たかはしけいのにっき

日々の「日記」を書いています。
何かを書いたからといって、実際に「そう思っている」とは限りません

タマシイレボリューション

2010-06-30 02:18:04 | Weblog
 今回の日本代表が残してくれたモノは多い。

 道無き道を切り開くときに、逆境を気にせず、自分を追い込むこと。間違いなく、俺は、これから、明日から、自信を持って、そういうことができるだろうし、イメージしたらばアクションできるだろう。

 そして、チームだからこそ強いっという部分も、前回大会ではあまり見られなかったと思う。そういう部分でも、ひとりじゃない、っと強く思えるようになったかな…?!物理的に遠くても、精神的に近いかも。
 俺の頭の中はいつも忙しい。このエンターテインメントから学び取って、葛藤を止めずに、未知の世界に行ってやるぜ!

 最強に変身中!!

 (2010FIFAワールドカップ、NHKの主題歌。Superflyが歌っている。
 ゆずの「栄光の架橋」といい、NHKは選曲が素晴らしいなって思う。これは、もう、間違いなく、勝負のときに流そうと思う一曲に加えられたと思う。
 勝負のとき、心強い一曲を、ありがとう。)
コメント

言葉にしてしまえば

2010-06-29 21:44:05 | Weblog
 これは、本当につい最近だけど、自分と違うことに重きを置いている人を、言葉によって肯定したくなる瞬間がある。
 言葉にすることによって、プログラムのなかに書き込んで、それが本当にすごいことだ、っていうふうに、心から思いたいからだ。

 夢や希望だけでなく、それ以外を一番に考えている人も、ガチですごいんだって。ね。
 っま、俺自身がそれじゃぁ、ダメなのだけど。

 さぁっ、決勝トーナメント第一戦!簡単じゃないだろうけど、頑張れ!!
コメント

世界の希望

2010-06-28 03:31:17 | Weblog
 助けたい!って思った時に、助けられるとか、助けられないとか、そういうことは考えないようにしている。
 自分の能力を査定するなんてことをしていたら、それこそ絶対に助けられないし、それを考えちゃったら、相手をバカにしてるような気もするしね。
 大事なのは、その時、その状態でできる、最大の思考で、思いつく限りのカードでアプローチをし、ベストを尽くすことだ。その結果で、まぁ、普通に考えても、助けられなかったかー、ってなるのは、あるけどさ。

 心には多様性があって、複雑だからこそ面白い。でも、面白いなんて言ってられない状況もあるし、そういう、ぱっと見じゃわからない、大事で大切な瞬間にだけ、心から多様性が奪われ、ひとつの感情だけになる。そのひとつになる感情のひとつが、「助けたい!」なんだと思う。
 心がひとつの感情だけに占有されるようになると、どんなに冷酷なことでもできるようになるし、どんなに損することでもできるようになる。
 多様性が戻ってきたときに、やっと、冷酷じゃない行動に戻る。当たり前の、人間らしい行動に戻ることができる。でも、それは、急に助け無くなる、ってことなのかもしれない。ごめんね。

 『そんなん、俺だって、世界を救えると、思ってるわ(笑)。』
 「うざいな、それ(笑)。」
 『んー、なんていうの、世界は救えないかもだけど、世界を救うことの諸準備の、そのさらに礎、みたいなのは、できるんじゃん?!』
 「あー、よーわ、ゴレンジャーのでっかいロボットの、小指の部分、作ってます!、みたいな?(笑)」
 『そうそう。それ。(笑)まぁ、でも、それよりは、できてるだろ!んー、でも、そのもともとの、ゴレンジャーがしてることは、半端無いからな。』
 「うん、だって、ガチで世界救ってるからね。」

 じゃぁ、ゴレンジャーのでっかいロボットの、小指の部分作ってる人の、心のケアくらいは、できてるかな??(笑)
 なんか、そんなネタが、品庄にあった気がしますが。

 こんなことくらいしかできないっという意識を持っていないと、どこかで必ずボロがくる。だから、そんなに本気で世界を変えられるとかは思わないで、NPOとかじゃない普通の人は、ただ直向きに過ごしていればよいのだ。
 そうすれば、自分の周りくらいは、改善できるようになってくる。

 そして、もっと大事なのは、助ける心を持っている状態の人を、助ける、っということだ。具体的に言うなら、優しい人が損した気分にならないようにすることは、長い時間で考えれば、非常に重要になってくる。
 それこそが、ゴレンジャーのでっかいロボットの、小指の部分作ってる人の、心のケア、なんだと思う。

 絶対量は少ないけど、そういう瞬間を感じるとき、この世の中は捨てたもんじゃないんな、って思えるし、世界の希望だな、っと思えるのだ。
コメント

ループから抜け出るための条件追加

2010-06-27 03:56:59 | Weblog
 またひとつ、考え方を良い方向に変えることができた。
 それは、紛れも無く、前の俺の考え方に、真っ向から考えてくれ、系を理解し、感情と思考と直観力をフルに使って、否定してくれた人のおかげで、非常に大切な瞬間であった。俺だって、否定されたくなんてないけど、でも、否定されなければ、先に進めなかったし、ホンモノが掴める兆しすら得られなかったんだから。。

 ただし、勘違いしているのが多いけど、否定するためには、それなりの信用関係が相互に必要であって、それが無いなら、逆効果だ。何を言っても、本質的には通らなくなるし、実質的に何かの価値はあっても、ただ、それだけだ。
 相手は明らかに自分の人格を肯定しているっと思うからこそ、考え方を改めるように示唆されたときに、素直に聞く耳を持てるし、それが正しそうな感じがしてきたり、吟味しようしてみたりするのだ。そうじゃない時は、別に、聞く耳だけ持っておいて、正確な吟味なんてしようとしないのが、普通なんじゃね?!
 だから、研究室では、人間関係が何よりも大事だと思う。

 この、今回話題になった、無限ループを解除できる人間は限られている。
 頭だけで勝負するなら、少なくとも、俺以上の解析力が必要だ。自分で言うのもなんだけど、正確に、でもラフに、時間をかけずに、なるべく短い言葉と質疑で、俺を、きちんと、論破できるツワモノは、そう多くは無い。

 ただ、ここまで解除しようとしてくれたなら、あとは、どうにかできるかもしれない。そういうきっかけをくれただけでも、スゴいことだ。
 長年の悩みを解消するためには、俺だけの力では、やっぱりどうにもできなかったのだと悟った。何があっても、どんなことでも、諦めない、っという言葉は、こういうときにこそっ。

 わかりにくく、今回改善された考え方のテーマを表現するなら、「二対系における誤解釈間相互作用がつくる正のポテンシャル」。
 たとえ、近い将来、解が得られなかったとしても、今、ここだけで、満足だ。こんなに満足している気分は、久々すぎる。人間は、現状だけ見て生きているわけじゃなくって、今が悪くても、将来が明るそうなら頑張れるもん。

 たったこれだけで、俺個人としては、Nature&Science級の論文になりえると思う。
コメント

Non Getting Words Side

2010-06-26 00:36:38 | Weblog
 自分自身の追い込み方を知っている人間は強い。
 他人を使って、どーにか、もうやるしかないっ!、って状況にしたり、もう絶対に誤魔化すことができない状態を自分自身で作らないと、たいていの人間は、強くはなれないと思う。

 飛び込むしか道が無い、っというふうになったら、俺はできる、なんて、甘いな。飛び込むしかないような状況を作成しにいくことは、俺だって、できる。それを、より強い束縛状態で作るために、どんどん、上へ目指して行っているんだと思う。

 「追究…、追求、あくなき追求!つきつめるのって好きだし、楽しいもん、どんどん研究するのっ。でも、、そんなこと言っているから、案外、すぐそばに幸せがあるのに、それだって気が付けなかったりして。」

 どんなことでも、満足できるかできないか、というところに問題は集約される気がする。正確に言うなら、未来の自分が満足出来そうなことかどうか、ってことだけど。
 この安定平衡点を不安定にするための筋書き通りの手法を、あなたたちが教えてくれた通りにできてしまう、俺の方が、冷酷なのかもしれない。時間依存性から、安定なモノよりも不安定なモノをとるほうが、手っ取り早いって思う気持ち、今、すごくわかる。

 でもね、そんなふうに、言葉に騙されるのイヤだな。だって、弱ってるヨーロッパのチーム倒したら、言葉のマジックによって、確かに称賛されるだろうけど、称賛されるよりも、本当にその時に強かったチームを倒すほうが、本当だからね。
 少なくとも、俺は、そっち側の、ただ言葉をゲットするだけのサイドに、ちょっとでも揺らぐと、すべてを失ってしまうことが、あの時、よくわかったから。

 やっぱり、ホンモノを掴むためには、ある程度の頭は必要な気がします。
コメント

Your innocence

2010-06-24 04:18:16 | Weblog
 明日のデンマーク戦のために、今、明後日のプレゼンの資料を作り終えた。
 なんか、ここ最近、W杯のせいか知らんけど、めちゃめちゃ忙しい。この忙しさの中で、遠いあの頃の願いは、まだどこかに残ってるかな?、って聞いてみると、ぎりぎり、確かにまだあったりする。

 本当の無邪気な心を見せることを怖がって、見せたら見せたで、時間因子によって、打ち砕かれちゃったり。 
 でも、それでも、夢や憧れを変えられない想い出にする前に、切ない瞬間を、明日からも重ねていくことを、やめたりはしない。
 この日々だって、強く願っていた日々があるわけで、そんな日のあの気持ち、大切にしなきゃだよね。

 失えない場所は、いつだって、緊張感を持っている。今が夢見すぎて、起きるのが怖いから。この中途半端な緊張感の中で、いろいろなことを楽しめるように、そっち側に倒れこめるように、戦っている。
 それは今のところ、大丈夫かな…。だって、パワポ作るんだって、きちんと楽しめているし。ただし、今は、ね。

 だったら、だからこそ、keep your innocence、忘れないでっ!

 (SPEEDのhiroがソロとして、ノってきたときくらいの曲。
 ずーっと、これを聞いていない期間があったけど、あいまあいまで、この曲を思い出していたりしてた。確か、ベストアルバムがでて、それで聞いたのが3年ぶりくらいとかだったかな。メロディラインが独特で、忘れにくく、面白い。
 この恋愛と夢、みたいなんの関係性を歌った歌は、割と少ない気がしますし、大好きな一曲です。)
コメント

ちゃんと見抜いてっ

2010-06-22 01:16:57 | Weblog
 大事な日は、服装から違う。
 成人式に普段着で行く人は、男女関係なく、ほとんどいないと思うし、結婚式やお葬式に普段着でやってきたら…。大事なシーン、まずは、着るものから形式だって、入っていく。
 別に式典じゃなくても、そういうのは、普段から自然に入ってしまうものだ。ここ一本、勝負だ、って思うと、そういう服装になってくるし、今日は雨だし、特に誰にも会わないからなー、って思うと、やっぱり、そういう感じになる。

 んなら、大事な瞬間、大切な時に、形式だった振る舞い、つまり教科書通りすぎる行動をしたって、別にかまないんじゃない?
 超大事な瞬間だからこそのセオリー依存っというのは、往々にしてありうる。いくら機械的だって言われても、いくら嘘っぽいって言われても、すごく緊張している時は、セオリー依存の行動になってしまう。
 一方で、同じ立場で選び合う時も含めて、受け手側にたってみると、見かけや振る舞いや発言に惑わされず、ホンモノを見抜く慧眼が必要になってくる。

 『まったくもー、なんなんだよー!!もー、本当に、、だってさぁ、ここで、なんで、ここにあるかなー!?』
 「あのさー、ちょっとは、反省したら?自分だって、悪いでしょ?」
 『(えー!反省してるのに…。後悔してるのに。悪かった、って思ってるのに、なんで、そんなこと言うの??)だからー、そういう言葉がさー。』

 感情が相殺して困っているときは、セオリー依存で、自分の自分に対する感情は出さずに、それ以外の感情を出してみる?
 気になっているということは悪いと思っているということなのに、色々な感情で素直に出せず、相手に気がついてもらうのを待ってみたり。

 こういうのは解析力じゃぁない。確かに、どうして、こういうことを言うんだろうって、本気で考えることは必要だけど、同じ言葉でも、直観力に依って、全然、違う印象をもたらす。良いことなのか悪いことなのか、好きになれるか嫌いになるか、絶対に間違えずに判断できるはずだ。

 『なぜ、そういう、医療などに関連した研究に手を出されているんですか?』
 《あー、お金ですよ。お金がなきゃ研究できませんから。》

 『なぜ、そういう、医療などに関連した研究に手を出されているんですか?』
 「うーん、まず第一に、正直、お金の面があるなー。やっぱり、特許とかも取りやすいし。」

 俺、今、書いているから、印象を文字で伝えなきゃだから違う言葉だけど、たとえ同じ言葉だとしても、全然違う。発言している意味だけを解析すると同じなのに、なんで、こんなにも、想いは違うんだろう??
 だからこそ、本当に言葉に騙されてはいけないのだ。

 ホンモノなら、多少の嘘や、多少のセオリー依存なら、絶対に、相手は見抜いてくれるはずだし、こっちも見抜けるんじゃないかな。。
 何を言ったとしても、何を聞いたとしても、何を見たとしても、ホンモノだからこそ、嘘かもしれないし、形だけかもしれないし、幻かもしれない。

 直観だけが、そういう部分の指標になりえるのだし、ホンモノかも、な時こそ、直観を働かせなきゃね。
コメント (6)

目的を思い出せ!

2010-06-21 04:05:51 | Weblog
 慣れ合いが一番実力を下げてしまう。総体的な実力も個人の実力も、どちらも下げてしまう。
 いつも彼がリードだから何も考えず今回もそのまま彼がリード、いつもあいつが口頭発表するからあいつをだす、いつも発言しないで何とかこなしているから今日も発言はしない。そんな風にしていたら、どんな地位や名誉に浸っていたとしても、弱っちいザコなんじゃね?

 だからこそ、入れ替えが必要なわけで、どんどん違う類の集団の中に入っていかないといけない。個人としてね。
 何年も同じ場所にいたら、いくらすごくても、腐っちまう。すぐさま、所属を変えるくらいの勢いでやっていかないと、強くはなれないと思う。

 強く逞しく、どんなフィールドだって超えられるようになるために一番必要なことは、自分自身の考えやアイディアを、どのフィールドでもきちんと放出することだと思う。自己主張をきちんとし、確固たる態度で本気を出し続けることが大切なのだ。
 確かに、郷に行ったら郷に従え、っというシーンだって沢山ある。多くの選択肢を得るためには、ルールを学ぶことが大事だからだ。でも、郷に行ったら郷に従え、という言葉が、心の拠り所みたいになっちゃって、自分の持っているモノの衝動を抑えちゃったら、そこまでの人間なのかもしれない。
 変わったばっかりなんだから、何をしたって、だいたい許される、という言葉のほうが、拠り所にするなら良いかも。

 そして、そこで行われている、それ、に対する感情が強い集団に行けば行くほど、自己主張の激しい人間とぶつかりあうことになる。たとえ実力で負けても、チャレンジ精神や主張力で負けたらダメ。どんどん、ぶつからないと、すぐに、ドロップアウトしちゃうから。

 こういう領域にきて、初めて大切なのが、チームワークや、本当の意味での思いやりだと思う。ここで、やっぱ、そっちが大切だよねー、なんて、安易に思って欲しくはない。超自己主張が強くて、いつもウザがられているような人間同士のそれが、大切だということだ。(あくまで「勝負」の話ね。)
 敵は目の前の仲間でないと本気で思えた時、そこで初めて、集団の意味を持ってくる。チームだから強いと言えるようになってくるんだと思う。
 自然科学でいうなら、敵は、真実を誤魔化そうとしてくるモノであり、音楽でいうなら、敵は、何とか伝えようとすることを諦めようとしてしまうモノだ。よーわ、本来の目的を思い出すということで、強くなるのは、何のためだったのか、っていうのを考えればイイ。

 んなら、、さぁ、今、目の前にある、この系の敵は、倒すことができるだろうか??
 最強の仲間がいるから、きっと大丈夫。
コメント

それが僕達のstyle

2010-06-19 01:09:29 | Weblog
 今日は、久しぶりなバッグを背負って、遊びに行った。
 もう、どれくらいになるのかな…?なんて、心の中で訊いてみるけど、そんな質問に意味なんてなくって、ある程度数字に強く、記憶力も自信がある俺が、そんなことを忘れてるわけがなくって。
 ほら、左側を見つめてみると、そこにはまだ、、この一枚を、いつまでも捨てられずにいるんだね。

 しっかし、俺は、他人に影響されやすいんだな、って思う。それが、本当に自分のモノやスタイルになってしまうという点でね。

 『ねーぇ、なんで、いつも、そうやってサイドから見ながら、2番押すの?』
 ≪だって、距離感、わかんないじゃん。≫
 『そっかぁ。じゃぁ、俺も。』
 ≪…、そこじゃぁダメだって。こういうのは、だいたい弱いから、もっとひっかけるようにしないと。≫

 『俺、あの、上から落として取るヤツ、好きなんだよねー。』
 《バカ、あんなの最後に捨てる時にやる用だろうが。》
 『確かに…。でも。。』

 <K君がやると、いつも失敗してるね。>
 『……。』
 <…、あ、今、ホントにショック受けたでしょ?笑>
 『うん(笑)。』

 「僕、ここのベーコンが美味しいと思うんだよね。」
 『えー、ここに来て、ベーコン?!』
 「うんっ!ええやんか、別に。」

 その時、その瞬間は、別にどーとも思っていなく、むしろ否定的であるモノさえあるのに、思い出っていうと遠すぎる感じがするけど、ある一定のtermが終わってしまうと、それが自分に吸収されていることは、よくあることだ。
 結局、そういう意味では、全てのことがパクリなのかも。っていうか、それって、みんなも、そうなの??

 好きな人間の好きなモノや癖やスタイルは真似をしたくなるし、それが一過性であったとしたって、確実に自分の中に取り込まれている。
 所詮、モノやコトだし、実質的なことなんて、どうだってイイ気もするけど、例えば、数学が超できるようになりたかったら、数学が超できるヤツで自分が好きなヤツを探すのが、一番手っ取り早い。それは、かなり、役立つ手法だ。

 でも、一過性のモノなんかにもう興味は無くて、どんなに過ぎても、想い出にならないホンモノを望んでいる。
 いつの日からか、一過性であると最初から分かりきってるモノに、自分から踏み込む気は、さらさら無くなってしまった。

 いつの日からか?!
 わかってるくせに。

 『だから、もっと、信頼度があがってからかな、って思って。』
 「そんなの、それを掴んでから、信頼度を上げるってほうが、自然なんじゃない?」
 『わーってるよ、今は。ただ、その時は、教科書通りの解答すら、わからなかったんだって。』

 今は、もっと重症で、教科書通りの解答を、ほとんど介在させないモノこそホンモノじゃない?とか思っている。
 選んでいるのは俺自身だし、他人の影響じゃ、精神的なモノに関する感情はカワラナイヨ。
コメント

ツイン

2010-06-17 03:29:10 | Weblog
 なんでも一人では弱いな、って思う日々が続いている。
 それは、人数がいればイイという意味ではなくって、一人よりも2人以上のほうが強いということである。人間関係の基本は一対一であり、その意味では、相方という立場の人間は色々いる。

 負けそうになったとしても、相方との相互作用によって、何とか頑張れるし、自分がダメな時間帯でもフォローしてくれる。その意味で、仲間は重要だし、能力など関係ない。俺よりも、力があろうが無かろうが、一緒にやってくれるなら、対等だ。
 全ての分野や時間において、ほんのちょっとでも、俺と組んでくれた人たちに感謝し続けている。その中でも、っていうのはもちろんあるけど、どんな小さい仕事でも、この2人じゃなきゃって、思うのだ。

 っさぁ、もう一度、こりずに、計画をねりねり。
コメント

安定-不安定間相互作用

2010-06-15 22:39:42 | Weblog
 こんな俺でも、高校の教員免許を持っている。しかも、数学と理科の両方を4年間でとってやったのだ、がっはっは。そこらへんに沢山いる、大学生の無免許先生とは違って、マジ、国から認められた、先生なのだ。っていうか、よーく考えてみれば、大学で教鞭をとる教授や准教授なんかよりも、俺は「先生」じゃないか。やつら、博士号持ってる、だけ(笑)、だし。

 【せんせーは、理科総合のせんせーになるんでしょ?】
 『はぁ。。(理科総合だけのためだったら、教職とってねーよ。だけど、めんどくさいから、、)あぁ、まあね、ってか、先生にならんけど。』
 【?】

 そうそ、教員免許は、「理科」でくる。「物理」じゃないのだ。だから、向こうにしてみれば、俺は、化学もできるはずだし、地学もできるはずなのだ。うん、でも、ごめんね、物理以外よく知らないんだよね。
 んなわけで、予備校で、たまーに化学とか担当すると、大抵、投げ、だ。有機化学のことなんて知らんし、それ自体は物理や生物に比べてあんまり面白いとは思わないから、面白いことも言えない。

 そんなんでも、唯一、これはイイな、って思う作業があって、有機化学の範囲の終わりに来ると、必ずそれを宿題に出す。それは、A4の紙に、エチレンとアセチレンを真ん中にして、反応を書けるだけ書き出してみて、反応図を作るという宿題だ。まさに、まる投げな宿題。
 割と勉強になるし、俺もこの作業で、少しだけ有機を上から見下ろせる風になったから、やらせてみている。

 例えば、間違えて、エチレンを真ん中にするところ、エタンを真ん中にしてしまうと、この宿題は、とても窮屈に、そして、紙が余っているところが多くなってしまうはずだ。
 エタンは、エチレンにHが2個ついているだけだけど、安定性という意味で、全然違う。エタンは超安定で、それ以上の化学反応は起こりにくい。逆にエチレンは、二重結合が取れれば、簡単に変わることができ、不安定なのだ。単純で、不安定だから、エチレンやアセチレンを真ん中に書かせる。

 安定とは、その状態から抜け出せないということで、それ以上反応しないことを示す。不安定とは、その状態から抜け出しうるということで、反応しうる事を示す。ものごとは、不安定から安定な方向へ、十分条件から必要条件へとシフトしていく。
 安定なモノ同士は安定なままだし、とても不安定なモノ同士が沢山でいれば、何らかの反応を起こし続けることになるだろう。

 安定か不安定か、どっちが好きかと言われると、俺は当然、安定なほうだと答える。でも、上記したように、安定なモノというのは可変ではないから、なかなか自分のもんにはならない。それも、何かのカタチで、可変になったとしても、変化してしまうわけだから、欲しかったそれじゃなくなってしまう可能性が高いのだ。今、逆になってみて、初めてその意味がよくわかる。
 エタンは、UVを照射することによって、ハロゲン化することができる(んだったと思う(笑))。一般にとっての、UVは、何になるのか分からないけど、そういうモノをぶつけてみたとしても、なんかのインタラクションで、どうなってしまうかわからない。。

 でも、なーんにも無いんじゃ、つまらないと思うから、だから!

 だから、いくら、安定だからって、ほんまもんの教員になってしまったら、俺の「先生」としての一番イイ部分が消えてしまう気がするから、絶対に、、いや、なるべくならないようにするね(笑)。
コメント

ダメだしされてるうちが華

2010-06-15 01:35:19 | Weblog
 W杯初戦、勝った…、、けど、最後まで冷や冷やした試合でしたね。。なんか、負けていたかのような、気分。
 スゴイと思うけど、課題が残る結果であると考えないといけないんだと思う。

 すばらしく、やれることをすべてやれていた試合だと思うけど、それは、とりあえず、ここまでは、やれることをすべてやれていたというだけで、ちょっとの歪みで、全部が崩れ去ってしまう怖さはカワラナイ。
 勝っている時こそ、ピンチ。そんなことを、俺自身ですら、身を持って、何度も体験しているし、そんなことは、日本代表の選手達は、わかっているんだと思う。

 これで、こっから、たとえ全敗であったとしても、岡田監督の名声は上がったのだろう。
 ただ、忘れてはいけない。たたかれたり、怒られたりしてくれているうちが華だってことを。

 さてっ、自分の生活にきちんと戻るために、さっさか、寝とこっと。
コメント

ガチ勝負!

2010-06-14 03:04:40 | Weblog
 明日(今日)は、W杯のカメルーン戦だ。
 90分の試合では、ある意味で、視聴者は、あっけなく感じてしまうが、選手はもちろん、いろいろな関係者の一人一人に、ものすごいドラマがあるわけで、その最終段階としてW杯が存在するのだろう。
 自分自身についてだって、それなりにドラマがあるんだから、W杯に行くようなヤツの一人一人の立場を想像すると、とてつもないお話が存在するのだと思う。

 どんな凄い勝負の前でも、その勝負の前に夜があって、眠りについているはずだ。
 テスト前に寝られない。。ってことだって、あるだろうけど、いろいろな勝負をこなしてきた選手(受験生)は、きっと、そんなことも、超えている。感情の中で持ち上げれば持ち上げるほど、本番前に、苦しくなる。それを予想して、いろいろな対策をそれぞれで行う。これを勝負強さというならそうだけど、この部分も実力のうちなのかもしれない。

 だけど、積み上げてきたすべての努力を持っていったつもりでも、本番開始の会場に入ってしまうと、ゼロスタートになる。なんていうか、まるで、今まで頑張ってきたことが嘘のように感じる。それがエスカレートして、そんなにここをマジ勝負に頑張ってきた感じを出さないようにしよう、なんて感情や配慮がちょっとでも入ると、負けやすい。
 ここから、マジで、ゼロスタートになって、無心の状態で、ひとつひとつできることをすること、こそ、勝負強さだ。努力してきたんだ、なんて、介在させてはいけない。ゼロだとして、頑張る必要性がある。

 始まるまでは、確かに、それぞれの人に、ドラマはある。
 数々のものを捨てて、この試合にかけている。本当に大切なことやモノも捨てたし、もっと手っ取り早い楽しさがあったはずなのに、その時間を過ごさなかったはずだ。
 でも、いったん試合が始まってしまえば、その中の、たった一人の人間に過ぎないということを、忘れてはいけない。ゼロで勝負する気持ちが大事なのだと思う。

 それは、きっと、すべての勝負に言えることである。

 さぁ、日本のW杯も、本格的に始まる。そして。。
コメント

寂しくない??

2010-06-13 04:29:40 | Weblog
 楽しいことでも、時間制限がついていて、次に繋がりそうも無いようなことは、つまらないと思う。
 その時だけを楽しむ、っていうのに、ほとんど関心が無い。その意味で、あまりに生産性が無い飲み会は、好きじゃない。少しでも意味があるんだったら良いんだけど、酔って騒げば良いってもんじゃないだろ、っと思ってしまう。

 っと思う一方で、そのラインに乗っかっている時に、楽しもうとしないのもどうかなーって思う。
 だって、同じ時間を共有してるんだから、せめて、ちょこっとでも、どっかで楽しむ準備をしとけよ、んで、楽しむポイントが来たら、打ち返せよ、って思ってしまう。

 『なんかさ、最近思うんだけど、割と知らない人、んで、大人数の飲みって、難しくない?』
 「えー、まぁ、そうだと思うけど、どの辺が?」
 『うーんとねぇ、すげーテンション上げるだけ上げて、騒ぎまくるだけ、って飲み会はつまんないじゃん?』
 「うん。」
 『かといって、なんか食事会かよ、ってぐらい暗い飲み会もつまらないんだよねー。最近、そんな両極端が多くて。』
 「……。あー、これは、違うな、あれだな、K君が悪いな。(笑)」
 『なんで?』
 「そんなんK君のストライクゾーンが狭いだけやん。」
 『あー、まぁね。』
 「それにお前、その飲み会の最中でも、言ってそうだもん、『ぶっちゃけ、この飲み会、つまんなくねぇー?』って。」
 『笑』

 予想を遥かに超えて、学部時代って、成長中なんだな、って思います。たぶん、今もね。

 確かに、どっかで演技に入っちゃうと面白くないんだと思う。
 みんなのためにテンション上げに行く人はエライけど、自分に対する感情が入った瞬間に無意味になる。行動は同じでも、想いの部分で変わることだってある。みんなに嫌われないように頑張る努力と、みんなに楽しんでもらおうと頑張る努力は、行動としては、ほとんど同じだけど、全然意味は異なる。
 でも、極端な話、たとえ、自分のことばかり考えている人達が多いんだとしても、その場にいるなら、楽しむ準備を怠ってイイわけではないっていうか、楽しまなきゃ損じゃん。
 だからって、本音に戻って、表現のカードが少ないから、『つまんなくね?』って言ってみて、ウケをとろうとしてるんだとしても、言葉は命を持つからね…って、これは、あくまで、ヤツの想像で、実際に言ってるわけじゃないんだった(笑)。

 表現の難しさや主目的の発見の難しさはあるけど、誰だって、目先の楽しさがあったとしても、時間制限があったとしたら、悲しくなっちゃう気がする。
 逆に、目先の楽しさをふんだんに使っている人達にどんなにバカにされようとも、この先が明るそうだって思えたり、これをし続けることが楽しさ、っていう、時間依存性の無い楽しさを見出せた時、一瞬一瞬が辛いことでも、めちゃめちゃ楽しめる。

 その系で一番最高だった時を思い出そうとする時は、いつでも、この先に対する憧れや楽しさを想像している時に聞いていた曲を思い出すことになる。

 『だから、この頃よく思うんだけど、根本的に、感情は合わないんだなーって思うんだよね。』
 「そりゃ、前からだって。」
 『そうかぁ。まっ、なんていうか、そこの真相を正しく掴めていなかったとしても、損しちゃうかもな感情が先行しちゃって。』
 「別に、良いんじゃない?それは割と普通だし、大丈夫だよ。」

 最悪の状態だからこそ、この先に対する輝かしさが少しでもあると、何倍にも元気になれる。

 …辛くても楽しめる、なんて、嘘かも。
 正しく言葉を言い換えてみるなら、、どっちにしろ辛いんだったら、大多数の人達と目先の楽しさで誤魔化して、誰も見ていないところで泣くよりも、本当のことを直視しようとする稀少なメンツで、この先に対する希望を少しでも見出して行きたいと思う、かな。

 だから俺は『そんなんで…、寂しくないの??』って色んな人に思うことが多いのかもしれない。
コメント

言葉の生命力に負けないで

2010-06-12 02:15:24 | Weblog
 数々の言葉が放出される中で、それらは間違いなく生きていると思う。
 どんなに、発言と違うことを思っていたとしても、発言した時点で、意味を成す。本当の気持ちを悟られないように言った一言でも、なんでもない言葉の端端でも、負けたくないというくだらないプライドのための発言でも。
 
 その発言の裏に隠された心を読むことが、大事ではある。だけど、その言葉自体も、呼吸をし、エネルギー生産をし、何らかの挙動を示すということを、決して、忘れてはいけない。

 思い切って押してみたスイッチは、この挙動に依るモノであり、もう、きっと、後戻りはできない。良い意味でも悪い意味でも、もう、飛び込むしかない。
 俺が直接吟味した中では、最高クラスの信頼度であるが、果たして、今回の仕事も上手くやってくれるだろうか。

 『だから、、結局、何もできてないな、って。』
 「うーん、それは違うな。K君が何かしようと、しなきゃダメなんだと考えている時点で、前進してるよ。だって、お前、つい半年前まで、危機感や焦りすら、感じてもいなかったやないかー。」

 『まぁ、そうだけどさー、…』っと返答しているのにもかかわらず、心の奥底で『(だよねっ!!)』っと思い切りの肯定をしている俺を、決して見逃さない慧眼の強さと想いの容量の大きさは、俺のそれらを遥かに凌ぎ、その下手な演技に対して、最後の最後まで付き合ってくれる強さは、嬉しくもあり悲しくもある。
 あれから、また少し、時間が経っているけど、俺は、このレベルに、どれくらい近づけているだろうか。

 計画の成功・不成功に依らず、言葉の生命力に打ち勝つことによって、解釈を超えてしまえる関係だけを、求めているのだと気づかされた。
 ただし、時間依存性は、あっても仕方ない。1年や2年じゃ、無理でしょ。
コメント