たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

Million Films

2009-03-30 06:24:17 | Weblog
 また色んなとこで人間関係のメジャーズとマイナーズの話をしているが、いつも本当は俺はこの分別が嫌いだ。
 自分自身にこんな感情が確実にあることが一番腹立たしいし、それに対して罪悪感がまったく無い人にもムカつくし、人間という生き物がこんな風な生態系をとってしまうことに悩んだりもする。心にそっと祈りながら今も…、だけど、この存在、これが存在しているという現状を、いったん受け止めないと、前に進まないと思う。

 いったん、すべての感情を受け止めてから、前に進む。一緒に変わっていく。

 この作業がいかに大切なのかを、ここ数ヶ月、思い知らされた。そうアドバイスをしてくれた天才的シコウ力の持ち主である彼自身にもフリだけでもそれをするし、すべての俺の生徒にそうしているつもりだし、目上の人にも、好きな人にも、嫌いな人にも、どーでもいい人にさえも、それを意識しようとした。その際に、慣れないから、しばらく黙りこくってた僕に、不機嫌そうな君を作ってしまったこともあるかもしれないけど。
 やっぱり、本質的な感情に、悪いところなんて、1つも無い。いや、本質的な感情は、受け入れる他ないと言ったほうが、正しいのだろうか…??

 一方で、前に読んだ本に、「何は無くともやる気だけはあります、というヤツが一番使いにくい。やる気がなくて能力があるほうが、よっぽど良い」という1節が、とても気になったが、それは実質的、という意味で、一理あると思う。一理どころか、実質面を半分としたならば、半分くらい正しいと思う。
 その考えが、本当に、面白いかどうかは別として、実質面の最低ラインをクリアしていないと、いくら精神的に楽しくても、続いていかないもんだから。
 例えるなら、愛があればお金なんていらない…、なんて嘘。最低ラインのお金はないと、絶対に楽しくないはずだし、その愛も消えゆくモノだろう。

 実質的な最低ラインさえ超えていれば、あと重要になってくるのは、感情的な部分だけだと思うけどな~。感情的な部分だけって、いやいや、それが一番難しいんですけどね。
 100万枚撮りのフィルムでも撮りきれないほどの想い出のひと欠片を、ありふれた今日の何処かに見出しながら、シコウを停止させず、今できることを考え続けることが、その目標を達成させるための基本です。

 (自発的に好きになったわけじゃない曲のほうが、どうも俺の心に居座りやすくなってしまう。
 なんか、卒業ライブで歌ってるとこがあってこの曲良かったなーって記憶していて、ここ2日連続この曲が俺の面前で扱われると、別に前まではそこまで好きな曲ではなかったけど、これから心に居座って行くんだろうなーっと思う曲なので、焦ってムリヤリ記事にしてみました。
 コブクロは、どこにでもありそうな、誰でも経験できそうな状況から、ちょい特殊な一般論にもっていくような曲が多くて、好き。いつか本当にこういう風になれたらいいな、って思うのである。)
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ヒトじゃなくて人であれ

2009-03-28 03:44:18 | Weblog
 本当はその道を極めようとしてる者が、その道を「くだらねー」っと言ったら、ちょっとカッコイイ。いや、意味わかんないのは確かだが、理屈ではない、やっぱりちょっとカッコイイのだ。
 例えばさ、イチローがだよ

 「野球なんて、あんなの、ただのゲームですからね。」

 とか言ったら、もう名言でしょ。うわー、想像しただけでカッケー。
 俺も少し、言ってみよう。

 「いやいや、ホントは、理系科目なんて、できたって、そんなことはどーでもイイんだよ??もっと広くして…、学問なんて、くだらないもんなんですや。」

 おおー。カッチョイイー。って、馬鹿か、俺は。…んでも、もう一個だけ。

 「音楽なんて、そんな耳にしか影響を及ぼさないもの、心に響かせるだけだったら他にもあんだろ?ったく、そんな、くだらねーもんに、賭けるなし。」

 いやー、そんなことを、今日、実際に言っちゃった。。言っちゃいましたよ。調子こいて、言っちった。あー、自分で言って、自分でヒくわー(笑)。
 「そんなくだらないことは、どーでもよくって…」
 っと言った後の、相手の反応が予想通り過ぎて、ヒくのを手伝ってしまった。

 なんでカッコイイんだろ?あれかな、自分が本気でやってるモノを馬鹿にできる器のデカさ的なとこなのかな?それとも、いつもと違う、ギャップで、カッチョ良さを見出してしまうのかな?うむ、意味はわからんが、やっぱりちょっとカッコイイ。

 っま、それこそ勉強なんて、アレとアレに比べれば、本当、どうでもよい。だから、勉強に対して、きちんと手を抜いているのだ。
 それは、俺が大切に思っている人たちに言ってる、あの2つ。
 ひとつは、未来のでもあるし、現在のでもある。
 もうひとつは、精神的なことでもあるし、肉体的なことでもある。

 それがこの世の中で、ヒトが、人として生きる上で、一番、大切なモノ。その最低ラインをクリアしないと、本当の笑顔を作りだすことは不可能なのだ。
 なぜかは、演繹的には、わからない。だけど、経験的に、帰納的に、少なくとも統計的に、絶対そうだと言える。
 これらを貶せるほど、俺は器はデカくないし、なろうとも思わない。

 (理系大学受験生の皆さんは、気づいたかもですが、表現として、「月刊誌 大学への数学」の今月号をパクってるとこがありまーす。っま、パクってるって言ってるから、よし、として。(笑))
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Legendre変換までのひと時

2009-03-27 02:56:43 | Weblog
 エネルギーは仕事をする能力と定義される。だから、エネルギーと仕事の関係という法則が成り立つのだし、2状態での比較ができるようになるのだ。エネルギー保存則、それは、全宇宙のエネルギーは常に一定で、増えたり減ったりしないことを示す。
 Newton力学のお話ではそれだけ良いが、同じ古典物理学でも熱力学では、それだけでは扱えないモノがある。力学でいうとこのエネルギーを内部エネルギーっと言い直し、内部エネルギーの中から仕事として使えるエネルギーを自由エネルギーとして定義するのである。
 特に、定圧下ではGibbsの自由エネルギー(G=F+pV)、体積一定下ではHelmholtzの自由エネルギーと呼ぶ(F=U-TS)。
 (理系の皆さん、定性的にこんな感じであってるよね??(笑))

 自分の成長を胸中に湧き上がるのを感じる日々である。内部エネルギー的には、ちょっと、イイ感じ。だけど、あんまり実質的には得をしていないと思う。
 俺を正確に理解できる人が何人もいるなんて期待は、とうの昔に消え去った。短い時間でわかってくれるであろう人なんて、絶対にいない事も、ずーっと前に知っている。仲がイイのと、俺が相手をわかろうとしているのと、俺をわかってくれているのと、俺をわかろうとしてくれているのとは違う。
 俺が本当に求めているのは、俺を理解しようと努力する人ではなく、わがままにも、正解者である(絶対にいないことも熟知している)。わがままにもと書いたが、これは「本当に」という意味で、誰でもそうなのかもしれない。だが、人間は上手く作成されていて、その微分係数値によってでも、人は、幸せを感じることができる。

 今、もっとも俺のことを理解しているであろう、心の度量が半端なく大きく、学術的にも実質的にも賢すぎる、ムカつく天才は、俺の本当の意味での唯一の相談相手である。ってか、カウンセラーに近い(笑)。
 この天才と話すことによって、俺は、体積一定下なのに、エントロピーを下げてもらうことにより、少しづつHelmholtzの自由エネルギーを増やしてもらっている。内部エネルギーは自分の経験で蓄えるしかないわけだから、それは頑張って増やせていけるけど、この自由エネルギーを増やしてくれるのは、今のところ、あのムカつくほど賢い天才だけである。

 俺なんかが、あの天才に返せることと言ったら、正解者になろうと努力することである。
 あの天才は、どのようにして、あれだけの自由エネルギーを持つことができているんだろうか??
 …忘れてた、さすがガチの生物学専攻、俺は今まだ物理学専攻だから、より使う体積一定でしか考えてなかったが、定圧下のGibbsの自由エネルギーを使えば、理解できそうだね。それが、ちゃんとした正解とはいえないだろうけど。。

 それすら身につけろってのは、ちょっと待ってくれ。Legendre変換は休憩してから。
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因縁の対戦相手

2009-03-24 02:01:24 | Weblog
 今期、まだ一回も触れていなかったが、WBC、すげーな。4回の裏ももちろんそうだけど、8回の裏の3点も貴重だったと思う。
 明日の決勝は、日韓戦。っま、見れないんですけど…、っぁ、移動中だから、ケータイで見れば良いか!

 ほとんど関係ないって頭ではわかっていても運命的なものを感じてしまうときは慎重でなきゃいけない。それがより高等なモノなのかそうでないのかは置いておいたとして、それすら、本当は、自分自身にプログラミングされていることなんだっと頭で正さなければならないシーンである。
 そのようにでしか考えられないってーのは、それはそれで可哀想な気もしてくるが。

 至極当然のことだが、賢すぎても不幸になってしまう、それを制御できるだけの想いの器がないとね。逆に、想いがとても豊かでいても、それを律することのできる研ぎ澄まされた賢さが必要なのだ。
 頭で考えることだけに特化しているとロボットとカワラナイし、心で思うことだけに特化していると下等な動物とカワラナイ。頭と心、両方の武具を使い分けることこそ、人間が人間らしくいることの必要十分条件だとしたら…?
 この「考え方」をまるで俺自身で発明したように扱ってきたが、ネタばらしをすれば、これはユング心理学に基づくものだ。ただ、俺は、人間、個人個人をどっちかに分別はできないと思う、いや考える、いやいや思考する(「俺は」っと書いたが、ユングがこの点についてどう考えていたのか、まったく知らない(笑))(ただし、これに基づく心理テストでは、個人レベルで、ざっくり分ける)。そして、彼は「思考型」と「感情型」と分けているが、頭で思うってのは、俺は直観的に変な感じがするので、「頭」と「心」、「考える」と「思う」、などでわけ、両方を統合したい時に、「思考する」っと使うようにしている(このページでは)。

 人間は両方の部分を持っている。それをケースバイケースで判断の道具を判断しているのは、だーれ??

 そんな運命に導かれながら、因縁の場所へと進みはじめる。それが、進歩であったとしても、ただの繰り返しであったとしても、自分自身が初めてであることをかみしめようと思う。
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強くならないと…っ!!

2009-03-23 02:18:44 | Weblog
 ぎゃー。しっかし、勉強しまくらな、いけなーい。やること、片付けなきゃなことが、沢山ありまくるーー。

 英文法のフォースはほぼ完全に戻った。あとは、もっと確実に、習慣化するだけ。英単語もこのままやっていけば大丈夫だと思う。あとは、和訳、英訳ともに、対策をして、リスニングを強化する。
 物理は、3年で習ったことは、まだなんとか、保っている。っま、試験前のフルパワーにはそりゃ負けるが、とりあえず理解はしている。1年生の内容は、学部を変わっただけあって、ほぼ定着してるし、案外問題なのは、ある程度得意なはずの、2年生のメイン科目、電磁気学かもな。

 みんな、どうなんだろうか??こないだ会ったとき、結構ちゃんとやってたしなー…。よっし、頑張ろう…!
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頼むよ、オレを論破して…。

2009-03-22 06:35:33 | Weblog
 『したら…、今から俺が言うことを、最後まで、落ち着いて聞いてくれ。怒らずに。』
 「…っぁああ。わかった。どうした?K君?」
 『今回のことで決定打となったと思うんだけど…、単刀直入に言う、全部とは言わないが、ほとんど、80%以上でフリ、つまり演技だと思う、だから、もう、手を引こう。俺ら、いや、お前が、そんなことしてたら、まいってしまう。』
 「…マジか。」
 『根拠なら沢山ある。この時だってわざとそこにそうやっておいた可能性が十分にあるし、あの時だって、もし本当なら、こーするはずだ。んで、このときも、あのときも。ひとつひとつは、微妙なラインもあると思うが、こう仮定すると、すべてつじつまがあう。そして、俺は、確かに、この問題の専門家とは言えない。だけど、お前は、この件に関しては、絶対に冷静に判断できないでいるだろ?』
 「確かに。…確かに。」
 『どうだ?どう思う?』

 「ああ、それは、もちろん、その通りだと思うよ。」
 『…ちげー…』
 「え??」
 『ちげーよ。わかってるくせに。俺が求めているのは、そんな、くだらない共感じゃない。』
 「そうだな。」
 『今のは、すべて俺の頭で考えた事。全部、頭だけで判断を下すと、そうなるってことだ。でも、心では、信じている。そんなことはないって。それに、心では見捨てたくはない。』
 「……」
 『だから、論破してくれ、優秀なお前の頭で。俺が、俺の解析が、完全に間違っているって。まったく、見当違いもいいところだって。お前しか、俺を論破できないと思うし、お前になら完敗してもよい。頼むから…、論破してくれっ…!』
 
 「わかった。…えーっと、いや、僕も、それは十分にあると思うし、実際、そういう部分に、僕らが振り回されているだけってことは確かにあると思う。」
 『うん。』
 「だけど、K君。演技をすること=悪いってわけじゃないのは、わかるでしょ?」
 『ああ、まぁ。』
 「だったら、だったらだよ?その演技をすることによる異常さをどうして考えない?その演技を、そんな演技をするってことは、それだけ異常ってことでしょ??僕は、この演技に、通常の演技とは違う、ものすごい異常さを感じる。」
 『フン、流石だな。(笑)』
 「っへ、っまぁな(笑)。」

 『だけど、その異常が、環境か自身かは、わからなくない??環境の面が強いんじゃないかと思うんだけど?』
 「あー、両方だと思う。」
 『そうか。』
 「それに、僕は、その演技に、騙されている演技で、付き合いきってやる覚悟はできている。」
 『そうか。そこまでなら、まぁ、しゃーないか。わーったよー。俺も、それでいくよ…。』
 「いやいや、もう、無理にとは、言わんところまで、きちゃっているよ。。」
 『はぁ、結局、勝てねーな。(笑)』

 ちなみに、ここまで、かなり長い時間かかってます。文章で見るとあっという間だけど、まぁ、いろいろ省略しているからね。。
 1ヶ月くらい前か。。

 それと同じトスを上げられ、無視していくことにも、それなりの理由がある。
 簡単に言えば、肉体的にも精神的にも疲労しているから??だったら、ページ更新してる場合じゃないんですけどね。(笑)
コメント (4)
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自己防衛手段としての矮小化

2009-03-21 04:28:37 | Weblog
 3月は悲しい。誕生日の月だから良いイメージもあるけど、ちょっと悲しいイメージもある。

 別れの会を隠れ蓑に、今日はたくさんの懐かしい方々にお会いできて、本当に楽しかった。君はまだ1年生のイメージだわーっとか言われて、僕も先輩は4年生のイメージですよっと言いかけたが、繊細なブレーキがかかった。したら、今の1年生はどーなっちゃうんですかいな。それだけ、時間が経つのが早かったですよね。特に、僕は、この場所を、ある意味で、捨てるという選択をしたわけですから。
 その選択に関して、まだ、ここまで時間軸をまっすぐ進んできても、後悔とまではいかないまでの、やりきれない想いが確実にあるんだと痛感させられた。つまり、残してきたモノはそれほど大き過ぎた。

 「お前が、いたら、この3人は、救えたのかもしれない。」
 『助けることができたかどうかわからないけど、確かに、少なくとも、もっと助けようとはすると思う。』

 その救うっという意味は、あくまで俺らにとっての話であって、絶対的に助かっているかどうかは別の話であることは、きちんと話し合っている。
 でも、その分、俺は、他の所で働いてるわけだし(少なくとも、働こうとはしてるわけだし)、確実に、あれから作った新しい場所の何人かに俺自身が助けられている。だから、総体的には、これで良かったんだよね。。

 《僕、ただ、心配で、それで…、本当に心配で、だから…》
 『(泣笑)……、わかったよ。ちゃんと、お前の気持ちも伝えるから、っな、ほら、大丈夫だよ、絶対、なんとかするから。』

 なんて、後輩から泣かれて言われたら、また再び、こっちの傷は開いてしまい、それを修復する間もなく、無意味な責任感と無意味な優しさが交錯し、歩き始める足は問題へと自然と直進しているのだった。

 真実はまったくもって違うのかもしれない。

 「はぁ、これで、僕、あの件、全部パーです。」

 という言葉に感銘を受けたり、

 「その演技に付き合いきってやる覚悟はできている」

 なんて、ムカつくほどのガチの言葉だって、俺の心にまっすぐ響く。もっともっと、俺も強くならないといけない。

 それは、そうだけど、真実が違う可能性を、みんなは、考えているのかな。そこまで問題を矮小化しなくてもイイんじゃない?っという聴こえてきそうな言葉をちょっと振り切って、考えてしまう。
 そうじゃなくって、矮小化しないと、こっちがやっていけないほど、辛いんだよー。
 しっかし、こんなことで、ここまで、余裕がなくなるとはな…。
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伝説の教師

2009-03-20 03:21:09 | Weblog
 夢の保険くらいは、誰にでも口外することにした(っで、ここでは言わんけど)。夢の保険って言ってるけど、ほぼ確実な(1年後の近い)未来であろう。そぅ、別にどー思われたいとかスゴイって言われたいとかそーいうんじゃなくって(やっぱ、多少ビックリされたいかも(笑))、保険を確実に得るために口外するのである。もう後戻りしないために。
 しっかし、ここのページも長いな~。大学受験の時からやっとるんかいな。ちょっと、1段落ついてもいい頃かもですね。来年あたり、ページを一新しても良いかもしれんです。全記事消去するとか。せめて、タイトル変えるとかね。

 こんなにも早いとは思ってもいませんでした。こんなにも将来が近いなんて。あの時は、まだ、全然わかってなかったんですな。この選択をすることが、どれだけズレているか、とか、どれだけ不安を伴うのか、とか、どれだけの人間がそれを目指しているのか、とかね。それは、きっと、大学入ってみてから知った、実質的には一番大きな事なのかもしれない。

 それに関連して、最近、どーも感じることがあって、「変わろうとしているところについて、誰かに、ま逆に決めつけられると、とっても悲しくなる」って事態が多い。自分が相手にしてしまっている時が確実にあったし、自分がされてすごく傷ついたこともあった。それが、誰かに好かれるためであったり、誰かに合わせようとすることだと、なおさら悲しくなってしまう。
 例えば、これから面白くなろう頑張ってるのに、「どーせ、こーゆーつまんない発想しかできないよね?」みたいなの。真面目になろうと頑張ってるのに、「また、遊んでるんでしょ?結局…」みたいな表現。悪意があれば、ただ単純にムカつくーっで済むけど、裏に善意がある場合はとっても厄介なのだ。

 そっちに合わせるために変わろうとしているのに…って被害者は思うし、そっちに合わせるためにそこを認めようとして口に出したのに…って加害者は思う。
 「そりゃー、他人に合わせることは、誰だってしたくないよ。でも、一生懸命努力して、他人に合わせようとしてるってことは、それだけ好かれたいってこと。結局、求められてるってこと。」
 俺は、そういう人間関係を大切にしていきたいわ。

 相手の10個欠点が言えるか?について、言える人たち、俺の欠点を言えるであろう人たちは、沢山いる。10個なんて言わなくたって、

 [えー、何それー、俺まだ、K君よく、わかんないわー。こーやってイラつくのは、俺がダメなの?]
 「いやいや、K君といて、イライラしない人間なんて、いないと思う。マジで。」
 『っをい!!(笑)』
 「うーん、なんて言うのかなー。この独特な空気っていうか、コイツをどういう風に扱ったらいいのか、普通、周りはわかんないもん」
 〈あー、確かに、わかるわ。突っ込んでいってイイ具合がわかんないんだよねー。ほら、高圧的だし。〉
 『うんなん、お前らだって、高圧的だろーが。』
 「そうそう、だから、直そうとしてるんだって。もう、そういう立場じゃないし。」

 っていう、これで十分。これで愛を感じられる(笑)なんて、俺、すっげー幸せなんだろうな。
 
 だから、種々のそんなすれ違い、簡単に乗り越えられることを、俺はよく知っている。
 でも、これで単純に悲しくなる感情を持たせているなんて、DNAは、酷くもあり、優秀でもあるなっと思うのである。99.9%の中に入ってる人間共通の遺伝情報だと思う。 
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ガチだからこそのセオリー依存

2009-03-19 08:43:56 | Weblog
 セオリーのみを学べるのか?と言ったら、それは、どんなに賢くなっても無理だろう。いや、無理というよりは、無意味であろう。そのセオリーをどっかしらで、応用するようなもんがないと、いくら理学志向でもやる気が失せてしまうのは当然な気がする。っま、敬遠するってほど真面目な理学志向の極一部の方々は、それだけで満足できる部分があったりするのかもだが、たいていはそうだと思う。

 だからこそ、思考だけでなく、試行しつづけることが大切なのだ。書いて覚える、闇雲に計算してみる、実践してみる…、そんなことが大事なのは言うまでもない。
 そう、闇雲に計算して、それで上手くいく部分があるんだったら、それはそれで大事なのだ。
 論理的思考を高めるっとか言ってないで、とりあえず書いてしまうこと、とりあえず、計算を開始してみる、って作業ほど、忘れかけている大切なことはない。

 同じようなことが人間関係にも言えて、本当のところだけでぶつかりあわせるのはもちろん大切なのだが、それと同等に、とりあえずセオリー通りの会話、セオリー通りの関係を維持してみることだって、大切。
 この作業は、苦痛を伴う。だって、演技しているんだから。この演技がホンモノになってしまったら、つまんないから、どっかで白黒はっきりさせなきゃいけないんだけど。

 正当化…。そう言われてしまえばそれまでだけど、だって、仕方ないじゃん。人に「セオリーを知るためにガチ勝負以外の勝負も大切だよ」って言っておきながら、俺自身はガチ勝負しかしてないんだから。
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最高峰へのフリーパス

2009-03-16 00:40:42 | Weblog
 自分が妬んでいたモノ、いや、それ持ってんのズルイだろーって、思ってたモノを、手にできそうな時の躊躇いの存在を、この件に関しては、ほとんど誰も信じてくれない。

 現に、今日だって、ある部分で、昔の自分を見ているかのように感じている誰かは(『』が俺)

 「お前、それでいいわけ?いや、俺は何も言わんけど、でも。。」
 『わかってるよ。とりあえず見てみるだけだって。』
 「っま、いいけど…、でも、ってか、[あの果てしない夢]はどうなったんだよ?」
 『っは?あきらめてるわけねーじゃん。だから、こんなに多教科まで勉強できるんだよ』
 「ならいいけどさ。でも、いろんな事に手出し過ぎて、本末転倒になったらさ・・。」
 『いいかげん、わかれよ。失敗できねーんだよ。夢にだって、保険かけていいだろ?』

 と言ってた。確かに。少なくとも3年前の俺に会ったら、まったく同じように叱られるだろう。本当に賢い事しか認めていなかったあの頃ならね。今だって…、だからこそ、躊躇いがあるのだ。

 でも、そうやって、気疲れして得られるモノだって、同じくらい価値があるもんだって気がついた。だから、最高峰に見えるフリーパスを、取りに行ったって、取りに行こうとしたって、別に。。まだ、確実じゃないのに、罪悪感があるなんて。
 そりゃそうさ。なんだって、自分の実力で手に入れたい。でも、要領も、実力のうちさ…、っと言い切れない心の自分が存在する。頭ではわかってるんだけどね。

 俺は、きっと、気疲れで疲れてしまうだろうし、重要シーンで演技だけで切り抜けたことは一度もない。だからこそ、「俺だってそれくらいできるんだからねっ!!」って試してみたいただの欲な気がするけど、それ以上に、保険や安定にしては、美味しすぎるんだよね。
 問題は、この最高峰を、俺が本当は最高峰と思ってないところである。満足しない生き物って言えばカッコイイ感じがするし、情熱を忘れてないと言えば聞こえは良いが、ただの子供なのかもしれない。っま、逆に言えば、それくらい果てしない夢にはさらに価値があるのだ。

 やることは、わかっている。「すべての二者択一問題には、どっちもとれるような道が必ず存在する。」
 だったら、どっちもとるしかないっしょ。今よりも、本気で頭良くなってやるし、本気で要領もよくなってやる。
 どっちもとって、さらに上へ…。
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本音トークの中のウソの大切さ

2009-03-15 03:45:17 | Weblog
 誰にでも掘り出して欲しくない過去はあるもんだ。それが大きいことであれ、小さいことであれ、掘り出された瞬間にほんの一瞬、すべてが止まる。
 んで、今日のは、、うーん、7年も前か。っま、別にいいんですけど、ちょっとまだ、完全にはふっきれてないんだなって、自分自身の反応で感じた。あのとき、徐々にじゃなく、急に終わらせた俺が悪いのはわかっているけど。

 あの頃と今の自分を比べると…、主格はまったく変わってないと思うし、そう思いたいけど、見え方やふるまい方や…、いや、やっぱり、主格の一部は変わっているかもね。こんなにも勉強していること(もちろん、あの頃と比べての話)や、幸せのとらえ方や、集団との接し方…、うむ、変わったかな。
 それは、すげーヤツと接したからもあるし、単純に自分が成長したせーもある。でも、一番大きいのは…?

 価値観が変わるのは、徐々に…てわけで、マクロで考えるのが自然なのかもしれないけど、ここは、「あえて」ミクロで考えたい。だって、自分自身が変わった瞬間から、いきなり変われるわけなくて、状況や周囲との兼ね合いがあるわけだからさ。そこの歯がゆさって、変化の中でかなり辛い部類だと思う。
 こーやって時間さえ経っちゃえば、どうでもよくなっちゃうもんなんだけどね。

 ミクロ、マクロか。今日、

 『うーん、最近、ずっと、ミクロで考えてたけどさ、マクロで考えると、案外、いい方向なんじゃないかって。』
 「だから、K君、僕、ずーっと、それ言ってるし。そだよ、そこだけを、考えててもダメだよ。」
 
 『ホント、お前、グレーゾーン上手いよね。』
 「日本人ですから。この絶妙さ負けねーし。確率論で自分を肯定し、グレーもグレー、ちょうど中間をついて、相手にゆだね、大切なとこで、白黒はっきりつける、僕のいつもの手法です。」
 『マジ、ぜってー、いつかお前、倒すわ。もう、けっちょんけちょんにしてやんだ。』
 「もー何回も言ってるけど、僕、普通ですからね。全然、僕とか倒しても、仕方ないですからね。」
 『(そんなん、うせやん)』

 ってのも、重要なヒントなんだな。だって、傷つけちゃったら、意味ないもんね。

 いつか、この日も、自分に遥か超えられてしまう日がくるんだとしても、今の重要な人たちも一緒であることを願ってやまない。あの時とは、違うさ。

 (えーっと、これは、記事全般に言えることなんですが、「意味わかんない」のは当然です。断片的にはわかったとしても、完全には俺にしかわからないように書いてますし(ブログは日記だからそれで良い(笑))、人の頭に勝手に侵入してるのは、あなたなんですし(笑)。)
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look into my eyes

2009-03-14 01:44:18 | Weblog
 自分が叶えられなかった夢は誰かに託してしまうもんだ、って相場は昔から決まっている。
 最初から自分に制限をかけるなんてアホなことはしなくてよいが、必死で努力したって無理なモノはもちろんあるし、それを自分よりも他者から強要(この場合は「共用」のが正しい??)されてしまったときは仕方ないとまでは言えないが、っま、そういうこともあるだろう。

 そんな「託す」とは別に、自分が前にやってた栄光を他人に託すことだってある。その気持ちは、相手が失敗すると、こっちも本気で悲しくなってしまうくらいのモノのことを言っている。
 なぜ、こんなことをしてしまうんだろう?そりゃ、自分だって、ちょっとそれに関われるかもしれないけど、基本的にやるのは、その夢を叶えたい本人であって、そんなことに、なんでちょっと思い入れしてしまったりするのか?それは、どっかで、絆はくり返すことでいつしか強くなる、って思ってるからなのかな。。

 俺は、この件に関して、ほとんど一人で頑張った。そりゃ、当時、心の拠り所もあったし、その夢の先人とも親しかった。だけど、大学受験などの他のだいたいの事象にはないほどの一人きり…、悔やんで泣いた過去(正確には「過去の過去」、言わば「大過去」である、日本語には過去完了という便利な表現がないのね(笑))を、どーにかして無駄にしないようにと頑張っていたのだ。
 そーいう想いはなるべく多くの人にして欲しくない、単純にそんな感情が働いて、動いているのかもしれない。

 うーん、今年の結果はよくないなー。去年は結構良かったんだが、こーゆー作業に対して、周囲が厳しくなっているのかもしれない。
 でも、彼らの言うとおり、「時には負けることで、勝つこともあることを忘れないで」。ホントに大切なのは、その勝負そのものじゃなくって、もっと別のものだから。

 過去完了形か…。いや、「現在も…」だから、やっぱ、現在完了形の継続用法だって。違う事象ではあるけどね。

 (Fayrayの曲は、どーも、悲しい曲が印象的ですよね(例外は「願い」くらいじゃないかな)。悲しい曲っていうと、ちょっと大雑把すぎる表現かもな、なんてーか、人間が落ちてる時に聞きたくなる曲が多いってこと。
 この曲が収録されているアルバム「HOURGLASS」は、音楽でさえも滅多に衝動買いしない俺が、タワーレコードで視聴した瞬間に今すぐ買うことを決めた、数少ないアルバムのひとつ(っま、CDを買うこと自体、あまりなくなってしまった今となっては、信じられないが)。「乱歩R」ってドラマのなかで使われた曲が多く入っていたと思います。(あれ?この曲もだっけ?)
 introがピアノの曲って好きになる確率が高いんですが、これも入り方、マジ最高。サビの音の上がり方と下がり方の変化の仕方が、この曲に限らず、Fayrayは上手だと思う。)
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Happy Birthday

2009-03-09 23:51:36 | Weblog
 今日は、誕生日だったんですが、まぁまぁ良い日だったと思います。研究室が決定し、割といい話もやって来ました。

 どーも、ガチであればガチであるほど、俺のいろいろな能力は落ちてしまうらしく、ひどいと10パーセント以下。っま、みんなそーだよねー(少なくとも男は)、って生徒にしゃべったりして、自分自身を安心させて。。
 上手く話ができなくて、本当はすまないと思っている。
 でも、重要なことほど、緊張して然るべきだし、焦って然るべきなのだ。大切なのは、それをきちんと状況として受け入れ、ひとつだけでも、よかった、っと思って、今できることを思考しつづけること。結局、それしかできないのだから。
 前の受験のときに学んだはずなのにね。

 それらしい言葉を並べても、伝わることなんて、始めからないのだ。演技によって、得られるものにものすごい価値を感じるほど、つまんなくない。だから、だから…っ!!

 (これも歌記事っすよぅ。
 スガシカオver.と杏子ver.があるんですが、歌詞もメロディも大好き。コナンの映画の曲って、初期は名曲が多いなー。)
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コイン

2009-03-08 13:43:11 | Weblog
 例えば、極端な話、通常には起こりえない対処が難しい問題が発生したとき、ものすごい使命感にかられて行動しまくっている幼稚園児がいたとしたら、周囲は実質的には迷惑であろう。
 だったら、僕らこの文章が読める人たちも同様で、実質的能力が低い、つまり、頭が弱い場合、どんなに情熱を持っていたとしても、つまり、とても純粋で清い心を持っていたとしても、行動を起こしてはいけないのだろうか??

 当然だけど、扱う問題が深刻であればあるほど、その答えは難度が上がる。
 うむ、やっぱり、心だけじゃどーにもできない部分ってのがあると思うし、心の強さだけじゃ満足できないのが人間なんだよね、心の種々の力を本来は欲しているはずなのに。勉強するんだって、仕事するんだって、音楽をやるんだって、遊ぶんだって、どれも一人じゃできねーんだから、その実質的部分ってのもどーしても重要になってしまう。
 ただ、その「どーしても」って部分が大事で、それを考慮できる集団ならば、「心ある行動」に感銘を受け、結果的に周りにとって必要であったと認識し、どんな人間がやってきても全員が本当の笑顔でいられるんだと思う。求め過ぎてしまったあとに気づくんじゃ、取り返せないことだってあるんだから。だけど、そんなすげー集団は完璧には見たことないし、不完全なその原石をもっている集団ですら片手で数えるくらいしかない。

 したら、やっぱ、実質的に頭は必要じゃん??っていう、ちょっと複雑なロジカルサーキットを形成しても、ついてきてくれるか疑問だからやめます…。

 でもね、でもっ、ある一定準位のしきい値を超えた難度を持つ問題については、頭はこのときばかりは役立たず、心由来で、がむしゃらに行動してしまうことがある。しかも、それが特異的だったりすると、余計。
 ここが、俺が、人間を人間として、一番好きな部分なんだと思う。
 その姿は子供っぽいはずだ。だって、人は、まさに、そうやって、大人になってきたのだから。どんなに経験を重ねても、こうなってしまう問題ってのはやってくるもんだよなぁ。
 各々によってそのしきい値の数値は異なるはずで、人間すべてがそれをわかる人たちであってほしいと思うけど。。

 っま、それ以外の問題は、「今できることを考えろっ」って自分に言って、思考し続ければよく、それを試行し続ければよい。
 しきい値以上の問題は、これにて作戦は丸つぶれって、認めて、想いを大切に、思ったまんま行動し続ければ良いんだと思う。

 (このコブクロの古風な曲は、発表されたのは最近だが(って言っても、もう1年前か…)、きっとだいぶ昔に作ったか、だいぶ昔のことを思い出して書いたんだと思う。
 こんな時代だから…、物品は有り余ってるが、心の寂しさだらけの時代だからこそ、この曲を聞くと、なんとも羨ましい気持ちと懐かしい気持ちが共存し、いっぱいになるのかもしれない。だけど、次に進まなきゃね。それは、個人としてでもあるし、全体としてでもある。)
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Holy ground

2009-03-06 02:55:57 | Weblog
 どうするか、どっちを選ぶべきか、迷っている。いや、それはちょっと嘘だな、答えは出ている。ただ、この答に突っ走っていける自信が持てないだけだ。それを妥協と呼ばれてしまうなら、それでいい。俺は、この目的のためなら、行先は選ばない。なぜなら、ただ名誉のために4年間勉強してきたのだと言ってしまっても過言ではないからだ。
 っま、まだ、どっちかを選ばなきゃいけないって決まったわけじゃないし、5月まで待ってみるかな…。

 うーん、でも、メガフェップスって覚えて不定詞のほー全然覚えてなくてテストで全部ダメでした、ってアホな高校生みたいになりたくないから、ちゃんといつも以上に慎重にならなきゃだな。ゆっくり確実に見定めなきゃね。しかも、今回の場合は、動名詞も不定詞もとれて意味が変わっちゃう動詞みたいな事もあるから、本当に全力を使わなきゃな。

 この戦いが終わったら、通り過ぎた幸福な時が今をただ無意味に変えるようになってしまうんだろうか…。大事な時期に、それしかしなかったツケが一気にまわってこないように、今から少しづつ変えている。行き場をなくした情熱を作らないように、優しい方へ倒れこんでゆけるように、その足で歩くべく力をつけて、それだけじゃなく、いくつかをモノにしなきゃいけない。
 これこそ、究極的にみたときの、「目的のためなら手段を選ばない」ことなんだと思う。

 (「作詞とは、自分が言いたいことを書けば良いわけじゃなく、音の翻訳である。」っとAZUKI七は考えているらしい。GARNET CROWの中で、それがよく反映されている曲だと思う。
 メロディーのイメージと歌詞が一致したときに曲はものすごい力がでる。さらに、ボーカルを先頭にした演奏者達の想いも一丸となれば、言うこと無い。でも、なかなかそれは作りにくいんだから、あえて頭で考え、演技をすることだって、表現の一つなんだと思う。
 いや、まぁ、それにしても、ちょっと微妙な曲なんだけどね(笑)。)
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