たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

二体系におけるホンモノ

2011-06-17 01:26:04 | Weblog
 誰だって対等な関係を望んでる。
 マクロスコピックには自分と対等な人が沢山いるような環境を選べばいいけど、もっと小さく見積もってみると、この世に完全な対等なんて存在しない。だから、即物的な対等性を大切にする。

 『ほら、対等じゃねーだろ?』とか『大義名分はあるし。』とか言葉にしながらも、ちゃっかり行動だけは対等にしていく。本当の意味で対等じゃないのを確認しながら、『本当は対等になりたいのに。。せめて即物的には対等にしておくからね。』って気がつき合っていけたら、近づいていくような気がして。
 ダメになりあうのはつまんないから、無い方がこっちのレベルまで上がってきて、ってのは自然な発想だ。だけど、それも、いきなり理想を求め過ぎなのかもしれない。

 『したらさ、案外、こういうこともちゃんと出来るみたいで。だったら、それもっとアピールして来いよ、って思うわ。そんなにやりたくねーのかよって。』
 《あぁあ、たぶんね、そうじゃないです。》
 『やりたくないから、そういうの隠してるんじゃないの??』
 《いや、その可能性もあり得るけどぉ、うーん、例えばですよ、変な話、その部分までK君から奪っちゃったら悪いんじゃないかな、って思ってくれてたのかもしれないじゃん。》

 ただの部分集合って事実を隠して、まるで和集合のように思わせる演技に耐えきれなくなったとき、、能力が無い方の、心の大きさが試される。
 たとえ、実質的に部分集合でしかなかったとしても、それを、そうじゃない、って思わせてくれていた演技の大義名分は存在しないわけだから。。そこに堅い真実は無くって、ただの気持ち依存、ただの感情依存なのだ。

 <いくらなんでも、能力無さ過ぎっしょ。>
 『うん。だからこそ、やっぱ、俺が悪かったと思う。わりーけど、俺の方が間違いなく遥かに高い能力を持っているから(笑)、だから、能力の無さも考慮しての空気読みをきちんとできなかった俺が悪いと思う。』
 <っま、能力があるほうからしか、能力がないほうへ合わせることはできないからね。>

 なんでも、どんなことでも、歩み寄っていける自信はありますか?

 相手に合わせる、という行為が、二体系におけるホンモノの系を支配している秩序変数(OrderParameter)であることは間違いない。
 だけど、演技は騙すためにも用いられるから、きちんと解析しないと、気持ちを気持ちで感じとらないと、具体的に出力されたことだけをノートしとけばイイってもんじゃないのだ。

 っさ、これは、合わせるための演技でしょうか?それとも、あなたを騙すための演技でしょうか?

 二体系では、一体系に比べ、難しさが数段高くなりますが、それでも、まだ、一体系に帰着され、解析的に解ける系で、易しいんだと思います。
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