たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

世間なんかに負けるな!

2009-11-30 03:26:15 | Weblog
 昨日まで考えていた計算方法や定性的理解が、朝、目覚めた瞬間に解決することがある。それは、俺の先生や先輩達も、同様の経験があるようで(プログラム計算は別らしい…)、理系の皆さんなら、誰でも経験があると思う。理系じゃない方でも、夜、何か悩んでたことが、朝起きたら、なんでもないじゃん、って思えちゃったりしたことがあると思うんですが、いかがでしょうか?

 一般に、朝と夜では、思考や感情の働きが違うらしい。確かに、なんとなく、わかる気がする。それぞれに良い点と悪い点があると思うけど、ちょっと挙げてみよう。

 朝…現実的、多角的、感情よりも思考が優先
 
 夜…夢見的、集中しやすい、思考より感情が優先

 つまり、集中して周りの事象を考えず計算しまくったり理解しまくったりしていて、ふっと、朝になって多角的になれた瞬間に、解決していたんじゃないかと解析できますよね。
 確かに、転学しようと思ったのは夜だったし、あれは現実的に無理だからもうやめよぅと思ったりしたのは朝だった。その他にもたくさんある。もっとグウタラな例を挙げるなら、どんなに夜、「寝るより楽はなかりけり、浮世の馬鹿は起きて働く」と思っても、朝になれば、そのバカになっているってわけ。
 別に、訓練によって、いくらでも、変えられると思います。事実、受験生は、いつでも集中できて多角的にならないと困るでしょうし。だけど、性質として、どうしても、こうなりがちなんだよね。

 だから、大切な決定をするとき、たいてい俺は、日をおく。朝、昼、晩と、そのことを考えてみて、どっちか?って訊いてみる。この想いは夢見的になりすぎていないか?、多角的視点で考えてみたらどうか?っと、いろいろ試してみる。
 それが相手に一歩先手をとられる原因になるかもなこともわかるけど、そんな時間依存性によって掴めなくなってしまうようなモノなら、大したもんじゃないって考えることもできるんだぜ?!

 そんな現実的な朝だからこそ、特異的な感情の性質があったりする。
 朝の占いなんか見なくたって、外に出た瞬間、その空気の温もりや匂いで、今日のツキがわかる。良い時や変化が起こりそうな時は「今日は、いつもよりは、まともそうだ」って、悪い予感の時は「今日はなんかありそうだな」って、感じることができる。そして、そういうときの行動はよく覚えているもんだ。
 それがジンクスにつながる。
 「そーいえば、あの時、いつも踏まない、駅前の茶色いタイルを踏んだな。だからか…。今後、あのタイルは踏まないようにしよう。」そう思った小学6年生のとき以来、俺は一度も駅前の茶色いタイルを踏んでいない。

 どちらかというと、朝のが、落ち込みやすいよね。

 感情に流されず、だからって、思考によって感情を制御し過ぎず、対等にならないと、正解は導きだせない。
 正解ってさ、何をもって正解とするかって話も難しい。自分にとっては「これで良かったんだ。あのとき感情に流されていて良かったじゃないか。」とか「これで良かったんだ。あのとき思考を優先させなかったらボロボロじゃないか。」とか、いろいろ考えようで変えられるから良いけど、周りはそれじゃぁ迷惑なのです。
 周り、それは俺とかじゃなくって、むしろ、見えない誰か、この世にまだ存在してもいない誰かにとって、なのかもしれない。
 それで、その周りにとっての迷惑は、結果的に、自分にとっても正解とはならない。

 だから、定常状態の方程式や、思考も感情も超えた何かを、信じていたい。朝でも夜でも思考でも感情でも、いつでもそれが正解だし、それを超えた判断基準でも、そいつが正解。そんな解の存在だけは、信じていたい。
 その中で、はじめは妥協するとこだって、あるとは思うけどさ。
 だって、間違いなく、最初っから、一番大好きなテーマを研究していることなんて、ないんだからさ。
 
 でも…。

 そんな魔法みたいな光を信じている心は、いつまでも、いつまでも、続いていく。
 「まっすぐ」なのが、俺の唯一の長所だと思うから、たぶん、そこを捨てることはないのだろう。

 そして、そういう人種が少しだけど残っていることも、また、知っている。
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消去法を使いたくない系こそ

2009-11-26 23:40:27 | Weblog
 『これを対角化して。。』 
 「うんうん、見せて。」
 『それで、こっから、これらをself-consistentに回したいんですけど、数が多くて。』
 ≪11個までだったらやったことあるんですけどー。これは、50以上あると思うし。≫
 「あー、わかんなぃな、でも、逐次やるんじゃないかな。」
 ≪でも、相当上手く、初期値決めないと、止まりますよ??≫
 「うん、どーするんだろ、具体的に、どうするかは、どの論文にも、きちんと書いてないから…。」
 ≪スゴイ、卒研ですね(笑)≫
 『えー、こないだ、卒研相応のテーマって、おっしゃってたじゃないですかー。』
 ≪だって、こんなんだと思わなかったんだもーん。≫
 「まぁ、あれだ、一様系で、とりあえずやってみろ。」
 『はぁい。そうですね、とりあえず、ポテンシャル入れないでやってみますね。』

 あのー、なんで、残らないのに、こんなに大変なテーマなんじゃいなぁー。(←今日の総体的な心の叫び)

 だって、俺、もう、あと4ヶ月ちょいでお終いなんよ?これから、この分野の研究はやらないし、3月までなのさ?しかも、無駄にどうやるのか気になるし。
 (ちなみに、この話だけで何の事だかわかっちゃって、プログラムの手法として、どうすれば良いのかわかっちゃった希少なあなたは、コメントで説明してくださーい。)

 でも、心の中で必死に文句言ってる自分とはウラハラに、最後だからやってやるぜぇ、っていう、乗り気で真面目でバカな自分も確かに存在する。だって、俺なんだし、最後だからこそ、超絶に難しいことが、やってくるはずだもんね。うむうむ。
 いやー、この低温物理学の範囲を選んで、良かった良かった。やりがいも、だいぶ遠いところになら、感じるしね(つまり、きっと、その面白すぎるところまでは、辿り着けないだろうってこと)。

 卒研で、この研究室を選んだワケは?って聞かれたら、俺は、

 『消去法です。ありえない研究室から、候補をどんどん、削っていったら、ココが残りました。』

 って答えるようにしている、先生にも(笑)(流石に、院試の面接では、そうは言わなかったけど)。だって、限られた数から選んでいるんだから当然だし、それに対して作られたキレイ事を並べるほど、物理学を愚弄したくない。大丈夫、いつもそうだけど、俺はやりだっしゃうと、その中で、最大に、楽しめるから。
 むしろ、一番選びたいモノは選ばないほうがイイのかも。ほら、遠くから見てるほうが、心の中で希望が持てる感じがするし、本当は暗闇かもって知らなくて済むじゃん?

 だからこそ、即物的なモノが必要になってくるわけで。こういう選び方も、きっと大事。
 消去法や、選択肢が無いからそれを選ぶんだって、立派な根拠なのだ。

 っま、そんな手法、絶対使いたくねー系も、いくつか存在すっけど。
 そんな、消去法禁止の系こそが、人に希望を感じさせるのだと思います。

 (さて問題です、どのsentenceから、一般化が始まったでしょうか?)
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虹のレシピ

2009-11-26 02:03:58 | Weblog
 今日も沢山、学ぶところがあった。今日の予定、大きくは2つだったけど、それでも、何となく忙しくて、くだらないもんを耳に流し込む暇はない。空き時間も、研究とレポートやってたしね。
 まだ、決まったばかりの新しいところに正式に所属してもいない、このタイミングで、就活(のヒヤカシ(?))みたいなことしてみて、話をテキトウに聞きながら、色々なことを思った。インテリジェンスをまとった中身の足りない言葉をいくら並べてみても、色んなことが言葉の端端に現れるもんだなーってのが、一言での感想かな。

 どんなに演技して、無難さを頭で追及し、その解答を提出しつづけても、それを思っていない限り、必ず言葉の端端にホンモノの感情と思考が現れる。その一瞬を俺は絶対に見逃さない。逆に言えば、そっちの手法を提示されるほうが、全部覚えて無くても良いからラク。そう、それは、正しい演技の使い方ではないのだ。
 自分が感じている確かな想いを、ガチだからってんで、グルーヴよりも理論(セオリー)に乗っけるときだけ、演技がその意義を持ち始める。
 演技は、自分を偽るための道具ではなく、恐れている時、ガチの時に用いる、自分の本当の姿を形式的に表現するための道具である。

 そんなことを、人事や先輩の、ありがたーい、お言葉の中に、感じた(あー、自分で書いてて思うけど、超皮肉っ(笑))。
 っま、どっかプレゼンテーションが悪かったわけじゃなく、むしろ、俺には、ちゃんとイメージングされたけど、それは俺自身の問題…。
 どんなにキッカケがあっても踏み出すのは自分自身ってーのと似ていて、俺自身がそう思うキッカケのスイッチを入れたってーかなんてーか(あー、なんで俺、こんなにめんどくさいんだろう)。。

 とにかく、その表現手法をきちんと使いこなすのは、経験と感覚次第だから、これも困ったもんだよね。
 だから、ゲインを、もっと上げてっ!

 (久々の歌記事。
 長い曲だな~って思いながら、このちょっとどこか懐かしいサウンドに、耳を持っていてしまう。実に、スキマらしい一曲だろう。歌詞の内容は、ボクノートみたいに作詞の過程をそのまま歌詞にした感じだけど(この曲は音楽を作る過程スベテ)、この曲は、それに、さらに、恋愛を重ねている気がする。
 ってか、どーでもいいけど、アウトロ長すぎやろっ。)
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常温超伝導体の存在を信じていたくて

2009-11-25 03:00:28 | Weblog
 幼稚園生の頃、俺は自在に風邪が引けた。
 方法は簡単で、タオルケットのある部分を、ちょっと嗅げばイイだけ。俺の通っていた幼稚園は学校みたいなところで、普通に計算とか漢字とかやらされてたから、どーしても明日は幼稚園に行きたくないって時、その方法を使っていた。それでも、俺は当時から超真面目なので、滅多に使わなかったけどね。
 今から考えると、すごく不思議。だって、そこに風邪のウィルスみたいなんがすげーいたとしても、それだけじゃ風邪は引けない。でも、4~5才の俺は確かに信じていたから、引けたんだと思う。事実、成功率は100%だった。

 『詰めなきゃいけないところはあるけど、基本的には、変わってないね。大丈夫。』
 「うむ、2次オーディ、間違いなく、通ると思う(笑)。」
 ≪こんなの、懐かしいってのが、多いんだけどね。。≫
 <2次オーディ通るだろうね。。後輩が、おいおい、ってところも、問題だと思うけど。>

 久々に、この4人で歌えて、そんな風に思ったけど、歌いながら、

 『僕なん(うわ、そういやココ、ちょっと上げすぎてから、下がって、譜面通りの音にしたいんだった。でも、それやっちゃうと、トップが浮いちゃうんだっけ。。だから、一発で、譜面の音にしてっと。)だとー♪』

 とか、

 『ひとーつの(ココは、空白を意識して、全員で合わせないと)ことっ♪』

 とか、理性的になる瞬間を意識していた。そりゃ、機能的にやってるんだから、上手くいくよな。4人とも、この手の記憶力と音感が信じられないくらいあるんだから。
 何事にも理性的になりすぎているのだろうかぁ。なんか満足できないのは、そのせい??考えるのは常だから、やめられなくって…。
 そして、それも確かに問題だが、本当の問題点はそこじゃないと、感じてるし、考えている。

 【どーも、緊張しちゃって。上手く、喋れないっていうかぁ。。緊張しない方法はないですか??】
 『そんなん、好きな人の前で、緊張するのなんて当たり前だよ。(むしろ、しなくなったら、お終いだし。)』
 【じゃぁ、どうしたら…】
 『あのさ、話さなくちゃ、上手く見せなきゃ、焦ってるとこ伝わっちゃダメなんだ、って考えまくったら、そりゃ上手くいかないよ。っでさ、したら、いちいち、【良かった】って思ってごらん。当然のようなことでもね。』
 【良かった??】
 『うむ。これは受験本番とかでもそうだけど、まず、学校に着くだろ、んで、とりあえず遅刻しないで良かったって心ん中で思うんだよ。んで、彼女もちゃんと学校に来てる、あっ、今日も来てて良かった。挨拶をしよう、おはようって言った、返してくれた、あっ、おはよってちゃんと返してくれて、良かった、って。』
 【はい。。】
 『その、1つ1つが、おまじないみたいに、自信につながってくるし、それで、フランクに話せていけるようになるんじゃないかなぁ。(っま、そればっかだと、機械的でダメだけどさ。)』
 【はい、でもでも、それで、・・・みたいな感じで対応されたんですけど、、もう、ダメなんじゃないかなって。】
 『…(笑)。あのさ、彼女の言動の、細かいところまで全部気にしてたら、こっちの身動きが取れなくなっちまうぞ。とにかく、もっと、落ち着くことだね。』

 年齢を重ねれば、時間をかければ、技は練れるし、巧妙にできるし、すさまじいリスクは減らすことができる。だけど、いつも、リスクとベネフィットの平衡ポイントを計算して、その平衡ポイントを答えとして提出するだけになってくると、なんか虚しいし、何よりも、感情依存でドカーンと押しつぶす、圧倒的なパワーに対抗できなくなってくる。そして、感情が半端なくデカイ時は特に、感情依存で動けるのが羨ましくもなってくる。

 どんなに、それが即物的だからくだらない、って俺が思考しているんだとしても、それを捉える相手やそれを支配する集団が、そう思ってなく、精神的なモノだと思っているのだとしたら、理屈で考えても、それを精神的なモノであると考えているフリをして、その流儀に乗ってあげなくてはいけないのかもしれない。
 だからかどうかわからないけど、それが大事だと思って、最終的に、生物学の、この分野を選んだのも、自分自身の精神的な価値観を大事にするよりも、それが応用される誰かにとって精神的な、俺にとっては即物的な価値を選んだのだ。それによって、俺自身も、即物的だけでなく精神的にも、より満足し、達成される。
 未来の自分がこれ以上を求めるんだとしたら、それはやっぱり、どっか病気かもな(笑)。

 『それでさ、そんな感じで、説明してたんだけど。。どーも、わかってもらえないみたいで。』
 「うむうむ。」
 『そんで、その瞬間、確かに、感情に流されたい想いに駆られた。もう、そんなこと、どーでもイイ。どーだってイイから、って。確かに、理性的に考えると、理解してくれないと困るし、ヤバいけど、でも、それよりも、もっと、大事って思ったわ。あんな感情、今までで、初めてだった。あれが正式な感情なのかもしれない。あの感情が一般的にそうなら、俺の考えは、一部、捨て去るべきじゃん。だから…、どちらかって言えば、、うーん、どう思う??』
 「あー、ごめん、K君、そんな深いの、俺、無いわ。」
 『いやいや、ホントんところ、どーだったか…、きっと勘違いだったけど、その瞬間、確かに、そう思っちゃった自分だけは、本当じゃん?!だから、やっぱり、大事なのかもしれない。最終的な局面では、即物的じゃないモノなのかも。』
 「だから、普通、そんなに考えないって(笑)。やっぱり、俺と同じか、それ以上、いくらなんでも、真面目すぎるわ、君は。」

 だから、風邪が絶対引けるんでも、しょっちゅう、その手を使わねーくらいなんだよ(笑)。

 即物的より精神的なモノのが本質なのは確かなんだよね?
 っま、この、ある種、補正の補正をも入れてしまうと、Hartree-FockのSelf-Consistent(つじつまの合う)場とかを考えなきゃで、色々めんどくさくなりそうだけど、スベテについて、最終的に、それをも超える、超伝導状態みたいな状態があることを、俺も信じている。
 常温なのに、どんどん突き進んでしまうような、電気抵抗ゼロをね。
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経験に縋ってる人を見て、可哀想だと思ったら本当の大人(?)

2009-11-23 04:36:11 | Weblog
 『おー、そうそう、んなこと、よー知ってるな!!』
 【あと、最近は、冥王星が、恒星じゃないんですよね。】
 『そうそ。んでもねー…。』
 ≪こいつは天才なの…。コイツは天才なんだ!≫
 『え?…(笑)。アホやんな。コイツは別に天才じゃねーよ、ただ、知ってるだけだろ。』
 【そうです。僕は、天才じゃないです。天才は、努力しなくても、できちゃう人ですしね。】
 『その通りっ。天才なんかになれなくたってイイじゃん。これくらいの知識、本を読めば、誰だって、獲得できるんだぜ?』
 ≪えー、無理だよー。≫
 『やりもしねーうちから、あきらめんなや。大丈夫、絶対に、賢くは、なれるから。』

 勉強のいいところは、誰でも努力すれば、ある程度は、賢くなれるところだ。ある程度って言ったけど、たぶん、皆さんが想像できるようなモノ、例えば学歴なんかは、誰でも得られる。さらに、最低限のお金とやる気とキッカケがあればね。
 それさえあれば、別に、今まで、勉強してようがしてまいが、カワラナイ。大事なのは、これから、頑張ろうとする気持ちがあるかどうか。今までがどーのって話は、基本的には意味がない。(信用にはなるけどね。)

 だから、それと同じように、経験や結果で、どーこーってーのは、俺らはあんまりしたくないよね。
 つまり、もっと具体的に言うなら、ディスカッションや議論で、経験があるからってんで、それで自分の意見のほうが正しいって、もっていくのは、ナンセンスだと思う。それは、学歴をひけらかして、相手の意見を止めるのと同じだから。

 しかし、悲しいことに、多くの、俺よりも年配の人も、こーゆー風になりがちだ。(まぁ、俺の周りにいる大人は教員が多いのは事実なので、そういう人材を生み出しやすい環境なだけかもだけどね。)
 それに対して、中高生の時のような反発的な心も抱くし、それを伝える時もあるけど、時が経つにつれて、それをさらに超えて、憐れみを感じるほどになってしまった。

 うわー、可哀想っ、、しかも、こんなんで、もう、俺よりも、先がみじけーのか。ってか、子ども育ててる、もしくは育てたんだよね。マジで、それで、こんなに浅い思考しか、できねーの。。マジっすか?ちゃんと、考えて、感情して、生きてきた?いやいや、生きていこうとする意思が、ある??

 もー、何もかもが抽象的で、曖昧で、他人には完璧を要求し、人の話を理解しようともしない。。ただ、経験に縋ってる。

 いや、ちょっと待てよ…、ただ、単純に、俺がガキって可能性もあるぞ。でも、わかんないけど、少なくとも、コイツら、意見の否定と人格の否定は異なるっという、議論における基本事項すら、認識してねー気がする。それに、こんなに、純粋な感情が、間違っているわけないだろぅ。

 俺ほど、中高生の時に思っていた、大人への反発みたいな心を、そのまま持ち続けている、一応、大人(成人しているので)も、少ないと思う。

 だからって、中高生の枠で話すなら、大人への反発が原因で、非行に走ったり、同級生同士の人間関係にへーこらしたり、偉ぶるヤツ等は、ダメだと思う。それは、俺が嫌いな、経験に縋るだけの大人達っと、全然変わらない。
 へーこらする相手が、イイ子ちゃんだと大人で、悪ヤツだともっと悪いヤツ、って図式になってるだけで、全然、かわんねーだろ。ただ、同級生同士の人間関係に齷齪してるほうが、大人に媚び売ってるより、多少カッコイイって、だけじゃねーの?

 だから、どっちに対しても、もっと正統派で反発しろよ、っと思う。そして、そうありたいと思ってる。

 何か、世間や社会に対して、イヤだなーって感情を持った時、遊びまくって発散する方法も、酒飲んで発散するって方法も、友達や家族に愚痴って発散する方法も、ブログに書きまくる方法も(笑)、どれもある程度効果があることは知っているけど、一番スッキリするのは、正式に、その問題の根本の相手に、意義を申し立てることだ。
 そんなことが、後にやってくる、同じような問題にぶち当たる人に、少しでも役に立つだろうし、未来の自分が助かるかもしれない。これが、自分自身の問題について、できるようになってきたら、誰か困ってる人の問題で、自分自身がそのような行動をしてみる。そんなんが、助ける基本だと思う。

 『俺の助け方とアイツの助け方と、決定的に違う点がある。』
 「…なに?」
 『俺の場合は、俺ができること、俺の能力ってーのは、相手もできる、もしくは、できるようになるんだってことを前提にする。だけど、アイツの場合は、違う。アイツは、相手ができることの中で、最大限を尽くすようにと助言することによって、助ける。』
 「あー、確かにね。」
 『だから、俺の助け方ってーのは、相手の能力の成長を促すようにしがちなんだよね。』
 「うーん、でも、俺も、そっちだわ。」
 『最近、そればっかじゃダメだなって。ほれ、自分より年下なら、それでイイのかもしれんけど、同世代だったりすると、それじゃぁ、もう、無理なのかもしれないっと思っちゃうし、相手も思っちゃってることが多いし。』
 「っま、どっちも必要だと思うから、結局は、使いわけだよね。相手が、どっちかを選べばいいし、相手によって、助け方を変えられたらベスト。」

 でも、俺のほうが、おこがましくはないんだぜ?だって、常に、相手を自分と対等に見てる、ってことじゃん?!
 アイツの場合は、相手の能力を、だいたいこんなもんだって、査定して、それでそのレベルに一回落ちる。だから、助けられるほうは、あまり努力しなくていいけど、でも、おこがましい気がしない…??

 っま、極端にしてるだけで、二人とも、どっちの助け方も、できるっちゃできるんですけどね。

 このうちの1種類の助け方すら具体的にちゃんとできもしないだろう人に、経験によって意見を否定される筋合いは、無い。
 誰であっても、経験をひけらかし、それによって押し潰そうとし始めたら、残念ながら、あまり聞く価値は無いのかもしれない。
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このページについて

2009-11-22 03:05:47 | Weblog
 えーっと、テンプレート、プロフィール(2006/9/5記事)などを更新してみました。最近、いろいろな方にいらっしゃっていただいてるのは、なんとなく感じているので、今一度、このページでのことを確認しておきますが、

 ・定期的に更新される(っと俺が言ってる)記事が存在します(プロフィール、院試対策、参考書紹介など)。

 ・「歌記事」っと俺が勝手に呼んでいる、ある一曲をテーマにして、その歌詞の内容とはほとんど違う内容を、歌詞を散りばめることで(本当に散りばめているので探すのは大変だと思う)、表現し、さらに、思い入れのあるそのある一曲を紹介するっという記事があります。

 ・ジャンルはなるだけ多くのモノを扱いたいと思っていますが、最近で多いテーマは「自然科学」「教育」「人間関係」などで、日記から、これらのテーマに行くことが多いです。昔になるにつれ、「音楽」や「めっちゃくだらない空想のこと」なども多いです。

 ・実際に話した会話を記事の途中で挟むことがよくあります。基本的に、俺の発言は『…』で表されています。他の人も、大事な人、特質的な人などは、それぞれ固有のカギカッコがあったりしますけど、多くは定めていません。ですが、ルールは沢山あります。

 ・質問やコメントはいつでも誰からでも大歓迎で、少なくとも、無視することは絶対にしません。

 ・他の人に見られたくないけど、コメントしたい場合は、公開しているメールアドレスに連絡をしてくれれば、返します(そこまでの質問はないと思うけど…)。

 ・明らかに不適切な内容のコメントやトラックバックは、大昔はほっといて、リンクで行かないでねーって言ってたんですが、他の方々からコメント&メールで強く反対されたので、削除するということにさせていただいてます。

 ・昔の記事であってもコメントしていただいて構いませんし、必ずお返ししますが、あまりに昔の記事だと、書いたことそのものを思っていない可能性がありますので、その点はご理解ください。何せ、4年くらいやってますから。

 ・ここで書くことは、基本的に、本音4歩手前くらいです。普段しゃべることのほうが、よっぽど本音の時が多いですから(人に依るけど)、決して、俺の本音を垣間見たなんて幻想を抱かないように。

 ・テキトーに書いてますが、モラルは守ります(マナーは守らないけど)。何か、これは良くないっと感じたことがありましたら、お伝えしてもらえると助かります。

 っということですので、っま、皆さん、案外、ずっと見てくれてる方も、フラっと来ていただいている皆さんも、これからもよろしくね。
 今日は疲れたので、これでー。。
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シュートで終わりたい

2009-11-21 02:46:00 | Weblog
 『いや、だからさ、ちょっと、どんな風にして、行けばいいか、わからないってーか。ぶっちゃけ、あんま、勇気ないわ。。』
 「うーん、まぁ、大事な時期だから、逃げたほうが勝ちな気もするけど、でも、やっぱり、行ってみたら??」
 『えー、マジで…!?』
 「たまには、うわー、自分こんなテンパっちゃってるよー、みたいなんも、味わったら?(笑)」
 『…(笑)。確かにね。うむ、その感じ、すげー大事だと思う。やっぱ、行ってみるわ!』
 「おう!」

 そうそ、その見せかけの余裕が、ホンモノになる。どんなに見せかけで、背伸びでも、誠心誠意に演技しつづければ、それがいつかはホンモノになってしまう。だから、俺は、無理にでも、他の誰かの迷惑にならない範囲で、行動すること、発言することの重要性を大事にする。
 一方で、地に足着いた理解ってーか、ホンモノを得るための正統派な努力も、同じくらい、大事だと思う。でも、それって、全然、面白くないんだよねー。

 無理してるほーのが、カッコ悪いけど、カッコイイじゃん!?しかも、楽しいし。
 だけど、確実な勝負をするときってーのは、それじゃぁダメだ。地に足ついた、ホンモノで戦わないと!でもでも、あなたが努力している、それは、そんなに大事なことなのかなー?それが掴めなかったとしても、実は、大丈夫なんじゃないの??

 【わかんなぃ。でも、行きたくないんだもん。。】
 『そこまで、みんな、おめーのこと、気にしてないと思うぜ?(笑)』
 【それはそうかもしれないけどぅ。。】
 『だったら、こー考えてみたら??もし、そこで、テンパっちゃったら、【ははは、こんなことで、テンパちゃってる、自分、ウケるー!!】って、心の中で、言い続けたら、だいぶ楽だよ?』
 【なにそれー。(笑)】
 『俺、いつも、そんな感じに感情をもってくかな。。そうすると、なんか、外部でどんなにイヤだな~って思っても、乗り切れるんだよね。』
 【そんな、テンパっちゃってる自分、ウケるーなんて、思えるなんて、どんだけ冷静なの!?】
 『確かに。。だって、自分を冷静に客観視する自分がもう一人いるってことだもんね!確かに俺、どんだけ、冷静なんだろぅ。でも、これ、ホントに、良い手法だと思うんだけどなー。。』

 どんなに、負けてても、行動してみなきゃだと思うのだ。

 だから、シュートで終わりたい、んだよ。

 そっちのが楽しいし、実質的に役に立つ系だってある。たとえ、ゴールネットを揺らせなかったとしても、次に繋がすため、っていう価値だってあるんだ。
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別分野変換

2009-11-20 03:08:09 | Weblog
 共通項が全然無さそうなバラバラなモノ達が、一つのことを与えてやると、全部つながっていく。
 俺は、そんなのが大好きだ。

 日常の中で、音楽、友達関係、恋愛関係、理科(物化生地の全部)、数学、英語、精神的な悩み、勉強や研究や受験に対する意気込み、など達が、それぞれ共通項を作って繋がるとき、「美」を感じるんだと思う。
 だって、単純にすごいっしょ。例えば、人間関係と数学とかが繋がったらさ。でも、普段、俺らは、そんなギロンをしたりするけどね。

 「レンツの法則って、書いてあるんだけどー。」
 『あー、それは、あなたと一緒。ほら、常に状況が変わりたくないって、思ってるでしょ?(笑)』
 「うん。(怒)」
 『コイルもそう思ってるんだよ。変化嫌いっ!!ってね。』

 っま、誤りもいいとこの説明だけどね(笑)。問題解く上では、そんなもんで良い。

 『あー、ダメダメ、違う。あってない。。』
 ≪今の俺の音、譜面より、高い?低い?≫
 『高いとか、低いとか、言ったって、しょうがないでしょ…。』
 ≪なんでー?≫
 『だって、俺が例えば低かったって言ったら、今のより、高めに音出そうと思ってるんでしょ?』
 ≪まぁ。(笑)≫
 『そうやっても、絶対、掴みにいけないもん。もっと流れで掴まなきゃ。数列と音楽は、流れで掴まなきゃなんだぜ?』

 そういや、センターまで、2か月を切りましたが、受験生の皆さん、数Bは大丈夫そう??

 数学とか理科ってーのは、そういう意味では本当に使えて、便利。ここで、時間っていう変数を固定して、その人間関係の定常状態を観察すると、とかって言うと、俺らはめちゃめちゃ話が早いし、正確にギロンすることができる。

 ただし、このtransferに慣れてない人も沢山いるから、それは気を付けないとだよね。
 このtransferが俺の唯一の強みなのかもしれない。がっつり議論するときもそのtransferに対して理解があれば便利だし、まったく知らない人に説明するときの強みにもなれる。

 だけど、なかなか、この能力の価値が評価されないのが、悩みなのです。

 『だって、よくわからないっと、思わない??』
 「うーん、でもさ、K君、ある意味、そういうの、K君とすごく近いよ。」
 『え?』

 1時間のtransfer説明ののち。。

 『でも、それは、違うじゃーんっ!!一緒にされたくねーし。』
 「もちろん、違うさ。だけど、空気っていうか、そこの部分だけは一緒ってこと。」
 『あー、でも、わかったわ。』
 「そうそ、そーやって勘違いしてるんなら、全然ありうるでしょ??」
 『確かに、そうなるな。』

 そんな会話が常なのになー。
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自発的対掌性の破れ

2009-11-19 02:47:13 | Weblog
 このごろのゼミで、俺が突っかかる部分が、南部先生(昨年のノーベル物理学賞受賞者)の提唱した理論に関することであることが、2回もあって、ちょっと嬉しい。
 第二量子化されたハミルトニアンをスピンについての行列表示で書き下す南部表示の手法と自発的対称性の破れ。どちらも、本当に面白い内容で難しい。今回の、自発的対称性の破れなんて、ちょっとした粒子の意志を意味しているなんて(かなり不正確な表現ですので…)、凄すぎるわ。

 初めて理科をきちんとやってから6年。ついに、ここまで登ってこれたか。
 学問の最前線が一番の冒険をしている。今、やっと、冒険の域まで達せているのかもしれない。最近、あんま、やる気がでないけど。。

 『うーんと、この行列で書く書き方なんですけど、、先輩は、ッパと10秒くらいで書いちゃったんですが、きっと慣れてないとそんなに簡単にはでなくって。。僕なんか、この標識を導くのに、授業1回分…じゃなかった、90分もかかってしまいました。だから、まぁ、ゆっくり考えてですね、パズルみたいなもんなんですが。。』
 「そりゃ、そうだよ。それは南部表示と言って、そういう理論によって、南部先生はノーベル賞をとったんだから。」

 え?そうなの?知らんかった…。

 「むしろ、そんなの90分で思いつくんだったら、ノーベル賞何個も取れちゃうって。(笑)」
 『あ、まぁ、先輩の表示をチラ見してたんで、自分の発想じゃ、もちろんないですが。。行列要素を、反交換関係から導くのを、やってたんですが、難しかったですね。なんとか上手くまとまりましたけど。』
 「だから、そりゃ、そうでしょ。。」

 確かに面白いけど、ここまでっ。俺は、もっと、自分にとって価値があるって思えることを、やりたいんだし。

 今日、書店で、いかにも勉強しなさそうなヤローが、高校の学習参考書コーナーをうろうろしてるのを見かけた。参考書コーナーに来て、んで、帰って行って、またやって来て、って、いかにも不自然。
 遊びに遊んでいた頃、ある大学を目指すためとかそんな具体的になれなかったけど、でも何かを変えようとして、初めてちゃんと本屋の参考書コーナーに行き、数学と物理の参考書を探し、「青チャートⅡB」と「∑bestの理解しやすい物理ⅠB・Ⅱ」を買った時の自分を思い出したりした。
 俺はある程度は無難にこなすタイプではあったけど、本当に実力で勝負してやるって思ったのは、ここからだろう。俺はたぶん、こっから、実力主義になろうとしたのだろう。だから、

 『えー、俺、先生っぽいっしょー。』
 【全然。でも、塾の先生ってんなら、確かにーって思う。】
 『それどうゆう意味?(笑)』
 【なんてーいうか、先生は、実力で、どーだっ!!、って感じじゃん?】

 って言われた時、すごく嬉しかった。

 大きく現状を変えようとするとき、どうしても、背伸びしないと精神的に続かないのかもしれない。それで、行けるところまで行ってやったさ。
 でも、だからこそ、だいぶ、落ち着いた今は、地に足着いた理解こそが大事だと思ってしまう。あんまり、背伸びして、難しい言葉や数式で誤魔化して欲しくないんだな。新しい事に対して柔軟なのと背伸びすることは、明らかに違うからね。

 頑張れ。現状を変えるのは、生半可な覚悟じゃできねーぞ。だけど、それ以上のベネフィットが期待できる。
 こんな現状ヤダってどっかで思ったら、多少滑稽でも、少しのかすり傷どころか満身創痍になってしまうんでも、前へ一歩踏み出さなきゃいけない。あなたが誰であろうと。

 その瞬間こそ、「自発的対称性の破れ」なのだと思う。
 本気で現状を変えようとしてみる時こそ、身体のどこかで自発的に対称性が破れ、意志によって外部に影響を及ぼす事ができる。
 いや、生体だから、対掌性(chirality)なのかもな。っま、どっかのタンパク質でアミノ酸がD体になっちゃうなんて、ねーか(笑)。
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新カリキュラムへ

2009-11-18 01:23:09 | Weblog
 今日、新しい学習指導要領(これに沿って、すべての初等・中等教育が行われる。教員および教員志望者の必須アイテム)の高校バージョンがでたらしい。だいたいの変化を友達から教えてもらった。

 「今日さ、高校の指導要領が出てたから…」
 『衝動買いしちゃった?(笑)』
 「うん、そんで、読んでたんだけど、…」

 マジかよ(笑)。こっちとら、冗談のつもりだったんのに、このクソ真面目ヤロー、すげーな。

 「物理の変化がヤバいね。」
 『なんか、大幅に消えてた?』
 「っていうか、Ⅱへの移行が激しい。」
 『ふーん。どんな範囲?』
 「えーっとねぇ、光がⅡになっちゃってた。」
 『うわー。授業すんのめんどくせ。』
 「うん。どーすんだろうね。」
 『波の基礎原理をやって、波の具体例として、音をやります。3年になったら、もう一つ、光やりますからねー。…ってのを、毎回やるんかいな。』
 「絶対、混乱するよね。」
 『現行でも、コンデンサーがⅡってのが、わかりにくい気がするのに。だって、電荷とか定義せずに、抵抗回路はやっちゃうんでしょ?意味わかんないじゃん。』
 「確かに。しかも、音はⅠかと思いきや、ドップラー効果だけは、Ⅱなんだよ。」
 『はぁー?何それ。。』
 「そして、剛体もⅡだー。」
 『Ⅱに押し付けすぎだろっ!』
 「うーん。よくわかんないよね。」
 『理系の生徒がやりにくいだろうな。。』

 でも、センター試験はラクになります。物理基礎だけですから(俺らの会話では、ⅠとかⅡとか言ってますが、次期指導要領から、物理Ⅰ→物理基礎、化学Ⅰ→化学基礎、生物Ⅰ→生物基礎、物理Ⅱ→物理、化学Ⅱ→化学、生物Ⅱ→生物、と名称が変更になります)。
 化学範囲も無機と有機は化学基礎では行わないことになりました(っま、今までも、多くの公立高校で、Ⅱでやってたから、変わらないけどさ)。新過程でイオンや周期表は中学でやることになってるから、総体的に、化学基礎のセンターもラクになるでしょう。
 それでラッキーっと思う人はイイとして、高校である程度ちゃんと理科を学びたいという人(で、特に文科系の生徒)にとっては、可哀想だと思います。生化学の範囲もがっつり消えちゃってるし(生物の「生命現象と物質」は健在)、電気の事も、これじゃあわかりにくいよね。

 そのほか、高校理科での大きな変化として、理科総合が完全に消え、必修が「科学と人間生活」を含む基礎科目2つか基礎科目3つになりました。だとしたら、学区トップクラス校(今や学区がねーけどな)では、3科目(物、化、生の基礎)履修が当たり前になるのか?
 僕はお偉いさんじゃないのでわかりませんが、俺だったら、そうします。だって、「科学と人間生活」や理科総なんて、入試にでねーもん(だからって高校卒業程度の学力として~みたいな、キレイ事は無視!)。理科総の教科書、中学の内容みたいだし。だから、理科総と言いながら物理やってたりと、他のことやってる高校が結構あるのです。

 『んで、数学は?』
 「うーんとね、やっぱり、行列の範囲がガッツリ無くなった。でも、それくらいかな」
 『あそこは、イイや。まぁ、教えるのも、簡単すぎてタルいしね。』
 「でも、複素平面復活だよ。」 
 『まぁ、別に、そんなに難しくないし。それに、Ⅲでしょ?』
 「そうだね。あと、整数問題が増えてた気がする。」
 『ふーん。じゃぁ、まあ、特に変更なしか。』

 数学は、Cが無くなり、Ⅲが5単位になります。行列無くなるの、高校教員サイドとしては良いんですが、大学教員サイドとしては、困ります。線形代数をまるまる最初っからやらなきゃいけないわけですから、それは、ホント、大変です。したら、2次曲線…っと思ったけど、あれはあれでなくなったら、困るな。大学入試の問題って意味でも困るし、大学入ってからも困る。
 どっちにしろ、複素平面も行列も、なんでも、大学行くと必要なんですよね。xy座標での回転系の話をするために、一次変換か複素平面のどちらかはやらないといけないんですが、最終的に、理系は、どっちも絶対に必要です。

 こんな感じで、今の中学3年生からは、高校の理科系の科目を、履修することになりますね。
 教員志望でもないくせに、結構、現職の先生の中でも、総体的に理解しているほうだと自負していますが、もし、間違いや追加したい点などを発見されたら、どのような方でも、コメントをくださるようにお願いします。一応、あと2年は、この手のお仕事をしていく予定ですので。

 学習指導要領がいくら変わっても、東大入試やセンター試験は、きっとカワラナイ。前期量子論の分野が出しやすくなったり、生化学の分野が化学からは出せなくなったり、行列の問題が出せなくなったけど、きっと、ほとんど変わりません。
 東京大学の学部入試と大学入試センター試験は、すべての大学入試のベースになります。もちろん、それによって、東工大の、あの独自の化学の出題の仕方や、京都の和訳英訳、物理の穴埋めが、変わるわけはないですが、なんてーか、空気がちょいちょい、動く。

 学習指導要領なんか研究するよりも、教員はもっと他の教材研究をしなきゃいけないし(だからって、指導要領は把握しなきゃだけどね)、高校生はもっと本質を見抜かなきゃいけない。
 後輩達よ、高校や予備校の先生、本に書かれていることを、そのまま、真に受けないで、きちんと吟味し、本当かどうかを把握し、自分の目で見に行かなきゃいけません。

 情報を自分で処理する力も受験に勝つ力なのです。
 って、この記事は、ほとんど、友達からの情報だけどね。俺はもう受験しねーもん(笑)。
 (注:一応、自分でも確認しています。。)
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わからないことがわかるようになる≠しあわせ

2009-11-16 23:40:53 | Weblog
 ≪ねぇ、dipole(磁気双極子)の色は、何色だと思う?≫
 『うーん、オレンジかな。』
 ≪じゃぁ、Hopping(ホッピングポテンシャル)は?≫
 『そりゃ、緑でしょ。』

 色のイメージって、あるよね。俺の場合、数学の色は黄色だし、物理の色は青、化学は赤で、生物は緑。そんな話は、ここでも、すでにした。

 ≪ってか、意味わかんないけどね。≫
 『ふふ、理屈じゃないからな。』

 音楽となると、自然科学より、すごく特質的にでてきます。

 『例えばさ、ドは赤で、レは黄色じゃん?』
 ≪ごめん、全然、わかんない(笑)≫
 『なんか、イメージだって。だぶん、洗脳されてるのが入ってるけど。んで、ミは、緑で。。』
 「いや、ミは、オレンジだ。」

 せんせー。マジか。まさか、この話で入ってくるとは、思わなんだ。

 『えー、ぜったい、ミは緑ですよ。オレンジはファですよー。じゃぁ、ファはなんですかー?』
 「うーんと、紫かな。」
 『えー。ぜったい、ミは緑で、ファはオレンジですっ。って、根拠一切ないですけど(笑)。』
 
 <何の話してるのー?>
 『あー、先輩は、ミとファは、何色だと思います?』
 <ミは緑で、ファはオレンジじゃない?>
 『ですよねーっ。ほらー。』
 「いいや、ミはオレンジだ。」
 <ううん。Kちゃん、あってる。ミは、緑だよ。>
 ≪意味わかんない。(笑)≫
 『うん、だから、根拠はまったく、何も、無いんだけどね。』

 ってか、よくこんなくだらない話、つきあってくれるよな、俺の先生や先輩(笑)。

 絶対音感スイッチを入れた状態と音を色変換するスイッチを入れた状態で、音を聞くと、色が瞬間的に見える。でも、ずいぶん前にも言ったけど、こーゆう解釈って、本当につまんないんだよね。まだ、音名と色だけで、どーこーってほうが、面白い。
 あんまり、逐一、音を把握したくない。流れこそ、音楽だと思うし。

 だから、高速弾きに憧れた時があった。一見(いや一聞か?)すると、速くて、とても、一回じゃ把握できない音の連発。把握できないからこそ、そこにすげーもんがある気がして、面白い。
 有名な曲で、速くて聴けないスピードは、、ってーと、ELTのGrip!って曲の、キーボードソロかな。たいてー、うわー無理って思うのは、ギターソロの音が崩れた感じのとき(それも慣れはあるんですが)。でも、この曲はそうじゃなくって、あれだけメロディラインがはっきりしてるのに追い付けないないのも、あんまりないかも。もうひとつくらい、例を挙げときましょうか、ジャンヌのFeel The Windって曲のギターソロの最初のほう。
 速いのも確かにそうだけど、実は、どちらの曲も、音を少しづつ変えてループさせているような構成が、わかりにくくしてるってのがあるんですけどね…。
 って、解析できちゃった瞬間、その憧れの心は、奪われてしまう。。

 そういえば、まだ、歌うための音すらとるのが難しかった頃、何回もその部分を聞いて、
 『なんて、丁寧に、一つ一つ、音を掴まなきゃいけないんだっ』
 と思ったことがあったな。でも、問題が見えてしまえば、80パーセントは解けていて、それが分かった瞬間に、その不思議さも消えて行った。
 その一瞬、丁寧さがとても要求されるんだとしても、何曲も知ってくると、だいたいパターン。数をある程度こなすと、例えばアカペラで、音がとれねー、ってのはなくなる。
 それが、そうじゃない状況と比べて、面白いのか、と言われたら、ちょっと返答に困る。

 なんでも、どんなことでも、知るようになれば、解析できるようになれば、幸せっというわけでは無いらしい。
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最後の1秒まで大好き

2009-11-16 02:10:51 | Weblog
 このページで、最近まったく触れなくなってしまったけど、俺は音楽が大好きだ。
 もう、たとえ、すべてが無くなってしまったとしても、音楽を聴いているだけで生きる価値があると思うくらい好き。もちろん、自分の身体を使って、音楽を表現するのも好き。歌うのも、ピアノ弾くのも、ギター弾くのも、ドラム叩くのも、踊るのも、どれも凄くできるわけじゃなくって、中途半端なのが多いけど、でも、大好き。自然科学の100倍好き。漢文の10000倍好き。

 そんな、大好き、って気持ちに、理由や思想なんて、無い。

 最初っから自分が音楽できるから好きってわけじゃない。たぶんだけど、そもそも、音楽は、俺にはあんまり合わないもんだと思う。頑張っても評価されないシーンが多いし、実質的には意味がないし、基本的に不器用だしね。だから、思想的に感情を持っていくなら、あんまり好きなもんじゃない。
 だから、いつも、感情のが、先立つんだと思うんだけど。。確かに、思想から査定していて、それで感情を抱くこともあるけど、でも、基本的には、感情が先だよね。

 たとえば、好きな人が、この曲好き、って言ったとするでしょ?したら、当然自分もその曲を聞いてみて、自分も、その曲を好きになったりするじゃん?んで、俺の場合、たいてい、その事とは、ほとんど別になって、その曲を、もっと、本当に好きになる。
 それで、さらに時間が流れ、その人と上手く行かなくなっちゃったりすると、最初は、あんな曲、マジ、もう聞かねぇ、ってなるんだけど、どっかで、ふいに聴くと、うわーって、、どうしようもなくたまらない気分になって、もう一回、その曲を好きなる。また、1個、超えて、好きになる。

 もう、そんな、過程をも、ぜーんぶ、大好きっ。

 そう、よーわ、たいていの人なんかよりも、音楽のが大好きです(笑)。
 すげーいやな事があった時は、絶対に、音楽聞かない(not to listen)。いや、聴かない(not to hear)。だって、その想いが残っちゃう気がするし、音楽に失礼な感じもする。ふつーに、今日は上手くいかなかったなーって時は、聞くけどね。そういうとき、俺は、ダニエルパウターの、Bad Dayとかを聞きます。っま、まんまだし。

 でも、そんな大好きな音楽なのに、最近、あんまりちゃんと聞いてない気がする…。最近の曲も、そりゃ、人よりは、まぁ知ってるんだろうけど、昔はもっと、徹底的に知っていた。今や、EXILEのメンバーも全員言えない(明らかに多いからだけど)。
 なんてーか、音楽に対する、ハングリー感が減ったのも原因だよね。ちょっと前までは、youtubeもなかったし、好きなアーティストの新曲があると、一刻も早く、そして、一回でも多く、その曲を聞くために、タワーレコード行って、HMV行って、んで、もっかい別のタワレコ行ってーってやった気がする。今や、どーせyoutubeであるだろうってんで、一回しか行かないし(それでも、行きますけどね)…。この作業により、音感が上がっていたところもあったのにな。。

 CDもあんま買わなくなったしね。
 もう少し、音楽にお金を使いたい今日この頃ですが、なかなか…。

 いえいえ、でも、昔のがよかったとか、そー言いたいんじゃないんですよー。それにそれは言っちゃいけない気がするし。

 っあ、、これは思想か。音楽なんだから、感情で動くか。

 ちったー、昔みたいに、イイ曲、提供しろよ、頑張れよ、エーベックスっ!!

 ってね。
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最も大切なことの一つ

2009-11-15 03:33:54 | Weblog
 「何をやるんでも、気合いがなきゃできない。だから、このクラスが掲げるのは、気合い、だっ。」
 中2の春、担任の先生は、アニマル浜口より前に、そんなことを言っていた。っま、そんなこと言いそうなタイプ(よーわ、体育会系)だったけどさ。
 この1週間、それをスゲー感じた。やる気がないと、なーんにもならんね。
 って、なんか分かりづらく言ってますが、、体調が悪い1週間だったってだけ。無理して頑張ってたけど、週末で、ついに、お休みをもらいました(新インフルじゃありません)。2日間ぜーんぶ自主休講。結構、久しぶりです。マジで、2年ぶりくらいじゃん?4年になってまで、結構ふつうに授業入っているから悪いのはそりゃそうだけど(2教科教免&編入的に仕方ない)、価値のある授業&履修してる授業を、ぜーんぶ休むなんて。。あ"あー。

 っま、学生、特に高校生の諸君、学校は基本的に、休んではいけないのだよっ!!っと、当然のことを、えらそーに言ってみる。きちんと罪悪感を持って休みたまえ、…っとかすら言っちゃいけねーのか、センコーは(笑)。
 来週は文化祭だから、ちょこちょこ、ゆっくりしようっと思ってたのだけど、1週間早くお休みをもらっちゃったな。1週間後も、ゆっくりするけど…、っあ、できないかもか。

 案外、なーんにもしないで寝てるときって、いろいろな発想がでてくるもんだなって思う。ここ最近(長いスパンのね)の、キセキを思い出していた。時間軸順に。


 ≪まぁ、だから、ここなら、こー対策して、それくらいで、大丈夫だろって。あと、あれも一応やっとるし、うん。≫
 『それは、その数値なら、大丈夫そうだね。でも、点数でザックリって可能性もあるかもだから、気は抜けねーな。…俺は、3倍くらいだし、全然なめられないけどな。』
 ≪そりゃそうだよ。だから、久保先生のヤツとか、解きまくっとるんじゃがね?≫
 『確かに。。お前と話すたんびに思うけど、こー言っちゃなんだけど、敵は、地方だなって思うよ。』
 ≪え"?≫
 『東京の連中ってーのは、この試験について、あまりにも、ナメ過ぎてると思うわ。』
 ≪そんなことないでしょー!!≫
 『ううん。ここまで真剣な地方大の学生の話を聞くと、そっちがホンモノだって思うし、東京っていう、本当は頑張んねーのに、強そうなモノを掲げられると、躍起になるんだろうしね。つえーのは、地方。俺が最も恐れているのは、地方の連中だな。』

 また高校生に言っとくけど、大学受験も一緒だぜ?
 
 『もう、いいよね?俺、もう、いいでしょ…。』
 《K君が無理じゃないなら、全然、やっても良いけどね。》

 『とか言われたんだけど、どー思う?(笑)』
 「俺は、それは、もうイイと思うわ。これ以上だったら、K君が、壊れる気がする。」

 だからって、どっちも、俺の事を、考えてくれているのは、カワラナイ。

 『うーん、でも、たぶん、俺、戻ってこないよね…』
 【したら、もう、最初っからやめないでくださいよー。】
 『えーだって、無理だよー。お前らの人生なんかよりも、俺の人生のが大事だもん。(笑)』
 【そりゃ、そうでしょうけど(笑)】
 『なんか、それ、前の生徒にも言ってたな。。まぁ、大丈夫だって、なるよーになるし、どうしても、俺が必要だったら、呼んでくれ。たぶん、行かないけど。(笑)』

 その後、押尾学が同じようなこと言ってるのを知って、ショックを受ける。

 『ホント、どーしよ。俺さ、これで、無理だったら、もう、頑張るってことに、価値を感じないわ。』
 「わからんけど、大丈夫だと思うし、ダメだったとしても、報われないことはないでしょ?」
 『いや、これ無理だったら、無駄だわ。絶対。』
 「ちょっと待ってよ、だって、ないでしょ?努力によって、報われなかったこと?今までで、ないでしょ?」
 『まっ、まぁ。確かにね。うわぁ、、ごめん、そろそろ授業始まるわ。』
 「おぅ。んじゃ、まt」
 『自分がやるね。』
 「マジかよ(笑)」

 『マジで、どうしたらいいですかね。僕、これが、もしアウトだったとして、どんな道が考えられます?』
 <うーん、一般的に、こんな制度があるから、それは?>
 『えーっと、それは、先生のところで、良いんですか??』
 <それは、どうぞ(笑)。>
 『ありがとうございます。』

 やっぱり、あの時、いろいろ考えたけど、この選択は間違っていなかったな。

 〔高橋君、おめでとう。よかったですね。でも、これからが大変なんです。あくまで、スタートラインは一緒じゃないんですから、きちんと、負けずに、勉学を続けないといけません。〕
 『もちろんです。頑張ります。本当に、ありがとうございました。これからも、どうぞ、よろしく。』

 彼も、大変すばらしい言葉をかけてくれた。
 最悪に落ち込んでる時に「手を」、最高に喜んでる時に「気をつけろ」と。この2人の先生を、俺は一生、尊敬し続けるだろう。

 『だって、そりゃー、自力で解けるってことと、理解するってことは、ちげーだろーがっ。』
 【はい、確かに、そうっすね。】
 『うん、だから、ちゃんと分けて、勉強しないとダメだよね。んで、英語は?』
 【一応、予備校で使ってるのと…。】
 『うんうん。そっかー。ねぇ、俺の、単語のまとめとか、見る?』
 【は、はい。】
 『長文読んで、ある単語のせーで、訳せなかったり、内容把握できなかったりするときあるだろ?予測も不可能な単語で、んで、その単語が、ホントは覚えてなきゃいけなかったやつとかでさ。あー、これかってとき。』
 【あります。あります。】
 『それを、全部、書き出したのが、これ。過去問、参考書、いろんな英文読む中で、全部書き出した。だから、もちろん、だぶりもあるし、超簡単なのもある。だけど、恥ずかしがらずに、全部、大反省だと思って書き出す。………いいか。こっちとら、さらに上の試験だぞ、一応。なのに、こーんなに簡単な単語だろ?おめーでも知ってるのばっかだろ』
 【はい。まぁ。】
 『でも、俺はできなかった。大学院受験生なのにできなかったんだ。それでも、この対策でなんとか受かった。いかに、基礎を完璧にすることが難しいか。本当に、基礎が完璧になってるか?!数学だって物理だって、高校の範囲で、俺だって、まだまだ知らないことがでてくるぞ。』
 【なるほど。】
 『他人にシッタカをするのは構わない。かんけーねーから。だけど、自分の心にまで、シッタカするなよ。』
 【わかりました。】
 『いやー、マジで、頑張ってよ。俺の、高校ん時の志望と一緒だから、マジで、頑張って。』
 【頑張ります!】

 生徒に対して、よく思うことなんだけど、メモしてくれるのは良いんだけど、大事なこと言ってんだから、メモしないでよ、って俺は思ってしまう。

 『おめでとう。本当に、おめでとう。これで、来年、ラーメン屋いけるな!(笑)』
 ≪その前に行きたいけどね(笑)≫
 『んね?嬉しいっていうより、安心でしょ?』
 ≪確かに。安心、だな。納得。≫

 『ありがとう。おかげで助かったわ。』
 「おう。おめでとう。」
 『んで、お前のほーは?』
 「まだわかんないけどね。」
 『どんなとこなんだっけ?』
 「………。だから、これで、子どもの生活とか、地域の生活が守れる。助けられる。」
 『この国は、必要としてるよ。そこまで純粋なやつをね。ってか、じゃぁ、助けるほーに行くんだ。』
 「え?」
 『ほら、いつか、それこそ、高校の時、言ってたじゃん。地球を助けるか、ぶっ壊したいって!(笑)』
 「あー、それは、創るほうで。(笑)」
 『俺も、まだまだ、負けねーし。俺も、創るしっ、助けるし(笑)。』


 1日中寝てたら、思い出した。何を大切に思い、何を目指して大学にまで来たのか。大学院に行くのか。
 誰かの言うとおり、ちょっと、無理し過ぎたみたいだな。大前提を忘れてた。

 そして、また、果てしない夢を思い出したりしていた。もう、果てしなくは無いか。1つ山を越えたんだもんな。

 『うーん、もし、これできちゃえば、十分でしょ。。』
 ≪いや、ダメだね。君は、そこで、そんな普通で、終わってはいけない。≫
 『いけないのかよ(笑)。だって、これだって、世間一般からすれば、すげー、違うことだよ?』
 ≪君にとっては普通過ぎるね。だって、それだけの、変な、特殊な力があるのに。。≫

 いくらジョーカーでも、EXTRAordinaryでも、もう、ここで打ち止めにさせてくれっと、周りにも、自分にも、運命にも、思うけど。。どーなるかは、風向き次第かな。
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誰もが孤独だから

2009-11-12 01:42:16 | Weblog
 今日はプレゼンでした。まぁ、風邪もひいてる中、全思考パワーの8割くらいは、出せたから、今日は合格点だな。常に、80点以上が自分の中では合格ですんで。
 院試以来、マックスパワーを出していません。というか、たぶん、今は、だせません。そういう意味では、俺も、慢性的に疲れてるんだなーって思う。

 今日は、相手を見て、それで自分のフリを確認しに行く、機会が沢山あったけど、俺もそういう風にならないように、気を付けないといけないな。
 自分を押し殺し過ぎちゃって、自分がどんどん他人になっていく。勝てそうにない相手だから、意味わかんないって言葉で卑下する。多角的視点に対して、正統派じゃないって押しのける。「どーせ思考」になりまくって、論理的展開に破綻が生じる。
 そんな風にはならないようにしナイト!

 大人の中にいて、ふっと生徒達(特に小学生)を見ると、なんで、こんなに俺らは素直じゃなくなっちゃったのかなーって思ったりする。

 『あなたは、英検準2級もってるんだってー!』
 【うん、そうなの。英語も得意だし、数検も3級持ってるよっ!】

 ここ最近まったく見ていない、超嬉しそうに話す、その姿に感化されて、俺も、その空気に乗る。

 『へー、すごいねー。俺、あなたくらいのときは、英語、すごい簡単なのしか、言えなかったわ。ハローとか(笑)。数学なんて、やってなかったし。』
 【えへへへ。】
 『でも、準2くらいになると、面接とかあって、大変でしょー。』
 【ううん。面接のがイイの。いつも満点だもん。だから、筆記と逆だったらいいのになーって思うの。】
 『すげーな。満点なんだ。でも、英語得意な人、確かにそう言うわ。』
 【でしょー!】

 自分を押し殺してないし、くだらない暗記事項を披露することによって、暗に「すごいだろー、お前はダメだな~」ってこともしなく、んなめんどくさいことせず、素直に褒めてーって事実のみを言ってるし、かといって、俺を馬鹿にすることもない(それは俺が大人であるからであろうけど)。

 俺も含めて、俺の周りにいる人たちが、いかに素直じゃなくなってしまったのか、いかに素晴らしい無邪気さを失ってしまったかがわかる。

 もちろん、自分を押し殺して相手を立てることも必要だし、大人がこれじゃカッコ悪いかもしれない。暗記だって、例えば、

 《量子力学はヒルベルト空間を使ってるんですよね。》
 『そうそ、正確には、無限次元の複素ヒルベルトスペースね。』

 とでも言えば、暗記によって、どっかで聞きかじったアホな後輩を、打破することができるから、役立つ。
 だけど、なんてーか、なんてーか…。

 当然だが、俺は、この、褒めた子に勝ててしまう。会話だって、リーディングだって、作文だって、どれをとっても、俺のほうができるだろうし、俺に数学で勝負しようなんて、10年早い。
 でも、そんなことはどーでもイイ。ただ単純に、褒めてあげたくなるし、そのためなら、超馬鹿でーす、っていう演技だって、完璧にしてやる。

 だがしかし、

 『マジさ、このダンジョン、どーやってクリアするのか、わかんないんだよね…』
 【こーこー、こーだよー。ダメだなー、先生。オレ、全部クリアしちゃったからさ!】

 って言葉に、生徒達自身は、俺に対等性を求めていることも、十分知っている。そして、実際、ある部分では、確かに、対等なのだ。

 なんか、すげー色んな事象に対して、すげー色んな角度からで、切ないよね。
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M0へ向けて

2009-11-11 02:16:14 | Weblog
 あと、4ヶ月ほどで、この大学から去る。悲しいような、次が楽しみなような、そんな感じだ。

 小さいことでも、ちょっとづつ、寂しさが出てくる。
 この建物の工事が終わる頃には、ここには自分はいないのかーっとか思うし、服を着るんでも、季節的なことを考えちゃって、もうすぐやなーって思う。
 それから、物理から生物になるわけで、今、物理の研究をしてて出てくる、単純な積分計算でも、これを高校生とかに教えることはあっても、自分のために計算するのは最後かもなーっとか、数学公式集を見て、思ったりする。

 4年間、不本意に入った第3希望の大学ではあったけど、色んな意味で間違いなく俺の準拠集団の1つであったと思うし(これからもそうであることを願っている)、あの時の最良以上の夢を掴ませてもらった。それについては、非常に優れた教育機関であったと断言できるし、自信を持って然るべき人に勧められる大学だ。
 そして、教育and研究面以上に、最高の友達を見つけて去ることができる。

 しっかし、言葉というのは、不思議なものだ。転学する時以上に、転学前のキャンパスで出会った人たちに対しても、別れの恐ろしさを感じる。
 言葉による束縛というのを本当に感じる。このような言葉が崩壊しても、それでも気兼ねなく話せるとき、そのとき初めて友達というのかもしれない。
 でも、絶対大丈夫な事も知っている。保証はどこにもないけど。

 人は1つ以上、準拠集団を持っていないと安定できない。
 でも、1つの所にべたーってしてるとリスクが高いし、「どーせ思考」になりやすいから、多角的になれない。たとえ、その夢や、その肩書きが得られなくたって、幸せになれるかなれないかは、その後次第。いつも、その瞬間に頑張れってことか。だから、これくらい(4年)で、きっと良いんだ。長すぎるくらい。
 そんなことを教えてくれる、教職もとっといてよかったよね。

 さて、卒研ゼミも終盤。気合入れて、プレゼンしますっ。
 たった2週間だけの生物系のM0まで、物理系のB4を走り切ります。だって、だりーって言ってても、やりだしたら、やっちゃうからね(笑)。
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