たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

2015のoutro

2015-12-31 04:21:52 | Weblog
 さて、今年も終わりです。簡単にまとめてみましょう。

 今年はどうだったかなぁと思うと、、まぁ、とりあえず博士になったから良しとするか、という感じですかね。俺、自分ができる、たいていのことについては『人間ならできる』と言いますけど、博士号とるのって、人間なら誰でもできる、とは言い切れない気がします。あまりにも総合力が問われるからかなぁ。審査会とか論文はもちろん、あらゆる場面で。意思を貫く力とか、理解しようともしてないのに評価してくる人に対してきちんと対応する力とか、もちろん思考力は必要だし、文章作成能力も必要です。総合点が問われるって意味で、難しい気がします。

 んで、それ以外だと、うーん、毎年毎年、時間が経つほどにこう思いますが、「世間体に友達を奪われている」って感じが増しました。っま、俺があまりにもフリーみたいな生き方してるので仕方ないっちゃ仕方ないですが、これまでの信頼度合いが実質的には減ってしまう分、新しく信頼関係を結べた人も多いので、新陳代謝ですかね(笑)。もちろん、こんな俺でも、ずっと残ってくれている人もいますが。

 そういえば、今年は、自分の影響力を感じる日々であった気もします。3年くらい前に、ある無難の極みを目指していらっしゃる先生から「たかはしくんは影響力が強い」って言われて、正直『何言ってんだ?そんなわけねーだろ』っと思ってましたが、今年はけっこう、それを感じました。烏滸がましいかな?

 よく「よく、そんなこと、あの人に対して、言えるね!」って言われますが、だってぇー、言った後にどうなるか、どんな表情するのか、どんな言葉とどんな声色でイイワケしてくるのか、気になりまくってしまう好奇心に勝てないんだもん(笑)。まだまだ若いなぁ俺も。

 空気的に絶対誰も言わないけど、本来的にはみんな思ってることや、圧倒的な正論を、常にそのまま言ってしまうだけのコツは、たった2つ。『死ぬこと以外は怖いことが何もない』という心情と、俺が何を言ったとしても絶対に俺のことを肯定化してくれる信頼関係の存在です。
 だから、俺の(精神的)周囲にいてくれる人には、みーんなに、めちゃくちゃ感謝してます。別に何を言っても、幼稚園とか小学校とかと違って、殴られることなんて、まずありません(俺は一回もありません)。それだけで俺はけっこう言いたいことが言えてしまいます。っで、お前マジで出てけっ、とか暴言吐かれたとしても(こういうこともめちゃくちゃ少ないですがゼロではない)、それをネタにして、俺の信頼関係ネットワークに流します。そういうことしてると、(少なくとも俺はめちゃ)楽しくて、みんなで笑えるネタができたね、みたいな感じになるから、、うーん、あんまりオススメはしないですけど、いいですよ?、ある程度、本音で喋るのも。楽しいです。

 みんな、俺に対して、自分たちがすでに持ってるイメージを当てはめて、決めつけてくるんだなってのが、多かった一年でもあった気がします。「物理の人は、どーせこう思うんでしょ?」「生物実験してる人って、どうせこれくらいしか考えてないんでしょ?」「自分の意見をそのまま言うようなヤツは、性格悪いでしょ?」みたいな感じで、事実をきちんと見ようとせずに、「取り急ぎ論破した気になってる人」ってのがものすごく多い。ま、最後の「性格悪い」は若干あってますけど。あ、あと、最近だと、「学振落ちたヤツが書いた学振に関する文章なんて、どうせひがんで書いてるだけでしょ?」みたいな。これも少々あってるか(笑)、そういう気持ちがまったくないと言ったら絶対ウソだよね。
 こういうのは仕方ないですねぇ。別に、本当の俺を見てくれー、とも、俺そんなことは一切言ってないぞー、とも、俺が言ってることを正しく理解してくれー、とも、あまり思いません。というか、これは、思ってはいけません。どう思われようが、ここに公開したり、自分の本音を存分に出している以上、俺のことをどう解釈されたとしても、それは受け手であるあなたの自由です。俺の言葉だけを切り取って、もしくは態度だけを切り取って、イメージで勝手に解釈してくれて、そこで何かを感じてくれるのなら、それだけで俺は、文章を書いた甲斐がめちゃくちゃあった、自分が思ってることを言った甲斐があった、ってことですから。俺のこと勘違いしてるなぁと俺が思ったとしても、俺がそういう風に思うのは非常に無意味で、どんな形であれ、やっぱり接してくれるってのは、圧倒的に有り難いほうが強いですよ。
 ただ、芸能人って本当に本当に強いよなぁ。どんな弱っちそうな人でも。

 そんなことを学べた一年だった気もします。一番学べたことは、そういうことかなぁ。

 あと、俺は、つくづく「生命とは何か?」とか「時間とは、空間とは何か?」とか「宇宙の外側はどうなっているのか?」とか「意識とは何か?」とか「死んだらどうなってしまうのか?」とか、そういうことにしか興味がないんだなぁと思うシーンが今年は多かった。あとの研究テーマは、それなりにすごい技術は別としても(CRISPR/Cas9とか機械学習とか)、マジでどうでもいいと思っています。すいません。
 で、こういうことを追及していくうえで、使えるものはすべて使いたいわけです。物理も、数学も、生物学も、化学も、地学も、哲学や心理学だって、使えるんだったら、全部使っていかないと、絶対に解けないと思うのよね。でも残念なことに、「カケルカケル!」と鳴き声をあげている多くの研究者は「分野」という言葉も大好きで、なかなか簡単には、新しい分野を開拓するようなこと(=:研究)ができない。
 んでさらに残念なのは、こういう目標を掲げている研究の集団であっても、「俺らはヨソよりはマシ」という驕りによって、士気が下がってしまうということ。確かに、そりゃもう確かに、事実としてマシではある部分は多いけど、マシだけをモチベーションにしていても、本当の意味で本質を追及することはできないのよね。

 とまぁ世知辛い世の中ですが、、まぁ、なんとかなるっしょ。根拠ないけど(笑)。
 なんとかなるんかなぁ。また今年も、来年度以降、どこ行くか、全然わかりませんけども。

 というわけで、そこそこ楽しめた一年でした。俺に関わってくれた、すべてのみなさん、本当にありがとう。
 良いお年をお迎えくださいまし。
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今年読んで印象的だった本2015

2015-12-30 04:10:04 | Weblog
 昨年やったこのシリーズ。ちょっと早いですが、今年もやってみます。
 俺って理系のわりにはめちゃくちゃ本読むほうだと思いますが、、今年は特に読んだ本がやたらめったら多くて、印象的だったやつを全部思い出せるかわかんないし、それなりにたくさん書きたいんで、1か月くらいかけて、ちょこちょこ更新していこうと思います(笑)。

 ちなみに、読んでも印象に残ってない本は一切載せませんので、あしからず。

 というわけで、完成版。さて、そろそろツイッターのほうは落ち着いたかな?そろそろいつもに戻って書きましょか。


 「Steve Jobs」ウォルター・アイザックソン著

 ぶっちゃけ、今年一番印象的だったのは、これ。スティーブジョブズの伝記。なんつーか、ここまで我儘で、とんでもない有能な人間って、現存してたんだな、って思う内容。わりと長いのに、全然飽きなかった。
 ジョブズが意外と純粋で、彼が現実をどんどん変えていくさまを「現実歪曲フィールド」と呼ぶんだけど、あそこまで現状をより良く変えることができ続ける人間も、歴史の中でも、そうそういないんじゃないかと思う。

 一番印象的で泣きそうになったシーンがあって、それはジョン・スカリーがジョブズをアップルからクビにすると宣言した直後のジョブズの言葉。著者のウォルター・アイザックソンは、ジョブズの言葉を「少々不可解な抗議」と書いていたが、俺には気持ちがすごくわかる(なぜなら、俺も同じようなシーンで、同じようなことを言ったことがあるから)。ジョブズが、何を大事にし、どういう志で、ものづくりをしていたかがわかる一言のような気もする。

 彼ほどの気持ちの強さがあったからこそ、俺らは現在、普通にスマホ(iPhone)を使えるわけで、iPadを使えるわけで、というか、こうやってPCを使えるわけで、、そのうえ、ピクサーでファインディング・ニモやトイ・ストーリーまで作ってるのは、本当にすごいことだと思う。

 現実歪曲フィールドの世界を知りたい方は、少々長いですが、是非、読んでみて。色んなことが、変わって見えると思う。
 これを電車とかで読みながら、周囲を見渡すと、みーんなスマホいじってて、これ全部ジョブズが原因なんだよなぁ、と思った時に、思わず震えてしまった。

 「ソロモンの偽証」宮部みゆき著

 これも長いですが、4の終わりから6までクソ面白くて、ガンガン読んでしまった。

 大出俊次を被告人とする学校内裁判が開かれる話なわけですが、、ポイントは、やっぱり神原和彦。神原くんの家庭環境は、大出くんの家庭環境のもっとひどいやつ。それを乗り越えている神原くんと、乗り越えられずに憂さ晴らしばかりしてきた大出くん。だから、ある意味で、神原くんは根源的に大出くんをムカついているのだと思う。そう思って読むと、また違って見えると思います。
 そして、柏木くんの小学校の頃の塾の先生が、またポイントで、、うーん、あんまり感想を言うとネタバレになってムズイなぁ。

 ちなみに、キャラ的に俺が一番好きなのは、判事の井上康夫くん。あのキャラいいよね。
 主人公の藤野涼子、神原和彦、そして井上康夫が作り上げる論理的構造は、とてもキレイで、がんがん読めてしまいますが、、あのー、中学生って、そんなに頭いいわけねーから!!(笑)

 さすが、構想15年、執筆9年。読む価値めちゃくちゃありました。

 「『育休世代』のジレンマ 女性活用はなぜ失敗するのか?」中野円佳著

 古市憲寿の「絶望の国の幸福な若者たち」の文庫版を読んで、社会科学における時間軸はわかったから、ジェンダー軸ひきたいな、っと思って、読んだのがこの本。実は、まだラスト数ページ読んでませんが(笑)。
 
 まぁ、特にこの2つの本を受けて、実生活とも関連させると、今んところの俺のこの国の帰結としては、「おじさんたちが優位性を占める社会の中で、若者に対して、女性の若さという価値基準しか本質的に若手の価値を認めていない」ということかな。だいたいどの分野でも。だから、男に価値はない、若くない女にも価値はない、というような押し付けが激しくて、(その大多数が無能集団で構成されている)おじさんは、彼ら自身が用意した舞台で、ただ単純に上手く踊れる奴隷的なバカを探してるのよね。「歴代のおじさんたちが作ってくださった、この舞台で是非踊りたい!」という大義名分を若者に無理矢理書かせることで、文章作成能力とか言いやがって。
 特に女性に対してはそれがひどくて、それはこの本を読むとよくわかる。具体的に現在育児に取り組んでいる女性15名について分析がしっかりなされている。男が読んでも公正な評価がきちんとできていると思う。15名では少ないって言われるであろうが、、とか、書いてあるが、、俺的には、むしろ多すぎて、把握しきれません(笑)。

 本文中に、「男と女は対等である」というのではなく「女を男と対等にする」という上辺の制約によって成り立つ「女性活用」は、女性性を売り出すことを前提とするから上手く行かない、というようなことが書いてあるが、まさにその通りだと思う。

 俺が一番好きなドラマであるアリーmyラブのあるシーンで、アリー側が勝訴したにも拘らず、「純愛を信じる人間をバカにして、商売女を自立した女性みたいに扱うなんて!世も末よ!!」とアリーが言うシーンがあるが、このドラマが2000年代前半で、まだまだ世界は、このままだなぁと思わせるデータがたくさん出ている。(というか、俺は中高生の時にすでに、こういう帰結に出会っているのか、と思うと、最近、ちゃんと成長してないなぁと思ったりする)

 しかし、女性諸君、男性諸君も、悲観していてはいけない。
 なぜなら、男はカネを稼ぎ、女は美を提供する、という古典的なモデルから進化して、今はいろんな正解がある。在宅ワークだって一般化してきているし、必ずしも収入が多くなくても工夫して贅沢ができる時代ではないか。きちんと探せば、きっと正解はいくらでも存在している。モデルがいないからって、前例がないからって、悲観することはないのだ。
 その都度、ベストな選択を自分で選べる俺らの世代は、そのランダム性として明るいのである。

 それに、アリーmyラブのジョンも言ってる。
 「僕がいいたいのは、、確かにこの世はロマンスとは程遠い。でも、ロマンティックな人種は少しだけ残っている。一縷の望みがあるってこと。世間なんかに負けるな、アリー・マクビール!(Don't let the world win, Ally McBeal!)」

 そして、何よりも良かったのは、この著者が旦那を変えるために、この本を書いているということ。
 誰かを変えるためには、世界を変える覚悟がなければならない。逆に言うと、どうでもいい世界を変えてしまうことで、大切な誰かを確実に変える術があるということで、やっぱり未来は明るいんじゃないかと俺は思う。 

 「ドゥームズデイ・ブック」コニー・ウィリス著

 これもかなり長いですが、意外と一気に読めてしまいました。完全にファンタジーなので、始めのほーのページで、この世界を素早く理解して溶け込んでしまうのがポイント。じゃないと、最後までとてもたどり着けない気がします。

 主人公のキブリンが中世にタイムスリップしてギヨーム卿の家族と過ごす描写と、21世紀での世界の描写が、交互に展開されます。それぞれの世界で事件が起こりますが、それに因果関係があるのか?ないのか?
 情景描写が長いので想像力を沢山働かせなくても自然とその世界に入っていける。ファンタジーで圧倒的な世界観なのに、妙に現実的。なので、長いけど、意外と読みやすい。そして、細かいところまできちんと精緻で、読み応えのある小説です。

 最後、ダンワージー先生とコリンがキブリンを助けに過去にやってきて、ラストシーン、コリンが「例の言葉」を元気よく宣言します。終わりを告げる鐘の音は常に始まりを意味する。本を閉じた後に、こちらも元の世界に安心して戻っていける。
 つまり、現実逃避のためにこの本を読んだとしたら、読み終わると、自然と元気をもらえていて、本の世界から現実世界に送り出してもらえる。そういう意味で良い本だと思います。

 あとさ、、ベイジンゲームは結局何やってたんだよ??!笑

 「ターン」北村薫著

 "くるりん"と同じ日々を繰り返してしまう世界に閉じ込められてしまった主人公真希のお話。君にとって、この小説も印象的だった?
 「そうだね。でも、物語最初のこの文体は、ちょっと読みにくかったよね」
 確かに。でも、こういう感じで、2人で相談しながら自分のなかで結論をだしていく、って誰にでもあることだと思う。君もそういう時期があったよ?覚えてない?だからこそ、ある一定の時期の人にとって、圧倒的な共感をこの小説は保てているんだ。

 結局君は、全部は妄想の世界って帰結なんじゃなかったっけ?
 「そうでもないさ。だって、泉洋平さんと電話で繋がってたじゃないか」
 でも、彼にしか聞こえないって時点で、少し独り相撲感がでてきちゃうんじゃない?
 「まぁ確かに。しかもさぁ、そのあとに。。」
 あれってさぁ、やっぱり、女は奪われたい欲あるだろ?、みたいな描写に見えるよね。男が書いてるんだし、それを男が読んだら、少なくともそう思えるよね。
 「そこが気にくわないんでしょ?」
 ちょっとね。

 人称の移り変わり方を間違えてしまうと、(少なくとも俺にとって)読みにくいことこの上ないので、注意して読まないといけない。
 色々複雑な設定で、、でも、また読み直したいな、っと思わせる小説でした。

 「夏への扉」ロバート・A・ハインライン著

 またまた、タイムスリップ系。でもこれはコールドスリープも使うから、ちょっと現実的かも。
 主人公のダンが時代を駆け巡っていくお話。そして、猫のピート。ダンは技術屋なのだが、マイルズとベルに裏切られてしまい、強制的にコールドスリープさせられる。

 タイムスリップしようとすると過去に行くのか未来に行くのかわからない、作用反作用みたいなもん、ってのは、妙に現実味があった。確かに時間も光速をかければ空間次元だし、ありえるかも?
 すべては丸く収まることをなんだか物語の冒頭から伝えられているような作品で、安心しながら読めるんだけど、そのわりには波乱万丈な話だし、読めば読むほどリアリティもかなりあるし、タイムトラベルならではの複雑さもある。

 猫好きのための小説、、なんだけど、だったらもうちょっとピートを出してきてもいいんじゃないか、と思ってしまうのは、俺だけ?
 最後はやっぱりハッピーエンドですが、まぁ、時代を感じさせるハッピーエンドかな、と思います。

 「刺青」谷崎潤一郎著

 「刺青」そのものはかなり短い作品ですが、俺にとって文体がかなり難しかった。。
 なのでちゃんと理解できていないかもしれないが、何かを具現化した瞬間に主従が逆転してしまうことって、けっこうよくあることな気がします。

 自分が支配的になっていたかと思いきや、相手の心の奥底にある不純さを具現化したあとには、相手のほうが支配力が増して、もしかしたら自分はこれを望んでいたからこそ今まで相手に支配的になっていたんじゃないか?的な。それを刺青という形で上手く表現しています。

 あと、やっぱりこの作品でも、「見られることを意識している美」というのがグロテスクな印象をもたらす、ってのが暗に込められている気がします。それが心のどこかに潜んでいる状態よりも、全面的に表面化したときに、自分の本性が圧倒的な強さによってさらに具現的になっていく。
 主従関係ってのは、裏表があるからこそ気持ちいい、ってことをよく教えてくれる作品だと思います。

 「マスカレードホテル」東野圭吾著

 マスカレードホテルは、今年一番に読んだ小説でした。うーん、なんつうか、読んでるときはめっちゃ楽しくて、どんどんどんどん読み進めるんだけど、読んだあと、とりわけ何かが残っているわけじゃない、っというのが東野圭吾の特徴な気がします。逆に言うと、読書そのものを楽しむなら、これほど素晴らしい小説家はいません。
 ちなみに、俺、これは、犯人一発でわかりました。まぁ、ある程度、推理系が好きで、ふつーに論理性がある人だったら、わりかし誰でも気が付く気がする。

 でもまぁ、ホテルマンと刑事の組み合わせはなかなか思いつくもんでもないし、アイディアの作り方っていうか、お互いのプロの視点が共通になっていく、ということを繋ぎ合わせるストーリー構成は、本当に素晴らしい。彼らのその後が気になるけど、、マスカレードイブは、その前の話なのよね。来年は読んでみようかしら、っと思っている。

 「働くことがイヤな人のための本-仕事とは何だろうか-」中島義道著

 これは実は昨年読んだ本なんですが、、今年に入って2回も再読したので、ここで紹介するのに合っていると思います。
 お前どんだけ働くの厭なんだよ!っと思うかもしれませんが、いや、むしろ働くことが厭じゃないヤツなんて、いるのか?俺は素直なだけです(笑)。

 この本は、4人の生徒と中島義道が対話していくという物語なのだが(このやり取り、少々無理がある)、「仕事を通じて生きていくこと」についての、いま俺がたどり着いている、ほとんど正解と言って過言ではない(少し足りていないのは今の若い世代や今の時代についての考慮のみ)。ふわっと読むと、ここまで考えるのかよ!が三段階くらい行ってしまうはずです。
 仕事と能力、仕事と人間関係、これらについて、本当によく考えて文章を書いています。それから、著者が初めてまともに仕事についたのが37歳のとき、と書いてあるので、多くの人が安心して読める本だと思います。

 特にいまバズっている「学振に落ちたら」の記事のなかには、この本の内容をかなり参考にしているところがあります。だからわかりにくいのかな?(っと、絶対に違うのに、勝手に他人のせいにしてみる笑)
 偶然によって左右されていること、そのなかに必然性による評価を見出そうと努力すること。または必然的に評価されていること、そのなかに偶然性を見出そうと努力すること。これはケースバイケースだと言っているのではなく、ただし、それらが普遍的な原理によって成り立っているかもしれない、という洞察力を常に見失わないことを含むのだ。こういうことができることが、俺にとってはとても大事で、それについて他人が短絡的に決定するように見えたとしても、感じたとしても、決して怒らないだけの度量の深さが必要だと思う。俺に圧倒的に足りていない資質だと思う。

 「学振」にしても「教授になる」にしても、何かの言葉を自分に付加させることを目標にすると、それが成功しなかった時に失敗してしまう。だけど、何かをし続けるということを目標にしている限り、それは絶対に成功する。
 そのことを教えてもらった気がします。たぶん、まだまだ再読します。まともな職につくまで(笑)。

 それにしても、物性基礎論や「時間とは何か?」を極めていっても、「生命とは何か?」を極めていっても、カント哲学を極めていっても、最先端の研究が行きつく結論は、なんとなく同じになっているのが面白い。各研究者が結局同じようなことを言っている。まぁ、最先端の定義を、俺が勝手にそれに決めているだけなのかもしれないけどね。大切なキーワードは、「いかにありふれていないか?」

 「AIの衝撃 人工知能は人類の敵か」小林雅一著

 機械学習の本を読まなくちゃ読まなくちゃと思いながら、一年くらい経ってやっとこれを読みました。
 これを読むと、ちょっと落ち込みます。だって、自分が得意だと思ってた能力のほとんどが、あとちょっと先の未来では、無意味なことが思い知らされますから。

 結局のところ、ディープランニングをしまくった超賢いAIではできない、ヒトができることってなんなのか?というのを教えてもらった気がします(本に顕わに書いてるわけじゃないけど)。それは「価値観を与える」ということ。これだけは人工知能がどんなに発展しても人間しか絶対にできません。生命は物質と違って価値観を与える存在、そして、その価値観がありふれていることと、ありふれていないことに有意に分かれてしまう、っというのが生命現象特有な気がしています。
 そういえば、それを、重鎮ばかりが集まったある国際会議で英語で主張したんですけど、英語が通じなすぎて、生命が創発される化学的なスープには、そもそも、もっとランダム性が必要だと言って、みんなに納得されたのをいいことに、流してしまったのは、いい思い出。あとで日本人の先生には日本語で言い直したけど、、俺でも、まだまだ、ああゆう場では、自分の意見を言うことに妥協してしまうんだなぁと思いました。英語ができないってのもかなり効いてるけど。

 今後、自動運転が主流になり、内科医もいなくなり、ターゲッティング広告やレコメンデーション機能が飛躍的に進み、犯罪が事前に簡単に発見されるようになったとしても、自分が好きな人や自分の興味ってのは、絶対に自分で決めたいなと思う。
 あらゆるビッグデータから自分の好みが検出されたとして、参考にすることは、もちろんあるかもしれない。でも、対象についての何かの致命的な欠点について『自分の論理不足によってそう思っているだけで、きっとこれは重要なのだ!意味があることなのだ!』と勝手に結論付けて、目をつぶれるのが、いつでも新たな価値観の創発なのだから、そのような重要な最終的な決定を機械にゆだねることは、たとえば年収や年齢など物理的な条件を絶対視して結婚相手を選ぶことと同様に、夢のないことだと思う。

 だから、自分を持つ、ということは、(実は自分があまりない俺にとっては)とても大事。ってことを、わかりやすく伝えてくれたと思う。


 さて、これで一応、完成ですかね。
 また来年も本を沢山読もうと思います。
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「学振に落ちたら」を読んでくださった皆様へ

2015-12-29 02:24:14 | Weblog
 いやー、「学振に落ちたら」がツイッターで結構な数リツイートされて、昨日のアクセス数はマジでビビりました。1日で普段の1週間分以上でしたから。
 今日は、いままでこのページを知らなかった人用に文章を書いてみても良いかも、っと思いました。というわけで、どうも、はじめまして、執筆者の「たかはしけい」と申します。

 っていうかさ、ツイッターって怖いね。はてぶ、も。
 「何言ってるかよくわかんない」「こいつが学振落ちるの、なんとなくわかる」「結局、カネかよ」言葉は正確じゃないですけど、そんなコメントがあったはずです。みんな、俺の文章をシェアしてくれて、好き放題言ってくれて、ありがとうございました。え?ちゃんと読んでる?って研究関わる人たちの読解力を感じれて、けっこう楽しいです。まぁでも、バズってたわりに、予想に反して、みんな俺に対してポジティブな感じがして安心してましたが、、俺、ねちっこいんで、批判コメント読めるだけ全部読んでみちゃいました(笑)。

 いや、まぁ、ほんとに、どう思ったにせよ、本当にマジで、こんなに読んでくれて、有り難いことです。1日で1500人以上の方に読んでいただいたと思います。

 このブログは、前からみてくださってる方には何度か申し上げているんですが、タイトルにあるように俺の日記です(タイトルをこれに変えてからは常にそうです)。俺が読むと、その日(とかその日の周辺)に何があったのか、わかるようになっています。それから、誰か具体的な1人にむけて書いていることがほとんどです。この文章は、具体的にこの人にむけて書いてる、みたいな(今日は主にツイッターから来た皆さんに書いてますが)。「学振に落ちたら」「研究室の選び方」なども例外ではありません。だいたいは、たった1人にむけて書いてます(たぶん俺の周囲の人で一回も書いてない人って、むしろいないんじゃないかな(笑))。
 あと、俺は、必ずしも自分の意見を書いているとは限りません。誰かの心情を想像して、この人はこう思ってるだろうなぁで書いていることもあるという、ものすごく精神的に不健康なことをここ何年か続けています笑。

 しっかし、やっぱり、自分にとってリスクがあることを具体的に書かないと、ここまでヒットもしないんだなっと思いました。
 「学振に落ちたら」は、「タートルトーク」「選び方」「やめたい理由」「星野君」のときには無かったバズり方だし、アクセス数も以前のヒット記事よりもかなり得たので、うーん、どんな文章(原著論文とかも)でも、リスクを背負わないかぎり、他人の眼に見られないということが、とてもよくわかりました。

 「学振に落ちたら」の記事は、俺が去年から好きな番組の「しくじり先生 俺みたいになるな!」の心得に感動して、「俺みたいになるなよ!」という気持ちもこめたつもりでした。おそらく俺は自分に対してリスクを背負いましたので、他の皆さん、(どーせ俺の文章なんて何の参考にもなりませんが)せいぜい学振とってください。そして、もし落ちたら、こんなことで落ち込むようじゃ研究者に向いてない、とか無駄に強がってないで、きちんと落ち込んで、せいぜい真剣にきちんと悩んでくださいね。

 というわけで、、4ケタのアクセス数がずっと続くようだったら、さすがに書き方考えなきゃいけないなぁ。。なにかが間違って5ケタになったら、もっともっと、ものすごくたたかれるだろうし、、うーん、3ケタくらいで、ひっそりとふわふわ書きたい。
 っま、大丈夫っしょ。1週間も経てば、新しく来た人のほとんどが離れていくだろうし。

 でも、ここから出会えた方で、定期的に見てくださるって方、是非よろしくお願いしますね。

 コメントはツイッターでもできますが、このブログ内でもできますよー。知ってましたかぁ?笑
 あと、直接俺だけに文句言いたい人は、メールアドレスも公開してるので、、テキトウにこのブログ内を探してみてね。

 これからも、本ブログをよろしくです。
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決意を持って

2015-12-28 00:57:20 | Weblog
 これでいいはずだ!と決意を持って言葉を提出していくとき、そこに真相が見えてくる。
 それには2種類存在しているように思う。ひとつは未来に対するもの、もうひとつは過去に対するもの。

 自分の未来について世界の未来を想定しながら、これでいいはずだ!、と自由意志の中から選んでいくのは、その選択がたとえ間違っていたとしても、少なくとも決定的な失敗にはならない。
 しかしながら、自分の過去や履歴について世間体を想定しながら、これでいいはずだ!、と確認しながら決意を持つのは、その選択がもし間違っていた場合、決定的な失敗となる。

 この差を冷酷に見極めながら、自分に対して相手に対して、一時も目を逸らさずに、真実を引きずりだしてくるとき、俺は自分の気持ちの変化を感じる。最終的なアプライの仕方として思考力が主眼になりまくってるとき、それは、、本当になってる?誤魔化してる?って。
 自分に対して何らかの決意を持ちながら何気ない言葉を発するとき、その瞬間こそ、自分の心に何度も問い続けなくちゃいけない。決意を持って、あえて具現化してしまうことで、振り切ろうとしている、振り切れないかもしれないと不安になっている事柄は、なぁに?って。

 すでに決まり切っている論理が繋がっていきながら、さらにそれらが不確定要素によって拡散していくさまは、単なる実現可能性の広がりを示しているのではなく、より良い未来への実現可能性への広がりを示しているのかもしれないね。
 だとすれば、その決意は、ホンモノだと仮定してもいいのだと思う。
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阪大の研究費不正処理疑惑について

2015-12-27 01:00:31 | 自然科学の研究
 大阪大学大学院情報科学研究科の教授らが研究費の不正処理をしたとして疑惑がかけられている。メディアのいくつかの記事によれば、「預け金」や「私的流用」が疑われている。
 …と他人事のように書き始めてみたが(いや、確かに「他人事」ではあるのだが)、疑惑がかけられているのは、かなり俺と近い分野の先生だ。問題となってる先生とは、ほんの数回だが言葉をかわさせてもらったこともあるし、この先生が主催する研究室の人たちとは何度か話したり、一緒に飲みに行かせてもらったりもした。俺は「分野」という言い方は大嫌いだが、それでも少なくとも、目指していること、掲げていることは、共通だと思う。

 以下は、報道されている内容が事実であると仮定して、書く。俺としては、事実と認めたくないという気持ちも、正直まだ少しある。

 今回どういう内容が具体的にあったのかは俺は一切知らないが、それにしても大学の科研費のあり方は、やはり今一度考え直すべきだと思う。
 プールしていたのはルール違反で大問題だが、それでも単年度予算ってのはかなり無理があると俺は思っている。研究を進捗させるうえで、本当の意味で計画的な予算の使い方をしたいなら、とにかくその年度で使い切ってしまわなければならない感を出されるのは研究しにくくて仕方ない。
 獲得した研究費をとっておいて、大きな装置を買いたいということもあると思うし、ポスドクが入ってくるならそこで人件費として使いたいということだってあるだろう。

 しかし、だからといって、彼が不正処理したのだとすれば、それはルール違反で完全にアウトである。まして私的流用は事実だとすれば問答無用でアウトだし、預け金に関してもシステムがおかしいと思うなら、彼ほどの立場の人間だったら、意見をきちんと主張してルールが変わってから、正式に行使するべきである。
 彼ほどの立場、と書いたが、研究費を使っている限り、間接的であろうが、直接的であろうが関係なく、卒研生だろうがテクニシャンだろうが、同じだ。そして、自分の所属している研究室主催者が不正処理を強要してくるような研究者であるなら、それはできない!とはっきり主張して、職や身分や立場を失うべきである。

 失敗しないために一番大切なことは、「おごらないこと」
 この件が事実なら、「自分ほど立場があるし、これくらいのことは、どーせみんなやっているから、大丈夫だろ」という「おごり」があったように思う(そんなわけがないのだが)。
 だからね、どんなに安泰だと思っても、どんなに安泰な場所に所属していると思っているのだとしても、絶対に自分の実力を向上させ続けなくちゃいけないし、相手がどんな立場であれ、どんなに心の中ではクズだと思ってるヤツを相手にするんであっても、そこにルール違反があっちゃいけないし、真実を見つけることに対して常に真剣じゃなくちゃいけないんだよ。

 そういう意味で、やっぱり、常に意見を戦わせる勇気のない人間は、研究の世界を去れ、と言わざるを得ない。
 考えてみれば、研究者は自分固有の意見を提供するために存在しているのだし。

 またこういうことを言うと、サイエンティフィックな事柄では議論を戦わせるべきだが、その他のことでは空気が大事だ、というサイエンスと経済やシステムを分離したい分離主義者たちが、俺に対してドヤ顔で主張してくる。
 今回の件に関しても、俺の周囲の多くの人が、不正をしたのはダメだけど、それでも彼の研究は素晴らしい、などと言う人が多かった(この気持ちはわからないわけじゃないが、今まで信じていたから、という履歴依存性が強すぎると思う)。いや、不正を事実だと思うのなら、彼のサイエンスもそれだけのものだったのだろう。自分と違って、ルール違反をしていたのだ。みんなのカネを使ってルール違反をして成果を出していたのだ。そこに何かの素晴らしさを見出せるか?その「おごり」が研究内容にもむけられていたと考えるのが自然なのではないか?信用ってのは、そういうもんじゃないのか??自分の一番純粋な心に、質疑応答をもう少し繰り返せよ!、と俺は思う。
 本当に彼の研究が心から素晴らしいと今でも思っているのなら、あなたが言うべきことは「彼ほど素晴らしい研究をしているのだから、不正なんかしてたはずがない!これは何かの間違いで、誰かのワナにはまったんだ!!」という言葉じゃないのか?そして、俺はどちらかというと、こう思いたい気持ちは強い。

 もちろん、だからといって、そもそも、この問題となっている教授の研究や原著論文に対して、批判的な意見が何もないわけじゃないけれど(むしろ沢山あるけど)、、少なくとも、彼は、自分固有の意見を堂々とみんなの前で主張できるタイプの研究者である、と俺の眼には映っていた。それだけに、報道されていることが事実だとすると、残念で仕方ない。

 わがふりなおせ。
 おごったり、あなどったりしてちゃ、ダメダメだよね。例えば、ほかのことでも、データ一つひとつについても正確に提出していくべきだし、そこに対して、自分は詳しくないからー、専門じゃないからー、などと言っていないで、数理統計学や誤差論は、実験屋は少なくともしっかりやらなくちゃ絶対にダメだし、あらゆる研究に対する態度をよりよく改善させていかないといけないよね。

 堂々と常に前を向いて、自分は(政治家などではなく)研究者だ!、と常に言えるように。何かの保身や維持のために、誰かを騙せたとしても、自分だけは常に誤魔化せないから。

 (報道内容についての反対の事実の証拠を観た瞬間に、この記事は削除します)

参考記事

読売新聞; 阪大不正経理2.2億円 教授や名誉教授ら3人
NHK; 大阪大学大学院教授 1億5000万円余の不正経理か
日本経済新聞; 阪大教授らが不正経理 研究費1億円超、告訴を検討
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スターウォーズ エピソード1~6をまとめてみました

2015-12-24 22:44:04 | ディズニー
 今日はクリスマスイブです。なので、今日はスターウォーズについて、まとめを書いてみようかと思います笑。あ、あと、俺はまだ最新作のエピソード7を観てません。

 エピソード7を観るために、この12月、12時間(以上)かけて、改めて、エピソード1から6まで続けて観てみましたが、いやー、本当によくできている。旧三部作を、ある程度、前に観たことあるんだけどなぁ程度であれば、俺は、1,2,3,4,5,6の順で観ることをオススメします。たぶんこれであってると思うんだけども、、うーん。4,5,6,1,2,3と公開順に観るよりも話の流れがすっきりわかる部分が多い気がするのよね。まぁ、もちろん、ベストは、4,5,6,1,2,3,4,5,6,1,2,3とかでしょうけど、皆さんがそんなに時間があるとは思えないので(笑)

 さて、このスペースチャンバラ、スターウォーズの流れを大きく掴むと、実にシンプルで、シスの時代(お話の中だけ, 1000年前)→銀河共和国時代(エピソード1~3)→帝国時代(エピソード4~6)
 スターウォーズがすごいのは、エピソード4~6でジェダイを正義とか憧れの存在と思わせて、エピソード1~3で「え?ジェダイって正義か?」と疑問に思わせるところ。その伏線がエピソード5や6にたくさんあります。

 そもそも、ジェダイは人助けなどではなく、「ジェダイは(フォースを用いた)兵器である」と考えるのがジェダイの正しい捉え方です。ジェダイは恋愛禁止です、っていうか、感情や判断を持つことそのものが許されていません。感情を持つことはダークサイド(シス)に繋がっているとされています。エピソード1で、後にダース・ベイダーになるアナキン・スカイウォーカーが、幼少期にも拘らず「お母さん(シミ・スカイウォーカー)に会いたい」と思ってるだけで、マスターヨーダ(ジェダイで一番偉そうな緑のおじいさん)から「お前はジェダイには向かない」と言われてしまいます。そして、奴隷であるシミ・スカイウォーカーを、ジェダイは頑なに助けません。元老院が判断するべきだからです。で、これがのちに、アナキンがダークサイドに落ちてしまう根源的な理由です。
 ジェダイを動かしているのが元老院。この元老院が人数が増えまくってしまっていて判断が遅くなり、惑星ナブーにおいて連合軍の侵略に対して事態を改善できない点がエピソード1のポイントです。パドメ・アミダラ(のちにアナキンと恋に落ちる)がはっきり言っています「もはや元老院が機能していないことがよくわかりました!」と。
 連合軍の黒幕であるダース・シディアスの弟子であるダース・モールと、アナキンを見出したクワイガンとその弟子のオビワンが戦うわけですが、クワイガンが死んで、オビワンにアナキンを託すことになります。この幼少アナキンはかなりすごくて、惑星ナブーの侵略を抑えたのは、ポットレースのノリで敵の戦艦をやっつけたアナキンでした(ここがエピソード4とシンクロしてる)。

 エピソード2では、ヨーダは最大の失敗を犯してしまいます。それはクローン兵を使って連合軍に立ち向かい、アナキンやその師であるオビワンたちジェダイを助けてしまったことです。ヨーダ、お前こそが感情に支配されてるだろ!、しかもクローンかよ、と誰もがツッコミを入れるポイントです。いくらピョンピョンと飛び跳ねてドゥークー伯爵と対決してカッコつけてても、この判断はいいのかよ?
 シミを殺されパドメを愛し、感情むき出しのアナキン。アナキンのダークサイド面が表れ始めるのが、エピソード2です。

 っで、エピソード3はところどころすごく重要で、最大は、パルパティーン最高議長がダース・シディアスだったのかよ!ってところ。ここで普通はエピソード1と2を見直したくなるはずです(笑)。で、アナキンがジェダイ評議員には選ばれるのに、ジェダイにはならないという決定が評議会で下され、アナキンがむかついているシーン。ジェダイに選ばれるかどうかはアカポスみたいなもんです(笑)。ジェダイも元老院も、どんどん、ただの保守派に回り始めます。そんなアナキンに付け入るため、パルパティーンは「ダークサイドの力を手に入れれば、生命を創造できる、生き返らせることも可能だ」ということを言います。たぶんこれが重要で、だから、旧三部作で、ダース・ベイダーはダース・シディアスと一緒にいるのでしょう。
 短絡的な感情を優先させるダークサイド、シス。その黒幕であったパルパティーンを元老院の指示で逮捕しなくてはいけないところ、マスターウィンドゥがパルパティーンを殺そうとします。それをアナキンは止めるため、マスターウィンドゥを殺してしまいます。で、さらに、幼いジェダイ見習いであるパダワンを皆殺しにしてしまいます。さらにクローンがジェダイに対して反逆。っま、だから、ある意味では、アナキンはやっぱり予言通り「フォースにバランスをもたらす者」であったわけですね。パドメは生きる意欲がなくて死亡、アナキンとの子供である、ルークとレイアを残して。アナキンはオビワンとの闘いで重傷を負い、ダース・ベイダーのあの格好になります。

 ジェダイとシス。これは表裏一体で、どっちが正義でどっちが悪ってわけじゃなく、どっちもフォースという不思議な力を操る存在。一方は感情を持たないように努める兵器、一方は感情を持つように努める兵器です。

 エピソード4ではアナキンの子供であるルーク・スカイウォーカーが主人公になります。元老院が崩れ共和政が壊滅し、ダークサイドであるシス卿パルパティーンによる帝国時代が始まりました。ひっそりと暮らしていたルークにオビワンやハン・ソロなどの仲間ができます。
 オビワンにフォースの心得を教わったルークは、敵の最強兵器デススターを壊滅させます。でも、オビワンはかつての弟子であるダース・ベイダーに殺されてしまいます(オビワンが殺させた?)。フォースを駆使して宇宙戦闘機を操縦するルークはデススターを壊滅。エピソード4は、意外とこんなもんだろ。

 ホスの闘いで帝国との戦いが激化しているのがエピソード5。この時代の戦闘マシーンが古びているのは、映画が古いせいではなく、帝国時代によって武力が全然進歩してないことを示しているのだそうです。
 で、ルークは、マスターヨーダに会いに行きますが、このヨーダ、全盛期(新三部作)と違って、グレまくってます。やっぱ、こいつこそが、ダークサイドに堕ちてるんじゃないか?と思うんですが、違うかな。。でもジェダイらしく、ハン・ソロとレイア姫を助けにいくよ、と言うルークに対して、ヨーダは「行くな!フォースに従え!まだ制御できないだろ。助けたいと思うな!」と意味の分からないことを言っています(だからやっぱりエピソード1から観たほうが良い気が)。どんどんルークがダークサイドに堕ちそうになるのですが、父であるダース・ベイダーはマジで強く、ルークの手をはねて、お前を殺したくはない、お前とともにダース・シディアスを倒そう、と提案してきます(で、たぶん、お母さんパドメとおばあちゃんシミを生き返らせよう、的な発想があるように俺には想える)。で、ルークはそれを断って、命辛々レイア姫の待つミレニアムファルコン号に帰ってきます。

 そして、ラスト、エピソード6。やっぱりお父さんはダークサイドじゃない!と信じてやまないルークは、ダース・シディアスの前で、ダース・ベイダーと戦います。これがダース・シディアス、パルパティーンとしては、予想通り。要らないダース・ベイダーの代わりに、ルークを弟子にしようとしてるわけです。考えてみると、このダース・シディアス、弟子を持ちまくってる。
 ルークはダース・ベイダーを倒したが、ダース・シディアスには手も足もでません。そのとき、ダース・ベイダーがルークを助け、ダース・シディアスを倒し(いや、結局ここで倒すなら、あのとき倒しておけよ、とマスター・ウィンドゥは思っただろう)、アナキン・スカイウォーカーとして死んでいき、30年ほど続いた帝国は(ハン・ソロのおかげで)滅びました。

 というように、人数が増えまくったせいで機能しなくなった民主主義を、恋愛という感情によってぶっ壊し、そこから始まてしまう独裁制を、父と子の愛でぶっ壊す、という話です。
 こういうとらえ方をしながらスターウォーズって観られているのかな?

 エピソード1は4と、2は5と、3は6と、色々シンクロしていているので、エピソード7は1と4が対応してくるはずです。
 で、予告によると、何者かがダース・ベイダーを引き継ぐわけだから、俺としては、やっぱり、生き返らせ伝説(ダース・プレイガスの伝説)を実践し、過去のジェダイとかシスを生き返らせたりとかして、ぐちゃぐちゃな話とかになったらおもろいかなぁと思うんですが、どうでしょうか?

 というわけで、イブの夜にふさわしく、スターウォーズを簡単に解説してみました。と思ったら長くなってしまった。
 ディズニーに売ったんだから、ディズニータグでいいよね?(笑) 

 そんなわけで、メリークリスマス。
 フォースとともにあれ。


参考動画

オタキングが公開直前のスターウォーズ~フォースの覚醒を誰よりも面白く見れる方法を教えます


ゆっくりとスターウォーズのお話ししませんか?ジェダイ編


90秒でわかるスターウォース
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不都合な真実

2015-12-19 03:38:48 | Weblog
 それを知れば絶対に不幸になってしまうと頭でわかっていたとしても、「不幸かもしれないけど事実なのだから」という理由で「事実を見つめる」という選択をとることは一見極めてとても難しく感じる。
 だが多くの人は極限状態で、この選択を自然ととってしまう。それは、研究者として、とか、理系として、などというトリビアルなことではなく、人というのは、幸福よりも真実を選択してしまう生き物だと思うのだ。

 だから、どうせ不幸になるってわかっているから事実は見ない、という風な帰結を選ぶよりも、まずは観てみることが大事だと俺は思う。なぜなら、どうせ、あなたはその事実を観ることを最終的には選んでしまうのだから。その最終的なことが、2年後なのか、3年後なのか、10年後なのか、100年後なのかはわからないが、結局のところ、事実を観るということに変わりはない。

 そのなかでも、まずは練習として、物理学の教科書を見つめることを、俺はオススメする(これは当然すべての人に対して)。なぜなら、それが一番確かな、古典力学からずっと積みあがっている既存の事実だからである。書店で教科書で売ってるような物理の内容は、原理的に誰でも理解できるはずである(教科書に間違いがなければ)。
 だから、どんなに難しい事柄に見えたとしても、天才じゃなくても、既存の理論は理解できるのだ(そうでなくては既存とは呼べない)。もちろん、だからといって、前々から言っているように、高校数学や高校理科が完璧じゃない状態で、いきなり(どんなに既存の理論だからとはいえ)平衡統計力学を学ぼうと思ったらちんぷんかんぷんだが、正しい順序を辿れば必ず理解できる。
 そして、それら事実を観ることについて理解できなかった時に簡単に諦めず、理解できないことをとっておきながら、前に進むことに意味がある。それを要所要所で思い出し、置いてきてしまった無理解を迎えに行く。俺はこれを繰り返しまくって、だからこそ、思考力のレベルが(拙いながらも)今の状態を保てているのだと思う。また、(原理的には理解できるのかもしれないが、様々な理由によって)自分の現状では理解できない、と事実を見つめることも、一度しかない人生、大変に意義のあることだと思う。

 だが、その素晴らしさを若いうちに体験しようとしなかった人たちがこの世にはたくさんいて、でも民主制によって枚挙的な事柄を研究として遂行することが正当化されてしまっているから、本当に重要な自然科学の研究は遂行されずにいる。それは、とてももったいないことだと俺は思う。

 そう、、その、不都合な真実は、貴女を傷つけて、毎日泣かせ続けてきたのだろう。その不幸を俺は観ないようにすることはできない。事実だから。あれから色んな景色を観て、あの頃よりも問題点は遥かによくわかっているつもりだが、、それでも具体的にどうしようもない、ちゃんと助けられていない現状は、俺自身が俺の能力に対して反省すべき点だと思う。
 だが、俺が1人ひとりの心に新たな価値観を具現的に照らしだすことによって、根源的に敵を減らしていくことはできる。世界を変える、システムを変える、というのは、即ち、1人ひとりの価値観を変えるということ。別に貴女が変わる必要はない。俺がその環境を変えるべきなのだ。

 「私はそれに何年待たされるわけ?」
 俺はこの事実から目を曝して見続けなくてはいけない。そして変えるために、圧倒的な思考力をこれからも身に着け続ける義務がある。
 短絡的な結果を得るために自分を甘やかして作業を繰り返しているだけじゃぁ、、それじゃぁ原理的に守れないのだから。
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今年読んで印象的だった本2015

2015-12-18 00:09:51 | Weblog
 昨年やったこのシリーズ。ちょっと早いですが、今年もやってみます。
 俺って理系のわりにはめちゃくちゃ本読むほうだと思いますが、、今年は特に読んだ本がやたらめったら多くて、印象的だったやつを全部思い出せるかわかんないし、それなりにたくさん書きたいんで、1か月くらいかけて、ちょこちょこ更新していこうと思います(笑)。

 ちなみに、読んでも印象に残ってない本は一切載せませんので、あしからず。

 というわけで、第二回目の更新。今年はこれ書いて、あとスターウォーズ観れば、とりあえず心残りはない(ここ数日、スターウォーズエピソード7 フォースの覚醒を観た過ぎてやばくて、寝ても覚めてもスターウォーズのこと考えている笑)。


 「Steve Jobs」ウォルター・アイザックソン著

 ぶっちゃけ、今年一番印象的だったのは、これ。スティーブジョブズの伝記。なんつーか、ここまで我儘で、とんでもない有能な人間って、現存してたんだな、って思う内容。わりと長いのに、全然飽きなかった。
 ジョブズが意外と純粋で、彼が現実をどんどん変えていくさまを「現実歪曲フィールド」と呼ぶんだけど、あそこまで現状をより良く変えることができ続ける人間も、歴史の中でも、そうそういないんじゃないかと思う。

 一番印象的で泣きそうになったシーンがあって、それはジョン・スカリーがジョブズをアップルからクビにすると宣言した直後のジョブズの言葉。著者のウォルター・アイザックソンは、ジョブズの言葉を「少々不可解な抗議」と書いていたが、俺には気持ちがすごくわかる(なぜなら、俺も同じようなシーンで、同じようなことを言ったことがあるから)。ジョブズが、何を大事にし、どういう志で、ものづくりをしていたかがわかる一言のような気もする。

 彼ほどの気持ちの強さがあったからこそ、俺らは現在、普通にスマホ(iPhone)を使えるわけで、iPadを使えるわけで、というか、こうやってPCを使えるわけで、、そのうえ、ピクサーでファインディング・ニモやトイ・ストーリーまで作ってるのは、本当にすごいことだと思う。

 現実歪曲フィールドの世界を知りたい方は、少々長いですが、是非、読んでみて。色んなことが、変わって見えると思う。
 これを電車とかで読みながら、周囲を見渡すと、みーんなスマホいじってて、これ全部ジョブズが原因なんだよなぁ、と思った時に、思わず震えてしまった。

 「ソロモンの偽証」宮部みゆき著

 これも長いですが、4の終わりから6までクソ面白くて、ガンガン読んでしまった。

 大出俊次を被告人とする学校内裁判が開かれる話なわけですが、、ポイントは、やっぱり神原和彦。神原くんの家庭環境は、大出くんの家庭環境のもっとひどいやつ。それを乗り越えている神原くんと、乗り越えられずに憂さ晴らしばかりしてきた大出くん。だから、ある意味で、神原くんは根源的に大出くんをムカついているのだと思う。そう思って読むと、また違って見えると思います。
 そして、柏木くんの小学校の頃の塾の先生が、またポイントで、、うーん、あんまり感想を言うとネタバレになってムズイなぁ。

 ちなみに、キャラ的に俺が一番好きなのは、判事の井上康夫くん。あのキャラいいよね。
 主人公の藤野涼子、神原和彦、そして井上康夫が作り上げる論理的構造は、とてもキレイで、がんがん読めてしまいますが、、あのー、中学生って、そんなに頭いいわけねーから!!(笑)

 さすが、構想15年、執筆9年。読む価値めちゃくちゃありました。

 「『育休世代』のジレンマ 女性活用はなぜ失敗するのか?」中野円佳著

 古市憲寿の「絶望の国の幸福な若者たち」の文庫版を読んで、社会科学における時間軸はわかったから、ジェンダー軸ひきたいな、っと思って、読んだのがこの本。実は、まだラスト数ページ読んでませんが(笑)。
 
 まぁ、特にこの2つの本を受けて、実生活とも関連させると、今んところの俺のこの国の帰結としては、「おじさんたちが優位性を占める社会の中で、若者に対して、女性の若さという価値基準しか本質的に若手の価値を認めていない」ということかな。だいたいどの分野でも。だから、男に価値はない、若くない女にも価値はない、というような押し付けが激しくて、(その大多数が無能集団で構成されている)おじさんは、彼ら自身が用意した舞台で、ただ単純に上手く踊れる奴隷的なバカを探してるのよね。「歴代のおじさんたちが作ってくださった、この舞台で是非踊りたい!」という大義名分を若者に無理矢理書かせることで、文章作成能力とか言いやがって。
 特に女性に対してはそれがひどくて、それはこの本を読むとよくわかる。具体的に現在育児に取り組んでいる女性15名について分析がしっかりなされている。男が読んでも公正な評価がきちんとできていると思う。15名では少ないって言われるであろうが、、とか、書いてあるが、、俺的には、むしろ多すぎて、把握しきれません(笑)。

 本文中に、「男と女は対等である」というのではなく「女を男と対等にする」という上辺の制約によって成り立つ「女性活用」は、女性性を売り出すことを前提とするから上手く行かない、というようなことが書いてあるが、まさにその通りだと思う。

 俺が一番好きなドラマであるアリーmyラブのあるシーンで、アリー側が勝訴したにも拘らず、「純愛を信じる人間をバカにして、商売女を自立した女性みたいに扱うなんて!世も末よ!!」とアリーが言うシーンがあるが、このドラマが2000年代前半で、まだまだ世界は、このままだなぁと思わせるデータがたくさん出ている。(というか、俺は中高生の時にすでに、こういう帰結に出会っているのか、と思うと、最近、ちゃんと成長してないなぁと思ったりする)

 しかし、女性諸君、男性諸君も、悲観していてはいけない。
 なぜなら、男はカネを稼ぎ、女は美を提供する、という古典的なモデルから進化して、今はいろんな正解がある。在宅ワークだって一般化してきているし、必ずしも収入が多くなくても工夫して贅沢ができる時代ではないか。きちんと探せば、きっと正解はいくらでも存在している。モデルがいないからって、前例がないからって、悲観することはないのだ。
 その都度、ベストな選択を自分で選べる俺らの世代は、そのランダム性として明るいのである。

 それに、アリーmyラブのジョンも言ってる。
 「僕がいいたいのは、、確かにこの世はロマンスとは程遠い。でも、ロマンティックな人種は少しだけ残っている。一縷の望みがあるってこと。世間なんかに負けるな、アリー・マクビール!(Don't let the world win, Ally McBeal!)」

 そして、何よりも良かったのは、この著者が旦那を変えるために、この本を書いているということ。
 誰かを変えるためには、世界を変える覚悟がなければならない。逆に言うと、どうでもいい世界を変えてしまうことで、大切な誰かを確実に変える術があるということで、やっぱり未来は明るいんじゃないかと俺は思う。 

 「ドゥームズデイ・ブック」コニー・ウィリス著

 これもかなり長いですが、意外と一気に読めてしまいました。完全にファンタジーなので、始めのほーのページで、この世界を素早く理解して溶け込んでしまうのがポイント。じゃないと、最後までとてもたどり着けない気がします。

 主人公のキブリンが中世にタイムスリップしてギヨーム卿の家族と過ごす描写と、21世紀での世界の描写が、交互に展開されます。それぞれの世界で事件が起こりますが、それに因果関係があるのか?ないのか?
 情景描写が長いので想像力を沢山働かせなくても自然とその世界に入っていける。ファンタジーで圧倒的な世界観なのに、妙に現実的。なので、長いけど、意外と読みやすい。そして、細かいところまできちんと精緻で、読み応えのある小説です。

 最後、ダンワージー先生とコリンがキブリンを助けに過去にやってきて、ラストシーン、コリンが「例の言葉」を元気よく宣言します。終わりを告げる鐘の音は常に始まりを意味する。本を閉じた後に、こちらも元の世界に安心して戻っていける。
 つまり、現実逃避のためにこの本を読んだとしたら、読み終わると、自然と元気をもらえていて、本の世界から現実世界に送り出してもらえる。そういう意味で良い本だと思います。

 あとさ、、ベイジンゲームは結局何やってたんだよ??!笑

 「ターン」北村薫著

 "くるりん"と同じ日々を繰り返してしまう世界に閉じ込められてしまった主人公真希のお話。君にとって、この小説も印象的だった?
 「そうだね。でも、物語最初のこの文体は、ちょっと読みにくかったよね」
 確かに。でも、こういう感じで、2人で相談しながら自分のなかで結論をだしていく、って誰にでもあることだと思う。君もそういう時期があったよ?覚えてない?だからこそ、ある一定の時期の人にとって、圧倒的な共感をこの小説は保てているんだ。

 結局君は、全部は妄想の世界って帰結なんじゃなかったっけ?
 「そうでもないさ。だって、泉洋平さんと電話で繋がってたじゃないか」
 でも、彼にしか聞こえないって時点で、少し独り相撲感がでてきちゃうんじゃない?
 「まぁ確かに。しかもさぁ、そのあとに。。」
 あれってさぁ、やっぱり、女は奪われたい欲あるだろ?、みたいな描写に見えるよね。男が書いてるんだし、それを男が読んだら、少なくともそう思えるよね。
 「そこが気にくわないんでしょ?」
 ちょっとね。

 人称の移り変わり方を間違えてしまうと、(少なくとも俺にとって)読みにくいことこの上ないので、注意して読まないといけない。
 色々複雑な設定で、、でも、また読み直したいな、っと思わせる小説でした。

 「夏への扉」ロバート・A・ハインライン著

 またまた、タイムスリップ系。でもこれはコールドスリープも使うから、ちょっと現実的かも。
 主人公のダンが時代を駆け巡っていくお話。そして、猫のピート。ダンは技術屋なのだが、マイルズとベルに裏切られてしまい、強制的にコールドスリープさせられる。

 タイムスリップしようとすると過去に行くのか未来に行くのかわからない、作用反作用みたいなもん、ってのは、妙に現実味があった。確かに時間も光速をかければ空間次元だし、ありえるかも?
 すべては丸く収まることをなんだか物語の冒頭から伝えられているような作品で、安心しながら読めるんだけど、そのわりには波乱万丈な話だし、読めば読むほどリアリティもかなりあるし、タイムトラベルならではの複雑さもある。

 猫好きのための小説、、なんだけど、だったらもうちょっとピートを出してきてもいいんじゃないか、と思ってしまうのは、俺だけ?
 最後はやっぱりハッピーエンドですが、まぁ、時代を感じさせるハッピーエンドかな、と思います。

 「刺青」谷崎潤一郎著

 「マスカレードホテル」東野圭吾著

 「働くことがイヤな人のための本-仕事とは何だろうか-」中島義道著

 「AIの衝撃 人工知能は人類の敵か」小林雅一著


 そのほか、感想をすでに書いてあるヤツも書き直す可能性もあるし、まだ本を追加する可能性もありますので、しばしお待ちを。
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無能がコントロールするための作業はサボろう

2015-12-14 23:32:23 | Weblog
 自分よりも有能な人間やそのポテンシャルを持った人間を、自分自身は向上せずに、どのようにコントロールするか?

 そんなことは簡単である。「教育」や「修行」と名前をつけた「作業」を沢山与えて、無意味に忙しくさせることで、相手を無能にしてしまえばいい。
 そしてその作業にヒエラルキーを与えてしまえばいいのだ。単純な作業をたくさんこなす者が、小さい世界の中でちゃんと評価されるようにしていけば、本当の能力を得ようとすることもない。

 簡単に言えば、負荷を与えることでコントロールする、これに尽きる。世界中、多くの分野や場所で、強者が(有能な)弱者に対して行っている卑怯な手段である。

 だから、小学校の算数では計算問題を沢山やらせるわけである。小学校の教員は全員文系で算数が苦手だから。こんな単純計算も正確に素早く解けないようじゃ難しい問題は解けないぞ?とコントロールしているわけだ。
 だから、中学高校の英語では教科書の本文全部をノートに写させ和訳を作らせる。意味調べを厳密に予習させる。調べてないと「なんで予習してないの?」と英語を喋れず英語を教えている無能な教員が圧力をかけてくるわけだ。
 大人になると、実はもっと雑で、新人研修では新人を寺に何週間か閉じ込めたりする。そこでこの会社の奴隷になれよ!と入信させられるわけだ。社則を素早くきちんと言えた者が評価されて、先輩社員から「お前ら立派な社会人になれよ!」と涙されるわけである。
 寿司や鰻などの日本の伝統的な料理は、習得にひどく時間がかかるらしい。まぁこれは俺はよく知らないので一概に言えないが、おそらくこういう無駄がたくさんある気もする。

 ね?もう何が言いたいかわかったでしょ?だから、自然科学の研究の世界では、研究者は「書かせられてる」わけだ。論文を沢山書かせて、申請書を沢山書かせて、積分もまともにできないくせに予算配分を担っている文科省の役人たちが、俺ら理系を忙しくすることで、コントロールしやすくしているわけ。
 もちろん、それだけじゃない。無能なPIや権威だけしか取り柄のないシニア研究者がこのやり方を有り難がって、若手や学生を雑務(雑務というと教育のことだと思ってるやつがいるので、きちんと言い直しておくが、「原著論文作成」や「枚挙的な研究テーマの遂行」や「競争的資金のための文書作成」のことね)でとにかく忙しくさせて、(俺のように笑)有能な若手をコントロールしているケースも多く存在する。

 もちろん、これらにきちんと付き合えるだけ付き合いまくって、そのうえで能力をつけることもできるだろう。そのほうが、おりこうちゃんでいた実績があるただの優等生は安全だって思ってるんでしょ?確かに俺自身も、そうやって能力をつけてきたし。
 でもね、みんな、もっと、サボっていいと、俺は思う。サボってサボって、サボりまくっても、少なくとも俺は、あなたのことを嫌いにはならないだろう。

 だって、数学が本当にできるようになりたい小学生がいたとして、あなたは、計算問題たくさんやらせるように、アドバイスします?
 だって、英語がちゃんと使えるようになりたい中高生がいたとして、あなたは、とにかく闇雲に教科書の本文書かせます?
 だって、社会人として本当に役に立つスキルを身に着けたいと思ってる新人がいたら、あなたなら、寺にこもらせます?

 だから、限度はもちろんあるが、研究の世界でも、あまりに「作業」に対して一生懸命にならなくても良いと思うのだ。上がコントロールするために用意した「作業」に対して付き合いすぎてはいけない。
 そんなことしてたって、「時空とは何か?」わからないし、「生命とは何か?」わからないし、「宇宙の果てはどうなっているか?」わからないのだよ。絶対にわからない方法を繰り返して、努力と名前を付けて安心感を抱いていても、仕方ないだろう。もっとやるべきことは沢山ある。まず高校数学と高校理科が完璧じゃない人はそれから。ちゃんとした実力をつけなくちゃいけない。
 
 それでも、(ある種)サボって、嫌われるのが怖いでしょ?
 ということで、今日は、サボりまくってて好かれている、とても良いモデルを出して終わりにしよう。今日はあえて説明せん(いやいつも説明してねーか)。

 あぁ、しっかし俺、この素質に乏しいなぁ。サボってても、ちゃんと皆から好かれる素質、欲しい。

アニメ こち亀 「さよなら両さん大作戦」
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マシのワナ

2015-12-13 03:55:51 | Weblog
 法よりも常識や普通が優先されてしまう集団は終焉の直前であることは間違いないだろう。
 何かの権威や狡さを維持するために閉鎖的な集団であることを望み、立場を守るためなら法律を破ることも仕方ないと思い込もうとする態度は、マクロからの要請を一切無視しているし、そのマクロからの要請こそが法律であるのだから(もちろん、基本的には法はその国でしか成り立たないが、その国内でその国の法律を守るというのは人類全体の常識である)、それを破ることを正当化しだす集団に未来はない。そういう集団からは、問題を具現化してくれた哀れな人材に表面的なお礼を言って、走って逃げる他ない。

 法を破り、明らかな不正行為や時代遅れを権威のために容認するような集団はどうせ消えゆくのだから、それについてギロンしても仕方ない。問題は、こういう集団になってしまう前に、どんなシグナルが発生しているか?ということだ。

 あいつらよりはマシだ、っということに自分たちの存在意義を持ってくるような集団的態度は、その集団の存続にとって、危険なシグナルであることは間違いないと思う。色々あるとは思うが、少なくとも一つには、こう言えると思う。
 他の同じような集団よりはマシ、とか、他の何々を観てみろ!もっとひどいんだぞ!、というようなことを繰り返すことで、さらに改善できるポイントに対して怠惰な態度をとり続けていくと、やる気のある優秀な人間からその集団を去っていき、しまいには大義名分がある人間と自らの立場を守るための人間しか残らない、士気の低い集団になってしまうと思うのだ。そうすると自分たちで掲げていたはずの本質的な問いを置き去りにして、細かいどうでもいいことに終始しだし、トートロジーや本質的な問いとの接合不足を当然のことと見做してしまう。さらには、その掲げている目標を馬鹿正直に信じていた者に対して、純粋すぎる、とか、そんなこと本気にしてたの?あれは予算のためだよ、とか、それを考えてもわかるわけがないじゃないか、というような無難な大人の意地の悪い笑い声を不気味に放ち、それとともに終焉に近い集団へと転移してしまう率が高まるのだと思う。

 確かに、マシだ!、と思うことで、自分の精神状態を守りながら、前に進んでいかなくちゃいけないときは、あるにはあるだろう。
 だが、それは最低最悪の状態のときにだけ許される態度であり、昔の成功をマンネリ化させることを正当化していく集団に、どれだけの意味と価値があるというのだ?と士気の高かった人間は思うだろう。もしかしたら、~よりマシだ!、と言ってる対象以下に成り下がっている可能性すらある。

 平均場の中に入り込み、そこで無難に専門バカになっているほうが、明日の保証があるように思えるのは錯覚である。大切なのは、皆から有能だと思ってもらえる、この場所特有の無難な振る舞いとは何か?と考えることではなく、何をもってして目標を達成するための有能さを得られるのか?と、本質的にきちんと考え続けることだ。
 特に自然科学の研究なら、敵は誰かではない。敵は自然現象なのだから。理系の敵は理系、から脱却しなければ、新しいものづくりはできないのだ。この際、最初から士気が低いくだらない研究テーマなど捨て去ってしまったほうが良い。くだらないテーマであっても与えられているのだから、とりあえずは、それを論文にまとめるために頑張るのだ!というような、まるで本当に興味を持っているかのようなフリをして、研究ゴッコしてる怠惰な行為に対して、真面目にコツコツ取り組んで、とか、研究者として論文を「書く」ために、とか、体裁と耳障りの良い言葉で誤魔化して遊んでいる時間は、非常にもったいない。そして、おそらくは、環境と他人を適切に変えないと状況はカワラナイ。

 「でも、どうでもいいじゃないですか、たかはしさんの本来的な興味とは、まったくもって関係ないことなんですから」
 『いや、そうでもないよ。大きい流れを考えると、案外、あの子を一番傷つけているのは、、俺がどうでもいいと思っていた、目の前にいる怠惰な相手なのかもしれないね』
 「じゃぁ、どんな手を使っても?」
 『当然、そこまでは思わない。法を超えてそれをやってしまうアイツよりは、俺は、いくらか、マシだよ』

 っま、集団じゃなくて個人だから、いっか(笑)。
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生き返る確率

2015-12-10 00:07:38 | Weblog
 人生は一回しかなく、短いんだから、今できる最善を常に行動していき、やりたいことをすぐに取り掛かってしまったほうが良い。

 よく言われることだけど、本当にそうかな?

 確かに、一つのこと始めるのか始めないのかという決定について、いつまでもノロノロしているのはもったいない気がするし、それをいざ始めてみて、自分にフィットしなかったときに、やめるという決定をするのにも、ノロノロしてるのはコスパが悪い気もする。それだけ年齢も重ねちゃうわけだし。
 一方、なんでもかんでもやってはみるんだけど、飽きるのが極端に早くて、何も長く続かない、ってのもどうかと思うわけでしょ?

 っというか、そもそも人生は本当に一回しか無いんだろうか?輪廻転生とかじゃなくて、あくまでサイエンティフィックに、本当に人生は一回きりだって、証明できる??決まり切ってる??

 必要な構成成分としての役者がすべてそろっていたときに、生命が出現する確率がどれくらいあるのか知らないけど、めちゃくちゃ少なかったとしても、圧倒的に長いスパンの時間がある。夜空を見上げれば、光でさえも、そのまさに長い時間を使わなければならないくらいに果てしなく空間は広がっている。人間が認知できないからといって(まぁ人間が認知できなくなった時点でサイエンスの話ではなくなってしまうが)、この時空間は存在しているわけだし、生命が創発するチャンスはいくらでもあるように考えるのが自然だ。
 だとすると、生命起源って、この宇宙にどれくらいの数、存在しているんだろう?これからどれくらいの数、存在しうるのであろうか?そう考えると、この人生は一回きりじゃないような気が、どうしてもしてきてしまう??どこかのタイミングで、まったく同じように、こうやってブログを書いている「たかはしけい」が出現しうるのかもしれない(出現したとして、それは俺なのか?という問題はあるのだけど)。

 そもそも、まったく新しい場所(星)でなくても、生き返る確率はゼロではないだろう。死というのは、その瞬間から平衡状態になってしまっているだけであって、そこから非平衡に戻っていく確率がないわけではない(人間が認知できる程度で考えると絶対にゼロなんだけど)。超絶的に待っていれば、可能性はある。ただ、その待っているべき時間が100億年とか、そんな短いタイムスケールなわきゃぁない、というだけである。

 量子力学のたとえ話で、机に手を思いっきりぶつけて、手がすり抜けてしまう可能性はゼロじゃない、ってのがある。あれを初めて聞いたとき、こう思ったんじゃないか?「宇宙はこれだけ長い時間を経過してきていて、これだけの空間を占有しているわけだから、宇宙史上、一回くらい、そういうこともあったんじゃないか?」ってね(前になんかで読んだことあるけど、それでも138億年とこの空間じゃ、足りないんじゃなかったかなぁ)。
 それと同じ要領で、、よーするに、俺らが認知できないだけで、死から復活する可能性がまったくのゼロというわけではないと思うのだ。

 いや、(それこそ光速でこれを書き足す必要があるが)だからって、誰も生き返ってないわけだし、私は生き返った人間だ!とか言う人はいないわけで(いたとしても確認もできないから怪しいわけで)、そう考えたところでまったくの無意味なわけだけど、、でも、この時、この瞬間の、この人生を完璧に覚えている状態で、死後、また、まったく新しい何かを始めることは、大いにありえることだと思う。もちろん、なーんにもない可能性も高いけど。

 だとしたときに、やっぱり、どちらにしても、、というよりも、余計に、今を大切に生きていく必要がある気がする。繋がってるかもしれないのだから。繋がっていないのだとすれば、たった一度きりなのだから。
 時に考えすぎて動けないこともあるだろう。時に無鉄砲になりすぎて何も考えていないこともあるだろう。それがその人の人生のなかで、それぞれ30年以上続き、後で後悔しようが、それで一生を終えることもありえるだろうが、少なくとも、そこに真剣さを欠いていてはいけない気がするのだ。

 常に「これでいいのか?後悔しないのか?」と悩み問い続けながら、行動したり思考したり、すること。短い一生の中で、それくらいしかできないのかもしれないね。
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理想的な現実への転移

2015-12-07 02:54:14 | Weblog
 転移現象を考えるときは、それを支配する秩序パラメータに着目するのが基本だ。液体と気体の状態変化だったら粒子密度が秩序パラメータだし、超伝導だったらペアポテンシャルと呼ばれるクーパー対を壊すために必要なエネルギーを秩序パラメータとするのが一般的だ。
 何かの物理量が連続的に変化したときに状況が単に連続的に変化していくのではなく、何かの転移点を越えた瞬間に系の状態が一気に変わってしまうようなことがこの世には沢山ある。多体系ゆえに起きる転移現象は、マクロからの要請を一つひとつの粒子が感じ取り、ありふれた状態とは何かを探りながら、そこにアジャストしていくのである。

 ここから日常に学べることはいくつもある。
 まず短絡的に、何かのオンオフで、オンにならなかったからといって、侮ってはいけないということ。むしろ、それがどうしてオンオフになるかどうかの可能性があったか?ということに着目する。だから、努力が成果に繋がらず、報われなくても、諦めないで侮らない。冷静にその中で今できることを繰り返すことで、転移点を超えられる可能性があることを考慮することで、状況は確実に向上していくのだ。
 さらに、簡単に系を変えられると思わないこと。自分が、どんなに異分子であったとしても、系内の高々一つの粒子であるのだから、そのことをきちんと自覚して、系を変えるためには圧倒的なマクロからの要請となりうるような立場になれるまで待つということだ。

 このようにして、圧倒的な多くの人は、閉鎖的な社会の中に居続けるのである。なぁなぁな状況の中に身を置き続け、そのなぁなぁさがあることを前提として、その構造を保持することをいたずらに肯定化し、繰り返しの作業を努力と名前を付けてることで、甘んじているのである。
 その立場になるまで待つ、ということは、そこでありふれた存在になり続けるということだ。だから、どんなに信念を持って待っていたとしても、忘れてしまうのが普通だと思う。あらゆる、なぁなぁさを突破するためには、様々な環境を観ることが大事だし、、それに、マクロからの要請は、何も権威だけが所有しているわけではない。こうやって、実空間上とは違う場で、価値があるかもしれない個人に、その新しい価値観の灯を保持させ続ける行為だって、マクロからの要請なのである。

 確かに、状況を変えることは、一筋縄ではいかない。そのために俺はあらゆる手段を使っているし、賢い仲間たちと最善を尽くしている。
 カワラナイ個人を変えるためには、その状況を変えてしまう他ない。特に、貴女のその状況は。

 ただ、本当に変わろうが、本当には結局変わらないであろうが、俺がしたいことを単純にし続けるという行為自体はカワラナイし、俺の気持ちや本当の興味の対象もカワラナイ。つまり、受け入れなければ見捨てるということは、絶対にありえないのだ。

 それくらいカワラナイ俺を、変えようとしないように変えてしまうだけの力を、高々系内の一粒子が持っているとは、俺には想えないぜ?
 それを貫く過程で、確かに落ち込むことはあるけれど、その時は、自然体で接してくれたらと、いつも思っている。そうすれば、俺だったら、いつかは転移できる。必ず転移させることができると思う。まだ想像もついてないほどの理想的な現実を、目を開いて、一緒に感じ取れるはずである。
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今年読んで印象的だった本2015

2015-12-03 00:46:06 | Weblog
 昨年やったこのシリーズ。ちょっと早いですが、今年もやってみます。
 俺って理系のわりにはめちゃくちゃ本読むほうだと思いますが、、今年は特に読んだ本がやたらめったら多くて、印象的だったやつを全部思い出せるかわかんないし、それなりにたくさん書きたいんで、1か月くらいかけて、ちょこちょこ更新していこうと思います(笑)。
 ちなみに、読んでも印象に残ってない本は一切載せませんので、あしからず。

 というわけで、まず第一回目の更新。次書くときは、これを消して、もう一回新しい日の記事にしますので、よろしく。


 「Steve Jobs」ウォルター・アイザックソン著

 ぶっちゃけ、今年一番印象的だったのは、これ。スティーブジョブズの伝記。なんつーか、ここまで我儘で、とんでもない有能な人間って、現存してたんだな、って思う内容。わりと長いのに、全然飽きなかった。
 ジョブズが意外と純粋で、彼が現実をどんどん変えていくさまを「現実歪曲フィールド」と呼ぶんだけど、あそこまで現状をより良く変えることができ続ける人間も、歴史の中でも、そうそういないんじゃないかと思う。

 一番印象的で泣きそうになったシーンがあって、それはジョン・スカリーがジョブズをアップルからクビにすると宣言した直後のジョブズの言葉。著者のウォルター・アイザックソンは、ジョブズの言葉を「少々不可解な反論」と書いていたが、俺には気持ちがすごくわかる(なぜなら、俺も同じようなシーンで、同じようなことを言ったことがあるから)。ジョブズが、何を大事にし、どういう志で、ものづくりをしていたかがわかる一言のような気もする。

 彼ほどの気持ちの強さがあったからこそ、俺らは現在、普通にスマホ(iPhone)を使えるわけで、iPadを使えるわけで、というか、こうやってPCを使えるわけで、、そのうえ、ピクサーでファインディング・ニモやトイ・ストーリーまで作ってるのは、本当にすごいことだと思う。

 現実歪曲フィールドの世界を知りたい方は、少々長いですが、是非、読んでみて。色んなことが、変わって見えると思う。
 これを電車とかで読みながら、周囲を見渡すと、みーんなスマホいじってて、これ全部ジョブズが原因なんだよなぁ、と思った時に、思わず震えてしまった。

 「ソロモンの偽証」宮部みゆき著

 これも長いですが、4の終わりから6までクソ面白くて、ガンガン読んでしまった。

 大出俊次を被告人とする学校内裁判が開かれる話なわけですが、、ポイントは、やっぱり神原和彦。神原くんの家庭環境は、大出くんの家庭環境のもっとひどいやつ。それを乗り越えている神原くんと、乗り越えられずに憂さ晴らしばかりしてきた大出くん。だから、ある意味で、神原くんは根源的に大出くんをムカついているのだと思う。そう思って読むと、また違って見えると思います。
 そして、柏木くんの小学校の頃の塾の先生が、またポイントで、、うーん、あんまり感想を言うとネタバレになってムズイなぁ。

 ちなみに、キャラ的に俺が一番好きなのは、判事の井上康夫くん。あのキャラいいよね。
 主人公の藤野涼子、神原和彦、そして井上康夫が作り上げる論理的構造は、とてもキレイで、がんがん読めてしまいますが、、あのー、中学生って、そんなに頭いいわけねーから!!(笑)

 さすが、構想15年、執筆9年。読む価値めちゃくちゃありました。

 「『育休世代』のジレンマ 女性活用はなぜ失敗するのか?」中野円佳著

 古市憲寿の「絶望の国の幸福な若者たち」の文庫版を読んで、社会科学における時間軸はわかったから、ジェンダー軸ひきたいな、っと思って、読んだのがこの本。実は、まだラスト数ページ読んでませんが(笑)。
 
 まぁ、特にこの2つの本を受けて、実生活とも関連させると、今んところの俺のこの国の帰結としては、「おじさんたちが優位性を占める社会の中で、若者に対して、女性の若さという価値基準しか本質的に若手の価値を認めていない」ということかな。だいたいどの分野でも。だから、男に価値はない、若くない女にも価値はない、というような押し付けが激しくて、(その大多数が無能集団で構成されている)おじさんは、彼ら自身が用意した舞台で、ただ単純に上手く踊れる奴隷的なバカを探してるのよね。「歴代のおじさんたちが作ってくださった、この舞台で是非踊りたい!」という大義名分を若者に無理矢理書かせることで、文章作成能力とか言いやがって。
 特に女性に対してはそれがひどくて、それはこの本を読むとよくわかる。具体的に現在育児に取り組んでいる女性15名について分析がしっかりなされている。男が読んでも公正な評価がきちんとできていると思う。15名では少ないって言われるであろうが、、とか、書いてあるが、、俺的には、むしろ多すぎて、把握しきれません(笑)。

 本文中に、「男と女は対等である」というのではなく「女を男と対等にする」という上辺の制約によって成り立つ「女性活用」は、女性性を売り出すことを前提とするから上手く行かない、というようなことが書いてあるが、まさにその通りだと思う。

 俺が一番好きなドラマであるアリーmyラブのあるシーンで、アリー側が勝訴したにも拘らず、「純愛を信じる人間をバカにして、商売女を自立した女性みたいに扱うなんて!世も末よ!!」とアリーが言うシーンがあるが、このドラマが2000年代前半で、まだまだ世界は、このままだなぁと思わせるデータがたくさん出ている。(というか、俺は中高生の時にすでに、こういう帰結に出会っているのか、と思うと、最近、ちゃんと成長してないなぁと思ったりする)

 しかし、女性諸君、男性諸君も、悲観していてはいけない。
 なぜなら、男はカネを稼ぎ、女は美を提供する、という古典的なモデルから進化して、今はいろんな正解がある。在宅ワークだって一般化してきているし、必ずしも収入が多くなくても工夫して贅沢ができる時代ではないか。きちんと探せば、きっと正解はいくらでも存在している。モデルがいないからって、前例がないからって、悲観することはないのだ。
 その都度、ベストな選択を自分で選べる俺らの世代は、そのランダム性として明るいのである。

 それに、アリーmyラブのジョンも言ってる。
 「僕がいいたいのは、、確かにこの世はロマンスとは程遠い。でも、ロマンティックな人種は少しだけ残っている。一縷の望みがあるってこと。世間なんかに負けるな、アリー・マクビール!(Don't let the world win, Ally McBeal!)」

 そして、何よりも良かったのは、この著者が旦那を変えるために、この本を書いているということ。
 誰かを変えるためには、世界を変える覚悟がなければならない。逆に言うと、どうでもいい世界を変えてしまうことで、大切な誰かを確実に変える術があるということで、やっぱり未来は明るいんじゃないかと俺は思う。 


 「ドゥームズデイ・ブック」コニー・ウィリス著

 「夏への扉」ロバート・A・ハインライン著

 「ターン」北村薫著

 「刺青」谷崎潤一郎著

 「マスカレードホテル」東野圭吾著

 「働くことがイヤな人のための本-仕事とは何だろうか-」中島義道著

 「AIの衝撃 人工知能は人類の敵か」小林雅一著


 そのほか、感想をすでに書いてあるヤツも書き直す可能性もあるし、まだ本を追加する可能性もありますので、しばしお待ちを。
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