たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

キラキラ笑顔の必要性

2009-06-30 02:14:14 | Weblog
 だって、ほとんどのチャンスは一回しかないんだぜ??信用は築くのは難しく時間もかかるが、崩すときは一瞬なのである。
 『さよなら』の言葉を使わずして、実行するとき、俺は何かを感じて欲しいという思いと関わりたくないという思いでいっぱいになる。
 その後、普通に接していても、ある瞬間、ある時刻から、心では一挙に相転移して、切り替えられる俺は、冷酷っちゃ冷酷なのかもしれん。

 『だって、それじゃさ、………。』
 【お前、遅いって(笑)。俺なんか、ずっとだからね。】
 『あー、ごめんごめん(笑)。っま、テキトウにね、お互い。』

 ってなわけで、案外、はっきりと言う『さよなら』のが、心では『さよなら』って思ってない率が高い気がする。この感じが好き。
 テキトウでいいやって俺に思わせちゃったら最後、本気でどーでもイイ人になっちゃうからね。

 でも、忘れないで。彼ら以上に、心だけで『さよなら』と言った俺の方が、期待していた分、少なくともその変換点では、悲しいということを。

 こんなんだからこそ、笑顔でキラキラしているほうが、素晴らしく見えてくるんだと思う。本当は笑ってなかったとしても、にこにこしてるのは、格別にイイ事って思い始めているからさ。
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誰かさんismに感化されて

2009-06-29 02:55:31 | Weblog
 実験してると、途中で止めたくなったり、時間を戻して最初からやり直したりしたいって時が、沢山ある。明らかに理論値にあっていないとか、逆に理論値にあいすぎてるからこれじゃレポート書きにくいとか(笑)。
 そういう時は、遠慮なくやり直してしまうこともするだろうし、やり直さずに突っ走る事もあるだろう。俺は、どちらでも良いと思う、ただしどっちにしても『失敗したと考えている値を完全に消してしまわないなら』ね。して、実験は一人でするもんじゃないから、そういう時はたいてい、パートナーやグループでの相談になるのだが、いろいろ面白かったりする。

 んで、たいていのパターン。

 やり直したくない=早く帰りたい
 やり直したい=上手い具合にあわないから後でレポート書きにくいじゃん

 この二つの種族の戦いなのである。ったく、どっちにしろ、マジメとも真面目とも程遠いな。ただ、どっちも、真面目っぽい感じはするか。っで、彼らの言い訳はだいたい、

 やり直したくない【実験は自然現象をそのまま理解するもんなんだから、やり直すことは本質じゃない。】
 やり直したい<学生実験はあくまで勉強なんだから、無難な値を結果として残せば良い。>

 両方とも、それ自体はあってると思うんだけどね。実験は自然現象を予見無くそのまま扱うものだし、学生実験なんだから勉強ってのも的を射た回答だと思う。
 でもなんか、論理展開が小学生みたいだよね。なんか、これ言ったら勝ちー、みたいなんが。俺、そーいう、単純なん、キラーい。定義とか今までの流れとかガン無視で、それ言ったら終わりーみたいなん。

 基本的にはどっちでもいいけど、その場その場における状況があると思うんだよね。っま、これも、『人、それぞれだよ。』みたいなもんで、これ言ったら勝ちー、みたいだけど、でもホントにCase by Caseだと思ってしまう。

 ある場所で行っている実験が、まだ、かなり長くかかりそうであることに、最近気づきつつある。長くかかると言っても、実際に刻む時間という意味ではないけどね。今までのところ、恐ろしいくらい順調に行っているが、この『誰かさんism』を貫くのは、かなり負担だな。
 その場所のほとんどすべての人が、俺の事を…。

 ただ、俺は何が目的でこれをしているのか、自分自身でちょっとわからない。
 普通に考えれば、ターゲットを引き寄せるため。だけど、心のどこかに、この演技の真意と真実を、すべて見抜いてもらいたい気持ちもある。つい3年前まで、完全に大嫌いだった、この振る舞いを、何故、演じるのか?
 そこまでのスペックがあるんだと確信したとき、本当の意味でのゴーサインを出そうと思う。これは、解析力の器と想いの容量を同時に測定する実験だけど、その前の秤量はホントにあってるの?

 理論的には絶対にあってるはずだけど、これは実験なのだ。予見無く自然現象を理解するためのね。して、今回は、俺だけだし、時間もまだあるから、例えどこかで間違っていても、いつでも最初からやり直すことができる。

 …っと、『実験』などと、超冷淡を装って書いてみたけど、現実には俺はそこまで冷酷に徹することなんてできないって、あなたは、それくらいは、見抜いていらっしゃると、期待しているから。
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Driver's High

2009-06-26 23:33:17 | Weblog
 今日は、昨日の予定通り、超すげー動いた日だった。懐かしすぎる高校への道は、あっち側から行くのはホントに卒業以来。卒業後、何度か高校に行ったこともあるけど、それでも到着してからも懐かしさを感じた。導火線に火をつけて、想いの容量が足りず、気持ち悪くなるほどだった。しっかし、…カワラナイね。
 ただ、ちょっと、明らかに学力が下がってるなっと思って、ガッカリした。oioi、そんなんでいいのか?ってね。それでも、俺は彼らを決してナメないですけどね。だって、誰かみたいに、試してくるヤツとかがいるかもだからね(笑)。

 今日も確実な2つの場所は俺を温かく迎えてくれた。っさ、新しい所はどこになるのか、今日言った3つ目になるんだとありがたいんだけど、爆発して灰になっても、このままだと笑ってるね、きっと。楽しみ過ぎかな。。

 温かいのは素晴らしいんだけど、、ってか、七夕をガチでやる研究室ってどうよ??(笑)

 ≪笹が2m50だとちょっと大きいかな。。でも身長よりは大きくないと気分がでないしなー。≫

 って先生が言った時、マジ、その純真さと温かい雰囲気に、吹き出しそうになった、あ、いえいえ、素晴らしい研究室だよねってほーの、いい意味のほうですよ。さて、願い事は何にしよう??

 受かりますよーに。

 ノーベル賞がとれますよーに。

 音楽業界が、もっとクォリティーのある曲を作りますよーに。

 ドラクエ9が、また延期されませんよーに。

 うーん。悩むな~。全部つければいっか。こんなとこなら、ずっと居てもイイのに、いえいえでも、この場所を離れてさらに強くならなきゃいけません。して、ここでの、最高のフィナーレを、yeah!!

 (この歌記事の発生は、完全に今日の行為が原因なんですけど(笑)、GTOの主題歌であるラルクのDriver's High。ノリが最高に良い曲。爽快感という意味では、マックスで好きかも。ってか、やっぱ、yukihiroのドラムは最高に上手い。こー、出過ぎず、かといって存在感があるよね。
 歌詞がちょっと意味がわからないけど、これは各自で、行間を埋めるもんだと思う。あー、一応断わっておきますが、いくらなんでも、鬼塚先生みたいにやる気はないです(笑)、大丈夫ですから、心配せずにー。)
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I.T.U.

2009-06-26 01:40:39 | Weblog
 そこは、はじめ、遥か彼方の場所に思えた。実際の地理上も学力上も。自然が多く、かといって、昔っぽさはそこまで感じられず、その代わりに雑草っぽさは多い。きっと、まだ変わっていないだろう。大きいモノから小さな石まで。
 この独特の地元っぽさに最後の最後までなじめなかった気がするが、どうしてか、今、とても懐かしく思える。あそこから、今あるすべての目的がスタートしたと思う。そういう意味で起源。
 今のとても親しい知り合いの感じも、すべてここから出発している。感情で動ききれないほど頭が切れるヤツ、根本に最大の秀麗と慈悲を抱えている者、とっても無邪気な誰かも、今周りにいるのはもっと極端になったり一般化されたりしてるけど、でも、どっか、似てる。

 ここは、俺にとって、二つの世界を持っている。時間的には下の世界のほうが長いけど、上の世界も俺の意識の中では対等である。そんなこと言うと、上の世界の住人の一人が、それを上と下で呼んではいけないっと怒られそうだが(笑)。
 上の世界はさっきの場所と近い匂いを感じるが、主旨として、地元っぽさは軽減される。下の世界は、いくつもの試合を経験し一般に言われる最後の戦いに敗れた者が、各々それぞれの戦いに再挑戦していく血に飢えた者が集う、凝縮地帯。どちらも総体的にさらにすごいヤツが多いが、とっても純真な感じ。ただ、どっちも怖さや弱さは持っている。
 この2つの世界が一日だけ、最初で最後、くっつくが、それが今から楽しみで仕方ない。

 まだ未開の地である、あの場所は、世間では言わずと知れた最高峰。最近よく行くので少しづつは掴めてきたが、先入観を自分の中から冷酷に外していったとしても、何もかもがスゴイの一言だ。
 まさか、そこにいる時、自分がここを本気で目指すとは思いもしなかった。もちろん、俺の場合は、実質的には、世間で言われるほど難しくはない。だが、本気になる価値と最終チャンスであることを考えたなら、その難しさは俺の力では、全力でないと掴めない。こないだの戦いは大学受験を上回るほどの気が必要だった。それ以上の気にならないといけない。
 今こそ、『でも、きっと…!』という願いを『いや、絶対に…!!』の誓いに変えよう。

 今日、これら3つの場所、それぞれに物理的に行くことになる。偶然だから何かの分岐なのかと考えずにはいられないが、落ち着いて、しなきゃいけないことを、今日すべてこなそうと思う。 
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説明のスタンス

2009-06-23 04:29:49 | Weblog
 論文紹介の準備が終わったー。ふぅ。ちょっと疲れたな。
 基本的に、パワポで発表するのは楽しいし、好き。やっぱ、もともとこーゆーの好きなんだな。人前で演奏したり発表したりするの。それ以上に、なんかうちらは、ラフだからかな。普通に、しゃべる感じが好き。
 論文、まだまだよくわからないところもあったけど、まぁ、概要がわかっているので、大丈夫でしょう。

 学校では、難しいことをなるべく簡単に説明しようと心がけている。簡単すぎることはあえて難しく説明することを好んでいるけど、難しいことや知識として新しいことは、いかに簡単にとらえやすく解釈するのか?が重要な気がする。難しいことを難しいまんまやってると、結局どっかでわかんなくなっちゃうし、なにより飽きる。それよりは、ちょっと厳密さを欠いても、簡単に説明した方が、少なくとも発表の時は楽しい。あと、寝る人も少ない気がする。
 ってこたー、簡単なことを簡単に説明してるときは、よっぽど相手を馬鹿にしてるってことですか(笑)?!

 さ、今週は、将来的な活動で忙しすぎる一週間ですが、頑張っていきますかね。
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医科歯科の理由

2009-06-23 03:29:18 | Weblog
 私は学部で物理学を中心に自然科学を学んできました。物理学は主として『マクロからミクロまで、世界はどのように構成されているのか?』という根本的な問いを探索することだと感じ、それは非常に有意義であると思っています。生物学・生化学も学び、生体はなんと上手くなりたっているのかと驚愕しました。一方、日常の生活の中で、私は、人間が人間にとって一番大切なモノは、家族を除くなら、健康であると感じています。そう考えてみると、物理学の研究をすることは非常に楽しく、人々を豊かにすると思いますが、今、人間の目の前にある問題に立ち向かうという点からは少しズレます。そのような視点から、人々の健康を少しでも守るために、学部で学んだ物理学の考え方を活かして、医学の、特に日本人の死亡原因の第一位である癌の研究をしたいと考えるようになりました。いつか、私の研究が、人々の役に少しでも立つことを目指し、頑張りたいと思います。
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実質的ゼロスタートへの試験紙はすぐそこまで。

2009-06-21 02:55:59 | Weblog
 700記事目ですか。どうも、ありがとうございます。去年から今年にかけて、更新率がアップしているのですが、それもこれも、皆さんが陰ながら支えてくれているおかげです。
 僕は、どれくらいの人がココに来てるのかはわかっているので、『あー、こんなに見てくれてるんなら、もうちょいマシなこと書かなきゃ』とか『アクセス数とip数の差がデカイってことは、見た人の多くが、もっと記事を観ようとしたってことだな。おっしゃ、がんばろう』みたいな思考になるわけです。

 っはぁ、論文読むのが進まないです。。『いや、っま、ある程度テキトーにやりゃー、6時間もあれば、今回のは完成するっしょ??』とか強がっていた自分はどこへやら。
 テクニカルタームがやっぱムズイよね。名詞をどー訳そうとどーでもイイとは言うものの、知ってる名詞ならきちんと訳したほうがイイもんね。そりゃ、マグナス力とか誘致距離とかは、もとから知らねーからどーでも良いけどさ。

 いやいや、もとから知らなくてもやっぱり、多少は気を使ってほしいかな。そのなんてーのかな、命名センスを見ちゃうよね。そして、欲を言うなら、オリジナリティーも入っていてほしい。でも、どーでもいっか(どっちだよ(笑))。
 どっちも本当の想いなんだけど、、そうそ、グレーゾーンはグレーのまま受け止めるのが正解なんです。

 そして、そうこうしている間に、どんどん、未来は近づいていく。正確には、未来を決定するための試験紙はどんどん俺に近づいてくる。
 それは二つの意味を示している。紙の上、もしくは身分としての意味と、信念のような想いとしての意味。後者について、懐疑的なこの想いを消すためだけでも、全力になる価値は、…あるっ。
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助けたい気持ち-夢間相互作用

2009-06-20 01:59:54 | Weblog
 最近、『夢』に関して、自分自身がとらわれ過ぎな気がする。別に、そんなん、そこまで大事じゃないだろーって、頭で考えれば考えるほど、心で許さない一線が引かれる。

 『生きる上で自分が一番大切だと思うモノの改善を、ある程度、未来の自分が実現可能な範囲で考えることこそ、夢を見つける第一歩。』
 ≪自分の夢を叶えるためには、他人の3倍以上の努力が必要。≫
 『いつまでも同じ夢を持っていたいのなら、その夢に、人を助けたいって要素を含めることだ。根源的だから、その想いなら、いつまでも、なくならない。』
 「誰かのためとか、人の役に立ちたいとかじゃなくて、自分が何かになってやるとか、単純に金持ちになりたいとか、そういうほうが、本来、がつがつしてて、よっぽど夢っぽいと思うけどさ?でも、俺は、そうじゃないな。」

 心からの発言なら決して後悔しないから、それでイイのかもしれんが、もう少し、現実も見ないとね。
 でも、どっちにしても(夢みるにしても現実みるにしても)、根源に、『助けたい気持ち』の存在が、なんでここまで重要なんだろう??
 普通の日常も、勉強も、研究も、ホンモノのand笑わない笑顔も、受験も、ただ電車に乗って誰かに席を譲ることでさえ、義務や自分勝手由来じゃない、『助けたい気持ち』が介入してるかしてないかでは、全然違う。周りのとらえ方も、自分の感じ方も、楽しさも。

 っま、『助けたい気持ち』≒『おこがましいかも』は常に持っていなきゃいけない方程式だし、そんなに簡単に人が人を助けられるなんて思えないけど、希望としてあるんなら、本当に楽しいんだと思う。
 逆に言うと、奉仕したい心がゼロでは(奉仕がゼロ、ではないことに注意)、幸せにはなれないってこった。
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ホントに『自分じゃないみたーいっ』

2009-06-19 00:12:43 | Weblog
 どこまでが生命か??という問いは非常に面白い。定義のしにくいものだからこそ、定義したくなってしまうんだろう。
 高校で生物をやった人はわかると思うが、群体と多細胞生物は限りなく近い気がする。どっから、意識が全体に及ぶのだろう??どこまでは分業なんだろう??

 (全然話変わった風にして…、)ところで、どの集団といるかによって自分自身が無意識的に変わることは、誰にでも感じ取れると思う。どんなに自己中でわがままで社交的じゃなかったとしても、少なくても感じるものなんだと思う。
 こんな想いを抱くとき、俺は『あ、俺、今日、群体じゃなくて多細胞生物の細胞の一つになってたかもなー』って感じるのである。

 One×Oneでいるとき、仲間でいるとき、それぞれ少なくともちょっとは、一つの生命体として動いてるのを感じる。そんなことが露呈されるとき、嬉しくもあり悲しくもある。
 ざっくり冷酷になっているから悲しいのと、自分自身が薄れるからちょっと悲しいのと、仲間意識として嬉しいのと、ここまで時間が経ったんだなって嬉しい。

 流石に、地球全部が生命です、とは言いにくいけど、可能性として面白いから、それでイイんだと思う。

 (Reference:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A4%E4%BD%93)
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戦いに出かける前のひと休み

2009-06-17 00:15:20 | Weblog
 自分の言葉がスゴイ角度から反射して返ってくるとき、ちょっと油断して衝撃を喰らったときのように苦痛になる。しかもそれがあんまり意識しないで放ったキレイ事みたいな言葉だったなら余計にね。
 そうなって欲しいなっと、感じている俺は、やっぱりちょい性格が悪いな。

 最近、研究室に入ると、今まで、ここにたどり着くまでに通過した、いくつかの困難を思い返したりする(笑)。しかも、大学入試以前からのをね。
 また、この場所を離れようとしているからなんだろうな。でも、あまり寂しさや不安を感じていない。いつでもフラっと戻れそうだから。1年ごとに場所が変わっていた前と比べて、ここ2年半はずーっとここだったから、少し飽きてきたしね。

 この本来の旅に戻っていくために、この場所を維持するための試合は、しない。勝っても意味がない勝負は最初からしない主義だから。
 そして、本気にならざるをえない状況を自分自身で作るためでもある。
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そして伝説へ…

2009-06-16 02:48:51 | Weblog
 みんな、進路に戸惑っているようで。。大変ね。あー、なんて、ヒトゴトなんでしょ。って、マジで、ヒトゴトだし(笑)。
 出願する直前まで、その研究室よくわかりませーんって感じ過ぎなのは、やっぱどうかと思う。人よりも研究室訪問したと思うけど、しなくて良かったなって感じたことは1度も無く、して良かったって思う率は半端なく高いのであるし。

 最高級に難しいところからちょっとだけ簡単になることさえ抵抗を感じる、与えられることに慣れていて、純粋で、とても優秀な誰かは、まだまだ悩んでいるようだし、やりたいことはある程度はっきりしてるけど、自信を持ちきれない、変なとこ乙女な誰かは、まだまだ踏み出しきれないようだ。
 悩める時間まで悩んで、決定を先延ばしときゃイイと思う。大丈夫、どの選択をしたって、あなた方なら、絶対に上手くいく。本当に大切なのは、このシコウを、今、停止させないこと。シコウしきることが、何より大切。途中で、あ、いいやー、テキトーで、ってならなきゃ大丈夫。

 俺自身は、保険の保険(第三志望ではない)、第二志望(保険)、第一志望、これらの準備は整った。リスク論、感情論、先読みの作法などをすべて駆使した結果だ。あとは、やるべきことをこなすだけ。
 どれにおいても必要なのは、知識、英語力、数学力、物理力、解析力、理解力、多角的にモノゴトを見る力だ。どれも今以上にあげる。
 
 自分は世界で一番馬鹿な奴だと思いこんでね。
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HELPの現象論

2009-06-15 02:47:06 | Weblog
 心から俺をどーにかしようと思ってて叱ってくれると、安心する。その人のエゴや不安とかの由来じゃなくって、それはダメでしょーって言ってくれる人は、案外少ないもんだ。これがほとんど正解の叱り方なのだと思う。そういう時、その人を悲しませないようにという理由でも、本当にそうだなって思い返した理由でも、きちんと直そうとするなら、また同じようなシーンで正してくれるんだと思う。
 ずーっと前、中学受験の時、塾の先生が〈僕は怖がられてるみたいだけど(笑)、怒りません。叱るってことはするかもしれませんが。。〉っと言ってたのを、また少し違う意味で理解できるようになった。

 逆に、伸ばそうとか、自信を持たせようとか思われて、褒めてくれたりすると、嬉しくなる。本当に能力を発揮して褒められた時以上に、俺は嬉しくなる。そういう想いからの褒めの言葉を裏切らないために、絶対に頑張ろうって思えるのもプラスだけど、最終的により求められている感があるからなのかもしれない。

 この2つに共通しているのは、心で『本当に、その人を助けよう、その人に優しくしよう』という想いが根底にあった上での、頭で思考しまくり、行動をした結果ということだ。心で『この人のこーゆうところが嫌いだからつぶっしゃえ、褒めたら好かれるかな??』という想いで、頭で思考しまくって、行動したとしたら、表現はパッと見は同じかもしれないが、やっぱりどっかでその下心が垣間見れてしまうのだ。すると、相手は、『っあ、どーでもイイや』って思う率が高くなる。っま、愛に飢えてるとそうでもなかったりするんですがね(笑)。って、笑えねーか。

 でも注意しなきゃいけない。これは1つの『正しい』アプローチの仕方であって、これがすべてじゃない。ってか、こんなんだけのが周りにいたらウザくてしょうがないだろう。だから事象の半分くらいは、そのエゴや不安や情熱を俺にそのままぶつけてきたり、押しつけてきたりして欲しいのだ(変に計算したりせず『そのまま』)。半分くらいは、てめーの物差しで測って欲しいのだ。

 そしてもう一つ。あくまでこれは、師弟関係がはっきりしている場合に、善であると、多くは考えられる。師弟関係がはっきりしてるときで、その少ないケースのほうの善も含む例をだすなら、

 【えー、どうやって計算するんですかーー??】
 『だからさ、ここの変数をこーやって変数変換して。ほらね。でも、最初あなたがやってたみたいに考えるのは、一回目なんだから、大事だよ。』
 【ありがとうございまーす。でも、そんなの思いつかないですよー。】
 『俺は思いつくし(笑)。ってか、俺なんか、もっとムズい…、こんな変数変換するようなやつだってやってるんだぜー??』
 【知らないですよ(笑)】

 ってとこかなー。師弟関係がはっきりしているから、8:2くらいが一番上手くいくのかもしれん。

 っま、こんなことは、意識なんてせずに、自然にやっちゃうからなー。ここまでの思考を、すべてすべて、演技してたら、無意味だしね。
 そう、あくまで現象論。先に現象を見てから、無理やり方程式を記述すると、こんな感じってだけ。

 だから、考えずに、いつも、いつまでも、そのままで。
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事の始まり

2009-06-12 01:57:07 | Weblog
 どうして、そうしようと思ったのか、10年以上経った今だに自分でもわからない。でも、結果的に、すごく冷静な判断だった気もするっと思い返すことができる。

 小さい頃、すごく新年度が嫌いだった。今年こそ泣かないって決めて、いつもいつも泣いていた。その、まだ意識レベルが低い自分を、また最近感じるようになっている。

 『変わることがとてつもなく怖い。』

 しかも、実際変わってしまってから、受け入れるのに時間がかかりすぎる。
 でも、乗り越えないとって頭でわかっているから、行動を制御し(むしろ周囲にはアクティブに見える)、ついには心までも支配できそうなのに、今再びこの感覚にみまわれるのは、何故??

 『だって、それがないのを見るたんびに、思い出すじゃん。』

 だからなんとしても見つけ出したい。それが、物を無くすのが嫌なこだわりの根本なのかもしれない、モノに対して、そこまでの配慮があるのだろうか…、だけど、少しだけ強くなった今、そこまでの配慮があるとまでは言い切れなくても、少なくとも、病的なこの性質を、物ではなくモノに対して、少しづつでも、していっている。

 「K君は涙に関して敷居が高いんだね。」

 それは、もう、自分自身に対して、心の底から、泣きたくないからだ。単純に、ぐしゃぐしゃになっちゃうからね。それに無理にでも笑っているほうが、無難にその場をしのぐという理由じゃないのなら、周りも自分も楽しいしね。

 始まりと終わりの混合状態にいる今、本当の自分自身が、沸々と胸中に湧き上がってくるのを感じる。
 それが、目の前の絶望の不変性の全否定と、自分ならできるはずという確たる自信と、絶対に向上できるんだという想いとともに、一緒にやってくることに、安心を覚える。
 そう、いつしか、この想いも、本当の自分自身になったのだ。

 地球(ココ)を信じて。
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Let It Be

2009-06-08 04:49:30 | Weblog
 本屋で調べたら、ふつーにForestに載ってて、ちょっとショックっ…(前回参照)。でも、ちょっと納得いかないな。なんてーのかな、構造(英文法)から理解はできないのね、ポいのに。

 あー、どーして、こー、今日も、最悪なことが起きたりするんだろう。んで、それに伴う、恐ろしいほどの重要な偶然。もう、こりゃ、偶然じゃなくって、運命か?そんなんなのか??
 何かに導かれるとき、必然的に削る部分があるけど、最終的なところまでいったときに、削るべくして削ったというか、決して無意識的ではなく意識的なんだなっていつも思う。だから、これだな、whisper words of wisdom `Let It Be...`

 特に考えなくても自然に流れていくのだから。。鎖を脱ぎ捨てて、前より素直に笑ってみよう。そっちのが、なんか深い気がする。

 (この題名の曲で、知っている限り、大好きな曲しか無い。っていっても、3曲しか知らないけど。1つは、もちろん、超有名なビートルズ。2つめはSMAP。3つめは、日之内エミ。どのLet It Beも、イイ指針だと思う。)
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直視はしないけど絶対に見逃さないその一瞬

2009-06-06 03:25:08 | Weblog
 残すべき言葉を考えてみると、最近の自分のテーマが見えてくる。
 繊細な1つ1つの言葉を足し算したり引き算したりしながら、伝えたい事との1番の近似値を求めていく。ハートリー近似もVB法も、その他理科で習うすべての近似手法の式や手順のみを学んでみても、まったくもって言葉の力にはならないが、それらをきちんと学べば、【僕らが何故Scienceを学ぶかと言ったら、正しい事を確実に正しいと言うためだ】という言葉通りに、役に立ってくれる。
 発信者だけでなく、受信者も、あくまで近似なのだ、という認識を持っていないと、いずれどこかで間違ってしまう。

 これを告げるのは、先のことなのに、これ以上は無いってくらい、今、考えている。

 それらは、本当に、人間が人して生きる上で一番大切な事なのか。。
 それら以外のことなら、本当に、何をやったとしてもやり直しが効くのか。。
 方法として、本当に、その手段しかないのか。。
 彼らにとって、それが、本当に、意味を成してくるのか。
 
 そして、彼らは、その誤魔化しきれないほどの残酷な現実をいったん受け止め、切り返し、変えてしまうほどの想いの容量を持てるのだろうか。。

 向こうから仕掛けてきたときに、その仕掛けに乗じてこっちも違う種類のリトマス試験紙を取り出し、結果が見えるその一瞬、期待通りの表情を確認したとき、安堵の溜息をついた理由が、そんな冷静すぎる作法なんか学ばなくても、楽しめる方法を示してくれるようなことだったらイイなって思うのだけど、全部が全部そうではない。
 だとしたら、何も考えず、自然に起こったかのようにしてしまえば…。。だから、この器用さが要らないんだって。

 これをすべてグレーゾーンでやってのけられたとき、それはそれで楽しんじゃってるんだけどね。

 はぁ、ってか、全然関係ないんだけど、『車で来ればいいじゃん??』の表現で、なぜ『in a car』or『by car』となり、byのときは不定冠詞入れなくていいのか、誰か教えて。これは、問題視してないフリをし続けられなかった(笑)。
 冠詞の作法ってなんか難しいですよね。。
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