俺は彼らの圧倒的な思考力から逃げてきたつもりでいた。あの思考力には敵わない、、いや、正確に言うと、自分の思考力なんてたかが知れてるから大成できない、と素直に感じていたからだ。だからこそ、このような権威的な世界に来ることで、俯瞰しているのかもしれない。あれから5年以上にわたって、くだらないことを前提としながら、あらゆるものを盗もうとしてきたからだ。
だけど今、結局のところ、彼らとまったく同じ結論として、世界の描像を理解しようとしている事実に気が付いている。それは、俺が必死で数年間も遠くへと走ったとしても、結局のところ彼らが創る掌にいるだけ、とも言えるし、まったく違う道を辿ることで天才的な彼ほどの思考力に並べている、とも言える。絶対に戻らないと思っていたのに、終に戻ってきてしまったのかもしれない。
一般に要素数が増えれば増えるほど、覆水盆に返らず。たいていの場合は、特異的な状況からありふれた状態へと、別の言葉を使えば、非平衡状態から平衡状態へと、流れていくだけである。
俺ら社会的な生き物である人間も、歳をとればとるほど、どんどん凝り固まった価値観に束縛されるようになるし、なんでもかんでも手をつけてみたりするよりも、明らかな権威に対して媚び諂い、自分の実力をつけずに、常識と言う名の偏見を身に着け、とにかくその場所にとどまろう、とにかく無難でいようとして、向上しなくなってしまう。その分、権威に媚び諂う行為を、率先して「向上」と無理矢理に再定義していこうとする。そして、そのありふれた状態を素早く認めないでいると、いつまでも子供みたい、とか、自分がそんなにかわいいのかよ、とか、他人の気持ちも考えろよ、とか勝手なことを言うのである。
だが、本当に生命現象を研究しているなら絶対にわかることであるが、平衡状態になったら死んでしまう。ありふれた状態に支配させてしまうと、その系は死んでしまうのである。当然、物理的には死なないが、社会的に生きていると思い込むことで、自分の信念を殺してしまうのである。
考えてみると、社会は非常に不条理である。いや、物理現象が、非常に不条理であり、ただそれだけなのだ。
ほとんどの人は、本当は気が付いている。すべてはただの偶然であり、偶然の圧倒的な支配によって、勝敗が決まることを。だからこそ、(権威にすがるな!とか、人間力が大事だ!等の)短絡的な何かの理屈があると仮定して安心したいのである。そして、一度確率的に流れだしてしまった(ありふれた状態へと向かった)水は、絶対に戻りようがないということを認めたくないのである。
もっともっと、きちんと考えてみよう。そもそも、この地球は46億年の歴史があり、人類の創生はたったの10万年前だ。人類史の100倍の時間が1億年であり、それが46回繰り返されると地球の歴史になる。10万年が短いようだが、実はすごく長い。10万年は、1000世紀だ。今の文明が、たった21世紀であるが、ヒト1人の人生なんて、せいぜい1世紀が限度。
つまり、あなたや俺が、どんなに考究したとしても、そんなこと、至極どうでもいいことなのである。この長い長い歴史の中で、いつの間にか、ぱっと生まれたこと、そのものが理不尽なのであり、その生もせいぜい100年しかもたないことも、また理不尽である。
そのような中で、頑張れば絶対に報われるはずだ、とか、沢山色々なことを行動していけば成功するはずだ、とか言っていても、どうでもいいことだろう。どうせ死んでしまうし、この生の意味が、たった200年だって、もつかどうかもわからない。もちろん、かといって、すべては確率的である、と言い切っていても仕方ない。
ありふれた価値観に陥り、物理的な人生を送るのも、また人生であるし、ありふれた価値観に染まらずに、これが生き生きとした自分の人生なのだと思い込むことも、また人生。それはそれぞれに正しいのだ、というような枚挙的な「それぞれ」論では帰結せず、それぞれが相互作用しあうことで正しく成り立っているのだ。だって、少なくとも、ありふれていないことを定義するためには、ありふれたことをきちんと定義しなくてはいけないからね。
そして、このように、どうせ誰にとっても理不尽なのだとしたら、それを前提とした生き方をしていったら良いと思う。そう思えば、とてもラクである。
確かに、覆水盆に返らず、非平衡状態から平衡状態へと遷移していくだけであることは遥かに多いが、、ビックバンが創発した非平衡状態を享受し、それを維持していこうという力が何故か働くことも、それなりに沢山ある。いま、俺は、まだまだ社会的な非平衡性を保ちたいと思っており、俺のその願いをすぐに手助けしてくれているのは、とうの昔に出ていった場所の彼らであるので、、もしかしたら、帰る日は近いのかもしれない。
…しかも、生命においては、自分がどういう時に、どういうことをとりたいか、自分自身が自由に決めることができる。
もちろん社会的に犯罪を犯してはいけないが、それをしない限りは、あなたは自由なのである。好きに生きていい。何の問題もない。
だから、どんなに誰かに迷惑をかけても、どんなに権威主義になろうと、空気が読めなかろうと、バカげたことをしようと、誰かを何かの言葉で傷つけたとしても、あなた自身が欲して物理的に平衡状態にならないならば、なんでもいいと、俺はそう思っている。
(ちなみに俺は、エバと聞いたらエバネッセント波しか出てこないほど、エヴァンゲリオンのことは何も知らない(笑))