たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

なんかイヤの真実

2012-06-30 02:32:08 | Weblog
 自分自身について、本当のところ諦めていないなら、結果を出すための行動を多角的にすべきだと思う。
 過去の栄光も、自分の習慣も、全部考慮から排除して、今のまっさらな状態から、どれほど、今できることをスタートできるか。そして、それを繰り返していけることこそが、楽しいことなのだと思っている。

 今はまだ、とか、相手は強大だから、とか、そういうことを理由にしていたら、いつまで経っても、自分の意志によって行動していくことはできない。確かに何も選択肢が無いほど能力がないなら、とりあえずは言われたことをし続けなければならないし、逆に言えば、言われたことさえやってりゃイイ、になる。

 でも、そうまでして、その場所にいるってことは、きちんとした理由があるんでしょ?
 ただ、正しい方向へ確固たる想いがあるようには思えないけどね。自分にとってはさらにもっと強大な誰かにそこにいることを求められているとか、言葉で、求めてはいないよ、って言ってもらっていても、それを辞めたら、これまでの習慣的に、何も助けてくれなくなってしまうかもという恐怖にかられているとか、すべてを貫くような想いがあるとか?

 そうこうしている間に、時間だけは過ぎ去ってしまう。
 どの視点から、誰の立場に立ってみても、完全に負けなのは、気を遣われて、薄っぺらい褒め言葉を使われることだ。いやー流石ですね、○○(先輩)さんだからこそできるのかー、わかりました!、自分もそうなれるように頑張ります!、みたいな即物的な薄っぺらい褒め言葉を、思っても無いだろって頭では理解しながらも、今や初めの頃よりも、狭くなって、しかも汚れてしまった自らの心へ、糧として飲み込み始めたら、末期だ。身も心も売っていることに他ならない。
 時間さえ経てば…、一夜漬けでどうにかなるかのように設置されている最低ラインさえ超えていければ、それで、万事上手くいくなんて甘いこと、あるわけがない。現在の問題は、多様で深い。本当の意味での慧眼さと聡明さが、どうしたって必要になる。

 そして、最低ラインすらも終には超えなくなっていく。だって、現状維持ってのは、後退を意味するから。
 だから、時間を超える必要がある。気持ちの真実を理解するための慧眼さと応用するための聡明さをもってして。

 (心が)まだ若い、感性が豊かな人たちに、関わるだけ時間の無駄、って思われないような、集団作りをしないといけない。
 いつだって、よりよく。よりよくしていかない限りは、悪くなる一方であることも、また、飲み込まなければならないことだと思う。

 『なんていうか、なんか、イヤなんだよね。』
 「なんで?」
 『上手く言えないんだけど。実質的に、上手くいって欲しいし、それが即物的に自分のためにもなりうるんだけど、なんとなくイヤだなー、って思う。』
 「俺色に染めたい、的なアレ?笑」
 『真っ白なのに?笑、無いと思うけどなー。』
 「まぁ、僕もそうだけど、K君もそういう節がある感じは、ある程度は、仕方ないことだと思うし、自然なんじゃない?」

 もしあの時に、もっともっと早い段階で、自分の感知している異変を具現化できたなら、、今、俺自身から逃げ続けなくても済むような結果になったのかもしれないね。
 それが、総体的に、イイことか、悪いことか、は置いといたとしても。
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人には7回

2012-06-27 01:30:03 | Weblog
 何か言いたいことを心に押し殺して、溜めてしまうよりも、毎日少しずつ主張した方がコスパーが良い。

 ずーっと何も言わず、ある瞬間に爆発させて、ぎゃーってなると、そのぎゃーって部分だけが伝わって、まぁそういうこともあるよね、って感じにされちゃ、実質的に何も解決にはならない。
 だったらめんどくせーなって思われても、ちょこちょこ小出しにしていくほうが良いと思う。どーせ、そんなことくらいでめんどくさいって思われるようなら、そんなのロクなヤツじゃないし、だったら、実質的に有益であるほうが良いよね。

 人には7回、って言いますから、同じことを繰り返し言わなきゃ。
 で、そのなかで、少しずつ要求の種類を増やす。

 まぁ、物理的にはね。
 それだけじゃなくって、空気占有率がどれだけあるかってこともあるし、2つ以上の心の中で本質的に、どっち(誰)が勝ってるか負けてるか、ってのがあるしね。惚れたもん負けだから。
 そうそ、完全に負けてると、要求は一切出来ないし。

 ただし、どんだけ負けていても、自分の中できちんと落とし所を決めておくってのが大事。
 それが、7回くらい、なんじゃないかなっと思う。俺は、記憶力が相当高いゆえ、きちんと数えてるけど。

 つまり、7回以上言っても、ほとんど何も変わりそうも無いなら、走って逃げろ、ってことです。笑
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ジャンプ少年を超えて

2012-06-25 03:48:15 | Weblog
 どんな関係だって殆どは一過性、10年続いたって安心はできない。
 だとしたら、相手が思い描く理想の自分になってしまったほうが、コスパーがイイ気がする。

 オーダーメイドで相手がこっちに期待している自分になることができれば、かなり出来ることは多くなる。
 かといって、相手側の理想にストレートになってはいけない。まったくもって手の届かない相手に対して、他人はあんまり助けてはくれないからだ。あくまで、自分の個性は持ちつつ、その中で人ごとに少しずつキャラを変えて、演技してみる。その人達だけで喋られても、気がつかないくらい、ホントに微量の即物的なことについてのみ可変にしておく。

 ただ、それを崩して、本当に本来の自分を出して、今度、どれほどの人が残ってくれるかという時間帯に達した時に、恐れないで崩せる保証はどこにもない。

 だったら、この人には、って人には、きちんと少しずつ方針や手法をバラしてしまった方が良い。
 いつまでも、ちょっとCグループ気質なジャンプ少年を演じていても、演じている人自身はつまらないものなんだし。

 何かの方針や手法、テクニックをバラす行為は、使う予定すらない、どうでもいい人に、する行為ではなく、信頼したいな、って思っている人に、ついつい、してしまう行為だ。
 ガチなときほど、自分の手の内をバラしてしまいたくなるもんだと思う。その相手がイヤがっていてもね。

 なんでもそうだけど、方針を共有できるっていうことは、信頼しているってことだと思う。
 変化を恐れずに、それを確かめるくらいは、簡単なことのはずだよね?

 現実に諦めているフリをしている一方で、本当は、一過性ばかりじゃないって、期待しているから。
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素直に本音で話せれば

2012-06-24 06:33:29 | Weblog
 なぜCグループ(Nonリア充集団)の人はCグループ的な行動や趣味をわざわざとるの?って疑問に感じた事は無いだろうか?

 もちろん自ら進んで、Cグループ行為が好きな人もいるかもしれないけど、だいたいの人はマジョリティに向かって、ランクアップを狙うんだろうから、好きでも無いことならわざわざCグループ的なことをしなくてもイイじゃないか、って一見思う。
 だが、状態変化における安定性を加味すれば、その現象は説明できる。つまり、Cグループにすら所属できないという、非常に恐ろしい事態を避けるために、彼ら彼女らはCグループ的な行動をしなければならないという強迫観念に駆られる。これはCグループに限ったことではないが、Cグループでは後が無いだけに他のグループよりも顕著に現れる。

 CグループからBグループ、そしてAグループへとランクを上げていくための反応として、大きく2つのことを考えなければいけない。

 まずは、Aグループ、Bグループ、Cグループがそれぞれ独立にもつ安定性を考える、いわば熱力学的な支配だ。
 そもそものグループの性質・気質として、Aグループに近いほうがポテンシャルエネルギーが高く不安定性も高い。明日は誰がリーダーなのか、何が流行るのか、いつ先生や先輩から怒られるかもわからないのがAグループの特徴である。Bグループも、Cグループから観れば同じようなものだから、この熱力学的な支配を恐れずに、ランクアップする反応を進めなければならない。

 次に、各グループ間にある活性化エネルギーを考える、いわば速度論的な支配。
 Cグループの人がBグループへとランクアップするためには、Bグループにいる人のポテンシャルエネルギーの平均値の1.5~2.0倍くらいはポテンシャルエネルギーを一時的に高める必要がある。この速度論的な大変さに負けて、変化出来ないCグループ、Aグループは多い。

 今のダサいグループから抜け出ようと本気で想っているなら、とりあえずの処方箋としては熱力学的な支配を考えてはダメで、とにかく温度を上げて、速度論的な支配へと対抗していかなければならないと思う。ま、その熱の与え方が、Cグループからも引きずりおろされる要因を作ってしまう可能性は除外できないけどね(笑)。

 だけどね、有機化学と違って、着実にゆっくりと反応を進めることはできる。ヒト-ヒト間で相互作用してたって、それは生化学反応だから。
 例えば、ほんのちょっとしたCグループ的な行動を、少しずつ禁止していくことは簡単だ。まさか本人に本人のことを直接言ってるなんて思わないだろー的な発言や、読書するんでも最新作しか読まないようにしてみたり、、あと、ポケモンは発売日には買わないとかね(BW2は今週~来週は忙しいので少し経ってから買おうと思います(笑))。

 あとは、所属してる集団をどーんて変えちゃう。海外へ留学しちゃうとかは顕著そうだよね。
 すると、活性化エネルギーは少なくて済むけど、俺何度となく試してるけど、意外と効果的じゃなかったりするんだよね。だって、どこか遠くへ逃げたり、劇的に周りが変われば、ラクになれるのかな?、そんなわけないよね、どこにいたって私は私なんだから。
 これを深く解析するためには、、

 『…非平衡系のABC理論が必要です。今喋ってるのは、全部、平衡系におけるABC理論。まず平衡系から理解しなきゃいけないのは基本じゃないですか。』
 「もうその、平衡系だとかの言いまわしがキモいんだよー。」
 『違うっしょ。俺は、自然科学すらもインクルードしちゃってるって感じだしてるだけっしょ。』
 「だから、そのインクルードもキモい。Cグループじゃん。」

 そうっ、その通り。勘違いしてはいけなくて、グループは、ABC理論を用いて、ただ解析する価値しかないのだ。本当に、自らのランクアップへ応用し初めてしまったら、それは、俺の本来の研究モチベーションからずれてくる。

 【そんな折衷案を出すなんて、高橋さんの決断としては、意外です。】
 『そお?俺の本来の目的は、、…だから。』
 【あー、でも、普段の感じからは想像できないほどの折衷案ですよ、それ。】
 『だから、俺は意外と最後の一歩はまったく踏み出さないんだよ。それに、常に、最初のモチベーションを思い出すことは大切なこと。そのモチベーションを無視して、即物的になっても、イイ事なんてないし。』

 即物的…。
 思考力や応用力は武器となる。だけど、それは自分の価値を低く見積もり過ぎてしまうところから出発しては、ただのルーティンになって、深いところで全然満足できない。現状を受け入れられない気持ちを飲み込みながら、今の現状を受け入れることができたときに、初めて、今できることが観えてきて、それをすることで前に進めて、次第に満足できるようになっていくんだと思う。

 ≪Cグループだったからずーっと本読んでたし、でも、女の子は男の人に愛されてなんぼでしょ?って思って、違う方向へ進んでいった。≫
 『そっかぁ。それには同意しかねるけど、(長い年月のなかで今はもう)本当に心からそう思ってそうなことはわかる。意外と、そういう感情の一つひとつが、グループ形成の根幹なのかもね。』

 必ず、誰が悪いわけでもない、物理的な問題に行きつく。思考すればするほど、残酷な物理現象に、問題は集約されていく。

 どうして、そのままで、ありのままで、認めてあげられるような環境が設置できないのかな?素直に本音でしゃべることすらできない。ホントの本音をしゃべれれば、必ず誰とでもわかりあえると信じられない?
 そうすれば、本来の素晴らしい自分を自己認識し、自分の価値を低く見積もらないで、自信を持たないこともなく、自己実現していけるのに。

 忘れてはならないことだけど、こういうことを解決するための材料として、ABC理論は存在する。
 まず、状態をきちんと把握し、数値で理解しない限り、系を変えることはできないからね。
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最善策を使っても

2012-06-20 03:58:15 | Weblog
 相手に合わせることが信頼関係を向上させたり保つ秘訣である一方、意味もなく合わせすぎれば、その2人以上の集団全体で悪い方向に行ってしまう。

 『だから、次の日1限で授業あるし。』
 「休めばいいじゃん。」
 『えーむりだよ。』
 「なんで?出席とるの?」
 『とらないけど。受けたいヤツだし。』
 「なにそれ。あー、とか言って、やっぱりホントは出席とってくれる友達がいないんでしょ?」

 ただ、それが本当に悪い方向かどうかはわからない。リスクとベネフィットを駆け引きしてみたときに、転びやすい方へ行けばいいのかもしれないけど、その理路整然さが常にとれるとは限らないのが人間で、難しいところですよね。しかも、その思考自体がウザい、もっと感情で動け、とか言うわがまま様もいるし、うーん。
 頑なに、もとの自分を曲げずに、誰かと信頼関係を結ぶのは不可能だ。だからこそ合わせる必要があって、習慣や哲学まで変えなきゃいけないときはあるけど、それのし過ぎはよくない。

 When in Rome do as the Romans do.
 要らない賢さしか持たない馬鹿なヤツは、ここで思考を停止させてしまう。それではダメで、その中で、自分のスタイルを形成して、相手に主張していかなきゃいけない。

 「自己責任ですけどね。うん、それは個人のことだし、色々事情もあるでしょうから、その価値観を認めます、好きにして大丈夫ですよ、もちろん。」
 『だから先生は、賢い止まりなんですよ。価値観を認める、って、言葉で言えばキレイだけど、それは寂しいことだと思いません?そんな薄っぺらい言葉に騙されてはダメで、それをきちんと自分の心の中に飲み込みながら喋らないなら意味がないでしょ。』
 「じゃあ、どうすればいいんですか?」
 『押し付けて欲しいです、その価値観を。まあ、そうしねーだろうな、って思って、わざと言ったところはありますけど。価値観は押し付けることによって、初めて、一歩近づけるか近づけないかがわかるんです。そうじゃなきゃ、HPに書いてあるような、アットホームな研究室作り、の本当の姿にはならないでしょうね。押し付けてくれれば、ほら、こうだってあるし、あーだってあるし、って、僕が反論できたのに。』

 っと言いながらも、別のインタラクションを加味して、自分の欲しい方向へ無理やり誘導し、次、また自分の一手を打ちやすくする手法をとったりもする(笑)。
 ありのままの自分でどんな風にだって変わっていけて、多くの信頼関係とたったひとつの信頼関係を築いていくためには、合わせる、っという部分と、押し付ける、って部分をうまく使い分ける必要がある。

 
 自分を守る側…自分が変えられないものを相手に受け入れさせる力(=:F1)と自分が受け入れられないものを相手に変えさせる力(=:F2)。
 相手を守る側…相手が変えられないものを自分が受け入れる力(=:F3)と相手が受け入れられないものを自分が変える力(=:F4)。

 F1orF2 < F3orF4 ならお互いに全体に悪い方向に行きやすくて周囲に迷惑。相手はどんどん我儘になる。
 F1orF2 > F3orF4 なら相手がいきなり離れて行ってしまう可能性が高い。
 F1orF3 < F2orF4 なら落ち着かない。いつまでたっても、安心できない。
 F1orF3 > F2orF4 なら安定だけど、仕方ないよね、ってお互いに動かない感じになる。

 ちなみにF1orF2 > F3orF4が学校。学校が自分、生徒が相手、だとしてね。だから不登校が増える。F1orF3 > F2orF4は、多くの結婚?笑

 『っていうかさ、俺のが100%正しいじゃん。』
 「そうだよK君。正しいからこそ、難しいんだよ。」

 スカラーでF1=F2=F3=F4ならオッケーか、っというと、その通りなのだ。ただし、物理的に、ってだけ。
 大切なのは感情や気持ちであって、物理的な手法は実行手段としての最善策であるに過ぎない。当然尽くすべきだが、それだけでは意味がない。

 このような理論系だけでは、俺や多くの人が欲しいモノや理想は、示すことはできないのだと思う。
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Everything

2012-06-17 06:46:10 | Weblog
 すれ違う時の中で、好きな人や好きなモノ、打ち込める何かに出会えれば幸いだ。

 最初はたぶん遠くから眺めることになる。いきなり理想に近づけるなら、それは大して好きじゃないってことだと思うし、結局のところ始め遠くてそこから努力したり恥ずかしい想いをしたりするからこそ楽しいのだと思う。

 だけど、そういうことに価値観を持てない人は、きっと多い。なぜなら、「うちはうち、よそはよそ。」という教育を受けがちだから、自分が純粋に「好き!」という気持ちを自己実現できるようにはなっていかない。日本だけかと思ったら、結構、世界中この教育文句は通じそうだな、っと海外へ行けば行くほど思う。
 確かに幼い子供に論理性を期待するのは難しいから、最初はめんどくさくて「うちのルールとよそのルールは違う」ってことを伝えてもいいかもしれない。でも、大学院生や大学教員になっても、「うちの研究室はうち、よその研究室はよそ。」っという論理展開をする研究者が多いことを観ると、もっと前にそういう論理から卒業するきっかけを与えることが必要なのかもね。

 自分が本当に好きな人や好きなものを扱っている習慣は、必ずしも自分の所属している習慣や文化、価値観とイコールではない。っというか、イコールでないことのほうがほとんどだ。
 その中で、一つひとつ変えていく。過去を観ないで、とにかく当たってみて、初めてそれに気が付くし、変わらないと掴めない、ってわかるのだ。

 過ぎてく扉すり抜けて、習慣も変化していく。相手に合わせることによって、プランニングが自分自身でできるようになったり、メールで無難なことを言えるようになったり、逆に電話とかが苦手な人には連絡をなるべくとらないようにして約束できるようになったり。
 それだけ頑張っても、相手に合わせて習慣まで変えても、見たくもない現実が目の前にあったりする。それは、痛烈な一言や一文を想い出したり、誰かと笑い合っている姿を想い出したりして。。

 そして、それでもっという気持ちが残ると、またフィードバックして、合わせにいってる、その相手は自分にとっての「すべて」なのだ、っと気が付くことができるのだ。
 だからこそ、切ない現実を見ながらも、自分の気持ちに素直になって、習慣を変えるほど頑張ってみれば、何に妥協することも、夢や理想をあきらめることも必要なくなるんだと思う。

 「うちはうち、よそはよそ」は大人になると「理想は理想、現実は現実」になる。遠くから眺めてばかりいては、薄っぺらい優しさや嘘に支配されてしまうし、つまんないじゃん。
 どんな系だって、優しい嘘(偽り)なら要らない。欲しいのは、、さて、なあに?

 (最近、MISIAの「Everything」がEXILEの弟グループであるDEEPにカバーされていて、またずっとこれを聞く機会が増えたので、紹介してみました。
 この曲を初めて聞いた中学生の頃は、好きな人が自分のすべて、って部分だけで理解していたけど、今聞くと、けっこう悲しい曲に聞こえたりします。)

DEEP - Everything


MISIA - Everything
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秘密の根源

2012-06-14 03:05:46 | Weblog
 人間関係の中で、秘密はつきものだ。
 隠す理由は様々で、まだ早い、とか、バカにされるかも、とか、嫌われちゃうかも、とか、実力が達していない、とか、ホント多種多様。これらの秘密と上手く関わっていくことが人間関係後略のコツなのかもしれない。

 秘密の隠し方とその暴き方はいくつかある。

 まず、全体の話がバレそうな方向に行ったら、別の話題に目をそらさせるような手段が、一番多く観られる。特に自分から話を持ちかけないような人が、いきなり話題を提供しだして、事細かに説明しだしたら、何かの秘密を隠そうとしたとみてまず間違いない。
 秘密における方程式とその根の存在を確信し、根のいくつかが見つかりだしたら、それについての話題を一気に展開してみる。時間をかけずに一気に展開することがポイントで、これをされて平常な表情を保てるツワモノはそうそういないはず。すると、条件が狭まっていくのだ。

 次によく使われるのは、嘘だ。嘘といっても、真っ赤な嘘をそのままつく人は意外と少ない。みんな、事実と嘘の連続性を利用して、嘘と事実の間の状態を上手く発現してくる。嘘じゃないっちゃ嘘じゃないけど、その表現の仕方は普通しないだろー、みたいな微妙なライン。
 こういう場合は、正統法では攻めない。方程式の解になりそうなモノを、事実や発現の中に投げて、どうしても事実が少しだけ歪んでしまうようであれば、嘘と事実の間を主張していた可能性が高い。

 これに加えて、ダミーの秘密を混ぜておくって手もある。秘密を隠すなら秘密の中に埋もれさせるのが一番。どうでもイイ秘密をあえていくつか持っておくことで、本当に知られたくないことの見つかる可能性を下げるのだ。
 単純にn次方程式のnを高くしておけば、方程式は解きにくいし、根が見つからなくなってくる。しかも、重根の可能性もあるし、投げるべき解も予想がつかなくなる。だから、重要度の低い順にどうでもイイ根を消去していくことがポイントだ。別の閉じた理論系から得られた方程式によって、必ず次数下げが可能であるはずだから、原理的に解ける。

 っま、数々の系で得られる理論を平均化させまくる能力を上げれば、完全に闇の中に葬り去ることだって出来るけどね。

 これらの暴き方が自然に行えるとき、知らないことは自分に悪影響であるような、だいたいの重要な秘密は見破ることが出来るようになる。
 それを相手に伝えるときもあるし、知っていることを隠すこともするし、曖昧にして、主導権をこっちに引き寄せることもする。変化を恐れる気持ち、相手が知って欲しくないという気持ちの方向性と大きさ、こちらの身の危険などによって、対応も様々となる。

 しかし、めちゃくちゃ厄介なのは、なんらかの出来事によって、いきなり相手の秘密が明るみになってしまったり、相手の秘密を明るみにせざるをえない状況になったりすることだ。
 結局のところ、俺が見抜いてしまえば、いつかは2人の共有事実となる。それから逃れようと、どうでもイイ秘密を公開してみたり、笑って誤魔化したりしても、無駄な抵抗に終わるだけだ。

 だったら、いっそ、相手の秘密や嘘を見抜いていることを、早めに伝えてしまった方がイイのかもしれない。
 よくよく考えてみれば、発端はそれの重ね合わせによって失敗してしまってる。嘘と事実の連続性の中に上手く隠したと本人は想っていても、上手く話題を切り替えて視点をズラせたと思っていても、自分自身が秘密を暴かせないことに長けているから、すぐに気がついてしまう。だったら…。

 方程式に解を投げ続け、すべての根を掌握したりされたりしても、つまり、秘密がバレてしまっても、案外恥ずかしくないような秘密であったりもするのだし、それを繰り返すことが、信頼関係を継続させるための函数の一つの重要な使い方だったりするのかもね。

 もちろん、秘密の根源によるけど。隠す理由が、どちらの方向への気持ち依存なのかによって、話はいくらでも変わりうることだ。

 どちらにしても、2人以上の系で、統計的に処理されるからこその失敗は、切なすぎる。

 (ちなみに、方程式の「解」と「根」、どう違うか知ってます?
 それこそが秘密の根源を見透かすためのヒントだったり。)
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搾取されないために…

2012-06-10 04:41:57 | Weblog
 現状を受け入れて、今すぐにできることをやっていく。それが一番コスパーが良いし、早く有意義な結果がでる。

 しかし、現状を受け入れ過ぎてもいけない。現状をまったく受け入れない状態だと実行的に前には進まないけど、現状を受け入れ過ぎてしまうと、くだらない作業の繰り返しになる。
 現状を受け入れられない気持ちを飲み込みながら、今の現状を受け入れることができたときに、初めて、今できることが観えてくる。

 頑張る、って一言で言っても、それの善し悪しを判断するのは、とても難しい。
 どんな系においてでも、何も考えずに、ただ黙々と頑張ることは、やっぱり良いとは思えないかな。それを強いられる圧力があっても、「言われたことは絶対」であるような支配下にいたとしても、それは(俺も含めて)誰だって同じことで、その中で、いかに、自分の気持ちに嘘をつかないか、一歩踏み出せるか、ゴールにむかってシュートできるか、ってことだと思う。
 みんなが表面的に発現している薄っぺらい価値観が、そのまますぐに自分の価値観へとtransferしていって、それこそが自分の大切な価値観なのだ、って習慣化されている場合は、確かにかなり深刻だけど、それでも、自分の価値観がみんなの価値観に埋もれる前の短い数十秒の間に、自分の本当の願いと現状との差を感じとろうとする努力をすべきだと思う。

 どんなに余裕が無くてもね。

 我々はいつだって自分にとってラクな価値観をとってしまいがちだ。
 それが、家柄や学歴であったり、経験人数であったり、自らの過去の栄光だったり、仕事量そのものの多さや睡眠時間の短さだったり、SNSの友達の数だったり、様々なだけで、どの分野のどの世界の人達も、自分にとってラクな価値観をとっていることが多いことは同じ。てめーらは、価値観を選んでなんかねーよ、拾いやすいモノをとっただけだろ、ってね。
 まるで、「赤信号、みんなで渡れば怖くない!」っと言うように、自分の周りの人間はこっちの価値観なんだから、って、踏ん反り返っている。

 自分が最初に想っていたこと、それこそが、自発的に発現している価値観であるのに、それを大切にする、っという文化は、、いつ開花していくのかな。
 どこでもあること、ありふれたことだ、っというディフェンスの仕方は、もうたくさんだよ。何かしらは新しいことをしようとしないなら、何をしたって、つまらないに決まってるじゃんか。

 「ささやかな望みじゃない。お金持ちになって、仕事で成功して、子供3人産んで、ダンナさんに夜、足さすってもらいたいって、だけなのに。なのに見てよ、この情けなさ、髪も思い通りにならない!」(「アリーmyラブ」より)

 価値観は、原理的に、経験を積んでいって知識やノウハウを得ても、カワラナイものであるはずだ。周囲の価値観を受け入れることも時には人間らしいかもしれないけど、それは例外でしかなくって、通常は、自分の価値観は同一のまま、現状からその願いに、どのように近づいていけるかを逆算して、今すべきことを定めていくもんだと思う。
 っそ、各個人から発現される本当の価値観は、共感出来る可能性もかなり高い。だが、たいていは、偽装されたくだらないみんなの価値観であり、そういうものに夢も希望もあるわけもなく、現状維持が大切と決め込んでそれにしがみついたとしても、どんどん衰退していくばかりなのだ。
 だって、本当の実力が得られないんだから。

 自分の考え方、価値観を押し付けようと俺がしても、イヤな顔ひとつせずに、相手してくれる先生方に感謝はしているが、容赦はしない。間違えがあれば、徹底的に追究するし、いくらそれらしいことで誤魔化しても、『赤信号を渡ることがイイことなはずがないです!それもみんなで渡るなんて正気の沙汰ではありません。普通に考えれば、わかることです。』っといったように、攻撃的にシュートを放つ。
 それが、集団行動の方向性について決定権を持っている人間、つまりリーダーとして、一番必要なことであると思うし、我々日本人の課題で、それを乗り越えることに価値があると思っているから。

 そして、どうでも良くない嫌いでもない人の、どのような状況でも、受け入れる強さと想いの容量をもって、分かち合えれば幸福だと思う。
 正しいことを正しいと言うために、一番必要なことは信頼関係で、信頼関係が無いと言葉は響かないし虚しいだけ。って、実は因果関係が逆で、本当の信頼関係継続のために、正しいことを言う必要があるのだ。

 当然、俺だって怖い。自分が引いて、相手が自信を持って言い放つ、周囲の表面的なくだらない価値観に合わせて、このままの関係を続けていければイイ、と何度思ったことか。
 でも、キッカケだと思う。その壁を乗り越えられなければ、どうしても楽しすぎる楽しさには継続できないし、だったらいっそのこと、一気に終結させた方が、コスパーがイイ。

 何かの作業をするなかで、本気でムカついても、本気で頭にくることがあっても、最後には戻ってこれて、お互いに歩み寄れて、戻った場所は元の状態よりも良い状態、であることが、ヒトとヒトとが関係する上で、最上位の関係性(家族)であるという価値観を持っている。

 だからこそ、俺の周囲にいる信頼関係のある人には、すべからく、各々で自信を持っていて欲しい。
 自分には能力があるって、自分の価値観は素晴らしいんだって、深いところで信じきっていて欲しいのだ。今は結果がでていなくても。

 そうすれば、頑張りすぎることもなく、苦痛もなくなり、毎日が楽しくてたまらなくなって、搾取されることもなくなるはず、きっと。
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抽出法の限界

2012-06-08 01:35:45 | Weblog
 小さなことは大きなことに繋がっている。主として、どんな分野を研究していても、俺の研究興味はそこにある。

 ミクロな世界からマクロな世界へと論理的に成立する理論を構築する上で、いくつかの有効的な処方箋がある。
 ミクロな世界の構成要素を用いてマクロな状態を創ってしまう方法(有機合成、合成生物学、物性物理学)、マクロなものを少しずつ壊していく方法(遺伝子ノックアウト、最小細胞)、そして、今俺がサブテーマとして研究しているのが、マクロな状態をすべて壊して、いったんミクロにし、それらを部分的に用いてマクロを創る方法(再構成系)だ。

 再構成系を確立させるためには、抽出方法が重要となってくる。必要な部分を必要な量だけ抽出するっというのは、物理学の基本だ。
 これは、実験に限ったことではない。考え方でも行われることで、例えば古典力学で「摩擦は無いものとする」というようなことは、本来は起こることを起こらないこととして考えてみて、考え方を抽出しようとしている、っと見ることができる。

 これも当たり前のことだけど、抽出成功の一番の決め手となるのは、純度だ。どれだけキレイに欲しいモノが抽出できているか、っという部分はかなり重要になってくるし、オフェンスされる部分である。
 必要なモノを抜かしていないか?、余分なモノを入れてしまわないか?、それらに注意して、ホモジナイズしなければならないし、懸濁させなければならない。じゃなきゃ、くだらないオフェンスにですら、ディフェンスできなくなってくる。
 これが実験でなく理論であれば、よりいっそう難しくなる。自分が創りだそうとしている理論や予測、予見や直観などについて、どれが要らない情報で、どの必要な情報も抜かしていないか、をきちんと規定しなければ、誰かを傷つけてしまう。

 特に研究対象が人である場合、厄介だ。どんな人でも秘密を隠そうとしているし、素直じゃないし、バイアスが入るまくるしね。

 「反省も出来ないほど忙しくしていれば、悲しむことも無いし、苦しむことも無い。それが、自分を自分で管理するために必要なことだと思うし。」

 その通りだ。まさにその理論は、彼の系としては、正しい。
 だけど、特異的な状況の人間が苦しさから逃げ込むために行うならば理解も納得もできるが、それをごく一般の普通の人間に対して他者から強いられるようなことは、理解はできるが、納得はできない。
 あくまで、重大な悲しみの最中にいる時に、自己で解決しようとするときにのみ自らで発動する手法であって、普通の状況なのに、こうじゃないからお前はダメなのだ、っと言わんばかりの抽出の仕方は間違っている。

 再構成系は、あくまで、ミクロからマクロを繋ぐための、1つの手段だ。他の2つの方法だって優位である部分はあるし、ありのまま(マクロな状態)をそのまま見つめる方法だってある(研究者は全てやらなきゃダメ)。
 きちんと抽出できていない、っというディフェンスに答えるためには、他の方法で補えばよいのだと思う。例えば、マクロを観ることとの差を考察しながら、再構成系をトライ&エラーしていく、とかね。

 そして、そのまま理学で終わってはダメで、その難しい過程を経ることで、直面している問題に応用しようとすべきなのだ。
 その直面している問題は、また、マクロな状態を示す問題へと繋がっている。そして、またさらに巡って、直面している問題をも効率的に解決することができるのだ。

 は??何年かかるんだよ?
 …って思うかもしれないけれど、だからって、今できることをしなくてイイわけじゃない。そして、俺は、みんなが思うよりも全然時間はかからないと思っている。

 少なくとも、こういうことを繰り返していくことに価値を感じて、何かについて貢献できていると思わなければならない、、よね。
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時間をかけないで結果を出すことの重要性

2012-06-06 00:20:13 | Weblog
 目的をしっかりもって行動した方がコスパーは良い。目的が曖昧だったり、しっかり定まったりしていないと、無駄なことをしてしまう確率は高い。こうすれば大抵は大丈夫、ってことのほとんどはアテにはならないのだ。

 その目的があるからこそ、失敗は成功のもと、ってことが起きてくる。目的に帰ると、この方法では出来ないのだ、って理解できるから、それは前進になる。だけど、目的もなしにただやみくもに行動しているだけじゃ、失敗は失敗のままだ。
 そんな簡単なことだけど、日常生活には溢れている。

 『そんなことしてるから、時間がかかり過ぎる、って思われるんですよ。何人の学生を、そうやって、長年留めておくつもりですか?』
 「それは仕方がないことですよ。教育には時間がかかるものですから。」
 『学生はそれでは、困るじゃないですか。』
 「いえいえ、そうではないですね。困るのは大学側ですよ。きちんとしたレベルまで達していない学生を輩出してしまって、評価がダメだっと世間から言われるようになってしまうことです。」
 『この前の発表会では、かなり先生が手助けをしてるように感じましたが?』
 「そのケースは、もう後が無かったですからね。それも仕方ないことです。」
 『(完全にレッドカード。)なるほど。よくわかりました。通常僕は、こういう宣言を相手には伝えないですが、あなたは特別です。今後、僕は、あなたに対して、他の学生同様、完全に無難な対応をとります。まだ仕事が残っていますからね、それも仕方のないことです。最後の最後まで期待していた僕がバカでした。では。』
 「いや、あの、そういうことではないと、、皆さん、演技しているわけではないと思いますよ。」
 『おっしゃるとおりです!その通りだと思いますよ。その点は撤回します。お話は以上ですね、では、またよろしくお願いします。』

 教育には時間がかかる。確かにそれはその通りだ。
 だが、目的を見失ってはいけない。教育の目的は、教員がいないと生徒は何もできない、ってことを分からせることではない。何年も拘束してしまっては、自分に依存してしまうだけなのに、それではダメだろう。そのくせ、最終ラインに来たら、ヤバいっとふんで、妥協する。

 高校の特別活動の指導目標は、簡単に言えば「先生が観ていれば、生徒は自分たちで、なんでもできる。」だ。だから、大学生以上には、これ以上の教育目標、つまり「自ら(自分たち)の目標と自らの問題点を、自分たちで気が付き、誰も観ていなくても、なんでもできる。」などと掲げて、その方針に立った、教育を施行しなければならない。
 そんなこともわからないなんて、教育者じゃないのは明白だけど、研究者でも無いんじゃない?目的がわからない、その目的に何が必要かが判断できない、それじゃあ、意義のある生活すらまともにできない。本当の実力も無いくせに、権威だけを得てしまった人の特徴は、薄っぺらいキレイゴトが大好き、だな。

 ヒトがとる全ての行動手段は、時間との戦いだ。その戦いを愚弄して、得られるモノは何も無い。
 そして、時間が経てば経つほど、周囲の環境によって失われてしまう情熱を、いかに無くさせずに、気持ちを第一にする研究遂行ができるか。それが、どんなことをやるにしても必要なことだと思う。

 そして、非常にくだらない、こういった錯誤を目の当たりにしたときに、いかに当たり前の中に落とし込んでいけば良いか、が現在の研究テーマの一つである。
 それをする研究意義や目的は、、意地かな。

 必ず、感情や気持ちのなかに、研究意義を落とし込める、少なくとも落とし込もうとするところが、俺個人の強み。
 そのためには、新しい人達の協力が必要で、すでに勝機はある。あの完璧主義者を乗り越える、理論的な答えは算出できている。その成果によって、、上手くすれば、時間を超えて、助けることができる。賞味期限切れだから、そこに意味は無いけど。

 結果が出る前に、大言を吐けるのが、物理学の理論体系の強み!結果を出してから、答えはでている、って宣言しても、それは、生物か化学を専攻している普通の人間の普通の習慣でしかない。

 「あれ?こないだ授業で言わなかったっけ。言ってないか。。
 物理学というのは、現象を理解する学問じゃない。物理学というのは、あくまで、考え方を研究する学問で、もっと言えば、哲学だと、僕は思う。だから、自然現象についてだけで終わるんだとしたら、非常につまらない。物理学の数多くの分野を研究してきたけど、自然現象なんて、どうでもいい。あくまで、正しいことを正しいと言えるようになるために、さらに、未来を予測するために、我々は研究をしているんだよ、高橋君。」

 聡明さというのは、いわば、物理学を二重に使うことであると思う。ひとつは、内在している背景の理論や現象を理解するために、もうひとつは、それを理解し習得し自分の考え方や予測を誰かに伝えるために。

 聡明になるために、気持ち的に意義のある生活をするために、誰かに忠誠せずに、時間をかけないで、結果を出すことは、非常に大切なことなのだと思う。
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自然なことなんて存在しない

2012-06-05 00:18:34 | Weblog
 このままの方針で行ったらダメだってわかっていながら、自分はダメだからいっか、ってやっちゃうこともある。
 これも、根本は自分の能力不足を追究しているんだけど、その場所だけでその場所を掌握するすべての能力がつくわけじゃないってレベルの賢さが足りない。そういう思考力はどこで身につければイイの?

 『うん、怒っちゃったから、、なんかごめん。』
 「別にそれは良いけど、そんなことでいちいち怒ってたら、もたなくない?」
 『うーん。でも、言わなきゃかな、って思ったから。』

 バカか。これで、これまでもってきたんだ、って。
 このような本音を、常に言い合える関係性を誰かしらと保つことで。

 この方針で行ったらダメかもしれないって、グループ間で常に思いながら、自分はそっち側方面ダメだからいいか、って思ってきてしまった。それが改善されたのは本当に最近だってことも忘れないようにしないとね。
 それを拭ってくれるだけでも、かなり感謝すべきだと思う。もちろん、もっと大いに感謝すべきは、実験に協力してくれた人だけどね。

 こんなの自分じゃないって思ったり、これは不自然すぎるって思っても、どんなに走ったって、現実の自分の振る舞いからは逃げられない。だったら、受け入れてみたほうがイイのかもしれない。
 だって、「世の中に自然なことなんてないでしょ?」

 無難な振る舞いをやめることも、前進?
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恐怖の扱い

2012-06-04 03:09:01 | Weblog
 いつのまにか6月ですね。このままではダメだと思って、ホンモノの生物を無理言って扱いだしてから、もうすぐ一年になろうとは、早いもんだ。
 このままではダメ、ってどの段階で思えていたんだろう。。

 このままの方針で行けば、いずれは、レールから落ちたり、周回遅れになったりするって、頭では理解していても、いざ、それが自分自身について決定してしまうと、とても落ち込んでしまったりする。
 ただ、そこで落ち込めるなら、まだ大丈夫なのだ。今まで飲み込もうとしなかったことを飲み込めるチャンスなだけだし、広い視点でみれば確実に一歩前進してるから。

 恐怖のあまり、リアルを見ない、見続けないで長い期間過ごしてしまう、ってのはよくあることだ。
 現実と介在させないように、インタラクションさせないようにバリアを張ってみたりして。俺は、もともとのCグループの素質がとてもあるので(笑)、自分よりも分厚く氷を張ることが出来る人を観たことが無い、ってくらい、その能力には優れてしまっている。
 恐怖の対象が、レールから落ちることであったり、周囲の評判であったり、色々だけど、自分の恐怖については、よく分かっているつもりだ。

 怖さに対してだけは、素直になった方がイイ。素直に、怖い、って自分のなかで認めてしまった方が、罰を受けない。
 っそ、コトが起こってしまっても落ち込まないために、怖くなんかないさ、って、気持ちの表面上である感情に対して思考し、自分の能力へと責任を追及すればするほど、それは自分の気持ちを殺すことになる。本来、誰がどれほどどんな能力がなくても仕方ないのだから。
 コトが起きてしまった時に、きちんと落ち込めたなら、ちゃんと前進できるけど、「みんな(誰か)もそうだし。」って踏ん反り返ってしまえば、それこそが、俺らが扱わなければならない、怖いお話の始まりとなる。

 だから、恐怖の対象は、はっきりさせておくべきだ。
 俺が何よりも恐れているのは、いつだって、どんな系でだって、変わってしまうことだと思う。特に、自分自身が、変わってしまったり、戻ってしまったり、これだけ変わってきたからこそ言えることだけど、変化が一番怖いし、厄介だと思う。
 最初のシグナルは自分じゃなくても、そこから冷徹になるときに、その行動の原因追究を一瞬のうちに行ってしまって、自分自身が戻らないようにするためだ、って気が付くと、震えるほど怖くなる。

 それを自覚しているから、次の行動が思案できる。
 能力依存じゃなくって、気持ち依存で、新しい扉を開けることができるのだ(これをズルイ手段だと思うヤツこそが、賢いだけで聡明ではないヤツなのだと思う)。すると、これまで引っかかっていた問題の"果て"をちゃんと感じられるのだと思う。っで、そこからやっと、能力を上げることができる。

 共焦点レーザー走査顕微鏡を使って、細胞性粘菌を観察すると、レーザー照射によって、粘菌達がだんだん弱っていく。粘菌は弱っていくと、まん丸になる。粘性が少なくなって、丸くなってしまうと、アメーバ運動で移動することが殆どできない。
 顕微鏡内の同じ視野で写真を撮り続けていると、レーザーが一部の粘菌達に、ずっと照射される。そして、どんどん弱っていく。でも、丸くなる前に視野から逃げていくヤツがいる。その恐怖を分かっている粘菌が、心に飲み込み始めた粘菌が、視野から逃げていくのかも、などと想いながら、自分の恐怖について考えたりしていた。

 そうこうしている間に、自分にはレーザーに耐える能力が無いからいけないのだと、視野に残ることを選択し、結果的に俺らからのレーザー攻撃を受け続けてしまった粘菌達は、丸くなってしまった。
 この丸くなってしまった粘菌達が、元に戻って、元気になるまでは、時間がかかる、死んでしまっていて戻らないこともある、って解説もまた、俺の心の中に飲み込もうとした。

 そして、こういうことを遥かに超える何かや、物理的な何かがあることが、「命を運ぶ」ことなのだと思いながら、丸くなってしまった粘菌の復活を、少しだけ待ってみたりして。。
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アクティブ・フェーズとパッシブ・フェーズ

2012-06-01 01:55:10 | Weblog
 昨日「ブレイズメス1990」を読み終わった。前から海堂尊の小説が好きなんだけど、かなり面白い本だったなって思う。書店にたくさん並んでてテンションあがって、フランス語満載なところで即刻買った。今月フランスに行くので、この中のフレーズを使ってみようかな。
 海堂尊はバチスタで有名だけど、俺はバチスタの古い時代が書いてある「ブラックペアン1988」と「ブレイズメス1990」も、かなり楽しめると思っている。まぁ、バチスタらへんの時代も面白いんだけどね。

 このシリーズの中で出てくる言葉で、「アクティブ・フェーズ」と「パッシブ・フェーズ」ってのが面白い(ちなみに「ブレイズメス1990」には出てきません)。それぞれ「説得」と「心理読影」を用いて情報収集をするって意味だけど、この視点で会話を観てみると、日常生活も面白かったりする。
 俺は当然(?)、攻撃的に情報を聞き出すアクティブ・フェーズが得意ですが、パッシブも重要なんだと思う瞬間は多い。俺がずっと厄介にしているようなことを、淡々と美辞麗句を並べて、鮮やかに解決する姿を目の前で見せつけられると、最上級のパッシブ能力も欲しいな、って思う。
 あー、ただ、大抵の人間はパッシブが無難だって思ってるけど、全然出来てないからなー。

 アクティブ・フェーズが大得意だって勘違いしてもいけなくて、やっぱり、上には上がいるもんだと思う。
 特に、Aグループの女子なんかは俺に対してアクティブ・フェーズで動くので、そういう風にされると、あー、やっぱり俺ってCグループなんだな、って思ったりする。

 まぁ、最近はきちんとディフェンスできるようになってきているから、なんとか、BとCの界隈?
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