自分の立場や自分の身の程を知るために自分についての即物的なことのレベルを理解しておくことは大事だ。
例えば、誰かに誰かのことを、変な人だよね、って言うためには、自分はその変な人よりも、普通とは何かを、確実に知っていなきゃいけない、ってこと。じゃないと、お前のが変じゃね?、ってなっちゃうからね。
「自分の立場」とかって言葉を使うと、どうしても年齢とか先輩後輩とか、そういう言葉とリンクされがちだけど、俺が言ってるのはそういうことじゃなくて、何か言葉を持ってるということを介さない、即物的なことだ。
自分と相手と、この意味で、総体的にどっちが上で下か。もちろん最終的にはどうでもよくなっていくけど、まず最初は、自分と相手は対等ではないということを理解して、それがどれくらいの差なのかを把握する必要があると思う。じゃないと、「違い」で想い悩めないから、ホンモノには辿りつかない。
まぁ、よーするに、私はありのままでイイ、このありのままで評価し続けて欲しい、って思ってんじゃねーぞ、ってこった。時間発展すれば即物的な部分も良くなっていくだろうから、だからこそ、ものすごく評価しているのに、、精神的に向上心のない者は馬鹿だ。
【じゃぁ、俺に何が足りないと思う??】
『え?ハッキリ言ってイイの?』
【うん、まぁ。】
『俺も、一般からすると、あるほうじゃないから、あんまりこれを言える立場ではないけど、お前から、まったく、特典を感じない。』
【得点?】
『ううん。DVD特典とかの特典。』
がないと、退屈じゃね?
即物的な特典を数多く品質良く拾っていくためには、経験の絶対量が必要だ。すると自然に、特典が多い友達が寄ってきて、そういう情報をピックアップすることが出来て、高め合っていける。カードが多いから、カケヒキにも強くなっていける。
薄っぺらい事だって、これは薄っぺらい、って割り切っているなら、必要なんだと思う。それが、大本命のために培っていきたい能力なのだとしたら。
ただ、やっぱり、俺みたいに目的から逆算してばかりのタイプの人は、ホンモノの気持ちが介在してないと、スキルアップしてやろう、って心から思えないんだよね。
多角的に動くと薄っぺらくみられて、一直線に向かうとキモがられる。難しいところですが、どちらのイイ部分も取り入れることで、批判的に統合していったらイイと思います、カントみたいに。
『したらさー、いつもいるくせに、一人でやりたいから、って帰っちゃうんだよ?せっかくみんなもいるのに。なんか、もうダメだなって。』
<それはどうかなぁ。だって、ほら、それって、いつもの誰かさんに似てない?>
『あぁ。まぁ。。っていうか、いつも、すいません。』
<それは、別にいいけど(笑)。>
どっちのスタイルも大事。だから、歩み寄ることで向上できる関係は、即物的には、素晴らしいのだ。
不一致も、結局は、上手く使っていける。
一致は時間と場所を共有するために必要なことは明らかだ。でも、それだけじゃぁ、即物的に一致するからってだけで繋がってるのかと不安になる。
だから、不一致が必要になってくる。不一致は歩み寄るために必要なのだ。でも、っま、かといって、それだけじゃぁ疲れてしまうから、不安になるけどね。
それぞれの長所だけを抜き出していこう。
不一致を利用することはとても大変なことだけど、その奥にある、ちゃんとした気持ちがあるんだったら、超えられない壁ではないと思し、それが出来なけりゃホンモノじゃなく、きっとホントの意味での勝者にはなれない。
そして、この世には、この部分すらも考慮して演技できてしまう悪魔が存在していることも、決して忘れてはいけない。俺は、演技はココまで行くと、やりすぎだと思う。どんなにそれがお前のセルフアイデンティティでも。
ニセモノは簡単に見抜けることも多いけど、どこまでいっても、ホンモノだけは、解析したって分からないのだ。人間の頭ではね。
例えば、誰かに誰かのことを、変な人だよね、って言うためには、自分はその変な人よりも、普通とは何かを、確実に知っていなきゃいけない、ってこと。じゃないと、お前のが変じゃね?、ってなっちゃうからね。
「自分の立場」とかって言葉を使うと、どうしても年齢とか先輩後輩とか、そういう言葉とリンクされがちだけど、俺が言ってるのはそういうことじゃなくて、何か言葉を持ってるということを介さない、即物的なことだ。
自分と相手と、この意味で、総体的にどっちが上で下か。もちろん最終的にはどうでもよくなっていくけど、まず最初は、自分と相手は対等ではないということを理解して、それがどれくらいの差なのかを把握する必要があると思う。じゃないと、「違い」で想い悩めないから、ホンモノには辿りつかない。
まぁ、よーするに、私はありのままでイイ、このありのままで評価し続けて欲しい、って思ってんじゃねーぞ、ってこった。時間発展すれば即物的な部分も良くなっていくだろうから、だからこそ、ものすごく評価しているのに、、精神的に向上心のない者は馬鹿だ。
【じゃぁ、俺に何が足りないと思う??】
『え?ハッキリ言ってイイの?』
【うん、まぁ。】
『俺も、一般からすると、あるほうじゃないから、あんまりこれを言える立場ではないけど、お前から、まったく、特典を感じない。』
【得点?】
『ううん。DVD特典とかの特典。』
がないと、退屈じゃね?
即物的な特典を数多く品質良く拾っていくためには、経験の絶対量が必要だ。すると自然に、特典が多い友達が寄ってきて、そういう情報をピックアップすることが出来て、高め合っていける。カードが多いから、カケヒキにも強くなっていける。
薄っぺらい事だって、これは薄っぺらい、って割り切っているなら、必要なんだと思う。それが、大本命のために培っていきたい能力なのだとしたら。
ただ、やっぱり、俺みたいに目的から逆算してばかりのタイプの人は、ホンモノの気持ちが介在してないと、スキルアップしてやろう、って心から思えないんだよね。
多角的に動くと薄っぺらくみられて、一直線に向かうとキモがられる。難しいところですが、どちらのイイ部分も取り入れることで、批判的に統合していったらイイと思います、カントみたいに。
『したらさー、いつもいるくせに、一人でやりたいから、って帰っちゃうんだよ?せっかくみんなもいるのに。なんか、もうダメだなって。』
<それはどうかなぁ。だって、ほら、それって、いつもの誰かさんに似てない?>
『あぁ。まぁ。。っていうか、いつも、すいません。』
<それは、別にいいけど(笑)。>
どっちのスタイルも大事。だから、歩み寄ることで向上できる関係は、即物的には、素晴らしいのだ。
不一致も、結局は、上手く使っていける。
一致は時間と場所を共有するために必要なことは明らかだ。でも、それだけじゃぁ、即物的に一致するからってだけで繋がってるのかと不安になる。
だから、不一致が必要になってくる。不一致は歩み寄るために必要なのだ。でも、っま、かといって、それだけじゃぁ疲れてしまうから、不安になるけどね。
それぞれの長所だけを抜き出していこう。
不一致を利用することはとても大変なことだけど、その奥にある、ちゃんとした気持ちがあるんだったら、超えられない壁ではないと思し、それが出来なけりゃホンモノじゃなく、きっとホントの意味での勝者にはなれない。
そして、この世には、この部分すらも考慮して演技できてしまう悪魔が存在していることも、決して忘れてはいけない。俺は、演技はココまで行くと、やりすぎだと思う。どんなにそれがお前のセルフアイデンティティでも。
ニセモノは簡単に見抜けることも多いけど、どこまでいっても、ホンモノだけは、解析したって分からないのだ。人間の頭ではね。