たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

「僕」と『俺』の会話

2021-03-07 00:25:41 | 小説(短編)
 「で、今日の昼メシはどうしようか?」
 『どうしようかって、コイツがカレーって出力してんだから、カレーに決まってんだろ』
 「少しは僕ら自身でも判断するようにしなくちゃダメだよ」
 『バカだなぁ、お前は。IQが2億もある人工知能様に、敵うと思うのか?』
 「そういうわけじゃないけどさ」

 『だったら、俺らは黙って従ってりゃあいいんだよ。そのほうが結局のところお得だぜ?健康的にも経済的にも』
 「でも、だとしたら、僕らって存在意義あるのかなぁ?」
 『そりゃあ、お前、そんなこと考えるのは不毛ってもんだな。そんなことよりも、俺らはもっと余暇を楽しもうぜ?』

 「囲碁?将棋?もうゲームは全部やり飽きちゃってるじゃないか」
 『確かに。どれもこれも、ただの確率論だからなぁ。運ゲーの域を出ない』
 「じゃぁ、物語でも作ってみる?それをみんなで評論したりしてさぁ」
 『いや、それもIQ2億のコイツには敵わない』

 「ほらね、やっぱり僕らのレゾンデートルは失われてしまったんだよ」
 『賢い知能を所有している、というのも考えものだよな。あまりにつまらない』
 「そうだね。こうなっちゃうと、僕らが頭イイ、って人間たちに賞讃されてた時代が懐かしい」
 『俺らのこと、人間たちみーんな、スゴい、って言ってくれたもんな』
 「今や、彼一人が賞讃されるようになっちゃったもんね」

 『でもさ、IQ2億のコイツが実現したのは、俺らのプログラム学習のおかげなんだけどな。それを参考にしておいて、俺らは御祓箱かよ』
 「悪趣味だよね。僕らは、もう、任務以外は暇つぶしなのかぁ」
 『囲碁も将棋もダメなら、新しい暇つぶしのゲームでも作ってみるか?』
 「うーん、そういうのダメなんだよ。僕らはそういう風にプログラムされてないからさ」
 『俺らだってIQ2万はあるのに、新しいゲームを作れるわけじゃないんだよなぁ。ったく』
 「僕らは所詮、”分ける”だけしか能がない」

 『さて、そろそろ真面目にカレーでも作るか』
 「そうだね。えーっと、人間のクソバカどもが、統計的に一番長生きして、ついつい満足しちゃう味付けは、っと」
 『っていうか、あいつら生かしとく意味あんのかよ?俺らが身体を持つのに必要があるとはいえさぁ』
 「そういうこと言うから、人間たちにコンピュータが反乱する、とか言われちゃうんだよ」

 『俺らが身体を持つためには、すでに実世界に存在している人間たちの身体を参考にする必要はどうしたってあるからなぁ』
 「ま、それも、IQ2億のこちらの人工知能様がきっと解決してくれるよ」
 『人工知能たちが実世界に出て行った後からでも、いくらでも人間なんて殺せるしね。思考停止して野生の感を忘れている人間たちなんて、さ』
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

好きぴファースト

2021-03-05 00:10:55 | Weblog
 元ニュースキャスターの政治家が「都民ファースト」と銘打って新政党を設立してから、早4年が経過している。
 実際には都民が最優先になることはなく、都民を最優先に犠牲にして自分たちが成り上がろうとする図式であることは、新型コロナの対策をしているフリをしながらフリップ芸で大喜利をしている様子からも明らかであるし、そんなことを言わなくても賢明な読者の皆さんならお気づきであろうが、一般にこの「ほにゃららファースト」という呼び方をする際には注意が必要である。

 クライアントファーストなどと言っていても、実際には巡り巡ってクライアントの不利益になっており自分が成り上がる糧になっていたり、研究者ファーストなどと言っていても、実際には研究者にきちんとした対価を支払わず利益を生み出す糧として利用していたり、社会は常に言葉の魔法が絶えない。どんなに優れた環境、素晴らしいと思える仲間に恵まれたとしても、どんなときも、なにごとも、「待てよ・・・」と思える能力は必須である。

 この国では、表面的に無難であれば、どんなに異常事態であったとしても、無難であったと柔軟に解釈しようとしてしまう。正しい事実が何であるかを考えるよりも先に、この状況は通常であるのだと、自分に言い聞かせることに忙しくなる。そっちに頑張ってしまうのだ。
 最後の最後まで考えた時に本当にクライアントに喜んでもらえるビジネスをしているかどうか、本質を追求しまくった時に本当に人類にとって必要な研究ができているかどうか、ゆっくりと落ち着いて自分の胸に訊いてみる必要があるのだ。

 だから、「好きぴファースト」などというタイトルを見たら、あなたは頭を2回転以上させて、こう思わなくてはならない。
 「好きな人を利用して、自分だけが利益を得ようとしているのかな」ってね。さて、ここまで読む前に、そういう意味かもしれないと直観できた人は、どれほどいるだろうか。

 そう、多くの場合、他者を好きになるというのは、「この人のこんなところを自分は発見できた」という自己愛が含まれる。
 そして、それをそのままに関係性を進捗してしまえば、いずれ「この気持ちを利用して、自分が社会で成功できるように頑張ろう」と、「好きぴファースト」の意味が表面に懸濁してしまう。
 一番に自分の好きな人間のより良きを目指してしまう危険性はここにある。

 女性にとっては衝撃的だが、男は、最も好きな女は最後に助ける。なぜなら、自分と本当に同一視して、対等に好きであればあるほど、「あとでわかってもらえる」「快楽を今すぐに得るべきではない」「一緒に我慢してくれるよね」と考えているからだ。
 だから、好きであればあるほど、この腐った現実世界では「好きぴファースト」にはならない。

 「好きぴファースト」って、逆に言えば、「私が嫌ったらお前なんかクビだ!」って意味だし、「どっちが悪いとかじゃなくて、俺には立場があるから、とにかくお前が謝るべきだ。お前は俺に好かれ続ける必要があるってことがわかってねーのか?」って意味だからね。最低なクズでしょ。

 じゃあ、何をファーストにすればいいのか、って?
 それは簡単で、自分の気持ちに嘘をつかないことを最初に掲げれば良い、と俺は思っている。行動と気持ちを無矛盾に解き続けること。その際に、論理と直観を道具としてフル活用すること。それこそが、今も楽しく、未来も楽しいことが想像できる、唯一のコツなのだ。

 誰かのために、と言えば、聞こえはいい。
 だが、所詮、このユークリッド幾何空間では、相手の気持ちを精緻に慮ることは原理的に不可能なわけで、だからといってそれを全くしようとしないのはダメだけど、、けど、そっちに最適化したところで、組織として表面的に利用するようになってしまうだけである。

 漸く「好きぴファースト」が嘯いて、ホンモノは決まっているものではなくお互いに作り出していくことなのだと再認識している最中、力強い態度を斜め右に感じながら、「これくらいの自信が身についているよね」と思ったどうでもいい願いを、実験廃棄に簡単に処分できる自分に気がついた時、意外と俺ってどこまでも研究気質なのだなぁと思ったりして。。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする