たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

思考のプログラム

2010-01-31 04:17:06 | Weblog
 #include <iostream>
 #include <因果関係Lapack>

 void Test(double *仮定){
  double 最終状態, 途中状態0, 途中状態1, 途中状態2 ;

  途中状態0 = 因果関係関数0(*仮定);
  途中状態1 = 因果関係関数1(途中状態0);
  最終状態 = 因果関係関数2(途中状態1);

  return 最終状態 ;
 }

 int main(){
  const int LL = 10; /*10でも20でも可能性がある限り、何個でも可*/
  const double 判定事実 = 明らかに分かっているモノ;
  double 仮定[LL]={仮定A,仮定B,仮定C,…};

  for(int t=0; t <LL ; t++){
  double 判定状態[t] = Test(&仮定[t]) ;

  if(判定状態[t]==判定事実){
  cout << "頭で考えると、おそらく" << 仮定[t] << "が真実である。" << endl;
  }else if{
  cout << "頭で考えると、おそらく" << 仮定[t] << "は真実ではない。" << endl;
      } 
            }
 return 0;
 }

 何か見えないモノを見ようとしたり、予想したりしようとするときに、仮定が本当かどうかを、Self-consistenceに頭で考える方法の、もっとも簡単なバージョンのプログラムを書いてみた。
 それにしても因果関係関数が、万能すぎるだろ!!ってツッコミは、ものすごく、そうです。すいません、プログラミング初心者なもんで。あと、事実や状態が、double型でイイのかもわからないですよね。

 このプログラムがコンパイルできたとしても、実際に投げて返ってくる答えが、必ずしも正しくはない。
 そこには、因果関係Lapackには入っていない、心が介在しちゃうから、って極論の説明に行かなくても、因果関係が3つでイイのかは、予見している限り、誰にもわかんないし、そもそも仮定に不足があって、返ってこない可能性もあるしね。

 っま、どっちにせよ、こいつは、絶対コンパイルできないけどね。
 
 だって、全角スペース入りまくりだから(笑)。
 ここにプログラム書こうとすると、プログラムとして本当に一部反応してしまい、部分部分、全角にするしかないのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

残る蟠り

2010-01-30 04:49:51 | Weblog
 今日は、なんか、本当に疲れました。しかも、心地良い疲れじゃないです。場所的に移動が多かったのもそうですが、研究も、あまり、上手く行ってません。
 そして、たとえ上手く行ったところで、たいして、すごいことがわかるなんて期待は、決してできない感が、どんどんどんどん、やる気を失わさせていきます。

 いくら頑張っても超えられない壁を感じてしまうのと同じように、どんなに強く頑張っても、満足できない自分を感じてしまうまでの賢さは、無意味。
 『満足できない』っていうのは、本当に、もぅ、本当に。。

 そんなんを、紛らわさしてくれる、くだらない会話は最高っす。

 ≪雲ってさー、近くに行くと、霧じゃん??≫
 『うーん。そうか?!あ、でも、そうだな。』
 ≪うん。≫
 『最初に雲に近づいちゃった人間は、ショックだったろうね。食えなくても、せめて、触れろよって。』
 「それは単に、イメージの問題じゃないの?」
 『いや、まぁ、そうだけど。』
 ≪そう考えると、知らないほうがイイ事のが多いかもね。≫
 『知らないほーがイイ事??うーん、、そうねぇ、、、…ディズニーランドの年商とか?(笑)』
 「オリエンタルランドの年商ね。調べてみるか。」
 『平均年収とか、でてくんのかなー??』

 っと、結局、自らを追い詰めるようなことをしちゃうのでした。

 っま、皆さんは、調べにいかないほうが、良いと思いまーす。

 そんななか、CELLの第5版の表紙が真っ赤で、ひとり、ウケていたりする。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あと2割が難しい

2010-01-29 00:46:45 | Weblog
 今日は学部での最後の試験だったんですが、最後の最後まで気が抜けないなっと思いました。ちょっとナメてたのが裏目に出たのか、難しく感じた…。

 前にも紹介した気がするけど、試験直前しか勉強しない科目で、高得点を取るには、パレートの法則が重要だと思います。別名、8:2の法則。重要なとこ2割をきちんと勉強すれば、80点が取れるってことです。これは、マジで使えます。だからって、山をはるわけじゃなく、その2割を見極めるには全体を見渡せる力が必要だから、頑張りは割とがっつり。ただ、時間がかからないってだけ。これは、ぴった80(Aの最低ライン)だし、本当に使える。
 興味無いし、つまんない科目は、最低限の努力でAが欲しい。効率を超意識するのも大事。Aなら、100点でも90点でも変わらないんだし、95点とかでAとったら、反省しないとっ。

 が、今日のは、ちょっとマズったかもな。最後だからって、っま、いっかー、って、あんまり、いつものフォーメーションをとらなかった。ただ、本当に問題も難しかったし、相対評価とレポート点に期待です。

 しっかし、教職科目のお勉強は、試験直前対策のみでも、ムカつく。あんま共感できないし、「キレイゴトだけどね!」って確認が無いのが、嫌い。しかもさぁ、そのキレイゴトの論理も破綻してるから、また、ムカつくんだよね。
 だって、皆さん、

 「自然に対する関心を高め、目的意識をもって観察・実験などを行い、科学的に調べる能力と態度を育てるとともに自然の事物や現象についての理解を深め、科学的な見方や考え方を養う。」

 って聞いて、ピンと来ます??
 これで「あー、それ、中学で、聞いたことあるー」って人が、スイミーって聞いて「小学校でやったー」って数くらい、ちょこっとでも残ってるんなら、まだ良いんですよ。でも、絶対そうじゃないじゃーん。
 この文章は、中学校の理科の目標です。超多くの人は、そんなん教わらずに、理科を学ぶ。そのくせ、目的意識をもって自ら学ぶ主体性を育てるっとか指導要領で言い出す。主体性のある人間を育てるには、自らの、定められた目標くらいは、提示してやんなきゃいけないだろー。

 もちろん、僕が言ってるのだって、キレイゴトです。そのキレイゴトの範疇のなかで、議論を進めてやってるのに、矛盾がでてくる。だから、本当に、嫌い。

 キレイゴト、つまり、理想。
 理想と現実。そこから、いつも、いつも、先に、進めないな。。

 『でも、誰がやったのか、気になるし!』
 「高橋君、もう、それは、どうでもいいじゃない?」
 『えー、なんでー?』
 「失うってことは、確かにツライけど、それ以上に、失わさせてしまった、っという責任を背負うほうが、もっとツライ。そっちのが、ツライって、私は思うの。」
 『う、ううーん。』

 系は変わっても、色々なところで、そんなことがよくあった。
 あれからだいぶ成長した今なら、このキレイゴトにも、いくらか反論ができるかもしれない。だけど、80%くらいの重要でない部分でしか、対抗できない。それじゃぁ、きっと、パレートの法則から、今でも論破されてしまうだろう。
 理想と現実について、大事なところ20%は、どんな系でも、難しくって…。だから、8割もわからない。

 でも、教育については、キレイゴトのみでの勝負なんだろ?だったら、、単位くれ!!資格のチャンスを失なわさせないでくれ、ツライらしいぞ!(笑)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夕焼けがキレイな理由

2010-01-27 05:59:18 | Weblog
 ものごとを大づかみになんとなく見ることを「系をマクロに見る」と呼び、見たいところを局所的に見ることを「系をミクロに見る」と呼ぶ。
 これは、完全な自慢だけど、俺のノートは、っぱっと見、キレイ。だけど、文字の一つ一つを見ると、そうでもない。乱暴な字もたくさんある。そういう時、マクロに見るとキレイで、ミクロに見ると汚いところがある、っと使う。富士山も一緒。マクロに見るとキレイで、ミクロに見るとゴミが多い。

 時間依存性を考えずに系を見に行くことを、「イクイリブリアムに考える」と呼び、時間依存性を追って系を見に行くことを、「ダイナミックに見る」という。ちなみに、生物でよく出てくる「ダイナミック・イクイリブリアム(動的平衡状態)」は、出ていくモノと入ってくるモノがあるけど、全体としてみると、一定ってこと。
 先ほどの議論では、この時間依存性を欠いている。ダイナミックを入れてみよう。中1の頃、俺のノートはマクロに見ても非常に汚い。それが、中学高校と予備校、と時間経過をすることにより、だんだんキレイになっていったのだ、マクロには。そして、まだミクロでみると、汚い字もあることから、小学生の時のまま、変わっていない字が残っているということ。

 こんな風に、なんでもかんでも、理科的な考え方で、ものごとを見ていくと、ある程度は、考えやすい。この世のすべての系について、このように考えることは、非常に参考にはなる。
 だけど、これを大切にしすぎると、逆に、真実が見えなかったり、欲しいモノが掴めなかったり、楽しめなかったりする。

 『うわー、めっちゃ、夕焼けがキレイ。』
 「うむうむ。太陽からの電磁波の波長より小さい半径の大気中の粒子によって、波長が長めの電磁波(赤い光)がレイリー散乱されていて、非常に美しい。」
 『え?!』
 「あ、でも、あの雲の白さのコントラストを加味すると、ミー散乱も素晴らしいかぁ。」
 『いえいえ、そうではなくてですね…。』

 だからって、賢くなることが意味ねーとは思わない(別にお勉強の意味ではなくって、です)。夢が無いとも思わない。
 感情を凍らせてしまうことは悲しいけど、それ以上に、何事にも向上心が無くなってしまっているほーが、サイテーだと思うから。

 よーわ、賢くなっていくうえで、カードを増やしていく中で、テクニックを攻略していく中で、いかに感情を忘れないか?、その賢さによって変わった中で、いかに感情を付け足して行けるか?、だと思うのです。それをきちんとしたなら、きっと、一番、キレイな夕焼けを見ることができる。
 っま、楽しむために、理系同士で、

 『うわー、あれ、めっちゃ、レイリー散乱してるんだけどー。』
 「そんなにミクロに系をみて、どーすんだよ?」

 っとか照れ隠ししてるのは、無害なんですけどね。

 んなわけで、テストまで、あと10時間。頑張ろっ!っと。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寂しがってイイ

2010-01-26 05:04:05 | Weblog
 「絶対に負けたくないなら、何も期待しないことだ。」
 期待するから、現実を見つめさせられる瞬間に、ショックを受ける。期待してたから、失敗したときに、他の人から、手をたたかれ、笑われる。だったら、最初っから、期待なんて、しなきゃイイ。
 もし、期待してなかったんなら、たとえ実質的に負けって判定されても、精神的には負けにはならない。

 だけど、そんなの無理。だから、強がる。期待していることを見せないことで、せめて、世間体的には、負けてないことにすることを、目指す。

 『○○なんて、受かるわけない。そんな頭があるわけないじゃん。それくらいの頭はあるさ。』
 っと、ちょっと賢いぶって、わかってるっぽいぶって、何もしない。

 『勝てる相手じゃないけど、精一杯やらなきゃ。』
 こんな前向きっぽい言葉だって、メロディーラインによっちゃ、期待しないぞ、って強がっているだけだったり。

 「なんとか高校の生徒だって、なかなか受からない。」と聞いて、『だとしたら、俺はもっと頑張らなきゃ』っと思うことは難しい。何しろ、人間は、中途半端に賢いから。『っけ、じゃー、無理じゃん。遊びまくろぅ。』っと思っちゃうのが、俺も含めて、たいていの人間だろう。

 だけど、やっぱり、こんなんじゃダメだよね。
 俺は、あえて、これを利用して、自分を追い込んだりする。周りに期待してる事を言って、自分自身を追い込む。勝率はそこまで良くないけど、こっちのが、楽しい。
 失敗したって、俺にとってどーでもイイ人間は、どう思うか知らないけど、どうでもよくない人間は、俺のそういうとこ、よくわかっているし、リスクが低く、コストパフォーマンスが良い。

 そんなコペルニクス的転回は、「期待する」という、ひとつの感情を大切にすることが、楽しむことや成功率を上げることに、寄与している。

 ところで、この中の系で見ると、「寂しい」って感情は、実質的に、無駄に思える。
 確かに、実際、「寂しい」っていう感情が無ければ、すごく効率がイイ事が多い。まず、クリスマスでも平気で仕事してられるし、「寂しさ」から生まれる自分より弱いと勝手に決めつけてる弱そうなヤツをいじめるってことも無くなる。なんて、都合がいいんだ。

 じゃぁ、「寂しい」って、感情は、いらねーのかな?いらないなら、なんで、あるの??

 答えから言うと、いや、いる。絶対に、いる、と思う。実質的にも、精神的にも、いる。

 教育実習の最初の頃、生徒のみんなといると、よく、疎外感を感じた。それは、教員としての疎外感ではなくって、生徒としての疎外感だ。自分でもびっくりしたけど、転校生とまったく同じ感覚を持った。(この辺は、実習ノート内で怒られた(笑)。君は、教員側ってことを忘れないでくださいってね。)
 そんな感情を持ってから、っふっと、思考が働く。『っあ、別に、こんな奴らと、一緒にいたい、って思う必要なんてねーんだもんな。そっかそっか。同世代じゃないんだし。こっから3週間もしない前に、今日の帰り、友達と飲むことになってるんだし。俺の本来の世界は、そっちのほうじゃんか。』

 この思考を持ってから、もう一度、感情と思考が同時に働く。
 『だけど、この思考が、長年、積み重なると、俺が嫌いな、うっぜー、先生が生まれるんだと思うな…。だって、生徒たち全員に対して、どう思われてもどうでもよくなっちゃって、事実上、こっちのが立場が上だったら、俺の好き勝手やっちまうもん。
 だし、そこまでじゃなくっても、生徒や友達を、トランプのカードや駒みたいに、思っちゃってるのが、事実、俺の周りにも、何人もいるんだし。ダメだな。
 この寂しがっている感情は感情で、素直に認めて、大切にして、かといって、この冷静な思考も思考で、素直に認めて、大切にしなきゃだな。その中で、選択していかないと。』

 っま、思考にとらわれすぎても、物理系ってーのは便利なもんで、そこにも、ちゃーんとキレイゴト的な格言が用意されている。
 「大いなる力には、大いなる責任が伴う」
 ってね。
 が、残念なことに、その意味の表面だけをすくい取って、満足している教員が、どれだけ多いか。

 そう、人の能力や才能や人間性ってーのは、他人と相互作用して、初めて意味を持つってことを、忘れないで。そういう上で、「寂しい」って感情は、すごく大事。
 んね、実質的にも、そして、精神的にも。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いつまでも、ずっと。

2010-01-25 05:10:41 | Weblog
 ぐるっと回って、元に戻ってくることは知ってても、いったい、このバスはどこに向かっていくのだろう?

 「バッグは膝に、本は背中に…。」
 いいなー、近い子は。僕は1番最後から2番目だから、とても長い。1時間?って、長いんだね。
 なんだかよくわからないけど、気ままに話してたら、この人は喜んでいるみたいだ。あとで調べておくとして、とりあえず、本当に笑っているみたいだから、いっか。もっと、同じこと言ってあげよぅ。
 きっと狭いこのエリアを、広く感じながら移動する。もし、間違えたところでボクが降りちゃって、よくわからなくなっちゃったら、誰か助けだしてくれるのかな?それとも、最初は自分で歩いて、交番とかで居所や名前を言わなきゃいけないんだろうか?ずっと前に、レストランに寄ってもらった事があったけど、あれはあれで、危ない瞬間だったのかも。
 そうか、そうなっちゃうと、大変だし、イヤだな。怖さを感じながら、降りなきゃいけないところで、ちゃんと降りないと。

 もう2月。そろそろ、このバスともお別れ。
 たくさんの歌を覚えているけど、毎日のこの習慣が無くなってしまうと、頭の中だけで覚えていなきゃいけないのか。ずーっと覚えてられるかな?
 お別れのときに、CDとか出しておいて欲しい。したら、ずっと覚えていられる。ずっと、カワラナイデ…いられる。
 別に新しいところになんか、行きたくない。ここでの想いを一番大切にしながら、これからも生きていく。本当は、ずーっとこのままがイイな。別に場所を変える必要なんて無いじゃないか。このまんま、毎日同じところで、毎日同じ子たちと…。それなりの年齢になったら、ここでお仕事もすればイイ。なのに、なんで??

 あれから、数え切れないほど所属が変わり、数え切れないほどの場所と関わり、いくつも、自分の中では、成功してきた。理解ではなく、納得してきた。自分の足で、その場所を回れるようになり、もっともっと大きな世界で、大きな場所で、すごい人達と、対等に扱われるようにもなった。このまま終われない。
 気づけばいつか、見える明日、どんな一歩も無駄にはならなかった。変換点で、バカにされても、悲しくなっても、いくつも過去の場所の逃げ場を作っておくことで、どうにかなった。ここで歩み続けようっと思った頃には、また次の場所へ。

 残るモノこそホンモノだと思うから、それでいいや。だって、自分自身を信じているし、すごく大きい意味合いとして、「なるようになる」。根本はいつだって、どこにいったって、カワラナイ。カワレナイヨ。

 何が根本か。それは、現役の子供たちを見て、自分自身と重ねれば、よくわかる。

 【ねぇーぇ、おとな?子ども?】
 『え?うーん、どっちだろう?中間かな?』

 絶対わからないだろうけど、この子たちが想像するであろう時間軸における中間ではなく、キメラの中間だ。

 【じゃぁさ、けっこんした?】
 『えー、してないよ。』
 【じゃぁ、子どもだね。】

 マジで?!(笑)そんな簡単な定義があったのか。
 どうでもいいけど、この子の15年後くらいが、すぐ想像できる。なんとなく、人生なんてぜーんぶわかってます、なめきってます、みたいなのを全面に押し出した、女の子になりそうだ。
 って、決めつけちゃいかんな。だから、あなたも、決めつけないで。

 【どこそだちっ?】
 『え?なんで?』
 【こないだ、『なんぼ?』って言ってたから。】
 『あぁ、それ、俺のクセ。算数やってるとき、俺のせんせーがそうだったから、そうなっちゃって。』
 【だからさ、いいから、どこそだちなの?】

 あくまで、信用してない。案外、疑い深いな。

 【っていうか、なんで、かみ、そめたの?】【かっこつけって、言われない?】
 『おめーらは、それしかねーのかよ。(笑)』

 この子たちは、きっとすぐに俺を忘れてしまうだろう。だけど、潜在意識の中にある根本に関わっているのに違いはない。
 能力よりも感情の部分。誰か、22歳からでも、感情を成長させる方法を知らないですか?

 根本どころか、そういう系すら、ほとんど変わっていないことに、気がつくことを恐れていた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

偽物をコンパイルしてない??

2010-01-24 03:02:42 | Weblog
 今日もプログラミング(C++)の一日でした。

 プログラミングって、マジ、ムズイと思います。今まで、僕が扱ったモノの中で、扱いにくいランキング3位以内に入りますね。
 なにより、100%正確に入力しないと、動いてもくれないことが、不便。全角スペースがあるだけで、;が無いだけで、機嫌を悪くする。何回、あのiMac君に、『そんくらい、空気読めや~っ!!』っと怒鳴ったか、わからない。それでも、彼は完璧を要求してくる。

 こーいうヤツってーのは、ちょっとワガママだ。よくいるよ、完璧に理解していないと、まったく動けなくなっちゃうヤツって。のくせに、自ら考えない。そうか、お前は、iMacだったのか。
 気持ちがわからんでもない。今だに、lim(x→3)とxに3代入の違いはよくわからないし、磁束密度と磁場の強さの物理的違いもイマイチ。でも、俺、それ使える。確かに、最初は、使う時、気持ち悪かった。しかし、きちんと、実質的な違いだけを理解し、使える。
 ぜーんぶちゃんと理解できているということと、とにかく使えるということは、全く違うことなのだ。
 だから、「エラーで;が無いと思われる」とか返してこないで、;が無いってわかってるんなら、コンパイルせーや!

 でも、もっと怖いことだってある。

 それは、俺の意思を間違えて相手が認識し、それに納得してくれちゃって、お互い、意思のすれ違いを持ったまま、先に進んでしまった時だ。エラーはでないし、間違いに気がつきにくい。お互い、上手くいっていると思っている。この誤解を解くためには、物理的なイメージセンスがないといけない。オカシイなって空気を感じ取れないといけない。
 どちらかが気がつけば、時間の浪費だけで済むが、第三者に発見されるまで気がつかないと、最悪なのだ。

 っま、意思のすれ違いに、最後の最後まで、どっちも気がつかないなら、それはそれで、ハッピーエンドなんだけど。
 あぁ~、また、いつのまにか、最初の話からずれちゃったね…。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最後のカード

2010-01-23 02:29:01 | Weblog
 本を読んでいると、『あ、この立ち位置、俺かな。』ってヤツがでてくる。たいてい、とんでもない変人扱いされている、空気読めないキャラとかぶってる、って感じる、ってーか、普段、こー思われているんだろうなって思う。

 うーん、なんていうか、俺って、皆さんほど、人間関係について、本気じゃないのかも。
 でもさ、目にはっきり見えるモノよりも、本当の相関図のほうが、おもしろいじゃん??…って、こういうことを、公開しちゃうのが、理解されないのかもしれないですけどー。
 なんでもそうだけど、人よりも寂しがり屋なぶん、本当の関係を求めるんだと思います、うんうん。

 って思っていると、常識的な返答がバカバカしくなってしまう瞬間がある(あくまで、そういうときがある、というだけ)。
 そして、常識のゆらぎがどこまでなのかを、探してみたくなっちゃう。もしくは、自分がどこまで、演じ切れるか、試したくなる。んで、1週間くらいで飽きる。っま、継続しているとこも、あるかぁ。

 こんな僕でも、「54ぶんの2」には、いれてくださいね。
 ただ、皆さんが思っているよりも、僕は強かだと思いますけど。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Now I know you're not a fairytale,but...

2010-01-22 03:11:04 | Weblog
 それが、好きか、嫌いか、ってーのは、考えてわかるもんじゃない。ただの、直観(いつも、「直感」っと使いどころを迷うのですが、この記事では、ギリで、「観」のほうにしときます)。
 直観で、『なんかイイ』って思ったり、『うわー、なんか、イヤだなぁ』って思ったりする。思うって使ってるから、感情にしちゃってもいいけど、なんか、感情とは違うモノな感じもするんだよね。

 俺は、ディズニーが好き。だけど、宮崎アニメは、なんか、ちょっと。。
 理科は、好き。だけど、社会科は、あんまり。。
 少人数で飲みに行くのは好き。だけど、飲み会になっちゃうと、うーん。。

 別に理由なんて無い。本当になーんにも無い。こーだからこう、ってわけじゃなくって、なんとなく、ぽんって決まる。
 同様に、どうでもいいモノも、一瞬で決まる。だから、こういうのを書くのも早い(笑)。

 そして、そのあとに、理由をつけだす。こういう直観が作用したあとに、人はあれこれ、理屈で考えだしたり、自分の感情のパターンを探して、一般化しようとしてみたりしちゃう。

 A『おおぉ。コレ、なんかイイじゃん。ってか、超イイ。欲しいーぃ。……あー、だけど、ここが赤だったら、良かったのに。。なんかオシイな。』
 B『うわぁー、アレは、よくわかんないけど、気分が悪くなる。なんで?ってわけでもないけど、、あー、でも、論理的には正しいかぁ。。でもでも、なんか嫌悪っ。』

 本当は、直観が判断した、その瞬間だけで、イイはずなのに、あれこれ、色々なモノを加えだす。条件を加えだすのだ。

 Aのような「直観○→考えると×」の場合、考えたことで選ばないと後悔したりもする。かといって、それで選んで、やっぱり実的に後悔することもある。選んだ場合、心では納得でき、実質的には納得できないため、実的なことが心に影響を及ぼす場合、心も結果的に納得できなかったりする。
 Bのような「直観×→考えると○」の場合、考えたことで選ぶと後悔したりする。かといって、選ばないと、実質的に後悔することもある。選んだ場合、心では納得できず、実質的には有用であるため、今の実的なことが心に影響を及ぼす場合、心も結果的に納得できるようになることがあるが、最初の嫌悪感を完全に消し去るのは、非常に稀なことだ。

 ここで必要なのは、想像力だ。未来の変わっていく自分と扱っている対象のモノを、じっくり、これまでの時間変化の曲線などを参考に、判断する必要がある。心も頭も使って。
 もちろん「直観○→考えても○」が一番いいけど、あるモノがすべての箇所について、こうなることは、絶対に無いだろう。さぁ、あなたは、どちらかというと、どっちを選んでいる??

 俺は「直観○→考えると×」を選ぶことが多い。重要なときは、いつも、そっちな気がする。
 好きなモノのためなら、カワラナイものだって、たいていのことは変えられると思うし、対象がその部分について変わるようなモノであれば、価値は計り知れない。
 受け入れられないモノは変えればいいし、カワラナイものは受け入れるようにしていけば良い。

 そうそう、理科が、何となく好きだから理系に来たし、

 『えー、理系って、もっと白衣着てるイメージあったけど、実際、物理系って、全然着ないじゃーん。しかも、いろいろ、地味。もっと、試験管とか振ったりさ、んで、爆発したりさ、意味のあることを、わさわさ探し求めたいなぁ。じゃぁ、そのイメージにあいそうなのは、どこ??』

 って思って、完全にイメージで選んだところもある。就職率は物理系のがイイ事も知ってたのにね。
 だから、イメージや直観、「~~っぽい」は、俺にとって、すごく大切。

 困るのは、直観が直観に依存している時だ。例えば、直観的に大好きな集団が、直観的に嫌悪を感じるエスをやっていたら、どうする??(ちなみにこの例だったら、俺は、頭と心を対等にしなきゃって働くので、ダメって結論の頭と嫌悪な直観が、大好きな直観に、勝る。)
 考えというのは、理論的に、矛盾なく、一本で通る。だけど、直観が直観に依存している場合、理屈じゃないからこそ、難しい。どちらが強いのかを決めるということでもないしね。

 その、直観依存性も感情も思考も、すべてを貫くようなモノがあるなら、それこそがきっとホンモノなんだろうけど、その存在確率は諦めそうなくらい低いだろう。
 受験数学における存在証明は、論理を使って「あるんだ」って示してもいいけど、それ以上に、自分で見つけてしまうのが、手っ取り早いことが多い。
 見つけてしまえば証明になるということが、唯一の救いかもしれんな。

 まったく、自分自身、いつまで、そんな「たわごと」を中心にしていくんだよ、って思うけど、それを「たわごと」ということにすら、直観的に嫌悪を感じる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Baby, Don't You Break My Heart Slow

2010-01-21 00:19:53 | Weblog
 ライブのMCなどで、みんなに向けて話しているはずなのに、まるで自分だけに対して言っているように聞こえる時がある。そんなとき、ちょっと震える。それは偶然以外の何物でも無いのかもしれないけど、少なくとも、そういう時は、本当に思っていることを上手に言葉にしようとして、話しているんだなって思う。
 ぐっと心を引き寄せるような、本音を聞くと、あっ、話を聞いて良かったなって思うのだ。

 逆に、まったく思っていないであろう、現状維持的な、無難な、コメントを、重ねられると、どこかでボロがでてきてしまい、俺が少しづつ気がつくことになる。それが優しさのつもりであったとしても、俺は耐えられない。
 そんな嘘をつかれるくらいなら、本当のことを、すぱっと喋ってほしい。それは、この感じが大好きだからこそ。

 この頃、色々なことが、だんだん、変わっていく。少しずつ、変わっていく。
 ちょっとずつの変化を、こんなにも色々な系において、体験するのは、初めてかも。今まで、いきなりの変化が慣れていたからかもしれないけど、予想以上に、この変化率の低い変化が耐えられない。

 どこかおかしいって気がつきながらも、変化が少しずつだから、誤魔化そうとする自分がでてきて、惑わす。でも、確実に、変わっていってしまうのに。。「変わりたくない」という想いが人一番強いのを、どうかわかって欲しい。
 俺の周りの誰かでも、所属している場所でも、概念でも、見栄えだけは思いっきりの笑顔な嘘で、

 「徐々に傷つけるなんて、ヒドイよ。」

 いっそ、一気に、大きく変化を起こして欲しいです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分の賞味期限

2010-01-20 02:46:33 | Weblog
 『理系科目の試験で、一番やっちゃいけないことは、解けるかどうか微妙な問題を解くことに夢中になりすぎて、解ける問題を解けなくなっちゃうこと。試験が終わったときに、「あー、これ、本当は解けたのにーー!」ってーのは、すごく反省しないと。だから、できる問題からやれ!じゃなくって、できる問題を、全部探して、それを全部、前半に解き切ってしまえ!!
 んで、後半、つまりちょっと考えただけじゃわからなかった問題については、持っている限りのカードを試してみること。どんどん発想を出して、多角的にアプローチすること。
 それが、絶対に失敗しない、後悔しない、特に時間が無い時の、試験の受け方です。』

 でも、その基本的なカードを持ってなさ過ぎな生徒さんが、多いこと多いこと。青チャートとか教科書に載ってる基本例題が機械的に完璧に解けることは、最低条件だ。
 それは、別に、俺自身にも言えて、プログラミングをやってて、先輩に、

 「なんで、そんなめんどくさいやり方するのー??」

 ってよく言われる。その答えは決まりきってる。

 『始めたばっかで、手持ちのカードが少ないからですよ。』

 ってね。早く、カードを手に入れ切らないとっ。
 そして、ある大親友の一人から(笑)、「K君は、渡したばっかのカードでも、使えるようになるの、早いっていうか、渡してすぐ使えるよね。それは才能だと思う。」っと褒められたことがある。確かに、それ、自信ある。俺の中では、インプットされたモノ、イコール、アウトプットできるモノだ。

 この、俺が言ってる、試験の受け方は、非常に冷酷だ。できるだけ心を介在させないで、ただ、できることを探しまくり、確率的に点数が高くなるように、理路整然に、セオリー通りに対応することを、推薦している。どれだけ、心を介在させないか、ってのが、自然科学をやるときの基本なわけだから、っま、当たり前か。
 だけど、心(感情)が、まったく関係していないわけではない。っていうか、この系の、中心は、『絶対に失敗したくない、後悔したくない、できるだけ今の力をすべて出し切りたい、合格したい』っという感情であり、心については、この想いのみを大切にして、その周りに、頭で考えた思考を飾り付けて、守り、感情の欲求に応えるため、自己実現を目指す。

 冷酷っというと、コンピュータを想像しがちだけど、コンピュータは、目的が感情ですらない。ただ単に、物理現象の結果だけを必死で追い求めるものだ。人間でいうとこの、冷酷ってーのは、そうではなくって、あるたった一つの感情を、何よりも優先させ、あとは、感情を注入せず、思考のみを使うということ。
 だから、このページでも、俺は冷酷をロボットと表現し続けているが、厳密に言うと、あれは違う。一つの感情に想いをかけすぎることを、冷酷と定義するのが良い。
 そういう意味で、究極的な思考と、たった1つの思いつめた感情は、非常に近くて、自分自身のことですら、どっちなのか、見分けがつかなくなる。

 一部、いや俺が知っている限り、たった2人は、この理路整然な冷酷さを、すべての事象に対して、いつも実行しているようだが、多くの人の場合、このようになってしまう時は、非常に重要な時か、ホンモノだと感じている時(「ホンモノの時」ではない)、そして、自分自身に対して時間的な焦りを感じている時だ。
 前の2つは別として、何かの系において、自分自身について賞味期限を感じている時の、冷酷さは、見ていられないほど、醜い。重要度が高いからこそのセオリー依存なら、まだ、わかる(それも本当はいけない、ってことを、いろんな記事で書いてきた。重要度が高いからこそ、頭と心を対等に使わなきゃなのだ)。だけど、賞味期限を感じていることに行動が依ってしまい、冷酷になるのは、ある重要な点について、諦めきってしまっているから、すごく残酷な結果を生みやすい。

 もちろん、時間依存性は大切だ。時間経過につれて、リスクが高くなったり、価値が得られなくなったりすることもあるだろう。それを、冷酷に、いや、冷静に、知っておくのは、とても大切なこと。
 しかし、時間依存性を考えることと、自分自身の賞味期限を感じとって、その想いを深く信用することは、まったく異質のモノだ。

 これは、自分だけじゃなくって、自分よりも立場の低い人達に関しても、可能性を少なくするという点で、影響を及ぼす。
 あまりにも抽象的に話をしてきたので、ひとつだけ具体的な例で、はっきり言っておこう。
 例えば、自分の具体的な夢を、まだ存在してもいない、自分の子供に託すのは、愚の骨頂。自分自身にとっても、まだ存在しない子供にとっても、可能性を殺すことと同値。
 可能性の塊である子供を1つのことに束縛させてはいけないし、自分自身も、それじゃぁきっと、納得できない。当たり前のことだけど、自分の夢は、自分で直接掴みに行けやっ。

 賞味期限切れが近いことを感じとったとしても、そこまでして、何が何でも、になっちゃダメ。だって、賞味期限なんて関係なしに、時間依存性のないモノこそが、ホンモノなんだから。
 ホンモノを掴みたいことは、みんな一緒でしょ?理屈で考えたって、それは、間違ったアプローチなんだよ。
 だから、大丈夫。自分の賞味期限なんて、考えなくって、良い。感じとっても、気にしなくて、イイ。

 何か見えない真実を見つめたいとき、直接証明法を使うと、上手くいかない。それでは、決して見ることができない真実や予見は、掴みにいけない。
 そうじゃなくって、いくつかの種類の事実を仮定し、その仮定を、そのまま系にあてはめてみる。それを、仮定を変えて繰り返し、自己矛盾がないモノが発見されたら、それが真実。
 これが、真実や予見をインプットするときのポイント。

 だけど、アウトプットについては、こんなに冷酷じゃ、ダメだ。
 もっともっと、感情で動く瞬間が必要になる。感情と思考、両方を対等に使う必要がある瞬間も、多くなる。試験みたいなときは、理路整然なのが優秀って評価になるけど、そうじゃないケースのが、日常では多いんだからさ。
 試験で例えるなら、点数を1点でももぎ取ろうとしてる人よりも、むしろ、周りが見えなくなっちゃうくらい、偶然取り組んだ、目の前の問題に、ついつい一生懸命になっちゃう人のほうが、俺は好きだな。

 それこそ、インプットについてだって、もっとラフでもイイかも。特に、手持ちのカードが少ないときにはね。
 例えば、

 『次の電車が来るまでに、この曲が終わったら、、、うまくいくっ!』

 とぉーかねっ。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何事も多角的視点で扱えっ!

2010-01-19 03:19:34 | Weblog
 明日から定期試験が始まるんですか。僕は、もう、ほとんど消化試合なので、あんまり日程を気にしてませんでしたが。。
 さて、今日で大学の学部の授業が全部終わったわけですが、4年間の授業ランキングでもしてみましょうかね。面白かった、楽しかった、タメになった、別に授業が面白かったってわけじゃないけど学問としては面白い、など、総合で。
 実験&実習&実技は除き、履修した授業に限ります。


 1位 生物化学1(分子生物学)

 ダントツの1位。こんなにも面白い分野があるのかと、学部の専攻で物理学を選んだことを後悔までしたし、院での研究テーマはこの授業に非常に近い。やっぱDNAは深いですな。朝早くからなのに、授業終わらないでっ!!っと授業中にいつも願っていた、唯一の授業。

 2位 量子力学1

 確率論の導入、数学的な複雑さ、不確定性原理、など、タメになった、という面では一番です。現代の自然科学を学ぶ上で、どの分野を専攻するんでも勉強する必要があると思います。っま、絶対、この物理学科がやるほどまでは、いらないけどね。

 3位 環境と倫理

 授業の上手さは4年間でトップ。リスク論の考え方など、今も、日常で使っている概念を学んだ。頭(思考)と心(感情)は、別々で扱わなきゃいけないというきっかけをくれた授業。

 4位 電磁気学

 Griffithは難しかったけど、これは一番力をかけたと思う。院試でも得点源でした。電磁気的な現象って、結構、いろんなとこで使うものです。鏡像法やAmperian LoopとGaussian Surfaceの取り方など、考え方として、好き。

 5位 英会話

 なかなかきつい瞬間もありましたが、外国人としゃべる上で、少なくとも怖さはとれたので、良かったです。時間をかければ、必ず通じることがわかったし、独特の発想も体験できました。

 6位 物性論3(電子系)

 具体的に工業的に意味ありそうなことをやった、数少ない授業だと思う(それでも工学系に比べたら意味無いんだろうけど)。電子系は、卒研でやってるBCS理論などにもつながるし、面白い。

 7位 生物化学2(輸送現象)

 これは完全に「生物」でした。定性的なことを使いまくる、この分野は、中学生のときの理科を思い出しました。慣れない用語が多かったけど、俺にとっては新鮮で、よかった。

 8位 数理統計学

 統計は、使えるし、好き。統計の考え方って、非常に独特で、ちゃんと勉強しないと、理解できないと思う。もう少し、典型的な大学受験問題も作って、重点化しないと、あまりに数学が無意味なものになってしまうんじゃないかな。

 9位 生物物理学2

 7位と同じ内容なんだけど、こっちは、もう少しだけ、物理より。物理の視点から生物を見る方法の導入を教えてくれました。

 10位 数学科教育論1

 生化1のすぐあとにやってなければ、もっと上にランクインされたかも。数学の解き方や教え方を、これほど、おもろく、教えられるのは、スゴイと思う。


 っま、統計力や有機など、授業もぐってたのも、おもろかったんですが、やっぱ履修してないと、中途半端になっちゃうんだよね。中途半端ってーも、今、統計力学の研究室にいるくらいだから、大学の授業なんて、ある程度は、てきとーでいいんだと思うんですけど。
 いやー、思ったより楽しかったよ。数物化生をムリヤリ一応全部触れてるし、

 1年生のとき、カリキュラムみて、そのまんま素直に沿ってったら、物理しかやらねーんじゃんってことに、気がついた。俺は高校では化学はあんま得意じゃなかったし、生物はやったことすらなかったけど、でも、せっかく理科ってついてるんだから、全部やるんでしょ?って期待した気持ちがあって、それを最後まで貫けて良かったと思う。
 めんどくさかったけどね。

 逆に、物理しかやらなかったら、もっと成績悪いかもな。他分野やると飽きないから良いんだよね。あと、色んな視点から見れるし。
 この多角的思考が大事って教えてくれたのが、受験数学であることが、悲しい(笑)。

 うむっ、授業&学問的にも、楽しい4年間だった。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『センター数学ⅠAの講評』と『観点別評価』

2010-01-18 00:34:51 | Weblog
 センター試験も終わり、一息ついて、このページにフラっとやってきた受験生の皆様、いかがだったでしょうか??
 えーっと、今、割と忙しいんですが、数学のⅠAだけ解いてみました。っま、こんなんやる時間あるから、絶対的には、暇なんだけどね。

 さて、せっかくやったし、えらそーに講評でもしてみますか。
 数学ⅠAは、ややムズだと思います。分量も多く、特に第3問は難しい。けど、良い問題だと思います。

 第1問の小問集は簡単。有理化、2次方程式の扱い、数学の論理、を、きちんとマスターしていれば満ちます。ルート21の評価が難しかったかもですが、基準をどちらかにあわせれば算出できるはず。

 第2問の2次関数も簡単です。俺はグラフを描かなくても解けました。頂点の座標を出すときに、いちいち平方完成してると時間ロスなので、微分を使って頂点のx座標を出しにいくと、ぱっぱっと解けるはずです。

 さて、超難問は第3問。
 これは、345の直角三角形の内接円がらみの問題でしたが、(1)の1問目から内接円の半径を求めさせる問題で、手こずった人もいると思います。(1)のそれ以降の問題が一番難しく、内心の性質や直角三角形を上手く使わないと角度が出ません。これを機会に、ちゃんと三角形の五心を、とまでは言わないけど、三心くらいは、まとめておくことをお勧めします。
 (2)(3)は、幾何でそのまま解いてはいけません。座標軸を、Bを原点として定義し、BCをx軸、BAをy軸とすると、割と簡単な、図形と方程式及び三角関数の基本計算で算出できます。Sを求めるのなんて、簡単すぎて、笑えるくらい。っま、この方法は、Ⅱやってねーと無理だけどね。
 そして、(1)ができてなくても、(2)(3)はできるので、ここが勝敗の分かれ目だったと思います。どれだけ落ち着いて、点数をもぎ取れたか?ってとこだね。

 第4問は、ややっこしい。だけど、1~5の数字を球に振り分ければ良いんだって考えられたら、少ない時間でも、期待値まで出せたと思います。

 これで、絶対に満点取れる、とは言わんけど、85点以下の人は、改善点が沢山あると思います。
 二次、私大、頑張れ。


 試験が終わると、一気に弱気になってしまうタイプと、あの試験で振り分けるのは問題ありだって講評するタイプの受験生がいるけど(俺は前者。でも試験前は後者。)、原因の根は自分自身にあるんですよね。
 だって、だいたいどんな問題がでるかってーのはわかってるわけだし、傾向が変わるなどの非常事態が起きても、時間が無いってわかってるんだから、全体を把握して急がなきゃなんだよ。できる問題を、ひとつでも多くもぎ取るってーのが、鉄則だから。
 もっとこーすれば良かった、って思うからこそ、試験問題や環境に対して、文句を言いたくなる。わかるけど、まだ、勝負は終わってね~んだから、さっさか、復習&二次対策しなきゃです。

 そぉ、「知識・理解」のみで、判断してくれる、センターみたいな試験だからこそ、平等なのです。だから、できなかったわけねーんだ、それも、センターくらい。
 「関心・意欲・態度」「表現・技能」「思考・判断」なんて、どーでもいい。そんなのを介在させたら、平等な評価なんて、できるわけねー。そんな曖昧で、定義できねーもので、ヒトを査定するなっ!
 だいたい、なんで、学校教育受けてる時まで、先生に気を使わなきゃいけない評価制度なんだよっ。あぁいった形式で高校の授業をしている以上、「知識・理解」のみの評価だって、先生にゴマする効果が出てきちゃうのに、指導要領で、ちゃんと定式化されちゃってるのが、ムカつく。
 っていうかさぁ、結果は出せませんが、意欲だけはあります、みたいなのって、一番迷惑なんだってーの。やる気無くても結果を出せるヤツのが実際、使うっしょ??

 っと、心では思っていないことを羅列してみましたが…、うむ、理屈では、上は正しいんだけどさ。
 が、しかし、だって、意欲が無さ過ぎる人と一緒にいても、単純に、有意義じゃねーし、つまんねーし。そんな仕事マシーンみたいなロボットといてもねぇ。

 でもでも、それでも、やっぱ、文科省が提示してる「観点別評価」は、制度としては、嫌悪です。俺のとは、意味合いが違うから。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Heavenly White

2010-01-17 03:24:19 | Weblog
 昨日と今日はセンター試験。首都圏では今年は雪じゃなかったみたいで、よかったですね。

 さっき、自分が受けてた科目の問題を見てみました。
 倫理…最近は、割と、日常生活の話題からお話を展開させていく感じになっているのね。初日の最初の科目の最初の問題からステレオタイプとかいう単語が飛び出して、センターは画一的にならなきゃっと思っているなかで、びっくりした受験生もいたんじゃないかな。
 国語…評論、小説は読んでみましたが、どちらも、とっつきやすく、わかりやすいテーマだったと思う。何故だろう?って、そこまで思考しなくても、解答が導けそう。ただ「下線部Xのハイフンを使う意味を説明しなさい」みたいなやつは、個人的にはイヤだな。古文と漢文は、もう、何を読んでもわからないので(俺の人生の中で古典がわかってたのは浪人期のセンター1か月前くらいだけです)、読みませんでしたが、各予備校、やや難化、っとなっているので、古典が難しかったのかな?
 英語…俺が好きだった文強勢の問題が今年は消えた。全体を通して、なんとなく、「会話」が多くなった気がしました。しっかし、第2問は、院試を切り抜けてから見ると、馬鹿みたいに簡単だな(っま、高校生が解くからムズイんですけどね)。第3問cの文挿入は、本当に消えてくれっと願ったもんですが、昔よりちょっと解きやすくなっただけで、まだあるんですね。長文は読んでないけど、毎年、そこまで難易度は変わらないだろうし。
 ちなみに、リスニングは去年の難しさに比べると異常なほど簡単だったらしいです。

 明日は、お仕事としてはメインの理系科目ですか。生命系なのに、センター生物Ⅰは知らないですけど。

 現役で受けた時、このセンター試験で、めちゃめちゃ現実を突き付けられた気がした。実際の実力も全然足りなかったし、その上、さらに、空気にも呑まれたと思った。
 ここから立ち上がるのは厳しい。どれほど現実を受け入れるのが大切かが、今はわかる。溢れる想いを持て余して、強がるしかなかったから、どーしても、現実とのギャップに自分自身が苦しむことになる。

 目の前の現実を受け入れられなかったし、そこから立ち上がることもできないくらい自分自身を誤魔化していたんだなって気がついた。自分自身が一番、全然強くないこと、解ってたから。ただ単に、心の表面上には浮かばせないだけで。
 むやみに話したり、口に出したりすれば、掌の雪のように溶けちゃいそうで、ボロボロになっちゃいそうで、どれくらいの実力があるのか、数値で他人には誰にも、言えなかった。

 あ、でもね、あれはあれで、俺にとっては、必要な失敗だったと思います。というか、何事も、失敗したら、そう思って、ゼロから頑張り直すしか、道はねーし。そうじゃないなら、諦めることになっちゃいますから。
 俺の場合は、あそこで成功しなくて、本当に良かったと心から思う。今、周りにいる方々とも、結局出会うんでも、この対等な関係、この上下関係で、出会いたいし、この環境で本当に良かったと思うし、何よりも、おかげで、運や素質の依存性が強いんだって縋ったりせず、もともとできる人間、できない人間に分かれているんだ、っていう「どーせ思考」の、希望が一切ない結論に達することなくすんだ。

 ツライ現実を受け止め、今できることを、なるべく多く、実行する。それが、いつでも、いかに大切かってーのを、ここまできてやっとわかった。これを17、18でわかっちゃって、成功した奴は、マジ、すげーよ。なーんも考えずに、受かっちゃう人も、もちろんいるだろうけど、別に、そういうことは、受験からだけしか学べないわけじゃないからね。

 あれから何度も、、一途に受け止めることを、努力してきた。
 この5年間くらい、そのなかで、できることをしたと、胸を張って、言える。

 直向きに継続していけば、何事も、徐々に事態は改善していくはずだ。

 (EXILEが14人になってから初のアルバム「愛すべき未来へ」のなかで、一番好きな曲。ここでEXILEの曲を紹介するのは多いけど、Kenn Kato以外の作詞からは、これが初めて。今回は「shooting star」よりも、これのが好き。
 懐かしい失恋の痛手を、純粋に共感させにきたな、って感じの曲だ。でも、首都圏って、あんま雪降らないんだよね。。
 シンプルでハモりやすく、歌いやすい。曲も覚えやすく、一発でピアノで弾けたくらい、簡単。だけど、ずしっと来る何かを感じる。雪だけに(笑))
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どんなコトでも「いきる」ために行っている

2010-01-16 01:44:41 | Weblog
 (前のケータイにIC入れることにより、復旧しています。今のケータイは修理に出す予定です。
 なので、最近アドレス交換した人は、わからないままなので、もし、そんな方で、これを見たら、メール連絡くださいな。) 


 僕の卒研タイトルは、「Population-imbalanced fermions related to FFLO and CDW states in harmonically trapped optical lattices(FFLO状態とCDW状態に関連性をもった光格子中のフェルミ粒子を調和振動子型ポテンシャルで不安定性を与えたときの研究)」です。
 っま、よーわですね、ペアになるモノの片方の種類をわざと多くしておいて(upスピンを多くして)、不安定にして、巨視的に見たときに、どのような状態を安定にとるのか?を見に行く、コンピュータシミュレーションの研究です。

 ってなわけで、安定性の議論を専攻している(させられている)ので、今日は、そんな話からしてみようと思います。

 前にもここで、この話をしたが、高校物理で習う「安定」の理解『物理系は変化を嫌う(例;レンツの法則)』は正確には正しいとは言えない。高校生が物理の問題を解く分には、それで十分困らないが、俺らはその理解では足りないと思う。
 正しくは、「その状態から抜けだすことができない」ということを「安定」と考えると良い。つまり、エネルギー図的に考えることで、もっともっと、理解が進む。
 
 これは、別に、粒子などの物理系に限らず、人が「安定」という言葉を使う時に、一般的に成り立つ気がします。
 とすると、普通の生活の中で、安定しているのが好き、変化が嫌い、っと言ってしまったときは、その意味でそのまま解釈するのではなく、(頭も心も使いまくった上での)精神的に、その状態から抜け出すことができない、っという風に言いかえると、より理解が進むと思います。

 そして、あることに対して、この感情と思考を守るために、多くの人に広く普及させたモノを「ルール」と呼んでいる。
 「ルール」があることによって、多くの人が、自分はひとりぼっちではないと錯覚をすることができ、何も考えずに「ルール」から選んでいけば生きていけるようになっている。

 だけど、それは、人の誰もが普段から感じる、たったひとつの想いを大切にし過ぎているため、弊害が起きることがある。
 大抵の粒子はきちんとトラップされていて、そのトラップから飛び出す元気(運動エネルギー)を持っていないけど、その中の何匹かはそういう元気を持っていて、飛び出したことで元気を減らされてしまうことになる。あと、そういう意欲はあるのに、トラップが深すぎて、逃げ出せない粒子もいるだろう。
 その意味では、

 「ルールは破られるためにある。」

 っと言うことができる。ただし、これには重要な条件が、前提として、つく、

 「ただし(if) 、ルールを破ることによって、将来が改善されることになることに確信が持て、その際のすべての不利益に関して、未来の自分自身がすべて責任を負うと覚悟を決めているときのみ」

 っという重要なif(条件)文が。もちろん、else ルールを破ってはならない。

 ルールを破ることは、「必ず改善したい」「必ず掴みたい」「必ずそうなりたい」という想いが、「安定=その状態から抜け出せない」という、ほとんど絶対的な精神面に、勝ったことを意味する。そこまでいったなら、大抵の系では、本当にホンモノだ。

 さて、その大抵の系じゃない、わかりにくい具体例を紹介しよう。

 『だって、オカシイじゃん?不自然でしょう?なのに、どうして、こんなことが実際に存在してるんだろ??』
 「あのねぇ、わざわざ不自然なことをルールになんてしませんよ。それは自然なことです。むしろ、本能的で、ごく自然なコトこそを、禁止しているんです。」

 人は1つ以上、準拠集団(=その人が心から「仲間でありたい」と願っている集団)を持っていないと、精神的に安定できない。
 準拠集団が、まったく無い状態となってしまうと、ヒトは、己の存在意義を、急いで確認したくなる生き物になるんだと思う。急いで、簡単に、ね。
 そのためなら、改善されなくても、平気で、ルールを破る。

 だからこそ、俺は、教育は、人間の根本である存在意義確認ってーのを大切にして欲しいと、本気で思っている。

 あ、そうそ、勘違いしているのかもしれないから一応言っとくけど、集団は2人以上で定義されることを、忘れないでね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする