たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

色眼鏡のままで観るな!

2013-10-31 01:25:36 | Weblog
 人が創る社会のなかで、自然現象を理解するために現象そのものを鑑賞したいのなら、まず最初に、色がついたサングラスをかけなければならない。
 日本では、早い人で高校2年生、遅い人で大学2年生で、最初にかけるメガネを決める。色は4種類。青、赤、黄色、緑で、それぞれに特色がある。一色のサングラスを一生かけ続ける人もいれば、俺のように途中でかけなおしてみたりして、結果的に、青、赤、緑の3種類のサングラスをかけることができる人もいる。

 青いサングラスは、最も基本的かつ精緻な理屈の立ち位置を利用して、非常によく知られた「お堅い」自然現象を観ることに適している。その分、誰もが根源的に疑問を抱くような興味の対象を選ぶことはできない。
 赤いサングラスは、最も関連要素が多い状態を保ちながら自然現象を観ることができる。しかしその分、何を観るべきなのかがいつまでも定まらないという特徴も併せ持つ。
 黄色と緑のサングラスは、多くの人が最も関心を寄せている興味を観ることに適している。だが、このサングラスには武器と呼べるものが他のサングラスに比べて極端に少なく、ただ観て終わり、っとなってしまいがちだ。

 どれを選ぶのか、高校生の段階で決めるのはちょっと早いけど、そういうことを強要されているのが日本の社会だ。
 そして、多くの研究者は、自分と同じ色のサングラスをかけている研究者としか、本当の意味でのディスカッションをしない。これこそが研究の世界で最大のウィークポイントで、他の色のサングラスをかけている人に対しては、それぞれ論でまとめたり、習慣(青ではよく…、緑の世界ではー)で誤魔化したりしてしまう。

 ちょっとだけでも、他の色のサングラスを自らかけてみようとすらしない。青の世界はどうなってるんだろう?、赤いメガネで観るとこう観えるのか!っというような喜びを知ろうとしないで、怖がってばかり。
 サングラスを外すことは、そんなに怖いことじゃないのにね。

 観る対象は当然だがあらゆる自然現象そのものなわけで、確実にそのサングラスで観える自然現象を、すべて観ようとしてしまうのはとても大事なことだ。特に、複雑であらゆる論理体系の例外として扱われるような自然現象の理解に対しては、なるべく多くの種類のサングラスで、多くのモノを観た人が、劇的に進捗させうる。

 その瞬間にはきっと、どのサングラスもかけるべきではない。色眼鏡で観ず、ありのままをありのままに理解しようとすることが大事で、それが大切だと思っていない人がとても多い。
 ただの習慣で、出すべき数値やデータを決めてはいけないし、実験の計画を立ててはいけない。ある目標に向かって、要所要所で、かけるべきサングラスをかけて確認し、絶対的な論理性の中から、自然現象に宿っているものをいちいち考究しながら抽出する作業、それこそが、いや、それだけが、研究という行為(のはず)だ。

 しかし、研究の妨げになるのは、いつも、サングラスの種類であり、かけたことすらないサングラスを全否定したり、自分がずっとつけてきたサングラスに愛着を持ち過ぎているせいできちんとしたディスカッションができないような、人と人との柵だ。
 敵は自然現象だ!誰かではない!!これらをぶつけ合わせるならまだしも、そんなくだらないことを心に宿しながらそのまま表面上だけで無理矢理に進捗させようとするから、無駄な作業が増えて、データ量だけは多くなって、時間が無くなり、俺に実を伴う論理性で敵わないんだよ(笑)。

 一般に、何かを確認するときには、いったん色眼鏡をかけて、確認してみると上手く行ったりする。
 だが、研究という、明らかになっていないことを明らかにしようとする行為では、あらゆる色眼鏡をかけて観ようとすることが大事だし、多くの時間では、ありのままをありのままに観ようとすることが大切だと思う。

 それは、誰かや自分の気持ちを推し量る上でも、同様だと思うのだ。またここに帰着される、「決めつけないで!」

 多角的に解釈していきながらも、基本的には、まっすぐ、ありのままの気持ちや現象をありのまま見つめる。
 そんな慧眼さを発揮させないと、この願いは叶わないのだ。
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Don't let the world win!5

2013-10-28 03:18:32 | Weblog
 人と人との間に何かの不一致が起きたら、その関係性を引き離す以外の対応策は原理的に4つしかない。
 自分が変わるか、自分が受け入れるか、相手を変えるか、相手に受け入れさせるか、の4つだ。

 変えられないものは受け入れるしかないし、受け入れられないものは変えるしかない。相手と対等な関係を詰めていきたいのなら、こういうことをいちいち繰り返すしかないし、最初からピッタリと合う相手なんて、いるわけがないし、いたとしても、運命でも無ければ、そんなの全然ロマンティックでもなんでもない。
 最初からピッタリ合うことに対して、表面的な能力やステータスを理由にして誤魔化してみたり。もしくは、社会人ってのは、仕事ってのは、大人ってのは、自分がすべて受け入れていくもんだ、自分がすべてそれに合わせて変わっていくもんだ、って決めつけて、諦めきってみたり。

 そして、そこに、競争、という虚偽や偽りを持ってきて、また誤魔化していく。
 そんなことが正当化される世の中に、どうやっていけば良いかわからずに、いったん引いてみたり、とりあえず周りに合わせて、休日に息継ぎをしてみたり。

 表面的なその場限りの感情を守って、相手を不当に攻撃したりして、誤魔化して現実をみるのではなく、気持ちの根本的な部分を掌握しようとするなかで、その想いを好きになっていき、守っていきたいと願い、対等のために4つの対応を平等に使っていき、絶対的な論理性を持ってして現実を見据えていく。
 それこそが、理想を心に宿しながら、現実を見抜いていく力だと思う。

 夢で観た状況は、俺が必死で得てきたモノを得意気に披露しているちょっと後ろで、一人笑いながら感想を述べている姿だった。この輝かしい理想が、現実になるのは難しいことだけど、きっと俺が感じているよりも、現実に近いのだとも思う。
 どうしても周囲を観ていると、期待したり、願ったり、想いを持ち続けたり、理想を想い描いたりすることが、バカバカしいことだと諭されるようなことが多い。

 でも、論理を持って相手の心を解析していくと、そういう行為や言葉を振り撒く人ほど、実は、願いを強く心に秘めている気がする。
 っそ、だって、誰も悪くないし、個人の責任など無いのだから。

 みんなが作ってしまっている社会という目に見えない大きな枠組みそのものが、個人個人に対して、ロマンティックを奪いながら、押しつぶしている。
 社会が要求するものを受け入れろ!社会に合わせて変われ!、ってね。

 だから、個人個人に対して、一人ひとりの心にロマンティックな心が生き続けている、ということを信じて、世間なんかに負けるな!、っと、声をかけていけたらイイのだと思う。
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多成分自己実現

2013-10-27 04:42:53 | Weblog
 すべての履歴が俺の誇りだし、過去に関わった全ての場所が俺は根源的に大好きだ。
 もちろん、表面的には、もっとこうすべきだ!、ここがダメだからダメなんだ!っとか言ったりはするし、場所を多く持つようにしているから勘違いされることはあるけど、でも俺の気持ちはカワラナイし、誰に何と言われようがある程度ロバストだ。

 例えば、生物系ばっかりの集団にいれば俺は化学系になる。化学系の集団の中だと物理の理論系になるし、物理の理論系ばかりの集団だと俺は実験系になる。
 だいたい毎月くらいに、これらすべてを1回ずつ以上経験できる大学院生は日本では稀だと思うし、俺は一番楽しい。俺が辿った履歴がそれを容易にさせてくれているし、そこに存在していた人や、本当に大切な人には特に、無理矢理ではなくって、マジで感謝している。

 でも、俺は意識的に各分野の穴埋めをしているわけじゃなく、何を根源においてるわけでもなく、論理的に正しいことを言おうとすると、自然とこうなるのだということを、多くの周囲に対してわかって欲しい気持ちもある。
 自然現象そのものは何の分野を規定しない。分野があるから自然現象があるわけがなく、自然現象解明のために分野は存在する。だとしたら、俺がそうなるのは、当然のことなんだよね。

 問題を把握し、解決しようとし、再構築して想像していく。
 これが本気でできる理由は、その心の中に、どうにかしてより良くしたい!っという、たったひとつへの願いが込められているからだ。

 圧倒的にダメな環境ばかりで、、誤差論もまともに使えないで何も考えてないことを誤魔化すための指示を天下り的に強要されたり、分野に落とし込んで俺を説き伏せようとしてきたり、年齢や権威を利用して遅延させてみたり、そういうバカげたことで忘れてしまいがちだけど、俺は、俺らは、楽しむために、頑張っている。

 今が楽しくて、未来もずっと楽しいことが保証され続けるようになることは、現実を冷酷に観つめる限り、そんなに先の理想じゃない。
 明日にでも実現できるこの理想を胸に、色々なことをきちんと判断し、楽しんで問題解決&自己実現していきたいと思う。

 あなたと。みんなとね。
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気持ちを考えないことを正当化するな!

2013-10-25 03:22:23 | Weblog
 何かを進捗させたり、モノづくりをするときに、実質的に一番必要になるのは、経験でもなければ知識でもなく、作業そのものの実行量でもない。実質的には、賢さが一番必要だ。
 数学の実力は、解いた問題数ではなく、考えた時間に依存して上昇していく。本当の実力をつけるなら、本当に価値あるモノづくりをしたいなら、四の五の言わずに、ガチで賢くなろうとする努力をするべきだ。

 それは必ずしも、歩きやすい道を歩くということじゃない。自分が不慣れなことや、得意じゃないこと、そこに対して、必要なシーンに必要なものをただ冷酷に、自分の履歴に一切依らず、立ち向かっていく姿勢がなくちゃね。
 道をひとつ選んだだけで成功したり失敗したりすると感じるようなら、そんな姿勢がきちんと身についていないのだと思う。

 さて、どうして賢くならなきゃいけないかというと、それは、種々の心を理解し、それらを本当の意味で守るためだ。どんなモノづくりをやっていても、最終的にはココに帰着する。
 (上位校の多くがそうであるように)どうしても賢くなろうとすると自分勝手になってしまうほうがコスパーが良いので、空気のなかで、文化祭や体育祭を(塾や予備校を理由に)さぼったり、みんなでの共通タスクを排除して考えたり、蚊帳の外になってみたり、一人でみんなのものを独占したりになっちゃうわけだけど、そんな方法をとって賢くなっても、それにすら至れず成果だけが出ても、まったくもって無意味。
 なぜなら、賢くなる目的は、自分と相手の心をきちんと理解し、それを理解した上で、実空間上でいかに接していけばイイか考える指標を立てるためだからだ。

 それなのに、精神論はうんざりだ、って言ってほっぽったり、自分の仕事ではないと主張したり、大人は我慢、社会人なんだから当たり前、って誤魔化して、目先の大義名分のなかでの成果を上げるため、気持ちについて考えないことが正当化されるような社会体系になりがち。無駄に賢いのだ。
 じゃぁ、おめーは、一体全体、なんのために生きてんだよ、まったく。ってね。

 気持ちを考えることこそが唯一の本質であり、それ以外は表層構造に過ぎない。
 だからこそ、俺らは全員で頑張って賢くならなきゃいけないし、俺は、それがわかっていない仲間に対しても、なるべく一人ひとり一つひとつの気持ちの細やかさを守りながら解析的に解いていき、精緻なものにして真空のような状態を実現し、それを保っていかなきゃいけない。

 能力があれば、それだけ求められることは多くなる。
 それは気持ちに対しても同じなのかもしれなくて、こんなもんじゃ、まだまだダメだよな、って自分の本当の願いに落とし込んでいく。

 それを行動しない理由にしてちゃ、それはそれでダメだけど、、気持ちも賢さも、きちんと磨いていかなきゃなぁ。
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時間を超えようとして得られた能力

2013-10-23 02:58:10 | Weblog
 一度目はこの関係性そのものに、二度目は相手の想いに、三度目は自分の気持ちに…。
 そこから、踏み出した一歩は、俺が一番得意な確実に成功に導かれる方向への一歩。それが、この願いを叶えることに繋がっているのか、今もまだわからないけど、きっといつかは、っと積極的に期を待っている。

 もしかしたら、自分が変わらずに他人が変わっていくよりも、自分自身が変わっていってしまって他人が変わらないことのほうが、ツライのかもしれない。だって、カワラナイ気持ちを抱えたままの自分自身は確かにそこに存在していて、表面的に(自分のせいで)一変してしまった状況下を、俺だけがその履歴として感じとれてしまうんだから。予想が外れているならむしろ幸福で、、それが罰なのかもね。

 あの頃2人で抱えていた問題の答えに、俺1人でリーチをかけている輝かしい未来である今を、信頼関係の中から掴もうとすることはきっと許されない。といういうよりも、俺自身がなるべくそうしたい。どうしたらイイのか、現実的な解決策がまったく浮かばなかったけど、今なら、いくらでも。
 ほらね、たったこれだけの時間で、俺なら、解決しうる問題だったでしょ?、っとあの頃の自分が得意気に言っている顔を、時間の不一致すら超えられないお前が何を言う、っと今の自分が責め立てる。

 四度目の何かの想いによって開かれた口をふさぐように、リアリティのある声が聴こえて、正常に頼られていることに受け入れる表情を創る。
 そんなことが簡単にできてしまう最大の原因は、そうじゃなくてもいい頃も沢山練習してたからなんだよな、って、今は無意味になってしまっている能力を、今できることに行使していく。

 いつかは、このくだらない能力を、きっと。。
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実を伴った論理で

2013-10-21 03:02:30 | Weblog
 現実味の無い理屈に興味は無いし、理想を無視した現実のルールにも興味は無い。
 気持ちの領域以外で俺が唯一興味あるのは、実を伴った論理だ。

 自然現象に宿っている原理を抽出するのが理学の目的であることを、もっともっとみんなが思いだせば、こんなにも無意味な結果ばかりを提出せずに済むのだろう。
 論理化するための論理や、現象を把握するための現象理解をしていっても、それらはなんの結果でも無い。自然科学を志す分野の人達は、このことをもっと意識すべきだ。

 実験はひとつの点ではないし、理論モデルもひとつの点ではない。どちらも、いっきにいくつものことが言えて、はじめて必要であるのだ。
 だから、既存の理論のなかの条件不足と現実との不一致を考慮した中で、新たな論理体系を創る為に、一番コスパーのイイ実験をするべきだし、既存と新規が直接結びつくような論理展開にしなきゃだよね。

 同じことは日常でも言える。

 理想だけを追い過ぎても、現実だけを見過ぎても、歩みは止まってしまうものだ。浮世離れして妄想ばかりしていてはダメだし、理想を忘れて無難さを追求してもダメ。理想を確かに想いのなかに詰め込みながら、現実をしっかりと直視していく。そうじゃなきゃ楽しくはならないし、楽しくするためのメソッドは思いつかない。
 主体的じゃないほうが得してしまうようなこの世の中で、他人任せじゃなくて楽しむためには、実を伴った論理を極めることが大切になってくる。

 今はどんなに無意味な研究テーマでも、やる人が変われば、素晴らしいテーマになりうる。
 それは、人の心の問題であって、心が変われば、同じ人でもそうなるのだと思う。その気持ちが、何かの情熱であるのなら、きっと上手く行く。自分のくだらないプライドで許せなかったり、実力や能力が何も無いからって、習慣に落とし込んだりして他人を説き伏せようとしても、何の得にもならない。

 それと同様に、この生活の中でも、自らが何かの情熱をきちんと持ちながら、実を伴った論理で、できることをしていけば、必ず報われるのだと思う。

 ただ、これだけでは、俺はダメだ。
 そんな風なスタイルそのものが、すでに輝かしい理想すぎて、行き場を失っている人に対して、差し伸べられる左手にもなれなくちゃいけない。前に、俺自身が、そうされたように。

 そのためには、ありのままをありのまま見つめることがキーになってくると思っている。俺の周りには、自分は現実が観えている、よく分かっている、と勘違いして諦めている可哀相な自称大人が多いから。
 きっと、もうすぐ何かが変わるはず、変えることができるはず、っと思いながら、日々、想いを温め、思考を巡らせている。
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水辺

2013-10-18 04:47:08 | Weblog
 ある環境で、この部分はダメだ!、って思うことが全体の崩壊を導いてしまうことがある。それは自分が意図していなくても、自分自身が排除されるときもあるし、変わりたくなくても変わらなきゃいけないことも多いだろう。

 そして突っ走ってみたその先に、新しい不安定な環境が、新しい感情を生み出していく。何かの悩みでそう想ったり、何かの不条理でそう想ったり。
 安定を保てるわけがないのに、なぜか全然倒れず、その場で落ち着いてしまっている自分を見つめると、自らの不満よりも先行して、世間の不条理に対して失望すら抱く。だって、今もなお、あの時とカワラナイ悩みで泣いているかもしれないのだから。

 くだらないことが介在して、複雑に絡み合う、諦めの図式は、僅かな攪乱に対しても敏感に反応して、波打つように心のすべてへと伝わっていく。
 突然できた水辺が教えてくれるように、気持ちの変動こそが生命現象の一端を司っているのだ。それは諸行無常であり、カワラナイものが確かに存在していながら(頑健性)、変わっていくこと(可塑性)。

 だとしたら、混沌とするなかで、お互いに、できることを必死で取り組めば良い。

 いつの日か、防水用のペンキで塗られた銀色の世界のなかで、誰にも奪われない、安定と楽しさを共存させた状態を築くことができるだろう。
 それを感じ取れたなら、笑わずにはいられない。

 今はまだ、だめなものはだめなんだもん、っと擲っていたとしても。

 (ref. 2001年度センター試験国語I・II第2問「水辺」津島佑子著より)
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志を入れ込んで「期」を「待」て!

2013-10-14 23:44:29 | Weblog
 確かに、期待しないほうが傷つかない。
 何かについて期待するからこそ傷つくし、がっかりするし、うんざりする。だから、最初から期待しないで、無心で物事を扱っているほうが、自分にとってラクだし、効率も良いし、何よりも傷つかない。

 こういう風に考えることは、実は、心の底では、期待しているという矛盾を抱えている。「期待」は、「期」を「待」つ、って意味だからね。
 自分の志や理想をそこに入れ込まないだけで、誰かが何かをしてくれるだろう、そうじゃなければ自分の志を入れ込まないよ?、と先手を打って(いるつもりで)決め込んで、「期」を「待」ってしまっているのだ。

 そもそも、期待しないようにする、なんて、感情を司っている言葉を使っている限りオカシイ。思ってしまっていることは変えられないのだから。
 どーせ人間なんて期待してしまう生き物なんだから、そこに無理にあらがって、心の表面上である感情を平穏に保とうとしても、何の生産性もないし、結局、傷つくことになる。

 だとしたら、ただ「期」を「待」つのではなく、自分の志を入れ込んで「期」を「待」ってみたら良いじゃんか。そして、その期待が裏切られたその時は、自らが自らの意志を持ってして、実空間を変えていこう!そのために、理想や期待は存在しているのだ。
 そっから先は我慢だ。どれだけ長く「期」を「待」てたかが、勝敗の分かれ目になる。そして、期が来たら、必死にできることをすればイイ。

 誰かが何とかしてくれる、誰かが創ってくれる、という他人任せな感情が介在している限り、いつまでも本当の能力はつかないし、いつまでも傷つくし、いつまでもホンモノは得られない。自分こそが実空間を変えるのだ!、と想えないのなら、せめて、みんなでより良い理想に向かってどうにかしていこう、っと想えたらイイよね。

 誰から観ても輝かしい志を持つ人は、やはり、圧倒的に系をより良くしようとしてきた。
 この俺をダシに使って、こちら側も助けながら、全体を活性化させ、系をより良くするなんて、やるじゃないか。その喰らいつき方、俺も絶対に負けない。

 ね、昨日も言ったでしょ?
 即物的な言葉でホンモノの存在を誤魔化すよりも、自分の能力が小さいことを隠して権威でねじ伏せるよりも、大人の社会はこんなもんだって先回りして諦めるよりも、常に本気である限り、きちんと志を入れ込んで「期」を「待」っている限り、必ず報われるし、必ず評価される。

 なかなか、たった1日で見抜くことは難しいとしてもね。
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本気である限り

2013-10-14 02:56:21 | Weblog
 本気でぶつかっていけば、必ずより良い方向に向かっていける。
 それは自分自身だけじゃなくって、他人や集団全体にだって及ぼすことが可能であると想う。

 何かのルールに落とし込んだり、何かの習慣をイイワケにしたり、どうせ変わらないから、どうせ何も起きないから、そう考えていくことが大人なんだと決めつけて、すべてを諦めるよりも、きちんと自分や誰かの気持ちや価値観をベースに置きながら、今できるより良くなりそうなことだけを必死に行っていれば、必ず評価してくれる人が現れるし、見捨てられることはない。
 自分たちがホントにしたいこと、履歴だけに依らず、運命なんかに従わず、それだけを考えていけばイイ。理想を明確にイメージすることから、一気に、いつもとは違う明日がやってくる。

 ただ、簡単ではない。諦めそうになる自分を規制するための我慢が必要なのだ。上の誰かの言うことを聞いてりゃラクなのに、それをすべて自分の心に落とし込みながらインタラクションしていくのは、並大抵の想いじゃ達成されないし、自分の本当の気持ちでぶつかれば傷つくこともあるし、障壁はあなたが考えているよりも遥かに大きいと思う。
 その価値は確実にあるんだけどね。

 俺だって、何かを発言したり提案したりするときは、たとえ数人のなかであっても、いまだに足がすくむ。こんなこと言ってイイのかなって悩むし、何も言わないほうがこの時点では得かも、って思うことのほうが多い。堂々と主張しているように観えたって、ぶっちゃけて発言して笑いをとれているときだって、心の中では緊張しているし、いつだって怖い。
 それでも一度喋り出してしまえばそれらができてしまう、その一瞬は、本気だからだし、少なくともここまで自分なりに自分の気持ちに正直になってまっすぐ歩いてきたつもりなんだから、意見を言う権利があるはず、っと自分に言い聞かせているからだし、何よりも、俺を見捨てないでいてくれる信頼している仲間が(精神的に)いつも傍にいるからだ。

 いつも俺は周囲の人に恵まれている。
 いつでも相談に乗ってくれる人や、いつも俺のことを考えていてくれて一歩先の配慮をしてくれる人、一緒に笑ってくれる人は当然そうなのだが、俺に対して、罵声を浴びせてくる人、批判してくる人、暴言を吐いてくる人、歩く道を妨害してくる人、すべての周囲のおかげで、今が成り立っている。
 誰もが背を向けたときに、手を延ばしてくれた人と同等とまではいかないけど、背を向けた誰もが自分をより大きく成長させてくれた。それは、俺が本気だったから、ということも因果関係にあると信じたい。

 小さい頃からのカワラナイ想いをそのまま持ち続けるために、変わらないと決めつけている実空間を変えていこう。
 誰よりも気持ちを観つめ、誰よりも現実を直視し続ければ、それが自然と本気になって、ホンモノが掴める。現実を観る、ってのは、諦めることと同値ではないのだよ?

 もう一度、ここから歩きはじめよう!
 本気である限り、ホンモノの存在を信じている限り、いつでも、より良い、明日はやってくるのだから。

 チャンスという意味では、その条件すらも超越する。人生に失敗などありえないのだから。
 めちゃくちゃに失敗しても、何一つ受け入れられなくても、どうにもできなくて時間だけが過ぎて行くのだとしても、それらを繰り返してしまっていても、、それでも明日はやってくる。

それでも明日はやってくる 鈴木結女
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俺を説き伏せても何も解明されない

2013-10-11 01:33:08 | Weblog
 思考と感情と行動は、それぞれ別のものだ。共通の部分はあるけど、独立変数として働いていて、絡みあって人の内的な系を構成している。
 俺はこれらの共通部分はものすごく小さい。だから、感情がダメになりそうでも、思考や行動は、普段通りどころか、むしろいつもよりもよく働くし、どんなに相手のことが好きでも、思考力を持ってして正しいことを宣言できるほどの行動力がある。

 相手がこれらを混同しているとき、俺は冷徹な結論を提出していく。相手のプライドや何かの想いへの感情が傷つけられるせいで、論理性を間違った方向に駆使して、俺をねじ伏せてきたり自暴自棄になったとしても、俺はねじ伏せられないように躍起になったり、無理に止めたりはしない。
 そんなときこそ、感情を切り詰めていき、自分の考え、相手の考え、誰かの考え、すべてを考慮して、物理的にただ単純に正しいことを言うように努める。それこそが我々の目的であるし、敵は常に残酷な物理現象なのだから。

 生意気な俺のことを、既成事実や知識や拙い論理でねじ伏せてやろう、説き伏せてやろう、と考えている時点で、自然現象そのものをきちんと観つめようとしている俺には敵わないんだぜ?
 行動を感情に支配されないように、かといって思考だけにも支配させないように、バランスを取りながら、ってのが普段だけど、、相手がダメな感情に支配されているときに唯一引っ張りだせる方法は、こちらが誰のことも介在させない圧倒的な論理性を発揮することだけだ。

 「(何かが起こる)条件を求めよ」という大学受験数学の標準問題では、その条件の範囲だけを見つめていても、根を探ることはできない。必ず、一般化された状態を考慮するなかでの求めるべき特殊な状態を見つめ、その極限を見極める必要がある。
 それと同様に、どのような条件で、思考と感情と行動が混同してしまう状態になるのかを見極めたかったら、そうでない状態も考慮しながら、その極限を感じ取る必要性がある。

 俺の場合は。。
 っま、誰かだろうが俺自身だろうが、俺のことを掌握しても、なーんにも解明されないんだけどね。
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夢と現実

2013-10-10 00:51:27 | Weblog
 突然やってくる悲しさは、自分が本当の能力を上げたせいで、前にあった何かを感じてしまうことから始まっていく。
 精神的なことと理想的なことしか正解が観えていなくて、具体的に何をしてあげたら良かったか、、わからなかったのだ。そんな無能な俺をどうか許してほしい。

 絶対的な能力さえあれば、どうにかできたことなのだと思う。できることなのだと思う。時間を超え、空間さえも超え、誰かに言われたことではなく、自分で主体的にどうにかしている人は、世界中にいっぱいいる。期待させるのがイヤ、って伝えていた裏側に、中途半端な拙い俺の能力のせいで、何かを期待させ続けていたことが潜んでいたのかもしれない。
 俺自身が、より良くなったり、より良い環境に行ったり、変えたり、輝かしい言葉を手にすればするほど、確かな幸せを感じる一方で、履歴や誰かを想うと切なくなる。自分は不当にこれらを得ているような気がするし、何よりも、あの頃の正解を俺が俺に魅せてしまうからだ。

 そこまで思考したときに、俺じゃなくても他の誰かがきっと!、っと何かのストーリーではよく想いがちだけど、それすらも叶わないかもしれないと掃き出される自分の思考力がウザくて、できることが見つからない無理ゲーであることを示してしまっている。
 せめて、っと想うくらいなら、さっさと言葉にしてしまえばイイのに。良かったのに。

 ホンモノを求め過ぎて、自分の気持ちが信じられなくて、踏み出せなかった一歩は、常に傷つけてしまっていた。
 俺と一緒にいると、任意の誰かが、常に(心の)どこかで辛くなってしまうのなら、それは誤魔化しが自然と露呈化していく過程であって、それが高頻度で起こる事象であるならば、何とダメな社会なんだろう、って無駄に一般化して遊んだりして時間を潰している。

 何が足りないのかはわかっている。
 それは、具現化する力でも、要領よく上手に誤魔化す力でも、手っ取り早いところで諦めて言葉にしてしまうような妥協する力でもなくて、単純に、本当の能力、もっと言えば、理想を明確にイメージできていないことに起因している。夢を現実に変えるには、夢の精緻なイメージが重要になるのだから。

 だから、手持ちのカードは少ないけれど、何かしら少しでもできることがあるんだとしたら、そこに全力で理論化していくことで、より良くしていけたら、一番守りたい心を少しでも拾ってあげられたら、と誓っていくしかない。
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贅沢な悩み

2013-10-08 02:12:44 | Weblog
 今悩んでいることが自分にとってどんなに本質的であったとしても、誰かから観ればくだらなく感じる。

 俺の場合は、何かの言葉が得られないことによる弊害が大きいけど、何かの言葉を得るに値する能力を得ないで言葉だけを得てしまった人からすれば、さして小さな悩みだと思う。

 例えば、俺は、中学受験からカウントして、筆記試験による受験を6回も経験している。その日のその試験だけで、そこからの一年以上が決まってしまうような試験を6回も。たぶん、日本の教育のなかで、これほどの回数、これほどの種類、その日の学力検査だけが左右する受験を受けてきた人間は少ないと思う。ただの一度も、推薦入試という、よりラクな手段を使おうとしたことが無い。
 これは、とてもコスパーが悪いことで、とてもじゃないけどガチの能力を要求され続けすぎることだと思う(自分のカワイイ生徒にはオススメしない)。もっとラクに過ごして、俺が持っている言葉よりも輝かしい言葉を得ている人が沢山いる。
 でも、俺個人が得られていることはとても大きい。この問題が解けなければヤバい、マジで人生がかかっているんだ、っという一問一問のなかで起こる、解法や手法の閃きは、何物にも代えられない英知を齎してくれた。これは、経験していないと絶対にわからないこと、得られないモノだ。

 こういうことを何にも知らずに、ふらっと言葉を得てしまう方が、そりゃラクだし、そっちのがコスパーが良いし、要領が良いし、オトナだと思うけど、極限に迫られた時に成長する能力が一切得られないリスクを背負っている。
 っというよりも何よりも、こういう勝負の現場に立ってこれたというのは、(経済的にも精神的にも)何よりも幸せなことだ。日本中の多くの人は、そんな試験場に選ばずとも他の事情でやってくることができないわけだし、世界を観たら、もっとだ。

 俺が今感じている悩みだって同じこと。
 ちょっと前の集団を見渡せば、そんな悩みを抱くなんて、全然幸せじゃん、っと罵られるような内容だし、こんな現実をきちんと直視しているからこそ、それを実質的にも精神的にも変えなければならないと感じているからこそ、俺の今の悩みを解決させる意味がある。

 ただ、だからといって、今の悩み、今気持ちのなかで発生してしまっている不安が小さくなるかといったら、別問題だと思う。悩みや問題は、他人のそれと比べることで小さく感じることはできるけど、実際に小さくなるわけではないし、解決しようと想った時には向き合わなきゃいけない。
 我々は、大きさは違えど、我々それぞれに与えられた課題をきちんとこなすことで、成長できる。俺に与えられている課題は、言葉に固執せず、ガチの能力を得ること。そうじゃなきゃ、決して、助けられないから。

 そう、本当の能力が無ければ、誰も助けられない。ずっと誤魔化し続けて、能力がついていなければ、自分が同じ年齢になったからって、そのさらに下の世代に、自分がされたようにすら、助けることはできない。
 それに気がついたなら、それに気がついたなりの課題が用意されている。それは、俺の課題とは違う課題だけど、等しく悩ましいし、等しくツライし、等しく難しい問題なのだ。

 悩みは絶対的なモノで、相対値として評価してはいけない。いや、してもいいけど、そんなことで解決にはならないと自覚しなくちゃね。
 大切なのは、自分の気持ちに素直になることで、信頼している人に対して素直に接することで、贅沢な悩みを超えることができ、自ずと解答が観えてくるはずだと信じている。
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リニューアル

2013-10-07 00:02:20 | Weblog
 リニューアルしました。正直、あんま変わってねーけど。笑
 今週かけて、少しずつ整頓していく予定です。

 えーっと、「たかはしけいのにっき」っとタイトルを変更しました。こうすればググってもそうそう出てこないかなー。さぁ、、わかりませんが、とりあえずしばらくこれで行きます。

 何回も言ってますが、ここで書くこと、ここで書いていくことは、俺自身が思っていないことを書いていることも多いです。タイトルにもあるように、その日に何が起こったかが分かる「日記」ですから、俺自身のために書いています。例外は、研究室の選び方、などの体験談からの記事だけです。
 なので、テキトウな考察で、テキトウに俺のことを決めつけないように!これは日常的に会っている人への注意です。っま、どう書くのも、どう読むのも、勝手なんだけどね。

 ではまた更新していきますのでー。
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Who am I ??

2013-10-06 23:48:25 | Weblog
 <自己紹介コメント>
 どうも、たかはしけいです。
 たかはしけいのTwiiterアカウント→お気軽にフォローしてください。かといって、簡単にはフォロバしないけど笑。
 たかはしけいのYouTubeチャンネル→グッドボタンとチャンネル登録をよろしくね!

 このブログのご感想をお待ちしております。また、何か、相談したいことがある人も、お気軽にメールしてください(_attoma-ku_を@に変えて送信してください)。基本的にどんな方のどんな相談もお受け致します。匿名で構いませんが、所属や名前を仰ってくださったほうが、相談にはのりやすいです。内容については決して口外しませんのでご安心ください。
soudan.atamanonaka.2.718_attoma-ku_gmail.com


相談メールについて詳しく知りたい場合はこちらをご覧ください。相談を受ける上で俺が守るべきルールを書きました。

スカイプでの相談もはじめました!ネットでは絶対に書けない裏事情を含め、スカイプであれば、無料で真摯に迅速かつ最大限論理的に、あなたの相談にのります!!私がこれまで実際に接してきた研究分野(物理学、化学、生物学、情報など)や大学院でのこと、その他なんでも、できる限り詳しく回答します。ご希望してくださる方はお気軽に上のアドレスまで、あなたの本名をお書きの上、メールしてください。私から相談可能時間とスカイプIDを送ります。皆さんの相談をお待ちしております。

(最終更新日:2016/8/2)

1.お名前は?

 「けい」って言います。

2.その由来は?

 本名です。

3.生年月日は?

 1987/3/9。サンキューで覚えましょう。んで覚えてたら、なんかくれ。

4.身長、体重は?

 ポケモンGOのおかげで体重落ちてきた?

5.性別は?

 男。

6.その性別に生まれてよかったと思う?

 うん。とりあえずは。

7.出身地は?

 神奈川のどこか。

8.生息地は?

 神奈川や東京にこの種の生物が生息しているらしい。

9.好きな食べ物は?

 明太子ごはん、メロンパン、お鮨、カニ(みそ)、ロッテリアの絶品チーズバーガー、モスバーガー、マシュマロ、羊羹、クイーンオブハートのロティサリーチキン、ハスカップゼリー、ショウロンポウ、ポテトチップスのりしお、キーマカレー、ファミチキ、ケバブ、油そば、つけめん、牛乳寒天、グリコ朝食リンゴヨーグルト、こんぺいとう、チョココロネ、アロエヨーグルト、フルーチェ、サンマ定食、大学芋、はちみつ100%のキャンデー、ガリガリ君梨・キウイ、火鍋、北京ダック、ガパオ、カオマンガイ、ゴルゴンゾーラのリゾット

10.嫌いな食べ物は?

 日本人の一般的範囲内で、食えないものはありません。

11.高校の教科で好きなのは?

 音楽、物理、世界史、生物、数学、化学、倫理。っていうか、割とお勉強が好き。

12. モテるほう?

 いいえ。

13.趣味は?

 歌う、ピアノを弾く、喋る、ブログを書く、本を読みながら音楽を聞く、本屋や図書館に居座る、フランス語とイタリア語(毎日で、1週間交代です)、ドイツ語(毎日)、YouTubeで音声を聞く・撮る、世界史を勉強する

14.好きな飲み物は?

 おーいお茶、綾鷹、ヘルシア緑茶、杜仲茶、牛乳、グレープフルーツジュース、グレープフルーツジュースみたいな色のリンゴジュース、ラムネ、コーラ、サイダー、牛乳割りカルピス、アイスティー、ヨーグルト、レモネードホット、ロイヤルミルクティー、キャラメルマキアート、welch's ぶどう・マスカット

15.嫌いな飲み物は?

 野菜ジュース、トマトジュース。

16.好きなミュージシャン(アーティスト)は?

 めっちゃ多いぜ?(…)はグループの中でも特に好きって人。

 Backstreet Boys(Nick)、The Beatles(Paul)、Boys Ⅱ Men、breathe、CHEMISTRY、Every Little Thing、EXILE(TAKAHIRO)、Fayray、GARNET CROW(AZUKI 七)、Goose house(竹渕慶)、GReeeeN、hiro、HY(TUN)、Janne Da Arc(you)、JUJU、kenn kato、kiroro、L'Arc~en~Ciel(yukihiro)、MISIA、Ms.OOJA、My Little Lover、Perfume(のっち)、SEKAI NO OWARI(Fukase)、SMAP、SOUL'd OUT、Sowelu、three NATION(JUN)、Vonda Shepard、ZARD、ゴールデンボンバー(鬼龍院翔)、ゴスペラーズ(村上てつや)、コブクロ、スキマスイッチ、スピッツ、ポルノグラフィティ、宇多田ヒカル、久保田利伸、花・花、中島美嘉、清木場俊介、三代目J Soul Brothers(NAOTO)、小松未歩、倉木麻衣、日之内エミ、平井堅、西野カナ、kei kawano

17.カラオケでよく歌う曲は?

 RPG(SEKAI NO OWARI)、Your Eyes Only(EXILE)など。

18.今一番ほしいものは?
 
 語学力。

19.ペットは飼ってますか?

 いいえ。

20.神を信じますか?

 いないと思います。

21.よく乗る沿線は?

 東海道本線、京浜東北線、山手線。

22.今悩んでることは?

 いかに誤魔化したか?のみが重要視されていしまう政治力学的な研究の社会をいかにして変えるか?

23.マイブームは?

 世界史。

24.天然?

 ではないですね。

25.星座は?

 うお座。

26.血液型は?

 B型。

27.特技は?

 先読み、わざと負ける、絶対音感、演技、顔よりも声色で人を覚える、相手が言ってた言葉を利用して論破する、どーでもいい細かいとこの暗記、実験後の誤差解析、直観で見極める、宣言じゃんけんで勝つ、空気のコントロール、満員電車でリラックスできる位置を陣取る、理路整然とした思考、まったく違うフィールド同士を結ぶ、飲み会ゲームで負けない、コールドリーディング、ホットリーディング、相談メールの裏側を読む

28.口癖は?

 コスパー。それ意味あるんですか?ってか。マジで?マジか。確かし。っま。わかんないけどー。眠い。寒い。俺的には。いやいや。確かに。めんどくさい。ふんふん。でもでもー。イラっとする。本当にそう思ってる?そうなんですね。違います。きちんと。ちゃんと。本当は?へー。

29.喧嘩強い?

 口喧嘩なら、絶対に、負けません。

30.持ってる資格は?

 高等学校教員専修免許状(理科)、高等学校教員一種免許状(数学,理科)、博士(学術)。

31.好きな異性のタイプは?

 自分自身をきちんと大事にできる人、優しい人、心が元気な人、向上心がある人、俺をバカにすることができるほど無駄に自信がある人、声が綺麗な人、夢がある人、誰か男がいなくても生きていける人、不器用な人、真面目で損している人、好き甲斐や愛し甲斐がある人。

32.遊び人?

 いいえ。

33.好きなスポーツは?

 卓球、ビリヤード、バスケ、フットサル、テニス、ボーリング、ボルダリング。どれも全然できねーけど、身体を動かすのは嫌いじゃない。

34.得意なスポーツは?

 残念ながらスポーツが苦手です。

35.習い事してる?

 してないっす。

36.何習ってるの?

 昔はー、英語とか合気道とかピアノとか。

37.憧れている研究者は?

 時枝正教授

38.自分の研究についてはどう思う?

 なんの役にもたたねー。

39.尊敬している人は?

 あんまりいませんが、部分尊敬している人は多いです。
 そして、絶対的に尊敬している人が、この世に3人います。

40.好きな作家は?

 海堂尊、中島義道。

41.よく読む雑誌は?

 Tokyo Walker、大学への数学、数学セミナー

42.休日の過ごし方は?

 一週間たまってしまった観なきゃいけない動画を観る。

43.好きなゲームは?

 ポケモン、マリオ、ドラクエ、ドンキーコング。

44.いつも何時くらいに寝る?

 0時~2時くらいかなー。

45.お風呂入るの好き?

 大好き。

46.入浴剤入れる?

 入れる派っす。

47.どんな入浴剤?

 バブ。

48.入浴時間どれくらい?

 20分~30分くらいかなー。

49.ドライヤー使う派?使わない派?

 天然乾燥派。

50.好きなドラマは?

 アリーmyラブ、レバレッジ、デスパレートな妻たち、名探偵モンク、TRU CALLING、THE MENTALIST、伝説の教師。

51.好きな映画は?

 ディズニー系、ハリーポッターの2作目まで。

52.好きなラジオ番組は?

 有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER、松本人志の放送室

53.好きな局は?

 テレ朝かなー。

54.かかさず見てる番組ってある?

 ロンドンハーツ、マツコ&有吉の怒り新党、しくじり先生

55.理科の中で好きな科目は?

 生化学(細胞生物学、分子生物学)、生物物理学、古典・量子統計力学(平衡および非平衡)、固体物理学、物性基礎論、量子力学、有機化学、物理化学。

56.理科の中で得意な科目は?

 生化学、電磁気学、量子力学、統計力学。

57.好きだったテレビ番組は?

 ココリコミラクルタイプ、Reader's How to Book、マネーの虎。

58.からまれたらどう返す?

 無視。

59.不良怖い?

 接触すると命の危険がある不良は、怖い。

60.深夜一人でコンビ二行ける?

 いける。

61.好きな本は?

 ブレイズメス1990(海堂尊著)
 君たちはどう生きるか(吉野源三郎著)
 夢をかなえるゾウ(水野敬也著)

62.好きなモノは?

 楽しいモノ、笑顔、声、音、お茶、ホンモノ、感情、シコウ(思考と試行と志向)、理論、実験、誤差論、話す、無駄な事を覚える、歩く、図書館、テレビ、演じる、ジェットコースター、助けたいという気持ち、子供のシッタカ、自分は仲間に入ってるか入ってないか微妙だなと感じてる人に誰かが「確実にお前は仲間だよっ」っと間接的に伝える時、誰かへの気持ちがあるモノ、カワラナイ。

63.キライなモノは?

 風邪、足のだるさ、義務、習慣化、政治力学、先の見えないケンカ、一定のBPMでリズムを刻む、決めつけ、大勢の人の前で食べる、長時間周囲に人がいない、集団内や集団同士に優劣があると感じてしまうような何か、目上の人のシッタカ、単純な事を決めるのに周囲が無駄に時間かける時、俺の冗談が面白くなかったのに空気を読んで無理して笑われた時、コントロール不能、自分にばっかり気持ちが向いてるモノ、カワラナイ。

64.好きな言葉は?

・真実はもっと単純である。
・時には負ける事で、勝つ事もあることを忘れないで。
・人生の輝かしい時は、いわゆる成功の日々ではなく、むしろ、失意と絶望のなかから、人生に挑戦しようという気持ちと将来の達成を期する確たる思いが、胸中に湧きあがるのを感じる日々である。
・雨だって雲の上へ飛び出せばalways blue sky。
・今ここにある幸せに涙を流しても、この道の先同じように感じられるだろうか、悲しいけれど人の欲望は逃げ水のように、追いかけた分だけ遠ざかっていく。
・何も失わずに手に入れたものなどくれてやる。
・近くて遠い。遠くて近い。
・シュートで終わりたいですね。
・話そうよ、目を見れば分かるなんて、ちゃんと言わなきゃ分からない、君が居なけりゃ淋しい、どんなことでも構わない、話をしようよ。
・前よりずっと素直に笑えるのは鎖を脱ぎ捨てたから。
・レールから落ちたら不幸になるとは色々な人から教えられたけど、レールに乗っかり過ぎて降りられなくなってしまう怖さは誰も教えてはくれなかった。
・大学は、知を開拓し知を獲得する場だ。それは、自らの責任のもと自分のためにすることである。
・重要な人間にしか、すばらしい結果的に重大な偶然は起こらない。
・自分は世界で1番バカなヤツだと思って勉強しろ。試験場では、この中で1番頑張ってきたヤツだと思って最後まであきらめるな。それだけの努力は必ず報われる。
・とにかくシコウを停止させない。
・すべての二者択一問題は、両方取れるような道が、必ず存在する。
・今できることを考えろっ!
・誰も完璧な人間にはなれないけど、完璧な人間に一歩近づこうと努力することは誰でもできる。
・楽しくないなら意味が無い!
・今まで生きてきた中で、一番楽しいのは、いつだって今。
・やさしさとは許し合うことを知る最後の真実。わがままさえ、愛しく思えたなら、本当に幸せ。
・助けることは助けられること。助けられることは助けること。
・現実を認めたくない自分がいて、現実を受け入れろという自分もいる。現実を認めなければ、今を生きることができないから。でも、時に現実を受け入れることに慣れ過ぎてしまうと止まってしまう。それは怖いことでもある。
・負けてからビッグマウスになる勇気
・最も成果を望む者が、もっとも汗を流すべし。
・道草を楽しめ。大いにな。

65.音楽において、好きな格言は?

・音楽と数列は、流れでとらえなきゃ。
・意識がふっとんでも、できるくらい、体に染み込ませよう。
・音楽だって、相手は意外性を求める。
・コンピュータに楽譜通り弾かせても、完璧なスゲー音楽にはならない。
・音楽を、おたまじゃくしで書くなんて。
・綺麗なものは汚したい、汚いものは綺麗にしたい。
・最後まで決断を引き伸ばす事ができる音楽家は一流である。
・相手の音楽性をけなす事で、自分が実力者である証明をするよーなアーティストが、音楽で人に伝えられるわけがない。
・音楽してる人間に認められようとするために作る音楽ほどつまらない音楽はない。
・音楽で、アドバイスって…、所詮全部、カンだから。
・歌詞は曲の翻訳である。
・どんなにそこでキレイな音を響かせても、ワングルーブの中に入ってなければ意味がない。

66.前世は何だったと思う?

 ジャングルの動物のなにか。

67.生まれ変わったら何になりたい?

 自分だけが飼ってると勘違いしている多くの人間からエサを貰える猫。

68.PC歴どれくらい?

 1998年から。

69.兄弟はいますか?

 妹が1人います。

70.視力はいいほう?

 わるい。

71.自分の好きなところは?

 前向き。謙虚。直向き。熱しやすく冷めにくい。誰とでも対等に話す。負けず嫌い。全力。わかりやすい。ブレない。毎日継続できる。褒めて欲しいアピールに敏感。子どもっぽいところと大人っぽいところに差がありすぎる。

72.自分の嫌いなところは?

 あまり感情そのものだけで動かない。いくじのなさ。自信過剰。空気を読めるくせに読まない。素直じゃない。わかりにくい。興味ないとテキトー。突然の終了が多い。スタートの仕方とゴールの仕方が下手すぎ。愛想笑いをしない。

73.よく見るインターネット上の動画は?

 ラーメンズ。
 東京03。
 ココリコミラクルタイプ。
 アリーmyラブ。
 レバレッジ。
 赤ちゃんと僕。
 幽遊白書。
 マネーの虎。
 怒り新党。
 ロンドンハーツ。
 生きざま大辞典。

74.チャット好き?

 キライ。

75.初めてカキコしたサイトは?

 覚えてません。

76.今まで生きてきて、一番嬉しかったことは?

 生まれてから今日まで、ほとんど毎日笑えた事。

77.逆に、一番つらかったことは?

 情熱をぶつけても分かり合えない時。

78.どうやってそれを乗り越えたの?

 時間。

79.楽器使える?

 ピアノ、キーボード、アコースティックギター、エレキギター、ドラム、リコーダー(笑)。

80.自分がバンドやるなら、何のパート?

 ボーカル。

81.よく行くラーメン屋さん(的なとこ)教えて

 つけ麺大臣、油そば春日亭

82.今まで一番高い買い物は?

 学費。 

83.2億円拾っちゃった!どうする?

 警察に届ける。

84.まちで偶然有名人に会った!どうする?

 好きな有名人だったら、話しかける。

85.生まれて初めて買ったCDは何?

 ららら

86.今までで一番恥ずかしかった体験は?

 吉田松蔭を「まつかげ」って読んだ時。

87.ドラえもん好き?

 好きー。

88.ドラえもんの道具で、何が一番ほしい?

 どこでもドア。

89.それを手に入れてどうするの?

 通学に使用する。

90.全財産いくら?

 秘密。

91.バイク何乗ってる?

 バイセコー(自転車)なら。

92.怒りんぼ?

 あんまり切れませんが、普段からうるさいです。

93.警察沙汰の事件を起こしたことがある?

 ない。

94.一番印象に残っている出来事は?

 すごい偶然が重なった、ある日。

95.今何時?

 1時30分

96.親友と呼べる人は何人いる?

 10~15人くらい。

97.飴好き?

 はちみつ、とか、のど飴が特に。

98.宮崎監督作品で一番好きなのは?

 となりのトトロ。

99.この質問作った人に一言ドウゾ

 結構、ガチで書きました。

100.最後に一言!

 ラストまで、スクロールしてくれてサンキュー。
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8年前と今

2013-10-06 01:01:51 | Weblog
 さて、「Kei Takahashi Room」で最後の記事です。今日か明日のテキトーな時間に、このページの名前を変えます。

 リニューアルへの手始めとして2005年10月~12月の記事を整理整頓しました。あの頃観ていた方は、もうほとんどこのページを観ていないかと思いますが、当時コメント下さった方ありがとうございます。消した記事もかなり多くありますが、俺の手元には残っていますのでご了承ください。
 明日以降も、ちょこちょこ消すべきものを消していこうと思います。

 2005年というと、高校卒業してすぐで、浪人の頃。あの頃の記事を、かなり久しぶりにほぼ全部読み直しましたが、あの頃と今は、実は非常に近いのかもしれない、って思っています。
 ダメで曖昧な審査基準の不条理な抑圧に苦しみながらも、具体的に何もできずに空回りしていて。

 圧倒的にダメな環境に身を置いていると、本当に自信を失いかける。
 明らかにダメなモノでも、価値がある、と無理矢理に大義名分をつけて偽りの行動をとり、安定に戻して自分が安心することに注力を傾けるヤツや、はっきりと意味のある方向へと全体をひっぱろうとはしないヤツ、自分の怠惰さを隠すために他人から搾取することに平然とした顔をしているヤツなんかに、(少なくとも)俺は審査されたくはない。

 でも、かなり少数だけど、確かに素晴らしい人もいて、その人達から評価されることで、なんとかギリギリ最低限の平静を保っていられているのかも。
 俺と対等な立場まで落とし込んでくれて意見をはっきりと主張しながらも、出来ることを一緒に一つひとつクリアしていってくれる人や、俺の拙い意見をきちんと聞いてくれてそれを参考に行動してくれる人、なぁなぁな環境に持っていかないように全体の空気をきちんとコントロールしてくれる人、その人達からの評価さえ高ければ、どうでもいいじゃないか、っと思えるほど。

 まったく、あの頃と同じだね。

 観る目がまったくない審査基準だって、2ランク以上、圧倒的に能力を持っていれば、同じように認められる。俺は常にそうやってきたし、今後もきっとそうだ。だから損をしているって思われることも多いけど、例えば、言葉に見合う能力をまったく持ってない人達の苦労よりも、俺はラクだと思う。

 俺なんかに、全否定される屈辱よりは、マシでしょ?笑

 あの頃と唯一違うことは、諸悪の根源が目の前にいる、っということだ。8年前は目に見えない相手であったが、今は確実に目に見える。それも同じ相手が。
 爪に引っ掛かり、どうしたらいいかのメソッドもたつ。8年前のように自分だけがその犠牲にあっているってわけじゃなく、助けたい人、守りたい人、大切な仲間もともに、その犠牲にあっていて、でも、みんなで立ち向かおうとしている。それだけでも、大きな進歩じゃないか。

 これから先、また、このページの名前が変わったりするような節目には、今抱えている問題がバカみたいに感じられるように、そして、この記事も消すべきだという判断が来るように、頑張っていきたいと思う。

 では、とりあえず、いったん閉めますね。
 いつも、ありがとう。また、すぐ会いましょう。あ、そうそ、裏ブログも、そろそろ本格的に再開しようと思いますので、そちらもよろしく。
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