たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

過去からのモチベーション

2012-04-29 04:18:49 | Weblog
 物理的に無理なことは存在する。無理、って結果が出るのは、長い時間かかることかもしれないし、無制限のこともあるかもしれない。それに対して、出来る事をしてみたり、足掻いたり、何もしないで時間を待ったり、いろいろだけど、自分が先駆者になるほどの能力があるかどうかってのを、冷静に考えていかないといけないと思う。
 だって、物理的に無理、って不可能なことを可能にするためには、開拓だから、研究レベルの思考力が必要ってことだ。自分で問題発見し、テーマを決めたまでは良いけど、大丈夫そう?

 っま、そんな危機的状況でも、何もしないくせに、文句言ったりショック受けたりしちゃダメだよね。たとえ、物理的に仕方ないことでも、この結果だってわかってたのに、何も努力しなかったくせに、時間だけ過ぎるの待っていたくせに。
 ある程度、頑張っていたなら、もちろん愚痴を言いまくるのは良いけど、それも、ちゃんと自分にフィードバックさせないなら意味が無い。

 ただ、努力しても、ついにあきらめてしまうこともあるし、ダメって結果がでることもある。そういう場合にも、今できることをしなきゃいけないと思う。
 頼りなくても、出来るだけのことはしたくて。遅すぎる言い訳。

 それだけ本気だったのかもしれないけど、物理的に無理なら仕方ない。
 絶対に変えなきゃいけないって緊張感は完全になくなったけど、それでも、ほんの何ヶ月か前の自分を思い出して、今できることを一つずつ、やっていこうと思う。
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平衡系のABC理論導入

2012-04-26 01:07:44 | Weblog
 ノリの良いほうから、人間を、Aグループ、Bグループ、Cグループ、ってランクづけるの(笑)、思えば高1からそんなこと言ってるから、もう10年近くになるのか。
 これ、わかんない、って人はいないと思う。

 『だーさ、学校のクラスとかでさ、グループあるでしょ??みんなここまでは口にするんだけど、そのグループ間に優劣があることまでは言わないんだよねー。』

 ついに今年、イギリス人のお友達が出来て、彼にも受け入れられたので、この概念は海外デビューを果たし、より確実な理論となったのだ。うんうん、やっぱり、意味のある研究ってのは、10年くらいかかるってわけね。そろそろ論文にするか。したら、学振の業績項目、増えるし(笑)。ガチ、本一冊分くらいは、書けるだけのことを考えてきたけどね。
 っていうか、一応、高校の教員免許とか持ってる俺が、こんなこと言っててイイのか、っていつも思うんだけど、まぁ、別に、グループ分けがあるから、どうってわけじゃなくって、存在しちゃってるのは俺のせいじゃないし。いじめがあるのに、いじめがない、とか言いはってる教員よりは、ちゃんとその存在を認めた方がイイと思うんだよね。ちなみに俺は、、どーせ、Cグループだし。

 ただ、こう分ける以上は、所属に依って物理現象が異なるから分けているわけで(高1のときにそこまでは思ってないけど)、そこには同一の性質が存在しながらも異なる現象がマクロスコピックに存在するのだ。
 例えば、面白いことに、多くのAグループの人達は、自分がAグループであることに絶対的な自信を持っていない。お勉強ばっかりしてるCグループの子が、実はお勉強に対してそんなに自信があるわけではないことに似ている現象だけど、その本質はなんだろうか?

 その人を規定する軸として、ABCの軸があるとしたら、逆行するように真面目の軸が存在しているわけだけど(統計的に、純粋な2次元では記述されないし、かといって相互作用がないわけではないので、準2次元座標平面上に記述されると俺は考えている)、みんな、各グループで得られる手法だけを学んでいるんだよね。
 友達同士のインタラクションばかりを一番大事に思う子は、いかにしたらイケているか、ノリがいいか、ってことの手法にとらわれている。逆に、先生や親や大学などからの評価にばかり気を遣う子は、いかにしたら真面目であると思われるか、何も文句を言われないか、という手法に気を取られているのだ。

 なんでもそうだけど、手法そのものを探究したり、ある手法を習得しようとしたりするなら、それがなんのためであるか、なんのために自分はそれをするのか、をきちんと考える必要があると思う。

 『なるほどね。とっても英語がよくできるんだね。ホントよく理解してるし。』
 ≪いやー、全然ですよー。もっと、できるようになるためにー、…、だと思うんですけど。≫
 『ふーん、なんで、そんなに英語できるほうがイイと思うの?』
 ≪えー、だってそうじゃないですか。≫『だからなんで?』
 ≪だからー、色々な国の人と話せるようになるし、これからは英語が求められるじゃないですか。≫
 『うん、、そうねぇ、っで、ホントにそう思ってるの?』≪いや、え?≫
 『だって、英語が出来たって、他の能力が無いなら相手にされないだろうし、何せ、Aグループじゃなきゃ。』
 ≪せんせー、また、それですかー??笑≫
 『いやいや、いうても、アジアのAは、欧米のBだからね。笑』
 ≪なにそれ?笑≫
 『ただでさえ、アジアはバカにされてそうなのに、ノリがよいか、個性がちゃんとない限り、相手にされないだろうし、本当にあなたが、色々な国の人とコミュニケーションしたいと思うなら、まず、日本で色々な人の中に埋もれて、そういう状況に慣らすことも必要だから、むしろ、英語よりも、Aグループ度を上げることが大事なんじゃないの?』
 ≪なんか、ひどーい。っていうか、そういうことじゃなくって。≫ 
 『わーってるよ、そういうことじゃないのは。そりゃ今はイイ。高1の段階でこれだけ知ってれば、かなり優秀。このまま頑張ればいいし、スゴイと思う。だけど、そのモチベーションだけじゃ、いつか破綻する。その時にちゃんと自問自答しないとね、ってこと。なんせ、アジアのAは、欧米のBだから。』
 ≪…、それ実際、そうなんですかー?笑≫
 『いや、知らねー。ただのイメージ。笑』

 ABCの軸か、真面目の軸か、大きく分けるとこれで、どちらかの軸について優位じゃなきゃいけないって、みんな思っているのだ。
 その先の意味を、自分の気持ちに従って、ちゃんと考えないといけない。別に、英語が出来るようになっても、ノリが良くなる手法を完璧にマスターしても、プログラミングが出来るようになっても、研究が出来るようになったって、幸せになれるわけじゃないどころか、賢くすらならない。そうそ、お金があるからって、人生が面白く有意義になるわけじゃねーのと同じ。

 幅を広げないといけないし、どっちもできるように頑張らないといけない。
 ノリと真面目さと、どっちかが苦手なのは仕方ない。だけど、苦手なモノを努力しなくていいわけじゃないのだ。

 本当の能力をつけないでも、即物的にでもイイから、認められたいな、なんて思わないで。
 日本は資源が無いんだから、それじゃぁ、Bグループにも入れない。ちゃんとした実力をつけないと、日本はどんどん退化していってしまうだろう。

 日本のことなんてどうでも良いんだとしても、ノリの良さと真面目さの両立を、誰かに求めたりしてるでしょ?
 それは、同時にあなた自身にも向けられているってことだと思う。

 無理に何かの言葉を目指さないで、今、有意義さを求めることをあきらめないでいながらも、ABC軸と真面目さ、どちらの方向にも努力していければ、今からすぐに楽しくなるんじゃね?
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稀有なシナジー効果

2012-04-25 00:59:50 | Weblog
 ほとんどのことは、シナジー効果は期待できない。
 安易に異なる2つ以上のものを組み合わせたって、たいていは、上手く行かないのだ。

 だから、普通は、同じところにずっといればイイ。ずっとずっと、同じとこにいて、そこで、当たり障りなくした方が上手く行く。
 そのトップから何かを吸収し、時間が経てば経つほど、表面的に上に行ける。それくらいで、満足できる?

 っま、当たり前だけど、シナジー効果を起こすためには、必ず、そう仕向けるように努力しなきゃいけない。簡単に、ミックスさせればいいわけじゃなくって、かなりの条件検討をして、お互いに歩み寄らない限りは不可能だ。
 そこには必ず、歩み寄ろうとする力が作用しているはずで、その力こそ、人間らしさ、もっと言っちゃえば、生命らしさ、が反映された結果だと思う、実質的に上手く行ってないように観えても。
 よーするに、ホンモノの感情が大事だってことね。

 その歩み寄りの結果が反映される中で、、最初の頃よりも随分よくなったなって感じる一方で、いつの間にか、油断していると見間違えるほどの姿になっているのを観て、やっぱり少しつまんねーな、って思ったりしながらも、優しさとは許し合うことを知る最後の真実、という言葉を想い出したりしていた。
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忙しいの真実

2012-04-24 00:54:01 | Weblog
 いろいろなところに場所を持っている利点はいくつかある。
 単純に忙しいアピールができるし、イヤな相手からの誘いを大義名分つきで断ることが出来るし、井の中の蛙になる率は低くなるし、場所と場所を繋げれば独自のアイディアだって勝手に思われる。

 でも、なによりもメリットなのは、沢山の場所を持っていれば、必然的に反省できないほど忙しいので、その間、イヤなことを忘れられるってことだと思う。
 この発想は高校生の時に初めて出会って、すでに実践している友達がいたけど、なかなか身も心も疲れる瀬戸際で、これで平衡状態を維持するのは難しいね。

 Aグループ、Bグループ、Cグループの軸とは、また違った、ノリの価値観。
 っそ、負けそうになったら、見切りをつけたかったら、Aグループ感を出せばイイだけなのが、多くのことを同時にやりつづけるだけの能力があることの、唯一の得な部分。

 超虚しいんだけど、それだって、忙しさで忘れちゃえ、ってね。

 もし、薄っぺらくなく、ちゃんとしたホンモノなら、俺がこの手法まで下がりきったときに、どうなるか、頭ではわかっている。
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嘘ついてまで負けたくないの?

2012-04-23 02:09:26 | Weblog
 好きなこと、好きな人、好きなモノ、好きな分野、等に対して、ある一部分、捨てたり離れたりすることを思考することはとっても大事なことだ。
 所詮ちっちゃいことだし、とか、所詮Cグループが多いし、とか、やっぱりこういう部分がダメだし、とか、ちゃんと解析して、ちゃんと想いをめぐらせていれば、辿りつく発想だと思う。

 そうじゃないと、口先だけでキレイゴトを言って誤魔化すようになっちゃう。それが、次の世代を不幸にするから、もう半分は感情を使うことが必要なのだ。
 それが、俺がよく言ってる、言葉を飲み込みながら喋れ、ってことね。

 言葉を感情のカラムにきちんと通しながら喋らない限り、俺には一文字も届かない。かといって、論理性も同時に無いといけないのだと思う。
 ただ、感情に依っている行動の方が、俺は納得できる。それならオフェンスもそんなにしないんだけど、あなた自身の感情を無視したような、ただ教科書を述べたようなことを言ってると、オフェンスしたくてうずうずする。

 『っていうかさ-、呼び出しといて、俺に怒ってんだよ?意味分かんなくね?』
 ≪だってー、いつまでもぐずぐずしてるんだもん。≫
 『そうだけど、物理的には、なんだよー?、って思うでしょ?』

 <選択肢?研究以外に彼にどんな選択肢があるの?>
 『はぁ。いや、よくわからないですけど、ホントにそう思ってます?』
 (省略)
 <だから、まぁ、そっからは、個人のことだと思います。>
 『ふうーん。ま、1つ1つの言葉が全然Self-Consistentに回ってない感じがしますから、とにかく、ここからの系の変わり方で判断しますよ。』

 モラルについての教科書を、つらつら言ってくるヤツは、まだマシ。モラルじゃなきゃいけない、って思ってる時点で、まだ優秀で、こういう類いのヤツもかなり問題なんだけど、世間にいる薄っぺらいヤツは、もっと重症なのだ。
 それはどういうことかというと、ルールやマナーに関する教科書を、押し付けてくる重症患者が多いってことね。ルールや習慣やよくみんなが言ってること、ってのだって、ちゃんと自分の心に飲み込もうとしなきゃいけないのに、それを怠って、偉そうにキレイゴト言ってるヤツは、ホントどうしようもないと思う。

 っていうか、そういうのって、嘘ついてんのと同じだからね。かなりの高確率で、思ってないこと言ってるな、嘘じゃん!、って見抜けるし、それに対する的確なオフェンスもすぐに思いつく。慣れているから。

 日々の仕事に加えて、もう半分は、感情に関すること。どちらもしっかり鍛えないといけないと思う。
 っま、負けたくない!、って思って嘘をつくことは、立派な感情由来の行為なんだけどね。

 だけど、そんなに負けたくないのかな?、、…みんな。
 言葉だけだったら、ある程度賢ければ、ホント何とでも言えちゃうから、その分、あとで、ひとりで、虚しくなってくる感情に俺は耐えられないな。
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失敗が許されないシミュレーション

2012-04-22 03:27:24 | Weblog
 何かの不幸や不条理な出来事を経験する数が多ければ多いほど、誰かに対して、実質的に優しくする能力を得ることができる。
 だから、基本的には、どんどんぶつかっていけばいいわけだけど、供給者側が、こんなとこで思考を停止してるんじゃ、ダメダメ。
 ここで思考が止まると、他人に対して、不条理があっても当たり前でしょー、みたいな感じになってくる。っで、それじゃぁ、なんも意味が無いでしょ、って思うのだ。

 自分が経験したことのある痛みを汲んであげられることは、逆に言えば、当たり前だ。同じような状況になったことあるケースだったり、相手が後輩だったりすれば、指先を鳴らす程度のことで、解決の糸口がつかめ、少しだけ努力すれば、実質的に寄与できる。
 その程度の問題であれば、より良い方向にもっていくのは、簡単、とまでは言わないけど、難しくは無い。

 俺が、問題として抱えてるのは、本当に問題視しているのは、そんな簡単なことじゃない。もっともっと、あらゆる角度から本気で考え抜いても、解決しようがないような問題について、いかに前に一歩、打開策を打っていくか、ってことだ。自らの過去の経験や境遇だけでは、どうにもならないような問題を扱うことにこそ、俺にとっては、意味がある。
 小さい問題を解決するのは、このようなとんでもない本来の問題を解決するための、何かのヒントになれば、っと思っているくらいで、俺が本当に助けたいなって思うのは、特別なのも含めて、せいぜい数人だと思う。

 自らのちょっとした不幸や不条理も、きちんと解析を徹底すること。小さな問題をナメないで、きちんと解決し続けること。あとは、多方面について論理力を上げること。
 自分が降りかかる予定は絶対無いような、稀なケースについて、実質的にも精神的にも助けだせるまで、修行をし続けないといけない。

 自らに降りかかるはずも無いような境遇を背負っている人の助けになることなんて、出来ないって思う人が多いと思うけど、俺は、それが出来る人を、何人か知っている。
 そして、ここからはおそらく誰もやっていないことであろう、いわば「研究」だけど、俺は、それについて、さらに、時間を超えないといけない、っと思っている。

 この、絶対に成功させなければならないシミュレーションを成功させるため、できることを一つひとつやっていこうと思う。
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無駄な計算

2012-04-21 01:48:09 | Weblog
 その選択が想いに依るモノなのか習慣に依るモノなのか、常に考え続けなければならないと思う。

 習慣は恐ろしいほど人の心を侵食する。それがダメな選択ってわかってても、だからカワレナイんだってわかってても、普段そうしているから、ずっとこれまでそうしてきたから、ってのは、十分に選択の理由となってしまうもんだ。

 だからっつって、習慣に負けるな、ってことじゃない。習慣では無く、自分が本当にしたいことをすべきだ、ってことではなくって、それはそれで大切な指標なんだけど、習慣由来の選択をしたときに、これは習慣に依るモノである、って認知することが大事なんだと思う。
 っで、やっぱり、習慣がくだらないなって思うんだったら、それを打破していけばイイだけの話だ。

 ただ、何が幸せなのか、って部分に価値を置いた時に、どちらにしろ、間違っている、ってことはよくあることだと思う。
 気持ちがたったひとつだけの目的のために集約していない普通の状態なら、優先順位を間違ってしまうことはよくあることだし、プラス習慣が加味してくるから、もう、めちゃくちゃで。

 っで、そのなかで、さらに、余計な計算をする。無駄な計算をして、また観えなくなっていく。
 わざと引いてみたり、時間を使って確実にしてみたり、笑ってやり過ごしてみたり、、待ち合わせ場所から目的地まで実測してみたり。。
 それらの行為が、また系そのものを変え、必要なことがなんなのかを観にくくしていく。

 これだけ複雑なんだけど、賢さ(計算すること)を鍛えなくてイイわけじゃない。
 今度は逆に辿ってみると、無駄な計算のなかに埋もれる形で必要な計算があり、その必要な計算によって、いくつかの無駄なことが実現され、その実現された無駄なことに埋もれる形で、本当に意味のある実現がなされる。
 だから、賢さを手に入れようとすることは、大切なのだ。ただし、ひとつの研究テーマをガチで研究する勢いで、構築&解析をしないなら、意味が無いけどね。

 そのやり方は、習慣に依っている、んだとしても、賢くなることは、俺には必要。
 だって、それしか、見込がなさそうだから。
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何が残酷なのか。 part3

2012-04-19 00:44:16 | Weblog
 2年ごとにこのテーマを書いていますが、また最近、少し、こういうことをきちんと深く考えないといけないと想っていて、ここに今思うことをまとめようと思います。
 4年前に、なんとなく反響があったこともあるんですけどね。

 今、これを考える上で、とっても大切な2つの状態としては、放任主義と管理主義の問題だと思う。

 多くの日本人は、管理主義のなかに毎日を生きている。社会人、中高生はもちろんそうだし、俺と同じ、大学院生などのほとんど理系も、何らかの管理下にあると思う。
 それとは逆行して、理論研にみられるように、研究室によっては、かなりの放任主義で、毎日、ほとんど研究しない人達もいて、それで生活している人達もいる。悪いけど、ほとんどの文系の大学生も、こっちの放任側だと思う。

 この2年間、この放任主義の環境下における問題ばかりを考えていたので、少し、混乱しているんだけど、問題が浮き彫りになっている度だけでいけば、もしかしたら、放任主義の方がイイのかもしれないと思ってきている。

 管理主義だから、人間らしい、他人が観ると頑張って観える生活をしていることが、幸せなことではない。テーマとは逆に、何が楽しいか、を考えた時に、自分の好きなことを好きな人達とやり続ける、ってのが一番最初に挙がる。
 管理下のもと、ただ言われたことだけをやり、やりたくないことをやって、どうでもいいめんどくさい人間関係をやるなかで、本当の心のなかでは、無難でとりあえずカドがたたないからイイやー、って何も意味を見出していないのであれば、それはやっぱり不幸だ。

 その不幸な感じを、どこか毎日が納得できない感じを、自分の事なのにどこか他人事な感じを、埋めるために、友達づきあいをしたり、恋愛をしたりしても、素晴らしいプライベートになるはずがないのだ。
 やっぱり、ある程度、自分自身で、一体系で、解けてからじゃなきゃ。

 まぁ別に、放任主義のもとにいる人の多くだって、一歩、目線をひいて系を観てみれば、より大きく太い管理のもと、仕方なく、そのなかにいることも多い。
 みんな、誰かに認められたいし、甘えたいし、守られたいわけだから、本当は薄っぺらくても、確実なところに安心感を求めるわけで、その管理している人が、そうあって欲しいと暗に願っていれば、当たり前の話だ。

 っそ、本質的には、管理主義だって、放任主義だって、問題自体は、そんなにカワラナイ。
 ただ、場合分けして、こういう物理現象があるって、しっかり理解していないといけないと、俺は思う。

 またまた、同じ結論。

 それが、学校に依るものであれ、友達に依るものであれ、家族に依るものであれ、恋愛に依るものであれ、薄っぺらい、ホンモノじゃないってわかっているのに、他に安心感が無いからって、努力せずに、その人達が創るレールの上に乗ってしまい、そのままそのレールに沿って行くととんでもなく深い崖があって落ちるってわかっているのに、そのレールから降りられなくなってしまっている状態のが、レールから落ちることそのものよりも、残酷なのだ。

 解決策や打開策は、、教えなーい。笑
 だって、これも同じ結論だけど、俺は、求められない限り、一切、助けないって、前に決めたから。

 Reference
 何が残酷なのか。
 何が残酷なのか。 part2
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叱咤激励

2012-04-18 01:19:43 | Weblog
 こうしたい、とか、こうなれたらいいのに、とか、こうしてほしい、とか、こうであってほしい、とか、ヒトの願いは尽きないもんだけど、それらの理想をきちんと固めることが、楽しくなる第一歩だと思う。

 その理想をちゃんと定めるためには、自分のなかにあるすべての願いを、自己矛盾なくなるように、既定していくことだと思う。自分の願いを関数として、Self-consistentに解く。感情ってのは、実は、非常に合理的なんだから、必ず、解が存在するはずだ。
 だって、理想ってのは、レ点をつけて、想いの理、という意味なんだから。

 それを定め続ける中で、今できることを実行していく。これを怠ってはいけないと思う。

 その中に、こうであって欲しい、という想いから、物理的に厳しいことを言わなきゃいけないこともあるし、上手く状況を考えながら伝えないといけないこともある。
 叱咤激励、ってのが、俺はあんまり好きじゃないけど、それが必要な瞬間もあるよね。

 いくら歴史は繰り返すんだとしても、その環境として仕方ないんだとしても、時代の中で、誰かが我慢しなきゃいけないのだ。その我慢する人は、俺の信頼する人や大切な人であってほしいと思う。
 ミクロな現象が平均化され続けるマクロな物理的現象は、特異的な力が作用するか、何かの意志が働かない限りは、必ず繰り返す。歴史は繰り返すようなことで、繰り返させないような力を作用させることが、「変える」ために今できることだし、それが時間を超えることにも繋がる。

 それが、俺の理想のプログラムの、現在の掃き出された答え。

 まぁ、、たぶん、俺からの言葉とは、夢にも思わないだろうけど。
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冗談でも

2012-04-17 00:23:05 | Weblog
 最近、だんだん、お仕事が増えてきました。嬉しく喜ばしく光栄なことです。

 研究だけでも、小さいのを含めると、テーマは多い。博士課程でやるリボザイム使う本職の研究、粘菌の膜を再合成する研究、修論のキレイな膜を創ろう研究のまとめ、発現ノイズを調べる研究、で、後輩指導の範疇ですが、プログラミングが復活しました。
 これに、TAが3つ、って、楽しそうでしょ?笑

 沢山の仕事をこなすコツは(まぁ、こなしきれているかは別としてね(笑))、最低ラインをよく把握しておくことだと思う。それは、誰が決めた基準でも無い自分の最低ライン。それを、自分でも、他の誰かでも、切ってしまった瞬間に、すぱっとその仕事をしなくすれば良い話だと思う。
 もちろん、周りの人のことがあるから、深くディスカッションをして、イエローカードを出すべき。次やったら、ダメだからね、っていうのは言葉にはっきりは出さないけど、確実に存在していることで、そうじゃなきゃ、なぁなぁになってしまう。

 あとは、みんなに、暇です、って言いまくるのもポイントだと思う。
 すると、仕事が沢山やってきて、人間が扱える限界量まで、環境依存で、頑張れる気がする。もちろん、優先順位を間違えてはいけないけどね。

 とにかく具現化してしまうことが大事なときはあるよね。これを上手く使うことも沢山あるけど、遊びで使いすぎちゃいけないことも沢山ある。

 即物的なことに弱い人は、俺も含めて沢山いる。だから、冗談でも、言ってはいけないことは沢山あるのだ。
 俺も、プライベートも含めて多くの仕事があること(即物的なことの一つ)が安心感だし、それがあるから、どこか一部でダメになっても、生きていられるのだ。
 ダメになっていることが、心の中で、すごくショックを受けていることでも、本業だと想っていることでも、、そう、まるでついさっき、はき出された言葉であるかのように、常に苦笑いしか出てこないほどの、ひどい傷付き方でも、即物的に、今を埋めることは可能だ。

 Then, you feel "this is merely one of them", don't you??
 I have suggested it is not..

 っそ、実際に言葉としては存在しない部分がいかに大事か。
 とはいうものの、冗談でも、しちゃいけない即物的なことはいっぱいあるんだけどね。
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何が系を支配しているか

2012-04-16 03:22:46 | Weblog
 たったひとつからなる要素を時系列にしていくことに価値があるからこそ、一分子計測や一細胞レベルなどに意味がある。
 それらの集団をみて、統計的な振る舞いを計測することももちろん大事だけど、それだと平均値しか確認できなくて、ありふれた振る舞いのみしか検出できない。

 特別に観える現象、いつもと違うような振る舞いには、必ずと言ってイイほど、ミクロな世界に秩序が存在する。だから、そういう現象を見つけるためにも、より精密に調べてみることは大事なのだ。

 ただ、果たして、そういう方法で、新しい何かの物理的な振る舞いを見つけ出すことが可能なのだろうか?
 むしろ、先立っているのは、聡明な発想力を持って構築される理論であって、その理論をしっかりと確立することが先な気がする。それが、新しい現象を発見するうえでの慧眼さに繋がる。

 であるので、自分のなかにある、すべての行動、すべての考え方、すべての感情が、あるひとつの秩序に依って支配されていると認知できるならば、その秩序変数こそが、あなたのやりたいことや目指していることであるのだと思う。
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時間を超えたいワケ

2012-04-15 02:50:26 | Weblog
 ≪だって、無理じゃん。これは、これでしょ。≫
 『だからぁ、そんなとこで諦めちゃダメだって。。言うとくけど、俺、かなり現実的だ、って思われるほーよ?』
 ≪わかるよー。K君、かなり、現実的だって思われるって。それにしても、って言いたいんでしょ?でも、これは無理じゃん?≫

 出来ることを全てこなして、それで無理なら、まぁ、まだ仕方ないけど、出来ることを本当に完全にやりつくしてた?
 現実を受け入れなきゃ、今できることは思いつかないし、かといって受け入れ過ぎると、現状をよりよく変えようとは思えない。だから、バランスが大事で、そこに能力が必要になってくると思う。

 今や、時間を超えなければ掴めない能力を要求されていることを目指していたい俺は、あの頃の生ぬるい、諦めてはいけない、とか、どうにか助ける手法、だとか、では、たとえ出来たとしても、満足できなくなっている。
 自分の生徒や後輩、あとまあ、同期とか、そのあたりに対して、実質的に精神的に寄与することは、片手間でできなきゃいけないし、当たり前にできなきゃいけない。問題は、そうじゃないことで、時間を超えて能力を得ない限りは、あっけなく切り捨てられてしまうような、厳しい物理現象に対して、頑張らないといけないと思う。

 そんな系に対しては、普通に、すでにある能力を使うことだって、実は難しい。緊張感やどうにかより良い方向に寄与しよう、って、焦って、いつだって空回りしがち。
 だけど、実質的に、助けられなきゃ、役に立てなきゃ、何も意味が無いのだ。じゃなきゃ、精神的に寄与することなんて、できやしない。

 『そんな。。大丈夫です、って、きっと。』
 「うーん、そうやって言われても。」
 『なんで…?大丈夫だ、ってホントに俺は思うし。』
 「…、後輩に言われてもね。。」

 能力が欲しい。とにかく、能力がもっともっと、俺にあれば、解決できる問題は多いのだ。
 そのためにも多角的になる必要があるし、だからこそ、同じ選択肢のなかではダメなのだ。

 たった2つの単語を偶然観て、泣けてきちゃうほどの自分のホンモノの気持ちなのに、出来ることが少ないから、まだまだ思考力と気持ちを極めないといけないのかもしれない。

 いかに無謀でも、それが、即物的にだって、すべての系について改善になるわけだし、頑張り続ける意味があるのだと思う。
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聡明さと慧眼さで

2012-04-14 01:17:28 | Weblog
 今日は、今できることが、いつも以上に、きちんとできた気がする日だったのに、最後の最後で、本当に危なかった。事件に巻き込まれかけて、もっと慎重にならないといけないなって思いました。

 危険はいつだって、突然、迫ってくる。危険な場所じゃないのに、いきなり危ない瞬間になる場合が殆どだ。
 そういうサインが、関係ないところから多く検出されていたのに、ないだろうと無視してしまって。でも、最後、ちゃんと気が付いて、雨の中、とっさに逃げられたから、まぁ、ギリギリ合格かなって思う。

 いろいろなアンラッキーが、ラッキーだった、って思えるから、とりあえずは、いっかな。
 ただ、やっぱ、俺くらい、普段から、発言する力や自分をアピールする力が強いと、本当に命の心配をしたほうがイイのかもね(笑)。

 すべての目に見えている問題な現象は、突き詰めていけば、残酷な物理現象に依っている。それが、いくら人間関係や人間本来の性質、生命現象特有の性質に依るものによって起きている問題に観えたとしても、突き詰めていくと、必ず、残酷な物理現象が寄与している。

 それを乗り越えられる唯一の手段は、極限まで極めた、聡明さと慧眼さ、であると思う。
 特にホンモノの気持ち、大切にしたい人や部分に対しては、必ず解決したいと想うから、一番、難しい問題にチャレンジし、それを通して、最高峰の聡明さと慧眼さを得ようとしている、という、本来の研究の目的を今一度思いだす必要がある、かな。
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二体系が一体系に帰着される例

2012-04-12 00:41:01 | Weblog
 俺は他人にコントロールされるのが一番嫌いだ。単純に、ムカつくんだもん。

 他人にコントロールさせないため、もしくは、自分が自分の責任者であるためには、それなりの能力が必要だし、決意が固まっていないといけないし、自由なぶん、危ないことも多いけど、それで失敗したとしても自分がいけないわけだから、仕方ないから大丈夫。他人に任せっきりにして、それで失敗して、時間が無駄になるほうが、遥かに怖い。
 言葉に騙されちゃいけないよね。何か関係を繋ぐ即物的な言葉があるからって、誰でも彼でも責任を負ってくれるわけじゃなく、目上の人間ってのは、だいたいは、不利益な部分だけ、こっちに押し付けてくるもんだ。
 だったら、自分の身は自分で、って意識を常に持っていた方が、効率よくね?

 まぁ、だから、決意があることが大事で、それが定まっていなけりゃ、そういうこともできないわけだけどね。
 目の前に立ちはだかっている問題なのに、観ようとしないだけで、何が問題か?、何が必要か?、わかっているでしょ??それとちゃんと向き合えれば、割と簡単に決意となるはずなのにね。

 ずっと流されるまま。本当に崖に落ちる直前になったら、レールは変更できない。レールを変更できるのは、レールの行く先に崖が存在していると認知できてから、3ヶ月間くらいだけだと思う。

 ちゃんと、まずは、自分一人で、どうしたいか?の意識を固めないとね。

 でも、俺は、本当は、誰よりも、コントロールされたい人間だと思う。っそ、意外と、俺は「Mだから~…。」笑。
 ある特異的な系においてだけなら、俺をある程度高いレベルでコントロールできる人間は、いる。それでも、たった3人くらい。
 かなり能力が高く多角的か、気持ちが非常に清らかでまっすぐな場合に、そうなりやすい。よーするに、言葉なんかに依らないけど、俺から心をちゃんと奪えば、俺はコントロールされるってことだ。

 矛盾してるみたいだけど、、だって、たとえ、心奪われてる人の管理下で失敗したとしても、自分が自分の責任の下で失敗してるのと、まったくカワラナイから。

 普段、コントロールさせないでばかりいるけど、、俺が関わってるすべての系において、本当の意味で、コントロールされ続けてみたいかな。
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病める時も健やかなる時も?

2012-04-11 00:53:34 | Weblog
 オブジェクト指向は、とにかく今できることをしよう、という視点に立てるから、好きな手法の一つだ。
 一歩一歩、教科書通り、順当に歩いていかないとできない、みたいな手法をとるよりも、今できることから、どんどん行動していく、ってほうが、手っ取り早いし、成功に近づける気がする。

 ただ、今できることをする、ってのは、あくまで、目標や目的が定まっているときにのみ、効力を発する。その有用性や価値、意味、そしてさらには、自分の気持ちがホンモノであると確信できているときにのみ、今できることを考え、行動していくってのが大事になってくるのだ。

 だから、決意がきちんと定まっていない状態では、何もできない。だから、研究する上でもモチベーションという部分が一番大事だと思うし、それがしっかりしていなければ、何もできないのだと思う。
 モチベーションというと難しく聞こえるかもしれないけど、いかに自分の気持ちと会話してるか?、向き合っているか?、だけであるはずなので、一番簡単なことなはずだと思う。

 っで、その決意を定めてから、舌の根も乾かぬうちに、自分とは違う要因で物理現象が逆行してしまうと、人は一気にやる気をなくすんだと思う。慣れてない方向に決意を定めたなら、余計ね。
 自分の身に降りかからないと他人の気持ちがわからないところが、まったくもって、修行が足りねーな。。っそ、それこそが、2つのまったく違う系で、同一な部分。ただ、俺のほーが、偶然、いくらか能力があって、いくらか器用に決意を留めただけ。

 それくらいのことでも乗り越えられる、になるか、かなり大きなことだった、になるか。
 ホンモノの信頼関係を築けているならば、必ず、戻っていくはずだし、片方については、俺の決意は決まっている。だから、頑張って、できることをしていこうと思う。

 For better or for worse, for richer, for poorer, in sickness and in health

 じゃないなら、どんな関係だって、一過性のモノだ。
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