たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

優しさの最大値

2009-02-28 00:38:24 | Weblog
 このページを開設してまだ少ししか時間が経っていないとき、「優しい」についてお話したが、あの時とだいぶ周りの環境が違ってきて、意見がずいぶん変わったのかなっと思ったりした。先天的能力としての優しさがスベテでないと思っているのと、論理的解釈ができそうだなってとこについて。

 最近の最大の悩みは、自分自身にとっては、どーでもいいような話題について、誰か大事な人が悩んでいた時、それについて解決策をだそうとしたり、共感したりしようとする度量の大きさが、俺には全然ないこと。しようとはするし、実際何回もしたが、どれも心からそうして良かったと思えない自分がいる。
 それに、助けなきゃなとき、自分を犠牲にしてまでやろうって思ってない。。この自分の犠牲、が、どのレベルまでかは、とっても難しいが…。これも何回も、頭で必要だって思って犠牲にしたけど…、心で本当に良かったって思えてない…。

 これら2つが心からできたとしたなら、それこそ俺が到達できうる「優しさの最大値」である。そして、ムカつくことに、実際にこれができるヤツが、この世に確実に存在している。

 本音だけを言えばそれでぜーんぶ良いってことはないだろうし、建前だけを言えばそれでぜーんぶ良いってこともない。自分が、その話題に対して、「うーん、いや、正直、そんなにそこ悩むことに価値を感じないわ~」っていう本音だけを隠して、あとは本音にすれば良いの??これは言っちゃいけないって事柄をいくつか決めて、あとは全部本音なら「優しい」?

 これだけ見抜く度量があるからこそ悩むんだ、ってプラス思考で行きたいけど、そんな気分でもないかな。 
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演技の基礎

2009-02-26 04:41:49 | Weblog
 さっき知ったばっかの話を、あたかもそんなことはずっと前から自分にとっては当然であると言わんばかりに、得意気に話す演技を、読者の皆さんは、どれくらいできるだろうか?
 プレゼンを多くやっていると、案外この演技の重要性に気がつく。しかも、俺の場合は、ただ単に当然って演技をするんじゃなくって、もう一歩思考し、突っ込む。
 そうだなぁ、まぁ、ちょっとテキトウにフリをしてみると……、

 「えーっと、皆さん、これはよく、いろんなとこで、見かける図だと思うんですが、いや、今さらなんですけどね、ここのマルの部分、ほら、ここ、絶対皆さんもこの図描くときは、こーやってマル描きますよね。これは、なんでこー描くかっていうと、例えばこーいうマルにしちゃうと、全然この物理現象を表現できてないことになっちゃうじゃないですか。いや、だって、この式みたさないから…(「さ」を小さく入れる)…。だから、定性的な理解として、こんなマルがベストで、とてもよくこの物理現象をくみ取れてるってことを確認して、うん、これをちょっと頭に置きながら、この次のスライド見てください。」

 ……みたいな。っま、これだと、ちょっと、わざとらしすぎるけどさ。
 俺は、基本、試験前とかプレゼン前とかしか、ちゃんとは勉強しないから、いろんなとこで見かける図ですよねーみたいなのも、本当は昨日見たばっかり…とかね(笑)。下手すると、上から見下す度は同じくらいで、つい20分前にやっとわかったことを得意気に話していたりする。
 このスペックってプレゼンだけじゃなくて、いろんな会話の中でも重要。なんていうのかな、余裕あるフリみたいなの。そして、あえて、余裕無いフリってのも重要。(ここまで言えば、普段で、どっちがどっちか、わからないだろう(笑))

 この2段構え、つまり相手の当然の一歩先をいってさらに攻撃できる状態にする、ってのが、いつものプレゼンの緊張感。欠点もあって、防御が高くってイイんだけど、時間に依存した戦力が落ちる…。
 それでも、重要な試合では、2段なんかじゃすまなくて、4段構えくらいをしている。ここまでいくと、最初っから3と4はもってない演技をしておいて、向こうの攻撃を待ってから、3と4の攻撃を発動する。4まで出し切っても、まだネタがあるかのような余裕を見せておく。これが、最重量装備パターン。
 めったに使わないけどね(笑)。
 でも、それをもすべて見透かしてきやがる相手も稀にいるから(稀っていうか、今まであった中で2人(笑))、世界は広いなって思うのである。
 っま、超必殺技として、完全なる最終手段は、「笑いに変える」ですがね。
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For Once in My Life

2009-02-24 02:55:27 | Weblog
 冗談と本音を、2つ一緒にからめて言うような表現が、俺は一番楽しさを感じる。冷静と情熱のあいだみたいな、よーわ普通の状態っしょ?ってことじゃなくて、まさに、2つを一緒にってとこ。
 どちらかに収束してしまったら、超つまんないし、言葉の楽しさがなくなっちゃうじゃん…っと思う。普段なら。

 だけど、この人生に一度かもしれない、確かな重要さを、楽しさのために無くしてしまうのは、もったいないな。だったら、多少の恥ずかしさやつまらなさがあっても、本音だけをこめていきたいと思う。だって、放出なんかより、受容体が重要なんだしね。

 (Stevie Wonderの名曲だが、俺が聴いているのは、Vonda Shepherdが歌うほうである。アリーmyラブの主人公Ally Mcbealがその彼であるLallyと最後上手くいくと必ずと言って良いほど流れる曲。この曲を聴くと、どんな時でも、自然と落ち着くことができる。それほどの名曲かつ名アレンジだなっと思うのである。)
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遥か

2009-02-23 02:16:57 | Weblog
 物理学などの理系科目(=自然科学)が、個人レベルで、生活に直結して役に立つことが、決してないことは周知の事実である(一応注意を払っておくが数学も同様である)。では、なぜ、ほとんどすべての日本人がそれらの基礎を勉学しなければならないのか?(テストのため…など個々の話ではなく、制度としてどうしてなのだろう?)
 1つには専門家養成のため広く一般に自然科学の簡単なものはすべての人が仕方なく行わなければいけないということもあるが、それだけにしては自然科学なんて難しく面倒な代物なのではないだろうか??

 話を少し変える。

 勘違いしている輩が、専門家(自然科学の、教育の、どちらも)と呼ばれる人達の中にすら、沢山いるので、多少の不安を抱えながら、ここでいつも以上に高圧的に言及しておくが、「自然科学の実力は、解いた問題数に比例して伸びていくわけではない」(もちろん、俺が間違っている可能性は多分にある。しかし、ここまで学んできて、今、心から言えるよ、という思考でいっぱいなのだから、仕方ない)(理系として、比例という言葉はおかしいだろっという突っ込みは大変正しい。「自然科学の実力は、解いた問題数を変数とする一価性の単調増加関数ではない」という表現がより適切だが、言葉の綾というやつだろう)。
 確かに、ある一定以上の問題数をこなす必要はある。しかし、それ以上に重要なのは、「1問から、いかに沢山のことを学ぶか?」ではないだろうか。
 もちろん、このような重要な公式が存在している、こういう現象は知識として知らなければならない、というような基礎的な事項も学ぶべきであるが、なぜここでこれを発想するのか?、ということは非常に重要であるし(何にとって?かは、各々考えて欲しい)、この問題が、学問にとって、自分にとって、試験対策において、良い問題かくだらない問題かを考えることも非常に重要である。

 それらの思考は、必ず、役に立つ。必ず。
 俺は、多くの日本人にこれらの思考をさせることが、自然科学を学ばなければいけない制度の存在理由のほとんどを占めているように思える。

 こういうことを言うと、勉強なんてまったくしないヤツがわかったような口をきいて、「ただ問題数こなしても、ダメなんだぜ?」とかなんとか言いそうだから注意しておくが、俺はそれこそ、ただ闇雲に問題数をこなせば良いなんてことよりも、遥かに厳しい事を説いている。楽をして、何かを得ようとしているわけではないし、残念なことに、そんな裏ワザも無い。

 そんなわけで、自然科学は、経験だけ積めばそれで良いわけではないということをよく教えてくれるだけでなく、扱っている問題の疑問点への焦点あわせをまさに自然科学を行っているときと同様に行うという、一つのシステムを形成させることができるので、大いに役に立つ(っま、このシステムのみに溺れてしまっては、つまらない人間と言わざるを得ないが)。
 経験を重視するんじゃなくって、どれほどそれについて思考し、なぜ?をつきつめ、最後にきちんと反省するという作業が、きっと一番大事なんだと思う。

 それを無意識的にできるようになってきたけど、遠い遠い遥かな場所へ、夢から醒めない翼で飛んでいくために、それを絶対に忘れないでいたい。

 (かなり前の俺のカラオケの十八番。スピッツの「遥か」。カラオケに行くと、これを必ず歌う、という日々もあったんですが、今は全然です。なんか、今日、急に、この曲を思い出したので、記事にしてみました。
 youtubeでPV見てみたんですが…、意味わかんないPV(笑)。わらしべ長者??
 スピッツは、彼らだけが作りだしている独特な世界観が好きなんですが、最近、曲出しているのかなー。)
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頭脳戦

2009-02-22 02:39:43 | Weblog
 2月も22日まで来ちゃって、まぁ、まだまだ春休みだからイイんだけど、そろそろ色んなとこをちゃんとしなきゃなって無意味に焦りだしている日々です。無意味?……、いや、無意味じゃねーか。
 この変な感覚は、頭で考えたことでも心で思ったことでもなく、「なんか」っていう部分である。ちゃんと言えないけど、そーいうのって、言葉で定義できないだけで絶対あると思う。

 器用かどうかと言われたら、俺は決してそうではないから、いくつかの仕事を効率よく同時にこなすことなんてできないけど、いくつかの仕事をまとめてしまうことはできる。それもうまく言葉にできないけど、仕事そのものを変えちゃうってわけでもないんだよね。

 その頭脳戦に勝てる自信があるかどうかと言われたら、正直、ある(笑)。でも、ギリだな。自分が賢くなっていく、その伸び率と、絶対に失敗できない事への本気さを、計算に入れたとしたら。
 いつもいつもあんまり運が無いことを差し引いたとしても。
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ANIMAL LIFE

2009-02-19 01:48:55 | Weblog
 試験のとき、頭による力というのは、その力の種類の使いわけによって、持っているパワーにかかわらず、効果度が変わる。
 例えば、高校の英語の試験で(なんか最近例が英語ばっかですが(笑))、理解力や解析力ばっか使っていても、効果は低いだろう。どんなに理解力や解析力が高くても、高校の定期試験の英語(リーディング)なんて暗記力でこなすところがほとんどなんだから、スコアに現れなければ意味がない(こともないのだが、多くの人にとってはそうであろう)。

 「頭の使い方」。持っている能力をいかに上手に使うかというのは、頭によらない気がする。いや、それも含めて「頭がイイ」と言ってしまうこともできるだろうけど。
 同じようなことが、能力にも言えるし、心にも言える(これらを対等に扱う書き方をしたが、対等なわけではない)。
 だって、どんなに深い生き方や傷つく仕草しても、それが行き着く先を決めるのはいつも相手の心受容体側にあり、そこからcAMPというセカンドメッセンジャーが相手の細胞内に入り込むかどうかってなるんだから、伝える能力と受け止める能力ってあるんだよなぁって、思考する。思考…、なんて便利な言葉なんだろう、心も頭もどっちも入っている。

 俺は、これらが上手く機能しない時、あきらめの気持ちでいっぱいになる。あ、やっぱりダメだ、って。
 でも、俺は、本当に信用する人たちのおかげで、いつもいつも、助かる。何かの原因でその機能が壊れたとき、崩れ落ちそうな崖に手を伸ばし、助けてくれる。だから、だいたい、同じ失敗を繰り返さないで済む。

 「K君。だって、そう思ったんでしょ?」
 『うん、でもそう思ってたことを、一瞬思えなくなって、明日の朝にはとっくに心変わりって感じ。でも考えると…。』
 「〈考え〉なんて低級なもんなんでしょ?…、だったら、それ、まだ…。それを時間の浪費っと思うんなら別だし、とっくにそうだとたいていの人間は外から見たら思うけど、でも、K君のことだから、それじゃ納得できないでしょ?」
 『あぁ、まぁ…。』

 その後、思考錯誤、試行錯誤、志向錯誤するのは、結局は自分自身だけど、だからって、感謝をしてもしきれない。

 「君にも、まだ、世話になりそうだよ」

 っという、あれだけの超本音トーク後のわかりきったお世辞ですら、俺は泣ける。
 もうちょいチャージしてからねって、いいわけて、また叱られるのだろう。

 (基本的に、イヤラシイ曲はNGなんですが、この曲はアリかな…??
 いや、案外、最終的に、こんなもんだよね、って割り切ってるとこもあるんですが、やっぱり、それだけじゃねぇ。。草食系男子っぽい僕としては、無理です(笑)。
 ってか、マイラバって、生物用語が多い気がするのですが、気のせいかな…?)
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理学系の教科書、参考書の紹介

2009-02-17 02:11:26 | Weblog
 理系大学に入学して、3年が過ぎた。思えば、あっという間の日々であったなぁ。
 まだ入学したての1年生の頃、大学の参考書や教科書選びに、困ることが多かった。これからちょっと、大学1年生から今までに読んだ、触れた、教科書と参考書をまとめておこうと思う。載せるものは推薦図書とかではなく、触れたものは覚えてる限り、すべて、紹介します。これから理工系へ進まれる方や、同じような分野を勉強されてる方の参考となれば、幸いです。
 あと、あー、その本知ってるーみたいなコメント待ってますんで(笑)。それから、僕は、正式な所属は物理学科なので、他の分野では、少しおかしいとこがあるかもです。

 大学の専門書の紹介の前に…、高校の理科の参考書である∑bestの「理解しやすい物理ⅠⅡ」「理解しやすい化学ⅠⅡ」「理解しやすい生物ⅠⅡ」と数学の「青チャート」は、この3年間で何千回も開きました。その理解不足は、大学レベルなのか高校レベルなのかは、いつも微妙なラインだと思います。

 
 ≪物理数学≫……主に、物理学科で開講されている数学のために書かれた本です。そうでないものもありますが。

 ・「改訂 微分積分」州之内治男、和田淳蔵著(サイエンス社) 極限、微分積分、偏微分、多重積分が載っている教科書です。基礎的な微積はこれ一冊でカバーできます。付録に1階、2階の微分方程式の基本解法が載っていて、便利です。
 ・基礎解析学コース「ベクトル解析」矢野健太郎・石原繁共著(裳華房) ベクトル解析、特にベクトル場などの理解は、なかなか1年生ではイメージが掴みにくいんですが、これは演習問題も簡単で、ガウスの定理、ストークスの定理まで、よくまとまっていると思います。
 ・村上正康他著「教養の線形代数・四訂版」(培風館) 数学科以外の人には、少し、数学チックすぎると感じるかもしれません。でも、最低限、線形代数で必要な知識はまとまっていて、非常に厳密に書かれているところがよいです。また、イントロダクションでは、高校数学の旧々カリキュラムで扱われていた平面の方程式の範囲も書かれています。
 ・「物理のための数学」和達三樹著、岩波書店  岩波の入門コースシリーズは、どれも、1年生には扱いやすくて、良いと思います。この物理数学もきちんと読めばわかるように書かれています。
 ・「演習 微分積分」「演習 線形代数」「演習 ベクトル解析」「演習 応用解析」 寺田他共著 (サイエンス社)  大学1or2年生向けの青チャート的ノリの参考書シリーズです。どれも非常に親切な解説で、授業中に解いた問題に加えこれらの中の良さそうな問題を試験前にきちんと演習しておけば、間違いなく単位はくるでしょう。
 ・「詳解 物理・応用 数学演習」 後藤他共著 (共立出版) 上の4冊の演習書で扱っている範囲のより難しい問題と扱ってないような範囲、デルタ関数や変分法や群論の導入部などのよく見かける問題が記載されている演習書です。俺は数学で困ったら、だいたい、これをまず開きます。
 ・「数学 -物理を学び楽しむために-」 田崎晴明著  これは本ではなく、田崎先生のページにアップされているのですが、僕は、非常に面白い、読み物として、扱ってます。あまり俺は賢いほうではないのでこう思うのかもしれないですが、初学者向けの教科書としては、少し厳密すぎます。すべての範囲を一通り学び終えた学生なら、面白いと感じれると思います。
 ・「物理数学の直観的方法」長沼伸一郎著 数学の本のくせに、定性的な話が豊富で理解しやすいです。rotの定性的意味、複素解析など、直観的に問いかける形なので、読んでいてわかったような気分に浸れるし、楽しいです。


 ≪力学・解析力学≫……ニュートン力学と解析力学の本です。

 ・「セミナーテキスト 力学」御子柴・二見・鈴木公共著(サイエンス社) これ一冊で必要な演習問題はすべて載っていると思います。また、問題の前にあるまとめが、素晴らしく、覚えなきゃな内容がすぐわかります。 ただ、解説がないのが、欠点ですね。
 ・岩波基礎物理シリーズ「力学・解析力学」 阿部龍蔵著 (岩波書店)  このシリーズは最初からきちんと読めばわかるので好きなんですが、解析力学んとこが、特にわかりやすいと思います。
 ・「力学演習」青野修著 理工基礎物理学演習ライブラリ (サイエンス社) あんまり使わなかったですが、持ってた演習書。最初の物理学の導入のとこが面白いです。


  ≪電磁気学≫……マックスウェル方程式を説明する学問の本です。

 ・「Introduction to Electrodynamics」  David j. Griffiths著   英語の教科書であるという最大の欠点に目をつぶれば、良い教科書だと思います。ただ、ちょっと文字が他の本に比べて特殊なのと、会話調なのが気になりますが、電磁気で必要な知識は、これ一冊で網羅されていると思います(ゲージ変換や電磁波なども)。2章5章7章に比べて、3章4章6章のがわかりやすいかな。
 ・「電磁気学I,Ⅱ」 長岡洋介著(岩波書店) 物理で初めての範囲を大学でやるときは、岩波の入門コースは一読の価値があるんですが、電磁気も例外ではない。多重極展開が載ってないのと物質中の電磁気学の範囲が薄いのが欠点だが、この教科書で電磁気の大枠をつかむことができるはずだ。
 ・「理論電磁気学」 砂川重信著 たまにパラパラ書店で見るんですが、難しい教科書ですよね。上の教科書はマックスウェル方程式をクーロンの法則とビオサバールの法則から導出するような書き方でありますが、この教科書はマックスウェル方程式を既知として、話を展開していくタイプの教科書だったと思います。あんまり、僕は、参考になりませんでした。でも、砂川先生の考え方シリーズはいろんな科目で、有用です(特に一つ一つ紹介はしないですが)。
 ・「例解 電磁気学演習」長岡他共著 岩波の入門コースの演習書。簡単な電磁気のレポート問題なら、この本にだいたい記載されている。そういった意味で、電磁気で一番、開いた本でした。 
 ・「詳解 電磁気学演習」後藤他共編 (共立出版) 上の演習書には載っていないもっと難しいレベルの問題が多く記載されている。上のと二冊で、レポート問題はどうにかなる。特に、特殊解法である鏡像法や等角写像のとこが載っているのが嬉しい。電磁波やプラズマや回路の問題も豊富です。
 ・ファインマン、レトイン、サンズ著「ファインマン物理学Ⅲ 電磁気学」(岩波書店) 定性的な話が多く載っていておもろいが、このファインマン物理学って、教科書ではないよね。一回だけ、レポートのネタに使ったことがあります、ってか、先生がこの本からレポートのネタとってるなーっと思ったからなんだけど。


  ≪量子力学≫……現代物理学の一つで、シュレディンガー方程式などが出てきます。波動関数、確率論など新しい内容ばかりです。

 ・「Quantum Mechanics」Schiff, McGraw-Hill著 シッフは、問題を解くという意味では優れていると言われてます。僕は、こーゆー系の教科書の割には、全体的にわかりやすく書いてある厳密な教科書だなーっと思いますが、あんまり初学者向きじゃない気がします。
 ・「Quantum Mechanics」 W.Greiner and B.Muller, Springer-Verlag著 グライナーもわかりにくいと思いますが、まぁまぁ有名なんで。2準位系のとこが詳しく載ってて多少使いました。
 ・「Introduction to Quantum Mechanics」 D.J.Griffiths著 グリフィスは前期量子論が無いのと訳書が無いのと問題の解答がないのが欠点なんですが、まぁまぁこれは上手くまとまっていると思います。英語が苦手じゃないなら、まあ、理屈を理解するのに持っていても良いと思います。
 ・「量子力学1&2」猪木慶治他著 (講談社) 最も一般的な教科書であると思う。きちんと読めば必ずわかる、という点で、素晴らしい教科書。だけど、やっぱり、独学で学ぶには難しい教科書だと思う。変分原理が載ってないのが欠点。散乱問題や摂動論はわかりやすい。
 ・「基礎量子力学」猪木慶治他著 (講談社) 独学で学ぶんだったら、これは理解しやすいかも。はじめはこの教科書で、じっくり量子論を理解していって、あとから厳密な教科書を使えば量子力学をあきらめなくてすみそう。
 ・「ファインマン物理学Ⅴ 量子力学」Feynman著 (岩波書店) 独特の切り口から量子力学を扱っている教科書…ではなく読み物(笑)。これもきちんと読めば必ずわかる、が、その価値があるかどうかは別。
 ・「詳解 量子力学演習」後藤他共編 (共立出版) レポートが出されて、はじめに、同じ問題がないかな?って探す本。そして、たいていある。物理を専攻としない人には高度すぎるかもしれないけど、わかりやすく書かれていると思う。量子化学や超伝導、量子統計、量子生物学なども載ってて、多彩。


  ≪熱力学・統計力学≫……統計力学がメインです。

 ・E.Fermi著「熱力学」(三省堂) 標準的な熱力の教科書。ある程度、文字も多くて、わかりやすい。でも、あんまりこれを使って、熱力を勉強しませんでした…。ってか、あまりちゃんと、熱力を勉強してないかも(笑)。
 ・「統計力学」長岡洋介著(岩波書店) 統計力学の標準的な教科書。わかりやすいっちゃわかりやすいが、多少、厳密さを欠くシーンがある。演習問題が一般的な良い問題が多いし、解説もある程度親切。
 ・大学演習「熱学・統計力学」久保亮五他著(裳華房) 問題量が半端なく多い。レポート出されて、同じ問題がないか探す参考書としては、超一流。たいてい載っている。持ってると安心する参考書の一つ(笑)。
 ・田崎晴明著「統計力学 I&II」 新物理学シリーズ 37,38 (培風館)  田崎先生の統計力学の教科書もわかりやすいです。そして、定量的にも定性的にも厳密です。この人の文章の書き方がちょっと僕に似てる気がするんですが、どうでしょうか?注ばかり読んでると時間が過ぎるのが早いです。


  ≪その他物理学の教科書≫

 ・「キッテル固体物理学入門」(丸善) 固体物理の基礎的な内容がきちんと書いてある教科書。訳が上手くないっという声を何人かから聞きますが、まぁ、許容範囲じゃん?これの演習問題集もあって、それはかなり使えます。格子系のほうが電子系よりわかりやすいと思います。
 ・「物性物理学」塚田捷著 (裳華房) 固体物理で一番開いた教科書。あんまり有名じゃないけど、わかりやすく色々な内容が載っている。超伝導と輸送方程式がわかりやすかったです。
 ・「計測における誤差解析入門」 John R. Taylor著 (東京化学同人) 誤差論の本はたいていわかりにくくて、意味わかんないのが多いんですが、この教科書はとってもわかりやすく書いてあります。問題も載っていて、実際の実験の誤差解析をする上で役に立ちます。ショーブネの判断基準や最小二乗法による線形回帰などは、必読です。
 ・「相対性理論入門講義」風間洋一著 (培風館) 相対論の内容がお話のような感じで書かれている。相対論はこの教科書しか見てないので詳しくはわからないが、この教科書は理解しやすかったと思う。
 ・「Optics」 E. Hecht著 光学のよく見かける教科書。内容が豊富…、だが、無駄な内容が多いという印象も。読み物としては面白いけど、教科書としては使いにくい。


  ≪数学系の教科書≫

 ・「入門・演習 数理統計」 野田一雄他著  数理統計学の教科書で演習問題の解説が無いのに目をつぶれば、良い教科書だと思う。独学できる。初めのほーは、簡単すぎ。推定んとこから、ちゃんと読まないとわかんなくなる。
 ・「グラフ理論」 恵羅他著 (産業図書)  これは読み物的印象が強い。グラフ理論ってのは、物理学科としては、なんで存在してんのかよくわかんない科目であるが、まぁ、おもろいっちゃおもろい。もう、なんも覚えてないけどね(笑)。


  ≪化学系の教科書≫

 ・「理工系の基礎化学」(エース出版) 大学レベルの化学のだいたいが載っている教科書。案外、物理学専攻であっても、3年まで使ってた。前期量子論の内容は、厳密さは少々欠くかもしれないが、量子力学の意味わかんない教科書よりも全然わかりやすく書いてある。
 ・「アトキンス 物理化学」P.W. Atkins著 (東京化学同人) 物化の一般的な教科書。上巻しか持ってない。下巻を買う予定はないです。平衡と構造と変化に分かれてて、物理の教科書などよりも熱力や量力はわかりやすいと思う。熱力などをあきらめるなら、こっちを見てからあきらめましょう。案外、補遺が一番使えるかも。
 ・「マクマリー有機化学」 JOHN McMURRY著 (東京化学同人) 上中下巻にわかれる有機の一般的な教科書。上巻持ってて、中巻までは買う予定です。問題の解答は別冊ですが、演習問題以外は簡単な問題が多いです。基礎編もあって、化学を専門としない人は、あれを見てみると有機のアウトラインが掴めます。
 ・「現代有機化学」ボルハルト・ショアー著 (化学同人) 上下巻に分かれる、マクマリーでいまいちよくわかんなかったときに開く、俺にとって、サブ役の有機の教科書。これはこれでわかりやすくて、良い。
 ・「量子化学」 原田義也著 上下巻に分かれる量子化学の教科書。物理学専攻の学生にしてみると、なんて上手くまとまった量子力学の教科書なんだーっと思う。実は、俺の量子力学のメインの教科書。数学が苦手だけど、定性的なのばっかりなのもイヤっというわがままな俺みたいな方に、おススメ。かなり幅広い人にとって、役に立つ教科書だと思う。
 ・Trudy&James R.McKee著「マッキー生化学」(化学同人) 生化の教科書で、ヴォートなどに比べ少し定性的なもの。生物系を専攻してない人にとっては一番読みやすい生化の教科書だと思う。おもしろい話題も多いし、絵も多い。どーでもいいけど、夫婦で書いてる教科書なのかな…?持ってる教科書の中で一番デカい。



 もちろん、これ以外にも沢山の本に触れてきましたが、なんせ、図書館や書店で沢山の本を見ていると、いちいち名前を覚えてないのもあって…。熱力や物化、生化、分子生物学などは、特に、謎な覚えてない教科書で助かってます。あと、授業で使う専用の教科書はここには載せませんでしたが、それも役に立ってます。っま、図書館や本屋に行きまくってれば、自然と…。
 まだ、忘れてるのもあるかもしれないですから、この記事は、更新していくようにしたいと思います。
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そして「What Is Life?」へ

2009-02-15 03:39:13 | Weblog
 「生きていく上で、最も重要なもの達は何か?」
 その問にさらっと答える者の多くは深く考えてはいないだろうし、その問にきちんと答えられる者の多くも深くは考えていないだろう。

 何かを学ぼうとするとき、「定義」には2種類の理解の仕方がある。ひとつは、これをこう決めたのだからこう覚えるしかない、っというただの暗記によるもの。ふたつめは、これをこう決めておくとこのように後々便利だし議論が進みやすくなるはずだ、っという後付け的理解である。(すべての「定義」は後者によるものだ、と反論されそうだが、まったくそのとおりである。だから、俺は「何かを学ぼうとするとき」という条件文をつけている。)
 ふたつめの「定義」の理解の仕方に従うとするなら、上の問に必要な定義はなんだろうか?
 定義…、いや、axiom(「自明の理」の意だが英語のままのほうが近い)という表現のほうが正しいかもしれないけど。定義やaxiomというと、まるで、頭で考えて決めたもの、社会通念上仕方ないこと、っという認識を持ちがちだが、ここではそうではなく、むしろ、例えば、この感情を持つことは、人間が人間として当然のことであるということを認めるような、定義である。

 実際に、俺が考える、上の問に必要な、定義やaxiomをいくつか挙げてみよう。

 「人が人を殺すことは最も重い罪である」(再三注意しているが、『刑法上の決まりだから』などというような、くだらないことを言っているわけではない。)
 「誰も皆、さびしがり屋である」
 「誰にでも変化を恐れる気持ちがある」

 全然まだ、核心に行きついてないですが、具体例はここで止めておきますか。

 あなたは、あなたの考えるそれらの道具を使って、上の問の自分の出した答えに対する証明ができるかにゃ??

 そうそう、これができたとしても、できなかったとしても、実際のあなたの半分より少し多いあなたくらいでしか扱ってないことを、忘れてはいけない。だって、いくら感情を含んでいる議論だったとしても、「証明」と言った時点で、言葉にした時点で、心のことなんてスゴイことは、感情なんて果てしないモノは、完璧には表現できないんだから。
 あくまで、頭で考えたことのみっ!
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ひとり

2009-02-12 03:02:38 | Weblog
 どんなときでも、不安は持っているものである。何せ、まだ、自分自身の身体が未体験なのだから、不安であるのは、とても自然なことだし、当たり前のこと。
 大切なのは、自分の限界を決めつけてしまわないこと。これしかできないし、あれしかできないし、自分はこんなんだし…、っと思い悩むんじゃなくって、あれもしたいし、これもしたいし、んでさ、案外、自分って、これとかもできちゃうんだよねぇ、って思い込む、一種の自己催眠をかけるのが、ポイントだと思う。
 結果、無理かもしれないから、きちんと保険をかけておく必要はあるけど、今が楽しくないよりは、今も楽しくって、将来も楽しいかもしれないほうが、幸せっしょ??

 そんなことを、将来に向けて、あわただしく動き出す周囲とあまり動いてないと装ってる自分自身を観察しながら、思います。

 だからって、俺が、そういう風に、いつもいつも考えられてるわけじゃなくて、不安でどうしようもないとこを、どーにかごまかそうとしているだけだったり…、でもそれでも、きっと今よりも楽しい日々が待っていることを本気で期待している。
 これまではそうだった。いつもいつも、先へ進めば、より楽しかった。それは、今までが、ずーっと学生で、学生なんだったら、それで普通なのかもしれない。
 だけど俺は、それしか知らないわけで、変に大人ぶるのもよくわかんないし、きっとこれから先のほうが面白いって今は思わせて欲しいと思う。いや、考える(笑)。

 瞳の奥にある小さな未来の光…、それぞれ別の道へ向かったとしても、全然かまわない。前に前に前に前に、知っていたみんなと、今、もうすでに違うけど、それでも、意見の否定と人格の否定は違うのと同様に、それぞれの道を尊重しあうことで繋がってられるんだと思う。

 (僕の音楽の本職は、今はアカペラなのに、いままで一回もアカペラ曲を紹介してませんでしたね。この歌記事ではゴスペラーズの「ひとり」をテーマにしてみました。
 俺はこの曲のリードを歌い始めて、もう2年になろうとしていますが、まだまだ研究のし甲斐のあるアカペラ曲だなっと思います。っま、僕らは4人譜でやってるんですけど。
 たまにはアカペラやってる人用のコメントをしてみますが、この曲は何が一番重要かというと、サビの字ハモの、空白の瞬間だと思います(少なくともうちのバンドではそうです)。全員一斉に、スパッと、区切るところは区切る、伸ばすとこは伸ばすが合っていないと、カッチョ悪い。あと、トップコーラスの「ひっ、とーみーのー」のとこの字ハモは難しいですよね。音も取りにくいし、合わせにくいと思います。
 リードは、2サビの上の上のF♯がでるか…!ってことですが、っま、裏声得意ならこれくらい出せるように頑張りましょう。この疲れたあとのブリッジでの感情の挿入具合によって、曲の完成度が変わってきます(笑)。よーわ、裏声の体力がいかほどか?が勝負です。)
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大切な確率論

2009-02-10 03:09:35 | Weblog
 新しい物理学などの理論を作るのは簡単だ。今まであったモノをすべて無視するなら。
 だから、新しい科学というのは、今まで何故それまでの理論で成り立っていたのか、観測値と一致してしまっていたのかの、説明を含む必要があるらしい。 
 それが、今まで、量子力学を学んでて、得られた一番大きいことかもしれない。

 真剣勝負をするって決めた時こそ、いろいろなモノの中間を忘れてはいけない。
 っま、相手に依るっちゃ依っちゃうんだけど、どちらも含めて放出したモノを受け取り手が、それをどっちかに収束させずに、期待値を求めるために積分したりビリアルの定理を使用したりせずに、電子雲を一つの座標に定めずに、扱ってくれる人は数少ない(意味がありそうな、意味わかんないことをワザと言ってます(笑))。
 次、戦う相手はどうだろうか。

 いや、ヤツらは、その世界では超一流だからな。きっと、こっちのそれに気がついて、さらに、むこうから確率論的なモノを繰り出してくるはずだ。
 んじゃ、こっちも、観測者として、波動関数のまま扱うべく、人間レベルを超えなきゃな。
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現在の教育の問題点について

2009-02-09 01:43:14 | Weblog
 ずーっと前に、言ってた、「教育の問題点について」です。8000字以上のレポートって、案外きついですね。これは完全に大学にそのまま出す想定で書いた「レポート」なので、こんな内容でも、本音15歩手前くらいですが、どうぞよかったら、がんばって読んでみてください。えーっと、約束してた彼以外は、こんな記事なんて読まなくても文句は言いません。

………………………

 現在の教育の問題点について、主に中学高校について、論述していく。

 まず、日本の教育のスタンスとして問題点がすぐに思いつくのは、色々なことに対して「横並びであることが素晴らしい」という発想であると思う。制服、校則、授業など、色々なものを横並びにし、個性を出しにくくしている。

 中学生並みに幼い意見だと思考されることを覚悟して書くが、髪が長かったり、染めていたり、そのようなことを指摘し、注意するのに、いったいどれほどの意味があるのだろうか。これらについて、何も考えず、「髪が黒くて、染めてなくて、ってのは常識でしょ?」っと指導する教員が、「これからは国際的にならなければいけない」などと言ったりする。矛盾も矛盾である。自分の周りの容姿を認め尊重できないような人間が、本当に世界の人々とも尊重しあえるのだろうか。世界には、髪の毛の色なんてバラバラだし、極論を言えば、裸族だっている。
 大切なのは、まず、バラバラである事を認め合うことではないだろうか。そこの土台がないと、誰とも本質的に語れあえないし、誰とも本質的に干渉しあえない。
 ただ、多様性に富んだ人間集団が怖いのは、人間の本能として仕方が無いのかもしれない。普通に考えて、例えば、30人がみんなで同じモノを食べている中、1人だけ宗教的な理由か何かで「いや、俺はそれは食わねぇ」なんて言ったら、当然誰かはムカっとするだろうし、場は白ける。横並びでいたいのは仕方ない。事実、私も自分と違う人は単純に怖いし、自分が他の人と違う部分というのは強く意識する。
 しかし、それを助長し、しかも正しい事であると、多くの人に植え付けているのは、紛れも無い学校教育そのものである。

 それ以前に、くだらないことが校則化されていて、まるで「先生は偉い人」「生徒は先生に従順になるべき」と言わんばかりの校則も存在する。例えば、私の中学では、ケータイを持ってくるのは禁止であった。MDやCDなども禁止であった。いったい何が目的なのだろうか。正直、いまだにわからない。
 本当に生徒の事を思うのであれば、本当に生徒の安全を考えるのであれば、むしろケータイなどは持たすべきではないか。学校教育というところが社会を知る準備の場所であるのだとしたら、これからさらに重要になっていくケータイについて、その使い方やモラルを教えていくような教育をしなければならないはずである。
 いや、もしかしたら、この例はこれはこれで不条理という社会の図式を私にレクチャーしてくれたのかもしれない。ここまで書いてきて初めて極めて当たり前な本質を1つだけついておくが、教育の問題点を語ることは、同時にこの日本社会の問題点を語ることと切り離せないのである。

 横並びであることは、安心する。そして、この横並びに関係している学校教育のレールに乗っかるということは、非常に安定し、自信にさえ繋がることはあるであろう。しかし、必ず誰しもいつかはレールを自分で敷かなければならないシーンもあるだろうし、レールでないところを走っていかなければならないようなこの社会である。
 学校教育というところは「『レールから落ちたら、お前等はダメになるぞ』っとは教えてくれるが、レールに乗っかり過ぎて降りられなくなってしまうことのほうがよっぽど怖いということは教えてくれない」ところなのである。

 「レールに乗っかり過ぎて降りられなくなってしまう怖さ」とはどんなものであるのか。ここから少し、ゆっくりそれについて語っていこうと思う。

 具体例から。私は、中学の頃、成績はまぁまぁ良いほうだった。中学や高校の成績は何が一番の指標になっているかといえば、中間、期末などの、定期考査である。
 どのような勉強法をとっていたかといえば、試験前に暗記事項をいっきに詰め込むという勉強法だ。ただ、私の場合、例外が2つだけあって、英語と数学については、試験前に特別何かやらなければならないというわけではなく、普段の感じで、学年で一桁台の順位がついていた。数学は自分でどんどん先に進んで問題演習していって、高3までまともに授業を聞いたことがなかったが、ずっと成績は良かった。英語は、ちょっと習っていたのもあったし、自分でよく勉強していたのもあって、中学時代は成績が良かった。あとの科目は、全然理解せず、板書を丸写しして、試験直前対策で乗り切っていた。
 かなり多くの所謂、普通の元優等生諸君には理解してもらえると思うが、このような勉強法であると、試験後1週間もすれば、年号や化学式や重要人物や公式、そのtechnical termの何から何まで忘れてしまう。こんなんでも総合成績、学年で2位とかついたことがあるんだから、自分自身でも驚きである。
 当時よく冗談にしていた例えとして、私はこの直前丸暗記対策に「ヘモグロビン勉強法」などとつけた記憶がある。ヘモグロビンは酸素運搬体である、言いかえればヘモグロビンはO2(酸素)をくっつきやすく離しやすい、直前に丸暗記する勉強法も記憶をくっつけやすく離しやすいからである。

 もう、この時点で、問題点がある。それは、学問の目的というのは、色々なモノに対して「なぜそうなっているのか?」を考えることなのであるのに、これでは試験のための学習になってしまっている。言葉を変えるなら、「ゴールはモノを覚えるということなのに、試験前にただ丸暗記していることが評価になってしまっている」。
 そう、私は、「学問をする」ということは「『なぜ?』と思う」ことの必要条件であると考えている。しかも、それは、ほぼ必要十分条件(同値、つまり同じこと)であると思うし、学問のコアを占めているものは「なぜ?」であると思う。 
 
 例を英語にとってみれば、私の言ってることが、簡単に掴めるかもしれない。

 英文法を利用して英文を眺めている時は、「なぜ?」と思うことも多く、本来の感覚に近い。
 この文章は、第三文型であるから、このように訳す。なぜ三文型かというと、動詞が他動詞であるし、この動詞は三文型を作る語法を取ることができるから。この動詞は四文型も取れるような語法があるのに、なぜこの文章は三文型と断定できるかと言うと、その目的語以下に、他に目的語を取れるような品詞や節が存在しないから。目的語を取れるのは、名詞、代名詞、名詞節など。
 これは、学問学問しい、本来の姿であるかもしれない。

 だが、英語というのは、それだけではない。いや、それだけでは、使えないし、入試科目として英語を見たとしても、足り無すぎるっと、きちんと言っておこう。
 地道に単語を覚えなきゃいけないし、文章をある程度スラスラ読めるようになるにはそれなりの慣れも必要だし、喋りたいのであるのなら、どんどん知っているモノを使って英会話していかなければならない。

 要は、英語を「英語学」としてみたとしたら、やらなければならないのは、基本的に文法と各語法の理解のみである。基本的に、調べればすぐわかるというものを行っているときは、本来、学問をしているとは言わない。
 だが、喋りたい、定期テストや受験できちんと得点したいと願う時、学問に「暗記」や「慣れ」が介入してくるのだ。

 他の科目でも同様であるが、「暗記」や「慣れ」というのは、なかなか苦痛を伴うものである。殆どの教育機関では、「暗記」や「慣れ」の作業を勉強と定義し、それをすることが最もよく勉強しているかのような錯覚を伴うような方針をとるが、実はそうではない。勉強する事というのは、むしろ、「『なぜ、そうなるのか??』を考えること」であって、必要がないのならば、紙などに書いていくという作業も必要ない。
 この「なぜ?」に学問そのものの価値をもが集約されており、「なぜ?」を感じることと、「なぜ?」の解決の糸口を見つけ出すことが、学問を楽しんでいるということに他ならない。

 当時、もちろん、ここまで思考してたわけではないが、周りから「スゴイね」だとか「頭イイんだね」だとか言われるたびに、自分ではまったく自分がスゴイとは思えなかったし、むしろ俺は成績良くなかったらどうなってしまうんだろう…と不安な気持ちばかり抱いていたような気がする。

 この問題点を確認してから、もっと大きな問題点へ向かおう。

 私自身の話は、ここからは一般的でなくなってしまう。私立中学から公立高校に進学したため中学の成績などは、関係なかったからだ。だから、止めておこう。
 内申点によって高校を決めることは至極普通であると思うので、それによって、それなりの高校に入ったとしよう。私はもう高校からは続けなかったが、いや、というより内容が難しくなったのも手伝って続けられなかったが、このヘモグロビン勉強法を続けていって有効だったとしよう。覚えては忘れ、覚えては忘れの繰り返し。成績はトップクラス。それをもってして、指定校推薦を利用して大学へ入る者もいる。
 少し欲がでる者、金銭的に余裕がなくて国立大学を狙う者、成績が悪くて指定校など取れなかった者などは、大概、一般入試で大学へ入ることになる。

 推薦入試で大学へ入学する者のほうが一般入試で同じ大学へ入学する者より、大抵、学力面で一歩隔たりがあるなどの、くだらない問題点を挙げるつもりはない。
 それは、誰でも1度は考えるだろうし、確かに私も問題であると思うが、そんなことよりも遥かに問題な事がある。(私は、推薦入試で入学した者が一般入試で入学した者より、本質的によくない、などとは言っていない。本質的に悪いのは、推薦という制度そのものであり、その制度の存在を知った者であり賢さを持った者なら、それを選ぶことは、至極当然なことである。)

 一般入試は、今までの勉強の総決算といって良いだろう。
 今までヘモグロビン勉強法で誤魔化しつづけてきたところをある程度、修正しなければならない。頑張って頑張って勉強して、この時期に初めて「勉強は思考そのものである」ということを学んだり、「暗記と理解」の境界線の引き方を学んだりするのだろう。
 色々なモノを犠牲にして、勉強する者も多い。受験に関係ない科目は勉強しないとか、遊ばないとか。私は、日々感じることだが、難関大の学生であればあるほど、普通の事を知らない人が多くなる(他人様のことは全然言えないほど、私も一般知識がないですが)。特に感じるのは、あまりに普通に人と話をすることができないなっと思ったりする(いえ、ですから、人のことは言えないんですよ(笑))。この原因は、単純に、勉強は基本的には1人でするものだから、人と話をする時間が著しく減ってしまっているのかもしれない。(もちろん、私自身そうであるが、勉強は誰かとすると、効率が上がると思う。だが、理解や解析には沈黙が必要であり、そういった意味では、きちんと力量がある者同士でないと不可能だ、っというところで、人と話をするのが不得意な者が増えるのであろう。)
 勉強に楽しさを見いだせなくても、それでもまだまだ勉強して、必死で頑張って勉強して、そして見事、大学に合格したとしよう(必ずしも第一志望の大学でなくても構わない)。

 大学に入ると、世界は一変する。大学は、本来、知を獲得し、開拓する場である。極上の理想論を言えばの話だが。
 大学の授業というものは、ただ漠然と出席しているだけでは、知の獲得はできない。しかし、その知の獲得の証であるはずの単位は予想以上によくとれてしまう。これまでのヘモグロビン勉強法に加え、全国大会である学問の本質をもつきかけている大学入試を突破してきた連中が大学の定期試験を受ければ、簡単なのは当然の結果である。それに、大学の成績というものは、これまでの成績とは比較にならないくらいどうでもよいものである。文科系理科系問わず、大抵、どうでもよくなってしまう。
 そして、どこからともなく、今までとはまったく違う言葉が飛び交うのである。

 「これからはコミュニケーション能力が重要です」「難関大卒でも、ぜんぜん仕事ができないなんて、いったい君は何をしてきたんだ?」

 ここが、レール上で言えば、1番オカシイ点であると思う。

 18歳まで、学問を勉強することによって、評価されてきた。それが正しい事であるとずっと言われつづけてきたのだ。これまで積み上げてきたもの、これまで頑張ってきたもの、それを全部チャラにさせられて、これらの抽象的な、まったくもって関係ないもので最後評価されてしまうのが、とてもオカシイと感じる。

 諸外国、特に先進国で、学校というところは、仕事に必要なスキルをつけることを目的としている。学校にいる間に、仕事に必要な様々なことを学習して、それを活かして、自分の力で社会人として仕事をしていくというスタイルが普通である。
 しかし、日本はどうであるかというと、学校で、いや学校教育というレールの上で、無意味な学問を散々させられて、それによって評価されつづけてきて、さらに生活態度までご丁寧に指導させられて、結果的に、仕事が何もできない状態で、社会人となるというスタイルなのである。
 これによって、多くの日本人は、真剣に、こう考える。「勉強ができても仕方ない」

 大抵、世界の子供たちに、「何で学校行くのか?」っと聞くと「勉強するため」と答えるという。ところが日本は、「友達に会うため」っと言ったり、大学行く理由を聞くと、「行かない理由がないから」などと答えたりする。これを考えても、日本がどれほど、学校という場所を生活の中心にしすぎていて、人生というものを何かの定式化しないといられないとわかるだろう。
 「新規学卒一括採用」。これが日本固有の非常に特殊な制度である。一回、非正社員になると正社員になるのが大変であり、転職ばかりしているとダメな人間だと思われたりするのは、この制度があるためである。
 この制度は、とても日本人らしい制度である。レール、集団、枠…。それらすべてを物語っている。一つ集団を決めてしまえば、あとはそこに居座り続けるだけという楽ちんさ、安定さ、本当は心がつながってないからこそ図る仲間化も、すべて。

 この仮想的な仲間化(学校生活でいうなら、学級やクラスや部活動で行われる「特別活動」の一部を言ってしまうのかもしれないが…。そうであると言いたくない気持ちがある。……、むしろ、「飲み会」などに近い。)は素晴らしいのかもしれない。なぜなら、本当の心を見せる苦労をしなくても、誰かと繋がっていられる…、いや繋がっていると幻想を抱けるから。しかも、仲間化をして、みんなで演技しつづけることによって、本当にホンモノの仲間になることだってあるんだから(そのような経験は確かに多いが、いったん集団が時間によって崩されると、長続きはしない。一般企業に入れば、期間がとても長いから、長く続くと感じるのだろうか…?)。
 しかし、問題点も沢山ある。
 演技し続けられない者、もしくは何らかのルックス的なことなどの事情で最初から枠外だと扱われてしまう者は、非演技者であると、非協力者であると、いじめられる可能性がある。
 それだけではない。学校、社会と場所を問わず、演じたくない人間は、本音を出す場で、演技に疲れたという顔をするだろう。

 どんな人間にとっても最悪な出来事の一つは、「頑張っても報われない」。
 「どーせ、頑張って、勉強したって、あんな風になるのか…。毎日帰ってきて、あんな顔するのか。いや、うちのお父さんは、東大出身じゃないからかなぁ。東大だったら違う??でも、俺、そこまで勉強できる気もしないしな…。」
 日本のレール制度は、「勉強しろっと言っている一方で、勉強すると無駄であると示唆するような」制度なのである。この矛盾に気が付くとき、喪失感でいっぱいになるし、楽しさなんて何もないような気持ちさえする。だって、いつも一緒にいる連中すら、本質ではなく、演技による楽しさなのだから。
 これは、きれいにレールに乗っかっていすぎた人間の心情を想定したものであり、たいていの人間はどっかしらで反抗したりするだろうから、そうはならないだろう。たいていの人間は、本当に心許せる人が一人くらいはいるだろうし、本当に楽しい瞬間はお酒無しの状態であることを知っているし、楽しさ≠大騒ぎであることをよく知っている、ましてや肉体関係などではないことは重々承知しているだろう。(では、読者の本当に楽しい瞬間はなんですか??え?無い??大丈夫、無くても心配しないで。今から探せばイイだけだから。)
 だが、不幸なことに、反発しすぎれば、社会への反発的な事そのものが楽しいことであると錯覚してしまう。
反発しなさすぎて、レールに乗っかりつづければ、つまらなさをひたすらのばしていくだけ。

 要するに、適度に社会や学校生活に反発すればいい??いえいえ、現状ではそうかもしれませんが、「制度」として、それにすがっていきさえすれば、充実した、有意義な、努力が報われるような生活であるように、しなきゃいけなのじゃないだろうか?
 そんなものを「制度」と呼ぶのか疑問だし、そのようになったときに、人と違うことで快感を感じる部分があるような私みたいな変態はちょっと困ったりするが。
 究極を言えば、制度そのものが多様性を壊し、多様性がないことがつまらないことになり、多様性をなくすために仲間化をしつまらないのだから、制度を作ろうとしているところが、もう問題点なのかもしれない。

 そこまで言ってしまうなら、「教育」というものそのものも、どうなのだろう?ということも書いておく。
 考えてみてほしい、例え年長者であっても親以外の人間が「人が人に、これはためになることだよっ、これは絶対に君にとって将来必要だよ、っと指導することは、おこがましいもしくはウザがられることじゃないだろうか」ということを。もちろん、それは違うだろう。だけど、人間を対等にみるべきと読者が考えるならやっぱり間違っているし、少なくとも、こんなにも純粋な普通に感じるおこがましさの想いと「任意の人たちの将来を、どうにか一定以上の能力を持ったものにしたい」という教育的考えとが、もう少し対等で良いと思う。頭で考える部分が強すぎて、心で思う部分をまったく考慮しないというのは、立派な問題である。その想いのカケラだけでも持った教員が、私の周りにもう少しでもいたなら、私はこれを問題視したりはしない。

 すべての人間が「ただ生きていく」ようにするためだけなら、学校は仕事に必要な能力を与える場所であるだけでよい。その他の活動は、すべて地域社会に譲るべき、任せるべきだろう。
 学問を楽しむだけが目的なら、入試制度を即刻止め、学問を教える授業聞きたい人は、夜中からテントを張って聞きたい授業の教室の前に並べば良いだろう。

 だが、学問の楽しさを教え、自己解決能力を伸ばし、生きる力を育み、人として生きる有意義さや楽しさまで感じさせなければならないのであるのなら、それはとても難しい。学校教育は、目的を担い過ぎたと言わざるおえないだろう。
 もう少し、荷を下ろし、他の分野に目的を託すことが必要なのではないだろうか。っと、教職科目をとっていて、学校教育を受けていて、よく感じるのである。(8035字)

………………………
 はぁ、再利用気づきました??(笑)さて…、アップするだけで、ちょっと疲れたなぁ。あ、いつもの記事も多少そうですが、特にこれはタテマエであること、本音はこれじゃないことを、忘れないでね。
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We're all in this together

2009-02-06 02:25:19 | Weblog
 さて、休みも実感してきたとこで、そろそろ本格的にお勉強をしなきゃな。何の?かは、様々だけど。
 何をするにしても、核となるのは、英語。このずーっと俺と切っても切れない重要事項である英語をどーにか、またある程度、モノにしないと、掴める夢も掴めなくなっちゃうな。

 あれから、大学受験生の頃から、少しは英語力も上がっただろう。。だけど、数学や物理みたいに、ある程度の、絶対的な自信がない。考えれば、テキストみれば、時間をかければ、手法をミスらなきゃ、どーにかなるぜっと思える領域に達していない。
 英語のほーが、その前から触れているのにな…。

 英語だけじゃなく、物理や数学もレベルアップをしなきゃだし、化学と生物も、今の物理や数学レベルまで引き上げないと…。
 こりゃ、大学受験より大変かもな。

 ただ、大学受験の時と違うのは、様々な領域に、有能で信頼のおける味方が明らかに増えたこと。
 任せっきりにしたりなんかしないけど、誰かが本気で困った時に、自分の扱う敵とは異種であっても、それぞれ相手の敵の強大さに納得しあい、共感し、それぞれの敵を倒すためのアイディアをだしあえる仲間が多いのは、結果はどーであれ、嬉しいよね。やっぱり結果よりも仮定なのか…。いやいや、今回だけは、失敗できない。だから、トントンかな(笑)。

 Together、together、together、everyone! Everyone is special in their own way. That all our dreams have no limitations♪

 (この、公立高校の体育祭、文化祭ムード全開のダンス曲も、大好きです。ダンス好きにはたまらない曲なんじゃないかと思います。そこまでダンスは好きじゃない俺ですら、この曲を聞くと、高校生に戻って、踊りたくなる~。うむ、さすがディズニー。
 このありえない感じが、物語の内容でも、曲でも、ダンスでもイイんだと思う。どーしても暗く見えてしまう現実から解放されるっていうか、この空想の世界さえあれば、あとどーでもイイっとすら思えてしまう。だけど、それだけじゃーただの中毒で、どーにか腐ってると思い込んでる中に活かさなきゃ、意味がない。
 歌詞は、まさに、今の状況を歌っている気がする。どーしようもない怖さを拭い去ってくれそうな空気を持っている。しっかし、なんで、欧米人ってのは、サビのなかのフェイクがこんなに上手いんですかね。
 ちなみに、この曲、日本語版もあって、それは、AAAが歌ってます。)
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fallin'

2009-02-01 12:24:23 | Weblog
 誰に言われたかすら忘れたけど、「音楽聴いてるときって、何してるの?」って聞かれたことがある。音楽聴いてるときは音楽聴いてんだよ(笑)っと思ったが、まぁ、そんなもんかもね、この一部の人が超興味を持つがそれ以外じゃめっきしってのが「音」なのかもしれない。
 ただ、そういう発言するってことは、そういう人は、確実に音楽を楽しめてない、音楽じゃなくって音学なんだね。

 同業者のなかには、社会生活はつまんないし、その風刺から音楽をやってて、それだから音楽は好きってのがいるが、それはお話にならない。
 んじゃ、モテたいから、音楽をするってのも本質からズレているのか。いや、それはむしろ、俺らみたいに純粋に音が好きな人種より、自然。音楽というのはそもそもが何かを伝えるものであるのだから、モテたいから音楽をするのは、正しい。っま、任意の人にモテたいってのは、音楽がどーの以前に何か違う気がしますけどね。
 騒ぎたいから音楽が好きってのも、同様にギロンできる。まったく、同様に。

 俺にとっては、音楽は、別世界に連れて行ってくれる乗り物みたいなイメージに近い気がする。そういう意味では現実逃避の道具だったりするのかもしれないけど、音楽を聴くことによって単に問題を考えなくなるわけじゃなくて、限りなく問題へ直結した世界へと連れて行ってくれるんだと思う。
 そんで、こー思う。何もかもがこの僕のもの♪そんなふうに思える。でもどこかで、自分を責める続ける感じ。

 この音を自分が正式に扱うことが、もうできないのかも、っと思うと、すごく不安になる。だからと言って、すべてを音楽に捧げるなんて実力じゃないし、そもそも音楽は一般ウケしてなんぼなんだから、普通に社会的な生活を過ごしていく中で作っていくべきなんだと思うからな…。

 そうなってしまうかどうか、それを決める日が近づいてるけど、怖いようで、久々だから楽しみなようでもある。ってか、あいつら、1ヶ月ぶりで、久しぶりっていう、関係って、彼女かっ(笑)。

 (古文で「かなし」は「愛しい」と訳しなさいっと習った。この、悲しい感情と愛しい感情は似ているという想いを、これほど上手く表現している曲は珍しい。そういうわけで、俺のなかで、バラードの中ではベスト3には入る名曲。
 この曲は、源氏物語の「浮舟」がモチーフになっているらしいから、おそらくこの捉え方は限りなく正解に近いんだと思う。不倫とか年とか、そーいうダメな恋の叶わなさを歌ってるんじゃなくって、もっと純粋な恋の、どこにでもありそうな怖さや不安を表現しているような気がする。別れをイメージするような歌詞が入っているけど、どっかで…、いや実質的に互いにあきらめてない感じがする。
 それにしても歌として難しい曲。男性ボーカルで、上の上のDまで使うなんて…。EXILEの曲は、まず高さを克服しなければならないのかな…。っま、ゴスペラーズの「ひとり」とかのリードやってる僕からすりゃー、そう高くもないんですけどね(っと自慢してみる(笑))。
 あ、注意注意。「恋はするものじゃなくて落ちるもの」ってこのξフレーズは、スピードワゴンよりも、東京タワーよりも、この曲が最初です(笑)。)
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