前から言ってることだが、俺は子どもが好きじゃない。理由は簡単で、俺とは話が合わないからだ。
子どもとは、まだこの世の中にまっさらな期待をしていて、そこに永続性があるかのように錯覚している状態であるわけだから、日本語の使用がどうのということではなく、とても(少なくとも俺なんかと)話をすることなどできない状態だと思うのだ。
この世は残酷で理不尽であり、生きている意味なんて特に何もなく、どんなことも期待など何もできないという真実を知らない者と、俺は話をすることが苦手である。
期待とは、文字通り、期を待つだけの行為である。それをただまっさらにしてさえいれば永続的だと考えてしまうような価値観で、この残酷な状況が一変するとは思えないし、諸行無常の世に何かを寄与させることなど不可能だ。
期を待つことが最善であるような価値観を持ってしまうから、実際に期が来た時にチャレンジできないのだ。むしろ、どんな状況であっても、とにかく一歩前へ強引に足を出していこうと思っている価値観を持っているからこそ、実際に期が来た時に正しく行動できるようになるのだと思う。
それほどまでに行動をし尽していたって、理不尽に無意味な行動と化してしまうことは多い。弱い自分を守るために、冷たい言葉を平気で放って攻撃して、それが巡り巡ってまた自分に傷をつけてしまうことも多いだろう。
その傷にみあう何かを過剰に求めたりして、「幸せを感じるためには不幸が同じだけ必要なのだ」とまた根拠のない自分にとって都合の良い普遍性を仮定してしまうのが理系の悪いところだ。
そうではなく、生きるということは、風に遊ばれるような理不尽に耐えて、「痛い」ということを経験し続けることなのだと俺は思う。
どのように生きても、生きている限り、痛い、ツライ、やめたくなるし、泣きたくなるし、それがまた自分を追いやって、余計に時間がかかったり、後ろ向きに歩いてしまうこともあるだろう。どのように生きてもそうなのだから、せめて、自分の思うままに生きてみたらいいのではないかと、最近特に思うのだ。
どんなに滑稽であろうと、どんなに惨めで、どんなに愚かで、どんなに他人よりも時間がかかり、どんなに貧しくとも、とにかく自分が感じるまま思うままに、自分の心に実直で、まっすぐ楽しく生きている人のうち、なるべく本質的な信頼関係を望んでいる人が、俺は好きだ。
世界中の誰にも共感されなくとも、俺はこの気持ちを曲げることはない。
そして、それは、多くの幼い子どもも、同じ気持ちを持っているという気がしている。
Wind Climbing~風にあそばれて
子どもとは、まだこの世の中にまっさらな期待をしていて、そこに永続性があるかのように錯覚している状態であるわけだから、日本語の使用がどうのということではなく、とても(少なくとも俺なんかと)話をすることなどできない状態だと思うのだ。
この世は残酷で理不尽であり、生きている意味なんて特に何もなく、どんなことも期待など何もできないという真実を知らない者と、俺は話をすることが苦手である。
期待とは、文字通り、期を待つだけの行為である。それをただまっさらにしてさえいれば永続的だと考えてしまうような価値観で、この残酷な状況が一変するとは思えないし、諸行無常の世に何かを寄与させることなど不可能だ。
期を待つことが最善であるような価値観を持ってしまうから、実際に期が来た時にチャレンジできないのだ。むしろ、どんな状況であっても、とにかく一歩前へ強引に足を出していこうと思っている価値観を持っているからこそ、実際に期が来た時に正しく行動できるようになるのだと思う。
それほどまでに行動をし尽していたって、理不尽に無意味な行動と化してしまうことは多い。弱い自分を守るために、冷たい言葉を平気で放って攻撃して、それが巡り巡ってまた自分に傷をつけてしまうことも多いだろう。
その傷にみあう何かを過剰に求めたりして、「幸せを感じるためには不幸が同じだけ必要なのだ」とまた根拠のない自分にとって都合の良い普遍性を仮定してしまうのが理系の悪いところだ。
そうではなく、生きるということは、風に遊ばれるような理不尽に耐えて、「痛い」ということを経験し続けることなのだと俺は思う。
どのように生きても、生きている限り、痛い、ツライ、やめたくなるし、泣きたくなるし、それがまた自分を追いやって、余計に時間がかかったり、後ろ向きに歩いてしまうこともあるだろう。どのように生きてもそうなのだから、せめて、自分の思うままに生きてみたらいいのではないかと、最近特に思うのだ。
どんなに滑稽であろうと、どんなに惨めで、どんなに愚かで、どんなに他人よりも時間がかかり、どんなに貧しくとも、とにかく自分が感じるまま思うままに、自分の心に実直で、まっすぐ楽しく生きている人のうち、なるべく本質的な信頼関係を望んでいる人が、俺は好きだ。
世界中の誰にも共感されなくとも、俺はこの気持ちを曲げることはない。
そして、それは、多くの幼い子どもも、同じ気持ちを持っているという気がしている。
Wind Climbing~風にあそばれて