自分が知らないことを、躊躇なく、知らない!教えてくれ!、と言える勇気は必ず本当の思考力になる。
バカなヤツにバカにされることを差し引いても、思考力向上のためには、そっちのがコスパーが良い。
もうこんなに年齢を重ねてしまったし、学年が上がってしまったし、って思って誤魔化してしまえば、いつまでたっても思考力は上がらない。恥ずかしくても、今すぐ、訊いてみるべきなのだ。
それも、後でこっそり誰かに訊くのではなく、あえてみんなの前で訊いてしまったほうが良い。そうすると、意外とみんなも全然わかっていないってことの方が多いのだ。
大丈夫。あなたが正当な方法で真面目に取り組んでいるからこそみんなと同じ土俵にいるのだから、何も恥ずかしがることも無く、賢いフリ、わかっているからあえて聞かないキャラを演じることも、天才のフリをする必要も無く、本当に想っている気持ちで訊いてしまえばイイのだ。
例えば、こないだ話題に挙がった例でいうと、「面積」ということひとつとってみても、とても難しい。ここの読者の多くは(俺も含めて)、「面積」というものを、きっときちんと理解できていない。
ちゃんとした定義をしようと思えば、確実にlim(極限)の概念は必須だし、そもそもEuclidean空間で考えていてはいけないだろう。
こういうことは揚げ足取りでは決してない。実際の物理現象を扱う上で必要になってくることはあるし、きちんと面積を知っていれば境界問題について、より多角的な視点に立つことができる。
っで、物理を得意とする俺が、化学や生物学の連中の中で(物理学だと一部)、こういうことを言った時には、もう、誰からもバカにはされない。
『っていうかさ、そもそも、面積、ってなんだろうね?』
俺の知ってる定義とあなたの知ってる定義とズレているから、あなたのを教えてけれ。ってね。
本当は「人に依ってはいけない。何を言ったか?が大事で、それのみで判断されるべきであり、誰か重要な人が言ったから、それが重要そうだ、という空気が流れるのは、自然科学を追究する者の態度として相応しくは無い。」と、俺も思う。
外から観れば、他の誰かから観れば、自分(俺)ですらもうまくいっているように観えるし、普通そこまでの思考しかしない。だとしたら、少しくらいその虚勢を利用してみても良いんじゃないか、と思うのだ。
そうなのに、それが出来ないのは、、絶対に、負けたくないから。
その壁に負けてしまって、虚像であると書きかえられてしまった自分たちに気がついてしまえば、涙は止まらない。
戻らないこと、戻れないことに涙するのではない。
きっと戻そうと努力することはしないであろう今後の自分自身を察して、涙するのだと思う。
バカなヤツにバカにされることを差し引いても、思考力向上のためには、そっちのがコスパーが良い。
もうこんなに年齢を重ねてしまったし、学年が上がってしまったし、って思って誤魔化してしまえば、いつまでたっても思考力は上がらない。恥ずかしくても、今すぐ、訊いてみるべきなのだ。
それも、後でこっそり誰かに訊くのではなく、あえてみんなの前で訊いてしまったほうが良い。そうすると、意外とみんなも全然わかっていないってことの方が多いのだ。
大丈夫。あなたが正当な方法で真面目に取り組んでいるからこそみんなと同じ土俵にいるのだから、何も恥ずかしがることも無く、賢いフリ、わかっているからあえて聞かないキャラを演じることも、天才のフリをする必要も無く、本当に想っている気持ちで訊いてしまえばイイのだ。
例えば、こないだ話題に挙がった例でいうと、「面積」ということひとつとってみても、とても難しい。ここの読者の多くは(俺も含めて)、「面積」というものを、きっときちんと理解できていない。
ちゃんとした定義をしようと思えば、確実にlim(極限)の概念は必須だし、そもそもEuclidean空間で考えていてはいけないだろう。
こういうことは揚げ足取りでは決してない。実際の物理現象を扱う上で必要になってくることはあるし、きちんと面積を知っていれば境界問題について、より多角的な視点に立つことができる。
っで、物理を得意とする俺が、化学や生物学の連中の中で(物理学だと一部)、こういうことを言った時には、もう、誰からもバカにはされない。
『っていうかさ、そもそも、面積、ってなんだろうね?』
俺の知ってる定義とあなたの知ってる定義とズレているから、あなたのを教えてけれ。ってね。
本当は「人に依ってはいけない。何を言ったか?が大事で、それのみで判断されるべきであり、誰か重要な人が言ったから、それが重要そうだ、という空気が流れるのは、自然科学を追究する者の態度として相応しくは無い。」と、俺も思う。
外から観れば、他の誰かから観れば、自分(俺)ですらもうまくいっているように観えるし、普通そこまでの思考しかしない。だとしたら、少しくらいその虚勢を利用してみても良いんじゃないか、と思うのだ。
そうなのに、それが出来ないのは、、絶対に、負けたくないから。
その壁に負けてしまって、虚像であると書きかえられてしまった自分たちに気がついてしまえば、涙は止まらない。
戻らないこと、戻れないことに涙するのではない。
きっと戻そうと努力することはしないであろう今後の自分自身を察して、涙するのだと思う。