理想を実現するために、誰かに対して現実的な部分に前提を置いてしまうことは、理想の実現を遠ざける。
大して経験やデータがない状態で直観で選んだのにも拘らず、偶発的に自分の(「より善く変えるための努力をしたくない」がゆえに)「現実的な」(と呼んでいる)部分とフィットしたときに、運命だと感じてしまう短絡性こそが、ただの問題をより大きな悩みへと進化させてしまうのだ。
「アラジン」のジャスミンは、アラジンが一般庶民を装う本当の王子だと虚偽を告げてから、真剣にアラジンのことを考え始める。この短絡的評価こそが、3人(アラジン、ジャスミン、ジーニー)の自由からの解放をお互いに遠ざけていることがあの話の主題なのだが、あれだけ有名な作品のわりにはそこまできちんと考察している人はあまりみかけない。
ああいうものを観てしまうからこそ、「理想を理解できる自分」として自分の理想的な部分を作品に投影させっぱなしになってしまう部分はあるのかもしれないが、、あまりに現代社会は、より善く変えることを努力したくない怠惰さを、条件の一致として還元し、目をつぶって理想の実現を夢見てしまう手法が蔓延してしまった。
それは、圧倒的に「孤独になれる」能力が足りないから生じるのである。
孤独になるとは、一人でいる時間を長くすることではないし、ましてや単純に引きこもることでもない。「孤独になれる」能力とは、自分の周囲に自分の考えとは違う人が沢山いても、そのなかで耐え忍ぶ能力である。心のシャッターを閉ざす能力がないのだ。
だから、ある程度の節目のときまで、厭になってしまった集団のなかにどうにか身を置くというのは大事なことだと思う。その上で、自分の価値観を流されず、自分の価値観の一部を集団に置いてくるだけの気概が必要なのである。
目をつぶって理想は「こうでしょ?」と自分に良い聞かせながら、でも現実的な側面については論理を重ねることで多数派への説明責任を果たすだけだとしたら、自分自身に嘘をついてしまうことにはカワラナイ。
小さいことを求められれば求められるほどにお互いの理想との不一致が明確になり続けた夜に、それでも最後の一杯に夢を見ることで、何かの続きを託そうとした姿は、今となっては良い経験になっている。
だって、それがなければ、今、お互いに違う大地に身を置いていないのだから。自分のことなのにどこか他人事の性質は、大きな変化で少しは変わったのかな?そこに俺が介在していなくて、寂しいけれど、良かったんじゃないかなぁと今は思う。
『無理じゃない?』
「2年でも3年でもかけて、どうにか変えようって気概が慧くんにあるかどうかじゃない?」
『変わる気もないし変わりたくない、って』
「それは、引っ込みがつかなくなっただけなんじゃない?」
引っ込みがつかなくなった「現実的な私」をいっさい無視したら、今の問題も何か変わるのかな?
そうとは思えない「現実的な俺」が、どうでもいいくだらないことに注力することで暇をつぶせ、と命令してくる。
大して経験やデータがない状態で直観で選んだのにも拘らず、偶発的に自分の(「より善く変えるための努力をしたくない」がゆえに)「現実的な」(と呼んでいる)部分とフィットしたときに、運命だと感じてしまう短絡性こそが、ただの問題をより大きな悩みへと進化させてしまうのだ。
「アラジン」のジャスミンは、アラジンが一般庶民を装う本当の王子だと虚偽を告げてから、真剣にアラジンのことを考え始める。この短絡的評価こそが、3人(アラジン、ジャスミン、ジーニー)の自由からの解放をお互いに遠ざけていることがあの話の主題なのだが、あれだけ有名な作品のわりにはそこまできちんと考察している人はあまりみかけない。
ああいうものを観てしまうからこそ、「理想を理解できる自分」として自分の理想的な部分を作品に投影させっぱなしになってしまう部分はあるのかもしれないが、、あまりに現代社会は、より善く変えることを努力したくない怠惰さを、条件の一致として還元し、目をつぶって理想の実現を夢見てしまう手法が蔓延してしまった。
それは、圧倒的に「孤独になれる」能力が足りないから生じるのである。
孤独になるとは、一人でいる時間を長くすることではないし、ましてや単純に引きこもることでもない。「孤独になれる」能力とは、自分の周囲に自分の考えとは違う人が沢山いても、そのなかで耐え忍ぶ能力である。心のシャッターを閉ざす能力がないのだ。
だから、ある程度の節目のときまで、厭になってしまった集団のなかにどうにか身を置くというのは大事なことだと思う。その上で、自分の価値観を流されず、自分の価値観の一部を集団に置いてくるだけの気概が必要なのである。
目をつぶって理想は「こうでしょ?」と自分に良い聞かせながら、でも現実的な側面については論理を重ねることで多数派への説明責任を果たすだけだとしたら、自分自身に嘘をついてしまうことにはカワラナイ。
小さいことを求められれば求められるほどにお互いの理想との不一致が明確になり続けた夜に、それでも最後の一杯に夢を見ることで、何かの続きを託そうとした姿は、今となっては良い経験になっている。
だって、それがなければ、今、お互いに違う大地に身を置いていないのだから。自分のことなのにどこか他人事の性質は、大きな変化で少しは変わったのかな?そこに俺が介在していなくて、寂しいけれど、良かったんじゃないかなぁと今は思う。
『無理じゃない?』
「2年でも3年でもかけて、どうにか変えようって気概が慧くんにあるかどうかじゃない?」
『変わる気もないし変わりたくない、って』
「それは、引っ込みがつかなくなっただけなんじゃない?」
引っ込みがつかなくなった「現実的な私」をいっさい無視したら、今の問題も何か変わるのかな?
そうとは思えない「現実的な俺」が、どうでもいいくだらないことに注力することで暇をつぶせ、と命令してくる。