメとか、中学の頃は成績良い方だったけど高校は進学校でダメなほうになったとか。もっと単純なことだと、英検3級なら合格なんだけど2級だと不合格、とかもだね。

 環境が変わらなくっても、系は時間変化していることを忘れちゃいけない。あなたが誰かに対して思っている評価も、誰かがあなたに対して思っている評価も、対象が変わらなくっても、時間変化するのだ。
 今、すごく評価が高いと、期待されてる分は答えなくちゃ、ってなって大変?いやいや、もっと素直にならんとっ、ただ高評価が得られなくなるのが怖いだけだろ?

 誰でも、たとえ思考力が低い評価でも、高評価であれば嬉しくなる。朝の占い、暗記すりゃイイだけの定期試験、お世辞、優しいウソ。何も考えてない、即物的で、ほとんどテキトウの、手っ取り早いだけの評価でも、高評価してくれる人は、とっておきたいもんだ。お手軽な高評価を選びたくなっちゃう。
 それが、占いほどじゃなくても、高評価だらけの世界から、俺くらい真実しか言わない人間に評価されたら、なんか物足りなさを感じるのだと思う。もっと価値があると判断してくれる人は沢山いる、ってね。
 でもさぁ、だから、いっつもダメ、なんだぜ?!ダメな人間にしか高い評価が得られない事実を、賢いあなたはどう受け止める?

 時間変化したら、きっと、もっと…。評価する側も、そうだと思って当たりをつけに行ってるわけだし。今、評価されてなくても、本当に期待されてるかもしれないのに。
 でも、それでも、いくらなんでも、、っと、今、ほんの少しだけ思ったり。

 もう、系を頭で判断できるような能力を、いっそ捨ててしまいたい。しかも、それを追求していた頃に、伝えることの無難な術まで学んでしまっているから、もう何がなんだか。。
 っま、こうじゃないなら、つまらないでしょー、って思っている、楽観的な自分もいるんだけど。アホになって、感情だけになったら、それはそれで、つまらないと思うんだよね。

 「うわー、マジ頭イイっすね。そうやって伝えればイイのか!」
 『いやいや、そんなの基本中の基本だから(笑)。』
 「そんなこと無いっすよ。やっぱり、国語、勉強しないとなー。」
 『おっ!そう思うのは良いことだ。まぁ、国語じゃなくてもいいけど。』
 「じゃぁ、何ならイイんすか?」
 『別に、何でも。数学でも、英語でも、理科でも、国語でも、社会でも、なんでも。自分が一番好きで、一番得意な科目だけを、ちゃんと勉強してみようと思うだけで、イイんじゃない?』

 それだけで、世界は一変した。
 それこそ、アカデミックなもんじゃなくても、なんでも良いと思っているけど、、そんなことすら経験していない連中に、ホンモノを掴めるはずが無いと思っているから。
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また明日学校で。

2010-10-18 02:19:23 | Weblog
 先週は、新しい出会いが多い一週間でした。まぁ、新しい学期が始まったので、当たり前っちゃ当たり前なんですけど。
 今後、自分にとって、重要なアドバイスをくれるであろう人と、新しく出会う機会が多くなっていますが、いつも誰かに助言しているように、くだらない繋がりで繋がってるような関係に縋らないように、注意して耳を傾けていきたいと思います。
 だって、たった1年、たった4年、たった5年くらいの言葉の関係で、何かを見いだせるわけないから、そうじゃない時間依存性の無い部分を大事にしなきゃね。

 数々の場所で、色んな人と話してくると、精神的に強がれてるつもりでも、やっぱり自分の身体は疲れているな、って感じる。そんなとき、『また明日(今度)学校で。』って言葉を言ったり聞いたりすると、すごく落ち着く。
 言葉はこうやって使うならイイモノなのに。。小学生の頃から使い古している言葉は、精神的な安定感を取り戻してくれるのだ。

 さてっ、また明日から、いろいろ始まるな。頑張ろぅ!
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ちゃんと考えて

2010-10-17 03:38:31 | Weblog
 「その人、すごく実験が苦手な人でさー。」
 『不器用ってことですか??』
 「ううん。そうじゃなくって、なんていうかな、まずね、ある実験をしようと思った段階で、何通りの実験ができるか、計算するんだよ。」
 『あー(笑)。ごめんなさい、もう、なんとなくわかりましたー。』
 「わかる??それで、いつまでも実験しないで、したと思ったら、予想外のことが起きちゃって、あー、ってなる。」

 自然科学をするときは、考えるのと(計算も含めて)、実際に動かすのは、一対一くらいが、きっと調度良い。まぁ、計算はつまんないから、計算の時は、7(考える):3(計算)くらいかな。実験は、ワクワク感があるから、対等。

 こんなんは、日常に溢れている。
 日常になると、今度は、思考と感情と行動を対等に使わないといけない。じゃないと、何かしらで狂ってくる。感情で押しつけたらボロボロになっちゃうし、とにかく行動だと無鉄砲になっちゃうし、考えすぎると何もできないし。

 『いやー、そういうの、実験に限らず、結構多いですよ。マジで。』
 「最近のー、って言っちゃうと、歳なんだけどさ。まぁ、多い気がするんだよね。」
 『っま、それは、あってますよ。僕らの世代みてても、中高生みてても、そう思いますもん。』
 「あー、そう。やっぱり。」
 『でもね、先生、じゃー、そこを踏まえた上で、一個訊きたいんですけどー、考えすぎて何もできないのと、何も考えないでとにかく行動するのと、どっちがマシだと思います??』
 「えー、、どっちもダメだなー。』
 『そんなん、そうですよ。笑』
 「でも、まぁ、自然科学やってるんだから、考えずにとにかく行動する、ってほうが、ダメなんじゃないかなー。」

 確かに。俺もそう思う。
 だからさっ、考えすぎ、って言わないで。
コメント
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