たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

運命は降ってはこない

2011-07-31 02:50:36 | Weblog
 リーダーシップを取る時に一番大切なことは『自分が空気を作るんだ!』っていう気持ちをちゃんと持つこと。

 日常生活の実質的な部分ってのは、空気に合わせにいったり、その場その場で無難な対応をとったりするほうが、求められる。そこから離れなきゃいけない特異的な時、ちゃんと自分自身が空気を作っていくんだ、って気持ちを持っていないと、迷惑がかかる。特異的な時だけど、みんなに必ず訪れる瞬間だと思う。

 『自分が空気を作るんだ!』ってのは、自分勝手と切り離せないところがあるけど、そっちに振り切らないようにしないといけない。なるべく多くの意見を聞いて、みんなの平衡点を探しながらも、自分が空気を作る。
 よーするに、自分がすべての責任を持つ、って気持ちを入れることが大事なんだと思う。

 じゃなきゃ、リーダーシップはとれないし、歌は(特にリードボーカルは)唄えないし、自分主体で研究もできないし、誰かに何かを教えることもできない。
 自分が、今、この瞬間の、空気の、音の、研究テーマの、相手の理解の、責任をもちます!、っていう気持ちが無いんだと、何をやっても薄っぺらくて、それを誤魔化すために、みんなで、定式的な事を言い出すんだよ。

 もう、大学(院)生なんだから、主体的に取り組むのは、当たり前のことだ。みたいなね。
 それが本当の意味でどれほど難しいか、社会人も含め、どれほどの人間ができているのか、を、ちゃんと飲み込んでいれば、そんな発言は出てこないはずだ。

 まずは、自分で空気を作ってやる、って気持ちになること。それを実行させてもらうこと。

 空気を読むってのは、自分よりも他人のことを考えましょう、ってことだ。
 もし、あなたが、責任を取りたくないから、自分主体にならず、空気に合わせに行って、人と違うことはしない、って思うんだったら、それは、むしろ、自分勝手なのだ。

 だから、いっそ逆サイドにも立ってみて、空気を作らさせてもらってみよう。
 その中で、それを持ってる者同士が、いかに調和を取れるか?、ってのは、かなり上のレベルでの話だと思う。いきなり調和や秩序を手にしようとするんじゃなくって(それはそれで大事なんだけど)、自分主体になって、責任を背負ってみること。

 そして、それを出来る者同士が調和を取ろうとしてみる。

 それが、最後まで出来た時、ホントに明るくなっていくと思うし、ホンモノを現在進行形で感じとり、その後の時間依存がないことが実現可能なんだと思う。

 『俺、もともと暗いのを、無理矢理明るくしてるだけだから、そういうの聞くと暗くなりそ。』
 ≪わかるー。私もそう。めっちゃ観察しまくった時期あるし。》

 根っからの明るい人間なんていないんじゃないか、って思う。明るい人間はとても少ないし、その中でも、努力によって明るくなってる人しか、少なくとも、俺は知らない。

 そんな俺も、本来暗いし、面白味のカケラも無い。その時期が長かったから、上手く行って無い時は、そっちに戻りかけるし、実際に、そういう態度を取ってしまうこともある。

 でも、いつでも帰れるというのは、強みだ。無理になっちゃったら、疲れちゃったら、あの頃と同じスタイルになればイイだけのことで、元に戻るだけだ。
 帰っていける、どん暗いスタイルがあるからこそ、もう少し頑張ろう、って思える。

 自分主体でいながらも、ある程度、無理をして、相手に合わせない限り、本当の意味で、明るくなることは無いって、どこかでわかっちゃってるから、出来る限り、誤魔化さないで、帰らないで、頑張ろうと思っている。

 今は、余計に、1人でいたって全然平気だし、絶対的に信頼している人達もいる。元に戻すのは簡単なんだから、大丈夫。
 半分以上、強がりだけどさ。笑

 ホンモノは勝手に降ってくるもんじゃないし、ロマンチックじゃないことに、運命は頑張りに依存している。
 強がりでも、それを肝に銘じておかないとね。
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洗脳されないで

2011-07-30 01:32:29 | Weblog
 どんなに素晴らしいものでも、使い方によって、良くも悪くもなるものだと思う。

 何かスゴイ言葉を持っていたとしても、崇高な考え方や手法を身につけていたとしても、それを即物的にしか使わないんだったら、本当に求めていることは実現しない。

 『例えば、これくらいのレベルの子達で、エネルギーだけはあります、みたいな子達を、賢くする方が手っ取り早い気が、僕はするんですよ。賢いだけの子に気持ちを付加させようとするよりも。』
 ≪そうかぁ。なんか、その中盤っていうか、イイところをとっていったら、楽しいと思うんだよね。教育ってさ、ちょっと洗脳と切り離せないところがあるじゃん?≫

 もし、自由度を与えなければそうなってしまうし、選択肢を与えずに、自分の秀逸な考え方が絶対に正しいんだ、ってバカげたことを思ってしまえば、洗脳とカワラナイだろう。そして、自分がやっていることが、自分がやってきていることが、もしかしたら洗脳とカワラナイかもしれないという恐怖心を持っていさえすえば、きっと、洗脳のほうに針は振り切らないと思う。

 まぁ、重症なヤツもいて、、自分は洗脳をやってるんだ、って開き直ってる大学の教員も実際に知っている。国家公務員に準じている国立大学の教授が、一部の奉仕者であって良いはずがなく、全体の奉仕者でなければならないのに(日本国憲法第15条より)、こういうことを公言しても何も問題にならないのがスゴいシステムよね。

 洗脳は、人の心を単一化させて、ボロボロにする。それがボロボロだ、ってわからないくらいに、ボロボロにする。
 そうならないためには、生きた目を常にしていることが大切だし、ちゃんと情熱を持ち続けるしかない。そして、伝える側にまわっているときは、最後は滅私すること。自分がやってることを10段くらい落として扱ってみる。すると、相手にとって、受け入れてもらえる部分が増えるし、受け入れやすくなっていく。

 こうなれば、洗脳ではなく、ちゃんとお互いに高め合っていける関係になっていくんだと思う。
 だから、自分の考え方に自信を持ちながらも、10段くらい落とした考え方に変えて話していくのが、二体系や多体系を作るときのポイントなのかも。自分がリーダーでもね。

 「高橋君さぁ、私に、手法みたいなのを、いちいちバラさなくてイイから。」
 『なんでですかぁ?』
 「例えば、浮気をされたとしても、隠し切ってくれたほうがイイ。なんでもかんでも話せばイイってもんじゃないと思ってるの。」

 見えない本性を見せていくことが大事だと思っているけど、その意見も一理ある。

 下げれば下げるほど受け入れやすくはなるけど、真実から離れていく。史実や真実は共有したい。かといって、染める気は、洗脳する気は、さらさら無いんだけど?

 難しいとこだな。
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何が素直か?

2011-07-27 02:21:04 | Weblog
 俺は、表面的な事だけを取り繕っていく手法の脆さを、人一倍怖がっている。

 「教科書的な正解」という言い方を良くするけど、何が物理的に正しい発言か、正しい解析か、ってのは、自分であたりながら勉強すれば、マスターすることはできる。っで、こういう正解ってのは、あかの他人の系のほうが、よくわかったりするのだ。
 もし、自分が主体的になってなきゃいけない系で、教科書的な正解がよくわかるんだったら、それは本気になれてないし、大したことじゃないってこと。客観的になり切れちゃうってのは、絶対ニセモノで、主観から抜け出せず、あんまり上手く行かないほうが、むしろ本気度は伝わったりする。

 だから、教科書的な正解の最低ラインは、よく知ってなきゃいけないかもしれないけど、基本的には、その場その場で、自分の素直な対応(素直な気持ちではない)を取っていった方が楽しいし、長い目で見れば、ホンモノに近づいていく気がする。

 ≪さっきまで、こんなん食べてたから、ちょっと汚いかもね?≫
 『ううん。全然、そんなこと無いし、気にならないよ。』
 ≪ホント?≫

 表面的な事だけを取り繕うことだって、大切だと思うし、必要なのかもしれない。
 ただ、俺が、怖がってるだけ。
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闘いの申し子

2011-07-26 00:06:08 | Weblog
 根性はあったほうがイイに決まってる。
 それも、なるべく種類多く、世の中で定義できる、なるべく全部の根性があった方がイイ。

 誰かとサシでぶつかり合う時に必要な根性、敵の中に1人で突っ込んでいく根性、大舞台でちゃんと実力を出す根性、慣れない環境で食らいついていく根性、コツコツやるにも根性が必要だし、色んな人に知ってもらったり、まとめたり、我慢したり、そういうことも、全部、根性だし、努力してるって言えるのだ。
 っで、どれか一つだけ得意になっても、ダメダメ。どれも無いよりは良いけど、どれか一つの種類だけ根性あるなんて、ザラだから。

 沢山の種類の根性の入れ方を得ていかないと、ホンモノや稀少価値の高いモノは得られない。
 だって、すげーもんほど、得られるチャンスの時間帯は短いから。それは、与えたり、与えられたりするようなことを言ってるんじゃなくって、あくまで物理的なチャンス、って意味ね。

 頑張って、それではじめて得られるモノなんて、ホンモノじゃない気がする??

 それがテメーの身の程しらねーってんだよ。どんなに運命的なモノでも、必ず、努力が存在するし、根性入れないと、楽しくないじゃん。

 それに、能力なんて、その場その場で、闘いながら、得られて行くもんだと思う。
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自分で決めたくない意志

2011-07-25 03:41:32 | Weblog
 俺は基本的に、確実に重要なモノしか信じてないから、無駄な事はしたくないし、くだらないことに、時間とお金をかけない。

 無駄だな、ダメだな、って思えば、そこから一気に変わることができちゃうし、相転移って、みんなが思ってるほど辛くなくって、自分自身で白黒決まってればラク。
 それを、誰かに委ねようとするから、ずる賢い人間に利用される。直諫することも出来ず、ただ従うばっかりになっちゃう。それから抜け出すためには、ちゃんと自分で白黒決めなきゃだよね。

 無駄な時間は一秒でも使いたくないし、無駄なお金は一円も使いたくない。
 重要度の基準は落としていけてるけど、この基本スタンスは変わらない。俺は自分で決めたいし、どうでもいいこと以外は、ちゃんと俺を言い負かしてから、共有して欲しい。

 でも、まぁ、最終的には、流れに身を任せたりもしたいから、本当に、自分でもメンドクサイ人間だな、って思います。

 『それは、自分でちゃんと決めなきゃダメだよ。意志を持たないと。じゃないと、イイようにされるだけじゃん?!』
 ≪えー、でも、自分で決めたくないってのも、私の意志じゃないですかー?≫

 俺、マシでしょ?
 その意見、大賛成だけど。笑
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最悪の真実も超えて

2011-07-23 00:50:47 | Weblog
 どんな状況でも、今出来ることを考えて実行することが、大切。

 過去は消えないし、起こってしまったことは変えることは出来ないんだから、ちゃんと現実を受け入れることからスタートするしかない。現実がどんなに最悪な状態でも、出来ることはいくらでもある。
 ライフカードは本気で探せばいくらでも見つかるし、頭の中で考えれば考えるほどアイディアは出てくる。リアルタイムで提出する技量は磨かないと身につかないけど、思考力をちゃんと発揮すれば、出来ることはいくらでも出てくるし、それを行動すれば、どんどんイイ状態になっていくはずだ。

 協力してもらったり、相互にみんなで、そういう風に思えれば、状況は劇的に良くなる。

 ≪だってさぁ、絶対に変わらない、ってわかってても、変えようと頑張る意味ってある??≫
 『ありますよ。絶対に変わらない、って理詰めで考えて分かっていても、それだけで、出来ることをしなくてイイ、ってことにはなりません。』

 すると、少しずつ、状況は改善へと向かっていくもんだ。出来ることをする、とっても大事な言葉だと思っている。

 だけど、中には、今出来ることが何も無いことだって存在する。それは過去の系だ。
 過去に存在していた系についての重大な真実を知ってしまった時に、今、どうすることもできない。

 自分の無意識の行動の中で、何故残したのか、首を突っ込んできたのか、急速にわかってきている。最悪の真実から逃げた直観はとても正しかったけど、今の俺と同じ能力があの頃にあれば、一生消えることの無いその刻印から逃れさせ、間違えさせなかったのかもしれない。
 まぁ、わりーけど、その責任は、完全に一体系であると考えているけど。

 あの頃から未来に立ってる今、とても安全な系の中で、能力も高くなったせいで、出来ることはとても多い。リアルタイムで動いてるからこそ、出来ることをきちんとすれば、それなりの結果が得られるし、ダメになりそうでも頑張れる。あの頃と違って、少しだけど、ちゃんと未来が具体的に想像できる。

 ただ、今こんなにも幸せなのは、ステップがあったからで、それに対する即物的な感謝を忘れてはいけないと思っている。
 だからこそ、今に対しても、過去の系に関連した系に対しても、今出来ることを停止するわけにはいかない。

 犠牲の上に今の自分がいることを忘れないでいたいし、それによって得られた即物的な能力を、明日からはもっと、きちんと正しく使うことを心がけるようにしようと思う。
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理解できないモノなど無い

2011-07-22 00:58:03 | Weblog
 理解できないと、気持ち悪くなってくる。
 気持ち悪くなってくると、逃げ出したくなる。でも、理系は、その気持ち悪さを我慢して、理解しようと努めるようにしないといけないと思う。

 そして、理解できてしまえば、なんてことはない。もう一個、もう一歩、頑張ってみよう、って思えてくる。少し気持ち悪くても、その先にある喜びを知ってしまえば、あとは、きっと、ずっと、やっていける、、よね?

 本当に真実が分かる時、すべての観測結果がSelf-Consistentに解けていく。恐ろしくて、震えながら、真実を見つめることになる。
 その過酷な真実も、その極端な事実も、ちゃんと自分の中に飲み込むことはできるの?受け入れることはできるの?って自分に訊いてみるけど、答えはイエスに決まってる。

 だって、俺は、理系であることに自信を持っているし、理系であることに誇りを持っている。
 どんなに難しい系で、とても難しい問題であっても、ちゃんと理解できるようにチャレンジしたい。

 それが、とってもメンドクサイ系で、ある程度、ボロボロになるんだとしても。
 高いプライドにかけて、理解できない、ってだけで、あきらめるなんてことは、もう、一瞬も、絶対にしない。

 理解できないモノなど無い。あるとしたら、俺がそこまで慧眼になれていないだけだ。
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前のがイイ!

2011-07-21 02:24:08 | Weblog
 誰だって、変わりたくない。

 最近、バイト先の間取りが変わった。1人で本を読んでる小学生に、、

 『前とどっちがイイ?』っと聞くと、
 ≪前のがイイ。≫
 『だよねー!俺も前のがイイわー。』
 ≪これ(ペットボトル)、おくとこないし。あと、においも、ちがう。≫
 『確かに。新しい机の匂い、俺もやだね。』
 ≪あとね、えーっと、これ!これをかざす机が低くなった。≫

 あのなぁ、ここの教室は高校生がメインなわけ。っで、お前は、むしろ、机に手がとどきやすくなってイイだろーが。笑
 っま、そんな実質的な事よりも、自分の感情をちゃんと表現できる小学生が羨ましくなったりもする。

 逆に、変わりたい!って思う時、連続的な変化じゃなくって、いきなりの変化を望んでることが多い。変わる過程を味わうことなく、もしもボックスを使うみたいに、いきなり状況が変化して、次の瞬間には別の空間にいる、みたいな、そんなんを望んでることが多いと思う。
 変わるために努力したり、変わるためにイヤな想いをしたり、そういうのがいっさいなければ変わりたいけど、そういうわけじゃないから、って思うから、高校生以上は、変わることを恐れる。もっともっと大人になると、変わることそのものが、悪いことだって決めつける。

 俺だって、なるべくなら、全部の系で、すべて変わりたくない。それでも、沢山変わってしまうのは、そうじゃないとやってけないような状況になるからだったり、そういうことが経験として多くて、頭でよくわかってるんだよね。

 『そっかぁ。でも、、大丈夫だよ、すぐ、ホントにすぐ、慣れちゃうから。』
 ≪えー。おれは、なれないと思う。だって、前のがイイし。≫

 変わることそのものが悪いことだって決めつけちゃってるくらい、バカになりたいな(笑)。
 そんな風に定式化しちゃうバカな連中より、小学生の素直さのが、結果は同じでも、よっぽど優秀だと思う。
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The end of the world 2

2011-07-19 23:34:29 | Weblog
 きっと、すべての問題の根源は、物理現象によるもんだと思う。
 誰もが、この残酷な物理現象に対して、屈することなく強くなっていかないといけないし、どんなことが起きても、どんなことを知ってしまっても、相手と自分の、今と未来への、気持ちだけを信じることが大切なんだと思う。

 だけど、何かのストレスに負けてしまって、レッドカードをつきつけ合ったとしても、それで、お互いに、正しさを失ったりしたくない。100%計算のほうが正しい系に対してまで、感情的になっちゃいけないと思うから。
 たとえ、信頼関係が無くなっても、ずっと連絡を取らないんだとしても、それくらいの良識を持ってる人としか、俺は人づきあいしないし、実際に完全に縁が切れてる人に対して、物理的にただ近くにいるどうでもイイ人よりは、高く評価しているし、信頼はしてないけど、いつまでも信用している。

 だから、いなくなった人でも、信頼関係があった人に対しての悪口を聴いてしまうと、いくらそれが俺のためであっても、『なめんな。あいつはもっとスゴイ奴だ。』っと言いたくなったりもする。
 二体系を離れた後も、ある意味、ひょんなとこで、相性がイイような関係を期待している。それは、現存してる人全員に対しても、もし絶交してしまっても、そういう関係になれたら、っと思いながら、人づきあいする部分があったりする。

 朝起きると、周りが、なーんにも変わっていないことに、ビックリする。どうして、世界は終わったはずなのに、こんなにも、何事もなかったかのように、日々は続いていくのだろう?

 って、想わせたホントにムカつく相手であっても、どうでもイイ人よりは、どうでも良くないし、非常に有能な人物であると期待している。
 当然、実質的な有能さじゃなくて、気持ちが、ってことね。
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わかりにくくてわかりやすい人

2011-07-19 01:43:16 | Weblog
 誰かに何かを伝えるときに一番大切なことは、相手の知識レベルを熟知しておくことだと思う。もっと広義にしてしまうなら、相手の経験値をある程度は把握しておかなきゃいけない。

 例えば、ここに、俺にとって超わかりやすい量子統計力学の教科書があったとしよう。これを俺の妹(文系)に渡して読ましてみたところで、きっと何も理解できずに終わる。難しい式と複雑な図がいっぱいかいてあるね?、とか言うだけだ。
 だけど、決して、それは、妹よりも俺がとても賢いから、ってわけではない(実を言うと、俺は妹よりも非常に賢いのだが(笑)、残念ながらこのデータからはそれは言えないのだ)。俺が、偶然、自然科学を専攻していて、よく経験しているから、だから、わかりやすいってだけで、ただの経験量の差、ってだけだ。

 人間に関する変数はこれだけじゃ無い。本来の実力から隠そうとする変数もきちんと加味して、相手にどう伝えるかを考えるべきだ。
 俺は、理系の高校生、特に男の子には、わざとなるべく難しい専門用語を沢山使うようにしている。日常会話ほど、高々とか、依存とか、変数とか、必要条件とか、どんどん使う。だいたいの場合、そっちのが楽しいことがわかってるし、背伸びし続けてると、ホントに身長も伸びていくんだぜ?(ただし、同じ手法をおっさんが真似してもダメダメ。若い俺がやるから良いの(笑))

 でも、それも、理科や数学があんまり好きじゃなかったり、俺がそれまでにそれを出来る程度の信頼関係を築いていなかったら、ただ、わかりにくいで終わる。

 わかりやすい、と、わかりにくい、はいつだって、微妙な差だと思う。
 俺にとってすごくわかりやすいことでも、相手にとってはわかりにくいこともあるし、俺にとってとてもわかりにくいことが、相手には普通のことだったりもする。

 電気泳動のデータだって、とってもわかりやすいバンドが出ていても、慣れていなければ、わかりにくいことこの上ないし、pHがlogで定義されていてわかりやすいのは、高校二年生からだと思う。
 そういえば、その高校二年生の頃、、ちゃんと勉強しよう、って思い始めた頃に、まずはひっかけ問題にひっかかるようにならないとね!、って言われたことがあった。ある関数を知っているのと知らないのとじゃぁ、かなりの差があるのだ。

 能力が無いなら、リスクを小さくしながらも、失敗を恐れず、まずは騙されてひっかかってやる!、くらいの気持ちでぶつかっていったほうが楽しいし、能力があるなら、相手にわかるような簡単な言葉の関数を使って、グレーにでも、ちょこちょこ、わかるように伝えていったほうがホンモノを得られる。

 気持ちがあるから強くあたってしまうこともあるだろうし、知らなくても知ってる風に話すこともあるだろう。そういうことは、熟練者になればなるほど、実験結果を解析するときに、わかりにくい、から、わかりやすいに変化していく。

 まぁ、相手が熟練者になっても、それをさらに逆手にとって、ひっかけ問題を作ればイイだけのことだから、、やっぱ、そんなん、めんどくさいね。
 だってさ、蛍光タンパク質でラベル化することが、本当に検出したいモノとして観えてるかどうかなんて、本当はわからなくない?どんな実験だって、観測することに由来している系統誤差は避けられないわけだし。

 「ほらぁ、だから、その、わかりやすい、ってただの決めつけなんじゃない?」『だから、勝手に決めつけてんじゃねーよ』ってね??

 だから、一周して、元に戻って、わかりやすくなってみたり。。
 でも、それはそれでわかりにくかったりして?笑
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内因性と外因性

2011-07-17 05:13:39 | Weblog
 どうも、2002年Science誌のElowitzらが書いた"Stochastic Gene Expression in a Single Cell"という論文と縁があるらしい。この辺りのテーマから離れたのに、また今度、この論文とその周辺の研究内容を発表する機会がある。んで、ここ最近、それらを査読中。まぁ、話としてキライではないから、いいんだけどさ。

 簡単に論文の内容を言うと、単一細胞内の遺伝子発現反応において、遺伝子発現そのものに依るノイズ(IntrinsicNoise)と細胞内環境に依るノイズ(ExtrinsicNoise)と、きちんと分けて考えなきゃだよね、って内容。

 まぁ、よーするに、「遺伝子」を「人」に、「細胞内環境」を「その人が所属するある集団内」に置き換えてみると、、ある集団内におけるその人のある行動の本当の理由を見つけるためには、その人自身の思考や感情に由来する部分と、取り巻く環境、取り巻いてきた環境に由来する部分とを分けて考えてみなきゃだよね、ってそんな感じ。
 例えばさ、何か悪いことをした人がいたとして、その人が悪いのか、それとも、その人を取り巻く家庭環境や学校教育が悪いのか、ちゃんと分けて考えないといけない、みたいな感じよ。わかりにくいかな。

 まぁ、たぶん、著者らはそんなことは考えてなくって、単純に、どれくらい細胞ごとに個性があって、どれくらいが物理学的に語れてしまう確率論的な話なのか、それとも生物特有の何かがあるのか、みたいなことに興味があるんだと思う。1つの細胞で1つのDNAだから、そりゃ普通の6×10^(23)個くらいある化学反応とは変わってくるわけで、そういう影響(確率論的な影響)でIntrinsicな効果が表れているのかもしれないし、それとも細胞やオリゴみたいなもん(生物学的な影響)を使ってるからこそIntrinsicな効果が表れているのかもしれない。

 どうやってIntrinsicとExtrinsicを見分けるのかというと、同一のプロモーターに制御されている2色のレポーターを用意して、その差から見分ける実験をしている。

 日常生活でも応用できそうな考え方や発想だけど、なかなか適切な例で話すのが難しいので、また思いついたらでっ!
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PLから卒業しよう

2011-07-16 03:50:42 | Weblog
 もう何ランクか上へ、想いの容量を広げて、大人にならないといけない。

 実際にどう思っていたとしても、正しい行動が出来ることが大事なのと同時に、正しい行動がいくら出来たとしても、本当の気持ちが大切だったりもする。結局どっちも大事なんでしょ?
 違うよ。どうでもイイ人ほど前者が大事で、重要な人ほど後者が大事になってくるんだ。お互いにね。

 自分の手法に限界があるって感じたら、自分でスキルアップしないとね。だから、変わらなきゃいけないのは俺であって、決して他の誰かじゃないし、誰かに『いくらなんでも』って思って、たとえ実際にそうだとしても、俺が、自分の想いの容量を限界まで広げて、上手くスキルアップさせるように仕向けなきゃいけない。
 じゃないと、気持ちだけで判断する、なんて戯言、言っちゃいけない。それだけが俺の売りだと思うし、この言葉に二言は無い。

 そういう風に気がつかせてくれるのは、いつだって、あの2人だ。俺は、この2人には特に感謝しているし、あいつらこそ、俺を上手くスキルアップさせるように仕向けている。だから、負けないように、俺も頑張らないと。
 自分のすべての周りの人に対しても、ここまでの信頼関係を築けるように期待している。もちろん、みんな十分なんだけど、友達として、あいつらは別格過ぎるんだよね。

 本当の意味で、どこに行っても、いつでも、誰かがどんな言葉を得ても、ひとりじゃないから、必ず楽しくなるし、必ず幸せになる。絶対的な信頼によって、すべての「今」で、それまで以上になって、どんどん先に進みたくなる。
 そんな俺の最大の強みだから、その期待にこたえたい。最高の気持ちの繋がりの副産物として与えられている、最高の思考力で、最高の判断と行動をとることが可能になる。一人ひとりで十分に賢いけど、やっぱり、みんなで解いたほうが楽しいし、みんなでじゃないと解けない問題が楽しい。

 だから、結論として得られた問題点を改善していこう。
 実質的な損益から離れて、俺の子供っぽい部分のいくつかを、即物的に、きちんと捨てられるように、頑張りたいと思う。気持ちは残しながらね。
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将来へのチェックワンツー 2011

2011-07-14 01:42:48 | Weblog
 なんとなく、そろそろ、変動する波が来ることがわかる。ちょっと怖いけど、ちゃんと意識を高めて選択していかないと!
 変わる時は何もかもが一気に変わる。だから、全部の系で本気じゃないとダメだ。

 すべてが、本当に、すべてのことが、良い方向に倒れこめるように、決して、すれ違わないでいたい。
 今、あんまり上手くいって無くても、すごく上手くいっていても、こういう時に、そういうことは考慮しない。即物的には変化しながらも、時間変動しないモノを見つめるべきだし、感性を働かせるべきだ。

 Gustave Flaubertの
 「The most glorious moments in your life are not the so-called days of success, but rather those days when out of dejection and despair you feel rise in you a challenge to life, and the promise of future accomplishment...」
 という、いつかと同じ言葉から、出発していこう。
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期待することの重要性

2011-07-13 01:27:53 | Weblog
 何をもって、正解とするか、不正解とするかの判断は難しい。
 その時は最高に喜んで、やったー、って思っても、後になって、やべー間違ってたわー、ってなることはしょっちゅうだし、そのさらに後になると、あれ?やっぱ正解だった?、ってなることも間々ある。

 『ちょっと、これは、やる意味がなかったかもですね。』
 [うーん、まぁ、いいんじゃない?実験は、一個でもわかったことがあれば、それで成功でイイんだよ。それが当初の目的じゃなくてもね。じゃないと、ほとんど全部失敗になっちゃって、モチベーションが下がって、続けることが難しくなっちゃうし。]

 だから、どんなに最低だって思っても、どんなに仕返ししてやりたいっと思っても、感謝しないといけない。
 感謝するなんて、今、どうしても感情的に出来ないんだったとしたら、スルーするしかない。何週間か、何ヶ月か経って、冷静になって、大人になった時に、ごめんね、ありがとう、またね、って、最後の言葉を述べれば良いのだ。それが、正しいレッドカードのつきつけ方。

 でも、そんな風に頭で考えられなくて、今までやってきちゃってることがあるわけだから、後戻りが、っぱっと出来ないって気持ちはすごくよくわかる。感情が無ければ良かったのに?
 ほら、そんなことを想ってると、昔の言葉が蘇ってくんぞ。

 絶対に負けたくないなら、何も期待しないこと。

 って。

 逆にバカだな。期待する、ってのは、本気になるってことだから、どっちにしても勝ちなんだよ。
 だって、実験は、一個でもわかったことがあれば、一ヵ所でも想いの容量が大きくなれば、それで成功でイイんだから。本気で期待して実験しなきゃ、それすら掴めない。

 本気になれないなら、即物的なままなら、どんなに実質的に上手く行ってるように見えても、成功にはなんねーんだよ。っていうか、それじゃぁ、楽しくないし、短い人生がもったいないだろ。

 だから、気持ち依存で本気になることを諦めないで。
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いいよ、持って行きなっ

2011-07-12 02:32:47 | Weblog
 確か教育実習でもいくつかのクラスに言ったけど、基本的に、授業とは、ある本の読み方を教えるもんだと思う。
 何かの計算の能力を身につけさせるためではないし、何かの考え方を教授するもんでもないし、外国語を使えるようにするためでもない。ある本を読むのに、どの読み方が一番コスパーが高いかさえ教えてもらってれば、生徒としては、それで満足しなきゃいけない。

 ただ、教員サイドとしては、それだけではダメだ、って思ってないといけない。
 お金を貰っている分、すべての生徒に対して平等に、何かの足しになるように、少しでも能力をつけてあげられるように努力しないといけないし、そういう気持ちの一つひとつが教育になっていくと思うからだ。

 じゃぁ、お金がいっさい介在していなかったら?

 当然、自分が持ってる能力だけをただ奪われていくことに、耐えられない。俺から、私から、即物的な部分だけを、奪っていかないでよ、参考にしてんじゃねーよ、ってね。
 お金が介在している教育上だって、能力だけじゃ寂しい。どこかでちゃんと気持ちが繋がっていないと、やっぱり、本当の意味でのコスパーは悪くなると思う。

 だから、生徒と先生の関係じゃない関係なら全部、能力だけを奪われるなんて、普通は嫌だよね?

 正確に言うと、俺の場合、能力じゃなくて、励起エネルギーかな。
 「私から励起エネルギーだけ取っていかないでよ。」
 『俺から励起エネルギーだけ取っていかないでよ。』って?

 だけど、俺は、どっかで、それでもイイと思っていたりもする。それは、気持ちが、本当に本当だからだ。
 俺からつみとれるとこは全部つみとっていって、それで、何かの足しにしていただけるなら本望って思ってる。まぁ、誰かから、バカじゃねーの、って言われそうだけど、でも、それでもイイって思えることが、唯一の証になるなら。

 それに、世間で言われるほど、情熱で報われる孤独も、悪いもんじゃねーよ?

 すると、長いタイムスケールの中で、本人達だけが気がつかないだけで、実はWinWinの関係だったりする。
 まぁ、やっぱり、それじゃあ、どこか、悲しいんだけどね。
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