たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

頭良いフリが得意だと思っている人たちへ

2022-11-13 00:34:22 | Weblog
 昔、島田紳助という芸人が「紳竜の研究」というDVDのなかで、「知識のドーナッツ化」という話をしていた。
 「テレビタレントは賢い必要はないねん。賢いんちゃうかなっと思われたらそれでええ」と言っており、「賢いんちゃうかな」と思われるためのメソッドとして、誰でも知っているような中心にある知識を覚えるのではなく、1分野1箇所、自分が心から好きになれるものを探して、それを熱く語ったら、テレビに映るチャンスが上がる、ということを言っていたのだ。

 確かに、情報量というのは、レアであればあるほど価値がある。だから、ある分野の中の誰でも知っているようなことを話すよりも、少しレアな情報を話す方が「めっちゃ詳しいんじゃねーか?」というブラフになりやすい。この手法は、正直、自分自身が(多かれ少なかれ)やってきているから、よくわかる。
 例えば俺は世界史なんてよく知らないが、オリエントとローマだけはそこそこ知っている。単純に古代の国々の話は価値観が極端に違くて面白いし、ローマにも旅行に行ったから勉強しただけだ。ギリシアとオリエントの中継貿易ゆえに金属貨幣を世界で初めて鋳造したのがリディア王国。BC600年くらいのときに、商人としての本質を掴んでいたなんてスゴいよなぁ。などと、適切なシーンで文系さんに使えれば、確かに、世界史を全く知らないヤツという評価にはならない。あわよくば、こいつ理系のくせに世界史まで網羅してんのかよ、っと思わせることすらできる。けど別に、他の時代の他の地域のことは中学の社会科レベルしか知らない。

 1分野1箇所だけでも、それなりに知っていれば、それは、まったく知らない人にはならないわけだ。

 しかし、物理屋さんのなかで、電磁気学でマックスウェル方程式が、などと言えば、それは当たり前にみんな知っていることだから、全くもってすごいとはならない。まぁ実際、文系が「マックスウェル方程式がー」なんて言い出したら、それだけで俺は拍手してやるけど。あくまでもドーナッツ化が重要で、みんなが知っている中心的な知識には、みんな興味を示さない。
 (文系の中で話すのであれば、マックスウェル方程式くらいが良いかもしれない。彼らにとっては「物理学」が一分野であり、物理学といえばニュートンの運動方程式が中心知識だからね)

 確かにこれで、大して勉強していないのに「おお、こいつはめっちゃ詳しいんじゃないかな」って思わせることができる。けれど、この方法には、致命的な欠陥がある。それは、何時間も話すような場では、簡単にバレるってことだ。
 あくまでも1人が連続で喋る時間が30秒以内であることが多いテレビ番組、あくまでも1回につき140文字しか書くことができないTwitterなどでは、非常に有効であるが、専門家同士の長時間の議論では「なんだ、こいつは。基礎基本がなっていない、ただのバカだな」となるだけである。

 きちんと言っておこう。ちゃんと専門家・研究者でありたいのであれば、きちんと基礎基本を抑えること。
 この方法は、他者に対してのブラフなわけだから、特に理系が自然科学の中でやってはいけませんよ?しかしながら、理系の世界ですら、ブラフが前提になってしまっているのが、本当に腐ってきているところなんだけどね。
 (そして、何かを知っているということが、何かを知らないことであるレッテル貼りにすらなってしまうところは、すでに本当に腐っていると思う。物理がそれだけできるのだから、生物学のこれは知らないだろう?みたいなね)

 (ここで物理会参加者に無意味に緊張感を与えてみよう笑)たとえば、俺が週2回やっている物理会では、最後には必ず一人ずつコメントを言ってもらうことにしているが、「ドーナッツ」に関する内容ばかりであると、高校生・浪人生くらいのときの俺と同じなのではないかなっと思っていたりはする。
 要するに、本論の無理解を棚に上げて、俺が喋った内容の中でアドバンストな内容や要約的な部分にだけフォーカスを当てて、そこを定性的に質問することで「本論はわかっているに決まっているじゃないか」という無言の主張をしているんじゃないだろうか、ということだ。本論のなかで真っ直ぐには理解しにくいところは沢山ある。そして、個々人にとって疑問に思うべきである箇所、即ち「正しい疑問」というのが、必ずある。これをどれくらい俺に開示できているかというのは、俺は、(少なくとも)お伝えしている範囲の物理学はある程度掌握している、かつ、知識のドーナッツ化に関する知識もあるので、申し訳ないけれど見抜けてしまう時がある。
 別に、背伸びの質問をすることが悪いことではない。そうやってモチベーションを高めなくちゃいけない時期もあるだろう。ただ、それがあまりに長いと、結局は「物理学というトリビアを多少知っているだけの、賢さを演出したいだけの人」から抜け出せない。そういうことが嫌だから、物理学をガチろうと思ったんじゃないのかな?

 前の記事でも書いたが、現代の日本はルンペンブルジョアジーが支配している、崩れかかっている社会である。
 彼ら彼女らは頭良いフリに関してはプロ級であり(といっても、東大駒場やミネソタ大にいる教職員・大学院生のそれから比べると、かなり劣るが)、当然のように「知識のドーナッツ化」の手法を使ってくる。悲しいことに、この程度のやり口でSTEM人材をコントロールできると思ってしまっている部分があるが、そのメッキが剥がされるとわかるや否や、数の暴力を使って、言論弾圧をしてきたり、組織を強制的に崩壊させたりする。まぁだからこそ崩れそうなのだけどね。

 「賢いんちゃうかな?」と思わせることなんて、誰だってできるし、容易。
 問題は、テレビタレントならいざ知らず、そんなことをしている連中に大きな決定権を渡していること。

 そう、これは勝利宣言。君らはいずれ、俺らが徹底的に鍛え直してやるよ、っていうね。
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ルンペンブルジョアジーの排除が意味すること -TwitterJPの解雇より-

2022-11-11 02:00:36 | Weblog
 TwitterJPでの大量解雇が話題で、正直面白がっている自分がいる。
 あるブログではルンペンブルジョアジーという言葉を使って説明していたが、、確かにこの国では、STEM以外の分野で学士になり、あとは大企業に入って、キラキラっぽい職種(あえて具体的には言わないが)を選び、本当の意味で利益に繋がる仕事をしていなくとも、頑張っているフリをして権威に媚び諂っていれば、高収入になってしまうのが現状ではある。

 アメリカから帰ってきたと同時にアカデミアから離れて丸4年が過ぎ、一応は俺も「社会人」として振る舞っていると、いかに多くの人が仕事をしていないか、がよくわかる。
 
 上流から来た連絡に、それっぽい言葉を付与して、下流に同じような連絡をすることを日々繰り返していたり、
 ”改革”と名付けた無駄な変化を社内で推し進めて、それを多くの部署に強要することで、多大なる迷惑をかけてみたり、
 現場を一度も見ていないが故に、まったく的外れな評価制度を、さもスゴそうにプレゼンテーションして押し付けてみたり、

 こういった無益どころか邪魔な作業すらも仕事だと言い張るのであれば、大学院生など、どんなに無意味な研究テーマであっても、それなりにちゃんとしているぞ、と思わざるを得ない景色を呆れ返るほど観てきた。しかし、権威とカネに媚び諂い続けるがゆえに、それが正当化されてしまう。
 社会のためになるどころか、全員の生産性を下げている。はっきり言えば、何もしないで給与をもらっている状態のほうが、いくぶんマシなのである。彼らが否定しがちな「学者の趣味の研究」とやらをやるために、無意味な実験を繰り返せば、それは確かにカネだけが無駄になるが、それよりも最悪なのである。だって、「管理」という名の下に、本当に必要な仕事をしている人の邪魔をしているわけだから。

 しかし、この構造は、ある種仕方ないのではと思ってきたのも事実である。そのぶん、研究者は文章力を高める必要があるだろうし、実力で敵わないと判断するや否や政治力で押しつぶそうとしてくるクズに対しても対抗できるくらいの思考力を有さないといけないのだと、そこそこに自分に言い聞かせてきた。いわゆる、自責思考ってやつだw

 それが今週、イーロンマスクの買収という外部からの圧倒的な要請によって、本質的には無益な仕事をしている人たちが一斉に排除される景色を観たのである。もちろんTwitter上であるけれど、これは、本当の意味で真面目に仕事に取り組んできた、本当の意味で会社を支えてきた、立場もなき名もなき人たちにとって、溜飲を下げるものであったのではないだろうか。
 これまでは、本当に真面目に働いていた人たちが排除される絵を、何度も何度も観せられてきたのだ。それが一変して、本当は要らない人たちがいなくなった。さらに、日々使っているTwitterが快適になってしまった。そして、それを多くの人が気がつき、喜んでいる。研究者としてだけでなく、社会人として過ごしてきたこの4年間で、一番インパクトのあるニュースであったといっても過言ではない。

 今すぐには変わらなくても、遅かれ早かれ、今のシステムが継続するわけではないことが、よくわかった。
 「うちの会社は海外の大金持ちに買い叩かれることなんてないから」というわけにはいかない。だってさ、みんなが一番嫌いな「本当はお前なんて嫌われてるんだよ!必要とされてないんだよ!」ってことが、可視化されちゃったのだから。

 ルンペンブルジョアジーかそうでない人か、という二分はできないだろう。きっと連続的に繋がっているはずだ。
 中途半端に位置していた人たちにとって、これは選択が迫られるタイミングである。

 これまでのように、社内外で打ち合わせばかりを繰り返し、自分の立場を維持したり向上させたりするために、忙しさを演出し、仕事をしているフリをしつづけ、仕事をしていた証拠をGoogleカレンダーにつけていくだけの生活をするのか?
 それとも、一度立ち止まって、自分が社会のために何かを提供して貢献するためには、何が必要なのかをイチから考え直し、カッコ悪くてもそれに少しずつでも取り組むのか。

 世間の一人ひとりが、君を見ている。
 今ここまで読んでくれている読者は、きっと根は真面目なのだろう。若い頃にキラキラした空気感に流されて、それを継続してしまっただけ。心がちょっとだけ弱くて、承認欲求に流されてしまっただけ。

 本来の君なら、絶対にできる。

 「俺はそんな立場じゃない!お前なんかに言われなくても、俺はお前よりも偉いんだ!」
 …風に乗って聴こえてくるその声に、かわいそうに、という言葉しかかけてあげられなくて、心から申し訳ないと本当に思っている。

 俺は根っからの実験屋の研究者なので、こういうことを書いてることをこっそり見つけた人がいたときに、その人やその周囲がどう変わるのかを観ているのが面白くて仕方ない。これくらいの精神性じゃないと、俺の頭じゃ、真実は掴めねーんだよ。
 こういうシーンがまだまだ観られるなら、この国のこのシステムの中にいても面白いかなと思ったりもするけど、それでも流石にそろそろ飽きたよなぁというのが正直なところ。だから、悪いけど、これでも治らない人は、別の人に手当てしてもらって。

 そして、「あの時代は変だったよね」と、いつか笑って話せる日が来ると良いよね。
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