今年もあとわずかです。1日早いですが、今日の方が適切な気がするので、2012年の自分についてまとめをします。
今年の目標は「時間を超える」ことでしたが、どうだったか?と自分に訊いてみると、全然達成されていません。
そもそも浪人してるし、時間を超えるもくそも無いんですが、まぁでも、少なくとも今年で、その指針を立てることはできたかなっと思う。こういう風にしていけば、人よりも早く、ってなれる感覚は掴めている。
来年もとりあえずはこれを目標にしようと思います。どこで刻むかによって勝敗は変わるけど、ここからぐっと達成していかなきゃいけないし、逆に言うと時間はもう殆ど残されていないなってことです。いくつかの意味で、あと1年間、ってのが一つの区切りだって思っています(このタイムリミットは実質的にはおかしいけど、たぶん未来に向けての感覚的には適切だと思う)。
今年は何と言っても、また「転換」の年でした。ラボを変えて、心機一転しました。上手く変化できて本当によかった、これを観てくれている人の中にも含まれているはずだけど、みなさんのおかげです。
とは言っても、俺にとっては「転換」というほど転換していません。これまでのほうが遥かに大きく転換してきているから、ほんのちょっとの努力で済んでいるけど、普通だったらもっとキツイはずだよね。そういう意味では、これまでの転換に寄与してくれた人にも感謝です。それは、追い出そうとした人や批判してくれた人、俺が変わることに対して心の奥底からムカついてくれた人も含めてね。
新しいラボでの新しい人達が結成されてから準拠集団(自分もしくはみんなが心からこの集団に所属していたいと願う集団)になるまで、1~2ヶ月くらいしか時間を使わなかったのも、すごく良かった。これも俺が「時間を超える」ことを意識していたからだったら嬉しい。研究室を準拠集団化するって、かなり難しいことだと思っていたけど、学年が上がったせいなのか、そういう能力が高い連中が揃ったからか、わからないけど、『とりあえず掴みはOK』ってなるまでが最短スピードでした。
この人がいなくなったら、この人と会わなくなったら、どうなるの?、って3月まで思っていましたが、実質的に減らされた分以上に、素晴らしい出会いがあったことに感謝しています。
さらに、尊敬する人が飛躍的に増えました。(昔よく使ってた言葉で言えば)部分尊敬がかなり多くなったのと、久しぶりに、絶対的な総体的尊敬をしたい人に気付くこともできました。
今年は色々な系に対して、『意味があるのか?ないのか?あるなら、どんな意味なのか?価値がどれほどあるのか?』をずっと心の中で繰り返していました。後輩たちに真似されるほど『意味あるんですか?』って実際にも口に出していたほどなので(笑)、そのせいでラボ内には迷惑をかけたかもしれませんが、自分にとっては、意味のあること、価値のあること、はかなり具体化されたし、役に立ちました。来年は少し保留かもですね。
そして、これは自分でも意外なことですが、物理学についての思考力がここに来て、また上がりました。今年だけでいくつか新しい分野も理解したし、何よりも沢山使いました。よーく考えれば、表題だけで言うと、生物物理学の研究室から有機物性化学の研究室に来たので、俺が物理を使うシーンが増えるのは当たり前なんですが、物理学ってのは他のどの学問分野でも得られない偉大な力を秘めているな、って思います。
今年は国際交流も多かった年です。外国人と喋らさせてもらう機会がかなり多かったです。初めてヨーロッパにも行ったしね。
本当に色んな人がいるなっと思います。外国人に対して、本当の意味での個性を感じ取れたのは、今年が初めてかもね(これまでは、どこか外国人でひとくくりにしていたかも)。それと意外と海外のほーがめんどくさくないかもって思ってきています。直接言っても相手が傷つかない、しかも英語だから直接的に言うしかない、って状況は俺にとっては簡単で有難いです。
ただ、知ってる人は知ってますが、ある理由があって、僕は海外があまり本質的に好みでは無いので、向こうに住もうとかそういう風には思いませんが。
共同研究についてですが、そもそもは自分が言いだして、やらせてもらえて、ここまで結果が出てくれるとは思いませんでした。完全に周囲の力ありきですが、その中で、自分ができることをやっていけたかな、っと思います。
全然満足はできていませんが、ここから、もっともっと色んな角度からのリスクに挑戦していきたいし、繰り返しの実験ではなく、日々実験系を切り開いていくような力をつけたいな、って本当に想えるようになりました。
思えば、多くが、あっという間に変わった、1年間。
いつのまにか新しい研究室のど真ん中で、堂々と笑わせてもらえている自分に気がついた時に、『今、心から笑ってる。これをずっと望んでいた。もう集団に対して大義名分は要らない。変わって良かったな。』って思ったのと同時に、『変わってしまったな。』っと実感することも多かったです。
それも、これからの課題。この12月、その問題に着手してきたけど、解明すればするほど、強敵だなって思って、指針が立たなくなっていく。
ある程度の信頼関係があったのにも拘らず、今回の変化で、喋らなくなってしまったり、会わなくなってしまった何人かの人とも、心の底では、この集団みたいに、ほんのちょっと前みたいに、一緒に笑いあっていたいな、って気持ちが確かに大きく存在している。だけど、時間は残酷に経過しているし、変わりゆく。
俺が時間を超えていれば、って思うけど、昨日も書いたように『なんかイヤだな』って気持ちから逃げないできちんと解析すると、この選択とこの結果は正解なのかもしれない、っとも思うのだ。というよりも、そう想うしか心を安定に保つ術はない。
変わること、変えようとすること、発言すること、意見すること、など行動することは何だってリスクだ。
それが単にゼミでオフェンスすることでも、誰かに正論をぶちかますことでも、ラボを変えることでも、あるいは予定をいきなり変えることでも、俺は簡単にやってのけているように観えるかもしれないけど、未だにすべて怖いし、リスクを抱えながら行動をしている。
それでもそれらができるのは、そうすることがより良いことだと信じているからだし、その選択こそが誤魔化さずにホンモノを掴み取ることだと思っているから。
ホンモノ。定義が変わってしまった、変わることができた、この言葉も、これからも追求していく。
来年がもっともっと飛躍的により良くなるように、頑張っていきたいと思う。
ただ、実質的にはかなり価値があるモノが得られなかった直後に、ある施設に行って、本当に『意味があること』が優しい想いであることを明確に思い知らされて、やっと気がつくようなことは、二重の意味で、来年はもう無いと思いたい。
では、みなさまも、良いお年をお迎えください。
今年の目標は「時間を超える」ことでしたが、どうだったか?と自分に訊いてみると、全然達成されていません。
そもそも浪人してるし、時間を超えるもくそも無いんですが、まぁでも、少なくとも今年で、その指針を立てることはできたかなっと思う。こういう風にしていけば、人よりも早く、ってなれる感覚は掴めている。
来年もとりあえずはこれを目標にしようと思います。どこで刻むかによって勝敗は変わるけど、ここからぐっと達成していかなきゃいけないし、逆に言うと時間はもう殆ど残されていないなってことです。いくつかの意味で、あと1年間、ってのが一つの区切りだって思っています(このタイムリミットは実質的にはおかしいけど、たぶん未来に向けての感覚的には適切だと思う)。
今年は何と言っても、また「転換」の年でした。ラボを変えて、心機一転しました。上手く変化できて本当によかった、これを観てくれている人の中にも含まれているはずだけど、みなさんのおかげです。
とは言っても、俺にとっては「転換」というほど転換していません。これまでのほうが遥かに大きく転換してきているから、ほんのちょっとの努力で済んでいるけど、普通だったらもっとキツイはずだよね。そういう意味では、これまでの転換に寄与してくれた人にも感謝です。それは、追い出そうとした人や批判してくれた人、俺が変わることに対して心の奥底からムカついてくれた人も含めてね。
新しいラボでの新しい人達が結成されてから準拠集団(自分もしくはみんなが心からこの集団に所属していたいと願う集団)になるまで、1~2ヶ月くらいしか時間を使わなかったのも、すごく良かった。これも俺が「時間を超える」ことを意識していたからだったら嬉しい。研究室を準拠集団化するって、かなり難しいことだと思っていたけど、学年が上がったせいなのか、そういう能力が高い連中が揃ったからか、わからないけど、『とりあえず掴みはOK』ってなるまでが最短スピードでした。
この人がいなくなったら、この人と会わなくなったら、どうなるの?、って3月まで思っていましたが、実質的に減らされた分以上に、素晴らしい出会いがあったことに感謝しています。
さらに、尊敬する人が飛躍的に増えました。(昔よく使ってた言葉で言えば)部分尊敬がかなり多くなったのと、久しぶりに、絶対的な総体的尊敬をしたい人に気付くこともできました。
今年は色々な系に対して、『意味があるのか?ないのか?あるなら、どんな意味なのか?価値がどれほどあるのか?』をずっと心の中で繰り返していました。後輩たちに真似されるほど『意味あるんですか?』って実際にも口に出していたほどなので(笑)、そのせいでラボ内には迷惑をかけたかもしれませんが、自分にとっては、意味のあること、価値のあること、はかなり具体化されたし、役に立ちました。来年は少し保留かもですね。
そして、これは自分でも意外なことですが、物理学についての思考力がここに来て、また上がりました。今年だけでいくつか新しい分野も理解したし、何よりも沢山使いました。よーく考えれば、表題だけで言うと、生物物理学の研究室から有機物性化学の研究室に来たので、俺が物理を使うシーンが増えるのは当たり前なんですが、物理学ってのは他のどの学問分野でも得られない偉大な力を秘めているな、って思います。
今年は国際交流も多かった年です。外国人と喋らさせてもらう機会がかなり多かったです。初めてヨーロッパにも行ったしね。
本当に色んな人がいるなっと思います。外国人に対して、本当の意味での個性を感じ取れたのは、今年が初めてかもね(これまでは、どこか外国人でひとくくりにしていたかも)。それと意外と海外のほーがめんどくさくないかもって思ってきています。直接言っても相手が傷つかない、しかも英語だから直接的に言うしかない、って状況は俺にとっては簡単で有難いです。
ただ、知ってる人は知ってますが、ある理由があって、僕は海外があまり本質的に好みでは無いので、向こうに住もうとかそういう風には思いませんが。
共同研究についてですが、そもそもは自分が言いだして、やらせてもらえて、ここまで結果が出てくれるとは思いませんでした。完全に周囲の力ありきですが、その中で、自分ができることをやっていけたかな、っと思います。
全然満足はできていませんが、ここから、もっともっと色んな角度からのリスクに挑戦していきたいし、繰り返しの実験ではなく、日々実験系を切り開いていくような力をつけたいな、って本当に想えるようになりました。
思えば、多くが、あっという間に変わった、1年間。
いつのまにか新しい研究室のど真ん中で、堂々と笑わせてもらえている自分に気がついた時に、『今、心から笑ってる。これをずっと望んでいた。もう集団に対して大義名分は要らない。変わって良かったな。』って思ったのと同時に、『変わってしまったな。』っと実感することも多かったです。
それも、これからの課題。この12月、その問題に着手してきたけど、解明すればするほど、強敵だなって思って、指針が立たなくなっていく。
ある程度の信頼関係があったのにも拘らず、今回の変化で、喋らなくなってしまったり、会わなくなってしまった何人かの人とも、心の底では、この集団みたいに、ほんのちょっと前みたいに、一緒に笑いあっていたいな、って気持ちが確かに大きく存在している。だけど、時間は残酷に経過しているし、変わりゆく。
俺が時間を超えていれば、って思うけど、昨日も書いたように『なんかイヤだな』って気持ちから逃げないできちんと解析すると、この選択とこの結果は正解なのかもしれない、っとも思うのだ。というよりも、そう想うしか心を安定に保つ術はない。
変わること、変えようとすること、発言すること、意見すること、など行動することは何だってリスクだ。
それが単にゼミでオフェンスすることでも、誰かに正論をぶちかますことでも、ラボを変えることでも、あるいは予定をいきなり変えることでも、俺は簡単にやってのけているように観えるかもしれないけど、未だにすべて怖いし、リスクを抱えながら行動をしている。
それでもそれらができるのは、そうすることがより良いことだと信じているからだし、その選択こそが誤魔化さずにホンモノを掴み取ることだと思っているから。
ホンモノ。定義が変わってしまった、変わることができた、この言葉も、これからも追求していく。
来年がもっともっと飛躍的により良くなるように、頑張っていきたいと思う。
ただ、実質的にはかなり価値があるモノが得られなかった直後に、ある施設に行って、本当に『意味があること』が優しい想いであることを明確に思い知らされて、やっと気がつくようなことは、二重の意味で、来年はもう無いと思いたい。
では、みなさまも、良いお年をお迎えください。