たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

オカシイから人間味がある

2010-02-28 03:25:18 | Weblog
 世の中には様々な種類の深刻な病気が存在する。癌、心臓病、エボラ出血熱、躁うつ病、5月病。。
 免疫機能が失われてしまうもの、ウィルス性のもの、ストレスからくるもの、どれも深刻で、命の危険があるものだが、そのなかで、もっとも深刻なのは、

 中二病

 これは、命の危険は無い。だが、誰もがなる病気としては、深刻である。
 今日は、どれくらい、自分や周囲で、中二病の症状が認められるか、確かめてみようと思う。
 症状の出典は、「はてなキーワード」から、とっています。では、さっそく。

 「洋楽を聞き始める」

 あー、わからなくない。中学生のときから、ずっと、無意味に、外国への憧れがある。あれでしょ、日本語訳の教科書があるのに、訳がオカシイとか言って、わざわざ、原書で読む感じでしょ?
 うん、やっぱ、わからなくはない。でも、それで、割とちゃんと読めちゃうところが、中2じゃないんですけどね。っていう、発言とかでしょ?うん、やっぱ、わからなくはない(笑)。

 「うまくもないコーヒーを飲み始める」

 コーヒーよりもお茶が好きです。なので、一時期、研究室のおーいお茶は、僕一人で無くしていた気がします。
 よって、これは無いと思いますが、ミルク入れない癖は、中学生の時からか?

 「売れたバンドを『売れる前から知っている』とムキになる。」

 ごめん、それ、しょっちゅう。バンドに限らないけど。はいはい、わかってますよ、俺みたいなのが沢山いたから、売れたんですよね、はいはい、わかってますって。

 「因数分解が何の役に立つんだよ」

 あ、本当に役に立ちませんよ?俺が言うんだから間違いないっ。理系を代表して、僕が、認定してあげます。絶対に、役には立ちません。でも、おめーらと違って、俺は、因数分解できるしっ、って、生徒に言ったりしてます。

 「大人は汚い」

 だいたいは汚いんじゃん?
 なんか、超、中二病だけど。。(笑)

 「本当の親友探しを始めたりする。」

 それは、むしろ、探し続けろっ、バカヤロー。

 「タバコも吸わないのにジッポライターを持つ。」

 俺はそんなお金の無駄遣いはしないですけど、そういう感じの友達を何人か知ってる。

 「プロに対して評価が辛い。」

 この人の書いた本はダメだとか、あの先生はダメだとか、ね。はーい、気をつけまーす。教員は、そういう評価を、きちんと気にしないといけないですけど。

 「口癖が『これ、知ってる??』」

 あー、なんか、院生とかにいそう(笑)。そんなん、知識じゃーん、しかも、コアな。みたいな感じっしょ?

 ってなわけで、僕は中二病なんです。誰か助けてください。まぁ、こういう部分を無くしてはいけないとも思ってますけどね。
 やっぱり、必要だと思うかな。だって、強がりながら、自分を強く見せながら、本当に強くなっていくこともあるし、それって、背伸びさせて育てるような研究室の指導観そのものだし。

 ちなみに、女の子ver.は、小六病というらしいです。これも、気になったものを挙げてみましょう。

 「やたら泣く」

 確かに、泣けそうなyoutubeの動画とかで泣いたりしますね。なんか、泣くと、すっきりしません?そのすっきり感が欲しくて、たまに。

 「『親友』を作り周囲に認知させる」

 友達を、結構、仲イイんだよー、俺ら、って紹介することはあるけど、あんまり、認知させたくはないかな。でも、そういう方は、何人か知ってます。

 「友人関係に悩む自分自身に酔っている」

 もう、そんなの、自分も含め、大学生も高校生も含め、何人も知ってます。そんなに、こみいってないだろ、複雑じゃないだろっ、全部の集団!面白いから、話のるけど。

 ちょっと病的なところがあるからこそ、人間味がある気がします。いきすぎると、問題だけど、楽しい方がいいじゃん?!
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ホンモノの優しさ

2010-02-27 04:38:31 | Weblog
 「めっちゃ優しいんだけどね。だから、その分、損しちゃうんだけど。」
 『あー、だから、そういうのイヤなんだよね。優しいと損しちゃうような環境。』
 「まぁ、そうだけど。」
 『でも、俺、今、自分で言ってて思ったけど、損しない程度の優しさなんて、優しさに入らないかも。』

 それも、その損の種類が体裁なんかじゃなくって、もっと、実質的なモノとかで。
 何も失わずに何かを得ることは、きっとできない。だから、今あるモノも、自分のために、失っていかなきゃ。そういう思考が普通なのに、自分が失うことで相手に何かを得させることを発想するなんて、はっきり言って、バカだ。でも、論理に反することをしてしまうから人間なわけで。。

 自分自身のことだけを考えている人がいる一方で、この人は他人を考えているっ、って思う人とも出会う。
 教職をとってて、よく思うけど、本当に教員になろうとしている人の中には、だいたい2種類いる。ひとつは、将来の生活の安定を考えている人。もうひとつは、教える相手に対して、何か信念を持っている人。もちろん、極端にどっちかっていう人はあんまりいないけど、だいたい、このように分けられる。
 俺が嫌いな大人は、きっと前者だけの考えの持ち主だったんだろう。そして、そういう人は尊敬できないから、何を言われても、本質的には聞いていない。
 誰でも、その発言をする瞬間だけを参考にして、聞いてはいない。みんな、冷静にその人の普段を見ているから、言っていることが本当なのかを見抜くのに、さほど解析力は要らない。だから、教員が頭ごなしに言ってることが偽物だと、ただ仕事をしているんだな、と見抜く率も上がるわけで、何かを教えるためには、それ相当の生き様をしてないといけないのだ。

 だけど、社会はそういう判定基準にはなっていない。何か、教える立場への信念があって、きちんとそれを実行しようとしている教員の卵を大事にしていない。(その究極は大学の教員を見れば分かる。)
 大抵、勝つのは、自分のことを考えている人だ。他人のことに対して熱い想いがある教員志望者は、残らない。そして、残ったとしても、居心地が悪い。どうして、そんなにめんどくさいことをしたがるのか??っと周りに言われ続ける。
 そして、「自分のことばっかり考えている」という言葉を、さらに惑わす。一応確認しとくけど、自分よりも、強い者や集団に、理由も無く従い続けるのは、自分勝手なんだぜ??本当の意味で教育に意識が高い人も、こういう現実で、脱落していく人が、きっと何人もいるんだろう。

 ただ、こういう大きな系でも、先ほどのことが言えて、『損しない程度の優しさなんて、優しさに入らない』。
 正しい想いで貫いて生きているのに…、って、確かに、ツライかもしれない。でも、そこで耐え抜いていかないと、ホンモノではない。優しさは、強さであり、想像力だから、そんなことくらいで逃げるんなら、やっぱり、ホンモノじゃない。

 そうそ、勘違いしてはいけないのは、必ずしも、誰かへの信念を持って、それを貫いてさえいればイイってもんじゃない。自分のことを、きちんと考えられることも、同じくらい大事。だって、自分のことを考えたり、自分の生活を考えたりするのは、自分のことだけじゃなくなってくるからね。
 っま、一般に、そっちの大事さは十分に浸透しているみたいだから、あんまり、そっちを強調しても仕方ないと思います。

 ちなみに、僕は、教員免許を担保に入れましたんで、自分が嫌いな前者です(笑)。
 大丈夫だってっ。それくらい、ゼッタイに、ならないから。
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り・ぼん

2010-02-25 03:05:16 | Weblog
 現状だけ見て生きている人なんていない。その先に何があるのか、改善する方向になっていくのか、自分が満足できそうか、さらに先は存在するのか、っと、とにかく、その先を見つめて生きている。
 だからこそ、思い描く未来に連続的に繋がっていないように見える、退屈な日々に悩まされることになる。さらに、あなたが真面目なら、最悪のパターン。真面目な人間ほど、大切な仕事を任されるから、どんどんストレスが溜まっていく。

 その一方で、未来に満足できそうな分野で、一生懸命に努力しているモノを、人は、いくつか持っている。それをやめる決心をするときは、努力して現状がよくわかっちゃって、やっぱり希望が無いや、って感じた瞬間だ。
 努力してみたら自分にはできないと分かったとか、色々な状況のせいで、できなくなってしまったとか。。前向き人生で「頑張れば、乗り越えられない壁はない」とか…、あり得ないのに、そうは思えず、ココロではやめたくない。けど、きっと、未来につながらないから、って、やめていく。

 どうしよっ、もう、何も、希望が残って無いじゃん、しかも退屈な日々のオンパレード、って、なっちゃうと、どうにか紛らわそうとする。依存することで紛らわしたり、衝動買いをしまくってみたり。。でも、誤魔化すためにやってるって、自分が一番分かっているから、余計に切なくなる。
 そして、時間は経ち、ふと振り返ってみると、過去の自分のほうが、優秀だったり??そこで、また、時間依存性によって、希望を無くす。

 そんなことに対して、優しい気持ちで素直になっても、話し合って、わかりあえることは難しい。わかりあえないと、不安を持つ。
 まぁ、それに、自分が変わろうとしなけりゃ、周りがいくら変えようと躍起になってもダメだしね。スイッチを押せるのは自分だけだから。

 退屈な日々の中で、どんどん流されていく。どんどん流されて、無気力になっていく。さぁ、どうやって、復活しよう?

 流れの中で、流れに身を任せ、流され続けたらラクなのは当たり前。出る杭は打たれちゃうんだから。
 だったら、流れを利用すればイイ。あえて、自分の目指すような流れに身を任せてみる。流れありきだからいけない。「自分ありきの流れ利用」じゃないとっ。

 そのためには、いくつもの流れを知っていないといけない。いくつもの流れを知ろうとしなきゃいけない。多角的にね。
 そうすると、数えきれぬ星が浮かび上がる。その輝きが、ひとつひとつ、ココロの中で光を伸ばしていく。

 いくつもの星々の中に、古い夢の続きがあるはずだ。他の輝きも消さずに、その続きをなぞったなら、自分の弱さを受け入れる強さを持ち始め、昔の自分をいつのまにか通り過ごしていくことができる。
 あの頃、思い描いた未来と、ズレているかもしれない。だけど、そんなことはどうでもイイ。今からの思い描いた未来にちょっとでも近づけると、見積もれるなら。
 こうなってくると、現状を知って、諦めそうになることさえも、それはチャンスだ。それだけ、夢と現実とのギャップが縮まったってことだし。

 きっと、誰でも、そうであって欲しい。本当に…。

 読者の中で、このループを、すべて貫き通すような、輝きまくっている希望を発想できる人は多いだろう。
 だけど、俺は、あんまり、それだけに重きをおきたくない。このループから、この方法以外でも、どーにか自力で抜け出せた者にしか、その希望のホンモノは掴めない気がする。
 それ以前に、あんなに純粋で稀少なモノを、誤魔化すための材料に使わないでっ。
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H22 2/22 22:22:22

2010-02-23 02:45:38 | Weblog
 別にそこには意味なんて無い。

 ………H11 11/11 11:11:00~

 『おっ、あと、11秒じゃん。』
 「っま、だから、なんだ?って話だけど、ね」『まぁね。』
 「9、8、7、6」『5、4、3、2、1!』
 『うぉー』「うおーー。」

 H11 11/11 11:11:11

 『あー、終わっちゃうとあっけないね。』「だね。」
 『次、こういう瞬間が来るのっていつ??』
 「えーっと…、平成22年、2月22日とかじゃん?」
 『結構、遠いな。えーと、あれ?俺らいくつだ?』「23かな?」
 『(俺は22か)就職してるじゃん!!』
 「もう、未来過ぎて、わけわかんないね。」
 『じゃーさ、駅ビルんとことかで待ち合わせして、また、カウントしよーぜ(笑)。』
 「それは絶対無いけど(笑)、一緒にいたら、たぶん、まだ、バカみたいに、はしゃいでるかもね。」

 『さーて、そろそろ、この絵、完成させないと!』
 「お前、全然描いてないじゃん。。」

 ………

 案外、その「次の瞬間」まで、早かったな。っで、まだ、就職してないけど。

 『いや、これは、絶対、見るべきでしょ、この瞬間は!!2が並ぶんだよ?』
 ≪そうかぁ??≫【うーん。ほら、でも、まぁ、乗ってあげないと。】
 『えー、なんじゃそりゃ。』
 ≪そりゃ、言われりゃ、乗るけどさ。≫

 『カウントしないと。』
 ≪20、19、18、17、…、5、4、3、2、1!≫
 『うぉー!』【おぉー!!】≪おーー!≫

 別に、俺も、そこまでじゃなくって、どうでもイイ。あの頃、自分から言った言葉を貫きたかっただけだけど、あの頃はどうでも良くはなかった自分を、忘れたくない。そして、今でも、行動にしてみると、結構、楽しいもんだ。
 何よりも、いた場所も乗ってくれる人も違うけど、過去も現在も、俺の、くだらなすぎる提案に乗ってくれる、友達がいることに、感謝している。
 
 中学生の時と、俺は、そんなにカワラナイぜ?

 本当は2月じゃなくて02月だから2が全部並んで無いじゃん!、なんていう賢さは、自分自身で持っているけど、、介在させたくない。

 っていうか、今、これ書いてて気がついたけど、歳まで、2で並んでいやがる(笑)。
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その先があるから

2010-02-21 04:23:34 | Weblog
 たったひとつの情報から、とたんに、真実が明確になってしまうことが、ある。そんなとき、あまりイイ事ではないことが多い。
 それは、知りたくない事実を偶然知ってしまったときだったり、方程式を解かせた結果で判断できるモノだったりする。曖昧だったからこそ、意味があったモノ達が失われていく。

 嬉しいけど悲しい。いや、悲しいけど嬉しい、かな?

 こういうときは、ふわっと、違う世界へ連れて行ってくれる音楽に身をゆだねる。その歌詞なんて、俺にとっては、何の意味も持たないような、「曲」でどこかへ行けるような音楽で。
 でも、まだ、大丈夫。本当に最悪のときは、その曲を殺すことになるから、音楽なんて聞きたくないから。

 局所的にそれを感じたのではなく、一般論として、統計的にそれを感じただけだから。
 ううん、どーせ、そんなもんだってわかってたけど、目の当たりにしちゃうと、辛かったり。

 ユメヲミタアトデ、現実に戻っていく。そして、まだ、続いていくことを、本当の意味で理解するのだ。

 例えば、スゴイ変化する出来事があって、乗り越えたとしても、乗り越えられなかったとしても、死なない限り、あなたの周りは、それ以前と何も変わらない。それを感じとらせることで、一歩ずつ歩いて行け、と伝えている。
 「どうして、あれだけのことがあったのに、周りは普通なんだろう?」って思うけど、それ自体で、いかに人間は、自分の想いのなかで生きているのかが、わかる。自分のことばっかり気にして生きているのかが、わかる。

 ほれ、一歩一歩、歩かないと、後ろを歩いていた、それまでの自分に、追いつかれちゃう。

 (どーでもいいけど、最近は、5、6個の実際にあった出来事から感じとった想いを詰め込んで、ひとつにして、これを書いてるなって思います。)
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最終手段を超えられて

2010-02-19 02:02:12 | Weblog
 電車通学も12年目に突入しようとしています。時間が経つのは恐ろしいっ。もう、電車通学して学校に行く方が長いだなんて、信じがたいです。
 まだ中学一年生くらいのときは、満員電車の乗り方も下手だったなぁ。いろいろ、迷惑だったと思います。ルールさえわかってしまば、かなり快適に電車内にいられるんですけどね。
 電車に乗っていると、いろいろなことが起こります。ホームレスの方が乗って来て、円状に人が分布したり、駆け込み乗車して、カバンが引っかかっちゃってる人を見たり。いろんなことが起こるもんです。一回、満員電車の圧力でイヤホン壊されて泣きそうになったことなんかもあります。

 そんなかで、されたら困る、最も迷惑な行為は、座っているときに、隣の寝ている人がウトウトして寄り掛かってこられる時っ。しかも、これ、割と頻度が高い。

 『(席ゲーット。ぅわ、勢いよくとったはイイものの、隣の人めっちゃ寝てる。頑張って欲しいんですけどー。
 っま、気にしない気にしない。さて、どこまで読んだっけ?あ、ここ、ここ。ふむふむ。ふむふむ。あれ?こいつ、前にでてきたっけ?うーんと、あっ、そうか、ここで、あってるんだ。うんうん。
 …うわぁ、ちょっと、お隣さん、しっかりして。まって、まって、まって。ねぇ、しっかりしてってば!!おっと、この曲は聞きたくないから、スキップして。(本に戻る)えーっと、あっ、こーいう展開ね。ふむふむ。
 あー、完全に、寄り掛かりモードに入っちゃったな、お隣さん。しかも、周期的に、こっちにくる率が高い、、ってか、こっちにしか、寄り掛かってこねー。うーん、もぅ!)』

 ここで、プランAを発動します。

 『(こーなったら、次、曲選ぶときに、前にちょっと移動しながら、エイって押しのけよう。おし、今だ!エイ!!
 ふーぅ、これでちったー大丈夫だろう。ちょっと起きたみたいだし、大丈夫?んで、っと、こいつは、こうなるのか、うんうん。ってか、やっぱ、これ、イイ曲ー!
 がーん。まだ、来るなぁ。まだ、こっちに、寄り掛かってくる気だ、この人。もー!)』

 こうなったら、もっと強く押しのけるプランBです。

 『(今度は、関係ないタイミングで、肩を、微妙にエイってやってみよう!あー、もう、全然、本が進まないじゃないかー!
 エイ!これでええやろ。
 えーー。まだ、効いてないの?もー、どうしたらいいのさ。)』

 プランC、押してダメなら引いてみろ作戦。

 『(こっちに、寄り掛かりきる直前に、微妙によけて、何もない空間を味あわせて、恐怖を与える作戦!これで、しっかりするだろ!
 おりゃ!!ははあははああは。びっくりして、目醒ましてやんの。おい、マジ、しっかりしてくれよ、こっちは、マジ迷惑なんだよ。
 …うわぁあーあ、寄り掛かられてる…、まだ、かよ。うーん、もーーー!)』

 ここからは、プランABCを繰り返します。んね?僕も、案外、日本人でしょ?
 でも、2~3回繰り返しても、ダメな場合は、最終手段です。

 『(この手段だけは、使いたくなかった。だけど、お前が悪いんだからな。俺にこのスイッチを入れさせた、お前が悪いんだぞ!行くぜ!最終作戦!)

  すいませんっ!怒』

 【え?あ、すいません…】(←音楽でよくは聴こえないけど、たいてい、なんか、こんな感じのことを言ってくる。)

 ここまで具現化されて、まだ、寄り掛かってくるツワモノは、珍しい。ちゃんと、起きるようになる人が、ほとんどだと思う。というか、これで起きなかった人は、1人もいなかった、今日、彼女に出会うまでは。
 今日、俺は、そのお隣さんに、『すいません!』っとハッキリ言い、向こうも言われたことが伝わっている様子だった。なのに、なんと、まだ寄り掛かってきたのだ!
 
 『(ちょっと、ねーちゃん、マジっすか。もー、感動っすよ。この最終手段まで使って、まだ、寄り掛かってくる、貴女の根性、素晴らしいです。もー、ここまできたら、許します。どーぞ、僕の肩を使ってくだされ。泣)』

 と思い、戦意喪失、諦めて、プランABCをも行わない、自分がいた。

 と思ったけど、やっぱ気が変わった。
 次は、もう、降りる駅。俺のリラクゼーションタイムを邪魔した罰だ。最後に仕返しをしてやる。
 
 俺は、寄り掛かってくる瞬間を見極めて、立ち上がった。何も知らずに、空席に突っ込む。ドタッ!
 流石に起きたらしい。俺は、偶然起こった出来事を装い、その出来事にすら、まったく気がつかないフリをして、電車から降りた。俺の時間を潰した罪はデカいのだ。
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手を伸ばせば届いたのに

2010-02-18 02:57:03 | Weblog
 自分自身について、現状に満足しないってのは、悪いことではない。その感情に対して頭を使って純粋になったなら、向上心がある、っと人から評価されるようになる。
 同じように、会話のなかで、相手の意見に合わせられるっていうのも、悪いことではない。自分の、おそらく素晴らしくはないであろう意見で、時間を使うこともないし、相手に合わせてあげられるのは大切なこと。

 だけど、両方とも、いきすぎれば、種類は違うけど、自分勝手なのだ。

 最初の例であれば、自分のことばっかり考えて、周りのことを、まったく気にしなくなってしまう。大半の大学の先生なんか、良い例だよね。研究はできるかもしれないけど(自分勝手がいきすぎると、それもあやしい)、教育には無頓着。自分が何でお金をもらっているのか忘れてしまっているみたい。

 その次の例は、あんまり、自分勝手って言われてるのを耳にしないけど、自分が持った意見を、集団に伝えないのって、本当は、自分勝手だと思うんだよね。だって、意見を言うことによって、活性化されるわけじゃん?自分の意見が大したことない意見だって決めつけてるのは自分だけなんだし。それに、言わない理由って、単純に、目立ちたくないからっていう勝手から来てるだけだったり。

 こんな風に自分勝手は、意外に、見えにくい。本当にそれは誰かのためなのか、それともただの私利私欲なのか、見分けるのは難しい。
 だからこそ、社会は、ルールを作る。暗黙のルールも含めて、そこに、上辺の基盤を持たせるのだ。
 例えば、演習の時間、発表の時間で、質問した人は何ポイントって決めたりする。

 名目上、それが行われていれば、はーいっ、オッケー。それが、監査直前にしかやらない、一過性のモノであったとしても、とりあえずオッケー。
 だから、くだらない質問をするバカがでる。「そこのエイチ、プランク定数ですけど、2πで割ってるはずだから、エイチバーのが正しいんじゃないですかー?」みたいなね(流石にアホすぎる例だけどさ)。そんなん、みんなわかっているっつーの。でも、これで1ポイントゲット。
 ルールってのは、ある意味、くだらない。

 このルールを破ってイイ時のルールは「ルールを破ることによって、将来、現状よりも改善していくことを、個人の責任で背負う場合のみ」。
 そういう瞬間は、ルールを守るよりも、ホンモノだ。本当に誰かのためになろうとしている時にしか、起こりえない。

 しかし、大きな問題がある。
 何についてでも、そうだけど、多くの場合、「ホンモノだとわかった瞬間に過去形になる」。(正確に言うと、現在完了形かな。)

 ホンモノだって感じとった瞬間には、次の期間に入っている。手を伸ばせば届いていた、あの頃は、もう遠い。いつのまにか、消え去ってしまっている。

 だから、現状、ルールを矮小化しすぎてはいけない。だからといって、ルールを意識しすぎてもいけない。
 うわっつらの言葉やルールに惑わされず、恐れずに想いの容量を広げていった人だけが、ホンモノを現在進行形で見て、感じとることができるんだと思う。そして、自分自身も、ホンモノで、表現できるようになる。
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優しさの秩序パラメータ

2010-02-17 03:04:57 | Weblog
 自分の利益を一切介在させずに、誰かのためになることは、本当に難しい。
 言葉をちょこっと変えちゃっただけでも伝わらないし、その繊細な部分を、良くも悪くも、案外、相手は感じとってしまうもんだ。
 人の感情は言葉の端端に表れる。それなら、自分は清らかな心があるから大丈夫って高を括っていると、誤解を招くこととなる。自分の言葉は、常に、慎重に選ばなければならない。

 こんなことが重要になってくる事柄は、素晴らしく優しい人達によって形成されるので、実は、最終的には、問題無い。
 問題なのは、よーく考えたら自分勝手な発想なのに、それが言葉の魔法によって、カッコイイとか正しい!みたいな感じになるほう。
 それが具体的になんなのかを書いたら、俺と直接話す意味が無くなってくるので書きませんが(笑)、すんごい曖昧に言うなら、例えば「協調性」とかね。それだけじゃ、もぅ、定番すぎて、オリジナリティーの欠片も無いですけど。

 本当の意味で、誰かのためになるとき、凄まじい想像力が必要だ。徹底的に相手の立場を想像し、そのなかで理解し、解析しなければ、相手の役に立つことなんて無理。そういう作業をするとき、必要になってくるのは「賢さ」である。
 これに必要な賢さのレベルは、きっと、俺らの想像を遥かに超えるほど、高い。たぶん、ε-δ論法や電子軌道、超伝導とか級の難しい概念を定性的にきちんと想像できるくらいの力は無いと、誰かの立場を正確に想像することなんて、事実上、無理だと思う。
 けれども、その賢さを持っていても、相手の立場を想像することに使うか?ってのは、また別問題で、最低ラインとしてなきゃいけないのは、やっぱり「助けたい!」という心のほうなのかも、って感じる。

 すごく悲しいことだけど、この心って、先天的に持っている人とそうでない人がいる気がしてしまう。それはあんまり正しい表現じゃないかもだけど、もっと正確に言うなら、この心を、今、持っていない人が、今から持とうとするのは、大きなリスクを伴うから、なかなか難しいかなぁって…。
 だって、自分の想いの容量(≒心の余裕)に凄まじい勢いで液体を流れ込ませることで、想いの容量そのものを前よりも大きくしていかないといけないんだから。

 その液体は、大きく分けると、2種類ある。ひとつは、誰かからの優しさ。もうひとつは、不幸。
 片方だけでも、両方均等に混ぜ合わせたんでも、想いの容量を満タンにまでしてしまうのは非常に危険だし、「誰かのために」の心じゃなくて、「より自分勝手に」の心を促進していってしまう可能性もある。
 曲がってしまっている優しさを受け入れても、すぐ誰かへの攻撃にトランスファーして放出される可能性があるし、想いの容量からあふれ出るほどの不幸は、そのまま誰かにぶつけてしまうことだってある。っま、逆に作用すれば、最高なんだけどね。
 どっちになるかを計量する秩序パラメータが何かはよくわからないけど…、もしかしたら、そこに、経験や環境に依らない、自分自身があるのかもしれない。ただ、良い方向に作用する例は、本当に少ない。

 助ける心を持つための確実な方法を、ひとつだけ、知っている。この経験を持ったなら、間違いなく、人を助ける心になる。というより、心が、「人を助けなきゃ」だけで占有されるようになる。
 絶対に避けなければならない、想いの容量を無限大にする、その手法は、誰だって身に降りかかるモノで、人の恐怖の根底だったりする。

 「だって、そうじゃん?その経験だけは、別格だよ?(笑)」
 『どーでもいいけど、そんなことを、笑いながら言う、お前が怖いわ。(笑)』
 「そうか?」

 こんな風になりたくは無いし(笑)、何より代償が大きすぎるから、想いの容量は有限のままでイイと思う。
 それで、十分、誰かのためになれるさ。
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幻の大地

2010-02-15 02:14:58 | Weblog
 ドラクエ6、ペスカニのハーブげっとまで、行きました。ホント、ひとつひとつが懐かしい。ベストドレッサーコンテストのランク2で止まってます。主人公のかっこよさが足りない。
 シックスの、職業とレベルが関係ない設定が好き。ナインは職業変えるとレベル1からですが、シックスは関係ない。っま、そのぶん、キャラクターの個性がでにくいけどね。

 このドラクエ6のおかげで、最近、昔のゲームの話題になることが多い。みんな、結構マニアなのね。俺なんて、かわいいもんじゃないか。
 だって、仲間全員レベル99にして、それでも満足できず、EXまでマックスにあげたりとかしないですもん。

 「んでさ、道具も、全部、99個にしてさ~。」
 『バカじゃねーの?!そんな、道具まで99個にしなくても。』≪っま、気持ちはわかる。≫
 「お前マジわかってねーな。レベル99までいってるってことは、敵が落とすアイテムで、もうすでに、ほとんどのアイテムが60個とかいってるんだよ。」
 『あ、なるほどね。』 
 「お前は、まだまだ、レベル99までいったときの感じが、ちゃんとイメージできてないっ。わかってないなー!(笑)」

 いや、その理解、むしろ、遠慮させてもらいまーす(笑)。
 うちの学科の特性として、ひとつのことに、根を詰めて取り組むってのに長けている人達ですが、いくらなんでも、ドラクエ6だけに、そこまでやってられません、俺は。

 んで、他のゲームは?ってなったときに、マリオ、ゼル伝、FFあたりが有名で多いですが、案外、みんな持ってたりするのが、超武道伝の2か3。かめはめ波のうちあいとかやって、指痛めた記憶が。。
 あと、スーファミの、ミッキーのゲームも、結構みんな持っている。消防士とかになるやつね。地味に難しい。

 俺は、どーも、この辺の2Dゲームが好きですが、どんなテレビゲームを最近の小学生は何やるんでしょうか?
 あ、ちなみに、ポケモンは、ゲームボーイなので、テレビゲームではありません。っていうか、ポケモンって、あれはロープレ?それとも育成ゲー?
 ロープレにしては簡単すぎるから、育成ゲーなんかな?
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行動しないことのデメリット

2010-02-14 03:10:45 | Weblog
 卒論もほぼ書き終わり、あとは、細かいチェックのみ。本当に終盤です。
 どこまで、卒研を更新するのかが悩みどころですが、本気になるスイッチが入ってしまったら全力、それ以外は皆無、という感じの相関係にしようと思います。念願の1ヶ月休養も、とろうと思えばとれるかもだし、そういう期間があっても、いいよね?

 本を読むスピードが下がっている。ってことは、移動中に、音楽にのせて、考え事や想いを、沢山してるってことか。そんなに、突発的な出来事も無いのですが、考えなきゃなことは溜まっている気はします。
 誰かと喋りながらでも良いけど、なんか喋っちゃうと終わっちゃうみたいで。喋って終わらせたいことだって同じくらいあって、それは平気でやってのけるのに。

 とっくに崩壊は終わっていて、その瞬間を、ひとりで迎えたのを想像したら、泣けちゃうくらい。
 精神的に助けを求められたんなら、俺は、誰のもとにだって、向う。怖いと思う気持ちよりも、そっちのが勝ってしまう。だって、泣くことができるってことは、まだ余裕があるってことだし、そういう求められた瞬間こそ、生きている意味を感じられるから。俺は、実質的な助けしか、助けだと思わない、ってわけじゃないっ。

 行動するのとしないのとを比較するとき、俺は、どうしても「行動することのデメリットがゼロなら行動する」というアホなリスク論を打ち立てがちだ。
 これに対して、もっと大切な感情が、理屈抜きで、「行動しなさい」っと語りかける。その自分に対して、行動するデメリットを投げ、行動しないデメリットを十倍にして返される。論破されるときは、いつだって重要なときだから、、ってことならっ!?

 そういう作業をいくつかしてしまえば、どんどん「行動すること」が慣れていく。だけど、不安感を誰よりも抱いていることに、誰にも気がつかれない。カワラナイデ?こんなに慣れている俺だって、もちろん、変われないよ。
 ただ単純に、ぐらぐらの状態になっているスイッチさえ入っちゃえば、相転移していくだけだ。

 だって、そんなことくらいで、誰かが向こう側の世界へ行かないんだったら、俺は恐れない。どんなに時間を削っても、相転移しきってやる。
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いしずえのしるし

2010-02-12 01:35:42 | Weblog
 卒研で、ついに、結果らしい結果が出た。なんとかなるもんだね…。
 ちゃんと示してはいないけど、シミュレーションで、FFLOっぽい空間変調は観れたし、結局、CDWは無理だったけど、これでおしまいかな?提出後もちょこちょこやるつもりだけど、大きな仕事は、おしまいだと思います。
 もう、こんなに深く物理学そのものを扱うことは無いだろう。さっき、摂動論2次の項を見せられた時に、ブラケット表示がぐちゃぐちゃしているのを見て、ちょっとだけ寂しくなった。ウソ。かなり寂しさを感じた。お別れの時を学問にも感じます。
 この、徐々に、ゆっくりと、少しずつ、お別れな感じが、本当にキツイです。

 これからは、一番物理出来る人として扱われるんかな?っま、そう扱って欲しいし、これからもそれなりの理解を頑張っていきたい。
 最初っから、生物じゃぁ、明確な武器にはならない。モル計算はあんまり好きじゃないし、地球規模のデカイことも応用できるとは思えないし、もちろん、最初っから、工学ってのは、どーも。。やっぱ、俺にとっては、この道で正解だったんだと思う。そう思って頑張るしかないから、ってわけじゃなくて、本当にそう思う。

 今日、高校数学の教員免許が、ほぼ、来た(卒研の単位がでなかったらダメですが(笑))。高校理科は、まだ確定じゃないけど、多分大丈夫だろう。中学数学&理科は、介護体験などの不足があるので取れませんが、まぁ、院で気が向いたらね。
 思えば、教職についても、いろんなことがあった。単位変換のごたごたから始まり、こっちのが重たい数理統計学や幾何学。なかでも大変だった、化学実験や生物学実験も、今となってはイイ思い出?やっぱ、週に2回実験があるのは、なんだかんだで、大変だったなぁ。
 何回も辞めそうになった教職だけど、こうして確定していくと、とっていて良かったかもって思えます。

 努力が必ず報われる学習界は、頑張っていれば成果が出るので、その点では好きですが、なんとなく物足りないのも独特。明日から、卒論の総仕上げに入ります。
 なにげ、問題なのは、謝辞。さぁ、感謝の気持ちを、どの範囲まで書面に残し、どうまとめましょうか(笑)。
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局在して大事だから

2010-02-11 03:24:10 | Weblog
 どうして、自分にとって大事な人にとっての準拠集団については、イイ感じを持たないのだろう??
 束縛したいから…なんていう単純な言葉のボックスに束縛したくはない。だって、本当は、いろいろな準拠集団を持っている人こそ、スゴイはずじゃん?そういう人を自分の味方だとか友達だとかにしたいんじゃないかな、普通に考えれば。
 なのに、自分との所属以外の集団で、その人が準拠集団を持っていると知っただけで、嫌悪。いくつも持っていたなら、もっと嫌悪。

 通常、人は集団の価値観や規範を、そのまま自分のモノにしていく。そのなかで、自分の規範の基準を決めていく。
 なぜかと言えば、その集団に所属していたいという想いを、同じ価値観や規範を持っているとアピールすることで、間接的に、その集団に伝えるためだ。それに伴い、自分の感情も、間接的に、コントロールすることとなる。無意識にね。

 何よりも強い所属したいという気持ちは、どんな行動だって、できるようにしてしまう。それが所属への意思だと考えている人は多い。だから、ふっ、と、遠ざかってその集団を見ている人にとっては、ありえないようなことでも、平気でしていたり、そのなかでは当然になってたりしてしまうのだ。
 そして、行動すればするほど、その人の感情は、時間変化して、急激に、その集団の価値観の平均に落ち着く。
 そんなことを、あなたの大事な人が、自分との所属集団以外の準拠集団で行っていることを、陽に知ったら、じっとしていられるだろうか?

 行動依存の感情変化を利用する方法だってある。気落ちしているときは、気落ちしていないフリをすれば、復活は早い。元気であるフリをして、行動すればするほど、本当に元気になっていってしまうのだ。
 だけど、こんなに賢く、行動によって感情をコントロールしている人は、多くはないだろう。多くの場合は、うわっつらの言葉や表現に対して、それを具現化することによって、感情が流れてしまうのを感じることもなく、感情を持っていかれる、準拠集団にも大事な人にもね。言語を出力したり、実際に表されることによって、誤魔化されているかもって思う自分の思考をも嫌悪になるほど、具現化が乱暴に自分の感情を動かしていく。

 そういう悪夢(ゆめ)から醒まさせてくれるのは、その人のさらに上位の準拠集団なのだ。しかし、そういうことをきちんと相談させてくれるような準拠集団を持っていない、哀しい人も、最近、多いけどね…。

 だから、自分にとって大事な人にとっての準拠集団は、あんまりイイ感じを持たない。
 別に、誤魔化しているんじゃなかったとしても、間違って、そう指摘されちゃったりとか、とにかく、そういう可能性がちょっとでもあるなら、なんとなくイヤになってしまう。だって、そういうことで問題になる場合は、それくらい、マクロになんとなく大事どころじゃなく、局在して大事だったりするから。

 そぅ、悪夢と夢は紙一重、偽物とホンモノも紙一重ってことなのです。
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桜色舞うころ

2010-02-10 02:23:50 | Weblog
 移ろいゆく日々のせいで、なかなか気がつかないけど、学校って、期間契約なんですね。何が言いたいかってーと、大学なら8年間は在籍していてイイですよ、普通は4年間ですけど、って感じなのさ、当たり前だけど。終身じゃないんです、だったら困るけど(笑)。
 どーも、それが悲しい感じがする。頭で考えれば、当たり前なんだけどね。

 新規採用が、どうしてそんなに大事なんだろう。。少なくとも、みんなから、どうして大事だって、思われちゃってるんだろう。。
 別に良いじゃん、すべてを見失い、途中からぐわーって意欲的に、流れる瞬間だって、人間なんだから、ありそうなもんだ。んでも、やべーよ、3年生になっちゃった、って言って、周りもしてるからって、テキトーに就職活動する奴よりも、中途採用は立場が低くなっているように見える。そのために留年する人がいるくらいだから、本当にそうなんだろう。

 うーん。あんまりよくないよね。意欲的になれないもん。しかも、運が強いし。もちろん、安定するし、保証があるし、ずっと、ここに生き続けて、いけるし、そういう意味では、素晴らしい制度だ。だけど、年功序列とか新規学卒一括採用とか、あんまり好きじゃない。
 んで、そういう現状だからって、諦めきっちゃう奴もでてくる。それが大人、そういうのわかってるのが賢いって、思ってるアホが出てくる。それは確かに利口だけど、自分が満足できないで不貞腐れてるだけなんだから、聡明じゃないんだよねぇ。そういう若者は、もうすでに、実質的には、俺の味方では無いけど、そういう思考をしている半分の自分がいるから、わからなくはなかったり。。

 もうすぐ、桜舞う季節。学校に行くと、受験生に遭遇する。世の受験生達が一番桜色に輝いている今、どうか木々たちだけは、彼らのためにも、この想いを守って欲しい。一生懸命頑張る瞬間こそが、春の華やかさ以上に、桜の木も、受験生も、一番、染色されるはずだし、あぁ言った想いを大切にすれば…きっとまだ。
 かといって、受験制度だって、イイとは思ってないですけどね。

 桜色舞うころ、所属的には、ほとんど、ひとりぼっちになってしまうけど、それでも繋がっていられるはず。そして、ただひとつだけ確かな今を、そっと抱きしめていたい。
 俺自身だけについて語ってイイなら、とうの昔にサヨナラしてて、でも今もまだ、繋がっている場所があるんだし。ひとところにはとどまれないと、そっと教えながら、ね。

 (俺が高校を卒業するときに発売された曲。あの時を遥かに超えて、今、身にしみる一曲だ。
 「星」のイメージが強い中島美嘉だけど、こういう曲も、ちゃんと歌えるのがスゴイ。PVがとっても切ない感じで、曲を引き立てています。お金もあんまかかってなさそうだし、あーいうようなPVをたくさん作っていって欲しい。)
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何もかもが上手くいきそうな気分

2010-02-09 02:34:27 | Weblog
 今から考えると、あの頃、どうしてあんなに毎日遊べたのか、不思議で仕方無い。
 毎日同じことしかしていない。同じメンツと、同じゲーセンやカラオケに行って、同じように遊び、よくもまぁ、飽きなかったもんだ。危ない目にあったことも何度かあったし、そういうスリルがある瞬間のほうが、楽しんでいたかも。

 この何年かは、割と、学習や研究ばかりの生活をしてきたけど、そっちのが有意義であった気がする。いろいろな人と、しかもがっつり話す機会が多かったし、多くの本から数々の面白いことを学ぶことができた。
 案外、遊んでばっかのほうが、悩みが多く、不安を抱き、ストレスがたまりやすいのかもしれない。

 いや、違うか。信念を持っているか持っていないかの差かな。遊んでばっかでも、信念を持って遊んでる人もいたし、まぁ、何もしてないのに、勝手にコンプレックスを持ってる人は多かったけどさ。
 よーわ、心の、感情の満足を、どこに持っていくかの問題なんだと思う。

 来年度から、この2つの中間状態くらいにしたい自分がいる。次の場所は、あの頃のように、そんなに甘い場所ではないかもしれないけど、でも、またあのような感情を持ちたい気もする。何もかもが自分のモノで、何もかもが上手くいきそうな、あの勝手な気持ちに。
 確かに、こんな生活の中でも、そんな気持ちに駆られかけたけど、やっぱり目指しているモノが明確で、コツコツ頑張っているうちは、無理だよね。リスクが高すぎるもん。
 そのリスクが現実になったとき、他人はマジでバカにするもんだし。

 んなら、そのさらに中間!そっちに気持ちが振り切れなかったら、また何かをカリカリ目指せばイイ。上には上が、いくらでも、あるもんだし。

 っま、自分の気持ちを動かすのは簡単だから、それは無いかもしれないけど。だって、行動しちゃえばイイ。この気持ちなんだって、頭でインプットしながら行動すれば、人間の感情なんて単純で、その仮の気持ちがホンモノになっていく。それは、使い方が難しくて、下手したら大怪我じゃ済まないけど、そのリスクは、今の俺なら、減らせる。
 あれ?でも、これって、自分の感情すらコントロールしようとしてて、感情を軽んじ過ぎてはいないか。うゎ、誰かさんに近いかも(笑)。だけど、その感情を持ちたいって感情は、俺のモノなわけで。

 あまり好きな言葉じゃないけど、もっと広い意味で、「なるようになるさ」。
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今も未来も楽しくなぁれ

2010-02-08 02:58:45 | Weblog
 さて、卒論をそろそろ書き上げないとなりません。今から完全にバッくれても、卒業できるだろうけど(笑)、なんとなく書いています。ここに文字を書いている感覚と、少しだけ似ているかもしれません。

 卒論なんていう、長年、誰でもしてきた作業をしていると、自分の存在意義がなんだか、わからなくなりそうだ。
 俺が書いているこの卒論も、誰かにテキトーに読まれて、意味わかんねぇってほっぽられて、ぐるぐる回って、結局同じ場所。全体として、なにも進歩してないじゃんか、ってーのは常。やっぱり、時代は繰り返していくだけなんだろうかぁ。

 だけど、不思議とモチベーションはある。頑張って書きたいって意欲は、あるっちゃある。

 そのモチベーションは、もちろん、「知の開拓」なんかじゃありません。
 少しだけ未来になったときに、この卒論を読むであろう、顔も名前も知らない後輩に「おぉ、この卒論、わかりやすいじゃん!重要なポイントがちゃんと書いてある。」って思われるために、書いています。
 プログラムだって、同じ。ほとんど俺が最初から書き続けている可愛い可愛いプログラムを、使ってくれる誰かのために、書いている。これを使って、俺自身が何かできるかというと、できるかもだけど時間が無いし、きっと、こんなもん、世間の役には立たないしね。だとしたら、コンパイルされない緑の説明の部分をなるべく詳しく書いておいて、卒論と一緒に見れば分かるようにしておきたい。

 今日は、いつかタイトルにもしたBogoliubov変換について、説明していきました。
 そんなの、ちょっと詳しく書いてある超伝導系の教科書に載っているし、論文っていうには程遠いかもしれないけど、今できることは、どの教科書よりもわかりやすく書くこと。これは、教職とったり、塾講師をしていて、なおかつ、この研究をしている俺にしか、できないことだ。
 きちんと読んでもわからない教科書は、案外、多い(ここで書いてる文章もそうです(笑))。それは俺のせいかなって思ってたけど、そうでもないらしい。本当に、わからないように書いてある本が、とても多い、としちゃって、誤りではないようです。

 『(おっし、ここの南部表示の計算だけは、ちゃんと書いてある教科書は見たことない。ここは、ちゃんと手で計算追ったから、残しておこう。
 ここは、こうなんだよなぁ。何度確認しても、わかりにくっ。こういうとこは、普通の言葉で、footnoteに残しておこう。)』

 確かに、ぐるぐる回っているには違いないのかもしれない。でも、ちょっとでも、出来る限り、ほんの少しでも良いから、この軌道から、次のエネルギー準位の軌道に、系を遷移してやりたい。
 その想いこそが、現状を変え、今を楽しみ、未来も楽しそうに思える、因子になっていることを信じている。

 最初っから、時代は繰り返す、なんて言葉の表面上だけをさらって、それに縋って生きてたら、イイものは作れないし、そりゃー楽しくも無いもんね。
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