あらゆる理系の研究領域が存在している現代において、「そのなかで成り立つ研究」というものが、あまりにも乱立されてしまった。
それってさ、ぶっちゃけ「内輪だから成り立ってるだけでしょ?」ってことであっても、「でも沢山引用されてるんで!」とディフェンスできるようになってしまったのだ。
まぁ、そういうことって、ほかでも沢山あるよね。バンドとかでも、友達に無理にチケット売らなかったらいけない状況で、友達脅してでも集客したほうが偉い、みたいなさ。いやいや、友達売ってまで伝えたい音楽って、なんなん?って思っても、それで評価されちゃったりすることあるわけですよ。
研究も全く同じで、本当はこういうことがやりたい、って気持ちで大学院に残ったはずなのに、「でも、この分野では、こういうやり方は受け入れられないから、慣習通りにやろう」とか先生から言われたりするわけで、「やりたいことをやりたい方法でやる」ことが重要なはずなのに、そういう気持ちを売ってまで、「やりたくないことを、やりたくない方法でやって、とにかく論文にする」ってことを、みーんなやってたりするわけです。
誰かが「そんなん、やーめた。学問上、本質的に必要なことだけを好きにやります」って言えば良いわけですが、それを言った瞬間に「はい、じゃー、アカデミアから出て行ってください。明日から居場所は世界中のどこにもありません。この分野で生きていきたいくせに、そんな生意気なこと言うヤツはいりません」みたいな扱いを受けるわけです(実体験w)。
なので、アカデミック界隈にいる平均的なヤツが、たまーに、俺みたいな変なヤツから、『それって、そもそもどういうモチベーションでやってるんですか?』とか訊かれると、本人も価値を感じてないから「基礎研究としてー」とか言い出すわけですよ。だいたいね、学会でもなんでも、みんな方法論はよく質問するけど、モチベーションとか意義とか、ほとんど質問しないからね。「何の役に立つんですか?」とかドヤ顔でいうバカな文系がその典型で、それって意義を訊いてるんじゃなくて、ただ(どこに応用できるかの)方法論を訊いてるだけでしょ。
その分野のヤツ全員「それをやる意義がわかってねー」ってことあるわけよ。で、そういうところに、何千万円とか税金使ってたりしてさ、、ヤバいじゃん。だから、必要な研究にだけ投資する、みたいなことを考えるわけじゃん?でも、フーリエ変換すらできないくらい、理系的実力が何もないヤツらが、「俺らは"需要"は把握してるー」とか勘違いして、カネ出すかどうか決めてたりするので、超必要で重要な研究から駆逐されていっちゃってるわけです。
そんなわけで、最近本当によく思うわけ。意義ねーことをやる大義名分として、やたらめったら気軽に「基礎研究」って言うんじゃねーぞ、って。せめて、本人が、自分自身の職の安定や学位取得以外の、(研究内容における)本質的な価値を感じてろよ、と。
そのせいで、本当の基礎系の分野が、ものすごく苦労している。「無駄なことしてる」って自覚してるんなら、「本当はあんまり意味ないんですけど、慣習として…」ってせめて言えよと。そうすれば、納得してくれる人もそれなりにいるはずだし、たとえ反発されて怒られても、意味ねーことに血税使ってるお前が悪いやん、って思わん?
あとさ、これはバイオ系に言いたいんだけど、、お前らバイオに基礎系の分野とか、ねーから。バイオの基礎ってなに?具体的に言ってみろよ。ただの切手集めと同じ枚挙主義だろーが。バイオで"基礎研究"とか言ってるヤツは、オタクとかコレクターと何も変わらん。
純粋数学は基礎だけなので言わずもがなですし、物理は、どの分野でもニュートン力学から脈々と続く一つの論理体系に帰着されていくという"基礎"がある。化学だって、新しい反応機構の発見はこれまでの基礎に組み込まれるわけで、分子マスターになるためには必要だったりするわけですよ。で、バイオはあるの?ないだろ?「これはこれ、それはそれ」みたいなのは、基礎とは言わねーんだよ。
バイオで基礎やりたいなら、「生命とは何か」やらなあかんわけで、だったら、その根幹となる物理勉強してんだよな?って思うわけですよ。だから、生物学科上がりで「バイオの基礎研究してまーす」なんてのは、99.9%、その場凌ぎのイイワケ言ってるだけですから。
つーわけで、「基礎研究」って禁句です。
俺の前で言うときは、覚悟を持って言ってね。
それってさ、ぶっちゃけ「内輪だから成り立ってるだけでしょ?」ってことであっても、「でも沢山引用されてるんで!」とディフェンスできるようになってしまったのだ。
まぁ、そういうことって、ほかでも沢山あるよね。バンドとかでも、友達に無理にチケット売らなかったらいけない状況で、友達脅してでも集客したほうが偉い、みたいなさ。いやいや、友達売ってまで伝えたい音楽って、なんなん?って思っても、それで評価されちゃったりすることあるわけですよ。
研究も全く同じで、本当はこういうことがやりたい、って気持ちで大学院に残ったはずなのに、「でも、この分野では、こういうやり方は受け入れられないから、慣習通りにやろう」とか先生から言われたりするわけで、「やりたいことをやりたい方法でやる」ことが重要なはずなのに、そういう気持ちを売ってまで、「やりたくないことを、やりたくない方法でやって、とにかく論文にする」ってことを、みーんなやってたりするわけです。
誰かが「そんなん、やーめた。学問上、本質的に必要なことだけを好きにやります」って言えば良いわけですが、それを言った瞬間に「はい、じゃー、アカデミアから出て行ってください。明日から居場所は世界中のどこにもありません。この分野で生きていきたいくせに、そんな生意気なこと言うヤツはいりません」みたいな扱いを受けるわけです(実体験w)。
なので、アカデミック界隈にいる平均的なヤツが、たまーに、俺みたいな変なヤツから、『それって、そもそもどういうモチベーションでやってるんですか?』とか訊かれると、本人も価値を感じてないから「基礎研究としてー」とか言い出すわけですよ。だいたいね、学会でもなんでも、みんな方法論はよく質問するけど、モチベーションとか意義とか、ほとんど質問しないからね。「何の役に立つんですか?」とかドヤ顔でいうバカな文系がその典型で、それって意義を訊いてるんじゃなくて、ただ(どこに応用できるかの)方法論を訊いてるだけでしょ。
その分野のヤツ全員「それをやる意義がわかってねー」ってことあるわけよ。で、そういうところに、何千万円とか税金使ってたりしてさ、、ヤバいじゃん。だから、必要な研究にだけ投資する、みたいなことを考えるわけじゃん?でも、フーリエ変換すらできないくらい、理系的実力が何もないヤツらが、「俺らは"需要"は把握してるー」とか勘違いして、カネ出すかどうか決めてたりするので、超必要で重要な研究から駆逐されていっちゃってるわけです。
そんなわけで、最近本当によく思うわけ。意義ねーことをやる大義名分として、やたらめったら気軽に「基礎研究」って言うんじゃねーぞ、って。せめて、本人が、自分自身の職の安定や学位取得以外の、(研究内容における)本質的な価値を感じてろよ、と。
そのせいで、本当の基礎系の分野が、ものすごく苦労している。「無駄なことしてる」って自覚してるんなら、「本当はあんまり意味ないんですけど、慣習として…」ってせめて言えよと。そうすれば、納得してくれる人もそれなりにいるはずだし、たとえ反発されて怒られても、意味ねーことに血税使ってるお前が悪いやん、って思わん?
あとさ、これはバイオ系に言いたいんだけど、、お前らバイオに基礎系の分野とか、ねーから。バイオの基礎ってなに?具体的に言ってみろよ。ただの切手集めと同じ枚挙主義だろーが。バイオで"基礎研究"とか言ってるヤツは、オタクとかコレクターと何も変わらん。
純粋数学は基礎だけなので言わずもがなですし、物理は、どの分野でもニュートン力学から脈々と続く一つの論理体系に帰着されていくという"基礎"がある。化学だって、新しい反応機構の発見はこれまでの基礎に組み込まれるわけで、分子マスターになるためには必要だったりするわけですよ。で、バイオはあるの?ないだろ?「これはこれ、それはそれ」みたいなのは、基礎とは言わねーんだよ。
バイオで基礎やりたいなら、「生命とは何か」やらなあかんわけで、だったら、その根幹となる物理勉強してんだよな?って思うわけですよ。だから、生物学科上がりで「バイオの基礎研究してまーす」なんてのは、99.9%、その場凌ぎのイイワケ言ってるだけですから。
つーわけで、「基礎研究」って禁句です。
俺の前で言うときは、覚悟を持って言ってね。