たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

「変わる気も無いの」

2011-01-31 03:39:13 | Weblog
 TOEICだったんですが、なんと、会場が代ゼミ。ちょうど5年前のこの時期、あそこに通ってました。
 ヒトは、その場所に行くと、その頃の記憶に戻って色々思い出す、って言うけど、本当にそんな感じ。これは、何かをちゃんと思い出せっ、っていうことなんかぁっ!?、っとか思いましたけど、こんなに受験生に囲まれて生活してる大学院生も珍しいのに、まだ何か思い出さなきゃいけないことがあるんですか??、っと偶然くんにツッコミたくなった。

 『…って、いきなり言われてさぁー。俺にいやみで言ってんのか、それとも、こうだ、って認めてくれてるのか、わからなかったんだけどー。』
 〔それはさ、たぶん、どうせKeiにとられちゃう、と思ったからだよ。〕
 『あぁー、流石だね。そっか。それなら、確かに筋が通る。(まだまだ、俺は、解析力が未熟だな。。)』

 最上級の肩書きにも負けない、俺の強みの1つは、そのままの想いで、変わっていけることだ。

 どんなに本を読んでも、どんなに教科書で理解しようとしたり、誰かとディスカッションをしても、同じ作業をされてしまえば、能力なんて、誰にでも持っていかれてしまう。
 でも、その能力を掴む前の自分の想いを、きちんととっておければ、それは、自分固有の強さになる。

 あの頃の自分を、どれだけとっておけているか、経験に依存しない強さがちゃんと残っているかを確認する作業は、Part3&4の問題文先読みのペースを崩さないことよりも、遥かに大切。
 あの場所で、雪まで降ってきて、自分の想いを冷静に思い出してみたけど、やっぱり、想いはずーっと同じで、今とカワラナイ。変わったのは、所有している言葉と能力だけ。

 俺だって、、「変わる気も無いの」。

 諦めないで望んでさえいれば、必ずどんな自分にもなることが出来る。変わらずに自分のままでね。
 努力の手法でも、持ってる言葉でも、実質的に変わろうとする行動が、必ずしも、想いまで変えようとする行為だなんて、決めつけないで。
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ピンチとチャンス

2011-01-29 00:09:14 | Weblog
 何かが、変わる予感がしている。
 いくつかの細かい部分で、そのSignをキャッチしている。

 良い方向なのか悪い方向なのかわからないけど、出来れば今は、メンドクサイことを持ちこまれるのは止めて欲しいなって思うから、全てについて、相転移させないように、警戒レベルを上げつつ、慎重に空気を制御していこう!
 っま、逆に言えば、今、何か突発的な行動をされれば、混乱に乗じて、俺も予定外の感じになりえるけどね。それは今までに、あんまり経験が無いなぁ。
 そう、俺にとっても、ピンチはチャンスだし、チャンスはピンチだ。

 もっとも大事にすべき系における、手持ちカードは、今、4枚、ぷらす2、くらい。フェイクとなりえる手持ちは、3枚くらいかな。数はいつもより多いけど、ちょっとした油断が命取り。
 時間まで、まだまだあるから、きっと手持ちも増えるだろうし、大丈夫。

 2月が近いからだけ、だと良いんですけどね。
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Familyの定義

2011-01-28 00:50:49 | Weblog
 何か特異に行動するときに、まず始めにしなきゃなことは、自分の身を最大限に守ることだ。

 行動はいきなり起こさないと、誰かに妨害される可能性が高い。環境によっては、下手したら、殺される可能性すらある。だから、むしろ、現状に満足している風に振る舞ったり、義務を(「自分のなかの」でイイから)満点でこなしていくことが大事になる。
 その上なら、特異になっても誰も文句は言わない(言えない?)し、連続的に変化していて、いきなりサチらせることによって、ビックリさせる効果にもなる。

 そうそ、こういう手法をバラすことが、結構好きだったりする。それは、俺が、こんなにバラしても、俺にしかできないし、タネを知られても簡単には止められない、と本気で思っているくらい、傲慢だから。
 「特異」に関してはね。

 結局、俺は、人間関係の戦いの最前線で、勝ち抜いてきてるわけじゃないから、連続的に成り上がる手法が、とても苦手だ。
 最前線まで行かないことも多いし、行っても、勝つか負けるか、という間際のところで、俺のほうから試合放棄、その後、別のもっと実質的に価値のある試合に参加することをし続けてきてしまっている気がする。(過去記事2007/11/29「相対的負けは絶対的勝ちかもしれないことを、忘れないでっ!」をcheck!)

 【じゃぁ、なんで、そこで、わざわざ負けるようなこと、言ってきたの?】
 『そっちのが、後々になって、余計にムカつくかなーって。向こうはその瞬間は気分イイだろうけど、時間変化させて、俺が相転移できてしまえば、そのギャップで腹立たしくなるはずだし、その怒りをぶつけるべき相手である俺は、もう、そこにはいない。だから。』

 敵には徹底的なのだ。それくらいのこと、されてきてる相手なら。

 ただ、そこで一緒に戦ってきた仲間に対しても、裏切り、になってしまうのは、ちょっとイヤだな、って思ってる。
 だけど、最後の最後、瀬戸際になったときは、いつも自分一人だし、そうじゃない部分ではこれからもずっと仲間なんだから、まぁ、お互いさま、って感じじゃん?、っと勝手に納得している。

 もちろん、最後の最後、瀬戸際まで、付き合ってくれる仲間が、もっと、どっかにいるって信じているけど。

 (上の記事で、一日のアクセスが200を超えてビックリ!、って書いてあるけど、今や、当然のように、200は軽く超えているなぁ。皆さま、ありがとうございますm(__)m)
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決めつけないで 3

2011-01-27 03:55:58 | Weblog
 1年以上一緒にいて、普通に仲良ければ、その人の、次の行動がだいたい読めてくる。
 こういう風に言うだろうな、とか、こんな眼をするだろうな、っとか、明らかに興味無さそう、とかとか、色々、判断してきちゃう。

 相手の何もかもをも、分かった気になっちゃって、こんな感じって、査定するし、こっちもされる。素顔を魅せているフリをして、こんなにも巧妙に作り込んでいるなんて、想像もできないくらいに、相手のペルソナを破ることをサボりだす。誰だって、ほんのちょっとも考慮するなら、演技してない人なんて、いないのに。
 でも、ずっとずっと、リアルタイムで測定していると、どこかでSelf-Consistentに解けなくなってきて、あれ??

 幻想が具現化し、ついには、怒りだとか、悲しみだとか、稀に、喜びだとか、の感情が爆発し、ペルソナを突き破る。

 「えー、本当に、そんなことで、そんなに怒ってるの??」
 『わかんない。でも、、ホントは、ずっと、そう思ってたのかも、どこかでは。』

 キッカケは、何でも良かったりして。スイッチが入っただけで、本当の原因は、お互いに対して、Extrinsicな効果が効いているんだと思う。

 ただ、感情の強い共鳴が、即物的な共通項不足の前に、崩れ去ってしまうのは、切なすぎる。

 それがイヤだから、その時その時で、相手に合わせ続けてきて、恥ずかしいから隠れながら、、校則を破ったり、一変して、マジメになったり、演技力を極めてみようとしたり、真面目になったり。
 合わせることで、証になるなら。

 そのコピーしてるオリジナルは、ペルソナなのかもしれないのにね。。
 だから、いつまでも、決めつけないで。
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Watch Your Language!

2011-01-25 02:00:34 | Weblog
 ほとんどの自分の生徒は、自分よりも、総体的に、優秀だと思っている。『未来にはきっと』とかじゃない。現時点で、俺よりも優秀。というか、心からこう思わないと、マジで俺は役に立ちたいとか思わないし、こう思うことが、先生と呼ばれる人間の責任であり、最低ラインだと思う。

 【どうして、大学院生と同じことをしていて、僕たちは給料が出ると思います?】
 『え?教えてるからですか?』
 【違いますよ。同じデータでも、大学院生よりも、得られる知見が多いからです。】

 バカか。俺だったら、

 『いいかー。今できなくても、大丈夫。こんなの一度やってるかやってないか、だって。』
 《えー、そうですかぁ。全然できるようになると思えないんですけど。》
 『大丈夫、この問題に関しては、あとちょっとすると、なんか答えがわかるようになるから。』
 《ホントに??》
 『俺はもう5年くらい同じことしてるから、なんとなくー、の確率がめちゃめちゃ高いだけ。ちなみに、こんなんで、お金が出る。たぶん、同じくらいの実力だと思うけど、俺は大学生だから、お金が出る。ただそれだけ。』

 実は同じ内容なんだけど、でも、色んな意味で、後に伸びるのは、俺の方だと思う。

 思考力では、知識と経験が強い要因になるから、俺の方が高くなることが多いけど、心でも、行動でも、人間関係でも、俺は、本当に、自分の生徒から教わることが多いのだ。自分より若い世代のほうが凄まじく強力で、だから、俺は、そっちの評価の方が、気になる。人間社会全体として、そうあってしかるべきだし、喜ばしいことだ。

 だけど、困ったことに、たまに、どうしようもないヤツも、現れる。笑

 『っでさ、この、マジでテメーの人生がかかってる大切な話してるのに、そんなのそっちのけで、真剣に、でーでー、その子と目あったからさぁ、みゃくあり、ってことじゃね?、とか聞いてくんの。笑』
 「わー、俺、そいつ、助けたいわー。笑」
 『んね。ちょっと、助けたいじゃん。こういう子も、ちゃんと見守りたいんだよね。』
 「うん、そいつは、絶対に、助けないとダメだよ。」

 【だから、ちゃんと、許容出来ています。】
 『それで、その人どうなったんですか??』
 【どうだったかなー。。】
 『受け入れてあげたんじゃないんですか?』
 【いやいや、僕はその辺、頑固ですから。】
 『あー、非常に残念です。もし、そこで、受け入れていたら、僕は、あなたの印象が、少し、変わったかもしれません。』

 結局、どんな子でも、自分にくっついてきてくれる子に対して、どれだけ、お役に立てられるか?、ってことだと思う。そうすることで、生徒さんから、学ばせてもらえる。
 教育的にー、なんて、あんまり思わない。本当にこの子の役に立てているか?、それだけ、考えていれば、他のことを考えている余裕は無い。教育したい!、なんて、自分勝手な感情なんだし。

 理想論押し付けただけで、助けた、許容がある、なんて、、笑わせんなっ!
 今の時代、そんなこと(理想論)は、ググれば、出てくるんだぜ?

 ごめんね、遥か上の世代を教育してるほど、俺は暇じゃないんで、言葉がきつくなるよ?
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ありあまる富

2011-01-24 03:47:59 | Weblog
 「でもさ、正しいことでも言えないことってあるじゃん?そうやって、正論を言っていったとして、上の人達が全員、高橋君を嫌っちゃったら、どうするの??」
 『そうですね。したら、潔く、其の場所から、出ていきます。まぁ、最近特に、(平衡点を見つけるのは)上手いですから、簡単にそんな風にはならないですけど。』

 正しいことを、どうして、其の侭言えるかといえば、彼らが僕らから奪えるモノは、所詮、くだらないものだと、きちんと理解しているから。其れを持っていかれたとしても、返して貰うまでもない筈。
 強い信頼と楽しさで包まれた環境を、異常に良く知っているから、何処に行っても、どうなっちゃっても大丈夫、ってことを、どこかで納得してる。価値は生命に従って付いてるから。
 「高橋君は、ひとりで生きていけるんだね。」そうでは無いけどね。

 《この人、よく観ててごらん。がっつり、人間関係、ぱさーっと、切るから。》
 『そうそ(笑)。連続的に変化することは出来ないんだよね。いっつも、いきなりの、相転移で、此処でも、そうかなぁ。』
 《私、其れもそうですけど、物理的に其処にいながら、心ではさよなら、ってのも、よくやりますよー。》

 何かの言葉で確立されている集団なら、其れ、俺も出来るけどね。

 彼らが、何かの言葉を言ったとして、俺が其の言葉に嘆く事は無い。つまらない言葉に泣いてるほど暇じゃ無いし、そんなことしてる暇があったら、彼らの所有する有用な富を買う手立てを考えていたい。彼らは僕らから何も奪えなくても、僕らは彼らから色々と買うことが出来る。
 僕らが、喜べるものは、ありあまるほどにある。そして、彼らは、其れを、どんな言葉で誤魔化しても、決して、盗めない。

 何故ならぁ、いつも、言葉は嘘を孕んでいる。

 (椎名林檎の「ありあまる富」。これまで完全にノータッチだった林檎さんを、受け売りで聞いてみたんですが、この人の曲は、なんか、俺は聞いとかなきゃいけない気がしています。
 哲学的な歌詞が多い林檎さんですが、此の曲は、そこまででもないので、受け入れやすいと思います。ドラムの入りが、良いっ。
 「僕ら」「彼ら」は、若者と社会に置き換えても、男女でも、国家間でも、成り立つ系が多すぎ。好きな、感情移入しやすい系で、聞いたら良いんだと思います。)
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撤回してもイイよ?

2011-01-23 04:15:35 | Weblog
 俺は、異常なほど、薄っぺらいのが嫌い、、らしい。
 そこまででも無いと自分では思ってるんだけどなぁー。お手軽な楽しさも好きだし、あんまり緊張感が無いようなことも好き。確かに、それだけじゃぁ、やだけどね。

 たとえ、本当の輝きを持っていても、薄っぺらい演技で誤魔化してる人もいる。
 わざとバカな振る舞いをしたり、思考力を限界まで使って無難な振る舞いをしたり、あと、わざと話を長くして、他の人に発言させないように強迫してくる輩もいる。
 それら全ての手法を俺は使うけど、少なくとも、誤魔化してはいない。自分が本当に持っているモノをアピールするときだけだ。

 どんなに手法論や上手な言葉を覚えて、世慣れていっても、心から発言していないんだったら、まったくの無意味だ。生きている価値すら危ぶまれる、重大な部分。
 いつだって、薄っぺらい教科書通りの言葉で翻弄されても、徹底的に倒すことができる。その手法はとっても簡単で、相手の言葉をよく覚えておくこと、そして、その相手の発言の薄っぺらい言葉をそのまま使って、相手を追い詰めていく。

 俺に勝ちたいなら、もしくは、俺と勝ちたいなら、不用意に俺の前に言葉を鏤めるべきではない。不用意であればあるほど、その場限りであればあるほど、俺にとっての強力な武器となるし、仲間なら評価が極端に下がる。

 『ついさっき、言ってたじゃないですか、あなた自身が。事実だけを述べろと。だから、言われた通り、僕の考えは、決して、教えません。どうしてかは、自分で考えてください。』

 『プライドがあるんですよね?ここに、私たちのプライド、って書いてある。だったら、そのプライドの根拠をもっとこっちに見せてこいや、って思ってるんですけど。』

 そして、もう一歩先に進める。そこで、てめーの薄っぺらい言葉を撤回できるかできないかが、器のデカさを示している。
 撤回できたほうが、俺からの評価は高いんですけど、なんか、みんな、言い直しちゃいけない感が強くて。

 『だから、薄っぺらいのが、嫌いだなー、って。』
 《それって、どっち?演技して薄いのとー、それとも本当の部分が薄いのと?》
 『うーん、両方嫌い(笑)。』

 ただし例外があって、演技が異常に見抜きにくく、ホンモノも持っている人は、好きとか嫌いとかを超越しだす。
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いきなり対等を求めてゴメンなさい

2011-01-22 02:04:49 | Weblog
 手っ取り早い、直接自分にリスクが無い、その実験は、550nmくらいの蛍光波長が検出されれば、存在の可能性が示唆される、という類いの実験だ。俺は、正直、この実験が好きだった。単なる遊びだと思っていたから、特に実験結果以上のことを考えてはいなかった。
 最大の失敗は、この実験を1度すると、その分、直接確認できない何かのストックが確実に減ってしまうことに、気が付けなかったことだ。当たり前のことだけど、ホンモノが即物的なことで汚され続けたら、ヒトは実質的な変化を目指す。

 いつしか、どんなに実験をしても、観えるはずの蛍光は検出されなくなってしまった。温度が悪いのか、冬になって、湿度が低くなったせーなのか、pHが制御できてないのか、蛍光物質が退色してしまったのか、ストックに何かタミってるのか、いっさい、検討がつかない。条件をすべて変えて、整えてみても、こないだまで上手くいった実験の再現性が取れない。
 何かオカシイ、っと思った時には、手遅れ。その系が、実は、実験に依って変化しうるモノで、もう調製できなくなってしまっていたことを知った時、俺も次の変化を目指していた。

 そして、今の場所に辿り着いた。最近気がついたのだけど、奇しくも、最初にこの地を訪れた日と、不幸なセレンディピティーを発揮した日は、同日である。

 そんな状態からでは決してゴールに入らないシュートを何本か撃ってみる理由は、相手にプレッシャーをかけるため。それは、時間依存性を考慮すると、いつかゴールできるから、っと信じているからに決まってるけど、ただの「言葉」でも、矮小化されてしまった時に、ホンモノを感じていたからこそ、もうこれでお終いにして、違う世界へ駆け出していきたい、と本気で思うのだと思う。なぜ、ホンモノだ、ってわかったときには、いつも過去形なんだろう?
 っま、もちろん、時間依存性があったんだから狭義にはホンモノじゃなかったんだけど、広義には、ホンモノ、で良いんだと思う。

 あの頃、自分勝手な実験をし続けたツケが、今になって、回ってきているのかもしれないな。じゃなきゃ、こんなにも、色んなことで、イライラしないと思う。
 でも、大丈夫。ストックは十分量、用意しているし、何よりも、帰着される1体問題ではなく、みんなで楽しめることも強みだ。

 あとは、お互いに、レッドカードさえ、共有しなければ。。
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Green-Eyed Monster

2011-01-21 02:26:42 | Weblog
 ある程度、その場所を牛耳っていたり、話の流れをコントロールすることができていれば、物理的に、誰かを嫌われ者にすることは、簡単だ。自分がされた本当のことを言って、その時の自分の本当の感情を言えばイイだけだから。
 それだけで、もし自分がトップに君臨しているなら、自分が好きなヤツは、みんなも好きに、自分が嫌いなヤツは、みんなも嫌いに、優劣を持たせることになるだろう。

 『そこは、本人に直接、言ってあげないと、ダメでしょ。次の場所で、ヤツが困るし、次の場所のヤツの周りが迷惑するんだから。』
 《逆だな。そこで言わないことによって、ヤツは原因がわからないまま、次の場所でも陰口をたたかれて、嫌われる。だから、なんで、言っちゃうんだよー、っていっつも、お前に対して思ってる。》

 悪いけど、、だって、そこまで、ダークサイドに徹せれないんだもん。

 でも、あの時魅せられた緑色の眼を、ほんの少しだけ自分自身に取り入れているのも作用して、絶対に、チャンスは3回以上、与えない。そして、場合によっては、一発アウトもありうる。そうなると、冷酷に徹することはできる。
 それが、牛耳ってしまった責任を考慮しての、最大多数の最大幸福、だから。
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余裕の振る舞い

2011-01-20 02:57:28 | Weblog
 『んー、この論文には、こういう風に書いてあるんですが、同じなはずなのに、こんなんもあってですねぇ。。ちょっと混乱して、わかんなくなってきちゃいまして。』
 「まずね、ひとつ大切な確認をしておくけど、、世界中で、この系の正しい理解をきちんとしながら、研究をしてる人間は、ほとんどいないだろうと思う。ぶっちゃけ、どんなに偉く見える人がどんなことを言っても、それが正しい保証はどこにもないよ。だから、君は君の考え方を持たないと。」

 他人に言われる前から、どこかでは、わかっていたはずなのに、自信が持てず、行動が伴っていなかった。自分の思考を信じ切れなかった。
 ここで指摘された後くらいから、俺は、「自分の思考力が、知識の無さ以外で、負けることは、決して無い」っと思い込むように決めた。

 そういえば、さらに、もっと前に、同じような事を、別の方もおっしゃっていた。

 「何故、僕らは、物理学、いや、自然科学をやっているんだと思う?」
 『いえ、、』
 「それはね、正しいことを正しい、って確実に言えるようになるためだよ。」
 『!?』
 「自然科学は、そのままだったら、何も面白く無い。正しいことを正しいって言う修行のために、素粒子でも、物性でも、やる意味がある。」
 『でも、正しいことでも、言い方によって負けちゃうことってあるじゃないですか。』
 「それは、まだまだ賢くなれてないということだよ。だって、理詰めで正しかったら、表現手法に依らず、正確に話せば、必ず納得させられるはずだろ。」

 どんなに立場が低くても、どんなに口下手でも、ホントに正しければ勝ててしまうのが、理系科目の良いところ。
 小学生でも、大学教授に勝てる可能性があるのが、自然科学の世界なのだ。

 普段の生活の中で、俺が、中高生に、自然科学の枠の中で一番教えたい部分が、この辺りだ。
 だから、たとえ、こっちが、計算ミスとか書き写し間違いとか、くだらないことでも、ちょっとでも負けたら、引っ込みがつかなくなる前に、『あー、ごめんなさい。あなたが正しかったです。やっぱ賢いなー。』っと言っておきたい。

 それが、(表面的には)上の立場の、正しい、余裕の振る舞いだと思っている。
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どの感情も必ず正しい

2011-01-19 02:16:50 | Weblog
 ここ1年くらい、
 『言葉では何とでも言えてしまう。どうにでも、いくらでも、自分の好きなようにすることができてしまう。だから、すごく気をつけなきゃいけなくて、大切なのは、ちゃんと自分の言葉を自分の心の中に飲み込みながら使うことだ。』
 っと思うことが多く、実際に口に出してきた。

 非常に喜ばしいことに、下の世代よりも、上の世代に対して、ちゃんと言葉を飲み込んでから使え!、と思ったり言ったりするほうが多い。上の世代の中には、何人か、その意味すらわからない、どうしようもないヤツもいる中、一度だけ注意すれば、ちゃんとその言葉を飲み込んでから使おうとする、自分たちよりも少し若い世代群は、本当に優秀だと思う。
 この感受性の豊かさみたいな部分に、俺らも負けないようにしないとね。

 もちろん、薄っぺらい手法を使う価値がないわけじゃない。日本にはそういう部分を上手く使っている文化が沢山ある。
 礼「よろしくお願いします」に始まり、礼「ありがとうございました」に終わる。言葉は力を持っているから、それだけでお互いに、徐々に、本当に、ヨロシク!、ってなったりするのは、非常に良いことだ。

 でも、即物的な部分に頼り過ぎてはいけない。ホンモノと即物的な部分と、FiftyFiftyじゃない割合で、バランスをとっていくと良いんだと思う。
 通常なら、ホンモノ:即物的な部分=6:4くらいが目安。ヒトの命に関わるレベルの重要シーンなら、7:3~8:2くらいかな。

 ホンモノしかないのはつまらないけど、つまらなくても、ホンモノがあればマシ。そのホンモノには、常に、気持ちが関与している。
 自分が考えたことに自信を持てないのは仕方がないかもしれないけど、自分が感じたことに関しては、誰でも、絶対的な自信を持って良いはず。感情には、理由が存在しないんだから、出てきた感情をちゃんと大切にしてあげないと。

 だから、即物的な部分だけで押し通そうと、決して、あなたはしないで。
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ふわふわ目標

2011-01-18 01:56:39 | Weblog
 また、社会風刺になってしまうけど、最近、「協調性を持ちながら、自己主張をしましょう」みたいなのに、イラっと来ることが多い。それをいきなり実践しようとしてる人間にもイラっとするし、もー、あんまりイライラさせないで。
 「協調性のある自己主張」なんて、いきなり出来るわけが無い。理系がチャラチャラして世間的にちょうど良くなるのと同じで、日本人は自己主張しているくらいがちょうどイイ。
 思いっきりの自己主張をするなかで、次第に、できるようになっていくのだ。空気を読みながら、自己表現をすることが。

 なのに、「協調性のある自己主張」なんて、超最終目標を掲げる教科書が多いから、みんな同じになって、マジでキモくなる。世慣れている振る舞いや教科書通りのセリフは、勉強すれば誰でもいくらでもできる。そんなんが正しいんだって思ってるのが、何千万人もいるから、マジで、怖い。

 そもそも、最終目標を掲げて一直線に頑張ることは、ある部分では、確かに大切なコトだけど、ある程度の方向性だけを決めた中で、曖昧なふわふわした目標に対して、今できる努力をしたり、頑張ったりするのは、もっと大事。
 いきなり最終目標を設定せずに、ゆっくり、出来る範囲で頑張ってみればイイのだと思う。

 だって、そんなに先が予測できるほど、俺らは頭良くないんだし。

 それを、今一度、俺は、心の中に飲み込む必要があると思っている。
 今までも、これからも、どんな曖昧な目標でも、沢山の人達のおかげで、その沢山の想いの中で、ここにいるわけだし。

 目標は曖昧でも、大切な人達が誰かはブレない。昔も、今も、きっと未来も。
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I'm not going to let you pull the same trick twice...

2011-01-17 03:08:34 | Weblog
 大学受験生の皆様、センター試験お疲れさまでした。俺も、水曜日くらいまでには、数学と理科くらいは、時間はかって解いてみようと思いますが、そんなことしてる時間あるかな。。
 今年は、去年の数学ⅠAみたいな平均点がガクっと下がりそうな科目は特に見つかりませんでしたが、自分の生徒達は、ダメだったー、って感じでした。まぁ、もう、毎年なんで、むしろ、ダメじゃないセンター試験なんてあるのか?、って感じですけどね(笑)。

 そういえば、慶大は、来年から、センター利用が全学部で完全廃止されるみたいですね。センター利用を始める私立大学が凄まじく増えたのが僕らの世代でしたけど、慶大が廃止になるなら、かなりイイ改善の兆しかな、っと思います。
 センターは、マークシートかつ、あれだけ点差が開いちゃうような設定で、受験生が可哀相なので、嫌いです。ほとんど、全か無かの法則、みたいな感じになっちゃってるしね。
 言いがかりをつけて、よく言われるような言葉で、どんなにフォローしても、ダメなモノはダメ。上から偉そうに言うことはいくらでもできちゃうから、上に文句を言っていきたい。こういう部分に、ちゃんと向き合った、慶應大学さんは、今回、偉いと思います。京大理学部は、その何年も前から、センターはかなり低い最低ラインでの足きりにしか使って無いし、東工大も、来年からは、センター600点(950点中)越えたら、それでもうOKにして、二次への反映は無し、にするみたい。
 制度の上で、ここまでの改善は、久々に見た気がするな。

 さて、気持ちを切り替えられるか、が、大事ですよね。こんな終わったばっかなのに、終わったことは気にしない、ほうが、たぶん、物理的に正しいんです。すぐにでも、私大&二次の過去問演習をした方がイイ。これが、受かるための正解。
 でも、真面目に、終わったセンター入試問題全部、間違え直しをしたり(しなきゃいけないとこも絶対にあるけど、全部やる必要は絶対に無いよね)、逆に真実を知るのが怖くって、何も解説読まずにセンターリサーチすら出さないとか、そういう感情のほうを、俺は、助けたいな、って常に思っている。

 全部、完璧に上手い手法で出来ちゃったら、それは、誰かの言うこと聞いてるだけな気がして。そうじゃないスゴイ人もいるかもしれないけど、不器用で頑張ってるほうが、将来性があるのに、どんな制度も助けてくれないからか、なんか俺はそっち側に重きを置いて、助けられるところを助けていたいなぁって。
 この能力を見抜けるのは、どんなに優秀な試験問題よりも、俺のが長けていると思う。

 同じ手はくわねーよ。
 俺は、どんな系でも、感情の表現ではなく、感情そのものを評価し続けてやる。
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期待してるから

2011-01-16 03:55:15 | Weblog
 就活で唯一いつもよりもマシなことは、きっと就活マニュアル本で、積極的に質問すること、っとかって書いてあるせーで、俺が最初に質問しなくても済むことだ。ファーストタッチはあんまり得意じゃないもんで。
 ただ、みんな、自分の発言する内容について、もっと自信を持って欲しいなぁ、とよく思う。これは、就活に限らないけど、発言して何かを改善しよう、って心意気を持ちながらの発言じゃないことに、物足りなさを感じる事が多い。まだ、発言するだけマシなのかもしれないけどさ。

 ある程度どんな系でも、俺は、自分の、影響力のある発言をする能力に、かなりの自信を持っている。
 その影響とは、もう一歩、本音で話させようとしているところが強い。

 もっと具体的に言うなら、、例えば、緊張の中で喋らなきゃいけないとき、みんな、一言目で終わってしまうことが多すぎると思うんですよね。「~の濃度はいくつですか?」「~は、影響は無いんですか?」って言って、その答え訊いて、それでおしまい。そんなんじゃ、後で個人的に聞けば良いじゃん、って思う。
 基本的に、一度発言したら、そこから二言目を言う義務が発生する、っと俺は自分自身に課している。意見を言って、やったー意見言えたー、これで主体的っ、なんて安心しちゃダメだ。必ず、もう一本シュートを打たなきゃいけなくて、相手の返答の合間、見抜き続けないと。

 この、二言目が、かなり相手の本音を引き出す効果を持っている。「~の濃度はいくつですか?」「○Mです」「したら、結構、っていうか、かなり濃いと思いますけど、その成分の影響は無いんですか?(少ないんですか?よりも、より極端な、無いんですか?、のが良い)」「うーんと、確かに、影響が無いわけじゃないんですけど、少ないと考えています。それは、こうこうこーで。。」っと、こうすることで、本音を引き出すことができる。
 濃度がいくつかわかった段階で、もう、こっちが、すべての現象を頭の中で理解できたんだとしても、それをちゃんと相手に確認する二言目があると、相手は、わかってくれたんだ、っと安心して、俺の前で、2点3点と、ボロを出しやすくなる。最終目的は、自然科学じゃない。みんなで本音で楽しむことだから。(っま、いつも、そんな上手くはいかないけど)

 これに加えて、さらに本音を引き出したいなら、なるべく非凡な質問をしようとすることが、大事だ。平凡な質問では、教科書通りの解答しか得られないことが多い。だけど、非凡な質問なら、少なくとも、ありきたりな解答では返ってこない。
 教科書通りの質問でも、教科書通りの解答を封じる手法もある。~~以外でお答えください、って言うだけだから、これは簡単でしょ?

 「差し支えなければでイイっすけど、ぶっちゃけ、年収はいくらっすか?」っとイレギュラーな直球を投げて、ホントに差し支えなく「800万くらい。」って返ってきたら、さぁ、セカンドシュートは、どうする??
 俺だったら、『へー、スゴイですねー。っま、学生だから、実感的に、よくわかんないけど(笑)。んで、それで、どのくらい満足してます??仕事量分、もらえてると思いますかぁ?』とか言うかな(笑)。何でも聞いてイイよ、って時も、俺はあんまお金に興味が無いから、こういう質問はしないけど、気持ちがあるなら、やってるかもね。

 ただし、どんなに本当の気持ちを言葉で言ってると感じたとしても、それは決して本音ではない、ことを理解しなきゃいけない。
 答えを聞いて、それだけで満足しちゃって、吟味しなかったり、自分にとって都合のイイようにばかり、(逆に)都合の悪いようにばかり、解釈しちゃダメだ。
 より正確な実験は、こういった手法によって、いくらでもできるけど、実験結果そのものから、すべてを理解することはできない。それぞれの実験結果がSelf-Consistentにまわるまで、自分で答えを考え続けないといけないのだ。

 考えるって言ったけど、普通の生活の中では、考える、感じる、は、対等くらいが真実を見抜きやすい。当たってみて、初めて得られる結果を、つじつまが合うようにストーリーだててみる。
 すると、そんな即物的なことがどうでもよくなるくらいの、とても強烈な感情を垣間見ることができる。それが、黒くないことを願うばかりだけど。

 俺は、どんな系でも、強がりたい因子も働きながら、なるべく嘘じゃない事実と本音を全部言って、それでも一緒にいてくれるなら、ホンモノって思っている。
 それは、自分の本性や本音にはもちろん自信があるからだけど、さらに、本業の実験研究対象に対して、必ず見抜いてくれる、という自信と、このテーマを選んでいることに、誇りを持っているからだ。

 努力した分を、出来る限り、自信に変えることも、とても大切な努力なのだと思うし、結局、最後に、それで泣いたとしても、今は、期待していたいから。
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MY GENTLEMAN

2011-01-13 01:09:47 | Weblog
 練習通りの笑顔で、ホントはイライラしてる自分に気が付くと、こんな振る舞い、バカみたい、って。もっと、感情をそのまま出せればいいんだけど、我が儘になれなくて、本当の気持ちの10パーセントも言えない。
 「だから、本当に作ってる人は、そんなことは、言わないのっ。」

 いい子なんて、都合いいだけ。我慢して損するんなら、そのままの感情を前に出しちゃうよ?って思った矢先に、嬉しくて輝いていたこと自体も幻と気づかされたり。まぁ、一般に、実空間に出ているモノが、それが答え、なんだから、だから、、答えを見に行きたくなったり、でも、観たく無かったり。
 それが、本当は、本当に喜ばしいことだったんだ、って後からわかったとしても、『なんだ、そうだったんだ…』って言い聞かせてきた今までの自分には勝てないから、やっぱり、負けちゃう。考える、って、ホント、損。

 いつだって、どんなことだって、はがゆいけど、忙しくて反省できないくらいのほうが、悩んでる時間が無いから、ラクみたい。色んな事に手を出していた方が、絶対に断りたいときに、断りやすいし。

 いっそ、誰かが、絶対に演技できない最初の表情から、すべてを見抜いて、自分の演技する能力を全部、吸い取ってくれないかなぁ。

 (現在、活動を休止している中島美嘉が、2年くらい前にアルバム「VOICE」で出した曲「MY GENTLEMAN」。中島本人の作詞だけど、こういう感情ってのは、男のが想う率が高いんじゃないだろうかと思う。っま、恋愛の曲とも限らない気もしますけどね。
 初めて聞いたときから好きですが、今聞いてみると、また全然違う音に聞こえるから、音楽ってスゴイですよね。
 そして、この曲はマイナーなのに、結構、他の個人ブログでも紹介されてる…、みんな可哀相に(笑)。)
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