たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

本当の意味で研究を進捗させる上で重要なこと

2024-03-31 04:14:10 | 自然科学の研究
 自然科学分野において本当の意味で研究を進捗させる上で重要なことをまとめておこうと思う。筆者は生物物理(実験), 再生医療が専門なので、この分野に特有のことを無自覚に書いてしまうと思うが、理論研究を含めたなるべくすべての分野に適合することを書きたい。
 この記事は順次更新するようにしていきたい。(最新更新日2024.3.31.)

・研究するとは何か

 研究とは新しいことをすることだ。
 新たな研究テーマに着手するとき、まずは自分自身にとって新しいことをするだろう。そして、次第にそのチームにとって新しいことをするだろう。さらに、その分野において新しいことに到達するだろう。これが即ち、研究の出力になる。人生で一度くらいは人類にとって全く新しいことをしてみたいのが人の常だが、なかなかそうもいかない。その分野において新しいことまできちんと到達することを目標に、毎日どの段階かの「新しいことをすること」を意識して研究に取り組むべきである。
 逆に日々「今までと同じことをひたすら繰り返す」ことは、研究とは呼ばない。実験研究における標語は同じ実験を繰り返すな!である。急いで付け加えなければならないが、再現性を確認することはとても大事なことである。しかし、それは上記した「新しいこと」が前提である。新しいことを恐怖するがゆえに同じことを繰り返している場合、今一度研究とは毎日新しいことをすることと唱えてほしい。「たくさん実験したね」「いっぱい計算したね」と言われたいだけなら研究を掲げないことだ。

・安全性について

 この項目は実験研究において(バイオ系や有機系)だけかもしれないが、自分自身の安全を絶対に確保しながら研究するべきである。
 具体的には、白衣を着ることゴーグル(メガネ)をかけること。また白衣の中に着る普段着も、なるべく動きやすい服装であることが好ましく、短いズボンやスカートで足を露出してはいけない。なるべく実験室で一人にはならないこと。また、実験終了前後は手を洗うこと。
 そして、週に一度はきちんと掃除をすること。実験とは、その系の中での現象を掌握することである。系の中に不要なものがある状況下で実験などできるわけがない。机の上が汚いのは構わないが、実験環境は整理整頓されていなければ正しい実験ができず、精度や成功率も下がる。まずここまでが基本中の基本。

 実験室で最もリスクが高いものは回転するものである。遠心機はチビタンであっても油断せず、バランスをしっかりとって使用すること。
 自分が使う実験装置については、簡易マニュアルだけでなく、その原理からきちんと理解すること。

・目標

 月に一つは論文や報告書に掲載できる図を作成できるように。
 論文のFiguresが4つ欲しいのだとすれば、半年で一本分のデータは揃うはずである。実際できるかどうか別にしても、多くの分野でこのくらいの意識で進めなければ、博論はストレートに仕上がらないと思っている。
 ただし、論文を量産することに最適化しないように。それをすると研究の定義である「新しいことをする」と矛盾しがちになる。魂を売って論文製造機にならないこと。

・基礎学力

 高校理科と高校数学に不安な点がある場合は早急にこれをマスターすること。これができていないと安全が完全には確保されない。
 統計力学までの物理学(基本だけで良い)と数理統計学の理解はどの分野でもなるべく習得することが望ましく、いくら実験系でも(バイオ系でも)、昨今このベースがないと本当の意味でオリジナリティのある研究は難しいのではないかと思う。実験装置がそれらを基本にしている以上、実験原理について理解できない箇所がある状態で実験に臨むべきではないからだ。統計力学までの物理学と数理統計学については、筆者が研究従事者向けに主宰している物理会(2022.3.-現在まで)のYouTubeがあるので(限定公開)、機会があればその全体を紹介したい。自分の同僚がその理解不足に陥っている場合、筆者はいくらでもフォローしたいと思っている。

・他者の報告を読むことについて

 自分の分野について最低限、その礎となっている文献を読むことは必須である。しかし昨今、「新しいことをしてもいないのに(いろいろな事情で)まとめてしまった」論文というものが世に溢れかえっている。これはジャーナルのインパクトファクターに依らずに起きていることなので、毎日論文を必死になって追う必要はないと考えている。情報は確かな武器だが、情報がゴミに埋もれているわけで、再現性が得られるかも分からないようなゴミを頭に入れる時間はもったいない。
 上記した基礎学力をもってその分野の基礎を正確に習得し、日々新しいことをしながら必然性を追いかけていれば、自然と研究になるというのが筆者のスタイルである。

 だが、視野が狭くなるのはいけないことなので、(少なくとも)あらゆる研究分野のアブストをパラパラ読む程度はしたほうが良い。
 論文を体系的に読むことも(筋トレ的な意味で)重要なので、2ヶ月に一度くらいは自分が読んだ論文について紹介する機会があることが望ましい。この際には「自分がこのテーマを引き続き行うのだとしたら明日から具体的に何をするか」まで分かっている状態になっていないといけない。

 自身の研究成果を発表するときには、当然だがきちんと文献検索をするべきである。その際にどこにもオリジナリティがないということであれば、それは基礎学力を疑うべきである。研究テーマは日々変わっていくはずのものなので、研究の最初に一生懸命に文献検索をしても仕方ない。代表的なものを5報(そのなかの気になった引用も)も読めば十分であろう。

 この項目の最後に逆説的なことを言っておくと、1週間で最大どれくらいの論文をきちんと読めるだろうかということは試すに値する。(筆者が学生時代に試してみた際は50報が限界であった)

・学会や展示会の参加について

 何らかの集会に出席して、自分の研究を相手に伝えてフィードバックをもらったり、誰かの研究を直接言葉で聴くことは重要である。
 しかし、学会や展示会に関しても昨今、乱立してしまっているので、どれに行くべきかは精査した方が良い。また、発表を聞く際に期待しすぎないこと。一つの集会で一つ有用な情報に出会えればそれで良いと筆者は思っている。実際、それくらいの率であると思う。
 出席したら必ず報告書を作成すること。政治力学に奔走したいなど忙しい場合は、その場でメモ程度でも構わない。それが何年後かにヒントになることもありえる。(実際に何度もあった)

・手を動かす人と口を出す人の比率

 少子高齢化の影響で、口を出す人の方が手を動かす人よりも多い、という事態が発生しやすくなっている。手を動かす人というのは、実際に実験をする人、計算機で計算をする人である。
 たとえば、手を動かしている人の報告を極たまに聴くタイミングでしかそのテーマのことを思い出さないのであれば、考究していないわけだから口を出すだけ邪魔であることは多い。そういう人が3人もいれば、もう研究は先に進まない。烏合の衆はダメに決まっている。
 この時代であるからこそ、研究管理者ではなく研究従事者であろうとすることが重要である。そのテーマに関して口を出すのではなく実際に何ができたのかを意識するべきだし、口だけ出してくる人には協力を仰がないように進捗させないと、結局のところ研究が前に進まない。それくらいの気概がなければ、疲弊した状況を抜け出すことはできない。

・余裕があること

 これがもっとも難しいこと(かつ精神的なこと)であるが、余力を常に20パーセントは残しておきたい。できれば60%くらいの力で何事も臨んでいることが重要だと思う。
 新しいことをすることはストレスである。だからこそ、余裕がないと研究は実行できない。全力で60%の力を出す、なんだか矛盾しているようだが、これを意識したい。


 研究者とは職業ではなく、もはや一つの生き方である。理想的で実行的なことをたくさん書いたが、上記のように取り組んでいれば、必ずや生活は楽しくなる。
 読者が、より楽しくより意味のある研究生活を送れるように願っている。自戒も込めて。
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微積物理と仕組まれた自由

2024-03-12 02:17:38 | 自然科学の研究
 高校物理の内容を(高校で習う)微積分を使って理解することを「微積物理」と呼ぶらしい。
 本来、微積分(というか解析学)は物理学の理解に必要不可欠であり、微積分を使わないで物理学を理解することなどありえない。しかしながら、高等学校の理科の学習指導要領では、高校数学で微積分を習いたての生徒に配慮しているためか、高校物理で陽に微積分を使って説明することを避けている。

 これは一部の意欲的な生徒たちには歯痒いことであろう。特に難関大学を理系で目指す高校生たちは物理学に憧れを持っていることが少なくないため、高等学校の指導要領に従った指導では満足できないことが多々見られる。
 私自身も高校生・浪人生の頃(ちなみにこのブログは私が浪人生の時から書いている)、微積分を使って高校物理を理解することを試みていた。単振動や回路など、暗記に頼らず、微分方程式を用いて記述することで体系的に理解することに深く感動していたのだ。特に浪人生の時には、大学レベルの微分積分学の教科書や演習書を図書館から借りてきて、減衰振動の一般解を自分なりに求めてみるなどしていた。当時の自分の気持ちを想像するに、「自分は浪人しているが、大学レベルの物理学を理解するまでに達している」と自由を求めての行いであったように思う。

 今から考えてみると、受験対策として、高校レベルを逸脱して理解することに何の意味もない。そりゃ変位を微分したら速度になる、くらいはパサパサ使ったら良いと思うが、、上記したような基礎を確立していない上での「自分なりの研究」をやっている暇があるなら、有機反応を一つでも覚えるとか英単語やコロケーションを一つでも覚えるとか、当時の自分にとって無意味であるような勉強(別に今でも多少そう思っているけど笑)をしたほうがよほどに実益であろう。
 けれど、若い頃というのは「将来のため」に生きているわけではない。そんな腑抜けた受験に即した勉強をするくらいだったら、第一志望(東工大であった)に受からなくても良い、と思っていた。

 さて、その求めていた「自由」は、本当に「自由」だったのであろうか。
 自分なりに微積分を使って高校物理の範囲から足を踏み出して、自分なりの丘陵から自分なりの物理学を眺めることは、どれほど有意義であったのだろうか。

 確かにその「熱さ」が今に活きていることはあるだろう。だが、若者がすべきことは、物理学を理解することだけではない。若い時にしかできないことは沢山ある。
 もっと他の教科を真剣に勉強していたらどうだったろうか。そもそも勉強じゃなく、バンドや歌を思い切りやっていたらどうだったろうか。友達ともっと本気でぶつかり合ったらどうだったろうか、気がつかぬフリをし続けた恋愛をあの時に思いっきりしていたらどうだったろうか。
 私は物理学科に入ってからのほうが、高校物理の参考書を開く回数が多かったように思う。それは私が定性的な理解を置き去りにして、微積分を使って、(自分にとっての)複雑な計算をしている自分に酔っていたからである。結局、高校物理を完全にマスターしたと強く自信を持って思えたのは、大学を卒業してからであったと思う。

 そう思い、以下のポストを投げた(同じようなことは前にも言っているが)。特に「微積物理」をやたらに持ち上げる大人を目にすると、「本当にそうだろうか?」という気持ちになってしまうのである。
 
 “高校物理を微積で理解するというのは、「よちよち。高校生なのに偉いね。そんな本質的に理解してるんだぁ」で9割以上の子が満足するので、もはや好きにすれば良いと思う。どーせベクトル解析やってないでしょ?高校数学の微積しか使わないんでしょ?とか本当のこと言うと嫌われるので”
 https://x.com/KayT0309/status/1765667542335389708?s=20

 もちろんネタというか、言い回しが冗談だろうということは明らかにわかると思うのだが(マジに捉えた人すみません。だって、こう思っちゃったんだもん)、本当の本当に物理学を心から理解したいのであれば、大学以降の「ただの物理学」をやるべきで、高校の範囲を意識した理解にはならないはずなのである。せめて、ベクトル解析には手がつくはずだ。
 これはお節介な老婆心というよりも、自分自身の失敗を、今また複雑な数式や実験手法に酔いそうになる自分への戒めとしてのポストに近かったのだが、思いのほか心ないコメントが受験生や大学生、大学院生、また研究者からも届いてきた。達観視している自分もいながらも、大学院生以上の人からの心ないコメントには、正直久しぶりにネットの反応で悲しい気持ちになった。なぜなら「多かれ少なかれ物理学を志している人たちのはずでしょ?」と思うからである。言い回しが下品というのはあるのかもしれないが、それにしてもこの感覚を理解してもらえないということは、指差している物理学がお互いにかなり違うものなのであろうなと思ってしまうからである。

 またそれ以上に、昨今は「競争に勝って自分自身の自由をとにかく最大化したい」という気持ちも強いのだろうと思う。自由主義は、自分とその他の人の自由を最大化したいわけであるが、自由主義の皮を被った自分勝手を自由主義の文脈で肯定化してくる態度を当然にとる人が多くなっているのかもしれない。
 そりゃ、高校物理でも微積をガンガン使った方が自由であるし、掛け算の順序はないほうが自由である。しかしながら、それは本当に自由なんだろうか?「仕組まれた自由」なのではないだろうか?

 社会人になって分かったことの一つに、世の中には「起業させられている人」というのが沢山いる、ということがある。経営者になれば自由になれる、だから、このフランチャイズ登録して、独立してみませんか。という甘い文句は沢山ある。果たしてそれは、本当に自由なのだろうか?

 自由を求めながら勝利することで他者を管理したがる人は「じゃああなたもやれば良いじゃん」「勝てば良かったじゃん」と言いたがる。転売ヤーっていうけどさ、うちらだけが儲けてるのが悔しいんでしょ?あなたもやれば良いじゃん?やれないわけだよね?それは能力がないってことじゃん?認めろよ?
 こういう人は、微積物理をやや批判的に書いただけで「学部で東大に落ちたからそう言ってるだけだろ」「理科大のくせに」と言ってくる人に似ている。18歳時点での評価を絶対視している愚かさを脇に置いておいても、関係のない文脈で「自由競争で圧倒的に勝てなかったくせに」と自分の価値観のままにこちらに問いかけてしまう的外れさに気がつけない。多くの人にとって高校物理は「どうであるべきか」という美徳性を主張しているわけで、今の場合、自由度や競争はどうでも良い。

 ちなみに関連している人のためにも一応言っておくと、今回、理科大の貶められ方にも驚いた。私は東京理科大学の理学部第一部物理学科出身で、大学院は東京大学大学院の総合文化研究科広域科学専攻で博士号を取得した。東大の内部について普通よりはよく知っているつもりであるが、はっきりいえば、東大のある学部学科よりも理科大の物理学科のほうが教育的にはかなり良いのではないか、と思っているので、そんなに入るのが簡単でもない理科大に対してクソでしょ的な扱いをするのは、とても違和感がある(ただ理科大がダサいというのは多分にある笑)。

 あくまで微積物理は一部の生徒のためであって、それをスタンダードにはできない。自分がその一部の生徒であったとしても、「自分なりの理解」をすることはとても危険である(予備校講師が先導していても同じ。定式だったものとは呼べないから)。自分なりの理解をするよりも、高校レベルは、教科書に書かれている内容をきちんと正確に理解することの方が遥かに大事である。
 というのが、私の(おふざけなしの)意見である。

 “微積物理”というのは、高校の範囲という鎖ありきの「仕組まれた自由」であり、そこに本質もなければ、勝利もない。
 では、物理学に意欲的な受験生はどうするべきか。中途半端だからいけないだけである。大学以降の物理学をガチでやってやるという覚悟があれば、いつだって「自由」よ。受験は時間がないというなら微積物理なんて中途半端さを捨てて、若い頃の熱さを認めてくれという甘えも捨てて、覚悟を持って大学物理をやること。

 まぁ40年前、夜の校舎の窓ガラスを割ることで、仕組まれた自由に気がつかずに足掻いていた頃なんかよりも、自分の覚悟の無さと甘さに気がつかずに「微積物理やらせろ!!」と足掻いているのは、人類の青春の迎え方として進歩しているとも言えるんだけどね。
 そんな足掻きを実はとても可愛く思っているんだけど、別にそんなことは伝わらなくて良い。なぜなら、顔も名前も知らない後輩たちに興味を持ちようがないから。
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「たかはしけいが統計力学までお伝えする物理会」の募集

2022-03-01 01:34:37 | 自然科学の研究
【はじめに】
 これまで私は物理を個人的に楽しんでいることが多かったのですが、私も35歳を目前にしまして、自分が理解していることを少しでも他者にお伝えしたい気持ちが強くなってきました。そこで、2022年3月7日(月)から週に2回各1時間で、私が教養レベルの物理数学から学部レベルの統計力学までの物理学をお伝えする会を開きたいと思います。題しまして、「たかはしけいが統計力学までお伝えする物理会」です。すでに一部の方からご要望を頂いておりまして、一般の希望者に対しても、私が理解している物理学をお伝えしようと思います。

 そこで、この会への参加者を以下のように募集します。

【目的】
 物理学の普及。
 高校数学と高校物理の内容を前提としながら、統計力学までの道のりの中で必須な部分だけを限定し、約1年から1年半くらいの時間をかけて、お伝えしようと思います。


【参加すると得られるもの】
・物理学の知識
・物理的なものの見方
・自学自習すれば東大駒場の院試(物理)を突破する程度の基礎力


【対象】
・本名と年齢を私に明かせる方
・高校数学(現行課程の数学Ⅲ、旧課程の数学Ⅲ+C)までの数学を一通り理解している方、またはその意欲がある方
・高校物理を理解していることが望ましいが、履修していなくても原理的にわかるようには説明します(テスト等をするわけではないので気楽に考えてください)


【日時と方法】
 今のところ、月曜と水曜の21時から1時間を予定しています。
 方法につきましては、Google Meetを用いたいと思います。

【お願いや注意事項】
・私が自分勝手にお伝えする会なので当然、参加は無料です。ただし、今後の状況次第では有料に切り替える場合もあります(現段階では基本的にその可能性はないと思ってもらって良いです)
・参加者がTwitter等のSNS(よーするに公に不特定多数の人が見れる環境、鍵アカウントの場合も含む)で本会の批判をすることは禁止します。「もっとこうすれば良いのに」ということは、私に直接言うか、会の最中に発言してください。
・会の様子は録画しYouTubeで限定公開する予定です(お休みの場合に後から参加者が見れるように)。一般公開するかどうかは今のところ思案中ですが、その際に生じた広告費等を参加者に還元することはありませんのでご了承ください。(現在私のチャンネルはチャンネル登録者数が1000人に満たないので、しばらくの間、広告費が生じることはありません)
・上述しましたが参加者には最初に本名と年齢を私にお伝えしてもらいます。これを私が公表したり他言することはありません。会はインタラクティブにやっていきたいと思いますが、その際にもニックネームやハンドルネームで呼んでもらいたい場合は、そのように致します。
・予習の必要はありませんが、復習は全員してください。復習の最低限は、会が始まる前に「前回はこれやっていたよな」と毎回ノート等を見直すのを怠らないこと。
・煽り目的でのご参加は、他の参加者の方の迷惑になりますので、ご遠慮ください。
・原則、途中から参加者を募集することはありません。1人でも前提知識がない人がいると、その人のために戻らなくちゃいけないので、全体の進行の妨げになります。もし、それでも途中から聴きたい人は、ご相談ください。


【カリキュラムと予定】
 ベクトル解析(月曜)と微分方程式(水曜)から始めようと思います。物理会と言いながら最初は数学をやるわけですが、物理の性質上、許してください。なるべく物理に関連するようにお伝えします。以降、電磁気学、数理統計学、熱力学、解析力学および量子力学、統計力学、とやっていこうと思います。超速で進めるので精緻じゃない部分もあると思いますが、お伝え後でも質問やコメントは大歓迎ですので、ぜひ利用してください。

【応募方法】
 2022年3月6日(日)までに、LINEかTwitterのDM、もしくは私のメールアドレス(soudan.atamanonaka.2.718_attoma-ku_gmail.com)から、物理会の参加希望を申し出てください。その際に、氏名と年齢と、会でどう呼ばれたいか、を明記してください。すでに参加を表明してくださっている方も、上記を確認の上、全員、正式に応募してください。
 私から予定調整や告知用のLINEチャットを返信しますので、そちらをご登録ください。
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どうして世間は研究に厳しいのか

2021-09-23 01:43:22 | 自然科学の研究
 研究や大学院に対する社会の風当たりは非常に強いのが常なのだが、ここ最近のそれは異常なレベルにまで達している。それはなぜだろうか。

 そもそも日本人は「普通」であることを重要視する。そして、「普通」でないのであれば「スペシャル」でなければならない、という価値観が強い。
 「普通」とは、23-27歳であれば会社に出社し、働いていなければならない。そうでないなら、なんらかの「スペシャル」を要求するのが、大学院という特殊な環境以外に暮らす一般の環境にいる人達からの要請なのである。

 その「スペシャル」を、ある人は東京大学等の大学名に委ね、ある人は学振や論文などに委ねる。

 俺自身もそんなことは何度もあった。

 「え?今いくつ?」
 「25ですけど」
 「それで学生なわけ?」
 「はい」
 「ふーん。。それでどこの大学院行ってるの?」
 「東京大学です」
 「え、、、すみません」

 と、ここまでがテンプレートであり、博士課程の頃なんかは、こういったやりとりにすっかり慣れたもんだった。最後に謝ってしまうことで「私はあなたのことを、良い年齢になっているにも拘らず、ただの道楽で自分勝手に学生を続けている、ナメた人間だと思っており、完全にバカにしておりました」ということを伝えちゃってるんだけどね。
 それも、東京大学という言葉一つで「スペシャル」だと勝手に思ってくれて、謝ってくれて、下手したら尊敬してくれるのだから、ありがたいことこの上ない。と同時に、くだらないことこの上ない。

 学歴をはじめとした、自分の有能さを客観的に表すための「言葉」というのを得れば得るほど、自分よりも無能な人の指示を聴く必要がなくなる。
 特に”東京大学”という言葉は、自分の頭できちんと考え続けることを放棄してしまった人たちを、軽く一掃するだけの力を持っている。だからこそ、現所属であった場合に、この言葉を奪われることを、彼ら彼女らは必要以上に恐れるのである。
 論文があるかないか、それによって、職や奨学金が決まったりする。だからこそ、著者に入れるかどうか、著者に入ったとしても順番がどうか、という評価の問題が、常に各大学院生・各研究者の両肩にのしかかる。

 一般社会の「普通でなければスペシャルであれ」の要請は、アカデミックのみならず、社会で暮らす多くの理系研究者・技術者にとって、重くのしかかってしまう。
 「君たち理系は普通じゃないのだから、コミュニケーション能力が、きっと無いだろう。私たちが教えて差し上げよう」
 「研究をやっている人なんて普通じゃないのだから、資材をどこかに隠すかもしれない。普通の感覚を有している私たち社会人が、もっと徹底して管理しなければ」
 「どうせビジネスのことはわからないのだろうけど、儲かることをやるのが企業ですからね!」

 俺たちにとっては、お前らなんかスペシャルではないのだから、普通であれよ、という要求を柔和に伝えてくるのである。
 
 物事や内容を考えないまま、自分の思考力を高めようとしなくても理解できる事柄しか目に入らないようにして生きていけるように、少数派である理系社会に対して、多分に要請を課し、厳しく徹底的に管理する。すべては、無能なままに有能な人材をコントロールするためである。

 それらの強制力から守ってくれるバリアは、東京大学であり、学振であり、論文の数やIFであり、アカデミックポストであるのだ。

 ねえ、僕らは、そんなことのために、サイエンスを志したのだっけ?
 違うよね?もっと純粋な気持ちで、サイエンスを志したのではないの?

 勝つとか負けるとか、それを他者に使っている限り、絶対に本質的な事柄を掌握することはできない。小さいテーマをやっていても、大きいテーマをやっていても、勝敗を人間に委ねてはいけないし、委ねられたら弾き飛ばさなければならない。

 確かに僕らは、ファラデーやアインシュタインがやったことにくらべれば、クソくだらないことしかできないかもしれないし、「スペシャル」ではないかもしれない。
 けれど、たとえば、論文の著者の順番等で争っている暇が、果たして本当にあるのだろうか。ゴールに向かってシュートを打たなければ1点にならないのと同様に、きちんと自然現象が相手であると見定めて、やるべきことを淡々とやっていかないと。

 それが、理系として誇りがある、ということだと思うのです。理系よ、世間なんかに負けるな!
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「大学院に行くなら就活しちゃダメなの?」-相談メールの実際の例-

2020-01-16 22:38:21 | 自然科学の研究
 相談メールの実際の例を紹介しようと思います。今回は2016年夏頃に送っていただいたメールから、相談者の方のご厚意で公開したものです。相談メールのルールなどについては「相談メールの目標とルール」をご覧ください。

相談文
(プライバシー保護のため、少しだけ文面を変えています)

初めまして。いきなりのメール失礼します。
私は教育大学の農学系に所属している三年生です。

8月から研究室配属が始まり、本格的に研究室生活がスタートしました。私が所属している研究室は有機合成系であり、コアタイムが9時半~19時半です。
配属される前は大学院志望でありどんだけ長くてもやってやる、という気持ちでいっぱいでしたが、いざ研究室生活が始まると思ったよりきつく、自分は研究には向いていないのかな?と思うようになりました。

また、大学二年生のころまでは創薬に興味を持っており、今の研究室はほぼ薬学部のようなことをしている、と聞いていたため当時はここしかない!と思っていましたが、薬に限らず体に良い成分などの研究に興味があることに気づき、三年生に入ってからは創薬よりも食品開発の方に興味を持ち、今ではどのように作るか?というひたすらに実験をやっていく有機合成への興味が薄れてしまいました。大学院は食品系の研究室に行きたいと思っています。

今の研究室の先生が担当されている授業の成績も悪い方ではなく、前々から「創薬に興味を持っている」「院に行きたい」などと話していたため先生の中では印象に残っている方だと思っております。

ただ、院に行くにせよ就活は経験しておこうと思い、インターンに行く機会があったため先生に報告したところ、「研究者になるならインターンなんてするな」「今のうちからそんなことを考えるようだったら研究者には向いていない」などと長時間話をされてしまいました。ちょうどその日はインターンについての説明会を受講する予定だったのですが、キャンセルしろと言われてしまいました。また、創薬ではなく食品系の研究室に行きたいと話したところ、「食品はレベルが低い研究だ」と言われてしまい、ここに来たなら有機合成の道に進みなさいといった風に言われてしまいました。
この言葉がきっかけになったわけではありませんが、自分としては興味が変わったというよりは、実際に研究室に所属してみて元々持っていた創薬に対するイメージが変わってしまい、有機合成がしたいわけではない、と気がついたのです。

先生の言うことも一理あり、研究職につくなら今はひたすら研究をしなければならないとは思いますが、自分としてはインターンなども経験したく、先生との考え方が合わないと思ってしまいました。
また現在、四年生の先輩と留学生の論文を書いていまして、なかなか実験をすることができない状態で、朝から学校に来て論文の手伝いをし、時間が空いたら他の子がやっている実験を手伝い、夜は論文紹介のゼミに参加といった生活です。。
院には進学しようと思っていますが、先生はインターンなどにいくなら就活一本に切り替えなさいと言われてしまい、どうしたらいいのかわからなくなってしまいました。また、実験をろくにすることができないため、自分が本当に研究に向いていないのか、研究が始まったら苦痛でなくなるのかわからなくなってしまい、大学院も有機合成系の研究室でなければ先生の協力が得られないのでは?と思っています。

院進学というと就活などに反対されてしまうため、もう就活一本で対策をするか、有機合成系の院に進んで今のうちから成果を出すか、一番興味がある食品系の研究室(外部)を目指すか、どうしたら良いでしょうか。今は研究室生活が辛く、どうしたらいいか胸が押しつぶされそうです。

拙い文章で申し訳ありません。
よろしくお願いします。


回答文

相談者さまへ
ご相談ありがとうございます。

メールを読ませていただいて最初に気になった点なんですが、あなたが送ってくださったメールには「研究に向いているかどうか」という記述が3回ほど出てきます。よほど「研究に向いているかどうか」が気になるのだろうなと思いましたので、まずそれについて私からコメントをしたいと思います。

一般に「何かに向いているか」という疑問は、長い期間をかけないとなかなか答えは出てきません。ましてやそれを本格的に始めていない段階では何もわからないことのほうが普通でしょう。
しかし、です。私は、「研究活動そのものに関しては誰もが向いている」と考えています。なぜなら、研究の骨格とは「問題設定→解決」で、これは人間なら生きていれば誰もがやらなくてはいけない行為だからです。「自分は息をすることが向いているだろうか?」と悩む人はいませんよね?研究なんていうものは、それくらい基本的な行為だと私は考えています。
もちろん、呼吸を整えるのが上手な人がいるのと同様に、研究にも「できる」うえでの優劣は(呼吸の仕方と同程度くらいには)あるかもしれません。そういう意味では、あなたは研究をするのが得意なほうだと思いますよ。実際に研究室の生活で何かの問題が発生しても、ネットで検索もせずただただ悩む人、検索はしてみたけど私などの相談募集者にメールしてこれない人、というのは沢山います。あなたには解決に向けて一歩踏み出す能力があるわけで、これは研究では確実に必要な能力です。

さて、その上で、あなたは”次、何を選択すべきか?”ですが、とりあえずは自分のスタイル・生活状況を押し付けてくる研究室やそこの先生から離れようと、きちんと決心することだと思います。
今は食品系の分野に興味があるとのことですが、あなたはここ数年以内であらゆることに新しく興味を持って、その順位が激変してきているのではないでしょうか?だとすると、今は「食品開発が良さそう」と思っていても、5年後には変わってしまっているかもしれませんよね?だから、とにかく今の場所から抜け出すことを前提として、「自分が嫌じゃないところ」にはどんどん足を突っ込んでみるのがいいんじゃないかと思います。ちなみに、あらゆることに興味が持てることも、問題解決するうえで必要な能力ですから、その点でもあなたは研究に向いているほうだと思います。
私なら先生に「まだ自分がやりたいことがわからないので、いろいろなところに足を突っ込みたいと思います。もう少し自由時間をください」と言いますが、こう言えますか?もし言えないのなら、「就活に絞ります」と噓をついて、それなりに就職活動をしてみて自由時間を広げ、空いた時間で外部の院などを調査したり院試勉強したりするのがいいかと思います。

つまり簡潔に言えば、「行き先はまだ決めるな!ただし、その場所からは離れようとしろ!」です。

あなたのメールには「先生の言うことも一理あり」と書いていらっしゃいますが、「一理もない」と思えるかどうかだと思います。10時間のコアタイム設定で、同じような狭い分野内で「あの分野のレベルは低い」と言ってしまうような人の意見を真摯に訊ける態度は私も見習わなくてはいけないですが、あまりに考慮しすぎるのも大変ですから、気に病むくらいなら無視してかまわないかと思います。

どうでしょうか?逃げる決心はつきましたか?


 その後、この方とは何度かやり取りをさせていただいて、先日久しぶりに連絡をしていただき、「研究室を移るか迷っていたのですが、勇気を持って先生に相談しました。研究室の先生からはやはりダメ、とのことでしたが、日頃気にかけてくださっていた先生が助け舟を出してくださり、他の研究室に移ることができました。環境も変わり、実験や知識も目指していた食品系の研究室と近いところがあり、院試も合格することができました」とあったので、非常に安心しました。かなり嬉しい連絡でした。

 参考になれば幸いです。
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異能ベーション「炭素回収技術」研究に対しての感想

2019-12-19 02:38:42 | 自然科学の研究
 最近気になっている研究開発があるので、それについて徹底的に語ってみようと思う。
 それは、現在、東京大学工学部1年生である村木風海さんの「炭素回収技術」の研究だ。以下の記事によると、『CARS-α(カルス・アルファ、“ひやっしー”と本人は呼んでいるものと同義であると考えられる)』と呼ばれるキャリーケース型の二酸化炭素単離機を開発するプロジェクトで、総務省が推進する異能ベーション2017の「破壊的な挑戦部門」に選ばれ、300万円の研究開発費を獲得したものだ。さらに、この村木さんは「世界を変える30歳未満」として、日本を代表するビジョンや才能の持ち主を30人選出する名物企画「30 UNDER 30 JAPAN 2019」のサイエンス部門にも選出されている。

 「二酸化炭素に恋をした」19歳の壮大な青写真

 異能ベーションは年齢基準等は一切なく、一般から様々なアイディアを募集し、スーパーバイザーの評価を受け、革新的な挑戦に没頭できる環境を提供するためのものである。
 記事の中では、地球温暖化の解決を目的とし、二酸化炭素を回収するためのスーツケースサイズの装置を開発していると書いてある。人工知能が搭載され会話をすることが可能となっており、ソーラーパネルをエネルギー源として用いるため環境に優しいと書かれている。特許も出願・認証されており公開されていたため、具体的にどのような原理なのかを調べてみた(以下)。

 特許の内容

 要約を読むと二酸化炭素回収についての原理は以下の方法を取っている。
・塩化ナトリウム水溶液(NaClaq)を電気分解することで塩酸(HCl)と水酸化ナトリウム水溶液(NaOHaq)を生成させる
・空気中の二酸化炭素(CO2)と水酸化ナトリウム(NaOH)を反応させることで、炭酸水素ナトリウム(NaHCO3)を発生させる
・炭酸水素ナトリウム(NaHCO3)が塩酸(HCl)と反応することで、二酸化炭素(CO2)と塩化ナトリウム(NaCl)が生じる
・上記の反応をサイクルさせることで、二酸化炭素(CO2)を空気中から単離する

 正直言って化学がそこまで得意ではない私でも十分に理解できる内容だった(全て高校化学の教科書に載っている内容である)。

 上記の二酸化炭素単離機構とそれぞれの反応を制御するためにコンピュータが内蔵されており、そのコンピュータにユーザーへの対応をするためのアプリケーションも内蔵されている。このアプリケーションへの入力にはモニターおよび音声認識機能を用いており、その指示に対しての出力はモニターへの表示およびスピーカーを通じてなされている。このような家庭・オフィス向けの小型装置を大量に製造することで、科学者だけでなく一般の人に環境問題への興味を持ってもらうことが狙いであるようだ。

以下、特許に記されている具体的な文言である。

【0088】
上述した実施形態のロボット装置本体2は、制御装置31に人工知能を組み込み、家庭用ロボットとして使用できるようにすると良い。かかる家庭用ロボットとして使用する場合、表示パネル45に顔を模した図柄を表示すると、親しみ・愛着がわくので好ましい。また、表示パネル45は、電力消費が大きいため、常時は非表示にしたり、設けない構成を採ったりしても良いが、かかる場合、顔を描いたボード・お面等を適宜位置に配置すると良い。このようにすると、親しみがわくのでよく、表示部を備えない構成とするとさらに低価格な人工知能を利用したコミュニケーションロボットとなるのでより好ましい。
【0089】
上述した各実施形態並びに変形例は、その一部の構成を適宜組み合わせて構成すると良い。また、本発明にかかる二酸化炭素回収システムは、簡易でコンパクトな構成となり、例えば、各家庭やオフィスに配置し、個々の家庭単位やオフィス単位で二酸化炭素の回収を行ったり、教育現場において化学や情報科の教材その他に利用したりすると良い。
【0090】
例えば、各家庭において例えば自宅の室内の空気中の二酸化炭素を回収する処理を行う。すると当該各家庭の住人等は、本システムの運転状況を目の前で見ることができ、二酸化炭素の削減といった温暖化対策の必要性を感じることができる。さらに、この回収システムに限らず、温暖化対策を行う契機付けをすることも期待できる。
【0091】
また、例えばオフィスの各室内等に設置し、その室内の空気中の二酸化炭素を回収する処理を行うと、当該オフィスの室内等で業務を行っている人や、当該室内に訪れた人が、本システムの運転状況を目の前で見ることができ、二酸化炭素の削減といった温暖化対策の必要性を感じることができる。さらに、この回収システムに限らず、温暖化対策を行う契機付けをすることも期待できる。また、オフィスに設置する場合、その設置したオフィスの企業・事業者は、温暖化対策に積極的に取り込んでいることをアピールできるという副次的効果も奏するので良い。
【0092】
さらに、例えば家庭とオフィスの両方に設置されている場合は、より好ましい環境と言えるが、仮に一方に設置されている場合でも、その設置された場所に関係する人は、他方の場所に行っても温暖化対策の必要性を感じ、対策を行うことが期待できるので良い。
【0093】
また、教育現場に設置した場合、空気中の二酸化炭素を回収する原理を教えつつ、温暖化対策の必要性を感じさせることができる。
【0094】
例えばオフィスの一例である会議室など狭く密閉された空間において長時間人が居続けると、室内の二酸化炭素濃度が上昇し、眠気・頭痛などの健康上の問題が起こってしまうが、本装置を稼働させることにより、それを軽減することができる。また、本装置は空気供給装置を本体内部に格納しているため静音性に優れ、音により人の活動を妨げることがない。
【0095】
以上、本発明の様々な側面を実施形態並びに変形例を用いて説明してきたが、これらの実施形態や説明は、本発明の範囲を制限する目的でなされたものではなく、本発明の理解に資するために提供されたものであることを付言しておく。本発明の範囲は、明細書に明示的に説明された構成や製法に限定されるものではなく、本明細書に開示される本発明の様々な側面の組み合わせをも、その範囲に含むものである。本発明のうち、特許を受けようとする構成を、添付の特許請求の範囲に特定したが、現在の処は特許請求の範囲に特定されていない構成であっても、本明細書に開示される構成を、将来的に特許請求する可能性があることを、念のために申し述べる。

 
 この特許技術を組み込んだ機器の実際の性能についてウェブページに記載があった。このCARS-αという装置を用いると、1時間に0.04 gの二酸化炭素を単離することが可能とのことだ。

 ここで、林野庁のウェブページより、森林の二酸化炭素の吸収量を見てみよう。樹齢40年程度のスギ15本が1年間に吸収できる二酸化炭素は4480 kgと書かれている。これは、スギ1本あたりでは298 kg/年の二酸化炭素を吸収することができるということだ。CARS-αの場合は、1年間に直すと40 mg/h × 24時間 × 365日 = 350 g/年である。樹齢40年のスギの木が1本生えている方が、ひやっしー1台を稼働させ続けるよりも約850倍効率よく二酸化炭素を吸収していることになる。村木さんは二酸化炭素の吸収効率を向上させるための研究を行っていくと述べている(CO2回収マシーン「ひやっしー」を実用化し、温暖化を止める第一歩を踏み出す!)が、850倍以上に効率を高められるのかについては疑問である。またこの動画によると、二酸化炭素単離装置のコストについてもスマートフォン1台分程度にしたいと語っているが、スギの苗木を1本400円で買うことができる点(トウヤマグリーン)からも、本当にその装置を広める必要があるのかについては考慮する必要があると考えている。植物の写真を取るだけで、その木が1年間にどの程度の二酸化炭素を吸収しているのかを計算するアプリケーションソフトを作った方がよほど有意義なのではないかとまで考えてしまう。

 正直言って、このプランニングで、血税から300万円もの出資があったことに驚いた。こちらのサイトによると、300万円をかけて21台を生産し小中学校に配布したと書いてあるので、単純に計算すれば1台14万円である。二酸化炭素の単離効率が高いとは言えない装置を20台以上も量産するよりは、(もちろん結果論ではあるが)この予算を使って小中学校内に植物を植えた方が二酸化炭素の吸収といった観点からは、圧倒的に効果が高かったのではないだろうか。

 一般に科学・技術が、”きちんと正しく”評価されるには2通りの可能性がある。
 1つは、科学的に新しい原理であり、既存の現象が説明できること。もう1つは、発明された直後で原理はよく分かっていないが、既存の技術に比べ圧倒的に良い数値が出ていることである。この2つのどちらも満たしていないにも拘らず、評価されている場合は、何か別の力が加わっているケースが多く後に不幸な結末を迎える場合も”ありまぁす!!”。このCARS-αという研究開発については、その計画についても結果についても、なぜ評価されているのか、私にはよく分からなかった。
 しかし、異能ベーションで採択され、実際にものづくりをしたという実績があるからこそ、彼は、東京大学工学部の推薦入試に合格したのであろう。だとすれば、かなりの(サイエンティフィックな)オフェンスに晒され、高い競争率を勝ち抜いてきたのでは、と勝手に想像するが、インターネット上で得られる情報の限りでは、そのような革新的な成果を私自身は感じることができていない。「年齢のわりに」とか「若いのに頑張っている」ということはあるのかもしれないが、最先端の研究をしている若い子はたくさんいる。環境問題が重要課題なのは理解しているが、選択と集中の名の下に、それだけでこのような評価を与えていいのだろうか、と思ってしまった(この考察は想像に想像を重ねすぎではあるが)。

 何か私が気が付いていないことがあるに違いないと思い調べてみると、現在、単離した二酸化炭素をどのように利用するかということについての研究開発も進めているとのことだ。
 例えば、こちらで書かれている内容によると、藻類に単離した二酸化炭素をグルコースに変えてもらうと書いてある。この場合、空気から二酸化炭素を単離する行程を挟む必要性があるのかといった点について疑問が残る。

 アルミホイルを利用して二酸化炭素をメタンに変えるということを書いてある文章もあるが、特殊な合金の存在下で高温・高圧条件で成り立っていた反応が、アルミホイルに変えただけで、家庭・オフィスにおける安全が担保される条件で起こるとはとても思えない。本当ならば確かに革新的であり、私の専門である生命起源にも関わるので論文化されるのを楽しみに待ちたいと思う。

 最後に、彼が話しているYouTubeを見て欲しい。

【Kazumi Muraki】Turning CO2 Into Human’s Best Friend
 

 この中で、海外の例を挙げて「二酸化炭素を単離する工場は既にあるが、それは一部の科学者しか関わらない」と述べており、「意識改革をしたい」「それが投票などに繋がれば」という文系的な視点も持ち合わせていることが、自分の研究の意義であると述べている。
 彼が言うように「本当に地球温暖化を解決しようと思う」のであれば、「普及させる」という大義名分を盾にして効率的でない方法で二酸化炭素を単離する計画に出資するのではなく、原理原則から考え直し本質的に必要な研究にきちんと国家が出資することこそが、重要なのではないかと私は考えている。
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理系アカデミックの論文システムとマルチ商法の類似性

2019-04-21 22:28:20 | 自然科学の研究
 「手を動かすだけで、確実に論文になる」
 こんな言葉を囁かれ、多くの大学院生や卒研生、そして最近ではもっと幼い子たちが騙されて、研究室で搾取されている現状があることを、世間ではあまり問題視しない。

 大学の研究室は、私立国立国内外を問わず、人手不足であり資金不足である。それはそもそもの予算の絶対量が少ないからである。
 そもそもカネがないのに、大学院重点化等の問題も手伝って、ポスドクや名ばかり役職の公募に大量の若手研究者が応募し、少ない賃金で搾取されている。そう、人はたくさん余っているのに、各研究室は人手不足なのである。安い労働力として使われている彼ら彼女らは博士号を取得した、世間で言うところのエリートだ。これら非正規雇用を確保するだけでも大変なのに、毎年のように、得てしまった少額の科研費に対しての成果報告をしなければならない。その時に重要なのは、論文が出たかどうか、である。

 「いかに論文を書くことに最適化させるか?」
 これが研究者に課せられた唯一の使命であると信じている若手研究者・大学院生は大勢いるだろう。学者としての本来的な実力など無くても良く、本質的には非常にくだらないテーマでも構わない。とにかく論文を出すことが重要であり、そのためであれば「生命とは何か?」「生命起源」等の大きな題材と無理矢理に繋げることも、大した関連性がなくとも「ガン治療薬になりうる」と言うことも厭わない。生きていくためには、嘘と真実のファジーな部分を見極めるのが重要であり、「あえて言わないことは嘘ではない」と自分に言い聞かせて、とにかく論文だけを量産し生きていく。

 残念ながら、この程度で済んでいるならば、アカデミックのなかでは、まだマシである。

 中堅世代の研究者は、もはや後戻りができない。いまさら企業で働くことも難しく、引けない自分にさえも気がつけていない。
 だから、安い労働力を確保し、安い労働力も難しいとなれば、彼らよりももっと若くて純粋な大学院生や学部生、そしてヘタすれば中高生からも搾取しようとしている。そして、冒頭の言葉に繋がる。
 「手を動かすだけで、論文が書けるよ。早いうちに書いて、博士号を取得しないか?」
 「え、でも、D進するお金ないですし」
 「大丈夫だよ、早く論文を書いていれば、だいたい学振は通るからね。君は、見込みがあると思うよ!」

 いつのまにか、理系アカデミックは、論文を神とした宗教になってしまった。
 再現性と再現性を軸にした論理構造を神とした宗教である「科学」を信仰する者よりも、理系として大学に残る者の多くが、論文を神として信仰するようになってしまったのだ。だから、バイオ系なのにピペットマンの使い方すらも儘ならない者がSNS上で大学教員を自称していたり、誤差論や統計処理も覚束ない状態で平気で研究活動を行い、グラグラの足場の上で「論文を出した!!」と意気込んでしまうのである。そして、論文教信者が最も崇めるジャーナル”Cell, Science, Nature”の再現率は3割にも満たないとのデータすら存在する。

 彼らは、常に「手」を探している。いかにして、マンネリは崩さずに、少し手を加えるだけで、論文という財産を手にできるか?
 そして、いざ論文を書こうとする段階になると、搾取される側の若い子は、著者には入っているが、第一著者ではなかったりする。
 「この研究は、もともとアイディアは彼が出したものだし、論文早く書いちゃった方がいいでしょ。うちのルールでは第一著者は論文を実際に書いた人にしているんだ」
 ずらっと並んだ共著者たち。そのなかに、自分の名前があることに、小ささを感じる。本当に全員が納得した文章なのかどうかもわからないのに。

 ・・・そう、アカデミックのシステムは、もはや、論文を中心にしたマルチ商法詐欺に近い。

 「この分野は努力しただけ結果が出るのは間違いないよ」→どこのMLM(マルチ・レベル・マーケティング)のセリフですか?
 「論文を書いて、世界発信力を身につけよう」→大して役にも立たないキラキラ内容でSNSで目立って、こんだけ儲けられますよー、ってやつですか?”意味がなく””誰の役にも立たない”ところまで、ネットワークビジネス等とそっくりですね。
 「とにかく論文を書こう。それが業績になって、有能かどうかの証明にもなって、ポストも得れる」→単一化された評価基準でヒエラルキー作るところとか、完全に洗脳のそれじゃないっすか。
 「この研究は、あのノーベル賞受賞者のー」→すごい人も参加していることを示して、ネットワーク全体を安全なものに見せようとする手法ですか?

 “身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ”とはよく言ったものである。今は辛くても、後参入してくる人たちもいるし、すでにうちの研究室には技術もある。
 君が手を動かしさえすれば、論文が書けて、君もみんなもこれから入ってくる人も、みんなハッピーになるよ。

 世の中では、ブラック企業や長時間労働が問題視されている。幼い頃から周囲よりも頭が良かった人にとって、”大学に残る”という選択は夢のひとつでもあるだろう。
 とりあえず今は本質的な研究ができなくても、まずは論文生産のノウハウを学ぶために、手を動かすだけの研究をすることも、一つの勉強かな。こう思ってしまうのは、無理もない。どんな人でも、"ラクして生きていきたい"という悪魔の囁きを、完全に無視することは難しい。

 もちろん、今日書いたことが理系アカデミックのすべてだとは、俺は思っていない。分野によって、実験理論によって、研究室によって、大学によって異なるだろう。そして、これを読んで、認知的不協和を起こし、「こいつもやっぱり、企業に行ったから、アカデミックを批判し始めたか。俺の想定通りだなぁ」などと、バカなコメントがつくことも当然想定している。俺は、そういう「無能な状態のままに後戻りできなくなってしまっている」人たちを、少し哀れんでいるだけだ。
 論文を神だと思っている人の洗脳を解くのは簡単ではない。通常の詐欺や洗脳は、平均的な賢さの人を相手にすれば良いが、アカデミックではそうもいかない。このような書き方をすれば、表面的にはロジカルな、もしくは一見するとロジカルに見えるようなリアクションが返ってくるだろう。ただでさえ、洗脳されて搾取されている相手に、真実を突きつける行為は、反発を食らうだけだしね。「わかってない!」「話しても時間の無駄だ!」「価値観が違う!」ってね。

 当たり前のことだが、だからといって、大勢の人に一般就職することを勧めているわけではない。日系企業など、たいていは洗脳そのものである。当然、起業やフリーランスを勧めているわけでもない。厄介なことに最近は、"脱社畜だ!"なんて掲げる洗脳も、手を替え品を替え、あらゆる分野で流行っているしね。
 洗脳するか洗脳されるかの社会であるし、そもそも洗脳されようが怪しい宗教にハマろうが、その分のご利益があるならば何も問題はないのである。だからね、、何事も、本当にその先にご利益があるかどうか、「待てよ」と一度冷静になって、考えてみて欲しい。ご利益があると期待できるならそのままでいい。でも、研究者として、独立した個人であるならば、何かを信仰するよりも先に、疑う気持ちも忘れないで欲しい。

 これを書くことで、(少なくとも一時的に)傷つけてしまうアカデミックの人もいるだろう。・・・まぁ、、アカデミックの人だけならまだ。。
 ごめんね、でも書かざるを得ない。思考が止まらなかった。
 
 “自分は、今現在もずっと、搾取され続けているのかもしれない”
 どんなに良い状況の人も、どんなに自分は大丈夫って人も、今一度こう考えてみて欲しい。それこそが、あなたの未来をより善くすることに繋がっていると思うから。
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「基礎研究」って言うな!

2018-12-04 19:00:00 | 自然科学の研究
 あらゆる理系の研究領域が存在している現代において、「そのなかで成り立つ研究」というものが、あまりにも乱立されてしまった。
 それってさ、ぶっちゃけ「内輪だから成り立ってるだけでしょ?」ってことであっても、「でも沢山引用されてるんで!」とディフェンスできるようになってしまったのだ。

 まぁ、そういうことって、ほかでも沢山あるよね。バンドとかでも、友達に無理にチケット売らなかったらいけない状況で、友達脅してでも集客したほうが偉い、みたいなさ。いやいや、友達売ってまで伝えたい音楽って、なんなん?って思っても、それで評価されちゃったりすることあるわけですよ。
 研究も全く同じで、本当はこういうことがやりたい、って気持ちで大学院に残ったはずなのに、「でも、この分野では、こういうやり方は受け入れられないから、慣習通りにやろう」とか先生から言われたりするわけで、「やりたいことをやりたい方法でやる」ことが重要なはずなのに、そういう気持ちを売ってまで、「やりたくないことを、やりたくない方法でやって、とにかく論文にする」ってことを、みーんなやってたりするわけです。

 誰かが「そんなん、やーめた。学問上、本質的に必要なことだけを好きにやります」って言えば良いわけですが、それを言った瞬間に「はい、じゃー、アカデミアから出て行ってください。明日から居場所は世界中のどこにもありません。この分野で生きていきたいくせに、そんな生意気なこと言うヤツはいりません」みたいな扱いを受けるわけです(実体験w)。

 なので、アカデミック界隈にいる平均的なヤツが、たまーに、俺みたいな変なヤツから、『それって、そもそもどういうモチベーションでやってるんですか?』とか訊かれると、本人も価値を感じてないから「基礎研究としてー」とか言い出すわけですよ。だいたいね、学会でもなんでも、みんな方法論はよく質問するけど、モチベーションとか意義とか、ほとんど質問しないからね。「何の役に立つんですか?」とかドヤ顔でいうバカな文系がその典型で、それって意義を訊いてるんじゃなくて、ただ(どこに応用できるかの)方法論を訊いてるだけでしょ。
 その分野のヤツ全員「それをやる意義がわかってねー」ってことあるわけよ。で、そういうところに、何千万円とか税金使ってたりしてさ、、ヤバいじゃん。だから、必要な研究にだけ投資する、みたいなことを考えるわけじゃん?でも、フーリエ変換すらできないくらい、理系的実力が何もないヤツらが、「俺らは"需要"は把握してるー」とか勘違いして、カネ出すかどうか決めてたりするので、超必要で重要な研究から駆逐されていっちゃってるわけです。

 そんなわけで、最近本当によく思うわけ。意義ねーことをやる大義名分として、やたらめったら気軽に「基礎研究」って言うんじゃねーぞ、って。せめて、本人が、自分自身の職の安定や学位取得以外の、(研究内容における)本質的な価値を感じてろよ、と。
 そのせいで、本当の基礎系の分野が、ものすごく苦労している。「無駄なことしてる」って自覚してるんなら、「本当はあんまり意味ないんですけど、慣習として…」ってせめて言えよと。そうすれば、納得してくれる人もそれなりにいるはずだし、たとえ反発されて怒られても、意味ねーことに血税使ってるお前が悪いやん、って思わん?

 あとさ、これはバイオ系に言いたいんだけど、、お前らバイオに基礎系の分野とか、ねーから。バイオの基礎ってなに?具体的に言ってみろよ。ただの切手集めと同じ枚挙主義だろーが。バイオで"基礎研究"とか言ってるヤツは、オタクとかコレクターと何も変わらん。
 純粋数学は基礎だけなので言わずもがなですし、物理は、どの分野でもニュートン力学から脈々と続く一つの論理体系に帰着されていくという"基礎"がある。化学だって、新しい反応機構の発見はこれまでの基礎に組み込まれるわけで、分子マスターになるためには必要だったりするわけですよ。で、バイオはあるの?ないだろ?「これはこれ、それはそれ」みたいなのは、基礎とは言わねーんだよ。

 バイオで基礎やりたいなら、「生命とは何か」やらなあかんわけで、だったら、その根幹となる物理勉強してんだよな?って思うわけですよ。だから、生物学科上がりで「バイオの基礎研究してまーす」なんてのは、99.9%、その場凌ぎのイイワケ言ってるだけですから。

 つーわけで、「基礎研究」って禁句です。
 俺の前で言うときは、覚悟を持って言ってね。
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ピペットマン使用時に1つでも行なっていたらバイオ系じゃないリスト

2018-09-10 00:43:19 | 自然科学の研究
 3年ほど前、Facebookを見ていると、ある研究室の先輩が結婚したとの写真をアップしていた。そんなに親しいわけではない先輩で、私の周囲には、融合分野の研究者は多いが、がっつりバイオ系の研究者はそれほど多くはなく、でも、この先輩はがっつりのバイオ系だった。
 日常、よくあることである。SNSをだらだら見ていて、大して関心のない人が結婚したとの写真に遭遇する。でも、私はその時、その先輩がアップしたある写真を見て、かなり考え込んでしまったのだ。それは、結婚式会場のウェルカムボードに描かれた、先輩を模した動物が手にしている、ピペットマン。

 ・・・そうか、この人にとって、ピペットマンというのは、人生の門出に登場するほど、生活の「相方」にも匹敵する存在だと、(少なくとも絵を描いた方には)思われているのだなと悟った。
 それと同時に、少し違和感も残った。ピペットマンを手にしたその動物は、手だけが完全に固定され、顔は違う方向に笑顔を振りまいている。決してピペットマン本体を注意深く見ているわけではないその動物が、何かを描像しているように感じたのだ。創作物は創作者の心情を表すことが本当だとすれば、きっと何度か「ピペド」と唱えながらこの絵を描いたに違いない、と直感した。

 (少々前置きが長くなりましたが、)バイオ系の人にとって、それほど大きな存在である「ピペットマン」。それだけ大きな存在であるのに、ピペットマンの使い方を熟知して実験している人は案外少ない気がします。ピペットマンはただ液体を吸引・吐出するだけの機器ですが、その使用に関しては、かなり面倒なことが沢山あります。ここで、今一度、私が普段から厳禁だと思っている、ピペットマンの使用について以下で述べようと思います。
 ちなみに、ここではギルソンのピペットマンについて述べるので、他のマイクロピペッターや、同じギルソンでもマイクロマンなどについては述べないので注意。

 以下は、行ってはいけないこと、そしてその理由、です。

①チップをトントン叩きつけて取り付ける
 チップを必要以上に奥に突っ込もうとしたり、ましてや思いっきりトントンするのはピペットマンの先端を消耗させ、リークなどの原因になります。絶対にやめましょう。軽くねじって取り付ければOKです。チップラックは、コンタミしにくいように、手前から使うことが重要で、好き勝手なところからチップをとらないでね。これは後の注意にも繋がりますが、チップを手で取り付け直す場合、チップをぎゅっと握るのはNGです。温度差が発生してしまいます。

②目盛を両目で合わせる
 目盛は利き目だけで正面から合わせないと、誤差上げる原因になります。つまり、利き目どっち?と訊いてみて、答えられなかった時点で、実験バイオ系失格です。目盛は、片目を瞑って、量の多いほうから少ないほうへと合わせましょう。下から合わせると、歯車の遊びがあるので、また誤差の原因になります。意外ですが、これも系統誤差の原因になりますので注意しましょう。

③4°C以下or40℃以上の液体を平気で吸引する
 ピペットマンの天敵は、温度差です。温度差で内圧が変わってしまったら、正しい量で吸引・吐出はできません。ギルソンで4〜40℃までですので、気をつけてください。一応、70℃までOKと取扱説明書には書いてありますが、推薦は4〜40℃です。それ以外の温度を吸引する場合は、系統誤差が発生していることを必ず認識して、吸引しましょう。

④斜めから吸引する
 ピペットマンでの吸引は必ず垂直で行うこと。斜めから吸引すると、実際の量は少なくなってしまいます。仮に45度の角度で吸引した場合、誤差率は最低でも5%上がると言われています。200ulで吸ってるつもりが190ulとか、ヤバすぎでしょ?

⑤チューブの底面から吸う
 吸引は必ず液面から浅いところで行うこと。液面から深く刺して吸引すると、水圧で目盛よりも沢山取れてしまいます。これも基本中の基本ですが、急いでる時など注意しましょう。
 それから、なるべく液面の中央部分を狙って吸うのもポイントです。壁面だと系統誤差が大きくなります。

⑥吸引してから吐出までが早い
 吸引はゆっくり行うこと。巨視的には吸引を終えていても、実際に目に見えないところで吸引中であることも多々あります。特にP1000では、吸引に6秒は待つことが推奨されています。吐出もいきなり第二段階まで押さないこと。第一段階を経てから、第二段階までそっと押すのがお作法です。
 もし定量的な実験をするなら、何度か同じ液体を吸引・吐出をゆっくり繰り返し、ピペット内部の空気を平衡状態に近い状態にすると、より誤差を少なくすることができます。

⑦使用後、目盛を最大にすることを怠る
 使用後、特にラボを去る時は、必ず目盛を最大に戻しましょう。ピペットマンの目盛はバネで調節しています。長時間ピペットマンを使用しないなら、バネを自然長に戻しておかないと、経年劣化が極端に早まります。すぐに、正しい量で吸引・吐出ができなくなりますから、注意が必要です。

 上記を心がけていても、ピペットマンそのものがコンタミしていたら、意味がありません。先端部分の部品を分解して、錆びていないか塩析していないか、中まで確認したり、Oリングを確認したり、点検を必ず月1回は行うようにしましょうね。
 どんなに正しく使っていても、3-5年で、先端部分は買い替えが推奨されています。エアロゾルの発生は、どうしようもありませんから。近くに古そうなピペットマンがあったら、ぜひチェックしてみてくださいね。

 でも、おそらく、ここに書いたことは、30年後には完全に意味がなくなっているでしょう。ラボオートメーション化が進み、殆どの研究者が分子生物学実験用ロボットを使用しているだろうから。
 30年後にSNSのようなものがあって、誰かバイオ系の人の結婚式の写真を見たときは、ウェルカムボードの動物が自然現象そのものと既存の理論だけを見つめ、ピペットから解放されていて欲しいなっと小さく思っていたりする。それは何かしら痛みを伴う変化なのかもしれないけれど、私たちにとって重要な変化だと思うのだ。

 そして、その第一歩として、正しく自然現象という名の現実を見据えるようになる第一歩として、まずは、生物学実験を実際に行う多くの方に、ピペットマンを正しく使用できるようになって欲しいなと願っている。
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「研究のモチベーションが保てません」-相談メールの実際の例-

2018-08-14 22:19:03 | 自然科学の研究
 このブログで募集してます、相談メールで、実際の例を紹介しようと思います。以下は相談者の方のご厚意で公開したものですので、現在のところ、特に希望されない場合は公開などは一切しない方針です。
 相談メールのルールなどについては「相談メールの目標とルール」をご覧ください。


相談文
 (プライバシー保護のため、少しだけ文面を変えています)

 こんにちは。
 ここ数ヶ月、研究について悩んでいまして、相談に乗っていただきたく、メールしました。
 正直になるべく全部書きます。今のところこの話は誰にも話していません。また、僕の精神状態については全く問題ありません。

[背景]

 回答の際に参考になるかもしれませんので、少し私の経歴を書いておきます。私は某大学の農学部を出て、同じ研究室で修士をとりました。修士では今とほぼ同じテーマで研究をしていて、博士からは共同研究先の他大の研究室に移ることにしました。少し目新しいテーマだったからか、学振DC1に採用されました。
 博士に進学して、1年目は失敗しました。僕のテーマは野外で行うもので、ある生命現象の季節変化にフォーカスをあてたものです。元々計画がずさんだったうえに天候不順でろくにデータがとれませんでした。1年目の冬からは教授が提案してくれた室内での実験を始めました。セッティングさえすれば学部生でも出来る実験です。それでも実験の設定に苦労して、このあいだ、ようやく結果がでました(大方予測どおりですが、特に嬉しくもありませんでした)。問題は、この実験とは別に計画していた野外実験に今年もまた失敗してしまったことです。室内実験との両立がうまくとれず、さらに機械のトラブルなどもあっての失敗です。結局教員に言われた実験でしか結果がでていないというのが現状です。

[やめたい理由]

・テーマに価値を感じない
 正直、今やっているテーマが面白く思わなくなりました。価値が感じられないんです。修士のころは、研究テーマにそれなりに価値を見出して、さらに身につけるべきスキル(プログラミングなど)を習得ながら目の前にある問題を必死で解決しようとしてきました。そのため一日のうちかなりの時間を研究室で過ごしていました。しかし、博士になって、一通りのことができるようになり少々ゆとりをもって研究をするようになってから、だんだん周りが見えるようになってきて、自分の研究テーマがどういう性質のものなのかが、恥ずかしい話、D1の後半あたりになってようやく理解できるようになりました。
 僕の研究テーマは、生命系の中でも応用よりのテーマです。うまくいけば農業などの役にはたつかもしれませんが、科学としては本質的とは決していえない。科学というなら、現象のメカニズムを解明するべきだ、そう思うようになりました。僕が今やっているのは、すでにある現象を利用するだけのことですから、サイエンスとしての価値があるのかというとかなり怪しいと思います。こんな簡単なことに気づくまでに何年もかかってしまったことが、とても悔しいです。自分で何も考えずにやってきた証拠です。
 今のところ、上に書いた実験で結果は出ているので、それで論文を書いて、これから計画を立て直して頑張れば、それで博士は取れるかもしれません。その過程で、何かしら得るものはあるでしょう。でも、上のようなことを思ってしまった状態で、最後まで頑張れるか、自信はあまりないです。
 僕は修士まで、研究で結果を出せば何者かになれるかもしれない、そう考えてきました。それまで、本当に不器用で、特に取り柄もなかった自分に、研究という、意義のある・頑張れる・打ち込める対象ができた。それがとても嬉しかったんです。でも、今はなんだかその頃とは変わってしまいました。できれば研究室にいきたくない、と思うところまで来てしまいました。この状態は少しつらいですが、あの修士のころの状態のまま突っ走っていた場合を考えると今のほうが幸せなのかな、とも思います。

[やめたい理由の奥にあるもの]

・単なる失敗からの逃避
 「サイエンスとは〜なんて高尚な言葉を隠れ蓑にして実は研究から逃げたいだけなんじゃないの?」と、自分に対して思ってしまいます。研究なんてうまくいかないことだらけなのですから、そんなことでやめたいと思うような弱さは克服しなければいけないと思います。「仮に、研究が万事うまくいっていた場合、研究室をやめたいなんて言ってないんじゃない?」と言われてしまうと完全には否定できないのも事実です。それまでのもやもやを抱えながら博士を取るかもしれません。「うまくいかない」と「やめたい」が同時に起こっているため、両者に因果関係があるのかないのか、わからないんです。

・指導教員からの逃げ
 指導教員は普通にいい人だと思います。何かを強要されたことは一度もないですし、こちらから行けば必ず自分の手を止めて話を聞いてくれて、アドバイスをくれます。ただ、指導教員からは、少し噛み合わないというか、なんだか見透かされているような感覚を感じてしまいます。ちょっと、話しかけづらいです(そのためなんとか自分だけで無理やり解決しようとしてきました。それも良くなかったのかもしれません)。

 僕は単に失敗から、研究から逃げているだけなのでしょうか。たかはしさんがこのメールを読んでどう思われたか、聞かせていただけませんか。

[辞めたあとどうすんの問題]

 今の研究室をやめて、テーマを替えて別の研究室に移ることも考えましたが、今のところ特にしたいことはないです。上のような調子(「テーマに価値を感じない」の最終段階)ですから、研究そのものが僕はあまり好きではないのかもしれません。今後どうするかは、やめることを決めてからゆっくり考えようかなあと思っています。甘いでしょうか?
近々、企業の説明会のようなものが大学で開かれるらしいので、それには参加するつもりです。現在、起こしている行動といえばこれくらいしかありません。


回答文

 ご相談有り難う御座います。
 たかはしけいです。

 メールを読ませていただいて一番に感じたのは、貴方は「研究者としての強い理想」をお持ちなのだなということです。
 貴方のメールには、自身の研究テーマについて「科学として本質的とは決していえない」と書いてあり、そのすぐ次に「サイエンスとしての価値があるのかというとかなり怪しい」と書いていますね。よほど、今の研究があなたの理想とはかけ離れているんだと、思っていらっしゃることがわかります。

 さて、貴方が考える、本質的な、価値ある研究とは、どのようなものでしょうか?

 あくまで、私の考えですが、「価値ある研究は、原理的に行えない」と思っています。これでは意味が分かりませんね。説明します。
 まず、確実に「価値あるテーマ」と認識して行っている研究行為には、意味がありません。価値があるかどうかわからないことについて、価値があるかどうか確かめようとする行為を「研究」と呼ぶのですから。もし最初から「これは価値あるテーマだ」とわかっているなら、それは研究とは呼べないでしょう。なので、研究を行うためには、論理性や情報収集以上に、「これでやってやるぜ!」と思い込める勇気が必要です。
 そして、勇気と論理性と情報収集と日々の実験や考究の結果、幸運にも、自分のテーマが価値あるテーマだとわかった、としましょう。だとすると、その研究は、その時点で死に絶えます。だって、価値があるってわかってしまったのですから。その価値が明らかになった時点で、すべてのアカデミックっぽい行為は、研究から「ただの作業」に移行します。あとは、他の人達に「これは価値あるよー」って伝えるだけになりますからね(それは即ち作業です)。
 この繰り返しを行うことは「本質的な研究活動」だと思いますが、、「価値ある研究」というもの自体は原理的には存在しえないのではないでしょうか。

 お気づきの通り、研究は「賭け」です。残念ながら、誰もが永遠に勝つことはありません。なぜなら、「飽くなき探究」を繰り返し続ける必要があるからです。勝つことがないことが決まっている賭けに、どれくらい本気になれるか?というのが大事だと思います。
 勝つことはありませんが、「負けない」ようにすることはできます。「負けない」ためには、まず、どんなことがあっても、研究をやめないことです。

 なので、今のテーマが、大した価値がないとわかったのは、立派な結果だと私は思います。それは、誰からも称讃を浴びないのだとしても、「やれるだけのことはやったのだ」と自分自身に対して胸を張っていい結果なのです。たしかに、一つひとつの行為は誰でもできるかもしれませんが、その価値観に気がつけるかどうかということについては、必ずしも誰にでもできるわけではないのではないでしょうか。

 それから、先生に手助けをしてもらったことを恥じる必要はまったくありませんよ。自然科学分野の研究者にとっての敵は、先生でもなければ、競合分野でもなければ、同期の院生や、先輩でも後輩でもなく、当然ネットで厳しい理想を掲げる誰か(私もその一人かもしれませんが笑)でもなく、自然現象そのものなのですから。圧倒的な自然現象に比べれば、自分に敵意を向けている人だって味方です。ましてや、指導教員は貴方の圧倒的な味方です。そこをお忘れなく。

 というわけで、モチベーションをその部分に持てないでしょうか?つまり、私にはどうしても、今度は貴方ができる限り頑張って、味方である先生にトクをさせてあげて欲しいなぁ、と思ってしまうのです。
 現代社会、「普通にいい人」というのは、ものすごく少ないです。アカデミックなら尚更にレアです。「普通にいい人と関係性がある」ってことは貴方の貴重な財産ですから、その関係性を持ってくれている指導教員の先生に対して、ガッカリするような気持ちにさせたり、悲しい想いをさせてはいけませんよ。今のところ、先生は、自分自身で研究の価値を考えようとしている有能な院生に対して、期待しているはずですから。そして、私は貴方に、「有能」であることよりも、まずは、「優」しさが「秀」でている状態である「優秀」であることを、期待します。どんなにプログラミングができても、どんなにあらゆる実験ができても、どんなに計算ができて、どんなに記憶力が豊かでも、優しくなかったら意味がないですから。
 だから、まずは、「普通にいい人」である指導教員の先生がおそらく欲しているであろうことを、行ってあげること。即ち、今のテーマを(大した価値がないのだとしても)しっかりと原著論文にまとめて、カタチにすること。そして、できれば、新しいテーマを持ってきて、「今度は、俺がお前に、トクさせてやるんだ」と思えるくらいにまで、実力を高めたら良いんじゃないかと思います。

 最低でも原著論文に書いてまとめてからでも、次の行き先を考えるのは遅くないのではないかと思います。もちろん、先生のために研究室に残れ!、なんてことを言うつもりはありません。学生はお金を払っているわけで、その対価として先生は普通のことをしているだけなのですから。
 でも、次何をするにしても、「情」がある人が必ずいつかは成功するでしょう。その「情」を何に対して向けるかが重要だと、私は思うのです。その点をぜひ考えてみてください。

 少しでも参考になれば幸いです。
 また、いつでも連絡してください。では。

*********************************************

 【コメント】
 「自分がやってきたことに価値がないと悟り始め、自分自身に対しての自信を見失っているとき、どのように自分を納得させますか?」
 今回、私が相談者の方のメールから読み取ったのは、この部分です。そして、やめたくないんだ、という気持ちも伝わってきました。この質問にどのようにメールを送るか?というのがポイントだと思いました。

 昨今、インターネットが発達してしまったせいで、あらゆる分野やあらゆる業種などで、「どこまでが本当で、どこまでが強がりなのか」が見えづらくなっています。若い世代にとっては特にそうなんじゃないかと思います。
 研究界隈で言えば、たとえばネット上では「自分自身でテーマを決めなくちゃいけない」「そうでなければ、研究者として、博士号としての価値はない」と言われることが多いですが、私の実際の所感では、多くの人が「与えられたテーマのなかで、自分で少しだけ内容をずらす」ということを「テーマを自分で設定する」と言っているように感じています(実験・理論、分野に関わらず)。本当にゼロからテーマを設定し、自分がやりたいことを追及するのであれば、いくつかの研究室を縦横無尽に動かなければ到底不可能ですが、そのようなある意味「政治力学に反するような行為」を正当化するコメントは、インターネット上にそう多くはありません。

 にも拘らず、ネットで目立つタイプの研究者の方や大学院生の方は、「俺はこうやって、単身で、研究を進めてきた!業績も出してきた!」と表面的には嘘ではない強がりを語ります。私もその一人かもしれません。そして、そのせいで、自信を喪失してしまう真面目な(若い)人もいるわけです。
 確かに理想を言えば、研究者として、その卵である博士課程の学生として、「自分できちんとテーマ設定を行い、それを進捗させるだけの孤独」に耐えなくちゃいけないのかもしれません。でも、そのような厳しい正論ばかりが、アカデミックの社会をより良くするわけではないことにも、そろそろ注意をむけなければならないと、私は思っております。

 その一つの答えとして、私が今回挙げたのは、簡単に言えば「仲良くすることが重要なんじゃないか」ということ。「仲良くしたい」なんて甘いこと言ってたら、確かに、博士号には値しないのかもしれません。でも、それでも、他者から甘っちょろいと言われても、私はそのほうが、重要で精緻な真実を自然界から抽出できる可能性が高いんじゃないかと思っています。そして、私たちは、承認なんかよりも、自然現象を掌握したいという気持ちのほうが強いはずだからこそ、アカデミアに所属してきたはずです。

 「敵は、自然現象のはずだ」
 私が修士課程の学生のときに、声を荒げてそのように指導教員に言った時、私はきっと、彼らともっと単純に、ただ仲良くしたかったのだと思います。そんなことを想っていた甘っちょろすぎた自分が、この相談によって、少しだけ救われた気がします。
 相談してきてくれて、本当にありがとう。相談者さまに、あの頃の私に代わって、心からお礼を申し上げます。
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卒研配属以前に早くから研究室で研究することと援助交際の類似性

2018-03-07 00:08:39 | 自然科学の研究
 私は昔(大学時代)から、卒研配属以前の子(つまり大学1年生や2年生、最近だと高校生・中学生など)が定期的に研究室に出入りして実験したり研究したりすることに、基本的に反対している。(この記事は理系に限る)
 この"早期に研究室で研究する行為"について「善くないんじゃない?」と言うと、「なんで?」とか「早くから研究するんだから、業績も出やすいし、良いじゃん」とか言われることが多い。みんな、"早期に研究し始めること"、つまり、いきなり終状態を体験することを無条件に善しとしていることに、私は強い違和感を覚える。

 私の意見に否定的な彼らから、まず感じるのは「教育の終状態は研究」という前提だが、これは完全に間違っている。(中等or高等)教育には、研究とは別に、広く社会人として、もしくはその分野の専門家として「知るべきことを知る」「理解すべきことを理解する」という目的があるわけで、研究ができているから即ち教育課程はすっ飛ばしても良いはずだということはあり得ない。よーするに、研究を始める前に理解すべきことを理解すべきであり、研究やそのための実験をしている時間があるならば、まずはきちんと座学を理解すべし、という至極当たり前の立場を私はとっている。(他にも、アルバイトや(学業系以外の)サークル活動や同年代の普通の子との交友関係なども、大切だと思う)
 と言うと、(自分のことを)早熟(だと思いたい気持ち)の子達は「自分の興味のない勉強をしている意味は無い。これ以上、興味の無い勉強はしたくない」という生意気なことを言うことがある。しかし、それこそが問題で、学生が本当に学ばなくてはいけないのは、自分が"今は"興味を持っていないし価値も感じていないが、無理矢理に学ばされることによって、はじめて、興味を持てたりその価値に気がついたりするようなことである。この下地があって、やっと、最先端で「何をしたら楽しいだろうか?」ということがわかるようになる。

 専門性とはインプットとアウトプットの時間の長さだ[1]。たとえ、本人に最初から強い学びの主体があったとしても、何かの明確な下地がゼロで、ただの興味関心だけで、ネット上(当然、原著論文も含む)の関連項目を見渡していくように「自分のやりたいこと」を見つけても、それは長続きせず、かなり長くても2年くらいで厭きてしまうようなことなのではないだろうか。
 そして、それをすることを喜んで引き受けてくれる研究室というのは、"その程度"の研究室だということである。つまり、きちんと教育課程で理解すべきことを未だ理解してもいない状態の君を受け入れてくれるような研究室主宰者は、基礎を蔑ろにした状態で、本来のサイエンスとは関係のないことをしながら、キャッチーな言葉で誤魔化している可能性が極めて高いのだ。だから、彼ら(早熟な子もそういう研究室主宰者も)は、とにもかくにも専門用語を使いたがって、頭の回転がめちゃくちゃ速く、ナメられないようにすることに必死だったりする傾向がある。

 「目の前の相手の要求だけに最適化すれば良い」という方法に慣れてしまうと、より大きなシステムに最適化してきた人間に、ある日突然、容易く負けてしまう。私は普段から「論文を書くことに最適化させてはいけない」とよく言ってるが、本当の本当に「論文を書くこと」に最適化させているなら、それはまだマシで、たいていの場合は「著者間の要求をself-consistentに解いているだけ」なんじゃないかと思っている。だが、それでも、大学教育までまともに過ごしていればまだまだマシで、早い時期から「著者間の要求」に最適化し、自分の研究にとって必要な論文や書物だけを読むことに馴れてしまうと、その子が本来得れるはずの価値観と実力の「伸びしろ」を捨てていることになる。
 例えば、君が、本当の本当に優秀で、大学の物理学科・数学科の修士課程までで学ぶような内容は本当にすべてマスターしており、生物学や化学の実験スキルはもちろん、地質学に関する知識、かなり厄介な数値計算・計算物理の方法でも具体的な言語で落とし込めるくらいのプログラミングスキルがある、高校1年生だとしよう。そうだとしても、私は、いきなり研究室に行くよりも、普通に高校を卒業し大学に行くことを勧める(少なくとも今の状況では(10年後は状況がかなり変わるはずなので意見は変わるかもしれないが))。何故かといえば、一人の権威者に最適化して名を馳せようとすることは、非常に危険だからである。そして、何かのキッカケで、その権威者にフラれた時点で、その子には信用がなくなる。

 実は、この構造は援助交際とそっくりなのだ。

 援助交際している子に、私が「それはマズいよ」と言えば、「なんで?おじさんはキモチイイ思いをするし、女の子はお金貰えるから良いじゃん。誰も損していないよ」と言うだろう。「なんで?先生は自分の研究が進むだろうし、学生は早くから業績項目書けるし、良いじゃん」と。
 そして、さらにつっこんで話せば、「大丈夫。バカなわけじゃないから、搾取されてるって、わかってる、って。わかってて、手伝ってるんだから、別にいいでしょ?」と。私は、「いや、わかっていない!」と言いたい。君が思っている以上に、遥かに遥かに搾取されているのである。援助交際の場合も早期の研究活動の場合も、その時間ちゃんと学ばなくてはいけないことを学ばないで、まともな人からの信用を永久に失うリスクまで背負い、「若さ」「若い力」という有限なものをすり減らしている。少なくとも、援助交際で得たカネで、その後自己実現している女の子を、私は一人も知らない。
 さらに、何より、公共の福祉に反する[2]。極端に言ってしまえば、まともに学びもせずに早期に研究室で研究するということは、「(露な)被害者なき社会的犯罪」とすら言える。だって、それを、みんながみんなすれば、本来得れるはずの価値観と実力の「伸びしろ」を全員が全員捨てることになるのだから。

 家庭環境が悪く家出がちな19歳の可愛い女の子に、知らないおじさんが「家に泊めてあげるよ、しかも3万円あげるよ。でも、わかってるよね?」と誘っていると知ったら、良識ある大人であるあなたは「それはアカン!」ときちんと止めるだろう。
 しかし、大学の先生の「君、優秀だね。うちの研究室に実験しに来なよ」という言葉は、誰も咎めない。咎めないどころか、咎めようかどうかと、迷うことすら無い。「いいじゃん!やらせてもらいなよ!!」と、むしろ、無条件に肯定してしまうだろう。

 変態おじさんは、普通じゃモテないからカネを払って淫らな行為をしたいわけだ。
 じゃあ、基礎学力が定かどうかもわからない君を、研究室に参画させたい先生は、本当はどういう先生なのだろうか?

 こんなに真面目なはずなのに、歴代の先生たちは認めてくれなかったし、親も認めてくれなかった。真面目で誰かに褒めて欲しかったばっかりに、搾取しようとしている大人と社会システム全体に縋ってしまう。気持ちはわかるし、明確に言っておかなくちゃいけないのは、早期に研究室で研究しようとする当人が悪いわけではないということだ。
 実際、俺自身も、卒研配属前にかなりの回数、研究室に出入りしていたし、キッカケはいくらでもあっただろう。だが、一度も、研究を早期に始めようとはしなかった。それは、俺には、無条件で褒めてくれる環境が他にも沢山あったから(今もそう)。ただのラッキーで、めちゃくちゃ幸福なほうだと思う。

 でも、だからといって、この運・不運の差は変えられない。だから、せめて、最終的に、君のことをきちんと考えてくれるのは、一体誰なのか。もっともっと、考え尽くしてから、行動したほうがいいのではないだろうかと思う。

 「でも、生きていくためには!」
 以前旅行で訪れたイタリア・ローマのTermini駅は、そんな眼をした子供達で溢れていた。いつでも隙さえあれば、財布を盗んでやる!と。「財布○個を盗まないと夕飯抜き!」と親から言われていたりするケースも多いのだそうだ。
 経済的に不利益なだけでなく、精神的に追いつめられた状態は、人を「生きていくためには仕方ないんだ」という瞳にさせる。
 
 「別に、財布を盗んでるわけじゃない」「別に、誰かを傷つけてるわけじゃない」
 その通り!良い子だからこそ、不遇な現状の中で、誰も傷つけないようにと、仕方なく正規ルートから抜けて、正規ルートっぽい権威者に最適化させて、自分だけを傷つける。「君は、きっと将来、大成するよ」と煽てられる。それがベッドの上か研究室の中かの違い。あれだけ口では期待してくれていたのに、結局大した結果が出なかったり、若くなくなったりすると、「いつまでそんなことしてるの?」「自分で選んだんでしょ。自己責任でしょ」と言われる。

 こんな腐った世を、少しだけでも良くしたい。そう思ったら、俺自身が、自発的に少しだけやる気が出てきた。
 今すぐには、どーしても、どーにもできない。申し訳ない。私は私が今できること(毎回の相談メールに真剣に応える、など)を取り組みながら、抜本的に具体的にどうしたらいいかと、引き続き考え続けなくちゃいけないだろう。ここでは問題提起だけで、、でも、正直、それも誰も言っていないので、それなりには誰かの今後の役に立ってくれたらなぁと、小さく願ってみたりする。

[1] 芦田宏直「ソーシャルメディアと現代社会論」講演
[2] UenoWeb【お悩み相談第46回】援助交際と褒められたいだけの”いい子ちゃん”
http://ueno.link/2017/09/09/%E3%80%90%E3%81%8A%E6%82%A9%E3%81%BF%E7%9B%B8%E8%AB%87%E7%AC%AC46%E5%9B%9E%E3%80%91%E6%8F%B4%E5%8A%A9%E4%BA%A4%E9%9A%9B%E3%81%A8%E8%A4%92%E3%82%81%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%81%84%E3%81%A0%E3%81%91/

研究室生活や大学生生活での悩みについて、私に直接相談したいと思ってくださる場合は、相談内容を明記の上、こちらにメールしてください(_attoma-ku_を@に変えて送信してください)。基本的にどんな相談もお受け致します。匿名で構いませんが、所属や名前を仰ってくださったほうが、相談にはのりやすいです。相談内容は決して口外しませんのでご安心ください。
soudan.atamanonaka.2.718_attoma-ku_gmail.com

相談メールについて詳しく知りたい場合はこちらをご覧ください。相談を受ける上で俺が守るべきルールを書きました。

スカイプでの相談もはじめました!ネットでは絶対に書けない裏事情を含め、スカイプであれば、無料で真摯に迅速かつ最大限論理的に、あなたの相談にのります!!私がこれまで実際に接してきた研究分野(物理学、化学、生物学、情報など)や見聞きしている領域、内情を知っている研究室についても、できる限り詳しく回答します。ご希望してくださる方はお気軽に上のアドレスまで、あなたの本名をお書きの上、メールしてください。私から相談可能時間とスカイプIDを送ります。皆さんの相談をお待ちしております。
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論文を書くことに最適化させるのはやめましょう

2018-01-31 18:00:33 | 自然科学の研究
 研究者は書いた論文の質と量によって評価される。
 このシステムは世間からも研究者当人からも大学院生からも当然視されることが多いが、果たして本当に正しいのだろうか?

 「研究者」というと大学の先生をイメージする人も多いと思うが、この記事では「大学教員は教育者としての側面もきちんと評価しなくてはいけない」ということを言いたいわけではない(当然、それもそうであろうが)。あくまで、(教育ではなく)研究社会全体として、より良く学問を進捗させるうえで、論文による評価システムは機能しているのかということを考えてみたいと思う。
 さらに、ここでは理系学問についてしか考えない。論文も学位論文ではなく原著論文のみを扱うので、注意してもらいたい。

 理系のアカデミックの世界では、「論文を書く」といった場合、学術雑誌に自分の研究成果を載せることを指す。学術雑誌にはImpact Factor(IF)という数値が存在していて、これはその学術雑誌に掲載された論文が過去2年以内にどれくらい頻繁に引用されたかを示す値だ。IFの高い雑誌に載せることは注目を集め、自身の評価に繋がる。実際にYahooのトップニュースに「こんな研究成果があった」と発表される論文は、IFの値が高い、Science誌やNature誌やその姉妹紙であることが非常に多い。

 私が卒研生の頃(2009年)に、ある研究室(物理の理論)の助教とポスドク(お互い同期同士)が次のように談笑していたことがある。
 「うちの分野だとさー、助教になるには、PRL(Physical Review Letters)が一本は必要だって話だよね」
 「あー、そうだね。ScienceかNatureが一本でもあれば、PI(Principal Investigator, 教授などの研究室を持っている立場の人)になれる、って話もあるよ。まぁ、なんたって、NatureやScienceは次のページが恐竜の化石発掘、とかだったりするもんね」

 これらは分野によって時代によって変わるだろうが、どの分野でもどの時代(ここ20年)でも、論文の質は、IFによって担保されていると信じている研究者・大学院生は多い。
 もちろん、大事なのは論文の質だけではなく、量も大事だという意見もあるだろう。実際に、IFがそれほど高くはない中堅雑誌もたくさん存在しており、このレベルの雑誌を定期的に自分の論文を載せることで業績を保っている研究者もたくさんいる。

 研究社会の構造を理解するうえで重要なのは、論文というものは、「書けば評価が上がる」というものではなく、「書いていなければドロップアウトは免れない」ということである
 たとえば、大学院を卒業して博士号を取得した人が、とりあえず研究室で研究員をやるポスドクという制度があるが(筆者も現在このポスドクである)、これは1年契約で1年ごとの更新、というのが殆どである。助教も最近では特任助教という有期雇用の職が増え、准教授でさえも特任准教授の有期雇用職が増えている。研究者で終身雇用の職にありつける人は極僅かになってきている(世代によって異なるが、最近はそうだと思う)。
 つまり、何か研究で上手く行かなくて1年以内にすぐに論文が出そうな結果や雰囲気(?)がなければ、すぐに次の職を探さなければならないということである。

 さぁ、あなたなら、どうするか?

 論文を書かなければ、出世ができないどころではなく、今の立場にい続けることもできない。
 だとしたら、世馴れた大人の生き方として、大きな冒険をせずに、とにかくすぐに論文になりそうな確実なことを研究するのではないだろうか?…そう、それこそが、日本に限らず、世界中で起きている、自然科学の研究の世界の現実である。

 どんなに終身雇用の立場であっても、研究室を運営するための費用は、競争的資金のシステムで研究費を獲得し続けなければならない。研究費がゼロになってしまえば、(少なくとも実験が必要な)研究ができなくなってしまう。研究費を獲得し続けるためには、論文を定期的に出版している必要がある。どの研究室のホームページでも、「出版, Publication」の項目があるのはこのためだ。大学の専攻や研究科で、毎年Publicationリストを冊子にして発表しているところもあり、各研究室がどのくらい論文を書いているか、そして、その論文がどのくらいのIFの学術雑誌に掲載されたのかを見られる。
 この「業績」というやつが、次年度以降の研究費獲得、自分の職の継続や出世に影響するのだ。研究費を多く獲得できれば、ポスドクや特任助教を雇いやすくなる。しかし、それはその期間の予算に依存しているため、必然的に有期雇用になる。チーム戦の顔と個人戦の顔を併せ持っているのが面白い。

 明日の(自分のor部下の)職のために、みんながみんな、確実に、なるべく早く、論文になりそうなことを研究しようとする。
 なかなかその価値が認められないかもしれないようなことや、不確実なことは、誰も研究したがらない。つまり、「論文を出す」という結果に最適化した振る舞いを「研究」と定義したくなるのだ。(だが本来、研究とは、前人未到で不確実な、その価値が認められにくいようなことを、発見・発明・理論化する行為であるはずだが)

 だから、論文や研究計画書で使う言葉だけはどんどんゴージャスになる。でも、内容をきちんと読んでみると、「え?そこまで言っちゃう?」という内容がやたらに増えるわけだ。
 しかし、あまりそれを誰も指摘しない。細分化されすぎた分野のなかで、次、いつ、その人に評価されるかわからないからだ。論文掲載の判断は、その分野内の誰かが行う可能性が極めて高いし、科研費についてもだいたいはそうである。さらに、論文掲載の判断では、「この論文を引用せよ」というようなリバイスを受けることも少なくはない(引用が増えれば評価が高まるので、自分の論文を引用させたがる)。

 加えて、とにかく論文を出さなければ現状維持すらできないわけだから、といって、意外なところで、基礎がおろそかになる。
 たとえば、私のいる分野では有機合成の実験設備や分子生物学の実験設備があるが、白衣を着ていない人がマジョリティである。安全性からすれば、白衣は絶対に着たほうが良いはずだが、そんなことよりも論文を書くことに最適化させようとするほうが先なのだ。
 これは今日の出来事だが、実験に使う酵素が入ったエッペンチューブを床に落としてしまった人がいて、私が指摘するまでチューブをエタノールで除菌しようとしなかった。さすがに日本では、そういうことも少なかったが(そもそも土足厳禁の研究室が多いから、衛生環境は日本のが良いのだが)、彼らは、うちの研究室だけでなく他の研究室でも実験技術を学んできている。大腸菌を使うのにクリーンベンチを使わないのも信じられないが、そういった衛生環境とコンタミネーションが起きやすいような環境であっても、実験環境の改善に取り組もうとするよりも、論文に使えそうなデータや図がでること、さらに予算獲得のための様々な行為(研究費申請文章の作成、研究会の準備・計画、談笑すらも含む)をとにかく優先させてしまう。

 さらに、自分のデータを出すことが最も重要なので、一人でずっと実験装置を占領してしまう人も出てくる。
 例えば、顕微鏡でデータを出すのがメインの研究室で、特にコミュニケーションもなく、1週間のうちで平日に3日間以上、コアタイムに6時間以上、一度に2台の顕微鏡を予約していたりすれば、それは確かに結果は出るかもしれないが、他の人はたまったもんじゃない。このようなモラルに反する、他の人がそれに対して文句を言いにくいような雰囲気の人が成果を出し、立場を得やすいムードになってしまうのも問題である。

 こういったことが、私が見てきた研究室(物理、化学、生物など各分野について10以上の研究室)について、大きいレベルでも小さいレベルでも、多発している。そして、私が募集している研究生活の相談メール(これまでに150件ほど)でも、そういった問題を垣間見ることは多い。

 そもそも、専門性とは、インプットからアウトプットまでの時間の長さが長ければ長いほど、高い可能性が高い
 つまり、着手してから3ヶ月で論文になった、というと「すごい」とコメントしたくなるが、3ヵ月程度で論文になってしまうような専門性の低い誰でもできるような研究内容、とも言えるわけである。
 確かに一部、天才はいる。そして、最低限のモラルと基本的なルールを守っている研究している人もそれなりにいるだろう。しかし、さすがにそんなに天才は多くないだろう、というレベルの数で、3ヶ月~1年で結果を出し論文を出していたりする。そういうケースは、もれなく、モラル違反をしているか、何かしらの基礎や基本的なルールを破っているか、論文にするために「なかったことにする」データがあるか、その業界内だけで通じる「どうでもいい無意味なテーマ」をやっているか、これまで研究してくれた先輩たちから引き継いだテーマをちょこっとやっただけか、、そして、ねつ造をしているか、のいずれかである。

 今後、AIの技術がさらに進み、ラボオートメーション化が進めば、論文に最適化させることができるだけの実験研究者は全員、遅かれ早かれ、職を失う
 理論研と実験研の区別がつかなくなる時代は、おそらく私が生きている間に来るだろう。データ過多の新しい時代には、結果と結果の隙間を確実な論理で埋められる研究者が生き残るだろう。だからこそ、今後、どのような分野であれ、理系は、物理学(理論)や数学(特に統計学)がきちんとできなくてはいけない。特に若い理系は。

 そのような時代が来る前に、、本来、論文は、どのくらいの頻度で書くべきものなのか、今一度、それぞれで考えていただけたらと思う。
 それこそが、新しいシステムの枠組みになるのだから。

 私が、だいぶ前から、本質的にきちんと研究をするためには原理的にアカデミックを去るしかないのかもしれない、と考えているのは以上のような理由である。
 だって、論文工学をずっとやってても、時代に即した実力は絶対につかない。ちゃんと実力をつけないと、アカンからね。
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「教職、研究室仮配属、他大の院で迷ってます」 -相談メールの実際の例-

2018-01-18 09:56:30 | 自然科学の研究
 このブログで募集してます、相談メールで、実際の例を紹介しようと思います。以下は相談者の方のご厚意で公開したものですので、現在のところ、特に希望されない場合は公開などは一切しない方針です。
 相談メールのルールなどについては「相談メールの目標とルール」をご覧ください。


相談文
(プライバシー保護のため、少しだけ文面を変えています)

初めて相談させていただきます。私は先日gooブログの[東大院にロンダした理系が知っておくべき東大内部生の賢さとその性質]を見て、今抱えている悩みを打ち明けようかと考えました。
現在、某私立大学の理学部に通う2年生です。
まず、私が大学に入学するまでの経緯をお話ししようと思います。私は高校の時に、将来は高校の教員になりたいという目標を持っており国立大学の教育学部を目指していたのですがうまくいかず、一年の浪人を経験し現在の私大に入学しました。大学入学時から教職課程を履修しつつ現在に至ります。
教職課程では、もう教育実習のお願いを母校にしなくてはならない時期になりました。なので、教職をあきらめるならこれが最後だと担当の教員から伝えられました。そこで、このまま教職をとりつづけるべきか悩んでいるというのが今の状況です。

というのも、大学に入学してから聞いた周りの人たちの将来のビジョンが自分と異なっていたことや、塾講師のアルバイトをしていて自分は先生には向かないと感じたため、教職を取り続けようか迷っているのです。特にアルバイトでは、教えることの楽しさよりも、教えることに対しての責任感などを感じることが多く(友人に勉強を教える感覚ではなく、自分の発言に責任が生じるものだと嫌になるほど実感しました)、次第に教員への憧れは薄れてきてしまいました。
そこで、それとは対照的に興味がわいてきたのが研究でした。専門の勉強は最近は面白いことが多く、特に実験は人一倍頑張っているという自負があります。自分の学科には3年時から研究室配属される希望制の仮配属というものがあるので教職をあきらめるならそれに参加しようと思っています。研究のでき次第では、学部生が主に発表する、ある研究会に参加したいと考えています。教職を取りつつ、仮配属にも参加することはできるそうなのですが前例がほとんどないらしく、相当忙しくなってしまうと先生からは言われました。
教職を取るメリットもあって、教員免許を取得していれば1つ目の就職先が学校でなく、そこを辞めることになっても教師として職を得ることができるという点です。
以上のような現状から、決定的な判断に踏み切れていないのが1つめの悩みです。

また、大学院への進学を考えているのですが、東大の大学院に行ってみたいと考えるようになりました。これは、研究の内容が面白そうだから、やりたい研究があるから、というような理由ではなく、単純に高いレベルで研究してみたい、優秀な学生をこの目で見てみたいからという理由です。
ここで2つ目の悩みなのですが、現在所属している私大の大学院に進学するのか、外部の大学院に進学するのかを決めかねています。特に東大や東工大などの大学院であれば自己肯定感は満たされるのではないかと思う(周りからロンダと言われても気にしません)のですが、行く理由がかなり不純であることと、なにより学部時代の研究とはまた別のことをやるため、研究成果を出すという点で明らかに不利であると考えています。まだ研究の”け”の字も知らない未熟者ですが、実際に経験された方にお話しを聞いておくのは有益かと思い、アドバイスいただければと思います。

話がまとまらず、見苦しくなってしまいましたが、自分の将来のことで2つの悩みがあるということで相談させていただきました。


回答文

相談くださり有り難う御座います。
たかはしけいです。

頂いたメールの文面には、「教職をとるか、3年次の研究室仮配属(希望制)をとるか」という悩みと「現在所属されている私大の大学院に行くか、東大や東工大などの大学院に行くか」という悩みと2つあると書いてありますが、私にはこの2つは共通に感じましたので、一緒に応えさせていただきますね。

まず、何かの選択で迷ったら、今しかできないことで、かつその後の可能性が広い選択肢を選ぶのが基本です。
なので基本に忠実になれば、研究室は4年生になればどうせ配属されるわけだから、教職を取るほうが、今しかできない選択ですし、その後の可能性も広くなります。
また、現在所属されている私大の大学院に行くよりも、世間はまだまだしょせん学歴社会ですから、東大や東工大の大学院に行ってネームバリューをとるほうが、その後の可能性は広くなると思います。

総括すると、もし体力的に可能であれば、教職を取り続けながら、東大などで内容に興味のある研究室に出入りさせてもらえそうなところにアピールして3年生のうちに研究を始めるのが、もっとも良い選択になるだろうと思います。そうすれば、教員免許という担保を手に入れることもできますし、自分の時間を上手く使いながら研究室に出入りさせてもらうことで(これはそんなに難しくないはずです)、業績面でも東大の内部生に引けを取らない可能性が高くなるでしょう。

…ですが、、果たして、これで、本当に良いのでしょうか?

上に記した回答は、あなたの質問に顕わに応えたつもりですが、これでは、あなたが本当に抱えている悩みには応えられていないように思います。
あなたの本当の悩み、、それは「世間から要求される責任の重量に耐えられない自分をなんとかしたい」ではないでしょうか?

あなたが現在気持ちを傾けている「研究」では、自分の振る舞いが責任へダイレクトに寄与します。一生懸命研究しても結果が出ないことはよくあることですが、そこには常に責任が生じてしまいます。教育では、「生徒自身の責任って部分もあるよなぁ」とか「自分は理科の教員ってだけだからなぁ」とか責任が分散しますが、研究にはそういう性質が殆どありません。

教育は、とりあえずアルバイトでやってみたわけですよね。やってみる前は向いてるかなっと思ってたけど、やってみたら向いてない部分があることにも気が付けた。これは素晴らしい経験ですね。
「だったら、研究・学問は自分は向いているんだろうか?」と考えたわけですね。では、この選択は、そもそもどれくらいの選択肢のなかから選んだのでしょうか?私はこの部分がとても気になりました。

今、大学2年から3年への春休み前ですよね。この時期はとても大事ですよ。実際、もっと大人になってから、この大学2年の春休み~大学3年くらいに戻りたいって人は多いんじゃないかと思います。この時期しかできないことだらけだからです。

友人やバイト先・サークルの仲間たちと、時間をまったく気にせずに、気が済むまで話しまくれるのも大学3年までで、就活が始まる前までです。お互いの将来を殆ど考慮せず、単純な「好き」だけで恋愛をスタートできるのは、大学2年の終わりまででしょう。ボランティア活動も、本を読みまくるのも、ただ単にボーっとするのも、その後にはとても忙しくなってしまうので、なかなかできなくなります。
これらあらゆる大事な選択肢の中から、「研究」を選びましたか?「教育」を候補に入れましたか?それでも「いま」絶対に学問をやりたい、東大の院に行きたい、と思いましたか?


確かに、どうでもいい人から「ロンダ!」とバカにされても、気にしないことは良いことです。でも、それ以上に大事なのは、自分の大事な人から「ロンダ!」とバカにされたときに、言い返したい感情をきちんと持つこと。だって、レベルの高い環境を見てみたい、ネームバリューが欲しいと思うのは、「不純」ではなく「普通」なのですから。

さて、この選択において、あなたにとっての「大事な人」と、十分に話したでしょうか?

というわけで、ある程度の時間制限を決めて(1~2ヵ月とか)、色んなところに顔を突っ込み、色んな人ととことん話をしてみたらいかがでしょうか?
飲みに誘われたらとにかく最後までついて行く、本を何冊か読んで朝活に参加してみる、好みのルックスの人がいたら率先して挨拶してごはんに誘う、、こういう(一見)ありきたりな経験のなかから、一つで良いから大事にすること。すると、レスポンスのバリエーションが飛躍的に増えると思います。そして、責任(responsibility)、つまりレスポンス・アビリティーも高まると思います。そう、責任とは、相手に(良くも悪くも)強い影響を与え続けても、反応(レスポンス)し続けられる能力(アビリティー)のことですから。

この期間を設けることで、教育をするんでも研究をするんでも、将来的に、より有意義になるんじゃないかと思います。ぜひ、引っ込み思案を何かの定まったシステムに最適化することで肯定化するんじゃなく、ほんのちょっとだけ外向的になる時期を作ってみることで、大事な大学3年生を迎えるにあたって、自分を見つめなおす時間をとってみたら良いと思います。

そのうえで、教職をとり続けるか、3年次から研究室仮配属をとるか、今から東大のどこかの研究室にアピールするか、大学院はどうするか、決めたらいいと思います。もちろん、それ以外の選択肢をとるのも、全然あり。だから、ゆっくり考えないとね。

大丈夫、実験を人一倍頑張ってると言えるだけの自負があるんだから、そのガッツがあれば、これくらいできるはず。
頑張ってくださいね。
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「どの分野であれ、一つでもできなかったら理系じゃない」リスト

2017-07-23 03:17:09 | 自然科学の研究
 さて、Twitterで呟いたことをまとめるという、(俺にとってはある種の)逆輸入的なことをしてみましょうか。
 少し補足しながらそれぞれについてもう一度語ります(重複もあります)。

 まず理系の定義ですが、大卒以上で理系学部を卒業し、本来"自然"科学ではない数学科や実学にかなり近い建築学科などを除きます(数学科は言語学に近いし、建築は芸術に近い、というのが俺の考えです)。
 だいたいイメージできたかな?以下を読むと「物理学科なら良いってことかよ?!」と思うと思いますが、その通りです。前にも言いましたが、これからの時代は「物理学科以外は大学じゃない」にマジでなっていきますから、それが基盤となります(この説明は俺のYouTubeチャンネルのシリーズの「アメリカから雑談#22」を参照してね)。

 ではスタート。


 ①線積分、面積分、体積積分

 力学や電磁気はあらゆる自然科学の分野の基礎です。ニュートン力学があるから分子運動が予測できたりエネルギーの概念がかなり普遍的に定義できたりするわけで、電磁気があるから双極子が定義できたり電気泳動ができたりするわけです。私たちは普段、力学や電磁気をかなりの割合で使っていますから、ここの基礎はきちんと抑えておくことがすべての理系に求められます。
 だから、その上で必要な数学であるベクトル解析は、ある程度自在に扱えなければお話になりません。これら3つの積分の違いを明確に認識していて、必要なところで必要な積分ができることは理系として大事です。もっと言えば、ガウスの定理やストークスの定理もできると良いですが、とりあえずはこの3つの積分がちゃーんとできれば合格で良いと思います。よく、物理学科以外の学生が、ベクトル解析もままならないままに、力学や電磁気、さらには量子力学に手を付けていたりするわけですが、はっきり言って無駄です(まったくやらないよりはマシだけどさ)。ベクトルを微分したり積分したりできなきゃ、現代科学は理解できません(だいたい波動関数は無限次元複素ヒルベルト空間で定義されるんだし、ベクトルくらい微分・積分できなくっちゃね)。ベクトル解析をしっかり勉強しましょうね。

 ②フーリエ級数展開・フーリエ変換

 波動を扱う場合に便利なフーリエ変換ですが、物理専攻以外の多くの人も試薬を使って実験します。その試薬を同定するにはNMRを使うことが多いわけですが、これはフーリエ変換を用いて解析します。これができないと、「その物質は本当にその物質なのか?」を自分で確証が持てません。自分がきちんと認識できていないブラックボックスの部分があっても構いませんが、ここは譲れない部分です。
 フーリエ級数展開・フーリエ変換が自在に使えれば、直交関数列を理解することにもなります。これはその先の量子力学などを学ぶ上でも大切な概念になります。欲を言えば、ルジャンドル多項式の展開なども(電磁気の)多重極展開などで使いますから、できたほうがいいですが、まぁノリは同じですから、とりあえずは三角関数が出来れば良いと思います。また、大学受験で三角関数を自在に扱えるまで勉強できてなかった人は、ここで良い復習の機会になりますから、そういう意味でもすべての理系はフーリエ変換はできてください。

 ③偏微分

 偏微分は、①よりも前に書くべきかもしれませんが、まぁ、重要度からすると3番目くらいでも妥当な気もします。もちろん、これもできなきゃヤコビアンを導入することすらできませんから、直交座標系以外で積分ができなくなっちゃって、めっちゃ困るんですけどね(つまり下の電磁気が何もできない)。
 これは、最低でも誤差論はできてね、ってことでもあって、線形回帰直線を引くときの傾きや切片は、偏微分から求めます。特殊なフィッティングができなくても良いですが、線形回帰くらいは原理的に自分で導出できるようになっておきましょうよ(記号が変わる程度で別に大して難しい行為じゃないんだからさ)。
 さらに、化学・生物学でも、学部レベルの熱力学の理解は必須です。偏微分や全微分形式がわかっていないと、熱力学関数を理解することができません。凸性とかルジャンドル変換とか、あの辺りを理系全員ができなくても(とりあえずここ30年くらいは)良いと思うんだけど、まぁ、カルノーサイクルとマクスウェル関係式くらいは(定量的にも)抑えておきましょうよ。

 ④積分形のガウスの法則の立式

 大学レベルで、電場くらいは、きちんと求められるようになりましょう。電気力線描けるのって大事よ、ホント。力線の考え方って、「場」の考え方になるので、これによって、直接接触していなくても相互作用しうることに気がつけると思います。これは色んな意味でアイディアを出すときに大事です。
それに、ほとんどの分野で電気を使った装置で実験するのですから、っま、電場くらいはちゃんと求めようよ。そして、電場、電圧、電力、電流、磁場、磁束密度、などの概念をきちんと理解していることは、どんな実験でも大切です(電気泳動、物性試験など)。
 欲を言えば、「物質中の電磁気学」まで学んでいるほうが良いです(っていうか、本当は、ここまでやらないと、他分野で電磁気を勉強する意義はそこまでないかも)。束縛電荷(or電流)と自由電荷(or電流)の違いを抑えながら、分極や磁化を導入できると、思考力のレベルが一段変わってあらゆるところに電磁気が見出せるようになります(慣れちゃえば物質中のほうが簡単なときすらあるし)。

 ⑤一次元無限井戸型ポテンシャルのシュレディンガー方程式を解く

 俺の同級生が「これは物理学科の最低限。"何も見ずに、自分で問題を設定できて、ぱっと解けること"っという意味で、最低限これだけはできてくれ、ってやつだよ」と言っていましたが(それは確かに正論)、俺的には、何か見ても良いから、原理的にできる状態にしておくことはすべての理系に必須だと思います。
 たとえばファンデルワールス力はs軌道よりも対称性が破れるp軌道由来で起こります。高校で習うようなファンデルワールス力なんて、もっと簡単な原理だろ?っと思いがちですが、こういった基本的事実も量子力学で解明されたのです。ミクロな世界ではエネルギーが連続的ではなくエネルギー準位と呼ばれる階層性があることくらいは、自分で算出できるようにしましょうね。この下地があると分子を理解する上でも、思考の展開の仕方が変わってくると思います。


 というわけで、いかがでしょうか?
 ほんとはね、プログラミングとか、線形代数とかも入れたいんですが、、まぁ、本当に最低限、これらだけはできてくれ、ってヤツを挙げてみました。「あ、やっべ」ってなった人や、「できねー」ってなった人は、これらだけを調べるのではなく、くだらないプライドを捨てて、高校数学・高校物理まで戻って、ゆっくり思考してくださいね。

 じっくりゆっくり考えることが、物理を理解する一番の近道ですから。
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東大院にロンダした理系が知っておくべき東大内部生の賢さとその性質

2017-06-26 22:48:41 | 自然科学の研究
 さて今日は日記ではなく、わりと一般向け文章で、これから東大の大学院に学歴ロンダリングしようとしている理系向けに、内部あがりの東大生ってどの辺りがどれくらい賢いの?どんな性質があるの?ということを語ろうと思います。私自身、理科大から東大院にロンダしたという典型ケースですが、それがもう7年も前のことになります。で、7年経って、完全に東大と所属が離れたので(すっきりしているついでに)、かなーりいまさらですが、これを書いてみようかと思います。

 そんなの、分野によって違うだろ!っと思われるかと思いますが、まったくもってその通りだと思います。たとえば、私が(なんやかんや研究員含め)7年もいた駒場と、理学系や工学系や医学系では、絶対に違いがあるとは思います。それでも、研究以外にTAなどで学部1年生や2年生と関わる機会、また私自身の研究分野が融合分野で様々な分野の人と話す機会が多かったので、今は殆ど何も知らなくてこれから東大に入る、という人よりは、まだ内情が分かっているかと思いますので、お役に立てるところがあれば幸いです。それから、なるべく分野に依存せず、東大全体に普遍的であるだろうということに焦点をおいて、箇条書きしてみようと思います。


 1. すべての東大生に共通していえる賢さは、学習における幅広い見識と圧倒的なバランスの良さ

 あなたが私大などの出身で、それなりの偏差値で自分の専門をきちんと勉強してきているのであれば、その専門性や知識量や理解力が内部の東大生の平均に負けるということは、正直(どの分野でも)そこまで無いと思います(特に理論物理や数理以外だったら)。研究室や専攻内で「自分だけ、おいていかれているかも?」と思うのであれば、それは多くの場合は単純に「慣れていない」から。ただそれだけです。だから、賢さの絶対的なレベルという意味では、(院試にさえ通れば)あまり心配は要りません。

 でも、忘れてはいけないのは、あなたは「専門だけやってきている」一方、内部の東大生は学部2年の中頃まで教養学部に所属し、他の科目もめちゃくちゃきちんとやらされていること。しかも、大学受験で、文系科目も含めたセンター試験、理科を最低でも2科目はめっちゃきちんとやっています。なので、内部生は、自分の専門は化学だから数式が苦手ということや、pHってなんだっけ?自分の専門は物理だからわかんないや、理系だから英語はあんまりできないんだよなぁー、などということが、ほぼ絶対にありません(極々たまーに忘れている人はいるけど本当にめっちゃレア)。さらに文系科目についても、すごく見識が深かったりします。
 これは、外部でもよその国立大学から来ている学生も持っている能力ではあるんですが、率として、東大内部生は圧倒的にこの幅広い見識とバランスの良さを誰も絶対に落としていません。この「幅広い見識とバランスの良さ」というのが、実は、東大最大の武器でストロングポイントなのですが、、このスゴさに気がついていない東大関係者は多いイメージがあります(東大だけみてると、それに気がつけないのかな?)。逆に言えば、あなたも、専門以外もバランス良く最低限勉強しておけば、あまり東大内部生を必要以上に恐れたり意識したり怖がったりする必要は無いかと思います。

 2. 東大には、最低ラインと平均だけでなく、ガチのずば抜けた天才がいることを知ろう

 どうしても(私たちのような)常人だと、このラインさえ超えれば東大に受かるんだろ?ということしか考えられませんが、受験というレベルを完全に超越してしまっている天才も東大にはいます。ここも頭の中においておかないと、面食らう瞬間があるかもしれません。
 大抵の東大内部生に対しては1だけ気にしていれば賢さのイメージとして当たっていると思いますが、天才が存在していることを忘れてはいけません。でも、これはそれなりにレアケースだと思います。私自身もNが少ないので、正確にはわかりませんが、おそらく多くても5%程度だと思います。何かの分野に突出したという意味でもあるし、あらゆる賢さにおいて超越しているという意味でもあります。とにかく、自分とは完全に別の生き物であるくらいの賢さを持っている人がいうる、ということは知っておきましょう。

 3. アンチテーゼ好きが多い

 学部から東大に入った東大生の多くは、塾や予備校に通っていた時期があります。塾や予備校では「学校ではこうやって教えたかもしれないけど、ほんとはー」とか「受験ではこうしたほうがラクでーす」というような伝え方をしがちなので、「アンチテーゼ≒正しいこと」というパブロフ効果になってしまっている東大生は、案外多いものです。しかも、賢さを絶対に保っていなきゃいけないという周囲の要請から、「なーんも考えていないで、誰か賢い人が言っていることを、ただ自分も言っているだけ」ということがバレてはいけませんから、「いかにも考えていそうなアンチテーゼ」というのを愛している人が、やたらめったら多いです。
 もし、外部から東大に入ってくるあなたが、東大の朱に交わりたいなら、アンチテーゼを意識すること。もし、一目を置かれたいなら、テーゼにも一考の価値があるかもしれないと考えたり、両方を抱括できるようなジンテーゼを探ること。これもポイントです

 4. 要領良く、誰かに最適化していくことが得意な人が多い

 これは上の3つよりは、そこまで全員には当てはまらない、ちょい割合は下がるのですが、それでもマジョリティーだとは思います。指導教員の先生など誰かこの人!と決めたら、その人の要求に最適化して自分の行動を最短経路で選ぼうとする人は多いです。これは指導者が完璧なら良いですが、指導者が不完全やその立場に足る人物でないと、(特にサイエンスの場合)危険なこともあります。
 これは少しウィークポイントですが、現実的には研究室の戦力としてとても頼りになることが多いです。でも、指導者が完璧なことなど殆どないので、むしろ外部から来た(要領の悪い)あなたが、勇気を持ってサイエンティフィックに戻すことが重要になることもあると思います。頑張って。


 というわけで、4つ挙げてみました。
 今日はここまでにしときましょう。また、思いついたら、この記事は更新するかもしれません。では。



 研究室での悩みなどについて、私に直接相談したいと思ってくださる場合は、相談内容を明記の上、こちらにメールしてください(_attoma-ku_を@に変えて送信してください)。基本的にどんな内容の相談・質問・コメント・ご意見もお受け致します。匿名で構いませんが、所属や名前を仰ってくださったほうが、相談にはのりやすいです。相談内容は決して口外しませんのでご安心ください。
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相談メールについて詳しく知りたい場合はこちらをご覧ください。相談を受ける上で俺が守るべきルールを書きました。

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