たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

Come again...

2008-06-30 00:50:12 | Weblog
 はぁ、毎日のループ生活が飽きてきた。そして、テスト、夏休みが入るから、ちょうど今が一番飽きる頃なんだけど。

 ってか、もう、6月もラストですか。はぁ、20数回、6月を経験してきたけど(笑)、こんなに忙しい6月は初めてだったかも。風邪と戦い、プレゼンと戦い、ordinaryと戦い、二重の意味で厳かな美しさと戦って、ちょっと疲れた。こんなに、頑張っているのに、俺の休憩を妨害しないでくれぃ~。

 さて、大学院入試に燃える(いやうちの大学的には『萌える』のか知らないが…(笑))卵を発見。俺も頑張らなければ。
 本当に優秀なのは、ただ単に日々をこなすレールに乗っかっていくマジメ君より、既成概念を打破したくって、現状に不満だらけで、どーにか壁超えようと必死こいてる、アホのほーだと思えてしまった。
 俺は、やっぱ、そっちに惹かれる。思えば、中学の頃から、そこに賭けてる気もする。そんな想いが、急に復活したのだ。

 ちなみに、その既成概念打破や壁超えをするための毎日をこなすレールという、高等ワザも存在する。でも、俺は、そんなの無理かな。器用じゃないし。

 金曜日は遊んでたいし、土曜日は家に居たくない♪そんなことも、絶対大事だと思っちゃうし。もう、予備校なんて無いんだし。

 だから、止めないで、響かせて。wireで繋がれた、ループ生活でもイイから。
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努力は、必ず、報われる

2008-06-28 22:33:23 | Weblog
 やっと、声が完璧に戻った。始めは風邪のせーで声が完全にでなくなり(久しぶりに最後までノドを壊した)、風邪完治後も、2週間くらいは戻らなかったが、今日やっと声が戻ったのを実感した。合計で1ヶ月弱、声が出にくかった。
 歌をやってる者にとって、ノドを壊すことは意気消沈を意味する。今回のは、裏声が出なくって、これはものすごいショックだった。元に戻るとわかっていても、本当にショックだった。

 俺の歌の最大の武器は裏声だ。俺は高い声をだすときに、張り上げずに、大抵、裏声を使う。通常、裏声になると、地声よりパワーダウンするのだが、それをいかに少なくするか、地声から裏声へ、裏声から地声への変換をいかに不自然にならないようにするか、長い間、練習をしてきた。そして、ある瞬間を境に、強い裏声、裏声っぽくない地声っぽい裏声を獲得し、パワーダウンを避け、変換を自然にできるようになったのだ。
 俺はもともと声が低い。何もしなければ、ベース音域を得意とする部類だろう。それを努力によって、今は最大で上の上のソ♭まででるし、どの音に対しても強さと弱さを操作できるようになった。

 この努力を完全に否定してくる風邪はマジウザイ。本当に、いらいらしてストレスが溜まってたし、怒りっぽかった。いやー、治って良かった。

 人間、努力してきたことを否定される瞬間は、本当にキレそうになる。あるものに対して、努力もしてない人間が、努力したのに無理だった人間に対して、「努力すればできたっしょ。」とか言ってはいけない。

 例えば、よく、「努力さえすれば、東大なんて、誰でも入れる」っと言うヤツがいる。東大出身であろうが、非東大出身であろうが、受験生であろうが、そんなことを言うヤツは、小さいと思う。
 しかも、努力もしてないヤツがそんなこと言ったりする。努力してから言えし、っと思うと同時に、超小せーっと思う。だって、それをイイワケにしてるだけじゃん。「頑張って頑張って、それでも無理なことだってあるさ」っと思える瞬間を味わえてない人は、もしかしたら、本当に不幸かも。

 あと、「やればできる」って言葉も嫌い。んじゃ、やれよ、っと思う。頼むから、真剣に努力をしてるヤツを否定する言葉を吐かないでくれ。

 それに反抗する言葉を書いて、この記事を終わりにしよう。

 「努力したからって、成功するとは限らない。でも、成功した者は皆、努力している」

 「明日、なろうなろうと思っているのか、今すでに、檜なのか。翌檜にすらなっていないのに、自分が檜か翌檜か?なんておこがましい。でも、もし、今、自分が翌檜になっていると本気で思えるなら、きっと大丈夫。檜になれなかったとしても、その想いは無駄にはならない」
 
 「努力は、必ず、ゼッタイ、報われる。努力して努力して、第一志望の大学に受からなかった、じゃー今までの努力ムダじゃんっと思うんだけど、その先、それ以降に、必ず、繋がっている。努力は、必ず、報われる。俺が保証する。」
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第一希望への道

2008-06-26 23:35:36 | Weblog
 第一希望だけを追いかけていると、第一希望に近づけないということはよくある。

 例えば、推薦以外の人で、うちの大学を第一希望でうちの大学に入った者は殆どいない。つまり、うちの大学に入りたいと思ったら、それ以上を狙っておかないと危うくなるのだ。同じような事は、多々ある。
 何か研究をするんだって、きっと、そうだろう。素粒子をやりたいっと思って、量子力学ばっかやってても、きっとダメ。わかんないけど、たぶんダメ。

 んなわけで、俺は、本当の第一希望を隠すことにした。隠して隠して、第一希望を確実にゲットする。それが卑怯だと言われてもイイ。愛のためならなんでもできる(笑)、っという言葉を使って逃げてしまおう。
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心に降る雨に濡れて♪

2008-06-24 23:15:44 | Weblog
 純粋なモノを見ると、汚したくなってしまう。

 いや、ぐちゃぐちゃにしてやろうって意味じゃなくて、世界は、もっと汚いんだぜ??って教えたくなる。正確に言うなら、「純粋に、キレイを着飾っているモノを見ると、そんなこと、汚いことに押しつぶされちゃうよっと教えたくなる。」ってとこかな。あー、やっぱ言葉にしちゃうとつまんないね(笑)。

 世の中は、汚い。平等じゃないし、身分や出身にこだわるし、それにアラがるザコどもが、さらに格差を発展していく。
 そんな中、暗に平等を主張したり、身分や出身にこだわるのは当たり前だという発言をしたり、などを「純粋に」している人がいると、悲しくなって、汚したくなる。もっと、現実をみてみろや~ってね。
 ほ~ら、結局、お前がキレイで素晴らしいと想ってることって、超汚い、ただの自分勝手な産物じゃねーかっと何かで見せたくなってしまう。

 非常に厄介な問題である。その人自身が相手を高らかにして、相手がもっと自分には特別な価値があると勘違いさせてしまうことは言うまでもないが、それ以上に、その人が本当に純粋であるから厄介なのだ。

 世の中は汚いが、希望はあるだろう。世の希望のカケラを見る事は至極少ないが、確実に何度か見てきた。雨に濡れて、歩きつづける歩道に、心に降る雨に傘をくれた誰かを見つけたみたいに。

 現実をきちんと解釈して、その中で最高の理想を語れることにこそ、意味があるのだ。
 だけど、その希望のカケラこそ、残虐の始りである可能性もある。天国を開けるトビラのカギと地獄を開けるトビラのカギは同一なのだ。
 この状況なら、仕方ない、試してみるしかないのかも。この状況が、単に続くよりは、進歩するだろうから。
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発表と個別授業の心構えの相違点

2008-06-23 23:50:55 | Weblog
 計算ミス、また発見。どうも計算力が落ちてます…。っというか、あんな複雑なの、どっかで間違えるに決まってんだろー、ってね。

 今日は、2個も発表があって、ちょっと疲れた。
 発表で心掛けていることは、「答えまでの方針は完璧に」「誰にでもわかりやすく」「ウケをちょいちょいとる」「結果、やったことを簡潔に言及」「全員の心の中に1つでも何かが残るように」「ある程度、無難に」「発展的な内容を少しちらつかせ、頑張ってる感をアピール」「なるべく日常用語を使う」など。
 発表中、全部を心掛けることはできましたが、上手くいったかにゃ…?やっぱ、想ってるのと、実際できてるのは別だから、不安…。

 どうだった??っと聞くと、「わかりやすかった」っとは答えてくれるけど、誰も「面白かった」っと言ってくれない…。うーん。俺的には、「面白いこと」っがベストなんだけどな…。だって、細かい計算や物理内容とか、興味ねーし(笑)。

 そーいえば、発表で心掛けている事と予備校の個別授業で教えてる時に心掛けてる事って多少、違う。
 個別授業で心掛けている事は、「なるべく難しい用語を使う」「わかりにくく喋り、しだいにわかりやすい言葉を使う」「例、日常とのからみは、豊富に」「結果、やったことを簡潔に言及させる」「発展的内容をふんだんに使い、勉強が足りん感をだす」「無難ではなく、目立つ授業を」「いつも何かが残る授業を」「ウケをちょいちょいとる」など。
 っま、根本は同じだけど、メインは生徒だから、多少変わってきます。
 集合授業では、おそらくプレゼン、発表の心掛けと変わらなくなるでしょう…。

 っはぁ、いつも、プレゼン終わった後が、1番、プレゼンしたい時期なんだよなー。
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1/10000000000の奇跡に期待して…

2008-06-23 02:40:03 | Weblog
 計算ばかりのレポートと発表の準備におわれる日々…。

 ずーっと、計算の符号が合わなくて、悩んでいた事が、たった今解決した。なんと、最後の変形で、イコールをまたいでいるのに、プラスマイナスを変えていなかった、とそれだけだった。

 数式とは、簡単で便利な道具である。考えるという思考を排除させてくれる道具である。つまり、きちんと立式さえしてしまえば、あとは事務的作業。
 だけど、ひとつでも行程を間違えてしまうと、まったく答えにたどりつかないし、大変な事態に陥る、例えば2時間潰すとか(笑)。

 それだけで、済めば良いけど、例えばそれが、生命に関わることだと大変。ってなわけで、俺の中のDNA複製に関わる酵素君達、誤差率10^(-10)の精度で、きちんと、頑張ってくれたまえ。
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いつもどおりのAUG START…!

2008-06-22 00:27:48 | Weblog
 なんだか日々のループにあきてきました。超すごーい変化が欲しいです、ただし良い変化でね。

 えーっと、最近の変化、最近の変化…。
 アカペラのほーは、新曲に突入。絢香の「三日月」とかやってますが、ヤローだけで歌うには、音域的にも、リズム取りにくさ的にも、音のばらつき的にも、ハイレベルな曲ですね。編曲したのは、うちのメンバーの1人だけど、「このメンツで単純なのは失礼だと思って…」って、そんなことねーよ、普通の作れよっと…(笑)。

 新しい曲をやるときのいつもの始め方は、「ひたすら通す」だ。ひたすらあわせて、慣らす。そして、論議し合う。
 「ここお前、ちょっと下がってね?うーん、1/8音くらい…」「ここの字ハモ、なんかテンポ上がるよね。」「そこは、rit.だから、気をつけなきゃ」「そこは、フェイクいれないでやったほーがすっきりするよ」「この、woo、やってる人とやってない人がいるんだけど?」 
 今のメンバーになってからというもの、細かい、細かすぎる。しかも、誰か1人がしきりっぱで、こーいう発言をするのではなく、全員で、言い合うから、気をつける部分が多くて大変。っま、超楽しいけどね。音楽に対して、ここまで、本気になれる仲間ができて、しかも心も、ものすごく通いあっていて、幸せだなーっと思う。全員がリーダーの集団って感じで、一人一人が強すぎるのに、協調性が生まれるってのは、スゴイなっと思う。

 他の変化は…、あ、イオン交換水を豪快に使うようになりました。だって、どーせ、減らねーし、ちまちま、細いホースからだすより、キャップとって、ドバドバって使ったほうが、気持ちイイじゃん。
 
 ってか、大した変化無いな…。変化に対して、いつも同じスタートだから、いけないのかな??
 たまには、メチオニンからじゃなくて、フェニルアラニンあたりから、いってみません??RNA君?

 あー、化学用語使ったから、嫌な事思いだっしゃった。今週の化学実験ノータッチ中。やばいやばい。
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褒め言葉の重要性

2008-06-19 03:21:28 | Weblog
 今日の化学実験は染色の実験でした。染色とは、やっぱり、なんか縁があるようで、テンションが上がった。いやー、染色技術って面白いっすよね。
 今日はうちのグループ、1人お休みで、そのせーで、B型のみのグループだったので、いろいろ大変でした(笑)。

 実験中、「くせー、キモーイ」とか言いながら染色原料を作ると、ちょっと上手くいかなかった。っま、すぐ軌道修正できたんだけど、「植物と同じで、『かわいいね』『キレイだね』とか、言わなきゃなんじゃね??」っとか思って、そんなことを言いながら作ったら、それ以降は上手くいった。
 各電子に微妙に思いが伝わり、それが量子論的確率で…、ってそんなわけあるかいっ!!

 実験結果…物理的確証が無くても、植物育生と染色作りと恋愛には、褒め言葉が重要なようです。さすがに、こればっかりは、シュレディンガー方程式からはでてきませんね(笑)。
  
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ε-δ論法からの再発

2008-06-18 00:28:56 | Weblog
 keiはパワーポイントが使えるようになりました。

 なんか、ドラクエみたいですが↑、マジです。あー、しっかし、Vista使いにくいね。うーん。どーにかして欲しい。
 うーん、慣れなのかな…。

 んなわけで、プレゼンの準備が完了したわけですが、そのプレゼンの問題が2つとも、ただの計算問題で、ちょっとつまんない…。いや、物理的意味が超大有りでも、それはそれで困るんだけど、でもさ、ちょっとくらい、物理やらしてくださいよ…。っま、良く言えば、簡単な問題でラッキー、悪く言えば、つまんない、って感じカナ…。
 
 っていうか、そう思うと、数学科さんってスゴイね。いや、そりゃ、ずーっと計算ばっかしてるわけじゃないだろーけど、でもさ…。良く言えば、スゴイ、悪く言えば、よくもまーそんな意味のなさそうな事にしょっちゅう取り組めますね(笑)。
 
 昨日は、物理と生物の話をしたので、んじゃ、今日はちょっとだけ、数学の話をしてみますか。

 俺は、どーも大学に入ってから、数学というものが苦手だ。よく言われる、「大学に入ると、数学は哲学になる」ってのに乗っかる気はさらさら無いけど、正確に言うなら、「わけわかんなくなる」だと思う(正確さを余計に欠いてる(笑))。
 だってさ、ε-δ法から、いまだにイマイチわかってないもん。「任意のεに対して、δが存在する時…」ってどういうこと??第一、「なんとかに対してなんとかが存在する」ってどういう意味じゃ??

 そう、国語の問題なのだ。俺は、数学科の試験には、現代文を課すべきだと思う。俺は、現代文にめっぽう弱い(センターレベルはある程度強くしたけどさ…)。まったくもって、よくわからないのだ。
 そのほかにも、テンソル、ヒルベルト空間論、群や環…etc、聞いただけで、ゾッとしてしまう。まぁ、ちょっとはチャレンジしていきたいのだが、そんな暇もないしね…。

 そして、いつの日か、数学に関しては、「っま、計算できりゃいいや。よくわかんないけど」ってなってる。この方針で困った事はない。ちなみに、純粋な数学系の授業は、試験前の「まる暗記」で単位をとりつづけている(1年から)。物理数学なんかは、案外、計算できりゃいいよ的になってるから、まだいいのだけど…。

 いや、やっぱ、立ち向かってみるか。この難しそうでとっつきにくい事柄に。来年あたり、気が向いたら(笑)。

 っま、高校の数学Ⅲくらいまでは、それに比べりゃ簡単ですよ。とっつきやすいもん。しかも、計算メインだし。頑張れ、大学受験生っ!
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理科の基礎である物理学

2008-06-16 23:43:16 | Weblog
 物理学は、そんなに好きじゃなくなってきてしまった。というか、自分には、あんまり、向いていない気がした。そんなことを、このページで書いてると思ったら、書いてなかったので、書いてみます。

 何故か、というと、まず、単純に、「もう結構、できちゃってるじゃん」っということ。いや、そりゃー、確率論などのオカシなトコはありますし、まだまだ統一論化できていないらしいから、やることは沢山あるんだろーけど、ぶっちゃけ、付き纏う細けー事なんて、どーだってよくね?(笑) 

 そして、もう1つ、こっちの理由のが遥かにデカイ。
 物理学の最終目標というのは、この万物の現象というのを、統一化された、ある1本の方程式で、すべて記述しようということだ(ちょっと不正確な表現だな…。詳細は物理学科に入ってください(笑))。つまり、初期条件が定まっていれば、すべての状態を予測できるということだ。

 「そんなの信じたくねー」

 だって、俺がこのメシを食うことも、誰かを好きになることも、曲や映画に涙することも、ビックバンから、いやもっと前から、決まってたって事でしょ?そんなの、イヤじゃー。俺の意思で、俺の考えたそのモノで、決めさせてくれ。いや、この意思すら、何かの方程式にのってる??、あー、やめてくれーい。
 (例えるなら、学校に行く途中で、授業に間に合うかどうかを楽しんでるとして、電車の時刻表から計算できちゃったら、つまんないっしょ??)
 なーんていうと、非線形な現象は(大変すぎて)予測することはできないっしょ、っという物理屋さんがでてくるが、そうじゃない。人間が予測できる事と決まっちゃってる事とは違う。物理学は、スベテは、もう決まっちゃってる事を示そうとしている。
 ちなみに、量子力学のユラギが、人間の思考に、どの程度影響してんのかという問題は、もっとイヤだ。偶然は、規定よりも、好きじゃない。運命は、好きですが(笑)。

 いくら感情系じゃなく思考系の人間でも、すべてを物理的に、無機的に、感情さえも数式や化学式で表したくはない。いや違うな…、賭けたいんだよ、そこに。感情に、数式や化学式は踏み込むことはできないってね。
 
 だから生物学、とも思わない。だって、生命現象をすべて理解しちゃおうとするのが生物学ですから。だけど、生物学をやるほーが、「やっぱ無機的に頭脳だけで、この世を示すことは、無理でした」って言える可能性があると思うんだよね。そこも考慮しなければならない学問だし。

 なんか哲学的になってしまいましたが、そんなわけで、物理をやってるだけじゃつまらないと思うようになってしまった。
 でも、この理科の基礎である物理ってのは、大事だし、このベース(基盤)が無いと、ホントはどうなのかもわからないから、やっぱり物理が好きっちゃ好きなんだけどね。
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今年のオモイ科目

2008-06-16 01:08:27 | Weblog
 そんなわけで、いつの間にか、ちゃんと生化学もやらなきゃいけないみたいです。いや、ちょっと、色々あってね…。
 試験受けないつもりだったんだけど、履修してなくても試験受けて通れば単位あげるって直々に言われちゃ、受けないわけにはいかないしね。こーなったら、マジで生化マニアになってみるか。物理学科の生化2番手くらいにはなれるかな…。

 趣味だからこそ楽しかったというのは、よくあるもんだ。物理がそうだったし、大学受験もそうだったし、そーいや英語もそうだ。
 生物学、生化学だけは、そうはなりたくない。音楽と同様に、人様からそれでお金をとるようになっても、好きでありたいと願う。

 今年のオモイ(重い、想い)科目は、「量子力学」「統計力学」「生化学」で決まりかな。
 去年の「電磁気学」「統計学」「量子力学」に比べると、だいぶ現実的かな(笑)。
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何が残酷なのか。

2008-06-15 03:59:35 | Weblog
 中学の頃、俺は大抵の大人が嫌いだった。

 中学生にとって、「大抵の大人」というのは、センコーの事だ。うちの学校は勘違いしてる輩が多くて、自分が先生だからって、くだらない事で俺等をイビってるよーにしか感じなかった。
 頭髪、服装、寄り道、MD、ケータイ…、楽しいか?そんなことで、俺達を判断して、楽しいか?髪が長い事がなんなんだ、服装が乱れてて何が悪い、寄り道するなってじゃあお前らもするなよ、MDくらい聞かせてくれ(今の中学生はi-podなのかな)、ケータイって持ってるほーが安全じゃん?っと考えていた。

 クダラナイ校則というのは、どの学校にも存在する。きっと、最初に校則を導入した時は、生徒の安全を願って取り入れたのだろーけど、途中から変わってきている。「先生=偉い」って方程式を証明するために、生徒は俺等に従え!ってことを間接的に言うために、校則を作るようになってしまった。そして、校則を守らないとダメになる、成績が悪い、とか言い出す。
 俺は、今、髪は長いし、茶も入ってる。i-podだって学校に普通に持っていくし、ケータイだって持っていく。寄り道もしまくりだし、あの時以上に流行りモノが大好きだ。でも、学校の(大学の)成績は超イイぜ?頭切れるし。っていうか、一流大学だし(^o^)丿?

 はっきり言って成績と校則を守る事は、なーんにも関係しない。それと同等に、立派な人間性と校則を守る事も、なーにも関係しない。
 学校ってのは、「学校が受け入れられないモノを生徒に変えさす力」ってのには長けているが、「生徒が変えられないモノを学校が受け入れる力」に欠けている。少しでも、みんなと違う事だったり、前例が無い事だったりすると、妙にテンぱり、「やめなさい、場をわきまえなさい」と言ったり「今まで、そんな事する人は、いなかったよ?」っとか言う。
 それは、民主制を欠いている。みんな違ってみんな良い、という精神で行かなければならないのに…。学校は「これが普通」ってのを相手に押し付ける所だと言うなら、寺子屋に戻した方が、日本人はもっと豊かに暮らす事ができると思う。 

 今、俺は大抵の大人を可哀想に思う。

 何故かといえば、何より「楽しそうじゃない」からだ。毎日をとても楽しんでるようには見えない。腰が低く、上下関係に齷齪し、仕事=嫌な事だと思ってるし、多角的にモノゴトを見れないし、1つの集団に固執しすぎている。
 夢を捨てる事が大人になることなら、俺は一生大人にはならない。なーんて、尾崎の歌詞に出てきそうなこと言いましたが、マジで、「楽しそうな大人」がもっと周りにいたなら、みんなもっと勉強すると思う。
 どーせ勉強したって、どーせあーゆー風になるのかよ…っと思うと、勉強する気にならないのは、あったりまえだ。カリカリ勉強して、てめーらみたいになるんだったら、スポーツ選手や芸能人、歌手などになりたくなるのは、当然の事だ。

 そんなことを、こないだ、高校の先生と電話で喋ったら(あ、みっちゃん、数学の彼です(笑))、「そうかも。俺等の時代は、高度成長で、勉強したらその分、金持ちになれると思ってたし…。」とおっしゃって、『でも、僕の周りには、楽しそうな大人が、多いですよ』「おお、そうかそれは良かった、でもなんでだろ??」『いや、そりゃー、そうじゃないですか。』

 「夢」なんて、大それたモノじゃなくて、現状を変えるっていうか、ちょっとでもその変化を楽しんでいるかってのが、大事な気がする。自分を年齢や役職や学歴で過信するのじゃなくて、自分が今、この時点で、勉強している事、仕事している事、研究している事、読んでいる本、もっている趣味、磨きあげている能力、などに自信とプライドと誇りをかけて、生き抜いている人は、子供からでも素晴らしい人生に見える。

 俺の本当に周りにいる大人は、みんな楽しそうだ。俺は彼等に憧れる。そういう風に生きれば、歌手にならなくても楽しいのかっと教えてくれた。
 だけど、少なからず、毎日の流れをルーティンで、生きているだけの大人もいる。すると、大抵はこっちなんだなって気がつく。

 ずっと、いつまでも、そんな世代的ルーティンを続けるつもりなのか??上にたっている人を羨ましく思たら、努力もせず「時間さえ過ぎればあのようになれる」っと時間を待つのか。やだね、俺はそんなのヤダ、そもそも上にいる人を羨ましく思わないし、上にたっている人に、仕事と関係ない要求されたら(コーヒー買ってきてとか)、「そうゆうことは、自分で行きゃいいんじゃないっすか?」って言うだろうし。

 この無駄な年功序列や学歴のレールは、ムダに人の弱みになる。その人の弱みに付け込む集団が予備校だったりする。だから、根本的に予備校は好きじゃない。だけど、今の現状の予備校は仕方なく、けっこう好きなんだよね。
 それは、本当の学校がいかに腐ってるかを示している。放任と言う名の無法地帯、管理という名の抑制と寡占、予備校任せの授業、そして、その甘えに甘える生徒、自分たちにはポテンシャルがあると現状に努力もせず思っている生徒…。もう沢山だよ。

 「例えばさー、生徒が医学部に行きたいと思ったら、努力さえすれば行けるような環境をその公立高校だけで作ってやらなきゃいけないんだよ」『そうですね。高校内で頑張ってるヤツが希望の大学に行けることは、本来当然のことですから』
 1ヶ月くらい前の電話だが、その3年前、俺が浪人した時、怒られると思ったら、
 「生徒が必死でやっても受からないような、この学校が悪いんだ」っと最後のレポートに記してくれた事を思い出したりした(注;俺は現役時、予備校には通わなかった)。それは俺の努力が足りなかっただけですっと、俺はそう思わなければならないし、普通にそう思っている。だが、供給側が、このように言ってくれる事は、すっと肩の荷が下りるような気がする。

 うーん、微小量でも(俺の周りには多いけどさ)、こんなにスゴイ教育者、こんな風なスゴイ研究者が、いらっしゃるこの教育界に、感謝をしなければならないのかもしれない。
 本当に純粋な気持ちで、教育、研究をされている方々を、僕は一生懸命、応援します。
 
 やっぱり、レールに乗っかりすぎて、乗せられすぎて、降りれなくなってしまう事のほーが、レールから落ちる事より、残酷なのかもしれない。
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PUNCTUALISM

2008-06-13 23:14:26 | Weblog
 今日は、実験のプレゼンだったんですが、ぴったり規定通り15分に終われました(正確には14分48秒)。無意味に、すげー嬉しい。風邪で声を出しにくい中、よく微調節ができたなーっと思ったりしました。
 そーいや、こないだのライブも10分にきっちり収めたっけ。最近、調子良いな、そうゆうの。

 俺は、時間に、うるさかったりする。時間通り、きちっとじゃないと、ダメ…ってわけではないが、事実、待ち合わせの遅刻も多いし、だけど大勢の人に迷惑かけるよーなのは、ダメ。逆に言うと、俺が遅刻してきたってことは、それだけ、あなたを信用してます、あなたが空気になってきました、愛してます、ということだったりしますが(笑)。
 んなわけで、明らかにアンチがいるようなシーン、早く終わってよーって人が確実にいるようなシーンでは、時間通りきっちり収めます。というか、時間ぴったりにスベテを注ぎます。

 いや、でも、ちょっと考えてみてくださいよ。時間軸って絶対戻せないんですよ。座標軸は、戻せます。落としたもの拾えるっしょ?時間って絶対戻らないんですよ。案外、理にかなってるよね、理には。
 そんなわけで、今日は、時間ピッタリのススメをしたりしてみました。
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実験は理論に先立つ

2008-06-12 00:14:25 | Weblog
 今日は、前に言ってた、俺が理系にいった夢が1つ叶いました(2006年4月~5月頃過去記事参照)。化学実験で、爆発しちゃったんです。いや、笑い事でもなんでもないんですけど。
 攪拌しなければならないところを、グループの中で誰もやらなかったんですね…。したら、液体がいきなり、ボン。誰もケガしなくて良かった。危ない危ない。
 
 皆さん、化学実験は、指導者に従って、正しく作法を守りましょう。今日の事故も、防護メガネをしてなかったら、危なかったかもしれません。
 って、説得力がないか…。
 その後も、実験のプレゼンの準備しながら、別のプレゼン作り…。

 「実験は理論に先立つ」。正直、実験はあんまり好きじゃないけど、自然現象のが、数式や反応式よりも高級なモノな気がします。厳密さを重視するよりも、俺は少々厳密さは欠けても現象を正しく理解したいです。
 そんなわけで、実験づくしの1日終了。
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秋葉原の事件について

2008-06-11 00:30:36 | Weblog
 色々な事情から、今日までこのページで話さなかったが、秋葉原の事件については、相当、動揺している。悲しくて、怒りを感じ、どうも言葉にしてしまうと、それだけになってしまうのがイヤだけど、事件のニュースなどで、かなり心を乱した。この事件は、何故か、まったく他人事に思えない。
 そんな、まだ話したくない内容を、今日、英会話の授業でふられた。今は本当に話したくない内容だから、その話題には何も口にしないどころか、頷くことすらしなかったが、またそこでさらに怒りを感じたりもした。

 そのあと、そんな鬱な想いにさせるモノから逃げるために、無機的な計算や物理などばかり考えてた。疲れてるし、風邪もひいてるから、ちょうど逃げやすかった気もする。
 生物学はこんなときダメだね。生命のワードが出てくるたんびに、色々なことを思い出してしまったりする。生物学が、「頭」のみじゃなくて「心」でも語らなきゃいけない事は、良い部分であり悪い部分でもあるなっと思った。
 
 でも、いつまでもイヤがってもいられない、徐々にでも事件について考えなきゃいけない、思わなくてはいけない。ただ、今言えるのは、想像を絶するほどの残酷な事件を、たかが1年や2年考えたくらいじゃ、全然その残酷さから学び取っていないだろうって事と、俺みたいに事件に直接関係のない人間は、その事件から何かを学び取る事しか結局できないのに…という事。
 いつか、いつの日か、口を開ける日がくるのだろうか…。
 とにかく、この事件については、まだ語りたくないし、語る資格が無い。ただ、関心がないのではない事を記しておく。

 この世界が、少なくともこの日本が、毎日楽しく、みんながみんな笑えて、安全である、そんな風になることを、願ってやまない。
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