たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

wait and see "risk"

2008-10-31 23:43:23 | Weblog
 今日、また良くないシーンを見たりした。

 今さらながら、なぜ人は、自分とは違うトコを受け入れられないのかにゃ。
 そりゃ、俺だって、色んなものが怖くなることだってあるけど、どーにか理解っていうか、わかろうっていうか、尊重しようと、せめて努力だけでも、していこうやって思う事が多い。努力もしないで、ただ怖いって排除して、仲間内で手を叩いて笑ったりして、まったく、よえーなー、ったくっ。
 変えられないモノを受け入れる力、そして受け入れられないモノを変える力を、もっと、どっちも見せて欲しい。俺自身も、そこまで無いけどさ。

 特にどっちが無いかと言われたら、「変えられないモノを受け入れる力」かな。学校とか、社会とかにも無いよね。一般的に。

 はぁ、頑張ろう。
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after all

2008-10-29 20:55:23 | Weblog
 今日は自主休講にしちゃいました。疲れてたし、総体的に、有意義さはいつもよりアップした気がしたけど、やっぱすいませんね。

 あの頃の星たちはもう見えないけれど、あともなく消えたわけじゃないから、きちんと走っていこうと思います。きちんと音をとって、巧妙さや正確さも忘れずに、最強の仲間たちと、あの頃の星を探そうと思う。
 昔話はじめたなら、楽しいことはわかっているどころか、100も承知だけど、それだけじゃ先に進まない。いつも、いつも、こうやって前に進んできたんだから、今回も大丈夫。きっと合格するさ。

 今日は、目覚ましをかけて、眠りにつきます。 
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選択は本質じゃない

2008-10-28 00:30:13 | Weblog
 身の回りの悲しいことを全部無視したら、楽しいことが沢山残るなんて、そんなことは無い。悲しいことを楽しさに変えるのも、楽しいことを悲しさに変えるのも、全部、俺次第。
 レポートや練習、それだけじゃなくて、夢や将来についても、最近とても忙しくなってきて、こんな風に日々忙しくしていると、ふっと気がついた時に何も残らなかったりもする。だけど、そんなのは忙しさに責任を押し付けているだけで、俺次第。

 悲しいことについて、悲しさだけをそのまま受け止めたんじゃ、そりゃ悲しい。だけど、どーにかして、楽しさに変えられるはずだ。だって、「すべての二者択一問題は、両方とれるような道が必ず存在する」んだから。悲しいも楽しいも、両方を受け止めて、ムリヤリでもイイ方向に持っていきたいと思う。

 っさあ、忙しすぎる一週間は始まったばかり。どっちかを選択していくんじゃなくて、どっちもとれる道を探しつづけるしかないっしょ。 
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trick or treat ??

2008-10-26 01:53:58 | Weblog
 明日、約2年半ぶりに、東工大に行く。
 あの大学入試以来、また、あの場所に向かう。もう、言うまでもなく院試の情報収集にいくわけだが、どうも乗り気が薄い気がする。

 受験生時代、本気であの大学に入りたかったのか?っと言われれば、間違いなくそうだと言えるのだが、今の俺自身としては、あそこを答えにしたくない。
 昨日、TOEFLのあと、友達と喋ってる中で、「じゃぁ、どーしてお前は大学院に行きたいの?」って言われた時の答えにウソはない。だけど、彼もそれについて納得してくれたが、彼自身もよく知っていることだが、それが俺から放出できる最大の答案ではない。

 その意味でも、安定という意味でも、乗り気がしないのかもしれない。ただ理由でも言っているとおり、あの頃の自分をふっきるために、あの頃の自分をこの身体に憑依して、明日は向かおうと思う。
 まだ、本質や真実や夢について、曖昧な輪郭しか持っていなかったあの頃の自分に、今、輪郭だけは形作ることができる自分を乗っ取られないように。 
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Chicken Rice

2008-10-23 01:57:21 | Weblog
 どーしても納得できないとき、必死で考えた事をそのまま書いて提出することがある。
 今日、友達から聞いた話で、大学の試験が全然わからなかった時に、自分でテキトウに問題を作ってそれを解いたら単位が来たという話を聞いた。それはちょっと極端だけど、納得ができないモノに対する思考っていうのは、輝いて見える。きっと採点者もそれに心を打たれてしまったのだろう。

 納得ができない、自分自身ではどーにもならないこと、ってのは少なからず広く、誰にでも存在する。それはものすごく悲しいことかもしれないし、非常に難しいだけかもしれないし、幼いのにとてつもなく大きなモノにぶち当たったのかもしれない。
 結果がすべて、っという発想から、さらに上にいったときにだけ、過程のが大事、ってがちで思えたとき、何か心の中で変わっていくのを感じる。
 でも、それでも、不幸は無いに越した事はないとか思っちゃう。それは弱いことなのかな…。

 悲しさに付随した事が習慣化してしまったのを感じたとき、もしかしたら、そいつをカテにできているのかもしれない。
 いつか、このことが習慣化してしまう日が来るまで、くだらない事を冗談にして、待ってみるか。 
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Memory Check?

2008-10-21 23:42:26 | Weblog
 もし、今の教育制度がもっと本質的だったなら、別の言葉で言うなら、もし、教育というモノが学問を用いて行なわれるモノでなかったなら、学問はもっともっと娯楽化しているだろう。

 よーわ、今の高校などの主要科目、現代文、古典、英語、数学、物理学、化学、生物学、地学、政治経済学、倫理学、日本史、世界史、地理などを勉強する事を強制されないんだとしたら、もっともっと世の中はこれらを娯楽の対象として使うと思う。
 例えば、有機化学の反応式が書いてある服が売れたり、電磁気学の問題を作成して出しあいっこするのが流行ったり、平安時代の年号歌のCDがまさかのミリオンヒットだったり…。
 え?そんなに複雑なもの、誰が娯楽にするかって?麻雀は俺には複雑には思えるけど、はまってるヤツは超はまってるじゃねーか。最近のゲームだって、やたら複雑に思うんだけど…。

 俺は学問が好きだ。そして、科学は好きではないけど、やっていると楽しい。だから、この愛している(笑)学問達が、教育なんかの道具として用いられているのがイヤでたまらない。
 なぜ勉強するの?っと聞かれた時に、なぜサッカーするの?っと聞かれたときと同じように、「楽しいから」っと答える人が世界中で、せめて日本中で多くなる事が、俺のねがいである。

 だから、学問の供給者側、つまり教科教育をしている先生は、基本的にエンターテイナーであってほしいと思うし、俺自身、誰かに学問を教える時は、そうでありたいと思う。変に偉ぶって、教育的になる、おこがましくなる、お節介になる、先生は、ちょっと俺とは合わない。要するに、生徒と先生は対等であって、尊重しあわなきゃねって。
 そうじゃないから、これからを担う大切な人たちが、冷静に考えずに、勉強なんてきらーいってなるんだと思う。先生が学問という道具を使って、教育という安全なくくりの中で、相手を馬鹿にし、偉ぶるからいけないのだ。

 なぜ?なぜ、案外面白いじゃん、学問はっ、っという方向に持っていけない?俺だって、それくらいできるぞ。

 今、この歳(21)になって、成績や学歴がよい人たちは、超単純にわけると、2種類いると思う。「純粋に学問の楽しさに気がついてしまってやめられなくなっている人」と「今の教育制度という鎖に順応して耐えぬいてここまで勝ち抜いた人」である。(ごめんなさい、このページを見ているであろう例外のirizaさん(笑))
 ちなみに今までの俺は、1ミリ前者よりのハーフってとこかな。

 この痛い鎖に身をゆだね、気持ち良くなってしまっている人たちは、俺は正直、すげーっと思う。だって、サッカーでいうなら、サッカーなんて楽しくもなんとも思ってないヤツが、サッカーめちゃめちゃ楽しいヤツと対等に戦ってるんだぜ?
 でも、可哀想に思う。なんで、もっと多角的にモノゴトを解析し、本質を見れないのだろう。確かに社会や制度と個人を同率に論じるべきではないけど、それではダメな今の教育制度と本質を見抜けない点でカワラナイと思う。
 っま、中間の俺が言うのもなんですが(笑)。

 逆に、学問の楽しさにはまりまくっている人たちも、俺は正直、すげーっと思う。こーゆータイプは往々にして、すべての成績が良いわけではない。なのに、それでも過去問を使わなかったり、要領よくやらなかったりする。なんともご立派である。
 でも、ちょっと遺憾にも思う。なんで、もっと他人のことを考えられないのだろう。今、とりあえずはこういう制度になっているのだから、それにムリヤリ順応しろっとは言わないけど、せめて義務は果してほしいと思う。んで、優しさを見せるとすぐにめちゃめちゃ従順になったりもするもんだ。純粋すぎるのも罪なんだよね。
 っま、中間の俺が言うのもなんですが(笑)。

 んなわけで、両者ともに、長所と短所があるわけですが、俺はどっちかっていうなら、学問の楽しさに気がついてるヤツのがイイかな。だって、楽しい分、お特だし、楽しい姿って素晴らしいからね。
 もちろん、両方の長所を持ち合わせている人もいるんだと思う(俺はそーではない)。 

 こんな風に書いといて、俺はどーして勉強しているのか?っという問に、学問が楽しいからっと簡単に答えられない。っま、超スーパー本心を言うと…、
 俺にとっての一番大切なモノを守り、なくさないためには、学問を、特に科学を勉強する事は、必要不可欠なのだ。自分を、自分自身が作った固有な鎖で、縛り付けているという表現が正しいかもしれない。 

 さて、あなたは、なぜ、今、勉強しているんですか??
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Carry On

2008-10-21 00:11:06 | Weblog
 うちの大学で、1番アツイ先生の無事を確認して、ちょっと安心した。休講をしたときに、もう何か変だなっと感じていたけど、やっぱり大変だったみたい。仕事にはまだまだ戻れないみたいだけど、そこに生があるなら、まぁ、上々。

 (これとはあんま関係ないけど、生きているという事実は何事にも変え難い。そこに命があるということほど、重要なことはない。例えその人が、喋る事も意思疎通をする事もできなかったとしても、そこに命が存在しているということは、非常にかけがえのないことなのだ。生命として、生物として、人間として。)

 おそらく、非常にもどかしいんだと思う。夢や理想の固まりみたいな人だから、今、自分自身が動けないで、健康でないということは、現実を背けたくなるほど、ツライのかもしれない。
 そして、そんなことを知ってか、残った者達は、きっと、彼の理想を追いかけようとするのだろう。たかが学部生である俺は0.01%くらいしかそのアツさは受け入れられないけど、少しだけでも伝染させてもらえるなら、0.01%だけ受け入れたいと思う。バトンの一部を分けてもらえたとして、その瞬間にすでに、原型とは変わってしまったとしても、それはそれで新しい一歩なんだって。

 「いつか、変わってしまったとしても、自分だと強く胸に言い聞かせていこう。遠く果てしなく続く空、雨の日もどんな日も、夢だけは捨てちゃいけない。」

 ただただ祈ることしかできない自分は、必死に走っていくつも守って空回りするしかない。それはカッコ悪くてもかまわない。生きている目的は、全然知らない誰か他人のためではないのだから。
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as i did on my own alone again naturally (part2)

2008-10-20 04:09:38 | Weblog
 いつかの純粋な心が戻ってきた。俺等が何をするべきなのか、俺等が何を求めるべきなのかを、冷酷ではなくて、冷静に判断できる状況になった。
 こっちが普通で、今までが異常だった。そんなことはよくあることで、イライラしたり、窮屈になったり、そんなことで悩む必要はなくって、常にここに戻ってくれば良い。

 明日、希望があると思ってたものが絶望であった時、落ち込むんじゃなくて、それに気がつけて今日はラッキーっと思えれば、例え今までめちゃめちゃでも、治せるじゃないですか。イイワケをしないで、反省をして、次の目的に向かって、また走っていけば良い。

 でも、ちょっと疲れちゃった。あと2日間くらいは休ませて欲しいな。

 とりあえず、ただいま。

 ってか、昔そうであったように??いや、ずーっと、だって。
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across my heart

2008-10-19 13:23:03 | Weblog
 悲しい顔をしていると、いたるところから善からぬ輩がやってくる。その悲しさをつけ狙ってくるのだ。
 だからこそ、超絶に悲しいことが起きた時こそ、笑顔を作らなければならない。俺は、この作業が、得意だったりする。

 そんなことが得意だから、人が笑わない笑顔をしていると、大抵見抜くことができる。笑わない笑顔を見抜く事は、いとも簡単である。その人の目を見れば、本当に笑っているのか本当は泣いているのかが判断できる。

 それだけじゃなくて、演技はだいたい、見破れる。この演技を見破る時、慎重にならなければいけない。決して、相手を傷つけてはいけないのだ。
 っま、演技を見抜いていることを伝える前に、相手が暴露してきたから、ちょっと対策が違ってくるのだけどね。

 多くの人は、任意の集団において、自分を作り、演技をしていると思う。だけど、その演技が本当の自分自身になってしまったとき、かなりマズイ状態になっている。ペルソナはかぶる分には便利なのかもしれないが、使い過ぎると取れ難くなるという副作用を持っている。
 俺自身、いくつものペルソナを持っていると思う。そして、いくつかは本当の自分になってしまった気もする。でも、それは、大切な自己防衛手段であって、誰になんと言われたって、このペルソナを壊す気も、捨てる気も、さらさら無い。
 いけないとわかっていても、でも、もう、自分自身になってしまったわけだから、そこのとこの自分を否定する勇気もなくって…。ダメだな~。

 俺のペルソナは少し不思議で、簡単に別のに変えたりすることもできたりする。最近使ってないなー、あれ、みたいな(笑)。
 んなわけで、今から、勉強モードのペルソナをかぶることにするかな。 
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それでも

2008-10-19 02:00:25 | Weblog
 相手の言ってる事に含まれるすべての心が一寸の狂いもなく把握できる時、俺は気持ちがなく、冷酷になっている。頭で考え、慧眼を働かせているそのすぐあとに、俺はいつも寂しさを感じているのだ。その瞬間は冷酷であるから、寂しいとも苦しいとも感じない。何を言われても、動じないのではなく、動ぜない。

 なんでもそうだけど、人間として「気持ちがない」のは最悪。これはそれ自体で決まりきっていることであると思う。
 気持ちがないと結果に反映されないわけではなく、むしろ強い気持ちは悪い結果を反映してしまうような要因になりがちだけど、そうではない。根本的なおかしさに気がついてくれ。
 結果だけで、生きているなら、それはなんてつまらないのだろう。人生の本筋にとって無駄な事を除外していったら、人生そのものがつまらなくなる。そんなことは当然じゃないか。

 任意の人間に対して、最低ラインをクリアしていれば、俺は素晴らしいと思う、それは人間として。最低ラインとは、「生きている」ことだ。昔、綾戸智絵が「生きていれば、人生半分はOK、合格や。」と言ってたのにとても共感した覚えがある。EXILEの曲の中で、1番好きな歌詞をあげろと言われたら、Everythingの「生きてるだけで、君は宝物さ~。生きてることで、すべてはOKさ~」ってとこだと答える。
 生きている事とは、それだけで奇跡であり、神秘なのである。生化学を学習するたびに、生化の授業を受けるたびに、本当にそう思う。

 この最低ラインをクリアした上で、「人生の最も輝かしい日々とは、いわゆる成功の日々ではなく、むしろ失意と絶望の中から人生に挑戦しようという気持ちが、胸中に湧き上がるのを感じる日々である。」ということを考えてみて欲しい。

 プロセス。

 そればっかこだわってはいけないのは、よく知っている。だからこそ、俺の頭の中では「結果がスベテ」っと考えているのだ。けど、心は、プロセスが最も重要という結論をなんの根拠もなくだしているのだ。

 そして、今、これを書いている瞬間も、まったく感情がなく、ただ頭で考えて、その結果を書いている。それはどういう意味なのかを、考えてくれたら嬉しい。
 っけっ、俺は、そんなにバカじゃねーんだよ。ってね(笑)。 
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10年ぶりの再会

2008-10-18 00:05:42 | Weblog
 今日は実験のプレゼンテーションだったんですが、まぁ、いろいろ勉強になりました。ホントにいろいろ。俺は真面目ではないから、物理学の内容で得られたものってのは少ないですな…。

 今回のプレゼンテーションは、沢山質問の手が学生からあがって良かったなーっと思います。っま、それでも限られた人ではあったけど、やっぱ先生と学生だけのディスカッションだけだとなんだか無機質だし、色々な人が沢山質問するのって自明的によくね??
 自分自身のプレゼンの評価は、今回は、そーねー、100点満点中70点てっとこかな。かなり甘くつけてね。俺は、多少緊張とかするほーだから(見えないみたいだけど)、事前に練習しないとダメだね。今回それを怠ったのがいけなかったと思います。

 さて、明日は休日。思いっきり休もっと。ちょうど10年前の漠然と楽しい懐かしいキヲクを想い出しながら。 
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長い長い道

2008-10-14 22:47:42 | Weblog
 どーでもイイけど、なんでロンハーで使う絵文字はdocomoなんだ…。

 んなわけで、やっぱり休息は必要ですね。歩幅あわせるのに疲れてたから、ちょっとスッキリ。っま多少、トーフル対策とかしてましたが。
 あー、明日は、ウズベキスタン戦なのかいな。ケータイ充電しとこっと。
 絶対に負けられない戦いがそこにはあるんだろ?勝てしっ、日本。

 さて、そろそろ、本格的に計画を実行に移そう。前へ一歩、後ずさりしないで、怖いことはない、活路は見出せるはず。3年間の総決算の序章が始まる。今、このやる気があるうちにスタートさせなきゃね。

 しっかし、歌詞ってのは、恥かしげも無く色々書けるのが良いね(笑)。
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もう充分わかっているはずの言葉

2008-10-14 00:36:19 | Weblog
 もし、自分の信念を貫き通し続けることをマジメであると定義するなら、俺はかなりマジメな部類だと思う。

 俺の初期の印象は、たぶん、真面目ヤローだと思う。いつも授業で前のほうに座り、ノートをこまめに先生の言った事まで書くし、その他いろいろな行動も真面目を連想させるだろう。事実、だいたい、そんな印象を持っていたという友達が大半である。

 んで、ちょっと仲良くなると、案外ラフで、冗談大好きで、遊ぶ事、楽な事が大好きな、テキトウ人間なんだーっと思われる。これは多少正解。真面目の裏には、自分のしたいことをするために、目的のためには手段を選ばない的なことも働いてるし…。
 例えば、100点のAをとるよりも、どーせ評価は見られないんだから、80点のAをとるほうが効率良いじゃんと思ってるし、90点以上のAをとったら頑張りすぎたと反省したりもする。これは、真面目とは言えないだろう。

 そして、超仲良くなった、世の中の俺のガチの重要人物30人くらいには、さらにそれを超えて、クソマジメヤローだと思われる。これは、大正解であるが、まぁ、俺はこの30人くらいに言ってやりたいっすね、「てめーらのがマジメだっつーの」。
 俺は、ある俺の中のリミッターを通過したルール違反には容赦しない、他人にも集団にも自分自身にも。自分のセンサーに引っかからないどーでもいいことはどーでもいいと思っているが、自分のセンサーに引っかかる許せない事実に対しては決して逃したりはしない。後先考えずに、突っ走るくらいの熱さがある。
 また、ストライクゾーンは狭いが、正しいと思う事や善と思う事に対しての決定は、超素早い。
 それらを見せることは少ないし、これらを見ると大抵はヒクのに、それでも寄ってくるマジメ君達しか、そりゃー俺にとっての重要人物にはならないからね。

 んなわけで、だから、この記事の最初の文が、はっきりと言えるのだ。

 でも、果して、自分の信念を貫き通し続けることはマジメなのだろうか。俺は、そこに一歩踏み出せずにいたりする。

 今日も自分の信念を優先して、傍にある重要なモノに気がつかないフリをして、無視した。こっちのこっち側の心をすべて無視して、こんな決定を一時的に下すことは、果たしてマジメなのかな…。それは、ただのワガママではないのかな…。
 もう、わかったよ、充分だよ。自分自身も、マジメなのも、疲れてるのも、わかってるんだって。
 それでも、それでも、明日からも、俺の小さい足の中で、重たい箇所も、足取りが軽い箇所もあるなか、スベテを抱えて、歩きだす。 
 何かカワラナイものが、変わってくれるのを期待して。
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夕食はペンネのアラビアータ♪

2008-10-13 02:26:10 | Weblog
 今週の日曜日も、ずーっと家で、レポート書いてました。うーん、でも、生物学のレポートって楽しいね、他のよりも。あんまり苦痛じゃなかった。
 そして、ずーっと家にいるので、ボサボサの髪でもまったく気にならずに、なんかまさに、理系だなっていう感じでした。

 んなわけで今週も、楽しい時も、落ち込んじゃった時も、いつでもとなりに悲しくご本をおいて、頑張りますかな。
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2つマルをつけて、ちょっぴり大人さ♪

2008-10-11 23:01:36 | Weblog
 こないだの記事で(2008/10/9参照)、「『確実な未来』と『果てしない夢』、どちらをとるべきなのかを、いつも迫られている…」っと書いたが、昨日、友達との会話で同じことを言ったら、

 え?だってお前、そんなの、前に自分で答え言ってたじゃん。違う事だけど。「日常のすべての二者択一問題は、どっちもとれるような道が必ず存在する」って。どっちもとれるような道を探し出して、それを選ぶしかないっしょ??

 そうか。っと、予想以上の答えを持ってきたから、スゲーっと思った。「確実な未来」も「果てしない夢」もどっちも目指すような道を選べば良いのか。んー、でも、超難度だな。
 でもでも、それくらいのことをしなきゃだな。たった1度きりの、固有な人生なんだから。
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