絶対に乗り越えられないとわかっている壁に対してどう立ち向かうべきだろうか?
本当の限界を目の前にして、ここからどういう風に意味のある時間を過ごそうか迷っているとき、決断までの時間はそう長くは無い。こういうときにこそメンタルを試される。
最後まで諦めない、と言葉で言うのは簡単だが、それを実行するのはものすごく難儀だ。
例えば、この前の日本-コロンビア戦、3点目を決められたときにあそこから気持ちを持ち直すだけの強さをあなたは持っているだろうか?そこからさらに4点目を決められ、それでも、「ワールドカップで得点を決めたら、それだけでヒーローだろ?」っと思ってゴールに向かえる姿勢を、俺は持ってているかな?
最後まで諦めない、というのは、そのような滑稽さを呼ぶ。
俺は、たぶん、大学専門課程以降の数学が要求する思考力のレベルを超えられるようには、一生なれないだろう。
それをするためには、学部から数学科に入り直して数学を学び直さなくちゃいけないし、そうやったとしても、どこまでいけるか、高が知れている。
それでも俺は、自分の論理性や思考力、使える技術を身につけ、それらを可能な限り向上させ、適材適所でそれらを発揮する能力を得ることを諦めない、っと言葉で言うことは簡単だが、、意識していたって、論文や本を探しているときに、テンソルや群論の記号を見るだけで(それも物理系の文章で)、めんどくさそうだし、これが本当に必要かどうか微妙だから、必要だったらこれにチャレンジしよう、戻ってこよう、と思って、そのままになってしまうことが多い。
こういうことは理系が気がつかないうちに誰もがやってしまいがちだ。これを読んでるような人で、自分にはそんなことは絶対にない、って人は、それにすら気がついていないだけ。
化学を専攻している人は、自分の数式理解における拙さによって自信が無いケースが、ものすごく多い。生物を専攻にしてる人は、自分の化学式や数式における理解が高校生のそれとまったくカワラナイ(どころか劣っている)ことに、自信がないことがとても多い。
では物理は?数学か?っと思いきや(そういうこともあるのだが)、実は、物理を専攻とする人は、他の理系学問に対して非常に世間知らずであり、それがゆえに自信をもっていないことが多い。例えば、マイクロメートルがどれくらいの大きさなのか、スペクトルと色、液体窒素の温度、何を溶媒として使うか?、大気の動きなどについて直感的に、これくらいだろ!、ってわかる人は意外と少ないと思う。
それらは、たぶん、一生克服しきれないものだと思う。しかし、諦めてはいけない。理系である限り。
それを諦めたとしても、理系として(研究者として)生きていけるさ、と思ったとき、それは、あなたが、理系として死んだときだ。権威や政治力学では実力に敵うわけが無いし、諦めていない人材にいつかは殺されてしまう。
しかし、こういう死んだ人間が多いのが、研究の世界であり、大学や研究機関であり、その原因は理系が相互評価しているせいであるのだ。諸悪の根源はここにある。
相互で評価し合うから、政治力学が発生し、アカデミズムの頂点であるはずの学会でも毒にも薬にもならない意見しか言えず、そのせいで無意味な研究が盛んに繰り返され、本当にやる気のある人間は死んでいき、ヒエラルキーの上の者を讃え下の者をみなで不当にバカにし、人を不条理に蹴落として自分たちの存在意義を守り、しまいには捏造までしてしまう、人として最低な人間だけが、科学の世界に残っていってしまうのだ。この日本では。
まぁ、必ず変わる。それは、こういうことを改善することについて諦めない人間が各分野に少数ではあるがきちんといることを、俺は知っているから断言できる。必ずあと10年で、大きく変わると。そこにぜひ助力していきたい、というか、先導したい。
って、口で言うのは簡単なんだけどね(笑)
自分の一言一言が、周囲を大きく変える。少しの一歩が、周りが自分を見る目を変えていくし、それが集団を変えていく。自分が動けば、必ず変わる!
一言一言、常に本気で考えるべきだし、かといって、ちゃんと一歩一歩前へ、考えすぎて行動できないようにならないようにしないとね。
その一歩を確実に歩み続けてさえいれば、一生超えられない壁だと思っていた壁を、いつの間にか易々とクリアしていた、なんてよくあることになっていくのだと思う。
だからさ、諦めんなやっ!
本当の限界を目の前にして、ここからどういう風に意味のある時間を過ごそうか迷っているとき、決断までの時間はそう長くは無い。こういうときにこそメンタルを試される。
最後まで諦めない、と言葉で言うのは簡単だが、それを実行するのはものすごく難儀だ。
例えば、この前の日本-コロンビア戦、3点目を決められたときにあそこから気持ちを持ち直すだけの強さをあなたは持っているだろうか?そこからさらに4点目を決められ、それでも、「ワールドカップで得点を決めたら、それだけでヒーローだろ?」っと思ってゴールに向かえる姿勢を、俺は持ってているかな?
最後まで諦めない、というのは、そのような滑稽さを呼ぶ。
俺は、たぶん、大学専門課程以降の数学が要求する思考力のレベルを超えられるようには、一生なれないだろう。
それをするためには、学部から数学科に入り直して数学を学び直さなくちゃいけないし、そうやったとしても、どこまでいけるか、高が知れている。
それでも俺は、自分の論理性や思考力、使える技術を身につけ、それらを可能な限り向上させ、適材適所でそれらを発揮する能力を得ることを諦めない、っと言葉で言うことは簡単だが、、意識していたって、論文や本を探しているときに、テンソルや群論の記号を見るだけで(それも物理系の文章で)、めんどくさそうだし、これが本当に必要かどうか微妙だから、必要だったらこれにチャレンジしよう、戻ってこよう、と思って、そのままになってしまうことが多い。
こういうことは理系が気がつかないうちに誰もがやってしまいがちだ。これを読んでるような人で、自分にはそんなことは絶対にない、って人は、それにすら気がついていないだけ。
化学を専攻している人は、自分の数式理解における拙さによって自信が無いケースが、ものすごく多い。生物を専攻にしてる人は、自分の化学式や数式における理解が高校生のそれとまったくカワラナイ(どころか劣っている)ことに、自信がないことがとても多い。
では物理は?数学か?っと思いきや(そういうこともあるのだが)、実は、物理を専攻とする人は、他の理系学問に対して非常に世間知らずであり、それがゆえに自信をもっていないことが多い。例えば、マイクロメートルがどれくらいの大きさなのか、スペクトルと色、液体窒素の温度、何を溶媒として使うか?、大気の動きなどについて直感的に、これくらいだろ!、ってわかる人は意外と少ないと思う。
それらは、たぶん、一生克服しきれないものだと思う。しかし、諦めてはいけない。理系である限り。
それを諦めたとしても、理系として(研究者として)生きていけるさ、と思ったとき、それは、あなたが、理系として死んだときだ。権威や政治力学では実力に敵うわけが無いし、諦めていない人材にいつかは殺されてしまう。
しかし、こういう死んだ人間が多いのが、研究の世界であり、大学や研究機関であり、その原因は理系が相互評価しているせいであるのだ。諸悪の根源はここにある。
相互で評価し合うから、政治力学が発生し、アカデミズムの頂点であるはずの学会でも毒にも薬にもならない意見しか言えず、そのせいで無意味な研究が盛んに繰り返され、本当にやる気のある人間は死んでいき、ヒエラルキーの上の者を讃え下の者をみなで不当にバカにし、人を不条理に蹴落として自分たちの存在意義を守り、しまいには捏造までしてしまう、人として最低な人間だけが、科学の世界に残っていってしまうのだ。この日本では。
まぁ、必ず変わる。それは、こういうことを改善することについて諦めない人間が各分野に少数ではあるがきちんといることを、俺は知っているから断言できる。必ずあと10年で、大きく変わると。そこにぜひ助力していきたい、というか、先導したい。
って、口で言うのは簡単なんだけどね(笑)
自分の一言一言が、周囲を大きく変える。少しの一歩が、周りが自分を見る目を変えていくし、それが集団を変えていく。自分が動けば、必ず変わる!
一言一言、常に本気で考えるべきだし、かといって、ちゃんと一歩一歩前へ、考えすぎて行動できないようにならないようにしないとね。
その一歩を確実に歩み続けてさえいれば、一生超えられない壁だと思っていた壁を、いつの間にか易々とクリアしていた、なんてよくあることになっていくのだと思う。
だからさ、諦めんなやっ!