たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

一年の終わりに

2011-12-31 20:31:42 | Weblog
 今年もそろそろ終了しますね。

 今年は何よりも震災で、まぁ、ホントに打撃を受けたわけですが、被災地以外の方も、この出来事が非常に衝撃的で、すべてがひっくり返ってしまう可能性があることを感じたと思います。
 個人的にも、この出来事も起因となって、何が大事なのか?をホントの意味で考えた一年でした。

 毎年毎年思うんだけど、こういう時期って、高校生が若いな、って思うんだよね。俺、もー、新年が来るくらいで、ドキドキとかワクワクとかしなくなっちゃって、こういうとこは歳なのよね。
 うーん、わざと、ワクワクぶってみるか。

 まぁ、この一年間も、俺らしく、過ごせたかな。それが問題なのかもしれないけど(笑)。

 っじゃ、とりあえず、よいおとしをー。
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カタチから入れればイイのに

2011-12-30 00:54:37 | Weblog
 今日は久々な友達と会ったり、久々に貸しスタジオを使ってアカペラ練習したり、かなり充実した日でした。
 修論も結構進んでいるし、ネタはそろってきているし、イイ感じ。

 いやー、それにしても、俺、やっぱスタジオ大好き。もう、最初っから、雰囲気がイイよね。
 店内に入るとギターが並んでて、英語で書いてあるチラシみたいなんが貼ってあって、バンドメンバー募集、とかもあってさ。んで、あっ、Cスタジオですねー、っとかコード捲きながら出てくるおにーちゃんがいて、部屋に入ろうと、二重扉の先には、真ん中にどーんてドラムが置いてあって、アンプもミキサーも、マイクスタンドも、どれをとっても、カッコイイ。
 そして、歌い出すと、おー、俺ら、音楽やってるー、ってなるし、やっぱり、楽しすぎる。

 これは結構、実験室も同じで、雰囲気が良いところってのはある。まずね、重要なのは、白衣。白衣を着ている率が高い研究室はイイと思います。カタチから入りましょう。
 クリーンベンチがあって、冷凍庫がデカイのがあって、シャーレが重ねておいてあって、ロータリーエバポレーターとかもー最高。ホワイトボードには、超難しい数式や複雑な化学式やプログラムの機構かなんかを示した図とかが、乱暴に描いてあったりして、うんうん、イイっ。
 だから、そういう実験系がある研究室のほーが絶対楽しい。理論研で、パソコンしか置いてない研究室よりも、いろいろわけわかんない装置があるほうが、即物的に手っ取り早く、楽しさが得られる。まずカタチから入らないで、何から楽しむんだ?!

 歌っててもね、なんか、スタジオで歌ってると、上手くカッコよく歌えてるような錯覚に陥る瞬間が来るんだよね、まぁ、幻想もいいとこなんだけど。
 でも、モチベーションって意味では、すごく維持できる。

 できること、いま、ちゃんとできてる。こういう系ではね。

 こういう実際に観えているようなことって、頑張りやすくて、ほんと簡単。頑張り方が明確なんだよね、俺にとって。
 感じとったことを信じていかないと結果に結びつかないようなコスパーが悪い曖昧な努力を常に続けることなんてできなくて。

 リアルタイムで感じとったことは、ほとんどのケースで正解だ、ってことはよくわかってるつもり。あとで下手に考えた結末よりも、その時に感じとったことが、何よりも真実。感性には自信もあるし。
 まぁ、運悪く、そういう努力が悉くダメダメになってきてるからなのかもしれないけど、普通に、耐久性とかの問題じゃない気も。。笑

 あぁ、あと、それに、一度、自分の価値を見直す時間も欲しいし。いくらなんでも、もう少し、高い位置に自分自身を大事にするラインを持ってきても良い気がしたからこそだしね。

 っさ、とりあえずは、今、出来ること。
 そればっかにならないように気をつけるために、多角的に目的を達成しながらも、TeXでそれっぽく修論書こっと。
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ホンモノにとって毒物なもの

2011-12-29 03:09:13 | Weblog
 (昨日の続きから)
 例えば、昨日紹介した、エネルギーを得る3つの方法を細部までよく知っているっていうのは、賢いことだと思う。

 何か即物的な言葉を得ること(グランドカノニカル)を目指して、その過程を踏むことによって、何かの本当の能力を掴もうとしたりもするだろう。
 魅力溢れる、いかにもみんなが好きそうな人を傍におくことによって(カノニカル)、自分も頑張るかも?、って期待することもある。
 さらに、とても上下関係などが厳しい世界に身を置くことによって(系そのものの空間的な寄与)、自分を高める人もいると思う。

 目指すは、どれも、ホンモノだ。ホンモノの能力を得たい、ホンモノの結果をみたい、ホンモノの関係を築きたい。実質的では無く精神的な素晴らしさを望んでいる。
 そのために、自分自身をよく知って、これらの賢い即物的な手法を、どの系にも、、本当にどの系にも適用させようとして、不器用になってしまうことは、もしかしたら、ありふれているのかもしれない。

 でもね、本当にここ最近想うことだけど、ホンモノに対しては賢く無難なイイワケや手法を付加させ続けてはいけない、ってこと肝に銘じておきたいと思う。それは、俺が、はもちろん、お互いに、みんなも。

 ホンモノになるかどうかに、即物的な賢さは一切寄与していない。賢くなくてもホンモノになることはいくらでもある。

 ただ、だからって、聡明ではなく即物的に賢くなったり、目的もよく考えずにとにかく努力することは無駄じゃない。
 ホンモノになった後に、即物的な賢さに依存して、そのレベルが異なってくるからだ。

 っま、でもでも、結果主義のお利口さんにとって、結果にならないんじゃダメなんじゃない?、よーわ、まずはホンモノにならなきゃ、意味が無いんじゃないの?

 まだ間に合うなら、今出来ることを考えるところから始めないとね。
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壁を超えるためには

2011-12-28 03:06:16 | Weblog
 さて、問題です。エネルギーってなんでしょう?正解は、「仕事」をする能力。じゃー、その仕事ってなんですか??仕事=力×距離(扱っている物体の移動軌跡Cに沿って力を線積分した量)だからー、力の空間への寄与です。

 力の空間への寄与をするために、その物体がとっておいてるのがエネルギーです。

 例えば、生物だったら、エネルギーをとっておいてるから、こうやってタイピングもできるし、瞬きすることもできるわけ。んね?、実空間に寄与しているから、エネルギーがあったってことよ。

 でも、このエネルギーって、移動させるときには、そのまま、ハイっ、って渡せるもんじゃないのよね。だから、複雑。物理系もしくは生物にエネルギーを加えるための手法は、間接的にしか無理で、いくつかあります。

 まずは、物体に付加して与える手法です。
 食べるってことね、マジそのまま。食べ物を食べることによって、俺というコンパートメントのなかにエネルギーが供給される。ちなみに、がっつり物理だけの系を考えても同様です。だって、質量があるってことはエネルギーがあるってことだから(E=mc^2より)。生体は、一部にしちゃうし、非常にゆっくり燃やすことによってエネルギーを得ています。統計力学でいうとこのグランドカノニカルアンサンブルです。

 あとは、外から熱を加えること。平たく言えば、外から温度を上げてあげること。
 よく、熱力学を教える時に、『熱が高いから今日はお休みします、は間違いだよ』って教えてるんですが、熱ってのは、エネルギーをやりとりしてるときに言うので、正しくは、『僕、今日、内部エネルギーが高いみたいなんで、欠席します』が正しい。
 えーっと、何が言いたいかというと、例えば、凍ってるアイスをちょっと溶かそうとして、手で温めたりするっしょ?あれは、定積変化で、エネルギーを渡す行為だよね、ってこと(内部が仕事してないで、質量は変わらず、内部エネルギーは高くなるから)。統計力学のカノニカルアンサンブルです。
 超基礎的なことをちゃんと言っとくけど、温度ってのは、物体の運動エネルギーだからね。

 さらに、同じようなもんだけど、外から、幾何学的に力を作用させてしまうってのも、エネルギーの加え方としてあると思います。
 持ち上げる、とか、無理矢理引っ張っていくとか。この場合は、統計力学的には考え方は無いのですが、熱力学的にあえて言うとすると、等温変化です。どっかから熱を貰ったら内部エネルギーには蓄えず、そのまま仕事にしてしまう、ってことね。生物、特にヒトの場合、それが恣意的にできるので、エネルギーのやりとりができている、って言えると思います。

 いま、っぱっ、っと思いつくのはこの辺ですが、あと何かあるかな??

 さて、こっからが、本題です。この3つのエネルギーの渡し方、そのまま、「やる気」のやり取りとして、考えてみましょう。

 グランドカノニカルアンサンブルを許されているとするなら、物体に付加して「やる気」を与えられるので、簡単です。実質的な仕事をしてくれた分だけ、物品をプレゼントするかお金を渡すかすれば、「やる気」になるのでしょう。
 カノニカルアンサンブルであるなら、自分が熱浴となって、魅力あるように感じてもらえれば、誰かにとっての「やる気」になります。
 最後の力学的な作用でエネルギーを渡すってのは、無理矢理、圧をかけるってことです。暴力でも、権威でも、無理矢理、そいつを動かすことは、結構出来てしまうもんです。

 エネルギーは常に保存されているように見えます。でも、日常生活ってのは、これを超えられるって部分があるからこそ自然科学よりも面白くって、この3つで動いてるうちは、ダメなんです。どんな系であっても、ホンモノじゃない。
 カノニカルの、誰かに感化されて自分も!、は一番即物的じゃないし、良いように感じますが、いつまで経ってもそれじゃーダメダメです。最初はそうでも、いつかは能動的に動けなかったら、つまらないじゃないですか。

 このポテンシャル障壁を超えるためには、好きになることが一番重要。もちろん、その対象は、そのモノ(概念)でも誰かでも、構わないけど、この好きになるって気持ちこそが、エネルギーの一番の供給口で、逆に言うと、それさえあれば、めっちゃ楽しめて、ホンモノに近づくんだと思うんだよね。

 いやー、なーんにも、好きになれないんですけどー、って??

 それは、上記した3つのエネルギーのやり取りに目がいきすぎてしまって、自分に内在する幼い頃からあるはずの当たり前の感情に素直にならないように、勝手にくだらない規制をかけてるだけなんじゃない?
 って、俺もだけどね。笑
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プラマイゼロのスタイル

2011-12-26 04:14:29 | Weblog
 『…て僕は思ってるんですよ。』
 【なるほどね。いやー、おっしゃるとおりだと思いますよ。でも、まだ、君の歳では言わないほうが良いと思います。】
 『えー。なんでですか?笑』
 【うん、すごくその通り、僕も同じ答えなんやけど、M2のくせにムカつくわ(笑)、早いうちからそんなこと言いだしてたら、大成せーへんわ。もっと武器を手に入れてから言ったほうがイイと思うね。】
 『あー。』
 【だって、そんなに論理やアイディアが確立していて、あんな腑抜けなのを間近に観てたら、くだらなくなってこない?】
 『まぁ、でも、そんなもんじゃないですか。』
 【なら、まぁ、いいけどね。】

 言葉で騙されるヤツを倒す、もしくは圧倒的上から論破するために、一番手っ取り早い方法は、さらに大きく強い言葉を持ってしまうのが、一番早い。だから、、まぁ、いくつか策はあるんだけど、そのひとつが、ちゃんと宣言するってことだと思う。

 誰も、言葉なんて、ちゃんと飲み込んで使わない。気をつけます、って言ってても、俺がいる時だけだったり、俺よりも強い言葉を持っている人の前じゃ、無難な言葉をただ言っておしまいだ。正しいことだけを言うことは、本当に簡単。

 『そこはさ、能力だから、、だから、身についてくれるのを待ってなきゃいけないかなって。』
 《いやー、だってさK君、少なくとも20年以上も、変わらなかったスタイルを、変えさす、って難しいよ。》
 『難しいに決まってるけど、なんとなく、能力が無い、ってだけじゃ、捨てきれないんだよね。』

 それは、俺が、そうだから、かも。あと2回、あと3ヶ月、待っていてくれたら、その能力を遥かに超えることができうるのに、って、思うことは多いから。
 それで、能力だけが、即物的な言葉だけが残ってしまう悲しさは、何度も何度も。

 〔…だという風に、言われるんですよ。さっきもそうでしょ?〕
 『薄っぺら過ぎて、返す言葉も思いつきませんね。そりゃ、うわべでは誰だってそう言いますよ。それに、少なくとも、あの子に関しては、あなたの何十倍も知ってます。そんなわけがありません。』
 〔あのさ、寂しくならないの?そんなに悪いほうにしか取らなくて。〕
 『むしろ、怖くはならないんですか?みんながあなたに気を使ってしまっていて。怖くならないことが怖い。僕は、あなたと違って、自分にとって都合のイイだけの幻想の世界には生きてないですから。』

 そりゃ、薄っぺらいサイドに、振り切ってしまえば、ラクだよ。見せかけだけをアクセプトして、誤魔化せるなら、どんなにラクか。

 『あのさ、普段、俺は、現実主義だって思われるほーよ。』
 <知ってるよ。K君は、所詮、現実はー、ってばっか言ってるほうでしょ?私はもっとそっち側に行っちゃってるって言いたいわけ?>
 『違う、全然。』

 夢見な気持ちに素直になれず、現実に観えてることしか信じられないから、即物的で薄っぺらくなるんだよ。

 『最後に、個人的な興味で訊きたいんですけど。。』
 【なーに?】
 『ずっとずっと、そのスタイルでやってこられたんですよね?』
 【そーだよ。】
 『そのスタイルだと、潰されそうにならないんですか?』
 【なるよーっ。そりゃ。】
 『潰されそうになる力に負けない、バイタリティはどこから来るんですか?さっきおっしゃってた、薄っぺらい感じになっちゃえば、ラクだな、って思うことありません?』
 【うーん、結局、半分じゃない?】
 『え?』
 【前に出ても、誰も言わないような本当のこと言っちゃっても、嫌われるのと同じ量だけ、すごい好きになってくれる人もいる。結局、同じだよ。まぁ、誰かのために、って本当に想ってないと可愛がられないけどね。笑】

 だったら、最初からゼロよりも、プラマイゼロのが、いっか。
 そんなこと、わかってるんだけど、やっぱり、、歳が足りないのかな。そんなこと一切想った事無かったけど。
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クリスマス2011

2011-12-25 05:41:27 | Weblog
 いやー、クリスマスっぽいこと何もしてねぇっ。笑
 今日も意地はってずっと修論書いてましたが、主要な部分は書いてしまったので、あとは、雑多なのとおまけかな。ちなみにこういうの書くの結構好きで、別に、好きなことやってるんだから、イイクリスマスだろ、ってのは、無し?

 ここ数年は、クリスマスソングを紹介していて、、って思って見返してみたら、去年も一昨年も「Have Yourself A Merry Little Christmas」だった。やっぱ、クリスマスソングとしては、俺の中の不動の一位かも。
 たしかに今年も、この曲も結構聞いていたんですが、クリスマスとはあんまり関係ない、でも、クリスマスシーズンに聞きそうな曲を、今年は多く聴いていた感じがします。

 そんな曲を2曲、紹介します。

 まずは、浜田雅功と槇原敬之の「チキンライス」。2004年に発売されたこの曲は、すっげー感動できるんですが、どこかお笑い要素も少し残ってて、いまだに聞いててイイんですよね。
 うちはそこまで貧乏ではなかったし、そんなに共感出来る経験はしていないんですが、即物的なモノがまったく無い悲しさ、って部分では凄く共感できるんだよね。「今なら何だって注文できる」けど、結局、昔の習慣に戻っていって、あの頃にも存在していた本当の豊かさを思い出したくなる、って、結構切ない。

 2曲目は、Micheal Jacksonの「Heal The World」。もう、ガチでクリスマスソングでは無いんですが、今年はこの曲と何かと縁があるなーって思います。
 今年は日本全体で色々あって、本当に何が大事か?、を考える機会が、少なからず多くの人に増えたと思いますが、そういうことを示唆してくれる曲。ミクロな世界での優しさがマクロな世界にいかに多くの影響を与えているか?、ってことを忘れないでいたいし、自分勝手さを形式化された言葉に当てはめて自分の都合の良いように使うことの無いように、ちゃんと自分の言葉を飲み込み続けて発言したいと思う。
 そんなことをはっきり伝えてくれている曲だと思う。

 どちらも、即物的なことよりも気持ちでしょ?、みたいな曲で、確かに、俺が好きそうな曲だな。笑

 さて、あと、今年の楽しみといえば、年末ジャンボです。
 もう、今年は、当たる予感しかしなくて、売店で買ってるヤツ見かけると、バカじゃないの?、もうすでに俺が当たり券を買っちゃった後なのに、っとまで思うくらい。
 って、超即物的なことを求めてますけど。。笑

チキンライス.mp4


Michael Jackson - Heal The World


have yourself a merry little christmas(アリーmyラブ2より)
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理系が身につけたい能力

2011-12-24 04:06:06 | Weblog
 今日はクリスマスイヴなので、どの分野の理系(理学部系)でも、最低限必要な能力をまとめてみたりしようと思います。笑
 理学系ならすべての学科で必要そうなモノをまとめてみます。その前に、だけど、前にもどっかで話したけど、一番使えるのは、高校数学だと思います。選択の範囲も含めて、高校数学で不必要な範囲はありません。

 【誤差解析・統計学】
 物理学の実験系でも理論系でも、化学の有機でも無機でも、生物学のin vitroでもin vivoでも、自然科学は実証の学問なので、必ず、誤差解析と、それによって得られる分布を考えるための基盤となる統計学が必要になります。実験をしない学科は、数学科のみ。それ以外の学科では必ず実験するし、数学を専攻していても数理統計学をやるので、どこで応用されるのかも含め、誤差解析や統計学がきちんと武器として使えるのは大切だと思います。

 具体的に、最低限知っていなきゃいけない知識は、「平均値」「分散および標準偏差」「ランダム誤差と系統誤差の違い」「最小二乗法を用いた線形回帰」「正規分布」だと思う。あとは、必要に応じて、調べて、その場で使えばなんとかなるけど、これらの知識はどの学科でも学部一年生のうちに正確に理解し、適切なシーンで使えるようになっていたほうがイイと思う。だから、エクセルの能力もこれに含まれる。
 これこそが、「理系」と言われる人は全員イイワケ無しで、確実にできること、にしていくべきだと思う。唯一、実社会でも、そのまま即戦力として使えそうだしね(確実にそうかどうかはわからないけど)。

 【プログラミングの習得】
 簡単な計算ができること、そして、簡単な系がシミュレーションできることは、どの分野でも使える。例えば、超簡単だけど、1~100の自然数を足し合わせるプログラムを、自分で最初から組める、というだけで、プログラミングが何もできない理系とは、一歩違うと思う。自分で最初から組める、というのは、パソコンを買ってきて、環境の設定をし、プログラミングを書くことが出来る、っということだ。

 ここからはこれまで以上にかなりの主観が入るけど、言語はなるべくなら、C言語から拡張されている、C++が、結局のところ、良いと思う。今一番使ってる言語ではないのだけど、文系でも知ってるC、ってのは、やっぱり、汎用性がある。よそに行ってもそのまま使えるというのが結構重要で、同じオブジェクト指向プログラミング言語であるPerlやJavaでももちろんイイと思うけど、やっぱり、高校生でも知ってるC言語やった方が続くと思う。Fortranとか、めんどくさいイメージしかない(笑)。

 【物理化学】
 熱力学と量子論。まぁ、よーするに、物理化学の教科書の前のほーに書いてある章は理解しましょうってこと。物理学と化学では当然必要な知識だが、生物学においても、その定義や対称性などを加味すると、必要なシーンが多い気がする。

 熱力学は、第一法則や第二法則、あとは、等温変化や断熱変化など、を、定性的に理解してることが大事。どーせ、物理学科以外のヤツの多くは、式の意味なんて大して理解して無いんだから、そういうことじゃなくって、どういう物理現象が起きているのかを、簡単な言葉でイメージできることの方が、どこかで使える率は高まる。

 シュレディンガー方程式とかも覚えていても仕方なくって、それよりも、量子力学の帰結を3つ、自分なりに理解していることの方が大事だ。「スピンの概念」「同種粒子は原理的に区別できない」「ハイゼンベルグの不確定性原理」の3つをおさえておくと良いと思う(統計力学的な視点にたっていることが簡単にわかると思うが、大抵、必要なのは使い方のほうなので。ただひとつの結論としては、不確定性原理が適当だと思う)。

 【LaTeX】
 いま、修士論文を書いていて、ガチで思うことだけど、Wordで書くのはカッコ悪い。笑
 本当に、TeXが使えるようになっていて良かった、それなりにそれっぽくなる、っと感じているので、是非、どの分野の人でも、数式を全く使わなくても、TeXで学位論文を書き、キレイにまとめて卒業した方が楽しいと思う。
 ただ、環境設定が面倒なので、どうにか頑張って環境をセッティングするまでは耐えよう。そこが一番の難関で、それ以降は簡単になるはずだ。

 【電磁気学】
 中々、そこまで行かないかもしれないけど、物質中の電磁気学、までお勉強すると、本当に使える。どうしても、真空中の電磁気学で終わってしまう人が多いのかもしれないけど、せっかくそこまで行ったなら、あと、ほんのちょっとだけ踏ん張って、誘電体と磁性体もお勉強しておこう。

 外部からの電場や磁場に対して定義される、分極ベクトルや束縛電流などの考え方が身につくと、系を考える時に、一歩、広い視点にたてる。


 しかし、なんとイヴに相応しい記事だろう。
 この6年間くらい、クリスマスって、なんやかんや仕事してる気がする。っで、意外と生活自体は余裕だったりもする。
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「しょうがないじゃん」禁止令

2011-12-22 03:05:53 | Weblog
 実質的に立ち止まってしまっている時に、最初にそれを扱った時の自分の違和感を素直に受け止められるかどうかは大切だと思う。
 だから、逆に、実質的に立ち止まってしまった時は、チャンスだとも思う。そこで、世間の感覚、自分が最初は変だと思っていたこと、自分は最初はイイと思っていたこと、から目をそらさないで、当たり前の気持ちに固執できるかどうかに、すべてはかかっている。そこで当たり前の感情に固執して、何が原因かを突き止めないとね。

 何も、それは、その場所から離れて、ブレークスルーしろ、ってことを言ってるわけじゃない。その環境下ですでに与えられている道具を上手く用いる処方箋になりうるのが、当たり前の感情だから、大切にしろ、って言ってるのだ。
 それをしないで、ただ、仕方ないよね、とか、しょうがないよね、とか、~~の世界はこうだから、とか、そんなこと言ってるヤツは、実質的にも何も得られないし、精神的な満足ももちろん得られない。

 仕方ない、しょうがない、で、止まってしまわないようにしたいよね。そういうスタイルで今まで来てしまったとしても、これからは。

 ただ、ここまでを精一杯きちんとやって、実質的に、俺からは何もできない、っという意味で、この状況が仕方ない、ってことはある。
 俺に限って言えば、走り回って、生活の中の殆どの時間で考えていて、あらゆる可能性から行動しまくってみて…、そのすべてについて報われる可能性が非常に低くても頑張っていたのに、、だったとしたら。。

 最初の頃の感情に戻ってみてさっ、何かの違和感やダメっぽいかも、って感情が少量でもあれば、結構すぐに、納得できるんだよね。ホントに一番苦しいのは、感情のなかで、どこの時刻にも違和感が無くて、むしろ、これこそ?、っと、最初に想ってしまっていると、実質的に立ち止まって、何も自発的に出来ない状態だと、崩れ落ちそうになるのかもしれない。

 まぁ、そう想えること、そのものが、幸せなのかも。
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70兆個のロバスト性

2011-12-21 02:55:39 | Weblog
 相手から本音を引き出そうと思った時に、手法は2つだ。ひとつは、長い時間をかけて、信頼関係を築くこと。もうひとつは、相手にホントのこと言いまくって、怒らせて、ボロをださせること。
 俺は、信頼関係を築きたいな、って思ったら、基本的に、どっちもやるけど(後者は抑えがちになるけど)、信頼関係を築きたくない相手やどうでもイイ相手には、時間をかけるのすらもったいないから、ガンガン本当のことを言いまくって、怒らせる。

 っで、ボロがでて、ほらー、やっぱり、そうやって(自分勝手に)思ってるんじゃないですかー、って、言うタイミングをうかがっている。それ言えた瞬間、俺の目的は、すでに達成されていて、っじゃ、さようなら。
 この方法のかなりの熟練者を、久々に観ることができて、楽しかった。正しいこと、優しいことに、この最高の手法を使っていたから、まだまだ、一縷の望みは、転がっているらしい。

 本当にそう思っているか?、っという質問は、常套文句だが、本当にそうは思っていないだろうからこそ、言っている一言だ。この質問に対して、いくら、本当に思っています、っと言ったところで、本当に思っていないことはバレバレだったりする。薄っぺらい発言やめろ、って、やんわり言ってやってるうちに、さっさと本音言えよ、ってね。

 ただ、薄っぺらいほうが、即物的なほうが、言葉を自分の心に飲み込んでいない、みんなが言ってる無難な意見を言ったほうが、ラクなことは十分にわかっているし、俺も、そっちに傾きたい瞬間は来るし、傾いてしまう時間帯だって、何回もやってきた。
 だけど、俺が、そっち側に完全に行ってしまったら、それこそ、大切な信頼関係を失ってしまうことになるし、期待を裏切りたくは無いから、そうなってはいけないんだと思う。

 どんなチャンスも、いつだって、一回しかやってこない。逃してしまったら、チャンスを自分で取りに行かない限りは、掴めない。チャンスはチャンスのままではダメで、チャンスを掴んで、そこから、合否がでる。
 その分、遅れてしまうから、本当は、ちょっとでも、即物的になってはいけない。即物的な瞬間にチャンスが来たら、終了だからね。

 まぁ、それこそ、その一回のチャンスを逃すくらいで、すべてがなにも無くなってしまう関係だったら、捨ててしまった方がイイかもしれないんだけどね。
 どちらにしても、精神的なコトを大事にできるか?即物的なことが重要視されるような期間、瞬間でも、そんなことは、ホンモノには、関係ねーから。

 この精神的なコトにこそ、個性があって、でも、かなりのロバスト性があるはずで、70兆個、すべてが、ゆらぎなく、貫いていくんだったら、何回でもターニングポイントはやってきて、結局は、逃さないようになってる、、かな??
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ほんのちょっとでも

2011-12-20 00:20:23 | Weblog
 言葉は自分の心のなかに飲み込みながら使わないんなら意味が無い。それを怠ると、非常に、薄っぺらい発言になるし、飲み込まないことが当たり前になってしまうと、何にも価値を見出せなくなってきて、まだ自分が手にしていない言葉ばかりをとろうとしてしまう。

 まさに、これが、言葉に騙されている状態。

 なぜ、こうなってしまってはいけないかというと、楽しくないから。逆に言えば、ただそれだけだ。
 そのせいで、誰かを言葉で傷つけることはあっても、実質的には傷つけない、というか、傷つけることはできない。少なくとも、ここにいる人は、そういう世界の人だと思う。
 だから、すべてについて、言葉を飲み込もうと、努力する必要はない。自分が大切にしていること、重要だと思っている系、大切な相手に対して、だけ、言葉を飲み込みながら、喋ればイイわけで、こういうことにまで真面目になって、ぎちぎちになってしまうと、それはそれで疲れちゃうよ?

 この、重要なシーンで、言葉を飲み込みながら話していく、ということは、自然と、状況を変えることに繋がる。
 少しでも、ほんのちょっとでもいいから、改善しよう、って気持ちが大事。そうすると、実質的には少しでも、精神的には大きな一歩だし、そういうことを繰り返していくと、本当にすごい変化を起こすことができるもんだ。

 状況をよくするために、前に進むことを忘れてはいけないよね。たとえ、それが、もうすでに経験していた状態で、後戻りからのスタートなのだとしても。
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Don't let the world win!2

2011-12-19 03:24:15 | Weblog
 科学はディフェンスである、と言われることがあるらしい。
 この言葉の意味は、何かを発表するとき、何かを紹介するとき、その理論や考え方を理解するときに、流れの中で、部分部分で疑われて、その説明が完備では無いんじゃないかと言われないために、守っていかないといけない、っということだ。つまり、怖い怖いツッコミ(オフェンス)に対して、準備をしておかないといけないよ、ってこと。

 この見地に立った時、ディフェンス力とオフェンス力は、それぞれ異質なものだと思う。
 色々な角度からのオフェンスに耐えられるような準備をすることと、あらゆるディフェンスをしている理論にオフェンスする突破力と、やっぱり、明らかに違う。よく、発表の場で、適切なツッコミをすることが得意な人が、自分の発表になるとなんとなく弱く観えることは、よくあることだと思う(ちなみに、俺はこのタイプかな)。
 多くの日本人は、自分がディフェンスするときにオフェンスされたくないから、他の人をオフェンスしない、とか、考えるんだけど、まぁ、それはそれで、結構、理にかなっている。俺は、オフェンスされたくないけど、違う理由から、他の人をオフェンスしまくったりもするけどね。
 最低限のディフェンスすらちゃんとできてないのに、オフェンスしまくるバカもいるけど、こういうのは、どういう神経をしてるんだろう、って普通に疑問に思う。この辺りが、俺がよく言ってる、正しいことを言ってりゃイイわけじゃねーから、の導入部分かな。もちろん、信頼関係があるんなら別だけど。

 ただ、やっぱり、この、科学はディフェンスである、という言葉が飲み込めない部分がある。
 多くのスゴイ研究者の方達はそう思っているけど、俺には≪いや、科学は、オフェンスでしょ。攻撃しまくらないと。≫っと言っていた悪友の言葉のが、どこか納得できるのだ。

 ディフェンス、ってのは、言葉を換えれば、ただのイイワケだ。そして、そういうイイワケの中だと、我々が正しいと納得するラインが下がる。何が正しいかが曖昧になる瞬間が、化学や生物の場合、とても多いように、俺は感じている。
 物理学は、かなり、実験と理論の値が一致するし、やっぱり真空状態や流動性が少ない物性ってのは、つまらないぶん、それだけ簡単なのだと思う。一方の化学や生物学の場合、分野にも依るんだろうけど、いろいろ理由をつけて、理論とあわない言い訳をすることが多いのだ。

 どうせ、そうなんだったら、もうちょっと、発想を変えてみた方がイイかも。どうせ、何が正しいかが曖昧になって、定性的にしか理解できないんだったら、思い切って、オフェンスしてしまう方が、色々なことが分かってくるのかも?!

 攻撃は最大の防御。
 この言葉を忘れてるよね。もちろん、科学の場合、それなりのネタと、それなりの自己無頓着性が重要になるけど。

 科学に限らず、オフェンス主体だと、滑稽だ。
 歌を唄うんだって、音やリズムについて、文句を言われないように、ディフェンスしながら唄ったほうが無難だし、誰かを仲間にする時だって、色々イイワケや大義名分を考えてディフェンスしたほうが自然。ディフェンス主体で行動する方が、攻撃された時にいくらでも言いかえせるから、世間体は良い。
 だけど、大きな成功はしないし、ホンモノなんて、そんなんじゃ、絶対、掴めない。

 多少、滑稽になってしまうリスクを冒しても、オフェンスは最大のディフェンス、だと考えて、世間を気にせず、自分の気持ちに素直になってみたら、意外と実質的にもSelf-Consistentで、素晴らしいモノに仕上がるのかもしれない。

 素直になることに勇気が持てれば、一般から脱せるのかもね。
 一縷の望みがあるってことっ。だから、世間なんかに負けるな!
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価値観を受け入れる度量

2011-12-17 00:39:15 | Weblog
 自分の価値観を他人に押し付けず、他人の価値観を認められるようになろう。
 …っという言葉は、矛盾している。その価値観を、いままさに、俺に押し付けてるじゃん。

 芸術の世界は、いかに他人に自分の価値観を押し付けるか?だと思うけど、俺は割とこの価値観に対する価値観が好き。だって、他人の価値観を認める、って言えば、聞こえはいいかもしれないけど、どこか突っぱねてる感じがする。よくよく考えてみると、冷たいよね。
 だから、相手の価値観を受け入れる容量を広げながらも、価値観を押し付け合えるような関係を望んでいる。これをするためには、当然、その奥にある信頼や想いが無いと出来ないけど、そうじゃないんだったら、意味無い気がして。

 ≪だから、結局、この公式を覚えればイイわけでしょ?≫
 『違うって。そういう風にしちゃ、ちゃんと理解できてないでしょ。』
 ≪だって、じゃー、どこを覚えればイイの??≫
 『しいていうなら、全部。』
 ≪全部?!≫
 『覚えて当てはめる、ってだけの視点だとしたら、話全部覚えないんだったら、どんな問題も結局解けないと思う。範囲が広いわけだから。』

 何が、大事かを、考えてみるべきだと思う。
 種々の系について、きちんと理解し、考究し、あくなき探求をすることが、必ずしも、素晴らしいことではない。だって、それじゃあ、いつまでたっても満足できなくって、案外、その辺に楽しさが転がっているのに、見過ごしてしまうんだとしたら、もったいないじゃん。

 もちろん、ちゃんと物理系を理解することは楽しい、と、多くの場合、俺は想っている。だけど、それによって、もし、どっかで楽しくなくなってしまうんだとしたら、やらないほうが良かったりすることもある。正しさなんて、ホントのホントは、全然、誰も、わからないんだし。

 さぁ、どっちをとる?もしくは、どっちもとれるような道を見出すことができる??

 『うーん、だから、そういうときは、電話して欲しかったかな、って。メールだけって、ちょっと。。』
 「あー。だって、普段、電話しないから、そもそも、その選択肢がないんよ。」
 『えー、そうですかぁ。。』
 「じゃぁー、今度からは、そういうときは、電話するようにするね。」

 っと、たとえ口先だけだったとしても、そう言えることが素晴らしいし、容量が大きい。
 まだまだ、全然、俺は、容量が足りないな、って思う。相手に受け入れてもらってばっかで。もっと、価値観を受け入れられるようになりたい。

 そして、即物的には、価値観を押し付け合えたなら、イ、、くもないかっ(笑)
 疲れちゃうもん、それがずっと続くんだとしたらね。
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強烈な一撃までのひと時

2011-12-14 00:48:36 | Weblog
 (昨日のつづきから)
 とはいえ、実質的に、いつもと違う時は、大切な瞬間だと思う。

 連続的な中で続けていくなら、日常の中のターニングポイントこそ重大だが、もう一度ゼロスタートする時には、即物的なターニングポイントだってやっぱり重要になってくる。そして、そのゼロスタートは、きっとゼロスタートではない。さらに以前よりも大きい一歩となりえるが、、そんなん、普通に、リスクが高すぎるだろっ!笑

 この、やり直しが何度も効く、ってことは、本当はありえないし、総体的に見た時には絶対もったいないけど、俺個人が求めているのは、そっちなのかもしれない。
 逃してはいけない、その瞬間、自分の思考も感情も、制御できなくなる。まさに、ガチで、身体が勝手に動いて、その場所に向かっていることがあるとき、あとから、逃さないで良かった、って思えて、もう一つ気持ちの中で超えられている。

 ここまで来て、やっと冷静な思考力によって解析できる。すると、案外、大したことないことで、普通に理解できることだったりするのに、自分にとっては強烈な言葉や理屈を突き付けられることになるのだ。

 それらが出来ることは、ただの能力に依ってるだけかもしれないじゃん?、と言われれば、その通りだ。
 だけど、出来ることは能力でも、出来ないからといって、きっと行動してしまう。事実、能力があっても、何も失っていないわけではないし、確実に存在してしまう損失の中で、破ってはいけないことを破らない能力と自分自身を守る能力をできる限り発揮することしか出来ない、というか、ぜんぶ無意識なんだけどね。

 時間、お金、結果、能力などを筆頭にして、即物的なことに、ホンモノは何も無い。
 それら即物的なことを本当の意味で失われなければ、心が満足することはなく、残酷な物理現象である敵に対抗する手立てはないことを、延々と続く教えに沿って、理解し、受け入れていく。

 今はまだ俺にしかわからない、俺を介在するその2人の偶然の重ね合わせを観ながら、この理論が正しいことを心から信じたいと思った。
 あの偶然こそが、それっぽい、かな。
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ターニングポイントを逃さないで

2011-12-13 01:35:04 | Weblog
 ターニングポイントはいつだって日常の中に存在する。受験や発表の場、明らかにいつもと違う瞬間に、ターニングポイントが存在するわけではない。
 日常生活の中の、少しの勇気や慎重さが、いかに大切であるかを分かっている人は、成功する人だと思う。

 毎日を即物的に過ごしていると本当にそうとは思えず、本当の意味でのターニングポイントを逃してしまうことになる。
 恐ろしいのは、そういう人達は、ターニングポイントを自ら逃していることを気がついていない。どんなに、相手が、周囲が、あからさまにわかりやすくそのポイントを指摘し、逃しているぞ!、っと危険を促しても、その重大さが理解できず、習慣や、それよりも堅い系についての信用が溶けず、っま、終わってからでいいか、っとなってしまっている人をみると、非常に怖い。

 そのターニングポイントを逃しては、絶対に元に戻れないこともあるのだということを、十分に理解していたいと思う。注意しなきゃいけないけど、ターニングポイントはタイミングとは違うからね。(だから、時間依存性がなかったとしても、ターニングポイントを逃しては、意味が無いのだ。)

 余裕があるときに、助けられるのは、当たり前。本当に優れているのは、優しいのは、自分自身も大変なときに、どれだけ、誰かのために!、とか、このターニングポイントを!、って思えるか、だと思う。

 ≪やっぱり、最後は、単語ですね、英語は。≫
 『あと熟語と語法ね。うむ、それに気が付いているなら、大丈夫。受験英語はね。』
 ≪えー、それだけじゃ、実用はダメですか?≫
 『実用は、そんなことじゃないって。』
 ≪じゃあ、あと何が必要?≫
 『っていうかね、ガチそういうことじゃないと思う。本当の意味で英語が出来るようになりたいんだったら、まず、Aグループになること(リアルを充実させまくれ)。日本人の中でAグループになれる能力が無いなら、英語でコミュニケーションとるなんて無理。たとえ、文字だけでもね。単語なんて、それに比べれば、どうでもいいレベル。』

 本当のこと、正しいこと、を言ってればイイ、ということは、どんな系についてでも、ありえない、ということを、俺がもっともっと、飲みこまないといけないと、最近、特に思っている。本当のことを言ってしまうことによって、それ以前の気持ちの豊かさが、絶対に戻ってこないことだってあるのだ、っということを、ちゃんと納得しないといけない。

 まぁ、その『絶対』が、物理的に、破られる瞬間がもしあるなら、それこそが、運命(命を運ぶ)なのかもしれないけどね。

 選んでいるのは俺じゃないけど、自分にも確実に足りない部分。
 罪悪感と能力が一緒に残るのと、そのどちらも何も残らないのと、どっちのがツライのかな?
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滑稽にみえても

2011-12-12 02:08:35 | Weblog
 何かを変えよう、って思ったら、まずなんでもいいから、一番目立つことだと思う。

 とにかく覚えられなきゃ、自分がもっていきたい空気にもっていくことはできないし、言いたいことを言うためには、ある程度、空気を占有していないと、難しいと思う。そのなかで、徐々に違う方向へ持っていったり、時には、強引に空気をガラッと変えたり、そこからの手法も多角的に動ければ、かなり手中に収めることはできる。
 まぁ、あまりに、特異的だと上手くいかないこともあるし、もう出来上がってる空気の中だとこれだけじゃ難しい部分もあるけど、たいていは上手く行くはずだ。

 そこまでもっていけたら、俺は、なるべく、本当のことを言いたい、って思っている。自分が本当に感じたこと、想った事を、そのまま言葉に出していける環境を望んでいるから、そっち側にもっていきたいなって思う。
 自分が本当のことを言うことによって、本当のこと言っちゃいけないラインが下がっていく。っで、そんなことを考えていない人まで、本当に想った事を言うようになる。空気を掌握してればなおさら。だから、自分の考えている以上に、一歩前に出る必要があって、こういうことを繰り返していくと、かなり、本音がみえてくると思う。

 こういう手法は、確実に、周りの人から教わってきた。かなり若い時からそれが出来ている人もいるし、みんな、もっともっと、すごく上手い。
 それが出来る理由の根源は、二体系におけるホンモノの存在以外のなにものでもない。確実な信頼関係が、どこかにいくつか存在していて、初めて出来ることだと思う。だって、どうしたって、失敗してしまいがちだからね。

 もっと前へ、もっと上手く、そういうことができるためにも、他のことはどうでもイイ、と思えるような、強く尊い関係を、さらに望んでいる。
 滑稽にみえても、笑っていられるように。
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