たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

尊い現状をカテにして

2010-04-30 02:24:16 | Weblog
 新生活が始まって、明日からゴールデンウィークですね。っま、今日を乗り切らないとなんですけど。
 このGWを切り抜けると、きっと待っている5月病。この5月病の想いをプラスに持っていくと、来年から、もっと素敵な違う場所にいたりするのです(笑)。今回は、動く気は、まだ無いですが。
 さぁ、新生活を始めた皆さん、気を引き締めて、GWをむかえ、新生活の基盤を作っていく覚悟を整えましょう。

 でも、それでも、新生活で、整わねぇ、っと思ったら、この新生活前の自分を思い出してみればイイ。この生活を掴むのだって、苦労が沢山あったはずだし、1年も戻れば、まだまだ甘かった頃の自分を確認できるはずだ。

 俺の場合は、と自分のことを思い返すと、ちょっと怖い。っというのも、他の人の違う事象もそうだと思うけど、ものすごい確率でココにいるんだなって思うからだ。色んな意味で、ひとつでも選択肢を間違ったら、ひとつでも周りの現象が異なっていたら、ココにいないかも。

 よくもまぁ、出身大学の大学院も受験せず、しかもがっつり難しげなとこを2校しか受け無かったよな、っと思う。
 あの時、賢くなることしか考えてなかったみたいな時、それを超えて今、賢くなれているのか、ちょっと不安になることがある。結局、俺は、何かを目指すことでしか、本当の意味では、実力があがらないのかもしれない。現状に満足したら、お終いなのかもね、仕事や研究では。

 さぁ!こうやって思ってみたら、今ある現状に存分の幸せを感じられ、しかも、今の問題にも気がつける。
 近頃ココで、こればっか言ってる気がするけど、マジそろそろ、動かないとっ!!
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直観のカタチ

2010-04-29 02:06:16 | Weblog
 無形でカタチあるモノにこそ価値がある。ここでいう形とは、物理的なモノも指すし、精神的な言葉みたいなモノも指す。卒業証書だけあったって、なんにも意味が無いし、言葉だけで収集される2人以上の集団も価値が無い。
 テストのための力じゃなくって、本当の能力、本当の力には価値があるし、求められる。それと同じように、趣味が合えば、フィーリングが合えば、嫌いなモノ好きなモノが合えば、それで信頼関係が結ばれるわけではない。むしろ、理解できない部分や納得できない部分がある中で、それを超えて、相手にちょこっと合わせてみようかとか、もうちょっと自分に合わせてほしいなっと思ったりとか、それでも一緒に、って思う気持ちだとかこそに、ホンモノが隠されているのだ。

 こうやって言うと、時間依存性を入れていないので、強烈な感じになっちゃうんですよね。初期状態で、形をもってして、カタチを取りにいくのは、すごく正しい。だって、最初は、形式的なもんから入っていくもん、何だって。
 試験のための勉強をしている過程で本当の力を身につけたくなっていくもんだし、始めは授業が一緒だとかサークルが一緒だとか、そういうことから信頼を深めていくもんだ。

 認知論という分野で、ABC理論ってのがある。もう、今日習ったの含めて、大学で習うの3回目。それくらい、ネタにしやす…、いえいえ、重要な理論なのでしょう。
 ABC理論ってのは、人は、出来事が起きると、思考をして、それに対する、感情が現れるという考えです。確かに、事態が起きて、それを頭で考えて、あー自分に対してこういう感じだったからこういう出来事が起きたんだーって、思って、そっから、うわ、あいつ、やなヤツ、イイヤツ、ってやる気がする。

 こういうような、心理学の学問領域って、あくまで学問上だけでしょ?ってバカにしている賢い人達が多いけど、案外そうでもないんじゃん?っと、学べば学ぶほど、俺は思っている。つまり、結構ちゃんと、心理や抑うつについて、考えているなーって思っています。
 ABC理論に対しての批判意見的な論文も沢山あるようだし、全部のケースがこの考えに当てはまるだけじゃないよね?、ってのは当たり前のことで、やっぱり、俺ぐらいが思ったり考えたりすることってのは、だいたい、世界のどこかで、やられていることなんだよな、って、これまた当たり前のことを思う。

 そう、だから、ABC理論を介さず、そのモノと出会ったその瞬間、ちょっとだけ時間が経っただけで、スベテがわかる時だって、あるってことだ。こういう状態は、定常状態、っま、現実だから、時間依存性がとても低い、くらいにしとこうか。
 これを、最近、感情、ではなく、俺は、直観と、ここのページでは呼んでいるけど、この直観の作用は、重要なシーンでは、非常に精度が高い。うむ、気をつけなきゃいけないのは、あくまで重要なシーンだけ、ってこと。どうでもイイ、例えば、電車ん中とかで、『うーん、何も根拠が無いけど、あの人、次の駅で降りる気がする。うん、これは直観だ!』ってくらいのは、あたらないってこと。

 形がないカタチあるモノに対して、こういう直観的能力を、もっともっと、磨きたいもんです。

 …って、今、俺、コレ、書いてて思ったけど、これって、一目惚れを推奨してるよね(笑)。
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変化の日々

2010-04-27 22:59:52 | Weblog
 ここ1ヶ月で、もっというと2ヶ月で、生活はガラリと変わりました。
 良くなったこともあるし、悪くなったこともある。総体的にはイイ方向だから良いけど、この目まぐるしい変化にかなり疲れさせられています。
 知って良かったこともあるし、知りたくなかったこともある。知って良かったことはお勉強面ですね。知りたくなかったことは、集約すると「人間」ですが、まぁ、想像していたよりはマシ。

 ずーっと教科書の中でしか知らなかった事が、どんどん目の前にでてきて、それはとっても楽しいんですが、『あ、やっぱ、イメージだよね。あれは。』ってやつも多かったです。やっとこさ、ピペットマンにも慣れてきました。
 最近よく、ピペットマンの試料がちゃんと取れないときの煩わしさとプログラミングでどこが間違っているのかわからないときの煩わしさと、カケヒキ計算をしてみますが、俺は、実験のがいっかなー、って思っています、今は。

 さて、カードが自然に手に入ってくる期間は、きっとそろそろ終わりです。そろそろ、自分で動くことを求められるし、自分で動かなくちゃいけません。
 今までも結構、動いていたつもりだけど、そろそろ、また、本気をだして、いろいろ動き始めようと思います。
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純粋さは戯言なんかじゃない

2010-04-26 03:20:40 | Weblog
 当たってみるからこそ、結果がでる。当たってみるからこそ、わかることがある。
 そこから、また、状況がひとつ見え、次の一手を考えることができるのだ。

 何もせず、尻込みして、行動しないんじゃ、つまらない。別に、たいていのことだったら、何をしたって、死ぬわけじゃないんだしさ。何でも最初は緊張するけど、話だしちゃうと、妙に落ち着くもんだし。
 なんで、みんな、人間関係について、そこまで慎重なんだろう??って思うことがある。どんなことやったって、75日もすれば、みーんな忘れちゃうんだから、もうちょっと勢いよく行動してほしいもんだ。

 何か目立つ行動をすると失敗する、っという信念を持っている人ほど、まさに、行動しようとしている人の足を引っ張るようなことをしやがることが多い。むしろ、お前が価値観を押し付けてんだよ。お互い、ほっときあおうぜ。
 ただし、良かれと思って、足を引っ張ってくれる人もいる。たとえ、実質的に不利益でも、こういう人にはきちんと感謝をし、大切にしていきたいと思う。心配してくれているんだし。
 この2種は、決して区別のつきにくいもんじゃぁない。必ず、直観によって、わかるもんだ。

 うーん、まぁ、これでも最近は、「行動する」のを抑えてるんですけどね。あまりに、びっくりされすぎても困るし。

 そんな俺でも、世の中には、「行動する」ってことについて、罪悪感を感じる分野や事象がいくつかある。大事な分野や瞬間だな。くだらないと思っているからこそ行動できる、ってわけでもないけど。
 努力するのがタルいわけじゃない。努力してはいけないっと思っているのだ。努力しちゃったら、なんか、ホンモノを信じないことみたいな気がして。だって、ホンモノなら、勝手に訪れるはずじゃん?

 だから、、

 『うーん、だから、選択肢を奪わなきゃ良かったっていうか。うーん。。』
 「あ、それは違うよ、K君。」
 『なんで??』
 「だってさ、K君が、当たってみて、はじめて状況がわかって、次を考えられるわけじゃん?」
 『(あ、そっか。こういう事象でも、そういう視点に立つことができるよね。……。でも…、)まぁ、そうだけど。』
 「そうやって、当たることで、はじめて、わかるんだしさ。だから、続けてみてもイイんじゃない??」

 かなり時間が流れたのに、むしろ、この時のこの言葉を、いまだに、飲み込めずにいる。
 確かに、非常に冷酷になって考えたら、それがベストなのは、わかる。だけど、感情がある限り、いや正確に言うなら、微塵でも感情の多様さがある限り、それは不可能だ。どうしてそんなに、ひとつの想いのために、ひとつの感情のために、冷酷に徹するアイディアが、思考で貫き通すアイディアが、発想できるのか、理解できない。納得できない、じゃない、理解すらできない。

 どうしたら、そんなにも、小さい頃のイメージを消し去ることができるのか教えてほしい。
 でも、ごめん、どんな方法が存在していたとしても、俺は、そっちに振り切れ無いと思うし、、少なくとも今は、「戯言なんかじゃないし、惨めなんかじゃない。そういうことに対してまで戯言だって思っちゃう、その考えのほーが、よっぽど惨め」だと思い続けていたい。
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クマムシの強さ

2010-04-25 03:33:22 | Weblog
 今日、友達との会話の中で、宇宙生物学というワードがでてきた。なんじゃそれは?!っと思ったが、解説してくれた。
 宇宙生物学とは、よーわ、地球の環境から宇宙の環境に、少しずつ近づけていったときに、どの辺りまで生物が発生しうるかを考察する研究分野らしい。楽しそうだな。新しい分野らしく、まだ明確な定義がないみたいだけど、だいたいそんな感じ。

 言葉というのは便利だけど、囲いを作ってしまうという欠点がある。だから、「宇宙生物」も、気をつけながら、言葉を定義してほしいな、って、ちょっと思う。
 例えば、何か目指しているモノを、「夢」と言ってしまった場合、確実に、実現しにくくなる。「夢」という言葉で願いを束縛して、日常生活から追いやってしまうからだ。実現するための具体的な努力をなかなか開始しようとしないのが、関の山である。

 どーしても、人間、この「言葉」に支配されがちだ。俺自身も、何々研M1のたかはしです、っと言ってしまうしね。特に、だけど、人に対して言葉を当てはめるときは注意が必要だと思う。
 あいつは、俺の「生徒」なんだから、俺よりも正しいことを言うはずがない、っとか、彼は「何々の所属」なんだから、スゴイのだ、っとか、ひどいと、ヤツは何々の所属「だった」んだから、こうだ、っとか、そういうのは、思考を停止してしまっているから、よくない。
 入試や入社試験をしてるわけじゃないんだから、もっともっと違う面で、きちんとその人を解析しなければ、色々な意味において、正しい判定や決断を下せるわけがない、と思うんだよね。

 っていうかさ、そうやって言葉に惑わされて人を判断していると、話すことができる人種、減るよ?ただでさえ、この狭い日本のせーで、話す機会がある人種は少ないってーのに、○○部のヤツとは話しにくいとか、あの大学のサークルにいるヤツはみんなダメだとか言ってたら、超狭い、臆病な人間になっていってしまうぜ?
 別にそれでも良いもん、っておっしゃいます??話せる人種が少ないってことは、寂しいだけじゃなく、あなたの実力そのものが低いことを表しちゃうんですよ。だって、前にも言ったけど、例えば、物理が超できるのと、物理が超できる親友がいるのは、ほとんど同じだからね。

 そんなところからも、言葉に惑わされて、相手を決めつけ過ぎないようにしないとなぁ、っと思います。

 話はだいぶ戻りますが、「宇宙生物学」の研究分野には、「クマムシ」という生物が良いサンプルになるのではないのか?っと思いました。
 クマムシは、すごい生物です。長い間、水が無くても生きられ、高温150℃でも死なず、低温-200℃でも死にません。真空中でも生きられ、放射線をあてても死なない。マジ、最強です。

 クマムシは、身体がとっても小さいおかげで、柔軟性があり、色々な環境に入り込むことができる。だから、色々なところでタフなのです。
 人間も、クマムシくらいタフになるためには、差別なく、色々な場所に行き、多くの種類の人達と出会い、いろんな人と仲良くしていかなきゃなんだと、思うのです。

 …って、さすがに、今日は、無理があるFull Circleだったかな(笑)。

 Reference;クマムシの世界
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3人の写真

2010-04-23 04:15:47 | Weblog
 どんなことでも、心が入っていないんだったら、何も意味が無い。本当に、なーんにも、意味が無い。
 どんなことでも、楽しんでいないんだったら、それについては価値が無いのかもしれない。

 心が入っているっていうのは、扱っている事象に対する心ではなくって、誰か他の人に対する心、っという意味だ。
 例えば、音楽をやっているんだったら、音楽に対して心を持って接しているのは至極当然だし、自然科学をやっているんだったら、真理を追究したいという心を持っているのは当然。そうじゃなくって、同じ目指している人や、オーディエンス、隣にいる誰かに対して、本当の意味で大切に思ってなきゃ、つまらない。
 その能力が、たとえ実質的に役に立っているんだとしても、それだけじゃー、ロボットと同じ、意味が無い、ってこと。

 世の中、感情が少なめで、技術ばかりを強く追い求めているモノを、よく見る。技術的に足りないところを埋めにいこうとして作った人間関係は脆いし、くだらない即物的なモノを本質だと勘違いしている人達からなる集団も、面白味が無い。
 技術や見栄え、地位などを高めるために、人間関係を利用するのは最低だ。こうやって高めていくと、確かに、表面上は素晴らしく感じる。だけど、居心地がよくなくって、きっと、本当に掴みたい本質は、一番に逃げていってしまう。技術はすばらしいから、スゴイ!とは思うけど、ただそれだけだ。

 そうじゃなくって、お互いに無理をし合って、技術的なところを合わせてハーモニーを奏でたり、話を合わせるために、興味が無いモノに興味を持ってみたり、時には演技をし、時には泣き笑いで、たわいもないおしゃべりの時も、空に絵を描いたり星を集めている時も、何をしていても、常に。。
 そんな関係から生み出されるモノにしか、きっと意味は無い。こんなにもスゴイ技術があるようになってしまった現代だから、心で震わせるようなモノしか、価値が感じられないのだ。

 この感じのとき、どんな分野の、どんな人間関係でも、共通するようなことが、いくつかある。儀式的に感謝の言葉を言いたくなる、喋っているとよく噛む、予定外や間違えたときにフォローが効きやすい。。
 だけど、この人間関係も、結局は脆い、ということも知っている。だって、そこに価値を見出すなんて、圧倒的なマイノリティーだからね。

 お互いに無理して涙見せないで、無邪気さで笑顔似合う、そんな関係を、こっから、今、ここからも、築くことは、できるのだろうか??
 こないだ、予想以上に、ひとりで歌うひとりは、切なかった気がする。

 (kiroroで一番好きな曲。そして、今、聞くと、ほとんど一致で共感出来る曲だ。
 あんまり有名な曲ではないけど、伝わるモノがストレートで、切ない一曲です。)
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勝ち負けを超えてよ

2010-04-22 01:27:59 | Weblog
 俺はもう、純粋な理学の人間ではないけど、それでも理学志向が強いと思う。
 人と話していても、何が絶対的真実なのか?を探りたくなってしまうときがある。そのために、今聞いた、その事象で起きたことと、自分の知っている経験の共通事項を見出し、この共通な部分が真理であると、決定づけたりする。しかも、ほとんど無意識に。『そっか。そこでもか。全然関係ないけど、あの系でも、そうだし、この系でもそうだから、変わることが嫌い、は、真理やなっ!』ってね。

 真実を見出すのに、一番手っ取り早い方法は、人を捕まえて、議論することだ。議論すると、2倍以上の思考力になる。
 どんなに賢い人間でも、解析力を極限まで高めて、Self-Consistenceに解くことに慣れていたとしても、どーしても1人だと弱い。難しい問題ほど、仲間と一緒に、意見をぶつかりあわせながら、解決しようとすると、真実が掴めるもんだ。
 だからこそ、学会があるし、大学があるし、研究室があるのだしね。

 だけど、、もっともっと、大切なことがある。真実なんて、どうでもイイ。本当はどちらが言ってることが正しかったか?なんてどうでもイイ。
 研究テーマや絶対的真理以上に重要なこと、それは、相手がどういう心で、こっちにそれを語っているか?だ。そこが重要な瞬間、こっちが間違っていることに後で気がついても、相手が間違っていたのに突き通されてしまっていても、どうでもよくなってしまう。

 もし、議論の相手が、議論など相手と決別するときに行われるモノで、争いごとなんか好きじゃない、っと考えている、いや、思ってるんだったら、最近は、そっち側に乗っかりたいと思う気持ちが強くなった。俺自身も、その感情、少しあるし。
 ただ、感情無しで、勝負なんて言葉をほとんど介在させずに、お互いにお互いをコンピュータとして扱って、真実を追い続けるのも、ゲームの協力プレイみたいで、案外、楽しいもんだぜ?!

 っま、それをわかっている人はなかなか少なく、ほとんどは、お互いに技を出し合って、思考力の勝ち負けを決めるための、ガチ勝負ばかりしている議論が多いから、、やっぱり、少なくとも日常生活では、俺に議論なんてさせないで。
 協力プレイを頼んだ俺が、いけなかったよ。

 ちなみに、矛盾しているように聞こえるかもだけど、議論で思考力のガチ勝負するの、好きだよ。相手は嫌いなヤツに限るけどね。
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折りたたみ傘を使うまでの葛藤

2010-04-21 00:02:30 | Weblog
 4月に入ってから、雨の日が多い。っていうか、雪も降ったしね。もー、異常気象もここまで来たかぁ!…って、異常気象、異常気象って、毎年言ってたら、異常気象じゃねーし。
 …っていうネタも、毎年使ってるくらい、ずーっと異常気象(笑)。

 雨の日は、どーしてもテンションが下がる。まぁ、雨の日も無いと困るのはわかっているんですけど、なにせ、傘がめんどくさいのです。どーにかしろよ、理系!
 特に今日みたいに、午後から降ります、みたいなときが、一番だるい。降るなら、一日中降ってくれ。体育、体育館でやるのか、外でやるのか、わからねーじゃねーか(マジ、高校生発言だな(笑))。

 こーゆう時は、折りたたみ傘じゃん?!折りたたみ傘ってさ、カバン圧迫するんですよね。。
 しかも、折りたたみ傘持っている時って、その後、濡れた傘の行き場に困るのが目に見えているから、なるべく使わないようにするじゃん?だから、その時間的な平衡点を見出すのが難しいし、めんどくさい。

 え?なんの平衡点かって?!
 だ・か・ら、「濡れた折りたたみ傘の行き場に困る煩わしさ」と「今、服が濡れてしまう煩わしさ」のカケヒキ計算で、どのタイミングなら、一番、煩わしくないか、ってこと。

 『このくらいの雨なら、折りたたみ使うことも無いかな…。屋根があるところまで、歩いて10分。うん、このくらいなら、濡れたうちに入らないだろぅ。。
 うゎ、結構降ってきちゃったな。折りたたみ出動するか。でも、せっかくここまで、使わなかったのに…、もー。ってか、周りの人の傘率を見て、参考にしようかな。さて、、うーーん、ちょうど半々くらい!ったく、使えねーな。
 でも、そうだな、もう、流石に、傘さしてないと、変だよね。うん、さそう!ここまで我慢しちゃったけど、もう、結構、服濡れちゃったけど、こういうときこそ、あの名言だな!「ここまでの現状をすべて受け入れ、今できることを考えろ!」だな!うん!
 ここまでの思考の失敗をすべて受け入れ、最初っから傘さしとけば良かったなんて悔やまず、今できる最善である、傘をさして、服を守ることに、徹しよう!よし、傘、折りたたみ傘を、さすぞー!!
 ぁーあ、でも、あとで、たたまなきゃいけないのも、めんどくさ。んで、乾かしてから、たたまなきゃだし。。うーんん、うーーん。』

 あー、マジで、本格的に、アホになりたい、っと思う瞬間なのです。
 …って、思考の中心に、「メンドクサイ」があるから、いけないんですけどね。

 (注:普段、僕は、ここまで考え過ぎません。こういう風に考える自分がわかっているので、割と、さっさと、傘さしますから。もう、むしろ、流行の最先端を行くために、周りの人の中で、一番に、傘さしだすくらいですから!
 いや、ホントだってば!!笑
 …「傘に関しては」ね。。)
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とにかく継続しなきゃ

2010-04-20 00:21:48 | Weblog
 夜は、やけに、やる気が高まってくることが多い。

 そんな時、きっと将来は、間違いなく、総理大臣になれる、ノーベル賞が取れる、国連に入れる、宇宙飛行士にだってなれるだろう、って、勘違いする(こーんなに、度を超えた勘違いをする人もいないと思うけど(笑))。
 そして、その最高の気分のときの、最高の将来を、最短で起こすためのベストな明日を想像する。こんなんやって、あんなん買って、んで、何十時間か努力して、それから、こういうところにアプローチして、ってのを毎日繰り返せば。。

 っさ、じゃぁ、明日のために、寝るか!っとなって、起きたら、アウト。そのモチベーションを思い出せない。っというよりも、夢見がちな夜と違って、朝はとっても現実的になるので、無理だな、って痛感するのだ。
 っま、いいやー、ってなっちゃえば、それはそれでイイのだけど、どこか違うな…、なんで、あんなに輝かしい未来が想像できていたのに、今、自分は何もできないんだろう、って思うんだったら、それはピンチでありチャンスだ。

 はるか先の全体的な将来以外にも、誰だって、あらゆる事象(どんな事象でも良い)に関する、数ヵ月~1年後くらいに起こりうる、ベストな状態を想像する。そして、そのベストな状態への最短を目指すための、自分ができうるベストな明日を想像する。
 ただ、こういうベストな状態を想像できるときというのは、めちゃくちゃ調子がイイときで、そっから、たった明日、で、状況は一変する。うわー、できないっ、ってね。

 そんなとき、この思考が一番大切です、『今日、昨日の目標の2割でも達成できたら、スゴイ。1割できたら、拍手。』。

 浪人が決まって、予備校に入って2日目、英語の先生が新浪人生に対して、
 ≪君らの目標は、そこに一年間座っていることだからね。それを忘れるんじゃないよ。≫
 っと、言った事を、今でも鮮明に覚えている。そのときは、よく意味がわからなかったけど、1週間くらい経ったら、よくわかった。うゎ、当初のイメージと違いすぎて、すべてを投げ出してぇー、ってね。そこで引き止めてくれたのは、最低ラインの目標の大切さだった。

 凄まじい目標、ものすごい理想の高い夢、輝かしすぎる将来、に関して、想いをめぐらすことは、非常に大切だ。さらに、その目標に向かって、明日できることを考えることも、大事。だけど、次の日になったら、あの目標の2割だけでも超えられたらスゴイってことを念頭において、すべてを投げ出す前に、今できることをしてみることだ。
 そして、もし、1割でも達成できたなら、目標の1割をきちんと超えられた自分を褒めることができる器のデカさは、もっともっと、非常に大切。
 これを繰り返すことで、人は精神的に、スゴイ領域に達することができるんだと思う。そして、最短でなくても良かったじゃん、ってことを、本当の意味で、知ることになるんだと思う。

 「成功するまで続けるから、いつも成功できる。成功するまで諦めないから、俺が成功ばっかしてるように見えるんだよっ。」
 誰かに迷惑をかけない範疇なら、非常に正しいと思います。

 あ、なんか、全体的に、将来とかを想定させがちな感じの記事だけど、それだけじゃないよぉ。
 もっと、一般的に、ってことです。
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目の前の尊い楽しさ

2010-04-19 02:20:21 | Weblog
 高校を卒業してから、いや、その前からかもしれないけど、『周りにいる人と違うことをしなくちゃ』っという感覚が常につきまとっていた。
 それは目標がその中の多くの人と異なっていたからだけど、、だから、ここ10年くらいの自分に欠けている部分、大きな反省をひとつだけ告白するとしたら、「その集団の中で、人一倍楽しもうとすることの欠如」だと思う。

 新しい生活が始まって、2週間目。今回はちゃんと、このメインの場所で、中で楽しもうとできているかな?

 だけど、考えてみれば、こういう外に意識が向くのはいつも俺のせいではなくって、外的要因によって、そう思わざるをえないというか、それこそ運命的に、いつもいつも、コトが起きるのだ。っま、きっと、全員に平等にそのコトは起きていて、俺は、レールから落ちてはいけない、っと思考するのではなく、それならいいよ、路線変更してやるよ、っていう思考になる、ってだけなんですけど。

 『って言う感じに、その人に、言われてさぁ。だから、そうなのか、って思って、こっちに来るようにしてみたの。んで、これからさらに、って感じ。』
 ≪…。ふぅーん。じゃぁ、高橋君も、結構、人が言うことに左右されるんだね。≫
 『え?!あぁ、そうよ、割と。環境依存性はめちゃくちゃ高いと思う。』

 ただ、俺のその他なとことして、口だけじゃなくって、本当にやっちゃうことだけどね(ふふん(笑))。割といるじゃん。仮面浪人しているって言ってるヤツも、留学したいって言ってるヤツも。でも、たいていしない。普通、しない。
 俺は、そういうのイヤ。本気のことしか言わないし、少なくとも努力していることしか言わない。それも、極めて信頼度が高い人にしか言わないから、いつも、いきなりのサヨナラになってしまう。

 …って、そんな、たいそうなことでもないんですが、ただ、今までのこの方法だと、自分自身が、満足できない。
 もっともっと、中でも楽しむような自分になってみたいのです。っで、井の中の蛙にならないように、外にも眼を広げてみてさ。そんなに上手く行ったら良いけど、きっとそこまで上手くは行かないだろうね。ただ、こっちの大切さも取り入れないとって、思うのです。

 だって、いつもいつも、漠然としてるわけじゃないからって、先の先くらいを見てたら、楽しめ無さそうだもん。しっかりと、着実に、目の前にある楽しさ、大切さに、目を向けることも、してみたいと思います。
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あなたが置いてった言葉、俺が残してきた言葉

2010-04-18 02:35:35 | Weblog
 目まぐるしく人間関係が移り変わっていく。
 自分よりも目上の人から生徒まで。きっと、また、その中から、ガチで信頼する人物が現れるのであろう。

 一期一会。ものすごい確率で出会った人たちに対して、俺は、だいたい同じ対応をとっている。どの人種、どの関係であっても、態度がほとんど変わらない。それをよく思わない人も確かにいるけど、でもそれは、解析力がまだまだな証で、結構、差別してるんだぜぃ!?

 そして、今までいた場所や、これからもいる場所で去っていった人達のことを考えると、ついさっきまでそこにいたような気分と、だいぶ長い時間が経ったような感じと、2種類いっぺんに味わうことになる。時間的には、まだそんなに経ってないけど、この1ヶ月は、感覚的には半年くらいに相当するかも。

 確かに、本当に確かに、この場所に、存在していた。あの場所に、存在していた。
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教科書通りの受け答え

2010-04-17 00:48:33 | Weblog
 俺は、そこまでコンピュータが好きなわけでもないのに、俺が所属している、していた研究室は、コンピュータがメイン。
 今日は、ココ最近、何かと俺とご縁がある「コンピュータ」から、お話をし始めたいと思う。

 コンピュータ、っというと、ほとんどの読者は、スパコンやノートPCを思い出すであろう。それは正しいけど、正確じゃない。計算をすれば、それは何でもコンピュータだ。だから、計算しているノートPCはもちろん、コンピュータだけど、それだけじゃない。
 「あれ?じゃぁ、俺はパソコンをコンピュータとして使って無いや、だって、ネットしかしないもん。」って方もいるかもしれませんが、何かを入力して、何かが返って来ていれば、それはコンピュータであると言って、差し支えないんです。ググるっしょ?何かを入力して、サイトが表示されれば、それは立派なコンピュータとしての仕事です。
 よーわ、f(x)みたいな、xに対してのfのようなブラックボックスを、コンピュータと呼んでいるのです。

 これを応用する学問分野が実際にいくつかあって、自分が関わっている具体例じゃない例を、あえて1つ言っておくと、量子コンピュータなどは、その1つです。簡単に言うなら、量子力学の考え方をブラックボックスであると仮定して、計算させるというのが、量子コンピュータです。

 でも、そんな難しいことじゃなくても、もっと良いコンピュータの例があります。それは、人間です。
 何か問題を与えて、それに対して、答えが自律的に返ってくる人間は、一種のコンピュータであると言えるでしょう。

 ただし、学問にのせて、人間をコンピュータと見なすなら、かなり教科書的な受け答えしかできない人間しか定義ができないことになります。こういうのは、いつも言ってるように、感情なしの思考だけですから、人間味が感じられず、面白味が無いのでしょうか。。

 C++で、ほとんど最初っからプログラムを書いていたとき、はじめはなんて無機質なんだろうっと思った。だけど、時間が経つうちに、不思議と愛着が湧いてきたのだ。
 いや、自分が作っているから、ってのがあるかもしれないけど、なんていうか、それ以上に、ちょっと、思考だけじゃない気がしてきてしまったのだ。少なくとも、自分のプログラムを他人にいじられるのは、あんまりイイと思わなかった。

 本物のプログラムでそうなんだから、どんなにコンピュータ的な、教科書通りの受け答えでも、垣間見える一瞬だけで…。
 思考と感情のグレーゾーンは、意外に沢山あるのかもしれません。

 ただ、人間にとって、賢くなりたいということは、恥ずかしくないようにしたいということでもある。そんなに、プライドでがちがち固めていると、失ってしまうモノも多かったりして。
 だって、たとえ中にものすごいモノが入っていたとしても、箱を空けるのがめちゃめちゃメンドクサイ、ビックリ箱だったら、空けようとする人は少なくなるはずでしょ?

 っま、俺は、それを自分でわかっている、ってのが、ヤらしいんですけど。つまりは、自分で選びたくないということなのかもしれません。
 そんなつもりはないんだけどな。
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Thank God I Found You

2010-04-16 02:43:26 | Weblog
 飾らない、ありのままの真実を見つけるためには、正統派的な方法と邪道的な方法がある。
 何が正統派か邪道かと決めるのは難しいけど、これは思考的なとこではないと思う。例えば、エレキギターにカポつけるのとか邪道だと思うし、物理で一番正統派な範囲は素粒子だと思う。別に、いやいや、エレキにカポつけるのだって別にアリじゃないですか?、とか、物性だって立派な学問ですよ、ってのもわかるけど、そうじゃない。そこは感情だから。

 すべての願いや夢は、はじめは必ず正統派だ。ヴァイオリンじゃなくてヴィオラからやりたいって人は少ないだろうし、キーパーになりたくってサッカーを始めることも稀なんじゃないだろうか。
 でも、現実、正統派で貫けるほど、甘くは無い。それを目指している人間が何億というオーダーで世界に存在している。そんなレースをしていることに、気がつく頃、一瞬、悲嘆からの傷は心の中身を凍らせていくことになる。

 とっても苦しんだ後に、それを完全に諦めるか、それとも、少し妥協して、ではないけど、そこから、また、フレキシビリティさをもってして、願いを作るか。それが大好きだからこそ、路線を微小に変更することは、多いに結構。そして、完全に諦めてしまうのも、結構。すべてを大切にするためには、その2つ以外に無いだろう。
 だけど、諦めてしまうなら、少しの邪道さを選んで、あなたが諦めた道をさらに一歩ずつ踏み出し続けている人達を蔑まないことだ。これは、俺の周りに割と多い。それはそれとして、エレキにカポつけるのも音楽なんだからOK、物性の「1」と素粒子の「1」は対等であると、認めないとね。認めるか認めないかは感情ではなくって、思考だし。

 俺はこの瞬間で、物理→生物と移行して、細かいことを言い出したら、もっともっと路線変更をしていて、行っている場所も一緒に頑張るメンツも統一性が無いけど、そんな自分を、「その他」だとは思うけど、邪道だとは思わない。別に、試しているわけじゃないし、いつだって、試したくない。それは、画一的に系(Keiでもいっか(笑))を見過ぎている。
 俺が主眼においていることは、すべて理科であり、もっとちゃんと言うと、全部、自然科学をやっているわけで、それがずっとやりたいことだからだ。もっと言うなら、自然科学ではなく、学問が好き。あと、音楽が好き。そして、それは一つの想いに集約される、「それだけは、ずっと、俺もお前もカワラナイんじゃん?役に立ちたい、人を助けたい、ってのだけは。」って。そこが大事であって、細分化された概念は、ひとつのツールでしかない。ただ、ひとつひとつのツールは、確かに、光り輝く運命を示している。

 ≪世の中からしたら、物理学なんていうのは、もうすでに小さい範囲である。だから、その物理学の中で、自分は原子核だから、物性だから、とか決めつけないで、色々なモノにチャレンジして欲しい。≫

 俺が安心して、ころころと居場所を変われる最大の理由は、彼らのように、非常に人間性が豊かで、しかも、とても賢い、という、最強な人達が、偶然、俺の周りに多くいてくれることだ。
 この偶然に感謝しているし、雨を降り止ませ、期待以上の贈り物を届け、生活を救ってくれる方々に、いつまでも、感謝している。

 幸せを確かなモノにするために、すべての部分を大事にしてくれ、こちらもそのように努力する。
 この気持ちは誰にでも味わって欲しいから、持ってきてくれた光で自分を満たしながら、自分自身も光を生成し、届けるべき人達に伝えようとすることが大事だと思う。

 (マライア・キャリーとジョー、そして98°が歌っている、結婚ソングだ。
 でも、どうしても恋愛や結婚の曲というよりは、人生の分岐点のときに、感謝をこめて、今まで、これからも、心を支えてくれる人達に、伝えているような、曲という感じがする(そういう意味では、結婚でも正しいけど、もっと広い意味が感じられる、ということ。)。なので、個人的には、3月、4月、よく聞く曲。
 非常にキレイな旋律と、その基盤から心地よくズラす、フェイク。飽きがこないので、続けて何回も聞いてしまう。
 ちなみに、割と難しめの英単語を使っているので、ちゃんと理解しようとすると、英語の勉強になります。)
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優しさのスペック

2010-04-15 00:01:01 | Weblog
 この1週間、あわただしく、新鮮すぎて、1年くらいに感じています。2週間前には、まだ、前の場所にいたとは思えません。
 そんななか、感じることは、何事も、やってみないと、詳しいことはわからないなーって、思います。
 どんなことでも、その立場を想像して、理解することはできる。直観で、こんな感じなんだろーな、って、思うことはできる。だけど、本当の意味では、わかっていないのかもしれない。

 バカにしていた事がやっぱりすごく考えている事だったり、具体的で簡単そうって思ってた事に、思いがけないめんどくささがあったり。
 経験は、すべて?!

 でも、そうも言ってられない。時間的に、数々のことを経験することはできないし、質を上げれば量が落ち、量を上げれば質が落ちるはずだ。
 そう…、経験しないで想像するということは、「優しさのスペック」であるのだから、そっちをないがしろにしないほうがイイ。

 そして、この優しさのスペックと想いの容量を広げていくと、世界最強の、優しい人間が完成するのだぁ。
 イコール、幸せじゃないから、難しいけど。
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すべては筋書き通り?

2010-04-14 00:06:36 | Weblog
 「人間の思い込みは、ものすごい力を発揮する!」

 だから、アホにならなきゃいけない瞬間がある。だから、くだらない偶然でも、運命だ、って言いきる必要性がある。
 かといって、解析計算は重要だ。その中で、不可能な計算や、予測不能な事柄、頑張ってもどうしようもないことは…っ!

 思考と感情。これら、インプット能力としてのベースに、さらに、直観を加味する。
 直観は、思考を超えることが多い。大事なのはバランスだけど、俺は普段、理屈で押し通してしまう瞬間が多いので、こちらを大事にしてみる。

 さぁ、初心の初心を思い出して、もう一度、、
 『万物が理路整然としているのであれば、世界はとてもつまらない。』
 このことに気がつき、今、この場所に辿りついている自分を、感じていこう。

 きっと、その瞬間、思考と感情と直観は、一致しない。だけど、その瞬間だけは、思考を選んでも、感情を選んでもいけないのかもしれない。
 むしろ、それらが付属品で、それらを加味しつつも、ベースは、直観で。
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