例えば月に行くことに価値観があるとして、地球から月まで38万kmという情報を得た瞬間に、ロケットで行けば良いじゃん、と短絡的な思考で実際に歩くことを停止することは、まったくの無駄である。
しかしながら、こういう思考をしている人は、世の中大勢いる。
「地球から月までは38万kmあるということで、これはまぁ、ロケットで行けばいいわけですね。それで、、」
『いや、ちょっと待ってください。で、実際に、どうやってロケットで行くんですか?』
「それは、私はロケットの専門じゃぁないんで」
『いや、でも、あなたの目的からすると、その部分を知らないと、、怖くないですか?だって、命を懸けて月まで行くわけですよね?』
「まぁそうなんですけど、でも、38万kmと数字でわかっているわけですから、正直なところ、実際に月に行ってみなくても、すでに、だいぶわかっている、とも言えるわけです」
『いやでも、月に実際に行ってみて、それから何が大切か?と、次の価値観に向かって考究しなくちゃいけないですよね?』
「いえ、月に行く、という程度のことに拘ってはいけないと思います」
「君は、あまりにも視野が狭い。もう少し、広い世界を意識しながら進捗させないと」
『いやいや、だって、ロケットについて、あまりにも考えていないじゃないですか。地球は自転しているし、月は公転しているんですよ?単に、38万km距離がある、ということだけで、すべてが理解できているとは言えないと思いますけど?』
「それは、そういう細かいことを追及している人間がやれば良い話で、私の仕事ではありません。とにかく、こういうことに価値がある、月に行くぞ、という風に説明しておく必要があるんだよ。予算をとってくるために。君は若いからわからないかもしれないけど」
『えーーー?!( ゜Д゜)』
○○の分野の人たちの考え方を理解しないとダメだよ、そこで与えられた役割をとにかく大切にしなさい、という有り難い忠告を、これまでの人生で数多く訊いてきたが、それは即ち、搾取している愚かな人たちが無能で怠惰なことを許しなさい、と勝手に翻訳してるけど、おーけー?笑
いつまでも「その時」を待つばかりで、いつまでも微動だにしないようなスタイルを、自分は賢いゆえにとってしまう、と思い込んでいる驕りは、必ず身を滅ぼす。
確実な方法があるから、あとはその方法をやれば良い、でも実情めんどくさいことは幾つかあるから、「その時」がやって来るまで、それはしない!、と決め付けて何もしないでいることは往々にしてありうる。
だから、計算をちゃんと追ってもいないのに定性的な考え方さえ覚えていれば良いと思ったり、実験手法の実際を知りもしないでその系を理解したと思い込んだりする。だから、自分が率先して損してみることもしないうちから、チームワークでコラボレーションすることがものづくりでは大切だと、声を大きくして言えるのである。
話を覚えているだけで、そこにあぐらをかいて、何もしていないくせに、わかったふりして、実際には何もしようとしない、というのは、最も滑稽なのである。
いいか。月に行くためにロケットに乗るためには、まず、地球の上を歩いていなくてはいけない!どこかに閉じこもりっぱなしでは、月どころかロケットに伝手がある人にすら出会えないだろう。ロケットに乗る場所まで、、いや、少なくとも、発射台に行くまでの交通機関に向かって、自宅から歩き出していなくてはいけないのだ!!
間違ってもいい。都内から京都まで何回も歩いてしまう愚行を繰り返してもいい。その間違いを恐れるあまりに、一歩も歩き出そうとしないよりは、マシなのだ。そして、なるべくただのループから抜け出し、目標達成に貢献しうるあらゆる世界のトップに会おうとすること。同時に、ロケットの最低限の原理と、その下地となる論理をきちんと理解すること。それを多角的に意識し続け、多角的に行動し続けることが、大切なのだと思う。
もし、ロケットに乗って、正確に月に向かって第二宇宙速度に達するまでの努力をすれば、あとはただロケットに乗っていれば、(宇宙は無重力だから)とりあえず月には着くだろう。
成功に努力はほとんど必要ないが、この部分の努力は決して怠ってはいけないのだ。そして、大前提として、多角的に歩き出していることで、このチャレンジに「参加」していなくてはいけない。
だからね、、貴女のあらゆる興味に向かって、ほんのちょっとでもいい、間違ってもいい、不承不承でいい、とにかく一歩、踏み出し続けてみて欲しいと、烏滸がましく自分勝手に、俺は思っている。
失敗しても、絶対に無駄にならないし、それでも無駄になりそうなことは、俺が全部、責任をもって、フォローしてやる。
しかしながら、こういう思考をしている人は、世の中大勢いる。
「地球から月までは38万kmあるということで、これはまぁ、ロケットで行けばいいわけですね。それで、、」
『いや、ちょっと待ってください。で、実際に、どうやってロケットで行くんですか?』
「それは、私はロケットの専門じゃぁないんで」
『いや、でも、あなたの目的からすると、その部分を知らないと、、怖くないですか?だって、命を懸けて月まで行くわけですよね?』
「まぁそうなんですけど、でも、38万kmと数字でわかっているわけですから、正直なところ、実際に月に行ってみなくても、すでに、だいぶわかっている、とも言えるわけです」
『いやでも、月に実際に行ってみて、それから何が大切か?と、次の価値観に向かって考究しなくちゃいけないですよね?』
「いえ、月に行く、という程度のことに拘ってはいけないと思います」
「君は、あまりにも視野が狭い。もう少し、広い世界を意識しながら進捗させないと」
『いやいや、だって、ロケットについて、あまりにも考えていないじゃないですか。地球は自転しているし、月は公転しているんですよ?単に、38万km距離がある、ということだけで、すべてが理解できているとは言えないと思いますけど?』
「それは、そういう細かいことを追及している人間がやれば良い話で、私の仕事ではありません。とにかく、こういうことに価値がある、月に行くぞ、という風に説明しておく必要があるんだよ。予算をとってくるために。君は若いからわからないかもしれないけど」
『えーーー?!( ゜Д゜)』
○○の分野の人たちの考え方を理解しないとダメだよ、そこで与えられた役割をとにかく大切にしなさい、という有り難い忠告を、これまでの人生で数多く訊いてきたが、それは即ち、搾取している愚かな人たちが無能で怠惰なことを許しなさい、と勝手に翻訳してるけど、おーけー?笑
いつまでも「その時」を待つばかりで、いつまでも微動だにしないようなスタイルを、自分は賢いゆえにとってしまう、と思い込んでいる驕りは、必ず身を滅ぼす。
確実な方法があるから、あとはその方法をやれば良い、でも実情めんどくさいことは幾つかあるから、「その時」がやって来るまで、それはしない!、と決め付けて何もしないでいることは往々にしてありうる。
だから、計算をちゃんと追ってもいないのに定性的な考え方さえ覚えていれば良いと思ったり、実験手法の実際を知りもしないでその系を理解したと思い込んだりする。だから、自分が率先して損してみることもしないうちから、チームワークでコラボレーションすることがものづくりでは大切だと、声を大きくして言えるのである。
話を覚えているだけで、そこにあぐらをかいて、何もしていないくせに、わかったふりして、実際には何もしようとしない、というのは、最も滑稽なのである。
いいか。月に行くためにロケットに乗るためには、まず、地球の上を歩いていなくてはいけない!どこかに閉じこもりっぱなしでは、月どころかロケットに伝手がある人にすら出会えないだろう。ロケットに乗る場所まで、、いや、少なくとも、発射台に行くまでの交通機関に向かって、自宅から歩き出していなくてはいけないのだ!!
間違ってもいい。都内から京都まで何回も歩いてしまう愚行を繰り返してもいい。その間違いを恐れるあまりに、一歩も歩き出そうとしないよりは、マシなのだ。そして、なるべくただのループから抜け出し、目標達成に貢献しうるあらゆる世界のトップに会おうとすること。同時に、ロケットの最低限の原理と、その下地となる論理をきちんと理解すること。それを多角的に意識し続け、多角的に行動し続けることが、大切なのだと思う。
もし、ロケットに乗って、正確に月に向かって第二宇宙速度に達するまでの努力をすれば、あとはただロケットに乗っていれば、(宇宙は無重力だから)とりあえず月には着くだろう。
成功に努力はほとんど必要ないが、この部分の努力は決して怠ってはいけないのだ。そして、大前提として、多角的に歩き出していることで、このチャレンジに「参加」していなくてはいけない。
だからね、、貴女のあらゆる興味に向かって、ほんのちょっとでもいい、間違ってもいい、不承不承でいい、とにかく一歩、踏み出し続けてみて欲しいと、烏滸がましく自分勝手に、俺は思っている。
失敗しても、絶対に無駄にならないし、それでも無駄になりそうなことは、俺が全部、責任をもって、フォローしてやる。